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第〇章
真っ暗な箱の中、切り取られたように四角い光が淡く空間を照らし出す。
画面の端にある表示は圏外だった。
もう何回、スマホの中に収めてある動画ファイルを眺めた事か。
午後七時、東京スカイツール、一般展望台直通一般エレベーター三号機。
国内最大の電波塔、その停電したエレベーターの中で立往生であった!
「……まぢかもう」
思わず呟いてしまう。
肘で袖のある自分の黒い上着を指先でもみもみ。
ありか? こんな事ってありえるのか? そりゃ確かに表は季節外れの爆弾低気圧がああだこうだで結構な嵐になっていたけど、巨大施設を見学しているこの何時間かで勝手に過ぎ去るものじゃなかったの? 莫大な通信インフラの要が予備電源含めてこうもあっさり……。父さんの再就職祝いの下見のために、三連休を利用して東京なんて大都会にやってきたら早速これだ。テレビやラジオって災害情報の配信が第一優先のはずだろ。ここが崩れたらみんなネットの方に殺到するぞ。そうなったら金属製の箱に閉じ込められたかどうかなんて関係ない、首都圏のどこにいようがネット関係だって圏外圏外また圏外で軒並みパンク状態になるんじゃないか!?
「ふぐうー……」
国内最速だろうが振動軽減を両立させていようが、止まってしまったんじゃ評価に困る。同じエレベーターの箱の中、壁に背をつけて体育座りしている黒髪ツインテールの先っぽをくるくる丸めた妹、アユミから弱り切った声が洩れ出てきた。僕と姉さんとアユミしかいないからか、へそ出しジョキングウェアの上からジャージを羽織ったこやつは家の中でもないのにどこか甘えるような声色には遠慮がない。流石に胸に大きな名札のついたいつものヤツじゃない。上下共に清潔感のある白で、ジャージ上着は首のトコだけ留めてマントみたいにバサバサしていた。
というか体育座りのまま横に転がっていた。
何とも羨ましい事に、エリカ姉さんの太股を枕代わりにしやがった。
「結局ここって地上何百メートルなの? いつになったら助けは来るの? お兄ちゃんいつもみたいにスマホでパパッと指示出してよう」
「無茶言いなさんな圏外じゃどうにもならんよ。マクスウェルと繋がらないんじゃ僕はただの高校生だ。……エレベーターのパネルにある非常ボタンの、この、電話みたいなマークのボタン押しても係員さんと繋がらないし、今はちょっとお手上げかな」
「さっきもそんな事言ってたよね?」
「お前が全く同じ質問を延々と繰り返してるからだろ」
縫い痕だらけのゾンビが何か言ってる。うんざりする気持ちは分かるけど、叫んで暴れ出したって係員さんと連絡が繋がる訳じゃない。アクション映画よろしく四角い蓋を開けてエレベーターシャフトへ脱出する? 停電で真っ暗闇の中、手すりもない地上何百メートルの高さを? 僕だったら絶対にごめん被る。現実は映画と違ってカットして次のシーンに飛ばせたりはしない。上るも下りるも地獄の道のりになるぞ。
狭くて暗いエレベーターの中は息苦しいけど、結局何もしないで待っているのが正解なのだ。僕達の声が届かなくたって、エレベーターが途中で宙ぶらりんになっている事はいつか必ず分かる。砂漠とか南極とか誰もいない秘境のど真ん中でいきなり車がエンストした訳じゃない。ここは毎日一〇〇〇万人が行き交う大都会東京なんだ、助けが来ないまま飢え死になんて展開は絶対にないはず。
そうなると、目下最大の問題になるのが、
「……具体的に『いつ』助け出されるか、くらいか。特に吸血鬼の姉さんは、カンカン照りの昼間に表へ引っ張り出されたら致命傷になるだろうし」
「は、あはは私の事はご心配なくー」
正座を横に崩したような格好で妹のアユミに太股を貸しているのは、黒いゴスロリドレスと革っぽいズボンを組み合わせたエリカ姉さんだ。金髪縦ロールのないすばでーと組み合わさると破壊力がすごい。この地獄の宙吊りエレベーターにほんのり女の子の部屋っぽい香りが盛られているのは大体この人のおかげだろう。そもそも誰かの世話をしている方が落ち着くというのだから、いよいよ姉成分が極まっている。
と、妹成分どころかあんまし女の子成分を感じられないアユミが膝枕を頂戴したまま唇を尖らせると、上着の首元にある二つのファスナーのつまみをいじって、
「お姉ちゃんはこう言ってるけども」
「これではいそうですかの一言しか返さないようだったらお前人間として軽めに終わってるぞ」
分かってるよふぐう! とほっぺたを膨らませた元気なアユミを、何故だかタイムリミット付きで大ピンチの姉さんがなだめていた。
今は午後七時辺りだから、夜明けまで一〇時間前後ってところか。季節にもよるけど、早めに見積もっておいて損はない。
その時だった。
ぎっ……と。
不快な音だった。
金属の太い束を丸ごとねじるような。錆止めスプレーをちゃんと使っていない、古い扉の蝶番が軋むような。
とっさにみんなで天井を見上げる。この癖、地震大国ニッポンでしか通じないものらしいし、今の状況じゃ何が分かる訳でもないのは頭じゃ理解できてるんだけど、思わず出てしまった。
アユミが何やら姉さんの太股からほっぺたを離して起き上がりながら、
「なっ、なに? 今の音……。なんか鳴ったよね、今!」
「外は大嵐のようですし、高層建築にありがちな免震構造が自分から横揺れしただけでは? 振動や衝撃を逃がすためのものですから、不安に思う事はありませんよ」
すらすらと模範解答を並べる姉さんだけど、声色に反して柔らかそうな白い頬にわずかな緊張の強張りがあった。素直な感想じゃなくて、自分で自分を納得させようとしているのかもしれない。
そう。
どれだけ理詰めで考えようとしても、僕達はそもそも自分が置かれた状況、何故エレベーターがいきなり止まったのかも分かっていないんだ。ただ電気が落ちたのかワイヤーが切れたのか、滑車やオモリと安定が取れているのか非常ブレーキを噛ませているのか。そうした状況が何一つ。
前提条件が分からなければ、理論を積み上げる事はできない。
ぎっ、ぎぎぎぎギギギぎぎ……!! と。
一度に留まらなかった。
錆びたボルトを無理矢理回すような鼓膜に刺さる金属音と共に、わずかに、ほんのわずかに平衡感覚が乱れる。最初は錯覚かと思った。だけどそうじゃない。
今、傾いた?
本当にほんのわずかだけど、今……!?
「お、おお、おにちゃ……」
「大丈夫だろ、大丈夫だよな? 国内最大の電波塔だぞ、嵐なんかで倒れたりするもんか」
「でもなんか最近、五〇年に一度の~とかフツーに天気予報で言ってない? それに一番高い建物って事は一番風の影響を受けやすいって事だよねっ?」
「その分対策だってしてるだろうさ」
……設計段階で、気象予報士さんが何かの流行みたいに言ってる一〇〇年に一度一〇〇〇年に一度まで想定していたかまでは把握できないけど。
「あのう、サトリ君」
「なに姉さんまで。アユミのパニックが伝染したとかじゃないよね、免震構造の話を冷静に持ち出したのは姉さんじゃないか」
「いえね、このスカイツールにいくつの防災対策が施されているかは存じません。ジャイロ、振り子、コイルスプリング、ダンパー、磁石、色々あるのかもしれませんけど」
「だから何?」
「……えと、そういうのって完全に電気が落ちても機能するものなんでしょうか? 一般電源だけでなく、ほらこの通り、予備電源までばっつり落ちちゃってるケースでも」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」 冷静な姉さんから言われると破壊力が違った。
手元のスマホが圏外で、マクスウェルに相談できないのも背中を押した。
ギギギギギぎぎギぎぎぎぎギギギぎぎぎギギぎぎぎぎぎぎギギギギギぎぎギギギギぎぎぎぎギぎギギギぎぎギギギギぎぎぎギギ! と。
不快な音に込められた意味が、がらりと変わる。
地上何百メートル。それさえ分からない宙吊りの小さな箱。こいつが頑丈かどうか、一〇本ワンセットのワイヤーが全部切れても何重のセーフティがあるかなんて話はどうでも良い。もっと大きな枠組みで、猛烈な嵐の横風で東京スカイツールが真ん中から折れてしまったら元も子もなくなる。
いよいよ具体的な死の恐怖が心臓を締め上げてきた。
もう叫ぶしかなかった。
「ま、待ってるだけじゃダメだ! 早くここから脱出しないと!!」