吸血鬼の姉とゾンビの妹が東京観光に来たようです。
……外はすごい事になってるけど
第一章

   第一章

 最悪だ。
 最悪だ最悪だ最悪だ!!
 どうしてもっと早く行動に移らなかったんだ。往々にして、こういうのはどんな問題でもそう思う。分かってはいるんだけどとにかくもう頭の中が何から何まで最悪でいっぱいだ!!
「ふぐう! やっぱりお兄ちゃん、あたしとお姉ちゃんとで対応違くない? あたしが最初に言った時は軽く流してたのに、お姉ちゃんが言い出したらすぐ乗り気になっちゃってさー!!」
 そりゃバカのアユミと才女な姉さんじゃ言葉の重さも全然違うんだけどダメだこんな風に言ってたら狭い箱の中で仲間割れが起きるええと仲良く円満にチームワークを発揮するにはどうたらこうたら頭が混乱してきたぞ、
「とにかくバカは何も考えずに手を動かせば良いんだよ」
「まさに今ポロっと出たの主語が抜けてるけどあたしの事じゃないよね? 今回ばかりはバカの王冠はお兄ちゃんの頭の上にのっかってるんだかんね!!」
「だとすると、このバカ普段については自覚があったのか。はっはっは意外と頭が良いじゃないかアユミ意外とな」
「もうこうなったら一発ぶん殴ってスッキリしてやる……!!」
 頭が良いと褒めたつもりなのに顔を真っ赤にして大暴れな妹を、後ろから姉さんが羽交い締めにしていた。ゾンビは人間の一〇倍、吸血鬼は人間の二〇倍の筋力なのだ。アークエネミーとしての本領、伝染力が使えなければ結構この辺は歴然としている。
「エレベーターから脱出すると言っても、具体的にはどうしましょう?」
「うーん……」
 狭い箱の中が圏外なせいで、マクスウェルからサポートしてもらえない辺りが辛い。いきなりドラマや映画の知識に頼らなくちゃならなくなってきた。とはいえスマホの光を向けてみる限り、天井に分かりやすく四角い蓋がついている訳じゃなさそうだ。床についても以下略。
「ふぐう。そもそも映画はフィクションなんだからさ、ほんとにあんな分かりやすい蓋なんてあるものなのかな」
「そこを期待できないとなると、アユミちゃん的にはどんな勝算があると考えているんです?」
「いい加減にこれ離して、おっぱい頭に当たって鬱陶しい」
 羽交い締めのまま羨ましい事この上ない台詞を吐きながら、ツインバターロールな妹がこう提案してきた。
「でも結局、出口がないなら作るしかないんじゃない? ほらアークエネミーの腕力使って、上なり下なりにドバーンとでっかい風穴空けて……」
「待て待て待て待て! このエレベーター自体がどんな状況で宙ぶらりんになってんのか分かってないんだぞ、いきなりかごに風穴空けてクッキーみたいに全部割れたらどうするんだ!? みんな仲良く地上まで真っ逆さまになる!!」
 至極真っ当なはずの僕の言葉は、ぎぎぎギギぎぎぎぎ、という不気味な金属の軋みにかき消された。
 アユミは唇を尖らせて、
「……なら何もしないでエレベーターシャフト全体がボッキリやられるまで待つの?」
 ヤバい追い詰められた妹の目が据わってきた。僕から何か有効な手を並べて反論しないとほんとにやるつもりだ。ああっもう、道具も使わず素手でエレベーターこじ開けられるってだけならこの上ないチートのはずなのに、何でバカのアユミが関わると自分で自分を追い詰めるリミットに化けちゃうんだよ!!
 もうなんか駅のトイレの行列に並びながら限界まで追い詰められた人みたいに上を向いてその場で足踏みしている僕だったけど……あれ、ちょっと待て。
「……天井って一枚板じゃないんだな。何だこれ、段差になってる?」
 よくよく見れば、中央の辺りに一本線が引いてあるようだった。幅は一〇センチほど。その直線部分だけが、奥に向かってへこんでいる。
 アユミを羽交い締めから解放した姉さんが大きな胸を潰すようにしながら腕を組んで、
「そういえば、電気が止まる前はエアコンが効いていましたね。どこかに穴がなければ風は送り込めないはずですが」
 流石は姉さん、頼んだ覚えもない危機感を勝手に煽るバカと違って一言一言にきちんとした意味があるっていうか、重大なヒントっぽい響きがある。
「そうなると、パッと見て分からない形に通風口を隠していたのか……」
 今はスマホの光でくっきり陰影が強調されているけど、普段は天井から蛍光灯の光が落ちてきている。ここまで影が伸びなければ分からなかったんじゃないかな。
 当然、天井側にエアコンがあったとしても、あのままじゃ点検もお手入れもできない。
「フィルター交換くらいしてる、よな? 意外とペラペラな素材かも。プラスチックなんかでできてて簡単に取り外せるなら……」
 表面上は見えなくても、その奥に通風口や脱出パネルがあるかもしれない。
「ふぐう。でも手を伸ばしても届かないっぽいよ?」
「そこはほら、頭を使って。例えばバカが四つん這いになってみんなの台座になるとかさ……」
「お兄ちゃんこそちょっとは頭を使おうよ本気のバカ! もっとこう肩車とか方法は色々あるじゃん!!」
 そうなってくると必然的に僕は巨大ロボの足の部分担当だ。で、アユミと姉さんのどっちと合体するかって話になってくるけど、
「バカじゃ話にならないから姉さんかなあ」
「ぐふふ。あらそう本気のバカはその軽口を後悔すると良いよ」
「?」
 流石に何が言いたいのか分からなくなってきた。みちみちいってる細い革ズボン越しに姉さんの温かい太腿で左右から顔挟まれるならご褒美以外の何物でもないんだけど。
「まあ良いか。じゃあしゃがむから、姉さんお願い」
「はいはい。あら、まあ。意外と恥ずかしいものですね、男の子の頭をまたぐだなんて」
 一方こちらは……不思議な世界だね! 革のズボンを強調するため最初からある程度前は開いているとはいえ、それでもロングスカートで肩車だと顔がスカートの内側に潜っちゃう!? スカートの裏地が顔にかかるなんて異世界過ぎるし太腿だし頭の後ろに革越しに超柔らかい何かが当たってるし閉じた異次元は姉さんの匂いがこもってるしでもう全体的に姉時空だよ何もかもがッ!!
「姉さん……ちょっと、前の、これどかしてくれると視界的に助かる」
「やっやだごめんなさい。……でもなんかふわふわした気分ですね? お、男の子にまたがった上、自分の手でめくるだなんて……っ」
 エリカ姉さんがちょいと両手の指先でお上品に自分のスカートを摘んでくれたおかげで何とか視界は確保された。外気に触れたせいか、頬に当たる内腿がもじもじ。まったく今どんな顔してるか見えないのが残念だ。
 さて、ジョイントはしっかり確認したので、後は立ち上がるだけだ。よっ……、
「……っとォ!?」
 ずんっ!! ……って、何だァ!? すごい抵抗っていうか、まるでびくともしない。岩。え、大岩!? なまじ覚悟もなく気軽に挑戦したものだから、腰がっ背骨が……!?
「まって、ねえさんなにこれ? やっぱりその、こいつも吸血鬼の筋肉がああだこうだ関係してる……???」
「いえっ、やだ……そのそういう訳ではなくてですね何とも説明しづらいと言いますか」
 なんか人様の上を陣取ったまま急にそわそわし始めたスカートたくし上げ姉さんだったけど、そこでアユミがしれっと言った。
「お姉ちゃん地味に重たいからね」
「なばぶばっっっ!!!??? あ、あ、アユミちゃ、何をそんなバカが馬鹿げた話を……!?」
「その肉感一〇〇%のむっちむちボディで軽くなるって事にはならないでしょ。体重計なんてなくてもあたしには分かります、普段姉妹ゲンカでどれだけ体重の乗ったハードパンチを喰らってきたと思ってんのかな。人のカラダは脂肪がつけば重さが増すの、それはおっぱいだろうがお尻だろうが平等なの。だから言ったじゃんお兄ちゃん、本気のバカはその軽口を後悔すればって。でっかい姉とちっこい妹、どっちのカラダが軽いかなんて目分量で分からなかったのかーこいつー?」
「ちっ違いますよね重たくないですよね!? ほ、ほーらせくすぃーな水着でプールに入ればぷかりと浮かぶとっても軽いお姉ちゃんはここですよー?」
「ふぐうそんなの誰でもそうだよ。赤ちゃんだろうが横綱だろうが浮くものは浮かぶんだし」
「とっ、とととにかく一瞬で良いから上げてください持ち上げてくださいじゃないと私お姉ちゃんの尊厳的なものがあ!?」
 ぼっ、僕も一人のオトコノコであるからして、肩車やお姫様だっこの一つもできないモヤシ野郎の烙印をぐりぐりやられるのは地味にマイナスなんだけど……ダメだ元の重さが結構ある上、パニクった姉さんが一人ロデオマシンでもやってるように結構本気でぐいぐい腰を大暴れさせてるせいで重心が前へ後ろへ行ったり来たりを繰り返してる。まったくさっきから頭の後ろで黒革のズボン越しにぷにぷにむにむにと、こんなんじゃどうにもならん……。
「あっはは! お兄ちゃんったらお姉ちゃんの巨尻にやられて潰れてやんのー。横スクロールのアクションだったらお姉ちゃん、上から下に急降下するだけの敵キャラ決定だね。ほら石臼とか岩石とかああいう系」
「いやァァァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 」
「やーいヨコヅナお姉ちゃーん。ドッガーン、わっはっはっはっ!」
「立って、お願いですからお姉ちゃんのためにもう一度立ち上がってくださいサトリくぅん後で何でもしますからあ!?」
 無理だっつってんの……。かなり本気で涙目の姉さんには申し訳ないけど、こりゃコンティニューしたって仕方がない。ポジション交代しない事には話が先に進まないぞ……。
 そんな訳で、
「ふぐ」
「何だよアユミ不満そうだな」
「あたしが下って肩車的におかしくないお兄ちゃん!?」
「うるさい僕はもう姉さんの一件で懲りたのだ。見栄は張らない、無理はしない。生物学解剖学で言えば人間よりもアークエネミーの方が頑丈なんだから、僕が上で問題ないの平気なの」
「あたしはお姉ちゃんと違って軽いって言ったじゃん。お姉ちゃんなんかと違って!!」
「……あなた達のその一言一言がお姉ちゃんの魂をすり減らしている事実をどうか忘れないでください……」
 巨大ロボの合体失敗でその辺に乗り捨てられた姉さんはただでさえ狭くて暗いエレベーターの中、角に向かって体育座りを始めてしまった。なんか一人でぶつぶつ言ってるし、本格的に危うい。早くこの陰々滅々とした密室から出してあげねば。
「ほらアユミもうちょい右だ。はいよーヒヒーン」
「妹様のかわゆいツインテールを手綱みたいにっ!」
 噛み付くような勢いのアユミの顔を左右から太腿で甘く挟んで黙らせつつ、目的の天井パネルの隙間へ手を伸ばす。何気に肩車、足の置き場に困るな。白いタンクトップの胸元に当たりそう。
 質感は……やっぱりプラスチック系か。縦一直線の隙間に手を差し込むと、内部の空洞は上より横方向に長く伸びているようだ。ものすごく平べったいT字をイメージするべきか。
人差し指から小指までの四本を鉤状に曲げてパネルを掴む。そのまま下に引っ張ってみると、軽い。それこそプラスチックの板に負荷をかけるように、結構簡単にたわむ。
「ふぐ、何とかなりそう?」
「ああ。いきなり折れて細かい破片とか飛んできたら怖いけど、よっ……と!!」
 さらに力を加えると、バネで引っ張られるような感覚がいきなり消えた。バギリという鈍い音。弓なりに反っていたプラスチックの板が割れた、ってよりも、元々あったツメが外れたような感覚の方が近かった。
 うっかり受け止め損ね、天井の半分ほどもある大きな板が床に落ちる。
「危なっ!? あり、半分だけ?」
「真ん中にラインが走ってたし、二枚のパネルを半分ずつツメで支えてるんだろ」
 もう片方も同じ要領で取り外し、改めてスマホのライトを向けてみた。
 ど真ん中にマンホールくらいの丸い穴があり、目の細かい網戸みたいなもので塞いであった。おそらくエアコンのフィルターか。他にも照明の配線とか何とかごちゃごちゃしてるけど、見た感じ人が通るような穴はないな。
「うええ。結構ホコリだらけじゃん、アレ通した空気を吸ってた訳? ちゃんとしてよー」
「……他に何もないって事は、あれが脱出口も兼ねてるのかな?」
 フィルターは縁を掴んで半分回せば簡単に外れた。綿埃が下に落ちてアユミから叱られる。
 その奥にあったのは、換気扇のような汚れたファンだった。今は電気がないから指で触っても問題ないけど……。
「流石に手じゃ外せないな。アユミ、マイナスドライバーの代わりになるようなものないか? こう、薄くて平たい金属の何か」
「そういう妙ちくりんなグッズはお兄ちゃんの領分だよね? ドンク行ってもハング行っても必ず真っ先にニッチな工具コーナーへ突っ走ってくっていうか……」
「すとっぷ、人の性癖いじりはその辺にして本題だアユミ」
「性が絡んでたのアレ!?」
 ダメだバカはいったん脱線したら止まらない。こうなったらエレベーターの隅っこで腐りきっているエリカ姉さんに託すしかない。
「ね、ねえさーん。何かこう、マイナスドライバーの代わりになるようなものないかな? ほら姉さんは派手派手なゴスロリドレスだからパーツパーツが多そうだし、化粧道具とか細々したのポーチにたくさん詰めてそうだし……」
「……、」
「ボソッ(姉さんが世の摂理に反して無駄に重たく感じられたのは全部誤解でそういう金属系をたくさん抱えていたせいじゃないかな。まあ何もないなら誤解もクソもなく世界はシンプルだったという結論しかなくなるけども)」
 ガッ!! と天津エリカが体育座りから飛び起きて再起動した。
「そうですよねそうですそうですとも私のせいじゃありません! オトナなお姉ちゃんはすっぴん手ぶらで首都東京を練り歩くアユミちゃんとは違うんですほらほらほうらこんな内側にはこーんなにたくさんの品々が……」
「……ゆっても大したものはなさそうだねお兄ちゃん。マイナスドライバーの代わりになりそうなゴツいアイテムは見つからないけど」
 再びいじけてしまった姉さんはさておいて、いったんアユミに下ろしてもらおう。
「ふぐ。次はあたしが上だかんね」
「おいおいそんなに自分からフトモモすりすりをしたいのかい妹よ。良いだろうこのド変態めかかってこい」
 ふーぐーうー!! と顔を真っ赤にしたアユミが蒸気機関でも搭載してそうな勢いでジタバタし始めた。
 ちなみに姉さんが床に広げた品々は、ハンカチやティッシュを除けば化粧品とお財布、手帳、後は携帯電話に……。
「あっ、お姉ちゃんお菓子持ってる! じゃがるこ!!」
「脱線するなアユミ。後それは姉さんのだ」
 しかしまあ、確かにアユミの言う通り、これではマイナスドライバーの代わりは務まりそうにない。
「ねえお兄ちゃん、コインの縁を使ったらどうかな? 一円玉とか一〇〇円玉とか」
「太さが噛み合わないかな。もうちょい細い方が良い。今の状況で無理にやって、ネジ山を潰したらそれこそ最悪だ」
「うーん。あっ、マニキュアがあるよ。ビンを割って、その破片で……」
 ガラスの縁じゃそんな強度を保てないけど、でもそうだな。マニキュアか。
「姉さん、マニキュア借りるよ。後は手帳も一ページ破いて良い?」
 うずくまっていじける姉さんがひらひらと手を振ってきた。イエスかノーかいまいち判断が難しいけどもういいや、破いちゃえ。
「ふぐ? そんなぺらぺらの紙切れどうするの。固いネジを回せるとは思えないけど」
「そのままならな。まずは太さを合わせよう。こう、何重かに折って、重ねて……」
「ふうん。角のトコならチクチクして固そうだけど、でもやっぱりネジ回しにできそうもないなあ」
「だからマニキュアを使うんだ」
 僕は結構お高い化粧品の小ビンを指で摘んで軽く振りながら、
「ただでさえ何重に折って重ねて硬さを増した紙の角に、さらにマニキュアを染み込ませて乾かしたらどうなる? 革の手帳の表面くらいなら引っ掻いて傷をつけられるよ。使い捨て程度なら、ネジだって何とかなるだろ」
「ふぐ。でもさ誰も試した事ないじゃん。きちんと回し切る前に紙のドライバーが潰れちゃったら?」
「僕達に何か困る事あるか? いくらでも作り直せるだろ。今度は紙の強度を増すかマニキュアをたっぷり塗るか、失敗を基に色々試してみれば良い」
「お兄ちゃんはほんとにこう……好きだよね、この手の工作とか自由研究っていうの? とにかくそういうヤツ」
「男の子だからな」
「多分理由になってない」
 マニキュアが固まるまで……数分かな。長くても一〇分くらい? ちょっとこの辺の事情はピンとこない。
 待っていると、ぎぎぎというあの軋んだ金属音がまた響いてきた。
 アユミは意味もなく頭上へ目をやりながら、
「……意外と派手なのは音だけだよね。ほっといても大丈夫なのかも?」
「分からんぞ。僕達はエレベーターの中で宙吊りにされているんだ」
「それが?」
「水平な板の真ん中から糸を垂らして、その先にオモリを縛る。ピンと垂直に糸を張った状態でゆっくり板を傾けていくと、糸の先にあるオモリはさてどうなる?」
「……、ふぐ?」
 可愛らしく小首を傾げられてしまった。
 おいおい。
「答えは何にも変わらない、だろ。上の板が水平だろうが斜めだろうが、糸は垂直にピンと張ったままだし、オモリが回ったり揺れたりする事もない。僕達の乗ってるエレベーターも同じだよ。『ここ』が見た目水平でも、大嵐に煽られた電波塔全体は傾いてるかもしれないんだ」
 ようやくアユミの顔が音もなく青ざめてきた。
 まあ、実際のエレベーターはワイヤーの他に緊急ブレーキ用の金属レールに分厚いゴムのパッドを寄り添わせているし、エレベーターシャフト自体も限られた空間だ。よっぽど大きな傾きになれば宙吊りのカゴはそれらとぶつかる。今のところは、たとえ傾き始めているにせよ微々たるものだとは思う、いや、思いたいけど……。
 こんな風に思っていられるのもアユミや姉さんのおかげか。これが一人ぼっちで宙吊りだったら冷静さなんて保っていられず、床でうずくまってジタバタしているだけだったかもしれない。
「乾いたな、っと。それじゃアユミ、作業再開だ」
「良いけど、今度こそあたしが上だからね」
「そんなにフトモm
「良いからっ!! あたしだけ縁の下の力持ち扱いで終わりそうなのが気に食わないって言ってんの! かよわい系女子として丁重に扱えお兄ちゃん!!」
 なんかムキになったアユミから縫い痕だらけの小さな両手で頭をぐいぐい押されて白い短パンに包まれたお股の下へねじ込まれてしまった。妹よお前もうちょい淑女としてのタシナミをお勉強する必要があるな!? こいつ力自慢のゾンビなもんだからお兄ちゃん何の抵抗もできず為すがままだけどもっ!!
「よっと。まあこんなのでも柔らかくてあったかいから文句は言わないけどさあスリスリ……」
「しれっと堪能しておいてこんなの扱いってどういう事!?」
 そしてこっちをチラッと見た姉さんが、ああ、アユミちゃんはあんなにあっさり、と絶望の声を洩らしていた。なんか悪い事した気分になってきたな……。
「さて天使の羽毛アユミちゃんのターンですよっと。お兄ちゃんもう少し左」
「ここぞとばかりだなお前さん。ほら、マニキュアドライバー」
「ふぐ」
 手製の使い捨て工具を受け取ったアユミがもぞもぞ動き始めた。上の様子は見えないけど、妹が全身の力を込めるたびにきゅっきゅと太腿が顔を挟む圧がちょっと上がる。迂闊、お兄ちゃん体温が上がってきたぞ?
 バゴッと重たい音が響いたのはその時だった。
「何だっ、外れたか!?」
「いいや。ドライバー折れたからもう面倒臭くなって拳でぶち抜いた。プロペラのトコ」
 こいつはほんとにもう……!?
 いったんアユミを下ろして改めて観察してみれば、あーあー……。マンホール大の丸い穴を塞いでいた汚れた換気扇みたいなファンが、ほんとに、ああー。どっかにぶち抜かれて消え去り、そのまんまぽっかりと大穴を空けている。
 良いのかな。
 あれ列車の屋根にある室外機と同じでかなりの重さのはずだぞ。エレベーターシャフトならそうそう下に人はいないだろうけど、今地上何百メートルにいるかも分かっていないんだ。やっぱり危ないなあ。
 ともあれ、
「開いた……みたいだな」
「ふぐう! 後は脱出するだけだね!!」
 再び妹を肩車して、まずアユミに上へ出てもらう。理由はいわずもがな、これが結構大変そうだからだ。自分の背より高い鉄棒で懸垂するようなものだと考えれば良い。上から補助してもらわないと、僕には地味に無理だろう。
 上へ送り込まれたアユミはしばらく両足をジタバタさせ、白いショートパンツに包まれた小さなお尻を左右に振ったのち、エレベーターの屋根に上がっていった。
「ひゃー、意外と狭い。おっかない!」
「アユミ」
 名前を呼ぶと、丸い穴から妹が顔を見せてきた。この辺は素直だ。
「次はお兄ちゃんかな。重たいお姉ちゃんを下から支えて押し上げるのは無理っぽいでしょ?」
「素直に毒を吐くヤツだな! 姉さん泣いちゃうからその辺にしてあげて!!」
 その優しさが大変心に刺さるのです……という怨嗟の声は聞こえなかった事にして。
 アユミが大きく身を乗り出してくれれば、背伸びした僕の手が届く。普通、こんな無茶な姿勢から自分の体重より重たい人間を引っ張り上げるなんて難しいと思うけど、そもそもアユミは普通じゃないのだ。黒い上着。袖が肘までで助かった。こっちのほうが滑らないだろう。
「よっ、と」
「勢い余って後ろにひっくり返るなよアユミ」
「何かと言うとバカの子扱いが止まらないねお兄ちゃんは!」
 ずるずるずる、とエレベーターの上まで引っ張り出されてみれば……。
「うわあ」
「ね。おっかないでしょ」
 こちらも明かりはなかった。だけどスマホのライトを点ける前から、ひしひしと何かが伝わる。死が、すぐそこまで迫っているのが良く分かる。スカイツールは国内最速のエレベーターを抱えているって話だったけど、そうか、ほんとに時速〇キロでびたっと止まっていたか。
 ……エレベーターシャフトはラスベガスの時も通ったけど、いつ見ても慣れないな。それから、大人達が言う安全ってのが崩れる瞬間も……。
 実際にスマホをかざして明かりを向けると、横方向に広い空洞だった。同じエレベーターを八基並べているからだろう。下については……流石に手すりもない不安定な狭い箱の上で、わざわざギリギリの縁まで行って覗いてみたいとは思えなかった。
 等間隔にワイヤーや緊急ブレーキ用の鉄骨レールが並ぶシャフトの中で、実際に自由にできる面積はざっと畳二枚くらい。当然その先には何もない。これがコンクリの基部や鉄骨なんかでがっしりと支えられるでもなく、たった一〇本の、鋼線って言っても指先大の太さの縄でぶら下げられている訳だ。
 これを不安に思うのは、鉄の船や飛行機を見てあんなのが浮かぶ訳ないって怯える原始人と変わらないって?
 現に設計上の想定を超えた『何か』が起きてエレベーターが止まっていても、なおその当たり前を信じ続けられるか。こればっかりは追い詰められて屋根の上まで上ってみないと分からないだろう。
 それにしても……なるほど。バカのアユミが拳で吹っ飛ばしてしまったけど、丸い穴の縁に蝶番らしきパーツが見て取れた。本来だったら炊飯ジャーや潜水艦のハッチみたいにプロペラ部分が真上に跳ね上がる仕組みになっていたんだろうな。
「姉さん、次は姉さんの番だよ」
「……いじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじいじ……」
「体育座りのまんま反応ないねお兄ちゃん」
「姉さんってば。そっちが来ないなら僕達がもう一回降りていくぞ。アユミと二人掛かりでお尻を持ち上げなくちゃならなくなる」
「うわー……それで上がんなかったら悲惨だねお姉ちゃん。周りは良い、でも自分にどう言い訳しながら生きてく気?」
 ガバッ!! とエリカ姉さんがこれ以上ないってほど勢い良く立ち上がった。こちらを睨みつけるようにして見上げるその眼差しは……ヤバいっ姉さんほんとに目尻に涙が浮かんでるじゃん!?
「アユミここまでだ、これ以上は笑えない」
「ふぐ」
「だからサトリ君の優しさが一番刺さるっつってんですうッ!!」
 妹のアユミに引っ張り上げられながら、姉さんがついに吸血鬼としての牙までチラつかせて吼えていた。
 三人で屋根に上がると、これまで以上に手狭に感じられた。下なんか見たくもないけど、うっかり足を滑らせないようにしたい。
 ……とりあえず、だ。
 下を覗くのはどうしても怖い。僕は辺りの壁にライトの光を投げかけながら、
「ここが地上からどれくらいかは……書いてないか」
 それによって上に向かうか下に向かうかも大きく変わるんだけど。
「ふぐ。でも上に行くしかなくない? だってあたし達が足場にしてる、これ、このエレベーターが邪魔してて下には行けないじゃない」
 夜目が利くのか、アユミが指差した方を照らしてみると、鉄骨をX字に組んだ壁面に縦一直線のハシゴがあった。確かに、僕達のいるカゴが邪魔していて、下へは下りられそうにない。
「……実はここが地上一〇メートルで、展望台まで四〇〇メートル以上上る羽目になるなんて展開じゃない事を祈るしかないな」
 一〇メートルでも一〇〇メートルでもコンクリに叩きつけられれば命はないから、この場に留まる選択肢はない。
 となると、
「いったん展望台まで上がってから改めて助けを呼ぶか、あるいは非常階段でも使って直接地上を目指すか、でしょうかね」
「……じ、冗談じゃない。ハシゴと階段で? 下手すりゃ普通の登山よりもきついんじゃないか」
 ぎぎぎギギギギ、という軋んだ音が響く。
 考えている時間はない、か。どんなに道のりがきつくても、立ち止まって事態が好転する展開はなさそうだ。
 そういえば、
「電波塔全体が傾いているかどうかは……ちょっと分からないか」
 上から吊り下がっている一〇本ワンセットのワイヤーは常に垂直だけど、エレベーターシャフトの壁はそうとも限らない。二つを見比べれば、傾いているかどうかは分かるかもしれなかったんだけど。
 その時だった。
 上の方で何か音が聞こえた。
「……?」
 チュン、チュン、という何かを擦るような音。アユミが不思議そうな顔をして真上を見上げた直後だった。

ゴォ!!!!!! と。
すぐ隣を、全く同じエレベーターが上から下へ突き抜けていった。

「わひゃあ!?」
「ダメだアユミ、何かに掴まれ!!」
 隣のレーンだから直撃はない。だけど地下鉄トンネルを列車が突き抜けたようで、猛烈な暴風が不安定な僕達の全身をまともに叩いた。とにかくエレベーターのワイヤーでも壁のハシゴでも良い。捕まらないと落っこちる!!
「あゆ……」
「いいえサトリ君、ここは私が!」
 思わず手を伸ばしそうになった僕を見て二次被害に巻き込まれると思ったんだろう。ゴスロリドレスに革ズボンの姉さんが、ジャージの上着を突風で膨らませてふらつくアユミの手首を掴みに行った。
 それにしたって今のエレベーター、オレンジ色の火花なんかも散ってなかったな。だとすると緊急ブレーキも作動してないって事か!?
 はるか下層で、爆発音に似た何かがあった。妹の体を抱き寄せたまま、エリカ姉さんが呟く。
「……時速二五〇キロ換算で五秒。地上からおよそ三〇〇メートル大といったところでしょうか」
「じゃあ展望台まで一五〇メートルくらいか。ハシゴだとどれくらい疲れるかピンとこないな」
そして、ふと思った。
 隣のレーンだから直撃はない。本当に? そんな『当たり前』が、この非常時に一体いつまで通用する。チュン、チュンという何かを擦る音はまだ続いていた。そういえば上から聞こえるアレも結局何だったんだ。エレベーターが落ちてくる前触れだったはずの、アレは。
 まさかっ?
「姉さん、アユミ! すぐに身を伏せるんだ!!」
「お兄ちゃ……?」
「千切れたワイヤーが降ってくる!! ボルト一本が凶器になるような高さからだっ!!」
 どうにもならなかった。
 あちこち跳ね回り、自我を持った蛇のように身をくねらせながら落ちてくる太いワイヤー。壁を擦り鉄骨を削って火花を散らすそれは、まるで嵐のように襲いかかってきたんだ。
 一〇本ワンセットの中で、何本残っていたものが一斉に破断したかなんて数えていられなかった。
「っ」
 姉さんはとっさに抱き寄せていたアユミを突き放した。
 あっけないものだった。

 その美しい右腕が、肘の辺りから勢い良く断ち切られた。

 ありえないビジュアル。
 過度の出血。極彩色の噴出。
「ぐうう……っ!!」
「姉さん!」
 何とかしてあげたいけど、ここまでド派手になるともうどうして良いのか分からない。そんな想いで叫ぶ僕に、顔面蒼白で汗の珠を浮かばせる姉さんは残った方の掌で僕達を制した。
 歯を食いしばりながら、千切れた腕に力を込めていく。かえって出血は増しそうなものだけど、姉さんの狙いはそこじゃなかった。
 彼女は吸血鬼なのだ。
「ううう、あああああ!!」
 噴き出す鮮血よりも派手に、袖は破れたまま、肘の断面から真新しい腕が飛び出してきた。腕の調子を確かめているのか、姉さんは五本の指を握ったり開いたりしている。
「だい、じょうぶ、なの?」
 恐る恐る尋ねる僕に姉さんは笑って頷いたけど……一目で分かった。本当に大丈夫な人は、そんな風に無理して完璧な笑顔を作ろうとしない。
 アユミは尻餅ついたまま、
「……血が足りないんだ。でも闇雲に吸う訳にもいかない。お兄ちゃんならともかく、あたしだって不死者だよ。こんな風になるならあたしを助けなければ良かったのに!」
「ゾンビのアユミちゃんは死なないだけで、体が再生する訳じゃないでしょう? 腕を落としたら、取りに降りるしかなくなりますよ」
 冗談めかした姉さんの言葉が、冗談として成立していない。
 困惑する僕に、体の芯を折られたような姉さんはそれでも指先を上に向けて、
「それより、あれで終わりとも限りません。あのエレベーターが落ちたという事は、どのエレベーターが同じように落下しても不思議じゃないんです。通過時の暴風や千切れたワイヤーはレーンを超えてシャフト全域へ襲いかかります。早く、展望台を目指しましょう? このままシャフトの中にいては危険です」
 ……そうだ。
 いつまたさっきみたいな事が起きるか分からない。僕達が足場にしてるこのカゴだっていきなりガクンと落ちるかもしれない。だとしたら、早く壁のハシゴを掴むべきだ。憔悴しきった姉さんを休ませるにしても今ここじゃない。
「姉さん、ごめん。もうちょっとだけ無理してもらうよ」
「……ふふっ、大丈夫ですよサトリ君。あなたが謝るような事じゃありませんよ」
 順番的には、僕、姉さん、アユミの順になった。人間の僕が下だと、ハシゴの段を踏み外した姉さんを支え切れない可能性も出てくる。
 吸血鬼の姉さんはカラスやコウモリに化ける選択肢もあるかもしれないけど……ダメだな。ヘリコプターみたいに垂直に飛べる訳じゃないからあっちこっちの壁に体をぶつける羽目になるし、体が小さくなればエレベーター通過時に起きる暴風での煽られ方も派手になる。さらにレーンを超えた場合、運悪く落下してきたエレベーターと『直撃』、なんて最悪のケースも想定される。
 すでにダメージがある状況で、次、致命的なのをもらったらどうなるか予測がつかない。
 よって、この枠からはみ出ない。
 絶対安心とまでは言わないまでも、リスク回避が第一なら素直にハシゴを一段一段上るべきだ。
 黙々とハシゴを上る。
 ……それにしても上は、いいや東京スカイツール全体はどうなっているんだ。停電で閉じ込めだけでも大事件なのに、今度はワイヤー破断でエレベーターが落ちてきた? しかも緊急ブレーキが動いている様子もないだなんて……。
 チュン、チュンという弾丸が掠めるような音が真上から響いてきたのはその時だった。
「……っ!? まただ、どこかのエレベーターが落ちる!!」
 分かっていても、やれる事なんて何もない。せいぜい壁のハシゴにしがみつき、嵐が過ぎるのを待つくらいだ。
 暴風と共にすぐ近くを四角い鉄槌が落ちていき、後を追うように大蛇じみたワイヤーが複数本暴れ回りながら地上を目指していく。あれが背中を打っただけで人間の僕なんてイチコロだ。骨まで見えるどころか、まんま胴体を真っ二つにされたって不思議じゃない。
 怖い。
 怖い。
 怖い!
 国内最大の多目的広域電波塔。せいぜい違いなんて高いか低いかくらいだと思っていたのに、このエレベーターシャフトはまるで異世界だ。たった数本のワイヤーに鉄の箱。なのに、あたかも器物に命が宿って牙を剥いてくるよう。鉄の猛獣相手に牙も爪も持たない裸の僕じゃ勝ち目なんかない。無機物相手に両目を瞑って命乞いの奇跡待ちだなんて、常識知らずにもほどがある。そうと分かっていても、もう漠然とした何かにすがるしかなかった。
 おっかない。
 ちくしょう。
 何でも良い、とにかく感情は全部上へ上る糧にしろ。こんな所で立ち止まっても事態は好転しない、いいや不安定な体勢のまま体を固めたらそれだけで筋肉は疲弊していつか限界が来る。この手から力が抜けて真っ逆さまだ。それどころか、僕が止まったら後ろに控える姉さんもアユミも進めない。だから、何でも良い。喜怒哀楽は全部竃に投げ込め。くそっ、ちくしょう。たまの三連休だったんだ、東京に遊びに来たんだ。父さんの再就職が決まって、そのサプライズパーティのための下見にやってきたっていうのに、何が大嵐だ、何が爆弾低気圧だ。知った事か! こんな、こんな誰が見つけてくれるんだか分からない狭い竪穴を落っこちて、誰と戦うでもなく勝手に自分一人でくたばるなんて真っ平だ!! 僕は生きるぞ。何がどうなったってみんなで生きて帰って、あのいつもの日々で笑い合っていくんだッ!!
「はあ、はあ……!」
 どれだけハシゴの段を手で掴み、足で踏んだか覚えていない。
 でも、とにかく僕の体は立往生しなかった。
 そして上り続けた結果として、
「……見つけた、ぞ! エレベーターの扉!!」
 このエレベーターは展望台との直通だから、地上と一般展望台の二ヶ所にしか扉はないはずだ。さらに上に特別展望台があるらしいけど、そっちは一般展望台から別の直通エレベーターに乗り換えなくちゃならないから、今は無視して良い。
 停電している中、片手でハシゴを掴みながら扉を開けるのは四苦八苦させられたけど、金属のレバーみたいなパーツで太いツメを管理している事が分かれば後は早かった。
 ツメを浮かせてスライドドアを引っ張る。
「開い、た? お兄ちゃん!!」
「ぶはっ!」
 まず先頭だった僕が雪崩れ込み、次に顔面蒼白の姉さん、最後にアユミがエレベーターホールへ転がり込んできた。そうしてみて、僕は黒い上着から飛び出た自分の両手の指が思ったように閉じない事に今さら気づかされる。握力的にも限界だったんだろう。あのハシゴがあと一〇段あったら、どうなっていた事か……。
助かった。
……のか?
「……何だ、これ……?」
 未だに起き上がれず床に突っ伏したまま、僕の頭は早くも次の疑問にぶつかっていた。今は、午後八時前。とは言ってもエレベーターが止まった六時半の辺りから、人の出入りはほぼないと見て良いだろう。
 三連休の初日、これからディナータイムに差し掛かろうって時間帯から、ずっと。
 なのに、だ。
「……人の気配が、ない? 誰もいないっていうのか、でも何で!?」
 停電して真っ暗闇の中、僕の声は誰もいないトンネルで叫んでいるように良く通った。非常口を示す緑、消火栓を示す赤、そんな最低限の光もない黒一色。ひょっとしたらこの静けさは、さっきのエレベーターシャフト以上かもしれない。
 アユミもアユミで事態の異様さが呑み込めてきたのか、
「け、けどさ。従業員さんもいないって事は、計画的に避難したかもしれないよ? スカイツールの人達が小さな旗振って、お客さんを長いながーい非常階段の方に誘導して……」
「いいえアユミちゃん。何だか、そういうのじゃ説明はつかないようです」
「姉さん?」
「サトリ君も……。何かこう、辺り一面が暗過ぎませんか?」
「いやだって、スカイツールは停電してるんだから」
「先ほどまでのエレベーターシャフトと違って、ここはガラス張りで開かれた展望台なのに? それも首都東京、使い古された言葉で良ければ不夜城なんて呼ばれるような大都会の中心も中心だというのに、ですか?」
 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。 「待て。おい、冗談じゃないぞそんなのっ」
 スマホを見れば相変わらず圏外。エレベーターシャフトを出たのにネットニュースもSNS流行ワードも調べられない。とにかくあたふたと起き上がり、ガラス張りの展望台へ走る。
 非常階段に向かえば、ひとまずいつ倒れるか分からない電波塔から抜け出す目処が立つはずなのに、だ。
 何故だか強化ガラスの向こうに広がる一〇〇万ドルの夜景を確認しようとしていた。
 だけど。

 強化ガラス一面を覆い尽くすのは横殴りの雨。それだけ。夜景どころか豆電球一つない、濃密な闇が広がるばかりだった。

 ……、ここは、どこだ?
 本当の本当に、日本の首都なのか。得体の知れない樹海とかじゃなくて???
「なにが、あった?」
 呆然と。
 自分でも処理できない疑問を、ただただ馬鹿みたいに吐き出すしかなかった。
 非常階段?
 ひとまず抜け出す?
 考えなしにあんな意味不明な真っ暗闇に下りていって……ほんとうに、だいじょうぶ、なのか?
「僕達がエレベーターの中でうだうだやってる間に、外じゃ一体何が起きていたんだ!?」

 スマホの表示は圏外。
 全てに答えを出してくれるマクスウェルとも、繋がる気配はない。

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