こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~

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 チオウ、それは砂漠に聳える孤高の都市。第五管轄区が何千個も入るほど広いらしく、フウも東側のごく一部の地域しか知らない。中央部は〈ドテン〉という名の都心で、密集したビルが山のように天を衝いている。実際、霞の向こうに遠く見るドテンは険峻な山に見えた。東側には〈シモガジョウ〉というスラムがあり、出稼ぎ労働者の宿泊施設や貧困層の居住地など雑然とした街並みが外壁まで広がっている。家とは名ばかりの廃材を集めたバラックや、路上生活者、汚れた道路の脇に群がる露店など独特の風景を形成している。犯罪を起こせば軍の銃弾が飛んでくるので表立った犯罪はないが、それでも暴力カルテルや革命派の塒が至る所に存在し、饐えた悪臭とともにどこか剣呑な空気が漂っていた。
 シモガジョウの大通りには浄化された水の売り場がある。その前には外套を纏った人間が長蛇の列を作っていた。フウもそこに並び、時間をかけてポリタンクに水を入れる。
 これでフウの用事は終わりである。片道五時間もの道のりを歩いて来た彼女のすべきことはここで終わる。
 フウを初めとする管轄区の人間には、水と食料を買う分の補助金しか与えられていない。都市に住む子供たちは普段何をしているのかフウは疑問に思った事がある。なんでも、死んだ母親曰く「ガッコウ」というものに行って時間を潰しているらしい。生きるための知識をたくさんそこで得られるのだそうだ。
 ――もしガッコウに行っていたら母は死なずに済んだのだろうか。
 フウは首を振った。無いものねだりをしたって仕方ない。
 自分にはガッコウに行く金がない。水を買う以外の金はないのだ。
 ――いや、今日は違う。
 フウはポケットを弄った。そこには二人分の補助金がまだ残っている。
 余った金の使い道、なんてのは一つくらいしかない。
 ガッコウ? ばかいえ。
 肉だ。
 雨季に入るとたまに金が浮くときがある。その時は肉を食うと相場が決まっていた。
 貴重な蛋白源。アンド、焼いたときの美味さ。配給の干し肉や携帯流動食とは訳が違う。
 フウの口から涎が滴った。
 それを慌てて手で拭う。
 シモガジョウの大通りは今日も雑踏がけたたましい。精肉店は大通りの端、つまり出口の付近にある。フウは一人分の水を担いで肉屋を目指す。
 にぎわう人々の声がフウの耳を素通りしていく。
「おい、また野盗がしょっぴかれたそうだぞ」
「あー、暑ぃ」
「俺も拳銃買おうかなぁ」
「サイレッカって普段何してんの?」
「寒い夜と戯れ」
 フウは後ろ襟を掴まれたように素早く後ろを振り返る。雑踏の中から微かに聞こえたその歌。
 ……今の歌、間違いない。
 メロディも、リズムも、母が口ずさんでいた歌だ。
 フウの鼓動がかつてないほど高鳴った。フウは水の入ったポリタンクを投げだし、もと来た道を引き返す。人混みをかき分け、古びた糸のようにか細い音のしるべを辿っていく。
「灼熱と踊れ 血潮のような 夕陽に向かい」
 それは母が覚えてなかった部分もしっかりと詩を口ずさんでいる。
 人の壁をかき分けていくとその歌はより鮮明にハッキリと聞き取れる。それは雑踏の中では小さな音だったが、フウにとってはとてつもなく大きな音に聞こえた。フウは大通り沿いの店の前に立ち止まっては聞き耳を立てる。
「月と明日へ渡れ」
 それは男性の声だ。一度聴いたら忘れられない儚く優しい歌声。
「亡骸越えて」
 フウはある建物の前に立っていた。塗装の剥げ落ちたコンクリートでできた二階建ての建物。
「手を伸ばして 感じろ」
 フウは何も考えず中に入った。壁際の棚には銃のパーツやスコップ、ねじ、ボルト、フォークなど統一感のないものが雑然と陳列されている。
 奥のカウンターにいたのは、髪が白くなり、腰が曲がった老人だ。
 ……え、この爺さんが歌っていたの?
『はい、というわけで』
 右の棚から声がした。だがそっちを見ても誰もいない。
『お聞きいただ――のは、欠け――でした』
 だが、棚から声がする。フウはゆっくりと、声のする方に視線をずらしていく。錆びた車輪と砂に塗れた人形に挟まれる形で、それはいた。
 ――これが声の主?
 プラスチックで出来た直方体の物体だった。色は銀色だが所々が赤く錆びている。掌に収まるほどの大きさで、表面には小さな穴がたくさん。上の方には摘まみが二つ、銀色の細長い棒が折りたたんである。右の側面にはスイッチが、左の側面には「FM」「AM」と見慣れない文字が描かれていた。
 その物体は、天窓から射した日の光に鈍く輝いている。雑音が消え失せ、世界には銀色の物体とフウだけが存在していた。聞こえるのは、その銀色の物体が放つ音だけだ。
 フウは深く息を吸い込んだ。
『午後のユー――の後――ザザッ―――は』
 どうやら音は無数に開いた穴から聞こえてくるようだ。
 肝心の曲名と最後のフレーズを聞きそびれてしまった。
「おー、釣れたかぁ」
 店主と思しき爺さんがカウンターから出て歩み寄って来る。
「客寄せにと思ってかけてみたんだがこりゃ効果てきめんだわい」
 爺さんの視線は開け放たれた扉の向こうの喧騒に投げかけられる。
「このやかましさじゃ、意味ないと思ってたんだがな」
 この珍妙な物体は一体なんだ、と恐る恐る爺さんに聞いてみる。
「こりゃラジオ、だったかな。なんかそういう名前の代物だ」
 ラ……ジオ?
「そう。この銀色の棒で、でんぱ? つーのをとっ掴まえて音を出すんだと」
 フウは「むー」と腕を組んで考えた後、と言うことは「でんぱ」を出す人がいるのかと聞いてみた。
「そりゃぁな。どっかのもの好きが流してんだよ」
 と言うことは、さっきの歌を歌っていた人がこのチオウにいるということじゃないか。
 フウは、さっきの歌手はどこにいるのだ、と詰め寄った。爺さんはそんなフウに少し圧倒された後、何かを見透かして微笑する。
「ちと聞けば分かるが、このラジオが話すのは俺らの知らないことばかりだ。まるで、どっか別の世界のことを語るようにな」
 フウは言葉の意図が見えずに首を傾げた。爺さんは少し得意げになって饒舌に語り始める。
「昔はこの国の他にいろんな国がたっくさんあったんだよ」
 たしか、チオウ以外の国は神の怒りに触れて滅び去った、という話だ。第五管轄区でもごくまれに、壮麗な服を着たオッサンが現れて「この国がどうしてできたか」を演説しにくる。
「だけどな、本当はでけえ戦争があったんだ」
 せんそう?
「ヤクザの小競り合いのデカいやつ。大勢の人間と人間の殺し合いだな。ともかく、それで沢山の国が滅びた。でっけえ火の玉が降ってきて人がバンバン焼け死ぬのよ。その、戦争で唯一生き残ったのがこの国ってわけさ」
 爺さんは棚に陳列された品を指差した。
「この中の幾つかは、その戦争で滅びた国のもんだ。恐らく、そのラジオもな」
 ということは、このラジオから聞こえてくる曲は、
「何十年、下手すりゃ何百年も前のもんだ。おんせいでーた、つうのがあって、それをどっかのもの好きがでんぱに乗せて流してるのよ」
 ということはこのラジオから聞こえてくる人達はもう、
「この世にはいないだろうな。いても、百歳を超えたジジババだ」
 そうなのか。というか、王の出自を否定する様な話をして大丈夫なのだろうか。他の国は神の怒りによって滅びた、というのがこのチオウの真実だ。爺さんは笑いながら
「こんな寂れたジャンク屋に聞き耳立てる物好きなんぞいやしねえよ」
 フウは愛想笑いをして爺さんの語る過去に同調するのはやめておいた。
「で、お前さん、そのラジオに並々ならぬ興味があると見える」
 う、とフウは口をへの字にした。
「そうだな、どうせ誰も買ってかねえし、一〇〇〇オウチってとこでどうだ」
 フウはわずかに戦慄し、ポケットの一枚しかない一〇〇〇オウチ札を握りしめる。そのリアクションでフウは爺さんに懐具合を見抜かれた。その皺だらけの顔が片笑む。
 この爺さん、出来る。
「お嬢ちゃん、今だけだぜ」
 馬鹿を言ってはいけない。こんな音の鳴る箱ごときで貴重な「肉」を失ってたまるか。
「ずっと長く聞いていれば、またいつかどこかで同じ曲が聞けるかもなぁ」
 フウは一度明後日に向けた視線を、「ラジオ」に戻す。そしてもう一回目を背ける。そしてまた、ラジオに視線を戻した。一文字に結ばれた口が決意と共に波打った。