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 場所が間違っている。
 というのが最も合理的な解釈だったので、俺はアスナに謝って丘を降り、周辺のフィールドを二時間かけて探し回った。
 しかし、ログハウスどころか、新たに分岐する小道さえも発見できなかった。悄然と最初の丘をもう一度登り、俺は改めて周囲の地形を見回してみた。
「…………やっぱりここだ、絶対に……」
 無意識の声が口から漏れる。
 広い芝生の庭(今は家がないからただの空き地だが)、その奥にうっそうと連なる針葉樹の森、木立の彼方にアインクラッド外周部を支える柱が屹立し、最も遠景には無限の空が広がる。この眺めは、一年半が経過しても鮮やかに記憶に残っている。
 だが唯一、肝心なログハウスだけが存在しないのだ。まさかと思って空き地に踏み込み、真ん中まで歩いてみても、家がPOPする気配はない。
 呆然と立ち尽くしていると、さくさくと下草を踏む足音が近づき、すぐ後ろで止まった。
 俺は振り向くことができなかった。二十二層にあるログハウスに二人で引っ越そう、というのは俺のプロポーズの言葉だったのだ。その家が存在しないとなれば、求婚そのものが偽りと化したようなものではないか。
「アスナ……。──本当なんだ。本当に、ここに家があったんだ」
 俯いたまま、俺が力なく言うと。
 真ん前に回り込んだアスナが、俺の両肩をぽんと叩いてから、掌で顔を挟んで上向かせた。はしばみ色の瞳は、普段と何ら変わらない、優しい光を浮かべている。
「信じてるよ、当たり前じゃない」
 あっさりそう言い切り、手を離すと、数歩下がって続ける。
「きっと、何かシステム的な事情で撤去されちゃったんだよ。残念だけど、でも、お家がなくてもこことっても素敵な場所だから、連れてきて貰ってすごく嬉しいよ、わたし」
 緑の芝生の上で、スカートをなびかせてくるくると回る。午後の日差しが、長い髪や白銀の胸当て、そして腰に吊った細剣《ランベントライト》の鞘にきらきら反射する光景は、そのままゲームのPVに使えそうなほど美しい。
 ──という俺の思考を読んだわけでもないだろうが、アスナはこちらを向いて止まると、右腰のベルトポーチをぽんと叩いて言った。
「ね、せっかくだからここで記念撮影していこ。わたし、写真結晶持ってきたんだ」
「あ、ああ……。そうだな……」
 俺は笑顔で応じたのだが、その声と表情に何かを感じたのか、アスナの顔に気遣うような色が浮かぶ。
「……そんなにショックだったの? お家がなくなってたこと……」
「えっ、いや、別に、そういうわけじゃ……」
 顔と両手を水平に動かすが、アスナの心配顔は消えない。こうなると、内心を取り繕うのは最早不可能なので、観念して頷く。
「その……今日は、俺なりに、ちょっと考えてたことがあったんだ。でも、ここに家がないと成立しないから……」
「へえ? どんなこと?」
 大きな瞳でまじまじと見つめられるとどうにも説明しにくいが、プロポーズまでしておいて今更照れくさがっても仕方ない。軽く咳払いしてから、まずはシステム方面の説明から入ってみる。
「ええと、だな。SAOでの《結婚》って、手順としてはかなり簡単だよな。メインメニューからコミュニケーションタブに移動して、各種申請の一番下のMarriageボタンを押して、相手を指定して……それで、相手がOKボタン押せば完了。お役所に書類出す必要もないし……」
「実家に挨拶に行って、お嬢さんを僕に下さい! とかもやらなくていいしね」
 アスナが唐突にそんな言葉を挟み込んだので、俺はついその強制イベントを想像してしまい(しかもお義父さん役はなぜかKoB団長ヒースクリフだった)、ブルルと背筋を震わせた。それを見てお嬢さん……ではなくアスナがくすくす笑うので、もう一度ゴホンと咳をして本題に戻る。
「と、ともかく! 結婚の手順そのものが五秒くらいで終わっちゃうからこそ、その、なんだ、ずっとアスナの思い出に残るような形にしたいなあと、そう思ったんだ。でも、残念ながら大々的に結婚式をやるわけにもいかないから、せめてちゃんとした新居を買って、その家の前で結婚するのがいちばんいいかな、って……」
 後半がやや俯きながらのモゴモゴ喋りになってしまったが、どうにかそこまで言い終え、俺はふうっと息を吐いた。
 直後、どすんと高速タックルを喰らってよろめく。予期せぬ衝撃に、背中から芝生に倒れ込んでしまうが、アスナは別にマウントポジションからのナックル攻撃をしたかったわけではないようで、俺の胸に体を預けて短く囁いた。
「…………嬉しい」
「え、いや、その、ただの思いつきで」
「だから、嬉しいの。キリトくんが、そこまで考えて、一生懸命お家を探してくれたんだもん」
 見れば、至近距離でにこにこ笑うアスナの両眼には薄く涙がにじんでいる。これには俺も胸を衝かれ、細い体に両腕を回してしまう。
 そのまま、そよ風の吹き抜ける草原で二分以上も抱き合っていると、やがて耳許でアスナの穏やかな声が響いた。
「わたしはもう、じゅうぶんだよ」
「え……?」
「いま、じゅうぶんに幸せ。だから、ここで結婚の操作して、今日は帰ろ? おうちはまた探せばいいよ」
 確かに、上層の底を染める午後の陽光はかなり黄色みを帯びてきている。あと一、二時間で日が暮れてしまうだろう。
「そう……だな」
 俺はアスナを抱いたままゆっくり体を起こし、針葉樹林に抱かれるように広がる緑の庭を見渡した。
 《圏外だがモンスターが湧かず、あまり人も来ない場所にある一軒家》という条件を満たすプレイヤーホームは、根気よく探せばきっと他にも見つかるだろう。いっそ情報屋のアルゴに依頼する、という手もなくはない。さしもの《鼠》も、俺たちの新居の座標を誰かに売ったりはするまい、たぶん。
 だから、アスナの言うとおり、幻のログハウスにこだわる必要はないのだ。この芝生の庭は今のままでも充分に印象的だし、ここで結婚した思い出は、たとえいつかSAOがクリアされてもアスナの──そして俺の記憶に長く残ってくれるだろう。
 …………でも。
 それはそれとして、だ。俺の頭の片隅に、結婚とは無関係のムズムズ感が居座り続けている。強いて言うなれば、ログウインドウの下のほうで、途中で行き詰まったまま放置されている未クリアのクエストのように。
「…………キリトくん?」
 突然名前を呼ばれ、俺はびくっと視線を戻した。すぐ近くにあるアスナの顔が、いつのまにか《何でもお見通しですからね》的表情を浮かべていて、もう一度体を硬直させる。
「は、はい?」
「…………それはそれとして、とか考えてるでしょう」
 ぎくっ。
 という顔をしてしまいそうになり、寸前でポーカーフェイスを作る。
「え、な、何のことでしょう」
「解るんだからね。キミが、ここにあったはずのお家がなくなった理由、突き止めたいって思ってることくらい」
 ──どうやら俺にポーカーの才能はないらしかった。ここで否定しても傷を広げるだけ、ということも既に学習しているので、今回もこっくり頷く。
「ええと、その、ハイ……。だ、だってさ、意味不明すぎるよプレイヤーホームが消えるなんて。さっきアスナはシステム的な事情って言ったけど、SAOにはGMがいないから、管理者が手作業で撤去することは有り得ない。プログラムが処理した結果なんだとしても、耐久度無限の家が腐るわけないし、アインクラッドじゃ地震も山火事も起きないし……あと、他に考えられるとすれば……ええ〜〜と…………」
 喋っているうちに本格的推察モードに入りかけたが、そこでアスナが人差し指をぴしっと俺の口に当てる。
「はい、一時停止! ……まあ、長い付き合いだからね。キリトくんがそいういうの放っておけない人だってことくらいは、わたしも学習してるよ……」
 軽いため息が終わらないうちに、俺は勝手にポーズを解除する。
「じゃ、じゃあ、貴重な休暇中ではありますが、ちょっとだけ調査してみてもよろしい……でしょうか?」
 アスナは小声で、こうなるような気がしてたのよ、趣旨カンペキ変わってるじゃない、等とぶつぶつ言ってから、大きく息を吸い、宣言した。
「調査期限は、今夜ひと晩だけですからね!」

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