こわれたせかいの むこうがわ ~少女たちのディストピア生存術~

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 ジャンク屋の親爺が言う所には、戦前は他にもいくつかのでんぱがあったそうだ。ラジオという文化が無いチオウにラジオキョクなるものは無く、どこかの物好きが発信している大昔の教育チャンネルだけをこのラジオは受信する。
 その物好きは器用にも番組を当時のタイムスケジュールそのままに流していた。
 番組が始まるのは昼の十二時で、全ての構成が終わるのは夜の十二時。そこからは、その日の番組をもう一度昼の十二時まで再放送する。
 どうやら時間ごとにテーマが決まっていて、長さは一つの番組につき一時間から二時間。そして番組は曜日ごとに変わり、同じ曜日は毎週同じ構成になる。フウはこの時初めて「週」という概念に意味があることを知った。
 ラジオがフウにとってありがたかったのは、ほぼ無意味に過ぎ去っていた往復十時間もの時間を有効に活用できたことである。いくつかの番組は子どもにも分かるように作られていた。なので、フウのようなガッコウに通ってない少女でも、何日か経つと聞くのにも慣れてきて少しずつ知識が付き始めた。
 今日もフウは紐のついたラジオをたすき掛けにして水を買いに行った。
 地平の果てまで続く青。降り注ぐ死の太陽光線から逃げるように岩場に入ると、周りに猛獣がいないのを確認して腰を落ち着ける。ラジオのボリュームを上げ、フウはラジオの「スピーカー」を耳に当てる。こうすれば風音の中でも聞き逃すことはない。
『さぁ、〈我が大地〉の時間がやってまいりました。解説はいつものように、コウトウダイガク教授、フクモトシュウゾウさん。進行は先日結婚しましたアリタユタカです』
 〈我が大地〉 火曜日と木曜日の十二時から二時間かけて、地質学の基礎やそこに生息する生物や植物について勉強する番組である。
『よろしく』
 フクモトは不愛想に短く返事をした。フクモトは「リケイ」というジャンルの先生らしい。
『今日も相変わらず愛想が悪いですね。フクモトさん!』
 アリタアナウンサーはフクモトとは対照的に明るくてノリが軽い。
『君が陽気すぎるのだよ。全く、真昼間から鬱陶しいことこの上ない』
『相変わらずのフクモト節ですねぇ』
 とこういった雑談は五分ほどで終わる。彼等にとってはかなりのハードスケジュールだったらしく、〈我が大地〉が終わるとそこから十分の休憩を挟んで〈クオンノダイチ〉という番組が全く同じ面子で二時間始まる。彼等は合計四時間もの間授業を続けるのだから大変な仕事だ。
『今日のテーマは砂漠です。砂漠というと一面に砂が広がる風景を思い浮かべますが』
『それはすな砂漠だ。砂砂漠など地球上のごく一部にしか存在しない。本来砂漠とは限られた植物しか生えない地域を指すのだよ』
『成程、砂の有無ではなく植物の有無なんですね。あれ、ちょっと待ってください? じゃあ私達が住む都市も限られた植物しか自生しませんよね?』
『一応は都市も砂漠だ。まぁ、ここでは自然の砂漠を扱っていくのだよ』
 フウは腰を上げ、周辺への注意を切らさないようにラジオを聞きながら歩いた。
『砂漠は限られた水分しかない。大きな山を越える時、人は体力を使う。雨雲も同じだ。山を越える頃には雲は体力を使いすぎて雨を降らせる力が残ってないのだよ。だから大陸の山に囲まれた盆地には砂漠ができやすい』
 チオウにも雨はあるが一年に一度あるかどうかだ。フウは歩きながら東の方の山脈に目をやった。たしかに雲のようなものが山頂にかかっている。あの雨雲が山を越えられないからここは雨が少ないのか。管轄区の物知りが言っていた通り、山の頂上が白い部分は水の塊なのかもしれない。
『他にも家畜が原因で砂漠化することもあるのだよ』
『家畜、ですか?』
『家畜を放し過ぎると若い草が食べられたり、地面が踏まれて硬くなったりしてその土地が劣化していく』
 フウは人が歩いて硬くなった地面を触ってみる。たしかにこれじゃ植物の種は地中に入れないかもしれない。
『畑を耕すのと全く逆のことをしているわけですね』
『……少々ゴヘイがあるかも知れないが、そういう理解でいいのだよ』
〈我が大地〉が終わり、同じメンバーで〈クオンノダイチ〉が始まる。こちらは少々学習内容が高度になっており、フウにはかなり難しい内容だった。それが終わると今度は〈午後のユートピア〉を挟んで、歴史上の人物にスポットを当てた〈イジンデンシン〉が始まる。歴史上の偉い人の半生を物語調で綴る番組で、これもフウにとっては刺激的だった。今日は病気がちなテツガクシャの話。その哲学者は病弱故に毎日規則正しい生活を送っていたという。なんでも、町の住人は彼の姿を見て時間を確認していたという逸話もあるほどだ。
『そんな彼の名著、ジュンスイリセイ――』
 そこで突如音が途絶えた。水を買って帰りの道を歩いている途中である。訳も分からず、フウはラジオを凝視する。叩いても、アンテナを伸ばしても、ラジオはウンともスンとも言わない。
 ――死んだのか?
 母親と同じように。
 その日の夜は、ひどく静かだった。いつもはもう寝る時間なのに、フウは布団に入っても中々眠ることができない。たまらず目を開け、布団を跳ね除けて棚に置いてあったラジオのところまで歩いて行く。上から見下ろしてみたり、下から見上げてみたり、横からのぞき込んでみたり、摘まみを回したり、なんやかんやと色々してもラジオが音を発することはなかった。その後、布団に戻るのだが諦めきれずにまた布団から出てラジオをいじくり回す。
 結局その日はラジオを抱いて寝ることになった。
 翌朝、また五時間かけて水を買いに行った際、チオウのジャンク屋に足を運ぶ。ジャンク屋の扉の前に立ったフウは違和感を抱いた。
 ……人の気配がしない?
 恐る恐る扉を開けて中に入る。カウンターに爺さんの姿はない。天窓から射した日差しの中で埃が舞っているだけだ。カウンターの上で一際違和感を放つものがあった。
 それは白くて小さな一輪の花。
 雨季に時折花が咲くことはあるが、乾季には殆ど見ない。チオウの中央にいけば売っているという話は聞くが……
 花弁の数は四つ。上部に不自然な空白があるので、もともと花弁は五つだったのだろう。
 欠けた花をなんとなく見つめると妙な薄気味の悪さを覚える。フウは足早にジャンク屋を立ち去った。
 フウにはまだ行く当てが残っていた。同じ通りにある「電気屋」だ。電気屋はジャンク屋とほぼ同じ大きさの建物で、劣化したコンクリートという点で見た目も殆ど同じだ。それらしい「ぴかぴか光る文字の看板」が目印だった。扉を開けると、目の前にはカウンターがある。その奥で、物々交換の価格予測紙を読んでいる若い女性と目が合った。
「こりゃ珍しい。管轄区民じゃないか」
 女性は白いタンクトップ姿で、額にゴーグルをつけている。女性はフウの持っていたラジオを見ると好奇心に笑顔を浮かべた。
「へえ、もっと珍しいもん持ってるね」
 電気屋の店主はラジオの摘まみを捻ったり、アンテナを立てたり、電源を入れなおしたりした。ラジオを一旦置き、一言。
「こりゃデンチ切れだな」
 デンチの意味が分からずフウは首を傾げた。
「まぁ機械にとっての食いもんみたいなもんさ」
 言うとラジオのお尻の方をパカっと開け、光沢のある円柱の金属を取り出した。
「ほれ、これと同じ大きさの奴だ」
 店主はフウにデンチを投げ寄越す。フウはデンチを観察してから店主をじっと見た。
「その型のデンチは殆ど流通してないよ。ウチにはあるけど」
 フウはなおも店主をじっと見る。
「……しゃあないな。ちょっと待ってな」
 店主が店の奥へと姿を消すと、店の奥から箱をひっくり返したり棚から物が落ちる音が聞こえてくる。暫くして髪に埃を付けた店主が姿を現した。
「あったあった。ほれ」
 店主はサラのデンチをカウンターの上に置く。
「二五〇〇オウチだ」
 フウの顔が引きつった。フウの一日当たりの補助金が五〇〇オウチ。うち水が四〇〇オウチで食費が五〇オウチ。余った五〇オウチも配給で満たされない分の食料や生活必需品等の出費に持っていかれることが殆どだ。よって、そんな大金を用意するなどフウには不可能である。
「そんな顔するな。結構シイレカカクが馬鹿にならなかったんだ。お嬢ちゃんの内臓を売れば一〇〇〇〇オウチくらいにはなるぜ」
 フウは顔を顰めて店主を見やった。
「嫌だよな。ま、品切れにはならんから金が用意できりゃまた来いや」
 フウはため息をつきながら、重い水タンクを担いで家路についた。
 耳がひもじい。
 何年も聞いてきた風の音がひどくつまらないものに聞こえた。丁度この時間は〈オカネノハナシ〉の時間だ。「経済」の仕組みを分かりやすく解説したもので、フウにも辛うじて理解できる内容だった。フウは今まで習ったことを頭のノートに複写している。
 経済、とは皆が幸福になるように資源を分配させたり、ものを作ったり、使ったりすること。例えば二人のリンゴを欲する人がいて、二つのリンゴがあれば二人は幸福になる。でも、世界は複雑で、皆がいろんなものを欲し、それに合わせて色んなものが売られている。だから、皆に必要なものがいきわたって、誰もが幸福になるのは難しい。
 たくさんの人が欲しいと思えば思うほど、その物には大きな値段がつく。水がこれほど高いのも、それだけのお金を出してでも買いたい人がいるからだ。
 フウは、星空の下で歩みを止める。
 ……人が欲しがるものであれば、それは金になる。
 フウは自分が普段何を欲しているかを、考えてみた。丁度その時、お腹が「くう」と情けない声を上げた。