少女願うに、この世界は壊すべき ~桃源郷崩落~

「――夢みたいだわ。天颶がいなくなるなんて」
 夜半。彩紀とかがりは村の外れの河原で焚火を囲んでいた。
 天颶退治によって人々から好意的な声援を受けたかがりであるが、だからと云って英雄気取りで村に逗留すれば無用な諍いを引き起こす危険性があった。ゆえに彩紀は昏武京八が息絶えるやいなや、彼女を引き連れ颯爽と桜泉里を後にしたのである。
 かがりは食べ終えた焼き魚の残骸を炎にくべながら云った。
「それに、村の人たちから、あんなふうに応援されるなんて……」
「もう家に火をつけられることもない。よかったじゃないか」
 わからない、とかがりは云った。
 未だに現実を現実として認識できていないらしい。無理もなかった。
「ねえ、私はこれからどうすればいいのかな」
「疲れているだろう。明日考えればいい」
「あんたは、これからどうするの?」
 問われて返答に窮する。神津彩紀の目的――それは政府に歯向かう寇魔どもを一人残らず浄化することだった。しかしこの時代においては戦う理由がない。守るべき国も、人も、千年前に失われてしまったのだから。――もう、どう足掻いても戻ってこない。
「主従契約の問題もあるし、しばらくはかがりと一緒にいるとしよう」
「その後は?」
「さあ。旅にでも出ようかね」
 一瞬、かがりの目に動揺の色が浮かんだ。
「……あんたって、私のことどう思ってるの?」
「悪くは思ってない」
「《正直に云え》」
「可愛い」
 卑怯だった。
 かがりが驚きに目を見開く。
「なッ……、か、可愛いって……本気なの……?」
「本気かどうかはわからない」
「《正直に云え》」
「可愛い」
 卑怯すぎた。
 かがりは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「あ、あんた! 前々から疑問に思ってたけど……あんたが私に目をかけてくれるのって、私が可愛いからだったの!? お、おかしいわよ絶対!」
「心外だな。俺はおかしくない」
「だって私は狐なのよ。今までずっと人間たちから気持ち悪いって云われてきたし……」
「そいつらにとってはそうだったんだろう。だが俺はお前を気持ち悪いなんて思わない。むしろ気高いとさえ思う」
「…………、」
 かがりのような境遇の人間は得てして負の方向に精神を腐らせがちである。だがこの少女は違った。どれだけ虐げられても屈服することがなく、最終的にはあらゆる方向から向けられる悪意を炎のような意志で弾き返してしまった。OLI因子が充満する世界では人の精神力がものを云う。熾天寺かがりはこの時代において真の意味での強者なのかもしれない。
 彼女は呆気に取られたように彩紀の顔を見た。口をわずかに開いて何かを云おうとしたが結局言葉として発されることはなく、ぺたんと狐耳を垂れさせてその場に体育座りをする。
「……あんた本当に変態ね。でも、あんたのおかげで助かったわ。……ありがとう、彩紀」
「うむ。どういたしまして」
「ねえ、私にしてほしいことある?」
 目を合わせず、しかし尻尾を左右に揺らしながら、かがりはおずおずと聞いてきた。
「か、勘違いしないでよね。助けてもらったお礼をしなくちゃだから……」
「その必要はないさ」彩紀はふと笑みを浮かべる。「そもそも、天颶退治の件は俺を復活させてくれた恩返しなんだ。改めてお礼をしてもらう必要はないんだよ」
「気取ったふうに云うな。これは私の気持ちの問題なのよ」かがりはムッとしたように彩紀を睨み、「望みを云いなさい。可能な限り叶えてあげるわ」
「なるほど……だがこれはお前には不可能だろうよ。俺の真の願いは天下泰平だ。万民が衣食住に困ることなく平穏無事に生をまっとうできるような理想郷を作り上げることこそ聖仙たる神津彩紀が望んでやまない悲願であり」
「《正直に云え》」
「彼女が欲しい」
 卑劣の極みだった。
 早くなんとかしねぇと内に秘めたる邪念が筒抜けになっちまう、そんなふうに危機感を覚えていたとき、ふと目の前の少女が落ち着きなく尻尾を揺らしていることに気づく。
 眠いのだろうか?――と思ったが違うらしい。かがりは意を決したように口を開いた。
「……なってあげるわ」
「……何に?」
「つ、番いになってあげるって云ってるの!」
 こいつはいきなり何を云い出すんだろうと彩紀は思う。
「望みを叶えてあげるって云っちゃったから、だから……仕方なくよ! あんたは、私のことを……わ、悪くはないと思ってるんでしょ?」
「まあそうだが」
「だったら! なってあげても、いいわ!」
 すっと右手が差し出された。彩紀は千年ぶりに本気で動揺して石像と化した。
「な、何ヘンな顔してるのよ。いいって云ってるでしょ。あんたは変態だけど悪いやつじゃなさそうだし、お礼もしなくちゃだし……主従関係だから一緒にいたほうがいいし!――よ、喜びなさい! いまこの瞬間から私とあんたは番いよ! と云っても主導権は私にあるんだからねっ! 交尾とかはしてあげないんだからねっ! いーい!?」
「お、おう……」
 彩紀はちょっと引いた。年頃の少女の台詞にしては語彙が強烈すぎる。
 とにもかくにも、かがりの表情はすごいことになっていた。
 一生ぶんの勇気を振り絞った告白なのであろう、頬を上気させ、目尻に涙を浮かべ、肩を震わせながら、それでも気丈に彩紀の瞳をまっすぐ見つめている。
(いやいや。番いって――本気か? 出会って数日だぞ? 倫理観おかしくね?)
 色々戸惑っていた彩紀であったが、
「は、はやくしてよ…………それとも、いやなの……?」
 不安そうな上目遣いは反則だった。そうして彩紀は些細な躊躇いを丸ごと捨てた。元来仙人とは流れに逆らわない生き物だ。それに、勇気を出して望みを(勘違いだが)叶えようとしてくれた少女の頑張りを無下に扱えるほど冷酷にはなれなかった。
 彩紀は神妙に頷くと、少しだけ考えてから、その小さな手を握り返してやるのだった。
「……よろしく頼む。かがり」
「うん。よろしくね、彩紀」
「今日は一緒に寝るか?」
 顔面に蹴りが叩き込まれた。
 相変わらず気の強い娘だ――そんなふうに彩紀は呆れるのだった。

 かくして人生で初めての彼女(?)を獲得した神津彩紀であるが、その心中は穏やかなものではなかった。かがりのことが気になって眠れないとかそういう話ではない。天颶の首魁、昏武京八が今際の際に放った台詞が頭から離れなかったのだ。
『お前らには必ず天罰が下る……〝七凶神〟のやつらが黙っちゃいねえからな……!』
 七凶神。それは千年前に世界を渾沌に陥れたテロリスト集団の名称だ。構成員はたったの七名。大黒天、毘沙門天、弁財天、恵比寿天、吉祥天、布袋尊、寿老人――それぞれが七福神のOLI因子を宿した凶悪な神々である。
 やつらは千年前の時点で、彩皇たる大黒天を除いて全員が死滅したはずだ。
 実際、彩紀自身にも弁財天と寿老人を始末した覚えがある。
(やつらがこの時代にも存在しているとなると……面倒なことになりかねん)
 千年前のメンバーが現役で活動しているとは思えない。しかし人の意志とは受け継がれていくものだ。七凶神という組織の理念を継承した何者かが存在している可能性は大いにある。そして――天颶が彼らの名を口にしたということは、その何者かが、榮凛島を襲った不幸に一枚噛んでいたという証拠に他ならない。
(……後で調査してみる必要があるな)
 波乱の予感を覚えながら、彩紀は静かに瞼を閉じた。