こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~

 日が傾き始め、乾いた大地は血のように赤く染まっている。夜は大型の爬虫類は活動しない。代わりにフウの敵は寒さになるのだが、この季節は命を脅かすほど気温が下がることはなかった。今日は満月なので闇に脅える必要もない。
 フウは途中まで足を速めていたが、帰りを待つ人はいないと気付いて速度を落とした。例の岩場に差し掛かる。そこにはハゲタカに食い荒らされたであろう犬の亡骸が転がっている。
 適当な大岩を見つけ、そこに上った。フウの生活は所謂サバイバルではなく、計画的な旅である。補助金の余りで買った乾燥燃料にライターで火をつけ、そこに乾燥した木材をくべて火を起こす。フウは犬からはぎ取った肉を焼き、その肉と干した果実を食べる。肉と野菜を食べないと病気になることくらいは知っていた。
 星と月を眺め、フウはそっと目を閉じて風を感じた。まだ心には痛みがある。というよりこの痛みは一生消えないのだろう。
 フウはあることを思い出し、ポーチを開けた。取り出したのは、プラスチックでできた直方体の物体だった。色は銀色。掌に収まるほどの大きさで、表面には小さな穴がたくさん開いている。上の方には摘まみが二つ、銀色の細長い棒が折り畳んであった。右の側面にはスイッチが、左の側面には「FM」「AM」と見慣れない文字が描かれている。
ラジオである。
 フウはラジオに土下座するように手と膝をついて項垂れる。
 やってしまった。
 楽しみにしていたお肉が、こんな訳の分からない骨董品に変貌してしまった。
 ジャンク屋の口車に乗せられてこんなものを買ってしまうとは。
 電源を入れると「ザザザ」と砂をかき交ぜたような音が聞こえた。銀色の棒を立てて、摘まみを回していく。
『ザザッ、ザザッ、ザザッ、の時、ザザッ』
 フウはハッと目を見開いた。今、人の声が。慎重に摘まみを戻す。
『――ですね。つまり、それがキンダイ的なケーザイの始まりなわけです』
 男の声が聞こえる。
『簡単にいってしまえば自分の食い扶持を稼ぐだけで精いっぱいなんですね。でも、もっと効率的に農作物を生産できるようになると、資金的にも時間的にも余裕がでてくる。これが、カヘイケーザイがセイリツするドジョウになるわけです』
 穏やかな声だった。不思議と耳を傾けたくなるような。フウはラジオに顔を近づける。
『今日はショーヒンサクモツとケーザイのハナシをお届けしました。次回は明後日木曜日の六時から。テーマはカヘイのセイリツです。キンダイテキなカヘイケイザイがどのように成立したのかを考えていきます。解説はタイラクテンダイガクキョウジュ、ナカタトシロウさん、進行はドージョー・シンイチアナウンサーがお送りしました。ナカタサン、本日はどうもありがとうございました』
『ありがとうございました』
 小気味のいい音楽が流れ、何かしら一つの区切りがついたことをフウは知る。言っている単語の殆どの意味は分からないが、商売についての話をしていたことは見当がついた。暫くすると今度は女性の声が、「ラジオ」の穴から聞こえてくる。
 フウは強い力でラジオの穴に耳を押し当てた。フウの耳にはもうラジオの音しか入っていない。
『八時になりました。〈夜のユートピア〉の時間です』
 八時と言われてフウはハッとした。早く帰らないと。フウは火を消し、ラジオは電源を切ってからポーチに入れて家路につく。風の音が少し、いつもよりも物悲しく聞こえた。
 あ、
 フウは気付いた。ポーチに入れたラジオの電源を再び入れる。
『次にお送りする曲は出会い、です』
 別に歩きながら聞いてもいいんだ。
 穴から音楽が流れてくる。ラジオから聞こえてくる音はフウにとって衝撃だった。どうやって出しているのかも分からない幻想的な音色が極めて高い調和を保って耳に流れ込んでくる。それは不思議と、濃紺の空を走る流れ星の音に思えた。星と音楽と共に歩む家路。真珠色の水滴が悠久の輝きを放つ空の中、フウは面を上げ、そっと目を閉じる。
 ……悪くない。
 美しく繊細な男性の声で、四季の移ろいと出会いと別れ、そして自分の居場所について歌っている。その歌詞は傷ついたフウの心に染みていった。
『さぁ、続いては』
 女性の声を聴きつつ、フウは妙な寂寥にかられる。この女性は、母と同じところにいるらしい。これは、百年前の音声をどこかのもの好きが流し続けているのをラジオが拾っているから聞こえるらしい。
 戦乱によって滅びた世界。その荒廃した世界に、チオウは孤独を極めて佇んでいる。
 このラジオから聞こえる音声は、死ぬ前の、どこかの世界の誰かが残した愉快な遺言なのだ。