少女願うに、この世界は壊すべき ~桃源郷崩落~

 ――と、彭寿星を自称する不審者は自信満々に豪語していたのだが、一夜を明かすうちにむくむくと疑念が膨れ上がり、考えれば考えるほど、初対面の全裸男と不用意に手を組んでしまった自分の浅はかさを呪いたくなるのだった。
 だいたいこいつは何者なのだろう。本人は千年の時空を超えて現世に再臨したとかなんとか云っていたが、そんな莫迦げた話をすぐに信じるわけにもいかない。嘘をついているにおいはしなかったけれど――そうだ。においだ。確かに神津彩紀からは不思議なにおいがした。かがりがこれまで一度もかいだことのない、そのくせ郷愁の念を掻き立てる奇妙な感覚。
 とは云っても、かがりはこれまであらゆる人妖から迫害されてきた身だ。
 いきなり最強の神様が現れて助けてくれるだって? そんな上手い話があるはずもない。きっとあの男も腹の底では何かとんでもない非道なことを考えているに決まっているのだ。
 ようするに、かがりはまだ、詐欺師と相対しているような気分を捨てきれなかった。
 だから、翌日、神津彩紀に「桜泉里に行こう」と云われた瞬間、かがりは即座に「莫迦じゃないの」と返してしまった。
「私は寇魔なのよ。人間に見つかったら殺されちゃうわ」
「心配するな。俺が守ってやる」
「……………………、」
 初春の朝、うぐいすの声が尾を引くばかりの寂々たる里山のふもと、ときおり肌寒い風が吹きすさぶ閑地に二人はいた。
 かがりは返答に窮した。「守ってやる」なんて云われたのは初めてだったので、どんな言葉を返すのが正解かわからない。かがりを戸惑わせた張本人は暢気に天幕――彼曰く〝テント〟という名称らしい――を片づけていた。彼が仙術によって異界から取り寄せたのである。昨晩はあれに包まれて夜を過ごした。もちろんこいつとは別々の屋根の下。
 そのとき、解体し終えて草の上に放置されていた天幕の部品たちが、ぼろぼろと空気に溶けるようにして消えていった。彩紀が「はあ」と面倒くさそうに溜息を吐いて云う。
「修正力か。一日ももたんとは……」
 千年前の道具は脆いんだな、とかがりは思う。――いやそんなことはどうでもいい、
「そもそも村に行く必要があるの? 天颶はあそこに住んでるのよ」
 かがりは遥か北の空を指差した。芝山の近くにくすんだ朱色をした塔が屹立している。あれこそが天颶の根城。榮凛島の人々から恐れられる伏魔殿、通称〝血颪千重塔〟である。
 彩紀はかがりが示す方角を見て苦笑を漏らした。
「どう見ても東京タワーじゃねえか」
「何云ってんの? 血颪千重塔よ。みんなそう呼んでるわ。――見てよ、あの無気味なたたずまい。血を塗りたくったみたいに真っ赤よ。まさに血颪千重塔って感じだわ」
「どんな感じだか知らんがこれは朗報だな。集合文化意識の修正にも取りこぼしがあるとは知らなかった。――ちなみに云っておくが、あの塔に襲撃をかける予定はないぜ」
「なんで」
「今日が天颶祭だからだ。やつらは桜泉里に来るんだろう?」
 かがりは思い出す。本日、桜泉里では祭が開かれるのだ。
 天颶どもが人間たちに強要した天颶を崇めるための例大祭、天颶祭である。
「それに、衆人の目があることも大切なのだ。俺たちの目的は天颶退治だが、それよりも重要なのはお前の待遇を改善することだ。村人たちの前で天颶を退治したらどうなる? きっと英雄扱いだぜ。今までのように石を投げられたりすることもなくなるだろうさ」
 彩紀の云い分には一理あった。しかし口で云うほど簡単に物事が上手く運ぶとは思えなかった。無闇に楽観的でいられる神経が理解できない――そんなふうに不安を覚えていたとき、ぽん、と頭に手を置かれた。彩紀が優しげな笑みをこちらに向けている。
「安心したまえ。ご主人様の願いは必ず叶えてみせる」
「…………ッ、ッ、、、…………き、気安くさわるなぁーっ!」
 かがりは彩紀の手を叩き落として一間ほど後ずさった。なんだこいつ。なんでこんなに馴れ馴れしいんだ。私は人間から忌み嫌われる化け狐なんだぞ――胸中に渦巻くのはもやもやとしたナニカである。今のかがりには、その感情の正体がつかめなかった。