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「ん?
「あぁうん、ちょっと用事があるから。また明日ね」
鼻歌交じりで駅に向かい、そのまま電車に飛び乗った。
今日は仕事があるのだ。
だからこうして張り切っていたのだが……。
「……早く着きすぎちゃったな、こりゃ」
時計を見て、思う。新人は余裕を持って現場に到着しなさい、なんて口酸っぱく言われるが、さすがに早すぎだ。予定の時間まで二時間以上ある。仕方なく、ファミレスで時間をつぶす。
テーブル席に座ってドリンクバーを注文し、ミルクティーで一息。
「……よし」
メイク直しを終わらせてから、スマホを取り出す。
差しっぱなしだったイヤホンを耳に着け、手早く操作した。少し前に、新しい動画が投稿されたのを見つける。既に再生数とコメント数がすごいことになっていた。
「おー……、さすが」
感嘆の声を上げて、再生ボタンをタップする。
『
人気女性声優のラジオ動画番組だ。
桜並木乙女。二十一歳。声優事務所トリニティ所属。華のある容姿と魅力的な声帯、それに確かな演技力を持つ女性声優だ。
番組ではコメントが絶え間なく流れ、盛り上がっているのが見て取れた。
普段は乙女がひとりでトークを展開している。しかし、この回は違う。
彼女は手をいっぱいに広げ、明るくこう言った。
『それでは、今日のゲストをご紹介します!
『あ、どうも、こんばんは! う、歌種やすみです!』
乙女の隣にやってきたのは、いかにも新人の女性声優だ。
大きくて澄んだ瞳は落ち着きなく動き、やわらかそうなほっぺたは強張っている。背中に届くさらりとした髪は、さっきから忙しなく撫でられていた。
「……んふ」
ついにやけてしまい、慌てて口元を手で隠す。歌種やすみが登場すると、『かわいい』『かわいい子きた』『めっちゃ緊張してるのかわいい』といったコメントが流れ始めたのだ。
しかし、次に流れてきた多くの『だれ?』というコメントに肩を落とす。
「む……、いや、まぁ。そうだよね……」
仕方ない、と無理矢理に納得するものの、ため息が漏れてしまう。
遅れて、『プラガのマリーゴールド』『マリーゴールドちゃん』『プラガの子かぁ』とやすみを特定するコメントも流れた。
そうそう。プラスチックガールズのマリーゴールド役、歌種やすみだぞ、と心の中で呟く。……それ以外のキャラ名が出ないのは、悲しくはあるけれど。
「ううー……。知名度が欲しい……」
机に突っ伏し、小声で呻く。ハートのネックレスが、テーブルに当たってかつんと音を立てた。のろのろと外して小物入れに仕舞う。
代わりに鞄からカバー付きの本を取り出した。
『にゃんこ部!』
深夜に流れる五分枠のショートアニメ、その台本だ。ぺらりと開くと、出演者の欄には『にゃむにゃむ役:歌種やすみ』と書かれていた。
歌種やすみのセリフには、すべてマーカーが引かれている。
そう、佐藤由美子は声優である。
芸名、歌種やすみ。芸能事務所チョコブラウニー所属。デビュー作は『プラスチックガールズ』のマリーゴールド。芸歴は三年目に入った――まだ、新人声優だ。
今日は、『にゃんこ部!』のアフレコの仕事がある。
久しぶりのアニメだから、と気合を入れたが、少なめのセリフはすぐ頭に入ってしまった。電車の中でも台本を読んだし、家でも散々練習した。今更復習するところもない。
かといって、別作品の仕事があるわけでもない。
「オーディション、受かればなぁ……」
色んなオーディションに行っては落ちてを繰り返している。『にゃんこ部!』はようやくもぎとった仕事だけれど、出番はこれきりで次はなかった。
「……結局、がんばるしかないんだろうけどさ」
呻いたところで仕事は増えない。唇を尖らせ、スマホに視線を戻す。
動画では差し入れのお菓子が投入されるところだった。
『わぁー! おいしいですねぇ、このクッキー! 幸せ~……』
やすみがお菓子を食べて、顔をほころばせていた。
ぱたぱたと手を動かし、明るく笑い、感情を力いっぱい表現すると、それに対して『かわいい』のコメントが次々に流れていく。
……やった、嬉しい。
そう思う反面、騙していて申し訳ない、という気持ちにもなる。
歌種やすみは、佐藤由美子のアイドル声優としての顔だ。普段なら、「幸せ~……」なんて絶対に言わない。可愛らしい仕草だってしない。仕事のためにかわいい女の子を演じている。
歌種やすみと佐藤由美子は真逆の人物だ。
騙している自覚はある。罪悪感もある。けれど、仕方がなかった。ギャルの新人声優では人気は出ない。今の自分に求められているのは、きっと初々しさや清純さだからだ。
しかし、自分を偽ってキャラを作っても、歌種やすみの知名度はそれほどない。
このラジオに呼んでもらえたのも、乙女と仲が良い後輩声優だからだ。
番組が終わりに近付くと、『俺この子応援するわ』『やすみちゃんのファンになります』『ツイッターフォローしよ』なんてコメントが流れるのが見えた。乙女には頭が上がらない。
「姉さーん。ありがとー」
画面内の彼女に両手を合わせる。そうしてから、よし、と立ち上がった。
収録がんばるぞ。