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吸血鬼の姉とゾンビの妹が雪にやられて立ち往生しているようだけどどうしましょう……イミテーションだけど
第〇章

 窓の外では、季節外れの雪が降っていた。

『続いては気象情報です。ここのところ暖かくなったり冷たくなったり気温の差が激しいですが、この人が風邪を引くようになったら世の中はおしまいですね。気象予報士の田中アリスさーん』
 晩ご飯も終えてのまったりタイムであった。リビングのテレビからは賑やかな声が響いている。時刻は夜の一〇時前。基本的には昼のニュースを繰り返し流している時間帯で、目新しさは一ミリもない。特にネット漬けになっている身としては焼き増し感がすごかった。
「あのさあアユミ」
「あによお兄ちゃん」
 バリボリという派手な音が、テレビとは別にあった。僕の膝からだ。
 そう。黒髪ツインテール(先っぽをくるくる丸めたバターロール仕様)のかわゆい妹が、何だか人様の太股に頭を乗っけてソファでくつろいでやがった。ご飯食べた後だっていうのにのり塩味のポテチの袋を抱えてだ。
「……普通、これ、この……逆じゃない? ポジション的に。おいこらゾンビ、せっかくの膝枕だぞ」
「うるさいな、ウチは男女平等なの」
「平等って言うならお前もフトモモ貸しなさいよ! ありえないでしょ一時間も居座るとか。そろそろ理想の域を超えて現実的に痺れて参りましたよ、足が!!」
「つかお姉ちゃんお風呂長すぎない? ふぐう、いつまで待たせる気なんだよ!!」
 そりゃ年中ジョギングウェアでそこらへん走り回っている汗だくゾンビの妹と違って何をやっても色っぽい吸血鬼のエリカ姉さんはお風呂好きだろうさ。夜間学校がない日は大体ここぞとばかりに満喫するんだから諦めるしかない。
「お前さんは女の子なんだから、不満があるなら今からでも姉さんとご一緒すれば良いじゃないか……」
「お兄ちゃんはドリーム見過ぎ。お風呂に乱入なんかやらかしたら女同士でも普通に引っ叩かれるよ。……なに、まさかこの歳で同じ試着室に入ってお互いに着せ替えっこするなんて考えてないよね?」
「やれよォォォ残念妹! せっかくの美人姉でしょ!?」
「ふぐう!? ばかっ、ドリーム光線が眩し過ぎ!!」
 と、勢いで身を起こしてしまったアユミは、頭を再び下ろすかちょっと迷ったらしい。同じソファの上、結構ギリな至近で子供みたいに唇を尖らせて、
「お兄ちゃん、ほんとに足キツい?」
「休憩が必要なくらいには」
「……ふぐ。なら交代」
 目を丸くした、と思う。
 なんかソファの上で座り直した妹サマが、揃えた太股をぽんぽんと掌で叩いている。
 えと、お風呂前って事はアユミったらいつものジョギングウェアですよ? つまり太股の付け根辺りまでがっつり迫った攻撃的な短パンなんですよ奥さん!
「男女平等って言ったじゃん。あたしだけ楽するのもアレだし、ほら」
「……今日は雪でも降るのかな?」
「外を見てみろ何の皮肉かなお兄ちゃん! あたしだって恥ずかしいんだからさっさと寝転がるっ、早く!!」
 アユミはこう、追い詰められると頑なになってさらに損失を広げる悪癖がある。おかげでこっちは髪の毛丸ごと掴まれてぎゅうぎゅう頭を押し付けられております。どこに? 女子中学生のお股から数センチの所にだ!!
 仰向けなので妹の上半身を下から見上げる不思議なビジュアルが待っていた。
 ……しかし起伏がないなあ、我が妹よ。キサマのジョギングウェアだと上はへそ出しのタンクトップなものだから肌と服の隙間から下着が見えそうでお兄ちゃんおっかないけども!!
 その時であった。
 アユミの手がよそに伸びて、何かを掴んだ。そして口元へ。
 変な音が続いた。
 バリボリと。
「ちょ、あの、アユミ。アユミさん?」
「うあー……人間、行き着く所まで極めると一周回ってキホンに立ち返るものだよね。やっぱのり塩以上の味って存在しないわ」
「かかってる。メチャクチャ顔に降り注いでんだよそのノリとかシオとか細かいヤツがっ!! おいゾンビ説明してくれ。何なんだこれ、こんな残念な膝枕生まれて初めてだわ!!」
「……まるで他にも経験がおありのようですな違いの分かるソムリエお兄ちゃん?」
 げふん。
 ……いやほら、ウチはグラマラスな姉さんとかあちこち持て余している義母さんとか、やたらと上から目線で優しさを振り撒く人が多いじゃない? ついでに言うとお隣のデコメガネ委員長も表面上は当たりがキツいけど中身は聖母だよ。
 年がら年中ジョギングしている割に食事の後もポテチを手放せない欲望まみれの妹はテレビに目を向けながら、
「しかしいつまで続くのかね、この雪は?」
「さあ? 沖で燃えてる貨物船次第だろ」
 ちなみに。
 おかしな返事をしたつもりはない。僕はきちんとアユミの問いかけに答えている。
 テレビもこう言っていた。
『明日の天気も本日と同じく、どこも一面快晴ですね。清々しい。ただ、気温はぐんと冷え込むので体調管理にはお気をつけください』
「雪の話しないね」
「そりゃ天気予報の範疇なんか超えてるからな」
 窓の外には季節外れの雪。
 ただし妹の格好はへそ出しのジョギングウェアだ。元々真冬でもガッツを見せる半ズボン少女でもあるけれど、今日はそんな寒々しい訳でもない。
 一〇時になると、天気予報からニュースに切り替わった。ヘッドラインはこうだ。
『三日前から続く沖合いの救助活動ですが、自然鎮火を待つ以外に目処は立たないようです。パナマ船籍の貨物船ノーブルインゴット号が積載していたのはポリエチレン系製品の原料物質が数種類。細かい霧のような形で炎の熱に舞い上げられた同物質が、空気に冷やされて固化してから再度降り注いでいる格好ですね』
『これもまた分類的にはマイクロプラスチックとなりますな。今回のケースですと〇・五ミリ以下となりますが、とにかく微細な合成樹脂は自然分解する事なく降下後も残り続ける。周辺環境への影響が懸念されます』
『一方、季節外れの雪はSNS映えするようで、一部ネットでは観光がはかどるのではないかという見方もあるそうです』
『ダメですよ。マイクロプラスチックの雪は高圧電線や変圧器にも絡むのです。溶けてショートを促した結果、すでに列車は止まっているでしょう。一般電源や信号機などもいつ停電が起きて不調になるかは予測がつかんのです。無理して車を走らせても、これで幹線道路が閉鎖されたらどうするんですか。嘆かわしい』
『周辺にお住まいの皆様は、どうか軽率な行動は控えてください。これは非常事態です。目的もなく現地入りしてから交通網が封鎖された場合、泊まる所を探すのも苦労させられる恐れがあります』
 ……という訳だ。
 アユミは人様の顔のすぐ上で、手元にあるポテチの袋を覗き込んで、
「ほんとにどうなるんだろ」
「さあな」
「……これ最後の一袋だよ。お父さんもお母さんも列車の混乱に巻き込まれたのか帰ってこなくなっちゃったし、ふぐう、やっぱりまずい事になってるよねえ絶対」
 状況のカテゴリとしては、火山灰による都市機能の低下や麻痺が近いらしい。
 ただし噴火活動と違って切迫した命の危機がある訳でもなし、貨物船の火災だけなら災害に指定されたかもしれないけど、ネックになってるのは沖の炎そのものじゃない。あるのはただ、毒にも薬にもならない『溶けない雪』が音もなく降り積もるだけ。住民の意識が全体的にだらっと間延びしていて、政府の手で避難所を作ったりしないのもそのためだ。このテレビだって、災害義援金のお知らせなんかは特に挟まない。
「あたし達どうなるのかなあ」
「さあな」
 先が見えない割にはのんびりムードだけど。
 マクスウェルの話だと、何でもマイクロプラスチックは『新し過ぎる』んだって。
 法律の世界では、災害っていうのはまず災害対策基本法に定義がこうある。書類上登録されているいくつかの自然または人的な被害、もしくは関連する政令に記述のある被害、って。自然に発生したものだから災害なんて話でもない。ダムが壊れたり煙草の吸殻で山火事が起きたって災害だ。あらかじめリスト化された危機に合致するものであれば、天災か人災かはお構いなしに法律は働く。
 レスキューが出動したり自衛隊だか自衛軍だかを派遣したりっていうのは、全部これが考え方の基本になる。大人はみんな指差し確認で間違いがないように動く。
 つまり、逆に言うとだ。
 理不尽でもこうなる。
「……法律に書かれてない内容は『災害と呼べない』から国の支援も始められないってさ。これが普通の砂とか灰とかだったら今すぐ迷彩服のマッチョ達が災害派遣でやってくるらしいけど」
「ふぐう」
「自分の街でできる事レベルなら自由に動けるかもだけど、正直、市役所一つにできる事なんかたかが知れてるだろ。外から支援がないんじゃ、デカい倉庫の鍵を開けてカップ麺を配るくらいしかできないんじゃないか?」
 でもって、マイクロプラスチック関係を新しい災害に登録してもらうだけでどれくらいかかるかは全くの未知数。議会の中継は流れてる時間が全然違ってて、目で追うだけで苦しい。
「じゃあケーサツとかは? 外に頼らなくたって、供饗市の中にだってレスキューだっているんじゃないの? 何しろ減災都市っしょ」
「原則として、彼らは助けを求められたら無視できないんだって」
「だから求めてるじゃん今!」
「……それで街中の人間が一斉に一一〇なり一一九なりしたらどうなるんだ? あっちの道で雪かき、こっちの屋根で雪下ろし。ウチには赤ちゃんが寝たきりの老人がいるんだぞ。これじゃ計画的な避難準備なんかできっこない。場当たり的に苦情を聞いてるだけで一日が終わっちゃうよ」
 こいつもまた、地震や洪水みたいなきちんとしたマニュアルがあれば違っていて、かなり早い段階で避難所が作られたかもしれないんだけど。
 逃げ遅れたらすぐさま即死って訳じゃないから、全体的に時間の流れがふんわりしてるんだよな。
 今は真面目な警官は数々の雑用で朝から晩まで押し潰されていて、真面目じゃない警官はおそらくそろそろ聞こえないふりをし始めてる。下手に制服のままパトカーや自転車なんかでパトロールに出かけたら最後、おそらく次から次へと頼み事が押し寄せてきて動けなくなるんじゃないか。
 何というか、だ。
 隙間に落ちてる。
 まるで人の心を引っ掻かないよう、社会の仕組みを意識した上で綿密にデザインされているような……。
「マクスウェルはなんて言ってるの?」
「……、」
「検索結果をまとめるだけじゃないでしょ。いっつもバーチャルでイインチョの水着ダンスばっかりさせてるけど、本業は災害環境シミュレータなんだもん。ふぐう、雪について何か言ってないの?」
 そりゃ、まあ。
 ここで言葉が詰まった事については、どうかご容赦いただきたい。災害現場で怖いのは、元々漠然とした不安や不満がうっすら蔓延している中に不確定な情報を投げ込む事だ。それで場が一気に沸騰してしまうケースも珍しくない。
 僕だって、どう扱って良いのかは分からないんだ。

『シュア。つまり八五・五%以上の高確率で人為的な攻撃です』

 話せるか、こんな事?
 下手に伝えてもパニックにしか繋がらないと、そういう風には思わないか。

『想定される標的は旧アブソリュートノアを率いていた天津ユリナ夫人か、あるいは名指しでJBなる未知の勢力から付け狙われているユーザー様本人という線が濃厚です。全体の規模は不明ですが、彼らの手によるゲームが始まったかと』

 JBについては、分かってる事は少ない。
 義母さん、天津ユリナが主導していたアブソリュートノアは、世界の滅亡カラミティを乗り越えるための巨大な方舟を造ろうっていう秘密組織だった。そのアブソリュートノア壊滅のきっかけとなったアークエネミー・エキドナの件辺りからチラチラと存在を匂わせてきた何かだ。
 明確に自分の事をJBと名乗ったのは、電波塔から始まって宇宙まで行った『前の事件』の黒幕。線の細い青年だった。
 だけどそいつ自身が警視庁の中で殺害されているから、おそらくは一人じゃない。
 組織。
 ガラクタを寄せ集めた巨大なサーバーシステムや軍用規格のシミュレータ・フライシュッツを保有するようだけど、目的も正体も不明。人間の組織なのかアークエネミーの組織なのかもはっきりしてない。
 分かってるのは。
 どうやらJBは今の世界に不満を持っている事。そしてどういう訳か、七つの大罪の義母さんでも吸血鬼の姉さんでもゾンビの妹でもなく、直で人間の僕を狙ってきている事だ。人質に取るとかじゃなくて。
「……、」
 義母さん。実はアークエネミー・リリスとかいう神話レベルの大物でもある天津ユリナは街の外に締め出されている。そこでのんびりしているという事は、裏を返せば『どこかの誰か』の攻撃の対象外で捨て置かれている、と見るべきだ。
 つまり、狙いは僕。
 地方一円を丸々飲み込むような事態を作っておいて、たかだか高校生一人を追い詰めるための小ネタだというのだから恐れ入る。
 そして笑ってもいられない。JBは前にもそんな事をしている。東京全体を水没させて、巨大な宇宙船を用意して、カミサマに手を加えて、それら全部は僕にちょっかいを出すためだったらしい。
『あの』JBは、警視庁の留置場で同じ顔をした『別のJB』に射殺されたって話だった。双子のような存在なのか、プリンタで作った立体マスクなのかは分からないけど……。
 とはいえ。
 今回の『攻撃』についてはあくまでもマクスウェルの予測。
 物証のないシミュレーションなんだから、何の説得力もない。
 僕自身さえ、未だに信じられない部分もあるんだ。マクスウェルは僕か義母さんの二択に絞ったようだけど、これだけの大都市だ。仮にこれが不幸な事故ではなく明確な悪意を持った攻撃だったとしても、もっと他に多くのターゲット候補がいても良いんじゃないかって。
 ……そういう風に心が逃げているっていうのも承知しているんだけど。

『分かりやすい爆発や閃光がないので実感を得にくいかもしれませんが、状況を放置すれば七日以内に供饗市全体の都市機能は完全に停止します。すでに一〇万七〇七二回演算を繰り返しておりますので、これについては間違いありません』

 元々この街は地形や気候的に災害が多い場所だった。そいつを逆手に取って対策研究やセキュリティ企業の誘致を進め、減災都市なんて通り名で呼ばれるようになったくらいだ。
 それが、こうもあっさり。
 まるで免疫の全くない未知の病にでも触れたような有り様だった。
 これが本当に僕一人を狙った人災かどうかは分からない。だけど僕を疎ましく思う人間がいるのは事実なんだ。
 ……前はそれで国内最大の電波塔をへし折られ、暴風雨で水没した街を自衛隊に追われながら進み、宇宙へ飛ばされる事態にまで発展した。
 一週間で都市機能は崩壊する。
 今日でその三日目が終わる。
 このまま状況の悪化を放置して、警察も消防も機能しなくなったら? どさくさに紛れて命を狙ってくる、くらいはあってもおかしくないんじゃないか。

『ユーザー様、ご決断を。すでにゲームが始まっている以上、出遅れれば被害が拡大するだけです』

 僕はハッカーじゃない。
 知り合いのアナスタシアはそういう風に担ごうとしているようだけど、こっちはあくまでもマクスウェルを組むために学んだ技術に過ぎない。
 使うのか。
 明確に敵がいるかどうかも分からない『予測』の段階から、先にミサイルを撃っておけくらいの感覚で、危ないものだと分かっている手持ちの技術を。
 それは。
 天候を自在に操り、神々の属性を切り替えて手駒とし、シミュレータの力を借りて悪事を行う『連中』と……もはや何も変わらないのでは……。
「なんか今日は忙しいね」
 のんびりとソファに腰掛けて膝を貸すアユミが呟いていた。
 妹の言う通り、ニュースキャスターは横から渡された原稿に急遽目を通している。
『たった今入った情報です。交通統合センターより、供饗市を中心に周辺一帯の高速道路や幹線道路に対する交通封鎖が発表されました。これは沖合いの貨物船事故から派生したマイクロプラスチック、通称「雪」の影響で……』
 列車に続いて、道路まで。
「陸路は全滅か」
「ふぐ。ねえこれトラックも? コンビニとかどうするんだろう」
 海上は燃え続ける貨物船とそれを取り囲む多数の消防船舶が封鎖してしまっているし、飛行機だってもっと早い段階から止まっている。どこにでも入り込んで熱を浴びれば簡単に溶けてしまうマイクロプラスチックは、エンジンの天敵らしいのだ。
 つまり。

 これで街は閉じた。
 どうやら逃げ場はなさそうだった。

 

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