昼間、ガンズが受けたものである。ベルフラ地下遺跡の最深層に鎮座する階層フロアボス、『ヘルフレイムドラゴン』の討伐。残業の理由はこいつにあると言っていい。
 このボスが倒せず、地下遺跡の攻略が行き詰まっているのだ。全階層のボスを倒したダンジョンからは魔物が去って行くが、こいつが倒れないおかげでいつまでも魔物が寄ってくる。
 そして魔物には冒険者が寄ってくる。ギルドが魔物討伐の報酬金──すなわち冒険者の収入源を出しているからだ。
 ダンジョンの完全攻略が近づくと、冒険者たちは今のうちに稼げるだけ稼ごうと次々クエストを受注する。結果、今日のように昼間の受付所は大混雑、夜は大量の残務に追われるという地獄絵図が完成するのだ。
 とはいえ大抵は数日もてば収束するのだが──今回はヘルフレイムドラゴンに手こずっているせいで、すでにこの地獄が一ヶ月近く続いていた。
「ぜんぶ……」
 アリナは唇をみしめた。
 ベルフラ地下遺跡の攻略が行き詰まる前までは、アリナは確かに、平穏な受付嬢ライフをおうしていた。決められた業務をこなし、定時で帰って、おうちでぐっすり眠って疲れをとり、そして朝を迎え今日も一日頑張ろうと出勤していたはずなのだ。
 しかしヘルフレイムドラゴンのせいで残業が発生してからは、食って寝て仕事して、食って寝て仕事するだけの殺伐とした日々に一転した。休日返上で仕事をしても、ボスがそこに鎮座している限り、この地獄は終わらない。
 せっかく受付嬢という一生ものの安定職を手に入れたのに──この残業のせいで、何よりも求めた平穏な生活が遠のいていくのだ。
「……つらい……」
 わかっている。アリナを苦しめるこの残業は、誰の悪意によるものでもない。
 ボスも、魔物も、殺到する冒険者も、みな必死に生きようとしているだけだ。
 それに、かつて先人たちがこの地にのこしていった遺跡ダンジヨンには、高価なレリツクだけでなく先人の貴重な知識や未知の技術がつまっている。冒険者の活動は回り回ってイフールの住人に還元され、その生活を豊かにするのだ。
 事実、大都市イフールの発展は冒険者たちがその腕っ節一つで築いてきたもの。アリナはイフールの住人の一人として、日々危険なダンジョンに潜る彼らに感謝しなければならない。
 ──しかし、である。そんなものは言ってしまえば建前であって、結局はどんなに町が発展しようとも、アリナの残業が減ることはない。
「あぁ……もうだめ。限界」
 ぼそり、と低くつぶやくと、アリナはおもむろに新しい受注書を取り出した。
 地下遺跡が攻略されるまでの辛抱だと、アリナはこれまで必死に耐えてきた。
 残業は言ってしまえば一時的なものだ。突然の嵐のようなもの。ダンジョンが完全攻略されさえすれば、嵐のあとの晴天のように、また平穏で安定した受付嬢の日々に戻ることができる。だからそれまでは頑張ろうと、アリナは今まで歯を食いしばり残業をこなしてきた。
 でも──今回の残業地獄はあまりに長い。長すぎる。もう限界だ。
「どいつもこいつも……! ボス一匹倒せない無能な冒険者共が……!!!」
 ギルドの中でも上位一割の実力者にしか認められないと言われる一級ライセンスは、残業をなくすための禁じられた最終手段。そのカードを使うことで、これからどんな未来が待っていようと関係なかった。目の前の残業が、消えるなら。
 アリナは怒りのまま、受注書に書き込んでいく。
「こいつさえ。こいつさえいなくなれば……!」
〝ベルフラ地下遺跡、二層階層フロアボス、『ヘルフレイムドラゴン』ソロ討伐
 疲労で光を失っていたアリナの瞳に、にわかに輝きが戻った。いやその光はいっそ鋭くすらあり、すい色のそうぼうに、まるで獲物を仕留めんとする捕食者のようなギラギラした殺意がのぞく。
「──絶対、定時で帰ってやる……!」