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第七章
がくんと足元が揺らいだのはその時だった。
っ?
たたらを踏んだ僕を横から姉さんが支えてくれたけど、そもそもこれ、何が起きたんだ?
「窓がないから分かりませんけど……傾きませんでした、今?」
「ふぐっ? でっかいUFOが地球に向かって落ちてるって事!?」
そうと決まった訳じゃないけど、前後左右上下どっちに向かって移動してようがリスクは変わらないんだ。このまんま宇宙の果てなんか目指してもらっても困る。
何でいきなりこうなった?
女帝が意識を失ってコントロールを手放したからか。
あるいはまだ事件の奥に誰かがいて、何かしらの思惑でもあるっていうのか?
幸い、この馬鹿デカい船をコントロールしているのは見慣れたウィナーズ系統の業務用OSだ。もちろん僕一人でできる事はあんまりない。今から自力でファイアウォールを破ったりプログラム構成を暴いたりなんていうのはまず無理。というか、そういう作業は基本的に特殊なツール頼みであって、映画みたいにキーボード手打ちでパチパチ作業するものじゃない。コンピュータは中に何もなければただの箱。絵を描いたり曲を作ったりするのと一緒で、何かをしたければまず対応したソフトがいる。
でも、最初から内側にいるなら侵入の手間はない。手動で動かせる範囲ならコンピュータを操作できる。そしてウィナーズが走るこのフォーマットならあいつを呼べる。自分で言うのもアレだが最強の万能ツール、マクスウェルを。
地球からの電波に航行を邪魔されるって事は、裏を返せばこの宇宙船は地球の電波をキャッチできるって話だ。手打ちで何とかして窓口を開く。捨てアカのつもりで設定したIPで太平洋の小島にあるサーバーを経由して日本に向かう、と。
「マクスウェル聞こえるか、繋がっているならこのスマホに返信!」
『シュア。不明なサーバーからのアクセス扱いですが、一体どこで何をしているのです?』
そうか、地球外だとGPSのアプリで位置を割り出す事ってできないのかも。
「その不明なサーバーの構造は一通り洗っているな? なんか傾き始めたこのでっかいUFOのコントロールを取り戻したい。手伝ってくれ」
『UFOとは未確認飛行物体の略称であり、それが何であれユーザー様が実際に視認し他と区別して定義づけた時点で確認済み飛行物体と
「誰もそんな議論はしてねえよ早くコマンド実行!」
『ユーザー様。何でこの謎機体、普通のウィナーズで雑に動いてんですか?』
「僕にも分からん。そもそもこいつどっちに向かって傾いているんだ?」
『傾斜一度から六度の間を行き来しつつ地球側へ接近中。全体でなだらかな放物線になります。いわゆる大気圏への再突入角度ですね』
「ふぐっ、ホントに落ちるコースじゃん!」
屋内にいながら奥の奥まで見えないほどの広さを持つ乗り物だ。こんな巨大な構造体が地表に落ちたら洩れなく氷河期が待っている。
「角度を変えて大気圏の熱圏で焼く事は?」
『ノー。材質が極めて堅牢である上、そもそもの質量が膨大です。再突入角度をズラしてもそのまま強行突破してしまうでしょう』
「なら逆に角度を浅くする事は? 大気圏の境目で弾いて外側へ飛ばす」
『再計算中……』
頼む。
頼むからっ!!
『やはり質量が懸念されます。いったん弾いたところで地球の重力が大質量を引っ張る力を上回るかは未知数。そのまま壁を突き破って以下略な可能性の方が高いです』
……万事休すかよ!!
「ふぐうぐぐ!」
「アユミちゃん」
意味もなく喚き散らそうとしたアユミの細い肩を、前の開いたジャージの上ごと後ろからエリカ姉さんがそっと押さえてくれた。
そう、そうだ。
マクスウェルに向けてできもしない命令を連発しても意味はない。考えろ、いきなり答えを出そうとしなくても良い、一本一本絡まった糸を解いていく感じで。
やっぱりこの冗談みたいなスケールが邪魔してきた。まともな理屈で立ち向かおうとしても力業で押し切られてしまう。
「いや、待てよ。マクスウェル、UFO自体は動かせるんだよな」
『すでに落下しつつありますので、その範囲内となりますが』
「衛星軌道上を回る、可能な限り巨大なデブリを検索。わざとぶつかるコースにこのデカブツを乗せて、お煎餅みたいに砕くんだ。小さな残骸にすれば大気圏の熱圏で焼くなり弾くなりもできるはず!」
『歴史上類を見ない勢いでデブリの密度が激増しそうではありますが……』
「ここでその歴史が終わるよりはマシだ。ただ、狙えるものならできるだけ多くの破片を燃やしてくれ。デブリの牢獄にならないように」
こっちも黙って流していられない。今から粉々に砕いて灼熱の熱圏に突っ込ませるのはこの船なんだ。
「マクスウェル、脱出手段を検索!」
『いわゆる脱出艇のようなものは見られません』
「……全部あのスポットライトみたいな反重力ナントカだけで乗り降りしていたっていうのか? 奉仕種族、あの枯草色のデロデロはどうしてた!?」
『艦内記録映像を見る限り、複数が密集してお団子状になったまま大気圏へ射出されているようです。実際に何割が地表に到達したかは不明。外側は確実に焼けていますね』
やはり腐っても女帝。命に関する考え方がまるで違う……!!
「ふぐう。でも女帝って自分だけは身を隠していたり、代理母とかいうのを立てて自分の体を守ったりしていたよね。あいつだけの保険ってないのかな」
「マクスウェル」
『ノー。おそらく奉仕種族をありったけかき集めて身を守るつもりだったのでは?』
……実際には密集されると体温が上がってダウンするはずだ。というか、サウナ程度で命を脅かされる女帝が、大気圏の熱圏での蒸し焼きに耐えられるとも思えない。負けるはずがない。だから机上の空論だけで、実際に試した事はなかったのか。
「……なければ作るしかないか」
「サトリ君?」
「マクスウェル、この宇宙船の内装は用途に合わせて自由に組み替えられる仕組みになっているらしい。艦内ストレージから内装コントロールの仕様書を検索。自由落下、切り離し式の弾道飛行ができれば良い。建材だけなら腐るほどあるはずだ。とにかく大気圏再突入に耐えるだけの密閉された外殻を組み上げるぞ!」
『非推奨タスクにつき、確認します。物理作業自体は可能ですが、シミュレータ上での設計ベースとなる各種パラメータについては民間宇宙企業や物好きな趣味人のサイトくらいしかありません。ミサイルにも転用可能な技術であるため、大学や国家機関はセキュリティが堅く、公式サイトにも具体的なパラメータまでは掲載されていませんので。ネット全体の見える範囲から蒐集した値そのものが間違っていた場合、空中分解や放射線ダメージなどの重大リスクが発生しますが、タスクを続行しますか?』
……。
流石に、だ。
すぐには答えられなかった。
今、僕の肩に乗っているのは自分の命だけじゃない。下手すれば家族まで危険にさらす。良いのか。確実を取れない中で、首を縦に振っても。
「サトリ君、これ以外に方法はありません。ギャンブルはもちろんイヤですけど、どっちみち、黙ってこの船に残っても私達は助からないんです」
「ふぐ、そうだよお兄ちゃん。それにでっかいUFOが地球に落ちるのもまずいんでしょ。お父さんやお母さん、学校のみんなはどうするの。放ってはおけないよ!」
助かった、と思う。
実際に成功失敗の確率が動いた訳じゃないんだけど。
この二人がいてくれて良かったと、本当にそう思った。
「マクスウェル、頼む!」
『シュア。タスク続行します』
ガシャガシャがちゃちゃ!! と周囲の壁がせり上がり、複雑に組み上がって、シルエットを整えていく。出来上がったのは学校の教室より小さな箱だったけど、一つじゃなかった。完成後も同じ作業が繰り返され、あっという間に四角い脱出艇がズラリと並んでいく。
「あの奉仕種族、どれくらい収容できそうだ?」
『理論上は全員可能ですが、そもそもコンタクト方法が不明なので、これが脱出手段であると理解してもらえるかに多大な疑問があります。可能な限りあらゆる言語でメッセージは送りますが、彼らは大気圏再突入と言えば生身でまとまって突撃、と当たり前のように考えているはずですので』
「……、」
『さらに言えば、現状、艦内に残った奉仕種族は概算で一〇万以上。繁殖能力については不明ですが、地表に送れば最悪、ブラックバスの放流に似た状況に陥るリスクもあります』
分かっている。
敵か味方かで言えば、彼らは敵だった。でも、このまま宇宙船の崩壊に任せて全員焼いてしまう選択肢は頭になかった。
「可能な限り影響は小さくしたい。彼らはばらけさせず、一点に落としてくれ」
『了解しました。外洋の無人島で検索します』
「女帝と、それからポッドの中身はスキュラだっけ? この子も連れていくぞ」
黄色くてガリガリの女帝については操られていたとはいえ、根っこの部分が邪悪なのは変わらない。正直、可哀想っていうより野放しにしたくないって気持ちの方が強い。
『拘束手段はいかがいたしましょう?』
「ポッドで検索、空きを見つけてくれ。拷問具職人のセオリーで行こう。こいつ自身が得意げに話していたんだ、ご自慢の装置に詰め込んでやれ」
『シュア』
「ねえお兄ちゃん、スキュラってどっかで聞いた事あるよね?」
「ああ。後輩ちゃんがキルケの魔女とかいうアークエネミーだから、薬を使って変身する時に……」
「そっちじゃなくて、うーん、光十字の地下施設でなんかあったような」
そういうのは安全な場所でポッドから取り出して、彼女が目覚めてから話を聞けば良い。
生存の確率を上げたいなら、それぞれバラバラの脱出艇に乗り込むべきだ。だけど僕達三人は、自然と一つの脱出艇に集まった。
他にはスキュラと女帝、二つ分のポッドも。
「マクスウェル、扉を閉めた。内側からロック。密閉はこれで合ってるか?」
『シュア。問題ありません』
濡れたままだと、黒い上着があってもやっぱり肌寒い。
より外殻の強度を上げるためか、太陽光に弱い吸血鬼の姉さんに配慮しているのか、窓のようなものはなかった。代わりに船外カメラがあるらしい。スマホの画面から外の様子を見られる。直近のこいつはサーバーいらずのレッドトゥースで接続するとして、だ。
「お前との接続はいつまで保つ?」
『今はウィナーズで動くナゾな宇宙船を一種の衛星ホストとして扱っていますので、機体粉砕までが限界です。大気圏再突入時には確実にロストします。降下予定地はエリカ嬢の都合に合わせて夜帯のエリアを選んだつもりですが、誤差については未知数。地表へ到達後、改めてGPSなどで正確な位置情報を送ってください。場所を特定次第、最も太い回線からアクセスルートを再構築します』
今回の場合、ロケットを細かく噴射して微調整を繰り返すんじゃなくて、いったん放り出したら後は自由落下に任せるだけだ。最初が肝心なのであって、四六時中マクスウェルに面倒見てもらう必要はない。
「……またしばらく心細くなるな」
『ユーザー様がこんなに甘えん坊とは驚きですが、そうですね、全部終わったらVR祭りでもしましょう。テーマは水着とダンスです』
微振動があった。
先も言った通り、この脱出艇にエンジンはない。いったん投げ出されたら自由落下に任せるだけ。となると、四角い箱を載せている宇宙船の床全体が動いているんだろう。
『カウントスタート、三〇秒から始めます。地上でまた会いましょう、ユーザー様』
「ああ」
カウント30。長いものかと思っていたけど、実際にはあっという間だった。覚悟なんか全然決まらない。ゴゴンッ、と重たい金属同士が擦れる音と共に胃袋が持ち上がる。慣性の力。床が開き、脱出艇が『落ちて』いるんだ。
……スマホに目をやると、初めて宇宙らしい宇宙のビジュアルが広がっていた。
クリアな星空と眼下の青い星。
こんな命懸けの場面でなければ、感動して言葉を失っていたかもしれないのに。
でも涙なんか流している場合じゃない。ぐるりと回った船外カメラが、すぐ目の前で巨大な円盤の砕ける瞬間を捉えていた。地球の周りを何度も回ってたっぷり速度を稼いだ殺人的なデブリが直撃したんだ。歪み、傾いで、亀裂の走った宇宙船がバラバラに分断されていく。それでも一つ一つの欠片は数百メートルはありそうだ。砕いても砕いても、本当の本当に大気圏の熱圏で焼けるかは保証がない。
かつてない大爆発なのに、音らしい音は何もない。
宇宙は音が伝わらない。何かが聞こえるとしたら、散弾銃や砂嵐みたいに撒き散らされる細かい破片が脱出艇にぶつかっているって事になる。
「なっ、なに?」
紙の下着だけ身に着けたスキュラが眠る円筒ポッドにしがみついたまま、アユミが青い顔であちこち見回していた。
「まずいよこれ、壁の向こうでガリガリ音がしてない!?」
「デブリの嵐に巻き込まれた訳じゃない。大気圏の端に到達したんだ。本番はこれからだぞ!」
僕達と全く同じ四角い箱が、流星雨みたいな勢いでオレンジ色に焼けるカーテンへ向かっていた。
中は奉仕種族が満載なのか、空っぽなのかは調べようがない。
全部が全部無事って訳でもなかった。あるものは脱出艇より巨大なデブリがぶつかって潰され、あるものは莫大な摩擦に耐えられず焼け落ちていく。
「くそっ!!」
「サトリ君、始めてしまった以上は引き返せません。堪えてください!」
次は自分の番かもしれない。
射出されたのは設計上ならみんな同じ箱だ。結果に違いがあるのは、運悪く宇宙船の残骸に直撃したか、組み立てる段階でわずかな誤差があったからだろう。つまり、こちらの動きで結果を変えられる訳じゃない。
死ぬ時は死ぬ。
全ては確率と統計。くじ引きみたいな感覚で、だ。
『ざざざガリガリガリ! ……ーザー、様』
「マクスウェル、もう良い。接続を解除しろ、宇宙船内部サーバーの崩壊時に破損信号をたらふくもらう羽目になるぞ!」
『……すぐに離れ、ザザ、が、その前に……お伝えガガガ事が。ウィナーズベースの、ジジジ、基幹OSのスクリプトの中……に、注釈やメモ書きが加えガガガいるのを見つ……ました』
「……何だって?」
『わざと見つ……る位置に置ジジいるとしか……思えザザザ。最も成功率の高……選択肢を選んだつもりガガが、ひょっとす……降下先は第三者の手で誘導さジジ可能性があり……』
すでに放たれた後だ。この脱出艇にはエンジンもない。そう言われたところで今から軌道は変えられない。
「分かった。何に警戒すれば良い?」
『……ひとまず生き……無事到着ガガ事を。例の注釈やメモ書き……テキスト形式でまとジジジちらに送信します。何……参考にザザザただガガばザザザががガリガリガリ!!』
ぶづっ! と唐突に通信が途切れてしまった。脱出艇の船外カメラを首振りしてみれば、元は巨大な円盤だったいくつかの砕けたブロックもまた、次々と大気圏の熱圏に入ってオレンジ色に焼けていく。
……受信エラー。
マクスウェルが最後にスマホへ送ろうとしていたファイルは破損状態で、開く事さえ難儀した。中身も文字化けだらけだ。
誰か。
第三者。
「け、結局何がどうなってるの……?」
「警戒だアユミ」
短くこう答えるしかなかった。
「地球に到着して終わりじゃない。まだ何かある」
ぎぎぎぎみぢみぢみぢみぢ!! という轟音が僕達を包んでいく。まるで車のトランクに押し込められたまま、外から巨大なクレーン鉄球でゆっくり潰されていくような不気味さだった。この熱圏の壁を、越えられるか。空中分解せずにパラシュートを開けるか。そして、墜落する先は。十分に計算していても机上の空論、結局最後はぶっつけ本番だ。莫大なストレスに耐えられず、もう叫ぶしかなかった。頭に熱が溜まって変な汗が噴き出すけど、これが心の問題なのか実際に温度が上がっているのかも判断がつかない。
………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
「……リ、君」
気がつけば。
僕は四角い箱の床に体を投げ出していた。
「サトリ君」
頭の後ろが妙に温かくて柔らかいから、てっきり出血でもしているかと思った。
が、そういう訳ではないらしい。
こっちを覗き込む姉さんの顔を見上げる限り……まさか、膝枕で姉枕されてます!?
「はいそのまま。無理に起き上がらないでくださいね。ゆっくりと調子を取り戻していきましょう」
「う……。叫び過ぎて頭の線でも焼き切れたのか……」
袖の破れた右手でなでなでされちゃう。危うく姉の沼にずぶずぶと沈んでいきそうだったその時、彼方から妹の声が飛来した。
「それ以前に脱出艇のパラシュートが開いた時点でお兄ちゃん壁に頭ぶつけたんだよ。ふぐう、やっぱり即席の固定具じゃ失敗だったね」
アユミと姉さんは無事なようだ。アークエネミーとしての筋力で慣性の力を強引に抑え込んだのかな。
ずっとこのまま甘えていたいけど、そういう訳にもいかない。
姉さんの太股からゆっくりと身を起こして改めてスマホを掴んだけど、船外カメラは壊れているようだ。ただし、時計を見ると深夜三時。スマホの時計は国や地域に合わせて勝手に調整してくれるから、『日本では深夜三時でも、地球の裏側ブラジルじゃ違う』みたいな事にもならないはず。
外が夜なら良い。
僕達は脱出艇の分厚い扉に向かった。念のため、ゆっくりと細く開いてみたけど……大丈夫そうだな。外は暗い。それから、流れ込む空気に磯臭い香りが混ざっていた。海が近いのかもしれない。
「姉さん、夜明けまで二、三時間しかない。いざとなったら密閉されたこの脱出艇まで戻る事。ここがどこだか知らないけど、行って帰る時間まで考慮しておいて」
「了解しました」
改めて、大きく開け放つ。
自然の景色と人工物の塊が半々って感じだった。元々は小さな島だったんだろうけど、鉄骨や鉄パイプがジャングルジムみたいに複雑に絡み合って、海側へ大きくせり出していた。
お月様を覆い隠すように、あちこちに巨大なクレーンが伸びている。
「何だこれ……?」
これで完成なのか、建設途中なのかはいまいち判断がつかない。金属の床は地べたより大分高い位置で何重にも重なっていた。一番高いトコで三階か、四階か。おかげで見下ろされているようで、威圧感がすごい。
突風は強いけど、ここは東京みたいな土砂降りじゃないな。そもそもどこに落ちたんだ。ここはまだ日本、なのか?
アユミはジャージの上を風で膨らませながら、
「ふぐ、こっちのシート見て。長澤建設って書いてあるよ」
「パイプには菱神マテリアルとありますね。一体ここで何をしていたのやら……」
……どっちも多国籍企業だからあてにならないけど、言われてみれば日本語が多いな。あくまで国内、離島か何かの採掘場なのか?
そうだ。
時計の自動合わせが機能しているって事は、ネットに繋がっている。GPSなんかの位置情報サービスが使えるはずだ。
「マクスウェル。このスマホにアクセス」
『シュア。東京都広域島嶼部アンテナ基地B局よりアクセスルート構築完了。お久しぶりです甘えん坊のユーザー様』
「……うん? とうきょう???」
『東京都は海まで含めれば大小無数の島嶼部を持つ広大な領域を指しますよ。日本最南端、沖ノ鳥島も所属は都になりますし』
……驚いた。
東京でアブダクションされたと思ったら、宇宙を経由して同じ東京に落ちてきたのか。
「それでここはどこなんだ? 本州まで戻るにはどうしたら良い。船か、それとも飛行機?」
『ノー。いわゆる定期便はありません。地図アプリで調べていただければ分かると思われますが、そもそもそこは存在しない島です。データ上では海の上に漠然とユーザー様のカーソルがあるので、最初は漂流しているのかと思いました』
「……何だって?」
『スマホのカメラで確認中ですが、完全人工物の海底油田のリグやメガフロートならともかく、自然の島を拡張したその採掘基地が地図に表示されないのは明らかに不自然です。人の手で意図して隠してあるとしか思えません』
「ふぐ。軍事基地、とか?」
『ノー。その場合は空白地帯として表示されるだけで、地形そのものを抹消するような対応はしないはずです。特に海の場合は、領海などデリケートな問題にも関わりますので』
「つまりそれ以上の力、ですか……」
エリカ姉さんが神妙な顔で呟いていた。
そもそもマクスウェルの話では、巨大な宇宙船を制御しているウィナーズベースの基幹OSにはメッセージじみた注釈やメモ書きが残されていて、僕達は第三者の狙った通りの場所に落下するよう誘導されていた可能性があるらしい。それがこんな、一国の軍事基地よりも不自然な消され方をした半人工の謎の島。……何だかエリア51じみた不気味さが漂ってきた。
「長澤建設、それに菱神マテリアル……」
「姉さん、どうかしたの? 言っても有名な会社でしょ」
「……いえ、かえって有名企業なのが気になりまして。これ、もしかしたら……」
姉さんはあちこちを見回して、氾濫する日本語を目で追いかけていく。
「ああ、建設重機や作業機械はミチタ自動車、動力機関は本州電力、この空き容器……食品関係を納入していたのは日露食品やガントリー飲料ですか……」
「ふぐ。まさかその並びって」
「旧光十字、ひいてはその背後にいたアブソリュートノアの協賛者達」
エリカ姉さんは細い顎に袖の破れた手の指先をやり、
「……ここは、ひょっとしたら対カラミティ用のシェルター候補の一つだったのかもしれません。結局は供饗市のダムの底にあった方式が採用されたようですが」
光十字。
アブソリュートノア。
今になってそんな名前が出てくる事には驚きだったけど、でも、その一方でこうも思うんだ。
「女帝やUFOを含む全部の状況が第三者のセッティングによるものだとしたら、巨大宇宙船が落ちるのも織り込み済みだったんだろ。もしも僕達の努力が失敗して何かの間違いで本当にそのまま落ちてきたら、そいつはどうするつもりだったんだ。地球全体が氷河期になるんだぞ。よっぽど頑丈で広大なシェルターでもない限り、ただの自殺行為だろそんなの」
最悪。
女帝や奉仕種族、巨大UFOなんかはここで創られたって可能性まである訳だ。今までは荒唐無稽って思っていたけど、あの組織が出てくるなら十分にありえる。
ラスベガスを襲った赤い半透明の粘液は。
ダムの底に眠っていた秘密は。
そんな風に思えば。
「じゃあ、やっぱりお母さんの組織絡みの話になってくるのかな? 残党が大暴れしているとか」
「……まだ分からない。放置されている施設を誰かが勝手に使っているだけかも」
ともあれ。
危険度がまた一つ跳ね上がったのは事実だ。僕達は世界の秘密を知る人間から招待されてここまで来てしまった。相手に敵意や害意がないとは言い切れない。光十字やアブソリュートノア。当人であれ、施設や知識を横取りしている誰かであれ、対アークエネミーの戦闘装備や技術も手に入れているかもしれない。
ここには長居しない方が良い。
これまでと一緒だ。吸血鬼の姉さんは昼間動けないから、夜明け後に第三者からちょっかい出されると逃げきれなくなる。
船なり何なり手に入れて島を離れようとしても、本州へ到着する前に夜明けを迎えてしまう可能性は高い。でもそれなら、棺に代わる密閉容器さえあれば済む話なんだ。何なら脱出艇の四角い箱そのものを船に積んでしまう選択肢もある。もうはっきり言おう。『不審者』の徘徊する島で半日丸々しのぐくらいなら、多少強引でも海に出て島から離れてしまった方が安全なんだ。
「脱出手段を探そう。ボートでもヘリでも良い。招待されたからって、無理して顔も名前も分からないヤツと戦う必要なんかない」
「ふぐう。あたし達の手に負える範囲で何とかしてもらえると助かるけど……」
もちろん。
マクスウェルのサポートにだって限界はあるんだから。
どっちみち危険な島や金属の塊を歩き回る必要はあるんだけど、自分達で目的意識を作るのは大切だ。漫然と指示に従ってヒントを拾っていくだけじゃ第三者が設定したろくでもない結末まで一直線。ここまでやった黒幕が、平穏無事に僕達を家まで帰してくれるなんて考えない方が良い。レールの先は崖、断崖絶壁。黒幕のシナリオを壊さない限り、多分僕達に未来はない。
南の島。
アブソリュートノアが定めた秘密の花園の候補地。
本当に巨大なシェルターがあるとしたら広大な地下か、あるいは竜宮城めいた海底基地か。でも正直そっちには興味がない。黒幕がどんな迷宮の奥で待ち構えてようが、こっちはさっさと脱出するだけだ。
「……それじゃ始めるか。生き残る手段を探すぞ」
ポッドに入った小柄なスキュラや異形の女帝はひとまず四角い脱出艇に残していくしかなかった。船を見つけてから回収する事に決める。
「警備状況は?」
『オフライン。人工物部分を中心にカメラやセンサーなどは一通り敷設してあるようなのですが、電源が入っておりません。扉の電子ロックなども同様です』
何にしても慎重に、だ。
こっちには吸血鬼の姉さんやゾンビの妹がいるけど、相手だって未知数。これだけの事をやらかした黒幕は単独犯なのか? 人間以外のアークエネミーって線は? 最悪、凶悪な力を持った不死者の集団に取り囲まれるって可能性もゼロじゃない。
「船っていうとやっぱり水辺かなあ」
「一通り調べてみよう」
こっちも夜明けまで時間はないんだけど、いきなりでっかりジャングルジムみたいな塊に上るのも怖かった。階段で上へ行けば移動の自由が狭まる。なのでひとまず僕達三人でも抱えきれないほど太い金属の柱が等間隔に並ぶ夜の浜辺を歩いてみる。
やはり、こちらには何もない。
そして実際に見て回ってみると、最初にイメージしていたより傷みが激しいのが分かってきた。乱立する柱だけでも、ペンキが浮かんであちこち錆びている。まるで手入れもされずに放っておかれた公園の遊具みたいだ。
それに気になるものもあった。
「太陽コンピュータ?」
「ふぐ?」
「合併前の社名がある。でもこれ、僕が生まれてくるより前の話じゃないか?」
……まさか、その頃から人の出入りはなかった、って事になるのか?
下を這っていてもラチが明かなくなってきた。おっかなびっくりだけど、太い柱に併設されていた金属製の階段を使って上部へ向かってみる。
不思議な事に、水辺の近くよりも上に登った方が潮の香りがきつくなった。風通しの問題だろうか。
「っ」
「姉さんっ」
ふらつく姉さんを横から支えてやった。そうか、吸血鬼は流れのある水を渡れない。多くの柱に支えられ、海側にせり出した物の塊に場所を移した事で、またもや種族としての弱点が顔を出したみたいだった。
それにしても……。
「誰もいないね、お兄ちゃん」
「ああ……」
カメラやセンサーが死んでいるのは廃棄施設から発電機なりメインコンピュータなりが撤去されていたからだ、くらいに思っていたけど、生身の兵隊もいないのか? 海風でこびりついた細かい砂や埃、そうしたものに足跡らしき痕跡が全くなかった。一応、無理矢理斜に構えれば翼を持ったアークエネミーが配置されている可能性はまだ完全に否定できないけど……。僕達をここまで誘導したっていう黒幕の考えがますます見えなくなってくる。
あるいは黒幕なんかいないのか?
僕達が枯草色の表面にミステリーサークルを走らせたデロデロ、奉仕種族を無人島へ落としたように、ここに閉じ込めるのが狙いだったのか?
そんな益体もない仮説まで頭に浮かぶ。
鉄骨や鉄パイプをジャングルジムみたいに組み合わせた海上施設だけど、所々にでっかいお皿みたいな陸地が用意されていた。クレーンやヘリポートか。ここから眺めてもヘリコプターらしきシルエットがあるようには見えない。ただ、あっても持て余したとは思うけど。
それから他には、手すりより向こうに何かがぶら下がっていた。バスタブより大きなカプセル状の塊は、深海調査艇か。
「……やっぱり船はウィンチで上げておいて、必要があれば直接沖に下ろすみたいだな。このラインで調べていけば、高速艇とかモーターボートも見つけられるかもしれない」
「ふぐ?」
と、アユミが遠くの方を見て変な声を出した。
「見てお兄ちゃん、あれじゃない? なんかきちんとした船がぶら下がってるよ!」
確かにあった。
豪華客船の側面についている救命艇みたいに、二本のウィンチで固定されたモーターボート。言ってもゴムのボートにおざなりなエンジンをつけたものとは訳が違う。そのままレースにも使えそうな高速艇だ。海の上ならウィリーみたいに自分の船首を持ち上げて、時速一〇〇キロ以上出すだろう。
忘れ去られたような金属の塊の中で、そいつだけ妙にピカピカと輝いていた。ひょっとしたら黒幕自身が海を渡るために使っていたものかもしれない。
「やった、これできちんと帰れる。ふぐ、でもこのサイズだとあの四角い脱出艇は載せられないな。お姉ちゃん、下手したら日光対策は死体袋とかになるかもよ?」
「美人で優しいエレガンスなお姉ちゃんの扱い間違ってませんかね!?」
「いつもの棺桶もそういうものじゃんか」
が。
姉さんやアユミの後に続こうとした僕の足が縫い止められた。理由はスマホの画面だ。
『警告、スマートフォンへのサイバー攻撃を検知。防衛行動実行中。脅威度最大、回避不能と判断した場合は強制的に電源遮断します』
「っ?」
直後の出来事だった。
ドッッッガッッッ!!!!!! と。
海上施設の縁にあったモーターボートがいきなり炎を噴いて爆発したんだ。
落雷、とは違う。
何か眩い閃光のような、火の玉のような、とにかくものすごい速さで危険物が落ちてきたんだ。
二〇メートル以上離れたここにいても金網状の床へ投げ出された。食べ物が喉に詰まったような呼吸困難に、両目がストーブの近くに寄ったみたいに乾いた痛みを発する。咳き込みながら鉄パイプの手すりにすがりつき、それからあらん限りの声で叫んだ。
「姉さんっ、アユミぃ!!」
返事はなかった。
金網や鉄パイプの施設だっていうのにお構いなしに轟々と燃え盛る炎の音だけ。彼女達が近づいていった船はもう形を保っていない。くそっ、下は何だ、海面か、それとも砂浜? 今の爆発で手すりの向こうまで投げ飛ばされたのか!?
死んでいないと思う。
そう信じるしかない。
ヴァン!! という巨大な羽音に似た響きがあった。
夜空、頭上を横切ったのは、
「UFOドローン……自衛隊の!?」
いいや、元はと言えば光十字の要求仕様に政府の研究所が応えたんだったか。
『サイバー攻撃の対応にかかりきりで不審電波の発見が遅れました。警告、逃走を推奨します!』
「ちくしょう……!!」
上を取られたら逃げようがない。おそらくバカみたいなエンジンを積んだスーパーカーで高速道路を爆走したってアレは振り切れない。
だけど、だ。
迷っている暇はなかった。とにかくスマホを掴み直し、鉄パイプの手すりを飛び越える。バシュシュ!! と炭酸が噴き出すような音が炸裂し、真上からミサイルが降ってくる。
ここはジャングルジムみたいに無数の鉄骨や鉄パイプが絡み合った巨大な施設だ。
下はいきない地上じゃない。
一段下へと飛び降り、障害物の下へと転がり込んだ直後、対アークエネミー用の空対地ミサイル・トカラハブが分厚い金網の床をまとめて毟り取っていった。あんなもん生身の人間に直撃したら粉々だ!
それでも前後左右の水平移動よりはマシ。入り組んだ上下移動については、飛行系ドローンは得意としていないはず。
「マクスウェル、ルート検索! 僕の足で踏破可能な道筋を立体的に調べ上げて画面上で風景に重ねて表示!!」
『……計算中……』
「それから弾道計算、アユミと姉さんがあの爆発でどの辺りに落ちたか調べてマーカーつけてくれ! 何とかして回収しないと!!」
『……計算中……』
?
まずいっ、スマホとシミュレータ本体を繋ぐ回線が乱れているのか、マクスウェルそのものの処理速度が落ちてる……!?
『JB>やあ天津サトリ君。そろそろ計算が追いつかなくなってくる頃かな?』
……何だ、このふきだし?
確かに僕とマクスウェルは大手のSNSを利用してコンタクトを取っている。普段は一対一だけど、グループ登録で招待すれば複数人でも会話できる。
そう、こっちから招待すれば。
まだスマホは乗っ取られていないはずだ。
となると、JB? こいつ、こんな事のために大手SNSのメインサーバー、そのファイアウォールを丸ごと貫いたっていうのか!?
拒否は、ダメか。
今じゃもう向こうの方が権限は上だ。
わざと新品のモーターボートを置いて僕達を誘い出し、大規模なサイバー攻撃を仕掛けてマクスウェルの気を逸らし、対アークエネミー用のUFOドローンで空爆まで実行して……。
このJBが全ての黒幕。
こいつはどこまで先を読んでいる? マクスウェルを出し抜くなんてよっぽどだ、人間業とは思えない!!
『JB>無理もないよ、私は君を殺すために準備を固めてきたんだ。確実に仕留めるために必要なものなら調達するさ、例えば戦術構築シミュレータ・フライシュッツなんかもね』
……シミュレータ、しかも軍用規格……!?
担保になるのは不審者からの言葉だけなんだけど、ここまで鮮やかにやられた後じゃブラフとも思えない。というか、これがブラフだったらJBとかいうのは暗算でマクスウェルを超えた事になってしまう。どっちにしても救いがない。
『人違いじゃないのか』
『JB>君に用があるんだよ、君の事だよ天津サトリ君』
ヴぃあん!! とすぐ近くを電気シェーバーみたいなプロペラ音が突き抜けていく。慌てて太い金属の柱の裏へ回り込んだ直後、今度は真横からミサイルが飛んできた。実際には随分手前にある別の柱にぶつかったようだけど、爆音の塊に全身を叩かれた。両足が震えて力が抜ける。どうして耳から血が出ないのか、逆に疑問に思えてくる。
ビヂビヂビヂ!! というゲリラ豪雨みたいな音と共に、柱のすぐ側でオレンジ色の火花が炸裂していた。剥離した細かい金属片が激突しているんだ。物陰にいなかったら黒い上着ごと体中の肉を削り取られていたんじゃないか。
ここにいたら殺される。
もたつく体を無理に動かし、手すりを乗り越えて、半ば飛び降りるように一段下へ。
『JB>この広大で退屈な牢獄から脱獄したいんだ』
何を……?
いや、JB。脱獄する人となると、ジェイルブレイカーか?
ひょっとしたら、言葉選びはスマホの隠語から取っているのかもしれない。
『JB>少しでも使えそうなものは、どんな些細なチリ屑だろうが拾い集めてきた。ほら、あちこち施錠された牢屋の中じゃ針金一本の価値が違うだろう? 割りばしでも斜めに切って尖らせれば凶器になる』
『牢屋? このシェルターがか?』
『JB>のん』
即答だった。
網でもビニールシートでも良い。とにかく障害物を広げて、ドローンが直接ジャングルジムの中まで潜り抜けてこないよう細工する。
『JB>ヒントを与えよう。あれも、これも、私の拾い物だ。言っておくが、自衛隊のドローンはここで開発された訳じゃないし、ここはクリーチャー製造施設でもない』
『何が宇宙人だ馬鹿げてる、あんなの全部お前がフラスコの中で作り上げたものだろ』
『JB>だから認識が違う。生物学に基づいたアプローチじゃない。神学か、民俗学? まあ、とにかくカミサマだったんだよ、私がいじくった拾い物は』
しばし。
流石に言葉を繋げなかった。
『JB>君もすでに見ているはずだ。あれは北欧神話辺りかな。人類の学問が未熟なばかりに、アークエネミーとして登録されている連中を』
「まさか、いや嘘だ……」
文字を打つのも忘れて呟いていた。
確かに、アブソリュートノアの中に潜んでいたエキドナはカミサマへ反逆するなんていう荒唐無稽な願いを大真面目に叶えるための組織の一員だった。
ヴァルキリー・カレン。
彼女も、あくまでも人間の術者だったブードゥーのボコールにコントロールを乗っ取られた事はあったけど……。
女帝とは、つまり何だった?
僕達は今まで、一体変わり果てた何と対峙していたんだ?
『JB>そして私は檻の中にあるものなら何でも手を伸ばす。付け入る隙があるなら使わせてもらう。神話はね、歪曲するんだ。それが嫌だから世の人々は躍起になって自前の信仰を守る。何度も何度も口の中で唱え、丸暗記して、永遠に受験勉強でも続けるように。努力を怠れば壊れてしまう程度のものでしかないんだよ。私はそれを加速させた。カミサマっていうのは支配者だ、それが何であれ設定領域の大多数を占めるなら彼らを支配できる存在にならなくてはならない。奉仕種族、あれは色んな意味で役に立ってくれたよ。多数決だの街頭アンケートだの、あんなもの、切り取り方次第でいくらでも操作できるのにね』
戦争相手を打ち負かして自前の戦力として組み込む文化だと、ギリシャ神話か、あるいはアステカ系? ダメだ、検索に頼れない状況じゃせいぜいマンガや小説の知識くらいしか出てこない。
というよりも、だ。
『お前が言う牢獄っていうのはskい』
『JB>あはは打ちミスしてるよ、混乱中かな。そうだ、私は世界から逃げ出したい。外へ。自由な場所に』
ヴン……! という羽音があった。
思わず金属製の階段の真下に飛び込む。
くそ、近い。
入り組んだジャングルジムの下層、奥の奥まで逃げたつもりだけど、本当に針の穴一つないかって言われたら自信はない。シミュレータの力で検証もできない。グループ登録に割り込みを喰らっている関係でマクスウェルと話をしたくても全部筒抜けになってしまう。
『JB>私は脱獄に必要なものなら何でも手に入れる。この莫大な檻、世界の隅々までまさぐって』
「……、」
逃げているだけじゃ追い詰められる。元々戦車やシェルターを叩き潰すための空対地ミサイルのカテゴリ、しかも対アークエネミー特化型で開発された空爆兵器だ。安全にやり過ごせる分厚い壁にも心当たりはない。
何か武器になるものはないか。
武器?
まさかと思うけど、僕は本物の軍用兵器を相手取って生身で殴り合いでも始める気なのか!? 思考を閉ざすな、そんなのただプレッシャーに負けて破れかぶれになっているだけだ!
『JB>だけど、君は別だ。ノイズが大き過ぎる。人がこっそりトンネルを掘っているっていうのに、すぐそこでドクロマークの描かれたでっかい爆弾に火を点けてもらっては困るんだ。君は私の計画にそぐわない。よって確実に排除する。そのためだけに、事件や戦争を起こしてでも。状況は分かってもらえたかな?』
東京も。
世界中の街も。
宇宙人だった事にされた誰かも。
専用の空対地ミサイルでダウンさせられたエリカ姉さんや妹のアユミも。
たった一つ。
今こうして誰も救援のこない孤島で僕達が会話しながら殺し合う、この状況を作るためだけに?
ハサミを持った相手なんて下手に刺激するべきではない。分かっていても、思わず指先が動いていた。
『狂ってるよお前』
『JB>あはは、はっきり言うもんだ』
『そのあはは、さっきから何度か目にしてきたけど文章にする意味ないよな。!マークとおんなじで。焦ると定型文を差し込んで間を埋める人種か?』
『JB>それでわたしをちょうはつしているつもりかい?』
『変換押してる余裕もないのかよ。事実を聞いて挑発されていると感じるならお前の人生はもう破綻してる』
『JB>( ;´Д`)』
いきなり爆発があった。
炸裂地点は同じ階層だけど、遠い。射線確保なんてお構いなしにミサイルを撃ち込んできたのか。
てか今の何だっ!? あいつついにハンコだのイラストだのだけで会話して僕を殺しに来るようになったのか!
『JB>ᕦ(ò_óˇ)ᕤ』
『JB>( *`ω´)』
『JB>からの』
『JB>( ̄^ ̄)ゞ』
ダメだ流石に追いきれない。こいつ正体は真っ黒に日焼けした女子高生とかじゃないだろうな!!
「はあ、はあ……!!」
金属の柱の裏に回って背中を預ける。考えろ。脅威になっているのは何だ。JB本人と飛び回っているドローン、どっちに的を絞る?
「……というかどうやってJBをJBと見破れっていうんだ……」
顔も名前も歳も性別も分からない。
この島で人影を見つけ次第片っ端から襲っていくのか? それじゃヤツの高笑いを止められそうにない。
かと言って、操縦者への攻撃抜きで、あの装甲と火力の塊を撃ち落とせるか? 多分映画に出てくるような肩に担ぐミサイルを渡されたって無理だ。何の訓練も受けていない高校生の僕に何ができる。
格好つけるな。
理想で語るな。
天秤に載っているのは僕の命だけじゃない。エリカ姉さんに妹のアユミ。夜明けまで時間がない、こっちは早く彼女達の無事を確認しなくちゃいけないんだ。
「……よし」
顔を上げる。
やるべき事が見えてきた。
見た目が手裏剣みたいな形の軽自動車より大きなUFOだからって本質を見失ってはならない。あのドローンは反重力エンジンだのイオンクラフトだのを取り込んでいる訳じゃない。複数のプロペラを回して上下の高度を合わせ、その回転数の変化・偏りで前後左右に移動するマルチコプター方式だ。どこぞの羽根のない扇風機と同じ。機内にプロペラを格納して空気だけ吐き出しているから分かりにくいけど、ようは家電量販店にある動画撮影用の空撮ドローンと何も変わらない。
ならやるべき事は簡単だ。
僕は日本の高校生。いきなりガトリング銃やロケット砲を撃てる訳じゃないし、その辺にあるもので現有戦力を超えるSF兵器を組み立てられる訳じゃない。
でもドローンについてなら触れた事がある。
マルチコプター方式はポピュラーだけど誤作動、不時着案件が多いし、何よりデリケートなパーツが多くて持ち運びが大変なんだ。だから僕はヘリウム風船をベースにしたバルーン方式に頼っているくらいだった。
カタログと睨めっこして、マクスウェルとも散々議論を深めてお小遣いの限界と格闘してきたんだ。
だから弱点も分かっている。
サイズが大きくなろうが大元の特徴、性質、もっと言えば弱点や欠点は変わらない。むしろオモチャサイズでもコントロールの難しいドローンを軽自動車以上にまで無理矢理巨大化させているんだ。空対地ミサイルだの燃料電池だの余計な錘も多い。
間違えるな。
分厚い装甲を真正面から貫こうとしたってどうにもならない。完成された兵器に立ち向かうんじゃない。まだまだ発展途上で不安定な、マルチコプター式空撮ドローンにちょっかいを出すって考えろ。
必要なものは何だ。
辺り一面は何十年も放置された廃棄施設。電気なんてどこにも通っていない。本当に? 例えばソーラーパネルなんかと繋がった照明機材とか、取るに足らない簡単な装置なら逆に今でも……。
「おああ!」
とにかく手近にあったものを掴んで、鉄パイプを組んだ手すりから飛び降りるしかなかった。ここはもう下層だ。後は砂浜と波打ち際くらいしかない。転がったせいで黒い上着もズボンも砂まみれだ。逃げ場のない地べた。ある意味行き止まり。だけど僕にとってもラストチャンスがここにあった。
あのドローンが、上空一万メートルから延々とミサイルを撃ち下ろしてくる場合は対処のしようがなかった。何重にも重なるボロボロの屋根? が味方してくれた。JB、ヤツは鉄骨と鉄パイプの集合体を丸ごとぶっ潰して僕を生き埋めにするつもりはないらしい。戦車を撃ち抜くような、ピンポイントな打撃力を想定した空対地ミサイルじゃそういう大雑把で広範囲な破壊は難しいんだろう。最初の一発目だって、海上施設最上部の開けた場所に脱出用の船を吊り下げてまで僕達を誘導した訳だし。
ヤツなら来る。
ヴィアゥン!! と、電気シェーバーのような虫の羽音のような、耳に障る振動音が鳴り響いた。陸上自衛隊対不死者仕様UFOドローン。あの無人兵器もまた、余計な障害物を嫌って高度を下げてくる。
ヤツは何やら喚いていたけど、ようはJBにとって僕はどうしても捨て置けない存在らしい。こんな大それた事件を起こしてでも、裏を返せばそうでもしないと不安で夜も眠れないくらい。だから、ヤツは、絶対に食い下がる。有利不利なんて関係ない。空飛ぶドローンを地べたすれすれまで持ち込む本末転倒な事態になってでも、僕が生きて島を出る事なんか許さない。
「っ」
一度だけ海の方へ視線を向けてから、逆サイドへ走る。無数に並ぶ柱から柱へ短く移るだけでも心臓に悪い。
ただし、追い詰められているのは僕だけじゃない。
JB、アンタは神話のカミサマさえ手玉に取るジョーカーなのかもしれない。でもルールは絶対だ。UFOドローンの正体はマルチコプター、複数のプロペラで空気を押し出さなきゃ機体を浮かばせる事はできないはずなんだ。
それなら。
僕は手にしていたものを波打ち際へと放り投げた。
バスタブにドライヤーよりは危険なモノ。
この施設は僕が生まれるより前に放棄されていたみたいだけど、それでも残された道具や設備に何の力もない訳じゃない。
屋外活動用の動力源。
ソーラーパネルとセットになっていた代物。
そう。
重要なのは蓄電池、バッテリー。
携帯電話のリチウムイオンだろうが車のバッテリーの鉛蓄電池だろうが要点は変わらない。
扱いを間違えれば、バッテリーは爆発するんだ。
ドッッッガッッッ!! と。
火炎瓶よりも目に刺さる、真っ白な閃光が炸裂する。きめ細かい白い砂や海水を巻き上げ、空中へとばら撒いていく。
『JB>Σ('◉⌓◉’)』
『うるせえコンタクトなんか取らねえぞ』
反応を返すとは余裕だな。
だけどこっちも、今の爆発そのもので軍用ドローンの装甲を破れるなんて思ってない。
重要なのは砂と水。
さらさら流れる風に不純物をしこたま混ぜてドロドロベトベトにしてやる事。
知ってるか、JB。正確な因果関係は不明だけど、欧米よりアジア地域の方がドローンの誤作動や不時着は多いらしい。仮説は色々あるけど、その中には湿度が高くてじめっとした空気が悪影響を与えているんじゃないかって話も大真面目に議論されてるらしいぞ。
ただでさえ不慣れな地面すれすれだったんだ。
そこでまともに爆風の煽りを浴びて、大量の砂や海水を被ればどうなるか。
マルチコプターは空気を切り裂いて飛ぶ。
空気の粘性。
そいつを変えてやれば宙に浮く事なんかできるはずないんだ。ドローンは空気の中を進む事を想定しているんであって、水の中や泥の中を突っ切るようにはできていないんだから。
だから。
だから。
だから。
ゴゴンッ!! と。
鈍い音を立てて、巨大な装甲の塊が波打ち際に落下した。
もちろんそこで安心なんかしなかった。勝ち誇るにはまだ早い。何しろ空気の粘性なんて小難しい事は言ったけど、効果時間は一〇秒もない。これが高空なら地面に墜落する前に正常化して機体を立て直していただろう。
ばさりと、ベッドシーツで空気を叩くような音を一つ。
上からビニールシートを一枚被せるだけでも違う。いかにプロペラそのものを機内に格納していても、目の細かい金網で不純物の混入を防いでいても、マルチコプターはマルチコプター。吸入口と排出口がなければ空気を押し出して機体を浮かばせる事はできない。つまり、逆に言えば。その穴を塞いでしまえば、いったん地べたに激突した機体は再浮上するだけの力を生み出せなくなるはずなんだ。
力はいらない。
掃除機に布を吸わせるようなもので、セットさえすれば向こうが勝手に吸引してくれる。チェーンソーと同じで、ドローンのプロペラには逆回転モードなんかないだろうし。
だから、覆い被せた時点でチェックメイトだ。
腹の底から撃ち出すミサイルだって、ドローン自体が地面に腹を擦っている状況なら撃てないはずだ。
でも。
なのに。
がぱり、と。
唐突に、ドローンの装甲がドアみたいに開いたんだ。
「な……」
予想外と言えば、あまりに予想外。
ドローンだから無人機。顔も名前も分からないJBは安全な場所から高みの見物。そんな風に思っていた。
でも違う。
何があっても僕を殺す。自分の退路のキープなど二の次。そんな考えの持ち主だったのか。
メガネを掛けた色白の青年だった。僕より線は細く、その分だけコンピュータやネットワークへの依存が大きそうな男だった。高そうなスーツにファーのついたコート……だけどインドア生活のせいで季節感も壊れているのか? そんなJBの手には、しかし禍々しいくらいぎらつくステンレスの塊が握り込まれていた。
日本にあってはいけないもの。
あるいは、そんな風に考えてしまうのが平和ボケの証なのか。
「……けん、じゅう……」
「ばんっ☆」
あまりにも、呆気なかった。
僕は結局ヤツの本名さえ掴めなかった。
見積もりが甘かったのか。
JB。色々足掻いてきたけど、ヤツの敷いた予定調和の外には出られなかった……!?
直後。
ブレる景色。背骨に響く衝撃。
爆音と共に体を丸ごと真横へ持っていかれた。
そう。
真横。
正面からの鉛弾じゃない。
「……っっっ!?」
驚いて目を白黒させる暇もなかった。何のクッションもなく夜の砂浜に体が落ちる。熱い。砂との摩擦か? 誰かに押し倒されたんだ。黒い上着があってもお構いなしだった。そのまま引きずり回される。
ねえ、さ……!!
呼吸困難に喘ぐ中、さらに別の動きを捉えた。初弾は外れた。自らの射撃の反動を押さえ込み、追撃の構えを見せるJB。やはりその真横からだ。
「ふぐう」
先っぽだけくるくる巻いた黒髪ツインテール。
それでも人間の一〇倍の筋力を持つって言われてるゾンビのアユミが前を開いたジャージの上をばたばたと風で膨らませ、砕けるような勢いで拳を握り締めていたんだ。
「いい加減にしろよ、お前ェ!!」
加減もクソもなかった。
その爆音は、工場で大量生産される既製品の銃声を上回っていたかもしれない。
交通事故みたいな衝撃と共に、灰色に髪を染めたJBは風に舞い上げられるビニール袋みたいに飛んでいった。途中、砂浜で何度も爆発じみた勢いで砂を撒き散らしつつ、一〇メートル以上転がってようやく動きを止める。
「……て、いましたよね」
震える声があった。
横から脇腹に顔を埋めるような格好の姉さんの表情は見えなかったけど、
「気づいていましたよね、途中から! 私達がどこに落ちて、そっと息を潜めていたか。どうして一人で全部抱えて反対側に走り出すんですか、サトリ君!?」
だって、と口を開いて合理性で反論しちゃいけないような気がした。
だから、胸の中だけにしまう。
だって、だ。
ドローンを確実に仕留める自信なんかなかった。あの方法でダメなら、アークエネミーの姉さん達がひたすら力業の消耗戦に走るしかないのは目に見えていた。
それに、あの中にJBが隠れていたなんて、本当の本当に予想外だった。
僕は弱い。
改めて思う。マクスウェルを封じられると何も調べられないし、五秒先の展開すら読めずに振り回される。
たまたまだった。
何かの偶然が重なって姉さん達が駆けつけてきてくれて、それが実際に間に合った。今でも自分がJBに何か一つでも勝ったところがあるって自覚は全く湧いてこない。
普通に考えれば。
あそこで死んでいたんだ、僕は。
「終わった、のか……?」
姉さんにしがみつかれて押し倒されたまま、砂まみれの頭も放って僕はそう呟いていた。
返事なんかなかった。