少女願うに、この世界は壊すべき ~桃源郷崩落~

 天颶の長、昏武京八は思う――「浮塊・榮凛島は西方浄土に違いない」、と。
 桜泉里、日が地平線の向こうに沈んで後。夜のとばりを穿つように祭火が揺れる中、京八率いる天颶一門総勢十二名は、桜泉里の広場に設えられた貴賓席に腰かけながら、舞台で繰り広げられる余興――命融神社の神職たちによる神楽を眺めていた。しかし天颶たちにとっては血の流れぬ見世物など面白くもなんともない。貧乏揺すりをする者や、退屈に頬を歪める者もいて、そのたびごとに周囲の人間たちは背筋を震わせ萎縮するのだった。
「――つまらぬ! つまらぬぞ人間どもよ!」
 不意に一匹の天颶が立ち上がった。それに呼応するかのごとく周りの天颶たちも「そうじゃそうじゃ! つまらんのじゃ!」と叫び声をあげ始める。舞台の上で舞踊を披露していた少女がびくりとして化け物どもの顔を見下ろした。
「昏武様! このようなお遊戯を見せられても楽しくありませんぞ!」
「その通り、儂らを敬う気持ちがあるのなら殺人大宴会くらい開いたらどうじゃ!」
「よゥし、これより殺人大宴会を始めよう! 昏武様、構いませんな!?」
 期待のこもった眼差しが京八のほうへと集まった。これとは対照的に人間たちは一様に顔を青くする。
「天颶様……どうかお情けを……」
 その場にひれ伏す人間どもを見下ろし、京八は口が裂けるような笑みをこぼす。
 この島はまさに楽園だ。天颶は島のてっぺん、血颪千重塔にふんぞり返っていればそれでよかった。働きに出ずとも人間どもが勝手に貢いでくれるからだ。貢物の量が減ってくれば恫喝し、殺害し、殺しすぎれば下界から新しいのを補充する。貢物とは関係なく、定期的にこうして天颶祭を開いて人間どもを甚振ることはあるが、それは支配者として当然の権利なのだから誰からも咎められることではない。――嗚呼、なんと素晴らしき我が世の栄華!
「昏武様、これ以上人が死ねば榮凛島は立ち行きませぬ。何卒ご容赦を」
 傍らで酌をしていた男――右禰宜の南条が苦しそうに呻いた。京八はいっそう笑みを深め、獲物を追いつめるような気分で紅翼を揺らす。
「おかしいな。おかしいな。我々を歓待するのは巫女の役目であろう? 巫女が来ないから俺の子分たちも退屈しているようだぞ」
「かなめ様はご容態が優れず」
「天颶祭を差し置いて部屋で寝ているのか。なんとも良いご身分だなァ――よかろう! ならば俺が巫女のかわりに味気ない祭を盛り上げてやろうではないか!」
 子分たちが歓声をあげ、人間たちが悲鳴をあげた。京八は気をよくして声を張り上げる。
「だが子分どもよ、お前たちの云う殺人大宴会は却下だ。そんなことをしては人間が一人残らず死んでしまう。さすがに全滅は可哀相だからな、ここは殺人大相撲で勘弁してやろう!」
「おお!」「さすが昏武様!」「わかっていらっしゃる!」「殺人大相撲だ!」――天颶どもは諸手を挙げて狂喜乱舞、京八向かって拍手喝采を浴びせかけた。この盛り上がりこそが祭の醍醐味だ――京八は内心ほくそ笑みながら舞台のほうへと歩み寄る。
「お、お待ちください昏武様……! いったい何をなさるおつもりで」
 背後から引きとめる声。右禰宜の南条がやつれたような面をして立っていた。
「相撲を始めるのさ。一対一の勝ち抜き戦だ。死ねば次のやつに交代、単純明快だろう?」
「莫迦な」
「莫迦ではない。天颶は十二人、対してお前らは五百人ばかりいる。五百人でたったの十二人を倒せばいいのだ。それだけで全滅は防げるぜ」
「ご冗談を! 我らに寇魔の相手が務まるはずもありませぬ!」
「ありませぬ、ではない! 死ぬ気でやれ!――そうだな、最初の相手は……そぅれ、そこの壇上で這いつくばっている小娘! いちばんに天颶と戦える栄誉を授けてやろう!」
 京八が指名したのは神楽を舞っていた少女である。恐怖のあまり目から涙をこぼし、口をぱくぱくさせてその場に座り込んでしまう。ぐわはははは――天颶どもが森を揺るがすような大声で笑った。京八は子分どもの顔を順々に見渡し、どいつを先方にするかを考えた。考えた結果、誰を選んでも同じような気がしたため、いちばん近くにいた若い天颶を指差して、
「竿頭丸! お前が一番槍だ!」
「はっ! ありがたき幸せ!」
 竿頭丸は猿のように跳躍して舞台に飛び乗った。
 選ばれた少女は逃げることも忘れて震えていた。あれでは戦いにならないだろう――だがそれでいい、一方的な虐殺は人々の恐怖を駆り立てるからだ。
「さあ人間よ、太鼓を叩け! 盛大なる天颶祭には音楽が必要だ!」
 脅された神職が撥を持って滅茶苦茶に太鼓を乱打した。
 天颶が大騒ぎを始めるにつれ人々の顔からは一切の希望が失われていく。その様子を満足げに見渡した京八は、時を見計らい、静かに宣言するのだった。
「――殺人大相撲の開幕だ」
「ぐわははは! 死ね小娘ぇ――――――――ッ!」
 竿頭丸が刀を抜いた。少女は動ける状態ではない。またしても犠牲者が増えるのだ――そう思わなかった人間は一人もいなかったし、実際、京八を始めとした天颶たちも、哀れな小娘は呆気なく首を刎ね飛ばされることになるのだろうと確信してやまなかった。
 しかし現実は違った。
 振り上げられた刃が振り下ろされることはなかった。
 一瞬、火の粉が散ったような気がした。
「炎熱熾天流・癸/【常世の陽炎】」
「うっ……、」竿頭丸が呻いた。そうして誰もが目を見張った。彼の腹部をきれいに貫いていたのは鋭利な神州刀である。そしてその神州刀の柄を握っていたのは――燃えるような瞳。輝くような金の髪。全身から横溢する煉氣を隠そうともせず、にわかに吹いた寒風がくすぐったいのか、頭から生えた狐の耳がぴくりと動く。
 榮凛島で忌み嫌われている寇魔の少女――熾天寺かがり。
 どこからともなく現れた熾天の子が、人を苛む天颶に痛恨の一撃を食らわせていた。
「こ、の……狐めがッ! 相撲に凶器を持ち込むなァ――――――――――ッ!、、」
 竿頭丸が苦し紛れに刀を振るおうとしたときにはもう、熾天寺かがりの刃が横薙ぎにされていた。虚空に描かれる美しい剣筋の余韻、その流れに従うようにして天颶の体内からあふれ出た大量の血液が飛散し神楽の舞台を真っ赤に染め上げた。
 ぐらりと巨体が揺れ、間もなくその場に頽れる。
 天颶はそれ以上、ぴくりとも動かない。絶命したことは誰の目にも明らかだった。
 太鼓の音色が消え、虫の声ばかりが鼓膜を揺らす静かな桜泉里、そのど真ん中に立つ妖狐の少女は、血に濡れた剣先をするどく京八に差し向けて云う。
「かかってこい天颶ども。私が全員殺してやる」
 何を云われたのかわからなかった。
 遅れて挑発されたのだと気がついた。
 京八は、怒りを爆発させて絶叫していた。
「――あの狐を捕えて八つ裂きにしろ!! 今すぐにだ!!」