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吸血鬼の姉とゾンビの妹が雪にやられて立ち往生しているようだけどどうしましょう……イミテーションだけど
第一章

   1

「わあー」
 翌朝の事だ。
 自分の家の屋根を見上げて思わず声が出てしまった。
 すぐ後ろをきゃっきゃはしゃぎながら小学生が何人か走り抜けていく。今はもうあんな歳の子でもケータイスマホを買ってもらっている時代だ。どうやら晴れの日に降り注ぐ雪のおかげでプリズムみたいな七色に空気が乱反射するのが面白くて仕方がないらしい。カシャカシャピロポロ、電子音を鳴らしながらひたすら写真を撮っている。
 もはや当たり前みたいな顔で、みんなマスクが手放せなかった。水と食料の次くらいに必需品だ。
「ざっと一〇センチくらい?」
『ノー。八センチもあれば良い方です』
 子供達に交ざって頭上にスマホをかざしながらそんなやり取りを。僕達が注目しているのは屋根だ。そこには人の足や車のタイヤで踏み荒らされる事のない、自然なまま(?)の積雪が確認できる。
「……だとすると、一時間に一センチくらいか」
『今回のケースですと、マイクロプラスチックの比重は水より重たい事が確認されております。従って屋根も油断はできません』
 この雪は本物じゃない。日中太陽の下に置いておけば勝手に溶けて屋根から滑り落ちてくれる訳じゃないんだ。
 昨日まではしれっと父さんや義母さんが大人パワー全開で雪かきしていたんだけど、この辺も僕達が何とかしないといけないかもな。
 ……でも気をつけないと。
 マーメイドとかダークエルフとか、後はセイレーンなんかもいたかな。供饗市では意外とあちこちにアークエネミーが暮らしているんだけど、彼らは不気味なくらいなりを潜めている。
 警察も消防も動かない。外からの支援もあてにならない。見た目はのんびりしてるけど、でも冷静に考えたらかなりの状況だ。
 おそらくだけど、ルールのなくなった孤立空間で下手に目立つ行いを避けようとしてるんだと思う。それは不死者同士を殺し合わせて数を減らそうとした『コロシアム』でタガの外れた人間の怖さが骨身に沁みたからか。
 例えば人間の何十倍の筋力を持つアークエネミーがいたら、こっちの雪かきやれよウチの屋根の雪下ろしも頼むよって四方八方から迫られるかもしれない。宝くじで大金を手に入れた人と似た感じで。そうなったら他人の世話だけでへとへとだ。家の屋根は心配だけど、姉さんや妹任せにして『ウチだけ安泰』にしてしまうのも別の意味で危ないかもしれない。
『落とした雪もまた問題ですよ』
「分かってる」
 やっぱり屋根から落としておしまいとはいかない。自然に溶ける訳じゃないんだから、太陽に任せたり側溝に落とせば済む話じゃない。通行の妨げにならないようおざなりに道の端へ寄せた山は、すでに僕の背丈を越えようとしていた。
「ナントカ資源とかって適当なラベルを貼って、お金に換算してしまえば良いんだ。そしたら黙っていてもみんなで奪い合いになるのに」
『ノー。貨物船火災の折、積載されていた複数の原料物質が混ざり合っています』
「大気中の塵や埃に窒素酸化物とかの汚染物質なんかもな」
『シュア、分かっているじゃないですか。つまりこれらを全て適切に分離してリサイクル事業を回すとなると、コストが折り合わないかと』
 ……採算度外視でもやってくれないかね、と考えるのは流石に子供の理屈か。ビジネス以外、例えばどっかの大富豪とかが慈善の寄付金代わりにそういうサービスを一つ打ち出してくれたら効果的とは思うんだけど。
 爆弾低気圧で水没した東京なんかはすぐに復活したし、技術自体はあると思いたい。
 と、その時だった。
 かなり慌ただしい感じでお隣さんの玄関のドアが開いた。
「ひゃー。なに、サトリ君いるじゃん? 今日こんなに遅れたの私!?」
「朝っぱらから元気だね委員長。そっちは寝坊?」
 黒髪ロングでオールバック。姉さんみたいにあからさまではないけれど、その分整ったスタイル。いつだってお美しい委員長もやっぱりマスクをつけていた。ただ美人はお得だね。隠れている方がかえって妖しい魅力が増している気がする。僕なんか半分不審者だ。
「昨日の夜に臨時速報あったでしょ、道路が封鎖されるって。今日からコンビニも学食も使えなくなりそうだから、急遽お弁当を作る事にしたのよ。ああもう、おかずは冷凍食品なんだからもっと簡単に行くと思ったのに!」
 そりゃあ何とも計画的なデコメガネ委員長っぽいエピソードだ。あと隣の家の幼馴染みが手作りお弁当ですって、何じゃその金の延べ棒よりもソソる爆上げワードは!? 萌え殺す気か!
「……サトリ君は今日のお昼平気なの? ネットの人なんだから私よりも情報早いはずよね」
 安心なされよ。
 準備は万端である。
「カロリーゲート、四個で一食」
「信じられない、言葉尻を変えただけの乾パンじゃない! 何でわざわざ自分から苦しい道を歩くの!?」
 情報が古いテレビの人はこの言い草である。正直、ワイドショーを信じて赤身の肉だけ食ってりゃ健康になれると考えてる人よりはよっぽどまともなはずなんだけどな。こんな雪に苦しめられる前から、徹夜のお供として業務用の箱買いで大量確保していたのでこっちは助かっているんだぞ。
 委員長は委員長であるからして、両手を腰に当ててこっちをジトっと睨んでから(いやあやっぱりこの人はイインチョポーズがサマになるなあ、お美しい)、
「……サトリ君、その乾パン後で半分寄越しなさい」
「メープル味がお菓子っぽくて羨ましいのは分かるが計算しないと太るぞ委員長」
「代わりに私のお弁当半分分けるって言ってるの! ご自慢の健康食なんでしょ? だったらお互いの口に入れても問題ないはずよね!」
 っ!?
 ガッ!! と思わずガッツポーズを取りたくなるのを必死に堪えつつ。これだよ、この何の脈絡もない謎の面倒見の良さが僕らの委員長なんだよ!!
『なんと! トレードの条件として成立しておりません。どう転がってもユーザー様の得にしかならない提案ではありませんか!?』
 マクスウェルもちょっと黙ってろ。正直に言うと僕だって経緯はサッパリ見えない、再現性ゼロの状況だ。やり直しは効かないんだから絶対このチャンスをモノにするっ!!
 メガネの委員長はちょっともじもじしながら、
「な、なに? 私だって恥ずかしいんだからね。ああもう……この歳になって隣の家の子とお弁当を分け合うだなんて……」
『あ、困り系のリアクションですね。甘酸っぱい感じではなさそうです。汚れた捨て犬を放置したままディナーに出かけると罪悪感が的な行動理由でしょうか』
「うるせえコンテナごと海に捨てるぞマクスウェル。あとお昼休みに教室のど真ん中で委員長からはいアーンしてもらえるなら僕は汚れた捨て犬で全く構わないし!! 委員長はちゃんと空いた左手をお箸の下に添えてくれる気配り上手だと思うのッ!!」
「そっそこまでやるとは言ってない!!」
『……自分から提案しておいて顔が真っ赤とか、デコメガネ委員長はなかなかに複雑高度な思考回路の持ち主ですね。これが世に言うツンデレか』
 違うなマクスウェル。確かにカリカリして怒りっぽいものの、委員長の場合は基本ストレートで心の扉は開けているからツンとは呼ばない。あれは素直になれない、ひねくれている場合につく属性だ。ふっ。甘酸っぱいとか罪悪感とかプログラムのくせにここ最近感情面の単語を頻出するようにはなってきたけど、まだまだ修行が足りないようだな。webの世界にさんざっぱら溢れ返った萌え少女でも眺めて引き続き精進なさい。ツンだのデレだの余計な添加物なんか何もいらない、委員長は委員長であるだけですでに完成していると理解するその日まで。
「あー、この流れだとサトリ君と一緒に学校向かう展開になりそうね」
「うふふ手を繋いでも良いんだよ委員長」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」 「顔くしゃっとして嫌がるのはやめようよ! ここは委員長らしく大声でお叱りをいただく場面でしょ!?」
『理由もなくご褒美をおねだりするからです愚か者』
 そんなケッペキな委員長と通学路を歩く。
 どこも大体似たような感じでマイクロプラスチックの雪と格闘した痕跡はあるけど、対策はまちまちだ。何しろ決まりがある訳じゃないから、家の人が出不精で杜撰な所だと結構道が埋まって片側車線になっているケースも珍しくない。ひとまず、今のところは雪の重みで潰れた家なんかはなさそうだけど……。
「……今日は役所のダンプ来てないのね」
 あちこち見回しながら、委員長が不安そうに言ってきた。
「マイクロプラスチックって溶けないでしょ? 誰かが持っていってくれないと道が塞がっちゃうのに……。車を出さないのって、やっぱりガソリンとかも届かなくなっちゃったから?」
『ダンプは基本ディーゼルだろと小一時間』
「マクスウェル、お前はきっとその六〇分弱で積み上げてきたものを台無しにする子だな?」
 不思議そうな顔をしている幼馴染みに画面は見せられそうにない。委員長は自分の頭に手をやって、
「やっぱり髪に絡みつくわね、例の雪。明日からはニット帽でも被ってこようかしら」
「ダメだ!! おでこを隠したらメガネしかなくなるぞ委員長!」
『ユーザー様は全好感度を一秒で粉砕なさる方ですね』
 意外に思うかもしれないが、こんな状況でも同じ制服を着た男女を結構見かける。学校に到着してみれば、うっすら白く化粧された校舎に多くの生徒達が吸い込まれていくのが分かる。目に見える異変なんて関係ない。誰かが声を大にして明確に止めない限り、いつものサイクルは続く。世の中なんてそんなものだ。
 教室に入ると、朝のホームルームの五分前だった。委員長は焦っていたけど実際の時間感覚はドンピシャで、いつもと変わらない。集まっている生徒は八割くらいだった。残りは慣れない雪かきで腰でもやったのかもしれない。
 ただいつもと違った変化と言えば、
「はーいみんなお静かに。朝のホームルーム始めるよー?」
「?」
 ハキハキとした声と共に教室に入ってきたのはいつもの担任じゃなかった。若い女の先生が我が物顔でテリトリーを侵害してきた。
「いつもの先生は道路渋滞に飲み込まれて使い物になりません。歩いた方が早かったな。そんな訳で代理の佐伯(さえき)です、他にもいくつか教室回らなくちゃならないからさっさと進めるよー?」
 なんて事だ。いっそ先生達が全滅なら大人のせいにして学校を休みにできたのに。半端にガッツのある人は笑顔で伝達事項を消化していく。
 元々は別の学年でも受け持っているんだろう。あんまり縁のない先生だからか、いまいち質問とかは挟みにくい。
「……そういう訳で『雪』はまだまだ詳細不明な部分も多いけど、かと言って必要以上に怖がらないように。一時のトラブルなので時間が解決してくれます。ああそれから」
 何ともざっくりしたビジネストークを一通り終えてから、だ。
「こんな時期で間が悪いけど、今日は皆さんに転入生を差し入れします。はいみんな拍手ー」
 えっ? ほんとに何でこんなタイミングで? そんなどよめきがあった。まあ、沖で貨物船が燃えたのは三日前なんだから、今さら予定は変更できなかったのかもしれないが。
「ちなみに転入生は金髪碧眼の女の子です。歳は一五だけど試験的に導入された六三三制以外の学校から従来のウチにやってきたから学歴はみんなと同じ、しかも特別な才能をお持ちになっております。はい男子は歓喜! ケータイスマホの用意はできたかな、教科書の貸し借りは先制攻撃の基本です。それじゃあ紹介するよ!」
 かつん、という足音が一つ。
 見慣れた教室を侵食していく新たな一石。
 華奢な体に白みの強い金髪。長い髪は単純な三つ編みともちょっと違う、いくつか節をつけて一本でまとめてあった。その髪や肌が、真新しい青のブレザー制服と強いコントラストをつけている。
 その正体は、
「初めまして。私は海風(うみかぜ)スピーチア」
 そこじゃない。
 問題の核心は別にある。
 僕は彼女を見た事がある。それも宇宙船なんて場所で、眩い裸身なんてとんでもないモノを。
 つまりは、

「アークエネミー・スキュラとしても登録されております。皆様、どうかよろしくお願いいたしますね?」

 これは攻撃だと、マクスウェルは言っていた。
 ただの災害じゃない。高確率で前回東京の街を人為的に水没させた連中が関わっていて、僕の住む街をピンポイントで狙って事を起こしたと。
『警告』
 だとすれば。
 どうだ、この状況?
『判断材料が少な過ぎてジャッジできません。であれば当然ネガティブ、最悪の事態を想定したシミュレーションに従うべきです。噛み付かれてからではもう遅い』
 前の事件と同じ時間を共有する女の子が、何の脈絡もなくポンと投げ込まれたこの状況。警戒するなっていう方が不自然じゃないか。
 実を言うと。
 僕は、スキュラ本人の裸は見ているけど直接話した事はないっていう何とも微妙な立ち位置だった。彼女は、宇宙人……として振る舞っていたクイーンの影武者みたいな形で保存されていたからだ。
 普通に考えれば、黒幕にさらわれていた側なんだから害はないはずだ。
 でも、さっきも言った通り、僕はこの人と話した事がない。前回は被害者みたいな立ち位置だったけど、実際にその中身はどうだか分からない。さらわれた先で徹底的な『教育』を受けて性根を曲げられ兵隊化してしまったかもしれないし、あるいはそもそも最初から望んで体を差し出していた可能性も完全にゼロとは言えない。だってこの人を知らないんだから当然だ。
 何だ。
 どっちだ?
 根本的に、こんな大変な時期にわざわざ転校してくるって不自然じゃないか。それとも下手の考え休むに似たり、こいつも僕の深読みに過ぎないのか?
「席はどこでも良いんだけどー、ちらほら休みがいて決めづらいな。今日は何日だっけ? えーとそれじゃあ出席番号的に天津! ア行トップバッターの君が転入生の面倒見といて。であるからして席は天津サトリの隣で決定!! はいみんな拍手ー」
 色を失う僕に向けて、佐伯とかいう女教師はあっさり決めてしまった。
 来る。
 こっちに、僕のテリトリーに。
 ゆっくりと椅子を引いて、すぐ隣まで。ナイフ一本あればいつでも脇腹を刺せる位置までにじり寄られる。
 しかもいきなり机と机をくっつけてきた。
 にこりと笑って、金髪の美少女は告げる。
「教科書は一通り揃えてありますけれど、オプションの地図帳とか参考書は自信なくて。足りないものがあったら見せてもらえます?」
「えっ、あ……」
 こちらの言葉なんて待たない。
 彼女はわずかに身を寄せると、僕の耳元で確かにこう囁いたんだ。
「(そんなに固くならないで。これからよろしく、天津君)」

  2

 天津君天津君、と午前中だけで何回呼ばれた事か。
 こうして見る限り、海風さんは物怖じしない女の子ってイメージしかない。教科書のどこまで進めているか教えてほしい、辞書や百科事典はアプリ版でも構わないのか。そういうローカルルールを授業中に結構聞かれた。
「大事な事ですわよ。始めに押さえておかないとのちのちまで引きずりかねません」
「ふうん、そんなものかな」
 僕自身は転校の経験はない。途中でいきなり教科書の出版社が変わるとか、そういう話に巻き込まれた事もない。
「他にも」
 と、金髪少女はシャープペンシルのノック部分についてる小さなイルカを唇に当て、片目を瞑ってこっちを見てきた。けどちょっと待て。あれ、なんかおかしい。椅子の下で小さく自分のスカートを摘んでいないか、あれ!?
「……長過ぎても短過ぎても浮いてしまいますし、ほんとはこのスカートがどれくらいの長さだと過ごしやすいかも知りたいところではありますが」
「ぶっ!?」
「まあ、こちらについては天津君に尋ねても仕方のない話ですわよね。参考までに、好みを聞いてみるのも面白そうではありますが」
「天津! 転入生の横顔に夢中になってないで早くプリント後ろに回せ!!」
 男の先生に言われて慌てて指示に従った。横顔って言っていたから、多分何に吸い寄せられていたかまではバレてないと思うけど。海風さんは海風さんで、何事もなかったように前を向いていた。一秒前までスカートの端を摘んでいた指先で自分のプリントを弄んでいる。
 なんていうか、もう。
 ちょこんと指先で服を掴まれ、横から袖をくいくい引っ張られるのも慣れてしまった。
 でもって。

「まためんどくさい事になってますね、先輩」

 お昼休みである。
 ……何が面倒かって、教室でお弁当交換会をやらかすのを嫌がったデコメガネ委員長とようやく安住の地・図書室の隅っこを見つけた矢先にもうこれだ。
 ショートのゆるふわ金髪に小柄な体躯、みんなの愛され系後輩ちゃん井東ヘレンその人であった。
 というか。
 固まってる。委員長は不意打ちでシャワーを覗かれたみたいに頭が真っ白になってる。何故そんなにも難解なたとえを持ち出したかって? どうしてもナゾを解きたければ何かと接点の多いお隣さんで夏場は窓の管理がザルな委員長にでも聞いておくれ。
「やっ、これは違うのええと私はホラあのその……!?」
「これがお昼ご飯以外の何なんですか。ちなみに私は同じお弁当でもサンドイッチ派です。小さなおにぎり派のメガネさん、トレードするなら今しかないですよ」
『なんか今日のヘレン嬢はグイグイですね』
「(……実はテンパってると信じたい。そもそも『あの』内気超小動物系の井東さんがすでにできてる輪に切り込んでくるのって、それだけで非常事態のはずだし)」
「先輩、どうしました?」
「さんどいっち食べたい」
 そんなこんなで三つ巴の交換会に。こっちはカロリーゲート四切れしかないから、何と何をトレードするかは割と死活問題だ。一発がデカい。
「ちなみに井東さん、何をどこまで把握してるの?」
「……ひとまず転入生の種族がスキュラで、訳もなく先輩とベタベタしたがっている辺りまでは。どうにも彼女、右も左も分からないからガイド役にすがっている、なんてタマにも見えません。実際、移動教室の時はさっさと一人で出かけてしまうようですし。先輩、タダより怖いものはないんですよ」
「だよなあ……」
 なんか吸われているって自覚はないんだけど、それだけ海風さんが巧妙にすり寄ってきている、って事なのかな。
 貨物船の火災による不自然な『雪』と、タイミングを合わせたような謎の転入生。
 これだけで関連性を勘繰ってしまうのは、てるてる坊主を軒下にぶら下げたら晴れの日が続いたからって理由で習慣化するのとおんなじ迷信……なんだろうか?
 と、
「……まったく、まったくもう。より包括的な『キルケの魔女』という私がありながら。何がスキュラですか、あんなもの。魔女の薬があれば全く同じ異能は手に入るんですから単一のクリーチャーなんて不要です。歳で言ったら私と同じなのにクラスメイトで隣の席とかずるいです、ぷんすか」
 ……なんか暗い顔してぶつぶつ言ってる。変にグイグイなのはこのせいか? そういえば井東さん、具体的にどうやってウチの教室の事情を観察していたんだ。とりあえず校舎の窓にヤモリやカエルみたいに張り付いていた訳じゃないと信じたい。
 とにかく不安を解消したい人ヘレンちゃんに向け、ようやっと委員長も会話に参加してきた。当たり障りのないトークをレーダーみたいにぶつけて距離感を測れるのは、デキるデコメガネの証拠である。
「井東さんだっけ? ツナマヨとか卵とかを見る限り、フードプロセッサーは使わない派?」
「……あ、あれ鶏肉とか野菜とか、繊維の向きなんてお構いなしでズタボロにするじゃないですか。作業が早いのは分かるんですけど、その、いまいち信用できなくて」
 おっ。
 普通トークに突入したおかげか、出だしから変なテンションだった井東さんがちょっと引っ込んだ。……具体的には僕の方に寄って、委員長との間に置く壁役にしようとしている。
 一方のデコメガネ、相手が身を引いたのを敏感に察したんだろう。井東ヘレンの内には踏み込まず、笑顔のまま自分の話へ切り替える。
「私はダメね。楽できると分かったらすぐそっちに逃げちゃう。食器洗浄機とか手放せないし。このお弁当だってそう、おかずの半分は常温で解凍できる冷凍食品だし、おにぎりだって型にはめると簡単に作れるキットがあるんだよ」
「悪い事じゃないと、思います。あの、私の場合、新しい事を覚えようとしないだけですし……」
「ちゃんと食パンの耳を一つ一つカットしてからサンドイッチにしてるのに? 偉いよー、私そういう細かい気配り部分から順に手を抜けないか考え込むタイプだからさ。味は変わんないだろーって」
「ち、違う。気配りとかじゃない、です。お弁当箱を開けた時の、周りの目線が怖いだけ。どうせ自分で食べるだけなのに、誰かに言い訳しながら作ってるみたいで情けなくて……」
 ドアにチェーンロックを引っ掛けたまま隙間から覗くようだった井東さん、いつの間にか身を乗り出して自分から心の内側にあるものを吐き出している事には気づいているだろうか。手から炎を出したり不老不死の肉体を持っている訳じゃないけど、これはまだマクスウェルに演算させたって実現できない、委員長の『力』なんだと思う。
 僕もこれでかなり救われてきた。
 特に、最初の母さんと父さんが連日夫婦ゲンカを繰り返していた頃は。
「……雪、またちょっと強くなってきたみたいね」
 窓の方を見て委員長が呟いた。
 貨物船の火の手にもよるけど、基本的に放出量は変わらないはずだ。それでも風向きなんかで窓に当たる印象は大分変わるんだろう。
「でもあれ、ようは一〇〇メートルだか二〇〇メートルだかの貨物船に詰めたプラスチックの原料が熱で形を変えたものなんでしょう? 供饗市の外まで、何十キロ四方って範囲を覆い尽くすのはおかしくないですか」
「船にあるのはあくまで高濃縮の原料物質だからね。溶けて、冷えて、固まるまでにお腹の中で空気や不純物を蓄えるし、単純計算もできないんだ」
 訳知り顔で語っている僕だって、実際にこの先何がどうなるか見えている訳じゃない。とりあえず爆発が起きたり家が飛ばされたりする事はない。そんなナァナァの気分でここまで先送りにしてしまった。電車も道路も封じられた今からじゃ、もう街の外には出られないっていうのに。
「どうなるんだろうね、これから」
 委員長がぽつりと言った。
 僕達には答えられなかった。

  3

「海風さん、部活とかどうするのー?」
「ええと、部というと……例えば一体どんなものがあるのでしょう?」
「マジか手つかずっ!? あのうー、私達は料理研究会の者でえー!」
「あっ、ずるい! その子にゃ是非ウチのマネージャーになってもらいたかったのに!」
「ちょっと待ってくれたまえ部活限定? 学校には生徒会を頂点とする委員会って枠組みもあってだね……」
 一人が切り込むと様子見モードの箍が外れるのか、なんかあちこちからわらわらと群がられている。やっぱり美人は得だ。しかも小柄なもんだから小動物感が漂っている。
 午後の授業が一通り終わり放課後になると、結構大変な時間がやってきた。掃除だ。この不自然な雪の中でわざわざ窓を開けたがるヤツはいないけど、それでも人の出入りがあると細かい粒が入り込んでくる。繁盛している海の家みたいなジャリジャリ感って言えば伝わるだろうか。
「隣の組、エアコン壊れたってよ」
「マジかっ。家とかどうなってんだ」
 そんな風に言い合いながら廊下へ向かう男子達を後目に、ひとまず教室の机を全部後ろへ。バケツで水を汲んできたのは例の海風スピーチアさんだ。
「言われた通りにいたしましたが、これ大丈夫なんですの? 廊下の蛇口だと浄水器とかはついていないみたいでしたけれど」
「マイクロプラスチックの雪って〇・五ミリくらいでしょ。花粉より大きいから、普通のガーゼやマスクを当てておくだけで何とかなるんだ」
「意外や意外、庶民的ですわね……」
「それより良かったの、あっちの方。掃除なんか用があるなら任せてくれて構わなかったのに」
「転入初日に自分の都合を優先して仕事を押し付ける子になれと? 灰色の生活が待っていそうですわね」
 アークエネミー・スキュラ。
 話が出てくるのはギリシャ神話辺りだったかな。船を襲う怪物みたいだけど、詳しいエピソードまでは追い切れない。
『美しい少女と複数の獣の頭を足したアークエネミーですね。頭の数については諸説ありますが通常は六、魔女キルケが成り立ちに関わる説では三つの犬とあります。つまり詳細不明』
「ソースは?」
『みんなでわいわい集まる悪魔討伐アクションの攻略サイトです。獲りに出かけようぜ!』
 犬の頭。それじゃどうして海に強いのか釈然としないけど、まあ伝説なんてそんなものか。魔女のホウキだって元から飛行に適したデザインをしている訳じゃない。海風さんが犬かき得意だったら可愛いけど。
 ただ、
「(……参ったな。それだと何がどうすごいアークエネミーか分かんないぞ。泳ぎがすごいのか、噛み付く力なのか、人魚みたいに歌声で海に誘い出すのか)」
『伝説では船の上にいたオデュッセウスの部下六人が軽々と食われています。犠牲者は民間人ではなくいわゆる勇者様御一行ですね』
「マジかよ……パーティ全体に即死魔法でもぶつけてくるのか」
『本気出すとかなり獰猛になるとは推測できますが……確かに、「どう」食べたのかは言及ありませんね。犬の頭を使って魚を釣るように、とありますが詳細不明。最悪、ろくろ首のように伸びる可能性もあります』
「どうしました?」
 バケツに向かってしゃがんだままぎゅーっと雑巾を絞っている金髪少女がそんな風に聞いてきた。身を屈めて両手も塞がっているので、短いスカートの裾がイロイロ危うい人だ。
「いやその、えと……」
「変な天津君。早く掃除を終わらせましょう」
 そう。
 初手でいきなりハダカを見ているせいか、今さら当たり前に笑ったり不思議がったりする女の子との距離の測り方が難しいんだよな、この人。しかも本人は見られた事に気づいていない。ドアを開けたら着替え中なアユミや姉さんとは順番が違う。緊張するのだ。
「天津君、この後用事はございますか」
「どうして?」
「何しろこちらに来たばかりですので、学校だけでなく街の事も聞いておきたいなって。お買い物とか、とりあえずどこを頼ったら良いのか知りたいのです」
「……この雪の中で?」
「あら。いつまでも続くものでもないでしょう?」
 金髪で敬語、スキュラの特性。
 これだけ並べると後輩の井東さんが変な対抗心を出すのも分かるんだけど、やっぱり雰囲気は違う。
 井東さんが青くて硬い実なら、海風さんは腐りかけの甘さを感じさせる人だ。口振りこそ丁寧だけど、精神的には上に立ちたい人なんだとも思う。
「こんな感じでよろしいですか?」
「うん、風を起こさないように、そっとね」
 ちなみにホウキでゴミを掃いてから雑巾がけだろ、という分かりきったツッコミは受け付けない。マイクロプラスチックの場合は細か過ぎて簡単に舞い上がるので、乾いた床と格闘するよりとっとと濡れた雑巾に絡めて拭い去った方が効率的なのだ。
 通り一遍拭き掃除が終わると、僕達は机を元の位置に並べ直す。海風さんはカバンの中から新しいマスクを取り出すと、
「それじゃあ行きましょう天津君。街の案内よろしく」
「はいはい」
 スピーチアちゃんばいばーい、という声が廊下に響いていた。この調子だと名前を覚えてもらうのに苦労する事はなさそうだ。
 その時、スマホが小さく振動した。
 画面にはSNSのふきだしでこうある。
『警告。気づいていますか、ユーザー様』
「……?」
『アークエネミー・スキュラはエリカ嬢とアユミ嬢がVR空間上の供饗市で派手に姉妹ゲンカをした時にも確認されています。街の地下、旧「光十字」の研究施設で。到着までの経緯は不明ですが、この街に初めて来たというのは誤りです。彼女は以前にも供饗市へ足を運んでいるはずです』
 それは。
 つまり。
『害意のあるなしはさておいて、嘘をついているのはほぼ確定です。この先、何かあると考えてください』
 ……やっぱり、印象の通りだ。
 海風さんには腐りかけの果実のような甘さがある。口振りは丁寧でも、精神的には上に立ちたい人なんだって。

  4

「買い物するなら大体ここかな」
「駅前かあ。荷物を抱えてここから街には入りましたけれど……」
「ここで見つからないものはネット通販だね。地方なんて駅から離れたらすぐ寂れるから」
「はあ、ワイルド@ハントとかですの? 正直、あまり使わないんですよね。映画とか音楽は見放題のサービスが別にありますし」
 はて、海風さん。リアルもそうだがネットまわりはどうなってんだろ。あの調子だと今日一日でかなりSNS関係の登録は増えたようだけど。
 放課後、初見のラグジュアリー系金髪美少女転入生と一緒に街をぶらぶら。……あれ、冷静に考えるとスーパー難易度高いステージに挑んでないか僕?
 制服なのでスキュラの金髪少女と仲良くペアルック、同じマスクまで揃えて散策を続ける。
「この辺り、港もなかったかしら。陸も海もなんて豪華な話ですわね」
「湾岸観光区駅前繁華街。休みの日にはよその街からも人が集まってくるけど、結局、地方都市だからさ。開発されている所は限られているんだ。地図アプリで見れば分かるよ、このエリアを出ると何にもなくなっちゃう。畑にも駐車場にもなっていない、おざなりなソーラーパネルばっかり」
「……あの手の地図って、目的もなく眺めるにしては広すぎて途方に暮れません? お店までの最短経路くらいでしか使いませんわよ」
 そんなものかもしれない。
 お店のレビューや星の評価も膨大で、どれを信じて良いのか分からない。小さな画面に表示した地図だけで不安が消えるのなら、案内なんて頼まないだろうし。
「とりあえずこの辺りを見て回って、それでも見つからないものがあるなら慣れてなくてもネット通販を覗いてみた方が良いかな。電車で隣街とかに行ってもあんまり品揃えは変わらないし」
「はあ。詳しくは知りませんが、何でも揃うのであれば最初からそちらに頼ってしまえばよろしいのでは?」
「……普段ならね」
 今はもう供饗市は封鎖されてしまった。外からトラックがやってくるのは望み薄だ。……それに生活必需品ってあんまりネット通販に頼りたくないんだよな、プライバシーの塊だから。例えばティッシュの減りが不自然に早いご家庭トップ10とか、企業のサーバーに蒐集されたいか? まあ、これと同じ事はモンスター級のポイントカードとかにも言えるけど。金銭的には便利でも、それ以上に価値ある情報を抜かれているなんて話はザラにある。
「あら?」
 わあわあ、という騒ぎの声が聞こえてきた。割と大きなディスカウントストアの方みたいだ。遠巻きに覗き込んでみれば、出入り口の辺りで老若男女の客達が店員と揉めている。
「そうは仰られてもトラックの配送が遅れておりまして、商品はどれも品薄の状態が続いているんです……」
「うそつけっ、絶対に隠している! 店の裏まで見せろよ裏まで!!」
「浄水器だ、浄水器! わしらはちゃんと分かっておるんじゃぞ。こんな時に電器屋を当たってもラチが明かん。見る者はこういうショップを当たるんじゃ!!」
「ウチには子供がいるのよ! あなたみたいなちゃらんぽらんな若者と違って!!」
 ……揃いも揃ってとんでもない言い草だ。お客様ってだけで神様パワーが溢れ過ぎている。いや、何も買わずに騒いでいるならもうお客様ですらないのかもしれない。
「何でしょうね、あれ?」
「浄水器とか言ってるね」
 馬鹿なヤツ。
 マイクロプラスチックにも色々あるけど、今回の雪は花粉よりも大きい。つまり、花粉マスクを輪ゴムで蛇口に留めておくだけで効果はあるんだ。それでも心配なら、砂と砂利と活性炭でも使ってろ過装置を自作すれば良い。下手に高性能『過ぎる』市販の浄水器なんか頼っても、すぐフィルターがヘタるだけなのに。
「ほんとに商品がないなら何で店を開いているんだ!?」
「売るものがないのに給料だけ出るのか! おかしいじゃないか!!」
「子供の前で嘘つくの? ねえっ、この子の目を見て言ってみなさいよお!!」
 チェーン店だとこういう時もマニュアル通りだから大変そうだ。朝の一〇時に出勤で夜の八時に退社っていうサイクルを変えられない。個人経営のパン屋さんとか喫茶店なんかは『独自の判断』を発揮して、とっくの昔に店を閉めて厳重にシャッターを下ろしているだろうに。
「……ほんとに浄水器があるって思っているんでしょうか」
 時折手を虚空にさまよわせ、でも割って入る事もできずに海風さんは呟いた。
「何か、もう、やり場のない怒りをぶつけられれば理由はどうでも良くなっているような……」
「でも確かに、売るものがないから立っているだけで時給が出るっていうのは羨ましいな。あんな事さえなければパートの義母さんがブチ切れそうな話だ」
「……、」
 その時だった。
 ふと僕の右の袖をきゅっと小さく握り込まれた。見れば、海風さんが不安そうな目をお店の方へ向けている。
 彼女自身、自分の手の動きに気づいていないようだった。
 アークエネミー・スキュラ。
 語り継がれる伝説が正しければ、神話に出てくるような勇者様をパーティ単位で薙ぎ払うほどの力を持っているらしいけど……。
「……何だか恐ろしい話ですね。あの人達も普段から粗暴という訳ではないでしょうに」
 ぽつりとそんな事を呟いていた。
 正直、自分の意見をごり押しするために小さな子供を矢面に突き出すような輩の素の顔なんて推して知るべしとは思うけど……確かに、アークエネミーで少数派な海風さん達が怖がるのも無理はないかもしれない。差別や偏見は何気ない日々ではナリを潜める。五人しか乗れない救命ボートに一〇人の生存者。こういう非常時こそ、悪魔が顔を出す時なのだ。
 エリカ姉さんや妹のアユミ、後輩の井東さん。他にも供饗市にはマーメイドとかダークエルフなんかもいたか。とにかく彼女達の動向もケアした方が良いかもしれない。アリとキリギリスの話は通じない。少数のアークエネミー達が計画的に水や食料を節約していたとして、さっさと食い尽くして勝手に飢えた大多数の人間達がどう思うかは分からないんだ。
 ヤツらはアークエネミーだから。
 そんな、理由にもなっていない理由で逆恨みされたら堪ったものじゃない。そして多数決の大多数を占めている側には許されてしまうんだ、どうしようもない横暴であっても。
「『人』をナメるのも大概にしろよ、コラ!!」
「同じ『人』なんだ、腹を割って話し合っても良いじゃないか」
「あなたには『人』の心がないっていうの!?」
 突き刺すような言葉を散々吐いておいてこれだ。人間の側に立っている僕だって、流れ弾を浴びているような気分にさせられた。

  5

 夜である。
「よいしょ。ま、こんなものかな」
『律儀にやりますね』
 リビングの床に古い新聞紙を広げた上で作業していたのは、やや型落ちした犬型のペットロボットだった。どうやらマイクロプラスチックの雪が中まで入り込んでいたおかげで、接触がおかしくなっていたらしい。外装を開けてエアダスターを吹き付けただけでご覧の通り、元気になった。
「こんなオモチャと思うかもしれないけど、心のケアも大事だぞ」
『そうではなく、無償で修理を引き受けたユーザー様に呆れているのです。非効率ではないですか』
「良いんだよ。僕としては、機械をいじくっていると心が和むしな」
 これでエルフの酒井イオリも泣かずに済む訳だ。同じ街に住んでるアークエネミーとはいえ相手は小学生だし、助け合えるなら何とかしてやりたい。
「ふぐう。お父さんもお母さんも帰ってこないね……」
 リビングで窓の方を見ながらアユミがそんな風に言っていた。
 今日も両親は戻ってこない。SNSのメッセージで事前に教えてもらってはいたけど、いざその時を迎えてみると味わう感覚が違った。自宅にいるのに、緊急事態。明らかにいつものレールから外れてしまっている。
 義母さんの代わりに台所を支配しているのは金髪縦ロールのエリカ姉さん(ガチの吸血鬼)だった。出席日数に余裕があるからか、姉さんはトラブルが収まるまで当面は夜間学校に行く気がないらしい。単位が取れればそれでよしなエプロン美人は僕達とは学校に対する考え方が違う。
「じゃんじゃかじゃーん。本日のメニューはこちらになります。カレーラーイス!!」
「……良いの姉さん? こんな大盤振る舞いで」
「カレーは日持ちしますし、アレンジ次第でバリエーションも確保できますから。お台所の話はデキるお姉ちゃんに任せておけばノープロブレムですっ」
 そういう事なら。カロリーゲートがあればひとまず生きてはいけるんだけど、刺激が欲しくなるのも事実だし。
 ちなみに我が家ではリビングとダイニング、どっちでも普通にご飯を食べる。今日はリビングの方だ。
「いただきます」
「うわっ、お姉ちゃんのカレー甘え!?」
 スプーンで一さじ口に含んだだけでアユミは目をまん丸にしていた。ちなみにエリカ姉さん的には特に失敗ではないらしい。時折ちびちび水を口に含んでいるから、これでも普通に辛いと感じているのだろう。
 何となく点けているだけのテレビの向こうは呑気なものだった。誰にも叱られる事のない、代わりに何の刺激もない雑学クイズが猛暑で延びきったプラスチックみたいに流れている。
『待ってください、待って……。フェイクニュースは出とるんです。そっちじゃない。ぽ、ポスト? 何だったかなぁー似たようなヤツ!』
『まさかのダブルアップを無駄死にか!? 流石は世界一早世田卒を持て余す男、結局この高学歴は何が残ってんだよ!?』
『コンビニのレジ打ちくらいできますよ! あっ、違うこないな小さな笑いで時間使っとる場合やない……ポスト何だっけぇ!?』
 どっ! わっはっは、というスタッフ感丸出しの笑いが挟まる。
 逆だろう、と思う。テレビの向こうで事件が起きていて、安全なリビングからそれを観る。僕達の知る毎日っていうのはそういうものじゃなかったのか。
 と、その時だった。テーブルの上にあるスマホが小さく振動して、ちょっと横に滑った。
『警告』
「サトリくん、お食事中ですよ」
 やんわりと先手を打たれてしまった。
 テレビは良いけどケータイスマホはダメってマナーは理にかなってないと思うんだけどな。とはいえ、ご飯を一〇〇%作ってもらった身としては無下にもできない。とんとんっ、と画面を持ち上げず人差し指で叩いてなだめるようにしてやると、マクスウェルは意を汲んだのかリアクションを返してきた。
 緊急災害警報の馬鹿デカいサイレンで。
「まくすっ、バカお前!!」
『警告っつってんだろこのふきだし出た瞬間にテーブルの下へ潜るくらいの緊張感を持ってください』
「それは今すぐじゃないとダメなのか? 具体的には姉さんの機嫌がみるみる悪くなるのよりひどい事が起きているとでも!? ほらあれ見てご覧超能力でもないのにスプーンが曲がっていくじゃん!」
『大至急』
 仕方がないので食事はいったん中断してダイニングの方へ。
 冷蔵庫に背中を預けてスマホの画面に目をやる。
「何があった?」
『ネット関係を巡回していたところ、ここ一時間で不自然な動きが急速に拡大しました。いわゆるフェイクニュースです』
「そんな事で……? 災害下なんだ、有象無象の馬鹿どもがはしゃぐのなんか珍しくないだろ! 今は誰でも写真や音声を加工できる時代なんだぞ」
『ノー。専門家のようなのです』
 マクスウェルがおかしな事をふきだしに表示してきた。
『SNSや掲示板を中心に投稿が広がっておりますが、まずダークウェブ系のサーバーを介しており発信源の特定を困難にしております。また、順を追って何段階かに分かれる投稿はいずれも心理学を応用し、最短で頭に血が上るよう計算されているとしか思えません』
「……、」
『こちらの参考文献は「堕とす心理学」と「誰にも言えないカウンセリング」の電子版。一昔前に流行った、コールドリーディング系のビジネス書の中に似たような手法が掲載されております』
 ……何で暇な夜にそんな電子書籍へ手を出したのかは聞かないでおいてね。本題はそっちじゃない。
「危険度は?」
『極めて大。少なくとも該当書籍の作者よりは技術を使いこなしております。単に知識を頭に詰め込むのではなく、プログラミングを用いてフローチャート化していなければ実行不能な速度と精度です。振り込め詐欺と同じく、人の心を追い詰めるマニュアルを独自に構築してから事に及んでいる。計画的です』
 さて。
 フェイクニュースと言っても色々ある。動物園から猛獣が逃げただの、災害の前に虫の大群が変な行動を取っただの。どこかの誰かは具体的にどんな情報をばら撒いているんだ。
「書き込みのあったサイトのURLを並べてくれ。自分の速度で調べる」
『シュア。こちらでまとめを作ってしまっても構わないのですが』
 立て続けに英数字だけのふきだしがずらりと並ぶ。自動的にリンク扱いとなった行を指でタップして問題のSNSや掲示板を巡回してみると……。
「……なるほど」
『大型の家電量販店やディスカウントストアが浄水器を隠している、という流言は以前からありましたが、かなり過激な流れに変化しています。具体的な店舗名や警備員の人数などにも言及がありますよ。襲えと言わんばかりです』
 法律について、間違った事も書いてある。大規模なデモや暴動では犯人を全員捕まえると留置場がいっぱいになるので警察は困る。だから何が起きても逮捕はない、だとか。……そんな訳あるか。万引きや痴漢なんかも勘違いされがちだけど、罪は捕まった時じゃなくて起こした時に発生する。その日逃げ切れば無罪放免なんて理屈は通らない。防犯カメラや指紋なんかで証拠が固まれば、後日でも普通に捕まるよ。
「マクスウェル、アカウントを偽装した上で投稿。活性炭を使ったろ過装置の作り方が載ったサイトへのリンクを貼り付けろ」
『三秒で瞬殺されましたね。フェイクニュース投稿者本人の速度とも思えません。すでに一定以上の群衆の視野が狭まり、望む答え以外は受け付けない状態に陥っているのでは?』
「……だとするとまずいぞ」
『だから警告っつってんだろこんにゃろう。襲撃の呼びかけがあるのは家電量販店ヒュージカメラ・湾岸観光区駅前繁華街店。単純に店舗が襲われるのも問題ですが、暴動から火災が発生した場合リスクが急上昇します』
「今は消防が動けない、か」
『加えて言えば、微細な粒子と粒子の隙間に空気を溜め込むマイクロプラスチックは、合成繊維の毛糸と同じく条件が整えば激しく燃え上がります。「雪」と呼称される同物質は街のどこにでも広がっています。推定延焼速度は最大で時速八〇キロ超。シミュレーションの結果、風向き次第では繁華街から始まった火災がこちらの住宅街まで呑み込む可能性もゼロとは呼べない状況です』
 そんな馬鹿な、と思うのは湿度の高い土地で暮らす日本人の感性だ。アメリカやオーストラリアなら、ドーム球場何十個分もの面積が一度に消失する森林火災も珍しくない。いいや、同じ日本だって木造建築が密集していた江戸の街はたびたび大火に見舞われていたらしい。火事なんてのは、消える理由がなければどこまでも広がるものなのだ。
「マクスウェル。店舗周辺の防犯カメラの映像は拾えるか?」
『非推奨のコマンドです。見ても足がすくむだけですよ』
 ……どれだけ集まってんだよ、それ。どこぞのハロウィンみたいになってるのか?
「でもそんな状態なら、今の僕達に何ができる? こっちは機動隊の放水車を乗り回している訳じゃないんだぞ。暴徒をダウンさせたって留置場にぶち込める訳でもない」
『今回のアクションが人為的だった場合、油を撒くだけでは足りないのです。イグニッション、誰かが火種を投げる必要があります。ネット越しの扇動だけで確実な暴動に結びつくかは未知数です』
「……犯人が現場入りしている? 予定通りにイグニッションを実行するか、不発に終わった時のアドリブも込みで」
『十中八九。そもそも事前の扇動でも、街の中にいなければ撮影不能な写真がいくつかありました。実行犯は同じ街にいるのです』
 イグニッション。
 モチベーションだのクリエイティビティだのみたいにカタカナにすると分かりにくいけど、こう考えれば良い。警官隊とギャングが銃を突きつけ合ってピリピリしている中、全く無関係な第三者が不意打ちで風船を一つ割ったらどうなるか。
 着火点。
 暴発は、外からコントロールできる。
 基本的には『元から緊張している集団を驚かす』やり方だろう。火、電気、カメラのフラッシュ、スピーカーからの爆音。よーいドンの合図は色々あるけど、集まってる連中がほんとに浄水器を欲しがってるなら、大なり小なり健康関係で不安を感じているはずだ。
 だとすると、
「マクスウェル、今すぐ特定する必要はない。通りの防犯カメラでハロウィン集団全体をサーチしてくれ、ターゲットは催涙スプレーまたは異臭源になる物質を持っている人間。そいつがイグニッションだ」
『シュア。そんなものですか?』
「だよ。火種だろ、馬鹿でも分かるくらい低いハードルの方が好ましいはずだ。合わない鍵を挿しても意味はないしね、人混みで闇雲にバットを振り回せば暴動になる訳じゃない」
 何百人? 何千人? とにかく暴徒達を全部相手取る必要はない。中に一人または数人紛れ込んでいる、極少数のイグニッションを排除すればこの暴動は不発に終わる。
 こんな消防も動けない中で、山火事みたいな炎に街を呑ませる訳にはいかない。僕だっておっかないけど、警察を呼べる状況じゃないなら放ってもおけない。
 ここは僕が生まれた街なんだ。
「姉さん! カレーは絶対食べるから残しておいて。勝手に捨てたら許さないからな!」
「やだっ。本来お説教するのはこっちのはずなんですけど、そんな大事に扱われたら怒るに怒れないじゃないですか!?」
「ふぐ? コンビニなんか棚はガラガラでしょ。お兄ちゃん一体どこへ?」
 何やらパニクっているエリカ姉さんよりバカのアユミが野性の勘を発揮しかけたので、ボロを出す前にさっさとマスクを掴んで家を出る事にする。
 が、
「サトリ君? 一体何してるの」
 うっ……!?
 玄関を出て三歩で呼び止められた。見れば、真面目でお堅いデコメガネ委員長がスコップ片手に家の前の道を片付けていた。もちろん季節外れの雪と格闘していたんだ。
 バレたら終わりだ。
 こんな所で捕まる訳にはいかないし、カヨワイ委員長を暴動寸前の繁華街まで連れ回すなんて言語道断だ。何が何でも誤魔化してやり過ごすッ!!
「うふふ僕が趣味のブログをやってるのは知ってるだろう委員長せっかく季節外れの雪なんだ写真撮りまくって話題の中心に立つんだい巨大ITに牛耳られたSNSにはできない僕だけのベースを固めるんだー!!」
「……、」
 ヤバいスコップで殴られそう!?
 とっとと嘘がバレて戦々恐々とする僕をよそに、委員長は僕のスマホの方に声を投げた。
「ねえマクスウェル」
『ノー。システムは登録されたユーザー様以外のコマンドは受け付けておりません』
「サトリ君のためになる事をしなさい。素直にゲロるか、サトリ君がスコップで頭叩かれて家まで連れ戻されるのを黙って見るか」
『シュア、ゲスト様。駅前の繁華街で沸騰寸前の暴徒達を止められなかった場合、ヘクタール単位の大火災に繋がるリスクが非常に大です。信憑性についてはいくらでも列挙できますが、それより災害環境シミュレータであるシステムを信じていただきたい』
 あっ、馬鹿!?
 慌てて画面を隠そうとしたけど遅かった。
「サトリ君」
「ダメだぞ委員長。今は困った事が起きても警察がやってくるとは限らないんだ、絶対にあんなトコには連れていけな……」
「エリカさーん! それからアユミちゃーん!!」
「外から呼びかけないでッ! 分かった、分かったから!!」
 つくづく幼馴染みってヤツは、僕のアキレス腱をことごとく掌握しているもんだ……!
「(……マクスウェル、どうにかして委員長を撒く方法はっ?)」
『ノー。仮に撒いても委員長は危険な外を一人でうろつくだけです。繁華街という目的地も提示したので、迷ったら委員長はひとまず単身で駅前に向かってしまうでしょう』
 全部お前がゲロったんだけどな!!
 頭を掻き毟るが、拡散してしまった情報は回収できないのだ。委員長については『知った人間』として扱うしかない。
 考えを切り替えろ。
「……分かったよ。ただし指示には従ってもらうぞ。これから行くのはほんとに危険な場所なんだ。一歩間違えたら大変な事になるし、やり直しなんかできないからな」
「良いけど、丸腰にスマホ一つでそんな所に出かける訳?」
「……、」
 今さらのように黙る僕に、デコメガネ委員長は掴んでいたものを軽く誇示した。
 つまり、雪かき用のスコップを。
「これくらいの用意はあった方が良いんじゃない?」

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