西暦にして二〇七八年。
移民の増加に伴い伝統文化が破壊されつつある現状を憂えた日本政府は、それまで第一級国家機密とされてきた〝集合文化意識〟の研究利用に着手する。
集合文化意識――CCCとも略されるそれは、日本列島に重なるようにして浮流する思想哲学の集塊、歴史の堆積物、平たく云えば〝日本人の心の原風景〟そのものだ。
政府は特殊な電磁波を照射することでこの集合文化意識の外殻部に穿孔、OLI因子と呼ばれる新霊体素を取り出すことに成功した。報告書に曰く、「OLI因子は日本人の郷土愛・愛国心を喚起する向精神エネルギーである」。
はじめは誰もが救世の光を見たように浮かれた。OLI因子を秘密裡にばら撒けば、人々の胸には〝ちょっとした愛国心〟が芽生え、伝統文化の衰退に終止符を打つことができるだろう――そう楽観視していた。だが現実はそれほど甘くはなかった。
OLI因子は向精神エネルギーなどではない。世界構築因子だったのだ。その恐ろしい事実は因子を宿した人間が〝人ならざる者〟へと変貌したことで明らかになった。そしてその時点では何もかもが手遅れだった。政府が泡を食って因子回収の号令を出したときにはもう、土手っ腹に風穴を開けられた集合文化意識から洪水のごとく因子が溢れて日本全土を包み込んでいたのだ。いわゆる外国人は遅効性の毒が回ったように不審死を遂げ、国外から輸入された製品は光の粒子と化して順次消えていった。
かくして変革は始まった。
すべての物理法則は書き換えられ、何千年もの時間をかけて積み重ねられてきた口碑・伝承・思想・哲学・宗教・民話・信仰・その他諸々の〝歴史的遺物〟が現実のものとなって各所に顕現する。日本列島は文明開化以前の思想に基づくユートピアに生まれ変わってしまった。
科学はない。理性もない。始原の欲望ばかりが横溢する弱肉強食の旧弊的世界。
OLI因子を宿した人間はいつしか〝寇魔〟と呼ばれ――〝社会に寇する魔〟の意――、日本全国で好き放題に不法行為を繰り返すようになる。警察も自衛隊もこれを鎮圧することはできなかった。集合文化意識は世界の基準を数世紀ぶん戻すのである。最新の現代兵器は新たなる法則の修正を受けて軒並み無用の長物と化してしまった。
寇魔どもが増長するのは自明の理だった。
人を殺し、物資を略奪し、やがては徒党を組んで政府に宣戦を布告。日本史上類を見ない大内乱――後代に〝人妖大戦〟と呼ばれる戦争が勃発する。
結果はあえて語るまでもなかろう。
現代文明は、幻想に敗けた。
それから千度季節が巡った。
