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1
わあっ!! というホームランみたいな大歓声があった。
「最後の罪人はどこだーあッ!!」
「有罪、有罪、有罪、有罪!!」
調理実習室。
ガラスの割れた窓の外、マイクロプラスチックの雪で真っ白になった校庭は完全に沸騰していた。
「……せ、せんぱい」
きゅっと僕の制服を小さく握り込むようにして、後輩の井東ヘレンがこちらに身を寄せてきた。アークエネミー・キルケの魔女。だけど弱々しさの方が際立つのは、やっぱり禍々しい群衆の雄叫びが過去の『コロシアム』を連想させるからか。
僕は。
差し出された包丁のグリップを、しばし眺めていた。
「どうした、早く」
特に急かすでも焦るでもなく、差し出す男子はそう言った。
廊下の方でドライアドの沖合ユウコをねじ上げている別の生徒も。
……疑いがない。
いっそ目がキラキラしてやがる……。
だからいつもの調子で、それが怖い。おそらくこいつらはなだめてもすかしてもトーンが変わらない。クールダウンさせても挑発しても、犯人を殺すべしって思考が止まらないんだ。交渉の窓口がない。押しても引いても爆発するなら、せめて刺激しないくらいしか打つ手が見当たらない……ッ!?
秩序を乱す。
『犯人』側って思われたら、致命的だ。
だから、ここで包丁を掴まないって選択肢はない。躊躇って、万に一つでも疑いを持たれたらもう終わりだ。でも、掴んだら掴んだでどうなる? 何か取り返しのつかないレールに載せられつつないか、僕達。
包丁男子は言う。
爽やかに。
「声が聞こえるだろ、みんな待ってる。さっさとこいつら引っ立てて、罪人を横一列に並べよう。バラバラにやるより効果的だ」
「こ、効果?」
「そうだよ。平和を守るため。ルールを破ったらこうなるって、一度できちんとみんなに教えないと。何度も何度も同じ事をしたら、無駄な命を散らす羽目になる。不発で終わっちゃ可哀想だろ、罪人も」
……今さらだけど、地に足はついているのか?
平和を守るとか、無駄な命とか。丸っきり、言葉の中に形として残るリアル感ってものがない。ネットゲームでクエストを進めているんじゃないんだぞ。
何で平和を守らなくちゃいけないんだ?
無駄な命を散らすって、そいつは手を汚してまで絶対やらなきゃいけない事なのか?
災害が終わったら普通に警察もマスコミもやってくるんだぞ。カメラの前で同じ事が言えるのか。マジメに自分ルールを語ったって笑い者になるだけだって、もうそんなレベルの想像もできなくなってるのかよ……。
流れに乗ったら行き着く先は人殺し。
だけど脱線したら、寄ってたかっての殺される側に転落だ。
「(ど、どうするんですか先輩?)」
こちらにひっついたまま、青い顔した後輩ちゃんが耳打ちしてきた。作戦会議のためのモーションだった、とまで余裕はないか。今だって、制服越しに細かい震えは感じられる。
だけど、瞳がキラキラした正義の使いの真ん前でいちいち声に出して言葉のやり取りを繰り返すのもおっかない。スマホの画面だけチラ見せしておく。
メッセージのログはこうだ。
『マクスウェル、登録情報をチェック。連中の中に特別なアークエネミーはいるか?』
『ノー。とはいえ先ほどもドライアドとシービショップの取り違えを検知できなかったので、システム自身の信頼性は低下しておりますが』
『機械のくせに卑下するなよ。生身の人間で数は三、武器あり。飛び道具なし。とはいえ刃物もあるし、井東さん頼みにはしたくない』
『なら沖合ユウコと神野セリナを味方につければ四対三で、しかもこちらはほぼアークエネミーのみです』
『そんな簡単に進むのかな。さっきまで殴り合ってたのに』
『立場とは流動的なものですよ。掌返しは暴徒達が証明しています。自分の命という共通の利害がある間なら、向こうも手を貸さざるを得ないはず』
井東さんの表情が動いてしまわないかちょっと怖かったけど、方針くらいは打ち合わせておかないとまずい。何しろ自分以外の命までかかってる。
沖合ユウコに神野セリナ。
二人ともダウンしているけど、どこか折れている訳でもなければ首やお腹を殴られて奇麗に気絶している話でもない。
そもそも力が抜けているのは何故か。
二人はどうして調理実習室へやってきた?
ガタイの良い男子生徒がさらに促してくる。
「早く行くぞ。みんな待ってる」
「ああ」
言って。
ゆっくりと息を吐いて、僕は差し出された包丁のグリップを握り込んで。
足元にあった大きな袋を、力任せに蹴飛ばした。
「ほらよ! お待ちかねの塩だ!!」
何はともあれ、まずは廊下。
神野セリナはガス爆発で全身を叩かれたけど、ドライアドの沖合ユウコは真水のせいで力が抜けていただけだ。水浸しの廊下に塩を放り込むだけで本来の実力を取り戻す。
ゴッガッッッ!! という爆発じみた轟音が炸裂した。
倒れていた少女の全身からチョコレート色の竜巻みたいに噴き出したのは枝か、根か。
「なっ……!?」
目の前の体育会系が叫ぶけど、ヤツが差し出していた包丁は僕が受け取って……つまり遠ざけている。
ガタイは良くても、もはや丸腰。
叫ぶだけで良かった。
「井東さん、任せた!!」
試験管の液体を喉に通す小さな音と同時だった。
びゅるん!! という水っぽい唸りと共に透明な鞭が何本も空気を引き裂いた。その表面にびっしりと毒針を植え付けた、クラゲの触腕。ビンタの一発でももらえばひとたまりもないだろう。床に転がった男子は背中を弓なりに逸らした不自然な姿勢のまま小刻みに震えていた。
万力みたいな音がした。
ドア枠を五指が掴み、あれだけ気弱だった沖合ユウコが鬼のような形相で調理実習室を覗き込んでくる。
「セリナちゃん……ッ!!」
「分かった、手放す! 人質に取るつもりはないから穏便に頼む。井東さんも手を出すなよ!!」
……しかしあれだけ踏みつけにされてもまだこうか。永遠の友情って言えば聞こえは良いけど、どこか歪みのようなものを感じなくもない。
そして今はそれよりも、だ。
キラキラ目のさわやか処刑役を倒したんだ。あんなのでも、ここでは正義。この状況で『流れ』に逆らったって事は、
「……これで『学校』を敵に回したぞ、今度の今度こそ」
まずは前提の確認だ。
イライラしても仕方がない。
「校庭に人が集められてる。生徒会の地味会計に、視聴覚室でダウンしたアークエネミーが三人。横一列に並べての公開処刑なんかさせる訳にはいかない、あいつらを何とかして逃がさないと……」
対して、沖合ユウコは即答だった。
彼女はぐったりした神野セリナを両手で抱き起こしながら、
「あたしはセリナちゃんと一緒に逃げる」
「ああそうかよ、なら塩の袋は多めに持っていけ」
「……、」
かえって、探るような沈黙があった。
まさか引き止めてほしかった訳じゃあるまいに。
「……敵か味方か分からないヤツらになんかいつまでも背中を預けられるか。だったらいない方がマシだ、さっさと行方を晦ませば良い。ただし、勝手に逃げて勝手に捕まった場合はもう助けないぞ。僕達だって全身タイツのヒーローじゃないんだ、いつでも間に合う訳じゃない」
「先輩っ」
井東さんが呼びかけてきた。
単に僕を沖合や神野から引き離したいって訳でもないようだ。小さな後輩はガラスの割れた窓の方に寄っている。
「あれ、あの人。先輩の知り合いじゃないですか!?」
「っ?」
今目を逸らすのは怖いけど、でもどうしても気になる一言だ。改めて窓から外を見てみれば、校庭には優に一〇〇人以上集まっている。あれだけいれば群衆の中にクラスメイトがいてもおかしくないけど……。
「違います、真ん中。中央に立っているの……あのメガネの人って」
「委員長……っ!?」
横一列に並べて正座させられている『罪人』とは別に、だ。
振り下ろせば頭の一つでも割れそうな雪かき用のスコップを渡されたまま、目を白黒させているデコメガネの幼馴染みがいた。望まず壇上に立たされ、降りる方法を失って右往左往するように。
その目尻には涙のようなものが見て取れた。
このままじゃ。
このままじゃ委員長が処刑人として手を汚す羽目になるっていうのか、ちくしょう!! しかも拒んだら拒んだで四方八方から怒りの手が伸びてくる格好だ、今のままじゃ逃げ場がない!!
……携帯電話の着信音が響いたのはその時だった。
僕のスマホじゃない。
井東さんも首を横に振っている。
そして気を失った親友を抱き寄せたドライアドが、鞭みたいにしなる木の根を使って何かをこっちに弾いてきた。
片手で受け取ると、倒れた男子生徒の懐にあった高性能のガラケーみたいだ。
通話だけど、画面に表示された登録名を見るだけで軽く呻いた。
ヒントはあったはずだ。
……生徒会会計の校内放送しか知らないはずの群衆は、どうやってその奥にいたアークエネミー五人の情報を掴んだのか。
……先に逃がしたはずの委員長がどうして矢面に立たされているのか。もっと言えば、彼女は誰と一緒に逃げた?
出るか、無視するか。
悩んだけど、これが定時連絡ならどっちみち異変そのものは知られてしまう。それなら少しでも情報が欲しい。
ゆっくりと深呼吸してから、通話のボタンを押した。
「……海風スピーチア」
『あら勇ましい、持ち主の声真似とかで誤魔化そうとは思わなかったんですのね』
そう。
彼女ならできる。
消火ホースを抱えて生徒会会計から話を聞いていた時、海風は経過の報告を耳にしていた。地味会計の裏にクラスの人気者軍団がいる事も掴んでいたはず。
それに委員長と一緒に立ち去ったのも見逃せない。裏を返せば、不意打ちして人質にだって取れてしまう。
理由?
知るかよ、とにかく物理的にできるのはこいつ一人しかいない。敢えて無理矢理ひねり出すなら、残りは透明人間か盗聴器で盗み聞きされてた可能性かな。どっちに賭ける?
「……それにしたって、よくもまあ女王の座に収まったもんだ。華があるって言っても、ほとんどよそ者の転入生だろ」
『インサイダーと同じですわよ。あらかじめ先の展開が分かっていれば、自分の利になる振る舞いもできます。これはコントロールされた混乱で、放送の裏に別の黒幕がいると大衆に訴えるとかね。当初は白い目で見られましたが、実際その通りだったと分かればご覧の通り。信頼という名の儲けがゴロゴロ転がり込んできてくれましたわ』
災害下では個人個人の警戒心は自然と高まるものだ。でも同時に集団でまとまって安心したいって心も強くなる。
一回、何かのきっかけで心の殻を破ってしまえば。
警戒心の奥にある、依存の心まで一気に貫いてしまう。
転入生。
ある日突然現れた、ミステリアスで清廉潔白な群衆のリーダー。
「……今やアンタはジャンヌダルクか?」
『分からなかったでしょう?』
言葉が、飛んだ。
どうやっても主導権をキープしたいからか。
本来なら出さなくても良いはずのカードを表にさらしてまで、海風スピーチアは自分の饒舌さをキープする。
『アークエネミー・スキュラ。ギリシャ神話で勇者達の船を襲って実に六人を殺した不死者。ですけれど、怪力や歌声など、具体的に何をもってそれほどの犠牲を生み出したのか。分からなかったはずですわ。だって、スキュラには何もなかったんですもの』
「……、」
『カリュブディス。同じ海にはもう一つ、別の不死者がいたのです。大量の海水を飲んでは吐き出し、一日に三回海を荒らして船を翻弄する巨躯の怪物。スキュラはその隙に乗じて、嵐の船へ乗り込んだに過ぎません』
巨大な怪物。
その混乱を利用するアークエネミー。
「……アンタは、今にも沈みそうな船の上で死の恐怖に怯える人達が生み出す、パニックそのものを味方につける不死者だったっていうのか?」
『じぇい、びい』
ゆっくりと、区切るような言葉に心臓が跳ねる。頬を寄せるようにして音漏れを拾っている井東さんはかえってキョトンとしたかもしれない。
だけど、その響きには覚えがある。
マクスウェルだって最初から警告していた。マイクロプラスチックの雪は高確率で人為的な攻撃で、転入生の言動には不審な点が見受けられるって。
JB。
分かっているのは、少なくとも個人じゃない。『前のJB』は警視庁の留置場で不自然に殺された上、その一部始終を動画サイトに上げられていた。
生粋の軍用シミュレータ・フライシュッツ。
ブードゥーのボコール達が材料を用意した、ガラクタの寄せ集めとは違う。今度の今度こそ本気の演算機器。連中にとっては、末端の人間よりも中心の機材の方が大切みたいだけど。
その名を出すか。
マクスウェルの『最悪の可能性』じゃない。アンタ自身の口から……!!
『JBの海風スピーチアですわ。私はあなたに用がある、そのためのお膳立ても済ませました。……それはそれは大事な方なのでしょう? あなたが処刑を行わないなら、彼女に任せます。なあなあで時間の経過に任せれば、まず怒り狂った全校生徒の皆さんがカワイイ委員長の手足を掴んで八つ裂きにするでしょう。いちいち私が個別に命令を飛ばすまでもありません、自然とそうなりますわ。すでに、そういう風にこの小さな世界は書き換えましたから』
……こいつ。
こいつ!!
『たった一人で雄叫びを上げて勇ましく助けに来るなら、それでも構いませんわよ。「勇者」は私の大好物ですし。ただし開けた校庭に死角なし、流石にあなたも倫理が壊れて血に飢えた男女一〇〇人以上を同時に相手取るのは難しいのではなくて? アークエネミーですら、人間の数の暴力には脅えるものですしね』
「……さてどうかな」
『あらあら可愛らしい、必死のブラフは不発に終わりましたわね。お得意のスマホで何がどこまでできますか? 開けた校庭に原始的な暴力の塊。アナログを極めれば、デジタルの付け入る隙はなくなる。そういうものでしょう?』
そこまでだった。
一方的に通話は切られた。
「JB……」
『シュア。始めから警告してきました』
「けど、海風のSNSは? 全部が全部偽装だったら前の学校の友達はどうなるんだ」
『前の学校でもその前の学校でもボロを出さなかったか、あるいは登録者全員がJBの後方支援という可能性は? 見かけの登録は必ずしも信憑性を担保してくれるとは限りませんよ』
「……、」
海風からは、具体的なリミットの指示すらない。今すぐ行動しなければ罪人より先に、処刑を拒む委員長が裏切り者としてまな板に載せられる。実際に、そうする。海風の口振りには余裕すら見て取れた。
「あの野郎、自分の軽口を後悔させてやる……!!」
「ダメです先輩、闇雲に突っ込んでも解決しません!!」
そんな事を言っている訳じゃない。
今は警察も動かない。ここで破れかぶれになったらその時こそ、誰一人委員長を助ける人がいなくなる。それくらい分かっているさ、ちくしょう!
「マクスウェル、工作系のサイトから情報を拾ってくれ」
『ノー、お手製武器なら拒否します。現実的ではありません』
どうやったらそんな馬鹿げた懸念が出てくるんだ。どいつもこいつも無双に憧れてんのか!?
確かに校庭で群がってる生徒達……パニックから生み出された巨大な怪物『カリュブディス』を取り除かないといけないのは事実だ。それも今すぐに。だけどその方法は、殴り合い以外であっても構わないはず。
「欲しいのは気球か飛行船の作り方だ。時間がないから楽な方で頼む。たっぷり空気を溜め込んだマイクロプラスチックの雪に引火性があるのを考えると、できるだけ火を使わない方式が望ましい」
『大空に逃げるつもりですか? 人を乗せるとなるとかなり大掛かりになりますよ』
「だから逃げてどうすんだ、目的は委員長を助ける事! 本体が浮かべばそれで良いんだ」
『積載重量や航続時間にもよりますが、単純なバルーンで良ければゴミ袋とダクトテープ、後は不燃性ガスを使ったスプレー缶があれば何とかなりそうですね』
「ひとまず簡単に落ちなければ何でも良い。ヤツらの欲を刺激しよう」
逃げると言った沖合ユウコとは目が合ったけど、放っておく。どっちみち、変なカリスマさえなければこいつらに大それた事はできない。失墜してしまえばそれまでなんだから。
怪物。
災害環境を丸呑みするカリュブディスは、今やスキュラの手の中だ。
「……時間がない。手伝ってくれ、井東さん」
「はっ、はい!」
2
ゴミ袋にダクトテープ。
あたりをつけるための油性ペン。
カッターナイフよりはハサミが良いかな。後は職員室の方から色々借りてきたけど、
「マクスウェル、燃えないガスってどれだ?」
『成分についてはスプレー缶の後ろを撮影してください』
「……メーカーの言う事なんかそこまで素直に信じる? 回転寿司のお魚だって結構深海魚だったりするみたいだけど」
『廃棄の際の注意書きは、可燃性か否かで文章が違います。念のため、こちらで商品名を参考にネットでも検索してダブルチェックしますが』
隣を歩いている井東さんが、僕のスマホが気になるようだけど勝手に覗くのは、って感じでそわそわしてた。可愛い。別に見られて困る訳でもないので後輩ちゃんにも読めるように画面を傾けた。
つまり何がしたいかっていうと。
『気球は空気を温めて浮かばせるイメージが強いですが、飛行船の場合は空気より軽い気体を詰めて浮力を確保する方が主流です』
僕に対してというより、井東さんに向けての説明って感じだった。何でもユーザー権限の持ち主にこだわるマクスウェルにしては珍しい。
『つまり、空気より軽いガスを逃がさず溜め込む袋さえあれば問題なし。飛行機やヘリコプターと比べれば、原理だけならシンプルなものです』
「だけならな。燃えるガスでやると静電気で爆発するかもしれないから要注意だけど」
道具についてはさっきも言った通り、職員室まで行けば簡単に揃えられた。制汗スプレーを使うのは女子高生だけじゃない。
「よし。いったん屋上に向かおう」
「あの、先輩? 飛行船を作るのは分かりましたけど、それでどうやって委員長さんを助けるんですか」
「確かに今のスキュラは最強だ。学校っていう泥舟の上で、一個の巨大な怪物を飼い慣らしている間なら」
ゾンビのアユミは人間の一〇倍、吸血鬼のエリカ姉さんは二〇倍の筋力を持つらしい。でも逆に言えば、一〇〇人以上が一度に押し寄せてきたら単体での力業が通じなくなるって意味でもある。何より、高い伝染力を持つアークエネミーだからって無闇に噛みついて仲間を増やしたい訳じゃない。そういう意味では恐怖やパニックで多くの人を暴れさせながら膨らんでいくカリュブディスは、最もかち合いたくない敵のはずだ。
だけど、
「海風が作った怪物は虚構に支えられているんだ」
「?」
「泥舟にしがみついて自分の居場所を確保しないと溺れるっていう幻想さ。そいつが恐怖の源になってる。だったら夢から覚ましてやれば良い、船から降りても大丈夫なんだってね」
飛行船は結構な大きさにしないと効果が出ない。わざわざ膨らませてから窓やドアからぎゅうぎゅう押し出すのも効率が悪い。なので屋上で作業する事にした。
ドアが内側に開くのは幸いだった。屋上は平たいから雪も積もりやすい。数センチ程度でも、外に開く扉だったら押し留めてしまうはずだ。
「とっとと始めよう。油性ペンで袋に線を引くから、井東さん、その通りに切ってもらえる? そうしたら丸なら丸、三角なら三角で、記号同士を繋げてダクトテープで留めてもらえると助かる」
『できるだけ隙間のないようにお願いします』
こうしている今も委員長は大勢の前に立たされて神経をすり減らしている。心の傷がいつまで残るかは未知数だ、一秒でも早く解放してあげたい。
一つ五〇リットルの大きなビニール袋をハサミで切り裂いて、展開図みたいな一枚の面にする。それを作例通りに複数繋げてダクトテープで固定していき、全体で一つの大きな袋を作っていく訳だ。
実際には、ワゴン車がすっぽり収まるくらいの、ラグビーボールみたいな塊になった。
口の部分をすぼめてスプレー缶を突っ込み、指で押す。
大きな音と共に、少しずつだけど膨らんでいった。パンパンになると、
「わあ、何もしてないのに屋上を離れていますよ先輩。もう浮いてますけど!」
とはいえこの飛行船、別に何を積み込むでもない。人を乗せるにしてはバランスが悪いし、爆撃用にレンガや小石をしこたま積んだって狙った場所へ正確に落とす技術がない。ただ浮かばせるのと、前後左右上下に操縦するのじゃ難易度が違いすぎる。
そしてそれでも構わなかった。
何も積んでいない飛行船を飛ばし、風に流してしまうだけでも。
ひとまず浮力を得たビニール袋からスプレー缶を引っこ抜いて、袋の口を縛る。一つきりじゃ心許ないから、追加で二つ三つ用意しておいた。その間、先に完成しちゃった飛行船はダクトテープで屋上に固定しておいた。犬のリードや風船の紐みたいな感じでだ。縁の手すりにしちゃうと準備段階で地上から見えそうなので注意だ。
「よいしょ。こんな感じですか、先輩?」
「上出来」
井東さんはどこか嬉しそうだった。助手としてパーフェクトすぎる。
やり方さえ分かれば二回目からは早くなる。人生の役に立つかは知らないけど、何かに没頭できるっていうのはやっぱり楽しいものなんだ。
「マクスウェル、まだネットは繋がっているはずだよな。匿名のアカウントをいくつか作って学校系のSNSにアタック。波状攻撃で次の文章をバズらせろ」
『具体的なメッセージをどうぞ』
もちろん決まっている。
アークエネミー・スキュラ。JB所属の海風スピーチア。アンタが情報を武器にして巨大な怪物・カリュブディスを作ったんなら、同じ情報攻撃で脇腹を刺されても卑怯だなんて言わせないぞ。
「安全な外に逃げる方法が分かった。電車や道路がダメでも、空中コースなら街の外まで出られるはずだ」
メッセージ送信と同時に、飛行船を固定していたダクトテープをハサミで切り、ビニールの塊を大空に飛ばす。
実際に、風で流しただけでの飛行船で何ができるでもない。というかこんなものに人間なんか乗せられない。
だけど『実際』なんか誰も見ていないんだ。
『注目度増大中。飛行船を撮影した写真画像も次々アップされています』
「先に乗った人っぽい喜びの声を追加で投稿。後はもちろん、数に限りがあるから早い者勝ちっていうのもだ」
『シュア。深夜の通販番組方式ですね』
屋上からスマホのレンズだけ出して、こちらを見上げる連中の顔も撮影しておいた。単純過ぎるけど、空撮っぽいアングルから自分達の顔を撮られてアップされたら、こう思うはずだ。
上と下。
地べたにいる自分達は、可哀想な負け組枠として見下ろされる存在なんだって。
結果。
地響きみたいな音があった。
それは白い校庭から校舎に向けて駆け出す、無数の足音の集合体だ。
「先輩、あのこれ……っ!?」
「学校って泥舟にしがみつかないと生き残れない。そこに大空から救助のヘリコプターが降りてきたら? 支配者だった船長が何を喚き散らしたって乗客乗員はもう命令なんか聞かない。我先にヘリポートへ殺到するに決まってるだろ」
今も海風はみんなを引き止めようとしているかもしれない。リアルの肉声で、あるいはネットのメッセージで。だけどもう遅い。統率を失った時点で、アンタのお気に入り、カリュブディスは瓦解した。
ストックしていた飛行船を全部放すと僕は手早く道具をまとめて、
「いつまでも屋上にいたら群衆の手で揉みくちゃにされる。井東さん、僕達も下に下りよう。連中とかち合わない形がベストだ」
「はっ、はい!」
幸い、校舎の階段は一つじゃない。頭に血が上っているって言っても生徒達はバーゲンセールみたいに最短コースを選ぶはず。敢えて遠回りになる階段を選んで地上を目指せば暴徒とはぶつからない。
どんどんどんどたどた!! という音と振動の塊みたいなものが校舎の反対側から響いていた。
小柄な井東さんがびくりと震える。
あっちの階段に巻き込まれたら、土砂崩れどころの騒ぎじゃなかったと思う。
でもこれで、
「……校庭にいる委員長や罪人達は野放しだぞ。怒り狂った人の山で作ったお堀も城壁もないんだ、もうスキュラの良いようにはさせない」
ひとまず一階まで下りて、昇降口で革靴だけ拾っておく。けどこれ、ひょっとしたら上履きのまま外を歩き回った方が楽かもな。
海風は開けた校庭にいるので、真正面の昇降口から出ていくのは危険過ぎる。向こうも牙城を壊されて焦っているはず。スネに傷を持つヤツは大抵最後には似たような行動に出るもんだ。
つまり、
「せ、先輩。あれまずくないですか?」
「……、」
「海風さん、残った人を盾にしていますよ! あれじゃ人質です!!」
分かってる。
委員長に雪かきスコップを渡して罪人を殺せと迫っていたんだ。無理矢理命じていたクソ野郎が無手なんて展開はほぼない。それじゃ自分が鈍器で殴られるリスクがあるし。
群衆を失ったスキュラにできるのは正直に言ってそれくらいだと思う。でもってこっちも悠長に付き合っていられない。どうせ海風のわがままに合わせたって委員長は絶対返してくれないし、屋上に殺到していった生徒達はじきに担がれたって気づくはず。あいつらが下りてくる前にケリをつけなくちゃならないんだ。
いつまでも昇降口にいるのはまずい。
見つかったらより一層面倒になる。
いったん廊下に戻り、近くにあった保健室へこっそり入って、腰を低くしたまま改めて窓際へ寄っていく。
潜望鏡みたいなイメージで外を覗いていくとだ。
「……罪人の連中は後ろ手で縛られているみたいだけど、委員長は腕を掴まれているだけだな。海風の武器は果物ナイフ。アークエネミーとしての腕力がどれくらいかは未知数だけど、少なくともマシンガンを持っている訳じゃない」
そんな馬鹿げた可能性まで並べる必要はあるのか。
と思うかもしれないけど、相手がJBなら話は別だ。何しろ東京を水没させた時は大空を埋め尽くすような巨大飛行物体を用意した連中なんだし。
「けっ、けど……」
僕と一緒にうずくまる井東さんはおどおどした感じで、
「海風さんをやっつけるだけなら、私でも何とかなると思います。そもそもスキュラってアークエネミーを作ったのはキルケの薬みたいですから。……でも、委員長さんを確実に助けられるかは、話が全く違います。向こうが全力で警戒している以上、かえってこっそり近づくのは難しくなったんじゃあ?」
「とも言い切れない」
即答に、後輩ちゃんは目を白黒させていた。
「マクスウェル、海風が持っているのは果物ナイフだ。セントエルモの火でいけると思うか?」
『シュア。風速二メートル、視程五キロ。この密度なら問題なく。確実性や即死性には欠けますが、少なくとも今から技術室に向かって釘打ち機を改造した狙撃ユニットを組み始めるよりは現実的なのではと判断します』
「金属製品はあれだけじゃない。例えば委員長のメガネのフレームとか、スカートのファスナーとか。そっちに飛び火する可能性は?」
『ゼロとは言えませんが極めて低。というよりセントエルモの火は必ずしも金属製品である事を条件とはしません。元来、木と布で作った帆船のマストで確認された現象です』
「委員長はスコップ持たされてるけど」
『それ以上拘泥するなら計算式全部出力しても構いませんが』
危険なのは分かってる、下手すると昨日と同じく火事になるかもしれない。
と、ますます困った顔になった井東さんが質問してきた。
「あの、先輩? せんとえるもって? 難しそうなお名前ですけど、他に誰かアークエネミーのお知り合いでもいらっしゃるんですか」
「あれはそういうものじゃないよ」
言いながらも、頭の中で必要な条件をまとめていく。
やっぱりインフラが整っているっていうのは素晴らしいけど、家庭用レベルそのままっていうんじゃ心細い。強力に増幅するとなると、電気ストーブなんかが良いかもしれない。派手さは抑えたいからコロナではなくグローで、ゆっくり流し込んでいくためにはアースっぽいイメージが手っ取り早いかな……。
「マイクロプラスチックの雪は、言ってみれば下敷きみたいなものなんだ。激しく擦ると静電気を溜め込む。昨日はそれで火事になったしね」
「はあ」
季節に関係なく表に出しているのか、日焼けで変色した電気ストーブのケーブルをいじくっている僕に、後輩ちゃんは不思議そうな顔で小首を傾げていた。
「でも逆に言えば、こいつは条件さえ整えればこちらから流した電気もストックしてくれる。コンデンサや、雷雲みたいにね」
地べたは流石に難しい。
大地は電気を吸収してしまうからな。
でもやんわりとした風に舞って、空気中にだって目に見えないくらい細かいマイクロプラスチックが踊っている。
僕としては、窓を開ける必要すらなかった。外に面したアルミのサッシにケーブルの端をくっつけて電気を流す。
時間の計算はできない。
でも、さほどかからないと踏んでいた。
「セントエルモの火っていうのは、鬼火や人魂のお仲間だよ。大昔はオカルトだって信じられてきたけど、実際には単なる科学現象だったんだ」
「かがく……」
「そしてスキュラ、海風スピーチアは先の尖った果物ナイフを握っている。こうしている今も」
やっぱり可愛い後輩がいると舌が回る。
社会性や対人関係がズタボロの変人博士でも子犬系の助手を持ちたがるのは、ひょっとしたらこういう所にあるのかもしれない。
「その正体は、先端放電」
船のマストの先が避雷針みたいな役割をした結果、霧や空気の中で帯電していた電気が集まって光を放っていただけだったんだ。
つまり。
「誘電にも使われているロジックさ」
ずばぢぃ!! という爆音が炸裂する。
周囲の空間から飛び出した雷光が、分かりやすい果物ナイフの切っ先へ飛びついたんだ。
表面張力ギリギリまで水を注いだコップへ、さらに一滴の水を垂らしたようなもの。
空気。
マイクロプラスチックの雪。
それらが天然(?)のコンデンサとしてエネルギーを溜め込んでおける間はしれっとしていたけど、限界の一線を超えた途端に電気は一気に牙を剥き、そして身近で一番誘導されやすい場所へと自然と集まっていった。
「ぢぃい!!」
避雷針。
スキュラの持つ果物ナイフの切っ先に。
金髪の少女は金属の刃物を手放さなかった。いいや、感電していて指を動かせなかったのかも。
わずかでも仰け反ってくれれば構わない。
今すぐ近くにいる委員長が刺される。そんな事態にさえならなければ。
「マクスウェル!!」
『警告、電気ストーブの回路を使って増幅したとしても八〇〇ボルト程度ですよ。即死状況ではありません、抵抗に注意を』
一〇〇万ボルトとか書かれたスタンガンがネット通販で普通に買える時代じゃしょぼく見える数字かもしれないけど、それでも水中で人を殺すデンキウナギよりは高出力だ。こんな事を言ったら姉さんやアユミはむくれそうだけど、相手が頑丈なアークエネミーじゃなければ怖くてできなかった。
保健室の窓を開けて校庭へ転がり出る。
委員長やスキュラまでの距離は数十メートル。外に出た途端、頬にピリッとした痛みが走ったけど、これは流石に錯覚だろう。感電していたら僕はぶっ倒れて手足をケイレンさせていたはずだ。
元々インドア系で運動は得意じゃない。それにこの、マイクロプラスチックの雪。砂浜を走るのと同じように、余計に足を引っ張ってくれる。
海風は必ず持ち直す。
それまでに駆けつけて、果物ナイフを取り上げられるか。
事は委員長の命に関わる。
ここにきてギャンブルなんかに任せられない。
だから、
「伏せろ委員長ッ!!」
そう叫んだのは、その場で突っ立ったままのスキュラの腕の振りから委員長を逃がすための忠告でもあったけど、それ以上にヤツの注意をこっちに引き込むためだった。
そして僕の言葉通りにマイクロプラスチックの雪が舞い上がった。
一秒以内。
腕の一振りで掴んで人質を盾にする位置取りでないなら。
何をするか分からない、それこそ飛び道具を持っているかもしれない僕を真っ先に殺さないと安全を確保できない、と。
手の中でくるりと果物ナイフを回した海風は、
「シッ!!」
鋭い吐息と共に、そいつをボウガンみたいな勢いでこっちへ投げ放ってきた。
正直。
街はまともに病院が動いているかも分からない状態だったけど。それでもここで、顔の前で交差した腕に刃物がざっくり刺さったって構わないと思った。
僕を信じて指示通りに倒れてくれた委員長の肌から、確実に刃物を遠ざけられるなら。
「先輩」
実際にはそうはならなかった。
横から透明な鞭みたいなものが伸びて、危なげなく果物ナイフを掴み取ったからだ。
クラゲの触腕。
直線軌道どころか、本来なら変幻自在に海を泳ぐ魚さえ捕らえる得物。
隣を走る後輩ちゃんは頬を膨らませてこう言った。
「格好良すぎです。そろそろ本気で怒りますよ?」
ドンッッッ!!!!!! と。
白い爆発が足元で巻き起こり、僕はその余波だけでひっくり返ったと思う。
井東ヘレンが地面を蹴って雪の上を駆け抜け、海風の懐へ突っ込んだ。
「あなた……ッ!?」
「初めまして同族。同じアークエネミーだからこそ、私はあなたになんか手は抜きません。数の弱者、マイノリティの特権なんかクソ喰らえです」
たったそれだけの話だったけど、状況を把握するまで結構かかったと思う。
あれで。
今ので、余波なのかよ……?
「非力な人間相手なら、素手でも圧倒できると思いましたか? だから果物ナイフは牽制で投げてしまっても構わないと」
さらに爆音がいくつか。
華奢な金髪少女同士の殴り合いが始まった。
アークエネミー・スキュラ。
腰から六つの巨大な犬の頭を生やした海の捕食者。その威力は人間の勇者を一度に六人確実に殺すほど。
一体どんな怪物かと思ったら、いきなり下半身が爆ぜた。ブレザーやブラウスのお腹をめくり上げて現れたのは本人の頭よりずっと大きな獣の頭が六つ。それぞれの顎から下へ、長い髭のように細長い獣の脚が伸びていく。総数一〇本以上。ガツガツと足元の雪を蹴る動きは明らかに生きているものの仕草だけど、人間のそれとは大きく違う。
変化はそこに留まらない。
さらにスカートの下にあった両足は、いつの間にか奇麗に一つの尾びれに変わっている。海自体は人魚の尾びれで自在に泳ぎ、船に上がった後は無数の脚で迅速に船内を移動して、巨大な顎で獲物を捕食する。なんて事はない、海に犬なんておかしいと思っていたけど水陸両用の力を得るためだったんだ。
しかし……。
まず、最初の一撃がどこからどう来るか予測がつかない。
人間相手だったらとりあえず両手か相手の目線にでも注目すれば良いんだろうけど、スキュラだとどこから始めて身構えるべきかで迷子になってしまう。
あの馬より強靭そうな無数の脚で隙間なく全身を蹴りつけられるのか、あるいは巨大な尾びれで顔を叩かれて首ごと持っていかれるのか。もちろん一番怖いのは一度に勇者様御一行をまとめて噛み千切る犬の大顎だ。だけどいきなり大技が来るのか、細かい連携で獲物の動きを確実に止めてから捕食に入るのか、それさえはっきりしないんだ。
なのに、
「……、」
井東ヘレン、止まらずの一歩。
彼女が走る勢いそのまま、躊躇なくスキュラの懐へ切り込んだ事で、いきなり場が荒れた。
「こいつッ!!」
当然、威嚇を無視されたスキュラは即座に動く。
無数に飛び出た脚はあくまでも地上を移動するためのものみたいだ。人魚のような尾びれで足元の雪を蹴って目潰しを放ちつつ、井東さんが怯むのを待たず巨大な獣の顎をけしかける。
が、
「そんなものですか、スキュラ」
井東さんは気にしない。
まず小さな体を振って避けるだけ避ける。
それでも獣の大顎や魚の尾びれに間に合わない時はクラゲの触腕やサソリの尾、蛇の牙なんかで防ぐ。
だけどその都度苦悶の吐息を漏らすのは、むしろ苛烈な攻撃を繰り返しているはずの海風だ。
だって井東さんが防御に使っているのは全部毒針なんだから。
「それなら、もっと大きな力で封殺されても文句はありませんよね。格闘技を習った人の拳は凶器として扱われる。アークエネミーの身体能力だって似たようなものですから」
数を頼みにする人間の群れを前にした、おどおど小動物系とは大違い。
どれだけ相手が強大でも、個人であれば立ち向かえる。そう言わんばかりに。
理屈は通っているようだけど、なんかおかしい。
ライオンは単体だから生身で立ち向かっても大丈夫、って言ってるようなものじゃないか。
「……何だよあの後輩、ラーテルじゃねえんだぞ」
けど、そうか。
悪意の塊みたいな群衆・カリュブディスはいない。人質の心配もしなくて良い。
一対一。
こうなるとキルケの魔女の独壇場だ。
スキュラは凶暴なアークエネミーだけど、そもそもキルケの魔女が調合した薬でそんな姿にされたって説がある。のちにその力で復讐されたなんて話も聞かない。つまり、軽くあしらえる程度の力関係なんじゃないのか?
……あのイカれたバニーガールが進行を務めた『コロシアム』じゃあ、並み居るアークエネミー達を薙ぎ倒し、最後には妹のアユミとエリカ姉さんを一対二で相手取って、それでも新しいクイーンの座に就いていたっけ。
「がららくっ、ば!」
スキュラが何を叫んでいるのかは聞き取れなかった。もはや海風はろれつが回っていない。向こうにとっては、飛び道具がなかったのも致命的だ。自分が攻撃するたび逆に数種類の毒針に刺され続け、体内で動物毒や植物毒が回り始めているんだろう。
一瞬。
単純に殴られたのとはまた違う、奇妙に腫れたまぶたを動かして、スキュラはこっちに視線を振ったけど……。
「よそ見」
ビィウン!! と。
人の腕より太いクラゲの触腕がまともにその顔面を捉えた。横殴り。白い雪を舞い上げる格好で、海風は後ろへ派手に転がっていく。
が、そこで怪訝な顔をしたのは井東さんの方だった。
「しまった、今のはわざと後ろに跳んだみたいです……」
言葉一つ取っても、現実のケンカって感じがしなかった。
改めて見てみれば、海風は学校の敷地を囲む金属フェンスを突き破っていた。ふらつきながらも、雪に覆われた路上で起き上がったスキュラはそれ以上拘泥せずに逃げ出していく。
見た目以上に凶悪な切り札を腰や背中に引っ込めながら、井東ヘレンはどこかドライな感じで呟いていた。
「とはいえ打撃はおまけです。接触自体はしましたから、今のでさらに二〇〇本以上の毒針が刺さったはず。先輩、もう大丈夫ですよ。後は時間が経てば勝手に倒れるでしょう」
「……、」
「あの、先輩?」
黙っていると、急に井東ヘレンからおどおどな部分が出てきた。
今のでやり過ぎて怖がられるとでも思ったのかな。
だけど僕の印象は逆だった。
アークエネミー・キルケの魔女。あれだけ色々応用できる割には、やっている事はまだまだ可愛げがあり過ぎる。やっぱり非道にはなりきれなかったか。
「確認するけど。井東さんが使っていたのは即効性の毒じゃないんだな? いつまで保つかは分からないけど、海風はまだ少しだけ動けると」
「は、はい。アークエネミーとしての系統が似ているからか毒が効きにくいのもありましたし、何より神経に作用する麻痺毒と言っても量が多過ぎると死なせてしまうリスクもありましたから。ただ、早い遅いの違いであって、いずれどこかで限界はきます。もう『倒した』のは確定なんです」
やっぱり、それだとダメだ。
まだ足りない。
ここは四角いフィールドで囲まれた『コロシアム』じゃないんだから。相手に時間なんて便利なものを与えちゃならないんだ。
「……井東さん、ケータイは使える? さっきの殴り合いで壊れていない?」
「えと、はい。それが何か?」
「ご両親や兄弟、とにかく家族は今何している? 家にいるのか、街のどこかで働いているのか、あるいは供饗市の外にいて安全なのか。とにかく全員の安否を確認! 今すぐだ!!」
委員長にも大きく手を振って指示出しする。
僕の場合は両親は街の外で、海風側に『電話で指示出しするだけで人を襲わせられる部下』でもいない限りは安全と見て良い。残るはアユミと姉さんだ。ゾンビと吸血鬼。何気にガードの硬いお嬢様学校通いのアユミよりも、特に危ないのは昼の時間帯って事で自宅の棺桶に閉じこもっている姉さんかな。
一方、目を白黒させる後輩ちゃんは事態についていけないようで、
「あの、ええと、一体何が? これ以上まだ何かあるんですか……?」
「海風スピーチアは追い詰められている。学校っていう城を失って、自力で扇動して膨らませたカリュブディスも瓦解した。単純な殴り合いじゃ井東さんに勝てない。しかも放っておいても全身に毒が回るタイムリミットつき。向こうからすれば絶体絶命で余裕がないんだ。なりふりなんか構わない、気を失う前に逆転しておきたいはず」
「ですから、弱ったスキュラが何をしたって私がゼッタイ先輩を守ってみせますっ」
ささやかな胸の前で両手を小さく握って鼻から息を吐く井東ヘレンは最高に頼もしいけど、今はそういう話をしているんじゃない。
そう。
こっちに来るなら、誰も困らないんだ。
「あいつは一時的でも学校の女王だったんだ。校舎のどんな部屋でも自由に出入りして、あらゆる機材と接触できた」
「それが何か……」
「なら例えば、職員室のコンピュータ、全校生徒の名簿、もっと言えば僕達の住所は?」
「……、」
「校長室でも理事長室でも構わないけど」
ようやく何を言いたいのか分かってきたんだろう。対アークエネミーの勇ましさじゃない。もっとドロドロした、正しい事を言っても嫌われて強い力を持っても毟り取られる……そんな、どうしようもなく理不尽な人間の悪意を前にした時の、青ざめた顔が待っていた。
……井東さんのお兄さんは、確か旧『光十字』関係者だったかな。だけどいつでもフル装備とは限らないし、人間は人間でしかない。ましてご両親は? もしもただの一般人でまだこの街にいるなら、危険度はかなり跳ね上がる。
そう。
最後の瞬間、海風は目の前の強敵よりもへたり込んだ僕に視線を投げていた。
あいつには、そういう素質みたいなものがある。何か困った事が起きたらとりあえずそっちに流れてしまう、クソ野郎の素質が。
「弱った海風が何を使って逆転を狙おうとするかは明白だ。……人質だよ。おそらく僕か井東さんのどっちか、それも学校の友達が使えないならって理由で手っ取り早く家族を狙ってくるはず。だからそうなる前に仕留めないととんでもない事になるぞ!」
3
生活サイクルがまた壊れた。
午後にはなっているけど、まだ放課後じゃない。なのに僕達は学校の敷地を飛び出して街に繰り出していた。
「……、」
委員長はまだショックでふらふらみたいだったけど、でも、だからこそこんな無抵抗な状態であの学校には置いておきたくなかった。ああそうさ。半分はモラルハザードが怖くて、もう半分は単なる僕のわがままだ。手を繋いで引っ張ってでも行動を共にする。
普通だったら、物理的にできるできない以前にやってみようとも思わない事なのに。
「マクスウェル」
『シュア。コンタクト継続中』
とはいえ昼間寝ている姉さんとは繋がりようがない。とにかくスマホでアユミと連絡を取りつつ、一応その辺を捜索してみたけど、やっぱり海風の姿はどこにもなかった。
『マイクロプラスチックの雪は常に降り続けているので足跡も消えてしまいますが、それだけではありませんね。海風スピーチアはスキュラとして追加の脚や尾びれを使っていたはず。重量を分散させて足跡が残らないようにしたり、川やマンホールの中も泳げるかもしれません。平面的な地図アプリを基にまともな逃走経路を想定するだけでは、実際の足取りを追うのは難しいでしょう』
すでに無音のミサイルは放たれている。
着弾前に先回りして撃ち落とせるか。そういう話になってきた。
問題なのは、海風が具体的にどこの誰を狙うかはっきりしないって事だ。
「ど、どうしよう、ああ、どうしたら……」
学校の敷地を出た井東ヘレンは、さっきまでの勇ましさはどこへやらだった。放っておいたら親指の爪でも噛みそうだ。
……けど、こうなると仕方ない。
「井東さん、いったん二手に分かれよう」
「えっ?」
「着弾の候補がいくつもあるなら、一つに固まって確かめているだけじゃ間に合わない。井東さんは確実を取って自分の家族の安全を確保するんだ」
一見突き放しているようだけど、実はこれで正解。井東さんは単独なら無傷でスキュラに勝てる。僕や委員長はお荷物にしかなっていないし、ましてそこに、彼女にとっては赤の他人の家族や姉妹までのしかかってきたら潰れてしまう。
「ただし海風の方が早くて、すでに家族を人質に取られている場合は必ず連絡を入れる事。裏から助けに行く。あいつになんて脅されても、絶対にケータイは捨てるなよ」
「でっでもそしたら、先輩達の方に海風さんが来たらどうするんですか!? 人間の先輩だけじゃ守りきれないでしょう!」
「ひとまずアユミとは連絡を取ってる。あいつもアークエネミーだ、妹と合流できれば多少は変わるさ。逆にこの配分じゃないとバランスが崩れる」
「……、」
「バラけておけば一度に全滅は避けられるっていうのもあるんだ。こっちに海風が来た時はスマホで知らせるよ、助けてもらえるとありがたい」
「……深追いはダメですよ」
井東さんは困った顔をしていた。
だけど彼女だって、自分の家族が心配じゃないなんて事はありえない。
「本当にダメですからね、先輩」
おそらく彼女の方からは離れない。
だから僕の方から片手を上げて、そして分かれ道を進んだ。
委員長はお隣さんだ。
自然と同じ道を行く事になる中、確かに幼馴染みはこう囁いてきた。
「……ねえサトリ君。きっと気づいているわよ、あの子」
「分かってる」
海風スピーチアは悪人だ。
でもチキンで卑怯者だからこそ、実力のランキングには誰よりも敏感なはず。勝てない相手と無理に戦う選択肢なんて絶対に選ばない。
人間とアークエネミーなら、自分でも勝てる人間側を集中的に狙ってくる。
しかもウチの家族構成を知っているなら、昼の間は棺桶の中から出られない吸血鬼のエリカ姉さんなんて、これ以上の『素材』は他にない。
でも、
「正直に言って、巻き込み過ぎた。委員長を助ける前にも何度か戦ってるんだよ、井東さん。崩れた天井の下敷きになってる」
確実な勝算なんかどこにもなかった。
むしろ井東さんに助けてもらってばかり。元からコースアウトしているのに、これ以上は寄りかかれない。アークエネミーだから、ってだけで頼りすぎて、もしも致命的な事になったら責任の取りようがないんだ。
「でも、それであの後輩がありがたがるとは限らないんじゃない?」
「……、」
「まあ、そこできちんと悩むサトリ君だから、アークエネミー達も心を開いてくれるかもしれないけどね」
いつもと同じ帰り道なのに、足取りは重い。一歩ずつ進んでいくごとに、胃袋で錘が増えていくようだった。
そして。
「ふぐ?」
家の前までやってくると、聞き慣れた声があった。
黒髪ツインテールの先を丸めたアユミのヤツが、新聞受けの横にある小さな門の前の道路でぴょこぴょこ跳ねている。
「何よー、急いで帰ってこいなんて言うからダッシュしてきたのに人を待たせるとか……」
……?
アユミの様子からすると、何かトラブルを見つけたって感じじゃなさそうだな。
「海風は? 結局何もなかったって事か???」
「あたしに聞かれても」
海風スピーチアはアークエネミーだ。
スキュラは海の怪物で、僕達人間とは行動範囲が違う。まさか確実に取れる人質なんて目もくれず、この交通封鎖の中で街の外を目指したり、海を泳いで供饗市を離れようなんて考えているのか?
「向こうはどうなっているのかしら。ええと」
「井東さんだよ」
念のため可愛い後輩ちゃんとも連絡を取ってみるけど、
『いえ特に、こちらもトラブルはありません。強いて言うならこんな早くに学校切り上げて帰ってきたから、お母さんがカンカンですけど……』
まあ、普通のサイクルで考えればそうか。
僕達の高校じゃ半分命の取り合いになっていたけど、あんなの学校の外にいる人にはきちんと説明したって実感湧かないし。今やSNSはデマだらけで誰もまともに見てないだろうしな。
と、
『ええと先輩、これからどうしましょう?』
「うん?」
海風は来なかった。
でもそれは、今は、という限定条件だ。足取りが掴めない以上はこの先も警戒するしかない。劣勢の海風にとっては人質作戦が一番安易で効果的なんだ。今は平和でも、一分後にどうなっているかは分からない。
となると、
「とりあえず学校の名簿から検索できる自宅や職場は完全にアウト。海風スピーチアの件が片付くまで、家族共々よそに移るしかないんじゃないかな」
『……えと、どうやってです?』
「部屋を探すしかないけど、ウィークリーマンションかビジネスホテルか。どこも満室なら……治安を考えると車中泊は怖いかな、最悪、漫画喫茶とかスパなんかでも」
『いえそのっ、そうではなくて』
何とも歯切れの悪い後輩ちゃんだけど、僕も気づいた。
どこに、じゃない。
どうやって、と聞いてきた。
『海風さんは上辺は先輩のクラスメイトで、まだ具体的にどこかの家に押し入ったって訳でもありません』
「まぢか……」
委員長と二人で顔を見合わせてしまう。
急に現実ってヤツが襲いかかってきた。
事件が起きるまでは動けない。
何だかサラリー第一な警官みたいな感じになってきたぞ。
『……こ、これでどうやって親を説得するんです? これだけマイクロプラスチックの雪が降っている中、いきなり家を出て外で泊まろうなんて無謀な事。下手すると話も聞いてもらえずにカミナリが落ちそうなんですけど』
4
もしもこれが映画やドラマだったら。
大きな敵や災害が自宅に迫っていると分かったら、何も知らない家族に着替えの詰まったバッグだけ放り投げて、こう叫べば良い。
早く車に乗れ、ナウ!
……でも『現実』だったらどうすんだ、これ?
「ふぐうー」
ちなみにその点では、ウチはまだ恵まれていた方だったと思う。
まず目上の父さん母さんは街の外に締め出されているからほぼ安全で、説得の必要もない。残るは吸血鬼のエリカ姉さんとゾンビの妹アユミで、どっちも普通じゃないんだ。奇妙なくらい場慣れしている。なので、とりあえずナウ! が結構簡単に通じてしまう。
その点厄介なのが……、
「……ヤバいよー。イインチョの家、何だか揉めてない? 玄関から入ったっきり、もう三〇分くらい連絡ないけど」
基本的に堪え性のない妹がそわそわしている。
「ほらアユミ、頭」
「ふぐ。マイクロプラスチックでしょ、手でぱんぱんしても取れなくない?」
……すぐ出てくるものだと思っていたから、僕もアユミも頭のてっぺんにうっすら雪が積もってきた。こんな事なら傘でも持ってくれば良かったな。
海風スピーチアの問題は解決していない。
井東さんはたらふく毒を注入したから『倒した』のは確定で、後は意識を失うまで早いか遅いかでしかないとは言っていた。でも同時に、キルケの魔女とスキュラは関係が近いアークエネミーだから、毒の効きが弱いとも。
つまり確実性はない。
虫の息だろうが何だろうが、海風が完全にギブアップする前に近づいてきて身近な誰かの寝首を掻いたらそれまでだ。一〇〇%の安全を確認するまで、狙われやすい所に家族は置いておけない。
表はマイクロプラスチックの雪。
可燃性については昨日経験済みだ。悪意を持った人間が火種を一つ放り投げるだけで山火事みたいな大惨事になりかねない以上、ここは譲れない。
「……どうする? イインチョから泣きつかれたら」
「どうするってお前、そりゃ僕達からあの人に説明するしかないだろ」
「だからどうやって???」
アユミはさっきからこんな感じだ。
特に苦手意識がある訳じゃないんだろうけど……この感じはあれかな。幽霊を全く信じない人にさっきそこで見ちゃったモノをどう説明したら頭の病院に連れていかれずに済むか悩んでいる、といったような。
ちなみに。
委員長のお母さんは普通の人だ。
対アークエネミー特化の肉体改造を施した実母の禍津タオリとか、まんま太古の魔王・リリスな義母の天津ユリナとか、あの辺のスペシャルレアとは人種が違う。
歳の割には奇麗な人、くらいのほんのりした光を放っているオトナの女性で、ウチと違って完全な専業主婦。パートや内職なんかもやってない。メガネでも委員長と違ってややおっとりな感じだけど、子供の横暴を許すほど気弱でもない。ワイドショーや週刊誌の言ってる事を鵜呑みにしない程度の良識はあるものの、お昼の通販番組に心をやられて健康食品やダイエット器具にたびたび手を出してしまうくらいには自分の欲にも流されがち。確か時短や効率って宣伝文句に弱かったかな。
そう。
良くも悪くも普通の人なんだ。
アユミ達がウチに来る前、最初の両親が離婚まで秒読みで戦争みたいに荒れ狂っていた我が家の窓から眺めると、それがとてつもない輝きに見えていたものだけど……。
「ふぐ、あの人ならお兄ちゃんの方が取っ掛かりあると思う」
「まさか。僕の言う事なら何でも聞いてくれるほど甘い人でもないよ」
さっきも言った『戦争』の頃にはしょっちゅうお隣さんに保護してもらっていた関係で、あの人には食べ物の好き嫌いとか枕や歯ブラシの硬さとか、僕の好みについては大体全部知られている。つまり『お隣さん』ってだけで何の義理もないのに無償でお世話されっ放しだった僕としては、とにかくあの人にだけは頭が上がらない。……そういう意味だとあの人、禍津タオリでも天津ユリナでもない、第三のお母さんの香りもするんだよな。ええい、これ以上ここ深掘りすると色々ややこしくなりそうだ。ていうか僕の人物相関図は一体どうなってる、ぐっちゃぐちゃじゃねえか。
「マクスウェル、対話のフローチャートだけ作っておいて」
『振り込め詐欺のマニュアルみたいな感じでよろしいですか? ただし何をどうしようが実際の効果は望み薄ですが』
後はそろそろ委員長に助け舟を出さないとな。
僕も面と向かって目を合わせながら無茶なお願いを話すと心が折れちゃいそうだから、そうだ、電話越しにしよう。なんか始める前から日和っているけど、マクスウェルが振り込め詐欺とか言うからだ。なんかオトナ相手でも成功しそうな香りがするじゃないか。
そんな訳でスマホ経由で委員長と連絡。
今回の場合はメールやメッセージじゃなくて、通話を選んだ。
が、
「……出ないね。ひょっとして、イインチョ正座でもさせられてる?」
「マジか、そこまでこじれてる?」
頭ごなしにガミガミ怒る印象はなかったんだけどな。叱る時は小さな子供相手でも容赦なく超正論を連発して逃げ場を全部封じてくるから、あれはあれで穏やかな口振りがおっかないんだけど。
何回かコール音が続くけど、ぶつっ、という音と共に切れてしまった。
……?
「どしたのお兄ちゃん?」
「いや……」
通話アプリが消えてホーム画面に戻ったスマホに目をやりながら首をひねる。
……委員長のケータイって、しばらく待っていると留守電サービスに繋がらなかったっけ? 何でこのタイミングで設定いじってオフにしたんだ???
母親に叱られ中でスマホに触れない。あるいはお説教が終わるまで電源を切れと命令された。
じゃ、ないって言うのか?
「……アユミ、念のため確認したい。先に来てたけど、特に異変はなかったんだな?」
「ふぐ。家の中は全部調べたけど、別に何も。誰か潜んでいる様子はなかったし、棺桶代わりの引き出しから寝息は聞こえたよ。昼の間だから開けたりはしなかったけど。そもそもお兄ちゃん以外にあのクイーンサイズのベッドの鍵持ってないでしょ、お姉ちゃん本人はベッド下の引き出しの中から内鍵開けるだけだし」
「なら、お隣は?」
アユミから返事はなかった。
その顔色がどんどん悪くなっていく。
そう。
『いつものサイクル』が継続中なら、自宅はともかくまさか人様の家にドカドカ入って勝手に家探しする訳にもいかない。つまりアユミは外から見て、委員長宅の窓やドアの鍵が壊れていないか確かめた程度だったんだ。
海風は必ずアクションを起こす。
だけど僕の家でも井東さんの家でもなかった。
そもそも僕が自分で言ったじゃないか。卑怯者はだからこそ実力のランキングに敏感で、狙うならアークエネミーじゃなくて人間に集中するって。あいつは、弱い順に狙っていくんだよ。
そうなると。
今のは家に入った委員長からのSOS。メールやメッセージを送る余裕はない。だけど例えば後ろ手で、どんな些細な違和感でも良いから、外に伝えようとしてのアクションだとしたら。
アークエネミー・スキュラ。
あいつは自分からは襲わない。海峡に通りかかる船を待つ不死者だ。
「くそっ、ヤツは委員長の家だ! 網を張ってやがったのか!?」
5
海風スピーチアは待っている。
静まり返ったお隣さんから、委員長の手でSOSも出た。
……その上で大切なのは、暗がりで網を張るスキュラから見て、僕達が気づいた事に気づかせないって話だ。日本語がややこしい? ようは人質を取った相手を刺激するなって事。ただでさえ僕達は後手に回っている。ここから向こうが警戒してしまったらますます手出しが難しくなってしまう。
「(アユミっ)」
ひとまず最初にスマホのSNSで繋がり、ルールを確認させておく。
ほんとの指示出しは画面を通して行う。ここから先、声を大にしての会話は全部フェイクだ。
「アユミ、やっぱり傘持ってきて」
「ふぐ。ついでにブラシもいるかなー?」
ひとまずゾンビの妹については家の方に引っ込めておく。人間とアークエネミーで離れ離れになるのはおっかないけど、でもここはこうするしかない。
……おそらくあいつは見てる。
息を潜めて、カーテンの隙間から。表に立つ僕達の動きをつぶさに観察しているんだ。
だったら、状況を利用するしかない。
ヤツの視線を固定する。
妹のアユミは引っ込んだけど、まだ僕が表の道に残っている。海風スピーチアからすれば不安で仕方ないだろう。特に、手元のスマホは。後輩の井東ヘレンでも呼ばれたら一大事だ。
「……、」
どっちみち、アユミとコンタクトを取るにもスマホは必要で、どうやったってもぞもぞしてしまう。なら逆に、このスマホで海風を脅えさせておこう。僕自身が無力で何もできなくても、スキュラの不安を煽れれば釘付けにできる。まるでエゴサーチの結果に脅えるように。
他人の家に押し入り、内外の出入りを封じて家人を人質に取って、疑心暗鬼に駆られながらカーテンの隙間を頼りに外をぎょろぎょろ警戒するに決まってる。
……もう完璧に犯罪者じゃないか、スキュラ。
末路にしてもみすぼらしすぎる。
謎めいた転入生で、物腰は丁寧だけど心理的には上に立ちたくて、美人で誰にも真似のできないアークエネミーって才能があって……そんな海風はどこへ行ったんだ。
スマホにはSNSでこんなメッセージがあった。ただしマクスウェルじゃない。
『家に入ったけどどうすんのお兄ちゃん』
『お前はフリーだ。スキュラの視線は表にいる僕で固定してる。ただし傘を取ってくる程度の時間だ。長くても三分、それ以上は怪しまれる』
『だから何をすれば?』
『二階のベランダあるよな。お隣さんの窓に飛び込むか、この雪で全部閉まっているようなら屋根にでも飛び移れ』
この二階ジャンプ、おっかないけど人間の僕でもたびたびやってる程度の事だ。人間の一〇倍の筋力を持つゾンビのアユミならそう難しい話じゃないはず。
海風は先手先手で僕や井東ヘレンを出し抜いたと思っているかもしれないけど、アンタが潜ったのは勝手知ったる幼馴染み宅だぞ。
一〇年来の厚みを舐めるな。
『アユミ嬢が屋根から屋根に飛び移ったようです』
『見れば分かるよ』
『システム達はこのまま地上待機で囮を継続ですか?』
『まさか。バカのアユミがヘマした時のために備えておこう』
『ふぐう! グループ単位だから全部筒抜けなんだよお兄ちゃん!!』
アユミはスマホのカメラを使った動画チャットを開いてくれた。画面でSNSのやり取りをしつつ、裏側のレンズでアユミと同じものを見られる訳だ。……ようは歩きスマホなんだから、妹の視界と片手が塞がるのはやや心配ではあるけど。
なのでやり取り自体は相変わらずの文字ベースだった。上端にメッセージがポップアップする形だ。向こうが親指で打ち込むたびに画面がくらぐら揺れてちょっと気持ち悪い。
『人質は最低二人。まずはその位置確認からだ』
『分かってる』
アユミは委員長宅の屋根からベランダへ。
いくつかある部屋の窓を確かめていく。
『二階じゃなさそう。クローゼットやベッドの下までは分からないけど』
『角度的に表の僕が見えないだろうから、少なくともスキュラが潜んでる線はない。それより窓は開くか? 割る必要があるならマクスウェルにやり方を検索させるよ』
『いや、開いたっ。ここから行ける』
窓の一つを開け、アユミは土足のまま中に踏み込んでいく。
『夫婦の寝室って感じだね』
『あんまり覗いてやるなよ。時間もないぞ』
しかし……。
カーテンで遮られていて薄暗いとはいえ、これが安住の地だった委員長宅か?
部屋が荒らされたり、鉄錆臭い液体が床や壁に飛び散っている訳じゃない。それでも得体の知れない禍々しさが充満しているのが、カメラ越しでも分かる。
まるで廃墟の探検だ。
生々しい生活の痕跡があるのが、可愛らしいぬいぐるみやマスコットの笑顔が、逆に取り残されているようで不気味に見えてくる。
『必ずしも海風スピーチアが直接委員長達に刃物を突きつけているとは限らないぞ。例えば両手でカセットボンベを握り込ませた上でダクトテープを使ってぐるぐる巻きにしているとか、遠隔でも人質は取れる』
アユミは最低限、人の隠れられそうなベッドや化粧台の下、クローゼットの中だけ調べると、音もなく部屋を横断して廊下側に顔を出したようだ。顔の目と手で持ったスマホのカメラで視線の位置が違うため、僕からだと廊下の様子は分からない。
『お兄ちゃん。それって最悪、人質二人に犯人まで入れて三点を同時に押さえないといけないって事?』
『手が足りないなら呼んでくれ。外からアシストする』
『だとすると優先はスキュラか』
……妹の言い分はドライなようだけど、これで正解。
確かに委員長やあの人を真っ先に助けてやりたいのが人情だ。でもアユミが一度に確保できるのはおそらく一人だけ。そうなると人質のどちらか、なんて半端な所でカードを切るよりも、その一枚で単独犯の犯人を捕まえてしまった方が安全にケリをつけられる。スキュラが余計な事をしなければ誰も傷つかないんだ。
『二階は異常なし。一階に行くよ』
『待てアユミ。階段は一つだ、しかも学校と違って音は下まで響く。バレたら元も子もないぞ』
……リスクは承知だ、おっかないけどやるしかない。
僕は努めて平気なふりをして委員長宅の前にふらりと。それだけでみっちりと空気が分厚い壁みたいになる。やっぱり見ているな、スキュラ。僕はいきなり敷地には入らず、ポストの横にあったインターフォンのボタンに人差し指を押し付けていた。
「いいんちょーう、まだー? デコメガネやーい」
ちょっと連打しておこう。
海風の注意を引くと同時に、階段を降りるアユミの足音にも被せておきたい。
……罠にかけたいスキュラとしては、僕を見ている事に気づかれたくないはずだ。やっぱり日本語がややこしい? ようは、できるだけ自然な委員長宅を保とうとするはず。この沈黙、インターフォンの連打に対して居留守を使うかどうかで悩んでいるのかもしれない。でも委員長が家に入ったの自体は知られている訳だし、ここで居留守の選択はありえない。
さてどうする。
インターフォン越しに委員長の声真似でもするか、あるいは彼女のスマホでも取り上げて今着替えているから手が離せないとでもメッセージを送ってくるか。
こっちとしてはどうでも良い。
重要なのはスマホで共有しているアユミの視界だ。一段一段、音を立てずにゆっくりと階段を下りていくのがじれったい。
委員長宅のインターフォンのモニタ自体は、確かダイニングの壁にあったはず。スキュラがそっちに張り付いて親指の爪でも噛んでいる場合は階段を降りた玄関先で妹とかち合う展開はない。
……よな?
いきなり玄関のドアにべたった張り付いて、アナログな魚眼レンズなんか覗いていたりしないと良いけど。階段は玄関側の廊下と繋がってるんだ。
妹の足が、最後の段を越えて一階の床を踏んだ。
『着いた』
『一番危険なのはダイニングだ。踏み込む前に周りをチェック。委員長達がいないかどうかは確かめてくれ』
「いいんちょー?」
適当に大声で言いながら、僕は玄関前から車庫スペースの方へ回り込んでいく。庭より先にぶつかるのはお風呂場の窓だ。
曇りガラスの窓は閉まっていたけど、構わずスマホを向けた。
「マクスウェル、偏光パターンを解析して再構成」
『人の姿はありません』
曇りガラスなんてデジタルな乱数モザイク処理に比べたら歪みはずっと少ない。スマホからレーザーを通してどう光が散らばるのか、反射光からパターンさえ分析すれば、『元の画像』くらい簡単に画面表示できる。
……非常時だからね。悪用は厳禁だぞ諸君。
続けて庭に回り込む。今度は曇りガラスじゃなくて普通のガラス。ただし内側に白いレースのカーテンが引いてある。位置的にはリビングだったかな。まあシンプルな布のカーテンなら数字の分析で中の様子を確かめる事はできないけど、
「マクスウェル、カメラのオプションで夜間撮影サポートをオンに。赤外線で撮影」
『シュアシュア。まったくスケベなユーザー様からのリクエストはこんなのばかりで反応に困ります……( ̄ー ̄)』
……白い水着は赤外線撮影で透ける、っていうのは有名なお話。儚い感じのワンピースや窓辺のカーテンだって似たようなものだ。
『反応なし』
「逆に言えば一階で人間二人詰め込める場所はもう限られてるだろ。トイレ、脱衣所、それから一番危険なダイニングだ」
海風のヤツ、自分の足元に人質を転がしているのか? たとえ後ろ手に縛っていたって抵抗される可能性はゼロじゃない。自分がアークエネミーだからって良くやる。
あるいは濁っているのか。
井東ヘレンから受けた毒のせいで、頭が。
それはそれで安心できない。破れかぶれとは似て非なるけど、相手の動きが読めないっていうのはやっぱり怖い。
『アユミ注意だ、スキュラと委員長達は同じダイニングに集まっているかもしれない』
『そのダイニングにいるんだけど』
「ッ!?」
上端のポップアップに心臓が跳ねた。
小さな画面を埋めていた動画撮影アプリを慌ててどける。
しかし。
それにしてはアユミのヤツ、この状況でSNSに打ち込みするほど余裕があるのか? 目の前に人質を盾にした海風スピーチアが立っているかもしれないのに。
改めてスマホで妹の視界を共有してみると、だ。
「……、」
ウチの台所よりもガス台やシンクの高さは低めに抑えてあると思う。委員長のお母さん、あの人の背丈に合った形でデザインされている。キッチンまわりは正直に言うとパソコンやスマホほどお値段の相場はピンとこないんだけど、見た目の印象としては、お手頃でも一つ一つ自分に合ったものを選んで取り揃えたって感じだった。こだわりは伝わってくる。
壁際の冷蔵庫に、足元のオーブンレンジや物入れ。それから調味料のボトルや非常用のカップ麺の入った床下収納まで。
アユミは少しでも人が隠れられそうな扉をパカパカ開けていくけど……。
『誰もいないよ』
『ほかにどこか』
『トイレも脱衣所も調べた、斜めドラムの洗濯機の中も。家にはいない』
「そんな訳ないだろうっ、くそ!!」
もはや演技をする意味もない。
大声で叫んで僕も庭からリビングへ踏み込んでいく。しん、と静まり返った部屋は、土足で踏んでいる事も交えて気まずさみたいな空気で満たされていた。留守中の家へ勝手に入ってしまったような気まずさだ。
ダイニングの方からアユミが顔を出してきた。
一周、してしまったようだ。
ツインバターロールの妹は首を横に振っている。
「マクスウェル、地下シェルターの大扉は?」
『ノー。開放したのはユーザー様の高校のみです。あそこを使って海風スピーチアが出入りするのはおそらく不可能です』
「まだ施設が動いていた頃、あの地下にいた可能性が高いって言うのに?」
『それを言ったらアユミ嬢も条件は同じですよ』
念のため、廊下から地下へ続く階段も覗いてみたけど、実際に降りる前からスマホライトの光を投げるだけで分かってしまう。ここじゃない。銀行みたいな大扉の前でへたり込んでいる人影なんて見当たらない。
玄関先。
廊下で立ち尽くしてしまう。
いない。
誰もいない。
まるで広い海をさまよう幽霊船のように。委員長どころか、そのお母さんや、海風まで。
一体、どこへ消えた?
スキュラは一体何をやった。委員長達は無事なのか!?
6
「……、」
落ち着け、冷静になるんだ。
憶測はいったん捨てて、起きた事を考えてみよう。
まず確定しているのは、委員長が一人でこの家に入った事。
通話に対するスマホの設定がおかしくなって。
そして、忽然とこの家から委員長が消えてしまった事だ。
これ以外は全部憶測だ。
確かに委員長は消えたけど、留守番設定がおかしくなっていたのはSOSじゃなかったかもしれない。海風スピーチアなんて最初からどこにもいなかった、って線もありえる。
だとしたら?
僕達が表の道で待っている間、委員長が自発的に庭側から逃げていった。あるいは(実はこれも、家にいたのかどうかははっきりしていないが)母親のあの人が委員長を脅して連れていった可能性まで……?
「ダメだ、迷走してる」
「ふぐ」
先入観を捨てろっていう考えが強迫観念になってて、これはこれで正常な判断ができなくなっている。ストレートから逃げてる。
素直に積み上げろ。
裏の裏なんて無理に考えて深読みするのはやめて、ヒントを一つずつ重ねていくんだ。その先に何が見えてくる……。
「海風にとって、委員長宅が一番狙いやすい標的だった」
害意はあった、と思う。
ただその割に家の中は荒らされていないし、窓ガラスや扉の鍵が派手に壊れている感じでもない。
本当にたまたま全く無関係な強盗や暴漢と鉢合わせになった可能性もゼロじゃないけど、どうも噛み合わない。
やっぱり素直に考えたら、一番高いのは海風の線だと思う。
庭側、リビングの窓は鍵がかかっていなかった。
委員長のお母さんだってそんな所から人が訪ねてきたら驚くだろうけど、学校の制服を見せて、委員長のクラスメイトですと名乗ればどうだろう。そして自分の口に指を当てて黙るよう伝えてきた少女が、毒を浴びてすっかり顔色が悪くなっていたら。
家の外は危険、というのはあの人も分かっていたはずだ。
でも。
だからこそ、『委員長の友達』という肩書きを持った年端もいかない少女が憔悴しきっていたら、とりあえず中に招いてしまうんじゃないだろうか。赤の他人じゃない。事情も聞かずに危険な外には放り出せないって。
一方で、海風としては必ずしもあの人を騙し切らなくてはならない必要なんかどこにもない。
仮にダメだった場合は容赦なくガラスを割って委員長の母親を盾に取れば良い。罠の構造は壊れてしまうけど、どっちみち僕に対して有利な状況を作れるはずだ。
ただ、
「仮に人質を連れて姿を消したからって、海風にはどんな選択肢が残っている?」
ヤツに自覚があるのか分からないけど、黙っていたって勝手に毒が回って倒れるんだ。
すると、
「ふぐ。冷静に考えると、人質を取って固定の場所で立てこもり、は勝ち目がないような気がしてきた。だって、ここで長期戦になってもスキュラ側にメリットなくない?」
「ああ。でもそれは、人質を連れて逃げ回るのもおんなじだ。時間はこっちに味方してる。無駄な抵抗はやめて出てきなさーい、って遠巻きに声をかけて時間を潰すだけで良い。僕達は犯人を見つけて捕まえる必要すらないんだ」
……だからてっきり、短期の罠。委員長の異変に気づいた僕が不用意にお隣さんへ踏み込んだタイミングで即座に牙を剥いてくると思っていたんだけど。
消えた。
逃げた。
ここにきて、自分からわざわざ引き延ばした……?
『ノー、それもおかしいと思います』
「マクスウェル?」
『アークエネミー・スキュラ。海風スピーチアがここから逃げ出したと仮定した場合、人質二人が消えている状況の説明がつかないのです』
「だってあいつは、そもそも僕達の追い討ちが怖くて、盾に使える人質が欲しかったんだろ?」
『ユーザー様を食い止めるだけなら一人いれば十分です。スキュラの筋力が人間の何倍かは知りませんが、毒にやられて朦朧としている敵側がわざわざかさばる人間を二人も抱えて逃げるのは非合理的です』
「……ふぐう。あんまし聞きたくないけど、どこへ逃げるかヒントをしゃべられたくないから二人とも連れ去ったって線は?」
『ノー、だったら母娘の片方は殺してここに捨てていけば良いでしょう。追い詰められたスキュラ側に遠慮する理由があるとでも?』
心臓が。
見えない糸で締め上げられるようだった。
『スキュラの落とし所も見えません。ユーザー様、もしも自分の体に得体の知れない毒が回っていると分かったら、まず何をしたいと思いますか?』
「……解毒剤が欲しい、かな」
『シュア。敵を倒す倒さない、自分の立場を守る守らない、その前にまず毒の除去を願うでしょう。なのに海風スピーチアは専門の医者も頼らず、真っ先にここへ来た。何故?』
「ふぐ? でもお兄ちゃんの話が正しければ、アークエネミーの毒なんでしょ。不死者の毒なんて普通の病院じゃ対処できないよ」
井東さんの場合はキルケの魔女……つまり動物変身の薬を使う。
元となったオリジナルの動物に対応した血清や解毒剤があれば助かるかもしれないけど、あの透明な触腕だ。どっちみちレア。オーストラリアの猛毒クラゲなんて日本の病院じゃ治療のしようがないだろう。
となると、
「……海風からすれば、途中どこへ寄るとしても最終的には井東さんにすがるしかないと思う。自分の毒に対応した解毒剤を出せって」
つまり、自分よりも強い井東さんを従わせるための人質が欲しい。だから井東さんと近しい誰かを捕まえておきたい。
の、はずなんだけど、
『ノー』
一撃だった。
マクスウェルはこう表示してきたんだ。
『井東ヘレンにとってデコメガネ委員長の母親は友達の友達のようなもので、直接の知り合いではありません。道義的には見捨てられないでしょうが、そこまで胸を引き裂かれるような想いはしないのでは?』
「……、」
『海風スピーチアは、井東ヘレンには勝てません。キルケの魔女、「コロシアム」のクイーンにしてスキュラよりも格上の不死者。パワーバランスは確定している以上、万に一つも反抗は許されないのです。解毒剤だと言われて渡されたのがさらなる猛毒では元も子もない。だとすると、ここへ来るのは遠回り過ぎます』
「ふぐ。だからまず委員長やおばさんでお兄ちゃんを従わせて、今度はお兄ちゃんを使ってキルケ? とかいうのを従わせてって感じじゃないの?」
『ノー。先ほども言った通り遠回りすぎるのです。スキュラ自身は、自分の意識がいつまで保つか計算できない状況にあります。一刻も早く、と考えるのが妥当でしょう』
ストレートに解毒剤狙いなら、多大なリスクはあっても井東さんの家族を直接襲って人質にし、彼女に交渉を迫るはず。毒のせいで後先がないなら、現実的なリスクについては目を瞑ってギャンブルに走るのがセオリーだって言いたいのか。
けどそうなっていない。
……じゃあ海風がここへ来たのは、何か別の目的があったって話になるのか? それが分からない限り、消えたスキュラの行き先を割り出す事も叶わない。
妹のアユミは何か言いづらそうな感じで、
「そ、そこまで深く考えてないのかも? 破れかぶれになって道連れを欲しがっているだけなんじゃあ……」
『ノー。非合理的な感情面の行動理由を完全に否定する材料はありませんが、誰でも良いならピンポイントでここまで来ないはずです。例えば自分の城である学校まわりでマイクロプラスチックの雪に火を放ち、全校生徒を巻き添えにするという案もあったのでは?』
想像するだに恐ろしい光景だけど、でもそうだ。海風には何か目的があって、そのために行動している。人を連れ去るっていうのは、僕がパッと思い浮かべるよりずっと大変なはずだ。猫をケージに入れて獣医さんの所まで運んでいくのとは訳が違うんだ。
海風はここに来た。
何故?
ここで殺さずに委員長達を二人とも連れ去った。
何故?
「海風は僕の家と委員長の家、二つ並んだ家で敢えて委員長側を狙った」
「だから、非力な人間を集中的に狙い撃ちしたんでしょ?」
「吸血鬼の姉さんは昼の間なら寝てるのに? それこそ無抵抗も無抵抗だぞ」
「だったら」
「毒が回ってふらふらの状態で人質として連れ去るには、棺桶が重過ぎたんだ。だって、クイーンサイズのベッドの真下にある引き出しだぞ。でも無理に取り出したら姉さんは太陽の下で灰になってしまう。死んだら人質にならない。自分の足で歩ける相手じゃないと連れ去れない」
『井東ヘレン嬢に解毒剤の交渉を迫るには遠回り過ぎる件については?』
「誰でも良かったんだ」
逆に考えてみよう。
現実に人は消えている。
なら海風にはそれで良いと思う理由があるはずだ。
「あいつは学校の名簿から個人情報を盗んでる。井東さんの家族構成もな。少なくとも、井東ヘレン以外にアークエネミーはいない。彼女の前に人質を見せびらかした場合、井東さんはどうする?」
「……、」
例えばアユミはゾンビだ。
とてつもない怪力と、噛み付いただけで次々に仲間を増やす強大な伝染力を持つ。
でも、力があるからって無闇にそれを使うとは限らない。そういう心の面で信頼されているから、アークエネミーでも普通に学校生活を送れるんだ。
「バケモノとしての力があるから怖いんじゃない。力があるのに人の心をなくした時、本当にバケモノとして扱われる。だから、そんな風に思われるのが何より怖い。……井東さんは、家族の前なら出し惜しみできないさ。赤の他人だからって、解毒剤は渡さないなんて選択肢は」
元来、井東さんはおどおど小動物系だ。
全国放映された『コロシアム』の件が尾を引いている部分もあるかもしれないけど、性格的に注目を浴びるのに慣れていない。
期待を裏切る展開になるのが怖いんだ。
スポットライトでいっぱいの大舞台が、怖い。自分の家族や僕達から解毒剤を渡してくれって迫られたら、スキュラを倒せる状況でも躊躇ってしまうはず。たとえスキュラに勝っても、それで家族や学校の関係がズタズタになるのは怖いんだ。卑怯者って、モンスターって、同じ家族から怯えた目で言われたくないはずなんだよ。
失敗したら全てを失う。
選択次第では聖女になれる道を残す事で、それ以外の方法全部を蛮行に見せかける。
スキュラ。
ロケーションやシチュエーションで集団を切り取り、パニックに陥れて意のままに操るアークエネミー。
『確実性には欠けますね』
「それは海風に言ってくれ。向こうも毒が回ってふらふらってのもあるんだろうけど。でも、あいつは二択に振ってる。その辺の通行人じゃなくて、井東さんの知り合いである僕達を狙ってるだろ」
赤の他人だからこそ、家族の前で見捨てる選択肢を選べなくするのが一つ。
仮にそれでも井東ヘレンが強行に振り切った場合にも備えて、できれば僕や委員長を確保しておきたい。
『しかし人質を二人とも連れていく理由にはなりません。その案だと委員長一人で機能するはずです』
そう……なんだよな。
犠牲は一人も許せないっていうのは僕達の事情だ。海風には関係ない。
「……、」
でも。
考えても分からないなら、そもそもの構造が違う、のか?
「マクスウェル」
『シュア』
「海風がこの家に来た時、どれくらい余力があったと思う?」
『井東ヘレン嬢のスペックについては「コロシアム」で情報支援するためにも、かなり詳細なデータがあります。率直に言って、海風スピーチアがまだ動ける方が不思議な状況です。これについてはキルケの魔女とスキュラというアークエネミーとしての共通項のおかげでしょうが』
「……だとすると」
「何か分かったの、お兄ちゃん?」
特別な力を持ったアークエネミーだけが状況を動かしている訳じゃない。
マクスウェルの補助がなくたって、人間には今の自分にできる事を見つける力がある。
まさか、
「海風はふらふらだったんだ。まともに立っている事も難しいくらい……」
「ふぐ。それが?」
「でも悪意自体が消える訳じゃない。むしろギリギリに近いからこそ、演技だって破綻していたんじゃないかな。……でもって、委員長の母さんだって人間だぞ。まだ小さかったって言ったって、赤の他人の僕を理由もなく匿ってくれたくらいの正義感はあるんだ。他人でもそうなんだぞ。まして、急にやってきた不審者が家でじっと息を潜めて自分の娘に危害を加えようとしているって分かったら?」
「あっ!?」
「ただそのままにしておくと思うか? 相手はアークエネミーとはいえふらふら、しかも今は警察が機能する状況じゃない。自分で何とかしないとって追い詰められても不思議じゃない」
つまり、だ。
この家にいた全員は消えた。
だけど暴力を振るったのはスキュラじゃなくて……。
「おっ、おばさんがやったっていうの!?」
「証拠はないけど、そっちの方がしっくり来る。アユミ、ここに来るまでで派手な血の跡は見たか?」
「そんなのっ!」
「僕もだ。……となると刃物じゃない、不意打ちにしてもドライヤーか何かで頭をどついたか。電気が通っていたら感電もあったかもしれないけど」
「ふぐ? インターフォン動いてなかった?」
「ありゃ電池だよ。天井の火災報知器と一緒」
それはさておいて。
「あの人が不意打ちでスキュラを殴り倒したにしても、おそらくまだ殺していないと思う。それなら家の中に死体が転がっているはずだ」
いったんホッとしかけて、アユミは気づいたようだ。
「……まだ?」
「何で全員ここから消えてると思うんだ。家の中で殺したら容疑者が固まっちゃうからだろ」
今は警察が機能していないんだ。
見た目はどうあれ、水面下の治安がどうなっているか未知数。マイクロプラスチックの雪が絶えず降り注いでいるから証拠や痕跡も埋もれやすい。
「でっ、でも! おばさんがそんな暴挙に出るなんて信じられないよ。散歩してる犬が吠えただけで道の反対側まで距離を取っちゃうような人なのに!!」
アユミの言葉を聞きながら、僕は改めて家の中を歩く。視線は足元に。どこもかしこもピカピカだけど、何か妙だった。奇麗過ぎる。どう頑張ったってドアを開閉したタイミングでマイクロプラスチックが入り込み、床はジャリジャリしてしまうものなのに。土足で入った僕達以外の痕跡がない、全く。
直近、誰かが磨いている?
ダイニングの床で屈み込んでみる。
「……アルコールじゃないな。うっすらとだけど塩素系の匂いがする」
『物置などの確認を。業務用パーフェクトウォッシュはありませんか?』
「ふぐ?」
「元々はワイシャツの首回りについたしつこい汚れを落とすための漂白剤だったんだ。ただし原液のまま使うとDNA反応、つまり衣服に染み付いた血や唾液まで完全に分解するって言われてる。ネットスラングなんかでたびたび出てくるくらいには有名だ」
アユミは絶句していた。
……けど、主婦の豆知識って感じじゃない。冷蔵庫に貼り付けてあったレシピ検索用のタブレット端末を手に取る。人差し指の指紋認証なんてあってないようなものだ、画面の保護シートにそのままべたべた残っているんだから。
ロック画面を越えてさらにいくつか操作すると、だ。
『血痕_除去する方法』
「……手元のデバイスで検索履歴を消したって、地上基地局とか企業のサーバー側とかには残るんだよ。こっちはかなり特殊なソフトがないと抹消できないんだ」
ゆっくりと、息を吐いた。
青い顔をするアユミの方へ振り返る。
「自分の娘を『使える』ってだけで雑に狙われたんだ。あの人、相当沸騰してるぞ。気絶したスキュラを川にでも放り投げるか、マイクロプラスチックを使って丸ごと燃やすつもりかは知らないけど」
「そこまで……そこまでする? ふぐ、だっておばさんはイインチョを助けたいだけだったんでしょ! 殴って気絶させればそれで良いじゃん!!」
「アユミ、今は警察は動かないんだぞ」
「だからおばさんは自分でイインチョを守った!!」
「……じゃあ、気絶させたスキュラはどうするんだ? 警察には預けられない。無罪放免で放り出してしまえばすぐにでも復讐にやってくる。この家に置いておくのも以下略、いつ寝首を掻かれるか分からない。縄で手足を縛ったってアークエネミーなら鋭い爪で切ったり関節がぐにゃぐにゃ曲がって抜け出すかもしれない。だったら、『完全』に娘を守る方法は?」
欲のためじゃない、特別憎い訳でもない。
でも。
自分の娘を守るためなら、いくらでも道を踏み外せる。
「……やっぱりあの人のロジックだ。戦争みたいになってた家からいつでも幼い僕を匿ってくれた人だぞ。隣の家の子ってだけで赤の他人だったはずなのに、デカいトラブルを抱え込むと分かっていても迷わずにだ」
「……、」
「だったら実の娘のためならどこまでやる? これは人間だからとかアークエネミーだからとか、プロだからとか素人だからとか、そんな次元の話じゃない。海風は侮ったようだけど、この供饗市にいるのは誰もが自分で選択肢を選べるプレイヤーなんだ。だから、やると決めたらあの人はやる。絶対に」
娘を守る。
それでいて、人殺しの娘とも言わせない。
毒を食らわば皿まで。
優しい人ほど守るためならめり込んでいく。
そのためには、だ。
自宅の中で頭をかち割って大量の痕跡をそこらじゅうにばら撒いたり、日に日に腐って自己主張を増していく死体と同居する訳にはいかない。
殺すなら外。
死体も溜め込むのではなく、捨てる。
それも誰にも追及されない形で。きっと自分の保身のためじゃない、守るべき娘の未来に暗い影を落とさないように。……だったら、徹底的に突き進むんじゃないか?
今は警察が動かなくて治安が崩れているんだ、海風については外で殺して表に放り出すだけで容疑者なんて星の数ほど膨れ上がる。水に浸けて腐らせたり、炭化するまで燃やしたり。検視が始まるまでに長い時間がかかるなら遺体から得られる情報にもブレや幅が広がり、後からやってきた警察の捜査活動はそれだけ迷走していく。
……正直に言えば、現実の法医学や科学捜査を考えるとかなり甘い目測なんだけど、重要なのはそこじゃない。委員長のお母さんが信じてしまっているか否か、だ。そして追い詰められている人間は、往々にして周りの全てに対して極端に脅えるか、自分にとって都合の良い展開しか見えなくなるものらしい。
「ほぼ確定だ。ふらふらだった海風をあの人が不意打ちで殴り倒して、床の血を拭き取ってから担いで家の外へ連れ出した。表の道にいる僕達に見つからないよう、庭からだ」
「それならイインチョは!?」
「親が人を殺そうとしてるんだぞ、それも娘の自分を守るために。止めようとするに決まってんだろ」
……委員長が大声で叫んで表の僕達に異変を知らせなかったのは、下手に刺激すると鈍器を手にした母親がその場で即座にスキュラを殴り殺すと考えたからか。あるいは、助けを求める事で母親を社会的に殺してしまうと考えたのか。
いじめや虐待など、現実の事件では往々にして警察に通報できない事態に巻き込まれている、またはそう思い込んで口を噤んでしまう人も多い。加害者ではなく、被害者を傷つけてしまうと。
似た者同士の親子だったんだ。
自分なら解決できる、自分がやらなくちゃならない。そうしないと大切な人を助けるつもりで窮地に立たせてしまうから。
そんな想いだって、空回りしてしまう事はある。
「……マクスウェル、検索してくれ」
『シュア。具体的に何を?』
「あの人はスキュラを処分するつもりだ。けど昼間とはいえ住宅街で火を使うのは目立ち過ぎる。おそらく水。近くの川、用水路、側溝……。車を使っていないからそう離れていない、一〇〇から二〇〇メートル以内! とにかく人間一人を沈めて腐らせる事のできる汚れた水辺だ!」
目を白黒させるアユミ。
やるべき事なんか最初から決まっていた。
僕としては、こう告げるしかない。
「あのSOSだよ」
「ふぐ?」
「誰にも相談できないって一人で唇を噛んだ委員長は、それでもスマホの留守番設定を変えてヒントを残していった。どんなに小さくても、爪痕を。何も言わず孤独に戦うのが一番って考えて、必死に信じ込もうとしたって、どうしても指が動いてしまったんだ。あの人だって、委員長だって、隠し事はあっても根っこの所が悪人だった訳じゃない。警察に頼れない中で、ただ自宅に押し入ってきた暴漢から大切な家族やいつもの生活を守りたいだけだった。……一体どこに落ち度がある? 今すぐ助けるしかないだろ、そんなの!!」
7
アユミが先に家の前で張っていたのは、ギリギリだけど正解だった。
音を嫌ったのか、あの人は倒れたスキュラを連れ出す時に車を使わなかった。逆にもしもアユミの到着が遅れて、悠々と表の車庫から車を出していたら、行動半径は一〇〇倍以上膨らんでいたと思う。
『一番近いのは委員長宅から北へ五〇メートルの所にあるせせらぎ川。川とはついていますが用水路とどっこいどっこいです』
「候補は三つ、いや五つまで出してくれ。そんな遠くまで運べないが、殺すなら家の近くではしたくないって心理も働くはずだ」
あの人にとってはどこまでいってもイレギュラー。事を起こしてから慌ててその対処法のネット検索をしているくらいなんだから、計画性なんか何もない。暗中模索、迷い箸に近い。どこでどうレールが切り替わるか予想がつかない。
「ひとまずっ、そのせせらぎ川とかいうトコだ!」
地元も地元なんだけど、普段自分が見ている川に名前がついている事も知らなかった。行ってみれば、ああここかと分かるかもしれないけど。
この不自然な雪の中だと、自転車はかえって使い物にならない。柔らかい砂浜の上でタイヤを走らせる感じが近いかな。一番近くだと五〇メートル。自分の足で走った方が早い。
「アユミ、ダッシュできるなら先行ってくれ。頼む!」
「まだっ、まだ希望はあるよっ!!」
人間の一〇倍。
縫い痕だらけの肌をさらすアユミは足元の雪を爆発させるように駆け出しながらも、そんな風に叫んでいた。
……分かってるさ。
人を害するのにだってエネルギーはいる。それもかなり。例えばバラバラ殺人は、たくさん刃物を並べて作業を始めてみたは良いもののあまりに煩雑で手間がかかり、途中で投げてしまう場合がほとんどだという説もある。
あの人はあくまでもただの人間だ。
ぐったりしたスキュラを担ぎ上げただけでも十分、おそらく極度の興奮で頭のリミッターが外れているんだろう。
そんな状態がずっと続くはずない。
後は。
あの人が心のガス欠に陥るまでに、長い距離を歩いて川まで到着し、『実行』に移されるか否かだ。
無抵抗のスキュラは鈍器で頭をかち割られるのはもちろん、川に投げ込まれたってそれまでだ。水関係の不死者らしいけど実際に水中呼吸できるかは未知数だし、意識のない状態でそいつを使えるかも分かっていない。
問題の川は、住宅街を貫いていた。
幅についてはその辺の道路よりも細いし、適当にコンクリートで固めた小さな橋がかかっているだけだった。遊び場でも釣り場でもない、ただ雨水を誘導するために用意された安全弁みたいな人工の水路。そんなイメージだ。
例の雪で底が嵩上げされているせいか、雨で増水している訳でもないのに水面はギリギリいっぱいって感じだった。道路の高さまで数十センチしかない。
そして先に到着していたアユミは、小さな橋の欄干から身を乗り出していた。川の水を凝視しているけど、こっちに気づくと大きく首を横に振る。
「ちがうっ、こっちじゃないみたい! 辺りに雪を踏み荒らした感じもないよ!!」
「時間がない……」
あの人は五〇キロ近い大荷物を担いだまま、その状態で目の前の川を素通りして他所に行った。ここで水に落とせば『とりあえず』終わっていたかもしれなかったのに。
誘惑を振り切ってる。ハーフマラソンで妥協するか折り返してフルマラソンするかで、迷わず後者を選んでいる。
これは、覚めない。
一時の興奮じゃない、きっと針は一番上で振り切れたままだ。だとすると途中で止まったりしない、目的地に着いたら最後までやり切ってしまう。
「アユミ、二手に分かれよう。マクスウェルと地図を共有して、遠い方の川を狙ってくれ。僕は近場を回る。お前の方が断然足は速い、頼んだぞ!」
「けっ、けどさ、そしたらお兄ちゃんは……」
「状況が変わったんだ。相手は全力全開のスキュラじゃない。必ずしもアークエネミーとしての剛腕に守ってもらわなくちゃならない訳でもないんだ。だから行け、早く!」
アユミはなおも逡巡したけど、『その時』に一秒でも遅れたら永遠に取り返しがつかなくなるって分かったんだろう。やがて何かを振り切るようにして、スマホのガイドを頼りに小さな橋の向こう岸へと走り出す。
「マクスウェル、こっちは!?」
『その地点から西へ八〇メートル。三日月川の露出部分とぶつかるはずです』
「露出?」
ひとまず立ち止まるのはナシだ。
何かと言うと足を取りにくる雪と戦いながらも、全力で突っ走る。
『大部分は暗渠、つまり足元の地面に覆われているのです。水質や悪臭については一部苦情あり、日光や酸素の供給を絶たれると多くのプランクトンが死んで腐敗菌の繁殖のみに偏り、ヘドロ化が進むためですね』
……死体の発見が遅れて腐敗が進めばそれだけ有利になる側としてはおあつらえ向きだ。
しかし自分の住んでる住宅街でも、あんまり馴染みのないエリアもあるものだ。角度が変われば見え方も違ってくるのか、規則正しいはずの区画整理がこっちを迷わせるための仕掛けみたいに思えてくる。
と。
なんか、何か、卵の腐ったような匂いが鼻についた。
……ヘドロの匂い。
川は公共物で、原因が分かっていても勝手に掃除をしたり上から蓋をする事もできない。確かに四六時中これなら市役所に苦情の一つも入れたくなる。
でもって。
何かを捨てたい、原形がなくなるまで腐らせたいと考える人なら、確かにこっちか。
「っ!?」
どろりと粘つくような川に差し掛かった辺りで慌てて足を止め、曲がり角の塀に身を隠す。
人影があった。
しかも一つじゃない。
やっぱりぶらぶら揺れてる一本の金髪は目立つ。スマホだけ角から出してカメラで確認すると、
『検索対象を発見。デコメガネ委員長とその母親、そして肩に担がれているのは海風スピーチアです』
「アユミに連絡、すぐ呼び戻せっ」
こっちは橋? っていうよりは、道路に近い。一段低い場所に濁った水が流れる川があるんだけど、行く先はそのまま地面の下に潜っているんだ。奥がどうなっているかは見えないか。これだと用水路ってイメージが近いかもしれない。
そして交差部分。
一段高い道路側、ガードレールの辺りで何か動きがあった。
スキュラを肩で担ぐ大人の女性と、そんな彼女にすがりついてでも止めようとしているメガネの女の子。
やっと見つけた。
委員長!!
「委員長がこれまでの道で自分の母親を転ばせなかったのは?」
『海風スピーチアは受け身が取れる状況ではありません。無防備に投げ出された場合、変則的なバックドロップのような状態に陥りかねない事を踏まえると、あまり大きくは出られないのでは?』
空いた手で掴んでいるのは金槌……に似ているけどどこか違う。肉叩き、かな。台所にあるものを適当に掴んで持ってきたのかもしれない。
「お母さんっ!!」
ことここにきて、委員長から悲痛な叫びがあった。
けど、届かない。
無造作に。本当にセメントの袋を置くような格好で、あの人は海風を地べたに投げ落とす。いくつか節を作って一本にまとめた金髪が、雪の上をのたくっていく。
マイクロプラスチックの雪は、どれくらいダメージを吸収してくれただろう。
続けて容赦なく肉叩きを振り上げた母親に、ついに委員長が真っ向から飛びかかった。海風っていう『人質』はもう地面だ。彼女を気遣って、遠巻きに制止するだけの段階は越えていた。
しかし。
でも。
忘れているのか委員長、アンタのお母さんは人を殺すつもりで鈍器を振り上げているんだぞ。正面から腰にしがみついたって、無防備な背中や頭を滅多打ちにされるだけだ。
そしてアンタも母親なら、せめてその手で守りたかった子供の顔くらいは正しく認識していてくれよっ、
「マクスウェル、支援頼んだ!」
『メチャクチャ非推奨ですがっ』
「僕だって自信なんかないよでもこのままじゃ委員長が!!」
もうこうなると、何とかして委員長と連絡取ってあの人の気を引いてもらってその間にこっそり裏に回って武器取り上げて、なんてクレバーに立ち回っている暇はない。
作戦なんて何もなかった。
とにかくだ。
手の届く範囲にいる委員長より厄介なターゲットが出てくれば、あの人の敵意はよそに向けられるはず。
当然、こっちはアークエネミーじゃない。ただの人間だ。銃やナイフを持っている訳でもない。
でも、とにかくあの人の『危機感』を煽るならこれしかない。
元からマイクロプラスチック対策でマスクはしている。さらに大きめのハンカチで無理に頭全体をバンダナみたいに覆って人相を隠しておいた。
今は『天津サトリ』じゃダメなんだ。
得体の知れない少年Aを作って、とにかく塀の角から飛び出す。
スマホを向けて。
これみよがしなフラッシュと作り物のシャッター音を連発させながら。
ちょっと裏声っぽい調子で、頭のてっぺんから声を通す感じで叫んでみた。
「あはーはあ!! すげっ、すげえよ。やっぱマジ供饗市って世紀末じゃねうははこんなの上げたら大注目間違いなしだよアフィっちゃうよおっ!!」
そう。
わざわざ家の外に引きずり出したのは、自宅を殺害現場にしないため。川に捨てたいのは、ここで殺した死体を腐敗させれば検視や科学捜査を撹乱できると思っているから。
でも。
そもそも犯行の瞬間をカメラで撮られてしまえばご破算だ。銃やナイフよりも、アークエネミーの剛腕よりも、しがみついてくる自分の娘よりも。あの人はまず第一に、絶対スマホのレンズを恐れるはず。
「……、」
あの人は機械みたいにゆっくり首を振って僕を目線で追いかけていた。
距離は軽く見積もって一〇メートル以上あったはずだ。
なのに。
ゴッッッ!!!!!! と。
かざ、切りおと、が?
すぐ横、突き抜けて???
『警告、だから非推奨ってゆったでしょうが!!』
あの人は野球のピッチャーみたいな振り抜き方をしていた。
投げた。
ようやっと、僕は自分の顔のすぐ横を突き抜けたモノの正体が金槌に似た肉叩きだと気づかされた。
てか、コンクリの塀に突き刺さってないか、あれ!?
『続けて非推奨、大警告ッ!! この危機的状況で相手から目を逸らさないでください!!』
きゃっ、という短い悲鳴があった。
慌てて再度目線を元に戻してみれば、精一杯の力を込めて体当たりしていたはずの委員長が、片手一本で横合いに放り投げられたところだった。
あの人は、こっちを見ている。
奇妙なほどに無感動で、いっそ機械のような瞳で。
アークエネミー・スキュラ。
海風スピーチアに向けられたものと同じだ。
委員長はこの人から遺伝したんだろう。メガネの奥から錆びた釘みたいな眼差しがあった。
ロックオンされた。
「……チッ。避けやがった」
だんっ!! と。
勢い良く雪に覆われた地面を蹴って、あの人が真っ直ぐこっちに走り込んでくる。
ゾンビのアユミじゃない、吸血鬼の姉さんでもない。
人間。
ただの人間。
でも。
生物的なスペックなんて次元じゃない。実際に激突する以前の話。そのしわだらけの魔女のような低い声を耳にしただけで、完全に両足から力が抜けていた。幼い頃から赤の他人の僕を守ってくれたお隣さん。あるいは実の母より角の丸い女の人。そんな『完璧な安全圏』から情け容赦なく本物の殺意をぶつけられて、何か足元がガラガラと崩れていくような錯覚に襲われたんだ。
ああ。
学校でも、家の中でさえ。
本当の本当に無条件で安全な場所なんて、この星のどこにもないんだなって。
『警告!!』
「がッ……!?」
腕一本、だった。
首を丸ごと掌一つで掴まれたと思ったら、そのまんま両足が地面から浮いた。勢いを殺さず、真後ろにあったコンクリートの塀に背中から叩きつけられる。
こ、きゅうがっ?
っ、無茶苦茶だ、このひと。
この人はエクササイズ感覚のキックボクシングすら触れた事はないはず。それが、がむしゃらに手足を振り回すだけでここまで……っ。これがメガネの似合うおっとり美人のやる事か!?
完全に頭が沸騰してる。でもメリットばかりじゃない、その怪力は絶対にこの人自身の体を中から傷つけてしまうはずだ。
「お母さんやめてっ、ダメだってばもうやめてえ!!」
少し離れた場所で、マイクロプラスチックの雪にまみれて転がったまま委員長が叫んでいた。
それで、飛びかけた意識が少しだけ戻る。
向こうもさらに凶暴さを増す。
委員長のためなら。
お互いの頭にあった目的は同じはず。ただし行き着く先は大分違うようだけど。
工夫も何もなく、このまま掌一つで太い骨ごと首を握り潰されるんじゃないか。そんな事さえ思う。
けどさ……。
アンタが娘のためなら地獄に落ちても構わないと思っているように、僕だって委員長には泣いてほしくないんだ。そのためにはアンタが守ろうとした家にはアンタがいなくちゃならないんだ! 人殺しや陰謀なんかとは無縁な、近くで子供の泣き声が聞こえたら思わず飛び出していってしまうようなアンタがさ!!
家族っていうのは、無条件で永遠に固まっていられるものじゃないんだ。それは常に意識してまとまらないと空中分解してしまうんだよ。僕はそれが良く分かっている、今でもたまに夢に見るくらいに。
だから。
平穏無事に当たり前って顔をしていつも委員長の家を守ってきた『あなた』の事は、本当に尊敬してきた。隣から聞こえてくる、ただいまって声におかえりって返ってくるのがどれだけの奇跡か知っているから。ああ、ドラマや映画の世界みたいな人は本当にいるんだって。ウチは結局無理だったけど、それでも家族の絆なんて奇麗ごとの嘘っぱちじゃないんだって、教えてもらったんだ。僕が世界に絶望しなかった理由の半分は、間違いなくあなたが与えてくれたものだった!
それを。
簡単に……っ。
何か事情があるなら仕方がないって顔して、呆気なく手放そうだなんて思ってんじゃあねえ!!
「哀しいんだよ、そういうのを見ているとッッッ!!」
「っ?」
単純に間近の叫びに圧倒されたのか。あるいは今さらながら、聞き覚えのある声だって気づいたのか。
わずかに首にかかる力が弱まったのと同じタイミングで、僕は空いた手を後ろに回した。
コンクリート塀。
より正確にはそこに突き刺さったままの、金槌に似た肉叩きを手探りで探して、掴み取る。
「まさか、サトリ、くん!?」
「はろーショウミさん。かはっ、でもっていい加減に目ぇ覚ませ!!」
思い切り殴りつける。
ただし目の前にある顔を、じゃない。
背後の壁。
どしんと鈍器で殴りつけると手首に鈍い痛みが返って顔をしかめてしまうけど、それだけじゃない。マイクロプラスチックの雪は何にでもこびりつくんだ。コンクリ塀を走り抜けた衝撃で浮かび上がるように、微細な粒子が引き剥がされて宙を舞う。
この人はメガネを掛けている。
頭のリミッターが切れているとは言っても普段から運動に慣れている訳じゃない。激しい息切れに体温の上昇。はい、メガネと付き合いの長い人なら何が起きているかもう分かったかな。
曇っているんだ、レンズが。
最初に肉叩きを投げても僕の頭に当たらなかったのもこのため。五〇キロ近い錘を抱えてここまで歩き通したんだし、呼吸が乱れて体温が上がっていない方がおかしい。そしてレンズ表面がほんのり湿っている中、マイクロプラスチックの雪が殺到したら?
今度の今度こそ。
完全に視界はゼロになる。
「きゃっ!?」
視力は単純にものを見る力を担う他に、バランス感覚の大部分も司る。これについては、目を瞑って片足立ちに挑戦しても思い通りにいかない事からも分かる通り。急に目の前が真っ白になってふらつくショウミさんに合わせて、僕は首を吊り上げられたまま体を横へ振り回した。両手でこの人の手首を掴んで、ねじる感じで。二人して一気にマイクロプラスチックの雪の上へと倒れ込む。
そのまま地面を転がっていく。
上の取り合い、そして手にした肉叩きの奪い合いになる。
「あいつを生かしておけば必ずまたやってくるわ。何度でもリベンジに! 捕まえて縛り上げてもダメ、逃げられる!! だったら!!」
「だったら何だ、殺すのか!? この肉叩きを人の頭に振り下ろして!!」
「ええそうよ!! すでに家の住所も知られた、それに娘は毎日私の手の届かない学校へ行かなきゃならない! 隙が多過ぎるわ。あの子はたった一回お腹を刺されたらそれでおしまいなのよッ!!」
「その決断がっ、その優しさが……。委員長を泣かしている事も見えなくなってんのか、アンタは!?」
「っ!?」
力はっ、ダメか。
やっぱり頭が焼き切れかけているショウミさんの方が、破滅的だけどパワーは上だ! マウントを取られる!?
「ここでじっとしてなさい、サトリくん。その肉叩きを返して、さあ!!」
「ふざけんな……」
「お願い、娘のために協力して。この手から力を抜くだけで良い。おばさんはあなたまで殴りつけたくないのよ!!」
「その一言一言がっ、委員長を助けるつもりで彼女の人生を全部粉々にしようとしているんだよ!!」
もう、構うもんか。
のしかかられて形勢が不利だから何だ。言いたい事は全部言ってやる!!
「ふざけるんじゃない。親っていうのはな、他はどうあれ子供の前でだけは絶対間違っちゃあいけないんだッ!! 子供の頭からは消えないんだよ、そういうの! だからアンタは、それがきちんと分かっていたからっ、見るに見かねてあの戦争みたいだった家から、赤の他人だった僕を連れ出してくれたんじゃあなかったのかよ!!」
あの時の僕は瞳の奥まで濁っていて、きっと、この人が温かい毛布とホットミルクをくれなかったら本当にあそこで腐り果てていた。
それなら、今度はこっちの番だ。
僕の胸の真ん中で煮えている感情は、間違いなくあなたが守ってくれたものだった。世の中なんてこの程度、奇跡なんか願うのは間違ってる。そうやって訳知り顔で腐らずに、世界の善意をもう少しだけ信じてみようと思える、そんな何かを残してくれたから。
だから。
だから。
だから。
ここで、僕は諦めない。
もしも今あなたの胸の中がすっからかんで、本当の意味で委員長を正しく助けるための貯金がないのなら。僕が今まで預かっていた分で埋め合わせてみせる!!
元々これはあなたが繋いだチャンスだ。
胸を張って、遠慮なく救われるが良いさ!!
「マクスウェル!!」
『爆音に注意』
ゴッッッ!! と、それこそスマホの内蔵スピーカーをぶっ壊すんじゃないかって勢いで大音響が炸裂した。
これ自体にダメージがある訳じゃない。
いくら何でもスマホはそこまで便利じゃない。
だけど。
元々メガネのレンズにマイクロプラスチックが吸い付いて、視界はゼロになっていたショウミさん。そこに耳をつんざくような轟音を当てて三半規管までおかしくしたらどうなるか。
「っ?」
くらり、と上にまたがっていた彼女の体が左に揺れる。いいや、本人には傾いている自覚なんてないかもしれない。
その流れに乗じた。
「ああアッ!!」
腰の辺りで身をひねり、ショウミさんの体を真横へ振り落とす。攻守交代。今度はこっちからのしかかり、体重を使って彼女の体を無理矢理押さえ込みにかかる。
やや自嘲気味に、だった。
押し倒されたこの人は、仰向けのままうっすらと笑っていた。
「……それで、ここからどう止めるの?」
「……、」
「今のあなたは三〇分前の私と同じよ、サトリくん。この瞬間だけならあなたが有利でも、両手の押さえが解けたら私はすぐにでもあの女を殺しに行くわ。ロープで縛っても手錠を掛けても必ず抜け出す、抜け出して殺す。ならどうする!? 揉み手で説得、麻酔薬で眠らせる、秘密の地下室にでも閉じ込める? どれもこれも現実的じゃない! たった一つの『完全に』が何なのか、こうしてみてあなたもはっきりしたんじゃない!? 話が通じない凶悪犯は殺さない限り止まらないって!!」
かもしれない。
そうかもしれないけど!
「マクスウェル……っ」
「ダメよ、私はあなたに聞いているの。無責任にこの私を止めて、今も娘の命を危険にさらしているサトリくんに。機械に回答を丸投げすれば自分は逃げられるなんて思わないで」
「っ」
のしかかって肉叩きを取り上げているのは僕の方なのにっ、このままだと心を呑まれる!?
叱る時は、子供相手でも超正論を連発してあらゆる道を封殺する。
この人はやっぱりショウミさんだ。
どこまで転がり落ちようとも……っ!!
「娘が哀しむからというのもナシ、そんな次元の低い話なんか誰もしていないもの。ではその娘を前にしてあなたはどうしたいか。答えなさい! できなければどけぇ!!」
真下から、跳ね上がる。
マウントを崩されるっ!?
「……っ!!」
歯を食いしばり、肉叩きを振り上げた。
逆の手でスマホをショウミさんの顔にかざした時点で彼女の拘束はほとんど解けてる。
まるでゴルフ練習用のアプリだった。
理想の角度、力加減、速さ、そういったスイングのラインが矢印で風景に重ねてある。
……ただし、その風景っていうのは組み敷いたメガネの女性の頭蓋骨だけど。
すこんっ! と。
肉叩きを使って、右のこめかみにあるスイッチを軽く叩くような力加減だった。だるま落としなら失敗して総崩れになっていた程度の軽さだったと思う。
だけどガイドに従っただけで正確に衝撃が伝播し、頭蓋骨を適度に揺さぶられたショウミさんの焦点がぼやけた。ショックで舌を噛みそうになっていたので慌てて親指を突っ込んだけど、口の中に異物が入っても反応らしい反応は何もない。
そのまま気絶したんだ。
「はあ、はあ……!!」
『念のため汚れたメガネを外し、スマホのライトで瞳孔が反応するか確認を』
マクスウェルからの助言を聞いているだけの心の余裕はなかった。
ざくざくと雪を踏み、震える足でこっちに近づいてくる影があった。のしかかったまま、僕はのろのろと顔を上げていた。
「サトリ、君? 大丈夫だった……?」
「すまない委員長。僕は、僕は何も答えてやれなかったっ」
「意味ないよ、あんな問いかけ。お母さんだって正しい答えなんか持ってなかった」
そうだけど。
誰にも分からない事なんだけど。
でもギリギリ追い詰められたところでやってきたイレギュラーな僕にのしかかられて、ショウミさんは苛立ちながらもどこか期待していた。だから言葉を引き出そうとしてくれた。あの時、僕がきちんと答えを返していれば。海風は殺さなくても大丈夫だって、誰も手を汚さずにいつもの日々は守れるって、そんな風にこの人の不安を取り除く事ができたなら、そこで話は終わっていたかもしれなかったのに!!
ひとまず。
とりあえず。
そんな妥協で人を殺そうとしたショウミさんをどうしても止めたかっただけなのに、結局は僕だってそんな言葉と共に安易な暴力に頼ってしまった。当然、残るのは苦い後味だけた。
「……マクスウェル、何か縛るようなものは?」
『ズボンのベルトか結束バンド辺りが妥当では? ビニールロープだと肌に食い込みやすいので、きつく縛ると血行を阻害します』
ポケットを漁るとケーブルを縛る結束バンドがいくつか出てきた。何故かは聞くな、工作少年のサガみたいなものだ。犬好きの子は服のどこにだって犬の毛をつけていると考えれば良い。ひとまずこれを使って気絶したショウミさんの両手を後ろに回して縛り上げておく。
そして。
まだ、終わっていない。
「海風スピーチアは……?」
委員長は全部放り出してこっちに来てしまった。
だとすると。
「……、」
ちょっと離れた場所で、ガードレールに手をついて、重たい体を引きずりながらのろのろと歩く影があった。
こっちに向かって、じゃない。
そんな闘志はない。
みすぼらしい背中を見せて、こそこそ逃げるために。長い金髪を、古い柱時計のように左右へ揺らしながら。
……そりゃそうだよな。
ただでさえ全身に毒が回って、人間だからと侮っていたショウミさんから不意打ちを食らって、今まさに殺されるところだったんだ。謎の組織JBとかアークエネミーとしての矜持なんかない。唇を噛んで羞恥に震えながらでも、今はとにかく逃げるよな。
警視庁の留置場で射殺されたJB、線の細い青年を思い出す。動画の中では死に際の顔は見えなかった。だけどあいつもこんな感じだったんだろうか。
でも。
こっちはそんな身勝手さに散々振り回されて、いい加減にうんざりしてる。そもそも海風が余計な真似さえしなければ、委員長もショウミさんもここまで苦しめられなかったんだ。
放っておけば、すぐにでもリベンジを始める。
あの人から投げられた質問に対し、未だにアンサーは出ていない。それどころか、僕は不安に振り回される恩人を鈍器で殴りつけた。
「サトリ、くん……?」
だけどそんな僕にも分かっている事がある。
それは、あいつをあのまま行かせる訳にはいかないって事だ。
人間とか、アークエネミーとかじゃない。
金槌から変形したような肉叩きを掴んだまま、ショウミさんの上からどく。
ゆっくりと立ち上がる。
あいつは。
あいつだけは。
「サトリ君!?」
8
逃げる。
小さな影が、ふらふらと。
自分の体を庇うように背中を丸め、時折こちらを無様に振り返りながら。
……逃げるって事は心当たりがあるって事だろう。分かった上でやらかして、思った通りにいかなかったから全部放り出して身勝手に逃げ出した。
見逃すはずない。
こっちはその目立つ金髪を頼りにするだけで良い。
「へ……」
自然と。
そうとは思っていないのに、何故か腹の奥から笑みに似た空気が飛び出してきた。
めぎりりっ!! と。
手の中で何か鈍い音が響く。
だらりと下がった手の中で握り込んでいた、金槌に似た肉叩きのグリップからだった。
ああ。
アークエネミーでもプロの殺し屋でもないショウミさんが片手一本で僕の首を吊り上げたのは、こういう感覚だったのか。
引き止めても。
先の未来を失うと脅しのような言葉を投げかけても、聞く訳ない。五秒先を追いかけるのだっていっぱいいっぱいなんだから。
スマホの方じゃなくて良かったと、それだけぼんやり考えた。
「逃げてんじゃ……」
やっぱり、あの人が肉叩きを初手で投げつけた理由が分かってきた。
計画性なんか五秒先が限界。逃げる獲物を誘導して行き止まりに追い詰めて殴りかかるまで、いちいち待っていられない。
心が。
もっと先まで進んでるんだ。
だから体がつんのめるようになって、言う事を聞いてくれない。止まってくれないんだ、教科書通りの大正解じゃあ!
「ねェええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
がづっ! と右腕の動きに引っかかりがあった。
卑怯者の背中に鈍器を投げつけようとしたところで、慌てて委員長が全力で僕の腕にしがみついてきたんだ。手の中からすっぽ抜けた肉叩きは回転しながらあらぬ方向へ飛んでいく。
別に良い。
肉叩きである必要はない。
「だめっ、サトリ君……」
鈍器なんて石ころで良い、そこらの雪を掘ればいくらでも出てくるだろ。むしろ委員長やあの人に余計な疑いがかかるくらいなら、自力で現地調達した方がクレバーなはず。
何となく。
こんな事していたら腕の筋肉なんか千切れてしまいそうだし、そうなったらもう二度と上がらないかもしれないけど。
いいよ。
うるせえよ、僕のまともな部分。
「お願い!! あなたまで暴力に走らないで! 私を一人にしないでよおッ!!」
両足を宙に浮かばせ、振り子みたいに揺れながら、委員長が何か叫んでいた。
鼻先を良い匂いがくすぐる。
無防備に両腕を使ってしがみついてくるものだから、柔らかかったり温かかったりでいっぱいだ。格好だけ見れば、まるで肩を寄せ合う恋人みたいだと思う。
でも、
(逃げる……)
だけど、
(委員長、あの野郎、リベンジ、ここで逃がしたら、ショウミさんはっ、全部スキュラのせいで、アークエネミー、良い所を探せっ、転校生、友達だった、思わず躊躇うような何か、JB、あいつは僕を狙っていた、僕のせいで、僕がのんびり状況を見送っていたから……っ!!)
天秤が、揺らぐ。
秤のお皿に乗っていたコップから、表面張力の限界を超えて何かが溢れる。
留まるか、突き進むか。生かすか、殺すか。
諦めるか、振り解くか。
奥歯が砕けそうなくらい強く歯を食いしばって。
最後の最後で。
頭に浮かんだものを、そのまま叫んだ。
「委員長っ!!」
最高にダサかった。
喉の裏に張り付いていたものを引き剥がすような、奇妙にひずんだ不気味な声だったと思う。
だけど直後に、腕じゃなくて首の方に両腕を回された。そのまま二人して雪の上を転がる。
「ああ」
甘酸っぱい感じじゃなかった。
倒れた僕の胸にすがりつく委員長は、身も世もなく顔をくしゃくしゃにして叫ぶ。まるでロシアンルーレットで死なずに自分の順番をやり切ったように。
それくらい、だったのか?
ここで、僕が人を殺してしまう確率って。
「ああああっ!! うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
ぼてっ、という間抜けな音があった。
足がもつれたのか。
元からガードレールに手をついてふらふら逃げていた海風スピーチアが、力なくマイクロプラスチックの雪へ倒れ込んだ音だった。長い金髪が尾を引くようだった。井東さんの毒。何もしなくてももう限界だったんだろう、いったん前のめりに倒れたスキュラは起き上がる気配も見せない。
さらに。
「ふぐ」
だむっ!! と。
鈍い音と共に、落雷みたいな勢いで妹のアユミが倒れた海風の上へ垂直に落ちてきた。
実際には屋根から屋根に跳んで、だったんだろう。
うつ伏せで潰れるスキュラの上で足を揃えてしゃがみ込んだ妹がこっちを見た。
「なにお兄ちゃん! 大至急って言うから急いで来たのに、シビアな現実そっちのけでイインチョと抱き合ってさ。肝心のおばさんはどうなったの!?」
「……お前のそれで決着だよ。殺すまでもないって結論で慰めようと思ったのにさ」
9
ひとまずケリがついたように見えるけど、実は何にも終わってない。
アークエネミー・スキュラ。
結束バンドを使って海風スピーチアを後ろ手で縛り上げると、どうにかして肩で担ごうとする。
が、
「ぐぐっ……」
「そりゃ訓練を積んだ消防隊員じゃないんだから無理だよお兄ちゃん。ほれあたしに貸して」
「ショウミさんはこれでひょいひょい雪の上を歩いていたはずなんだけどな……。それからお前はそっちだ」
「ふぐ、おばさん?」
「はっきり言うけど目を覚ましたら僕なんかじゃ手に負えない。暴れ始めたらゾンビの力業で押さえ込んでくれ、任せた」
そう。
ひとまず気絶はさせているけど、スキュラは毒が抜けたらすぐにでもリベンジを考える。ショウミさんだってそれを防ぐために全力で海風スピーチアを殺しに行く。娘のクラスメイトだろうが何だろうが、全くお構いなしに。
これは一時停止。
根本的な解決になんかなっていない。
「……仕方がない、家まで引きずっていくか」
「ふぐ、イインチョがいかにも手を貸したいって目でこっち見てるけど」
「やだよ、委員長にはいつまでも奇麗であってほしいんだ。こんなのに巻き込めるか」
「ねえちょっとそれ、あたしは?」
スマホに指先一つでいつでも自由に呼び出せるお手頃少女アユミのジト目はさておいて、だ。
行き先はひとまず僕の家。
ショウミさんは委員長に預けて家に帰すべきかもしれないけど、はっきり言って委員長一人じゃ手に負えないはずだ。目を覚まして、まだあの怪力が残っていたら結束バンドや粘着テープくらい簡単に引き千切るはず。
せいぜい二〇〇メートルもなかったはずだけど、両足を掴んで海風スピーチアを家まで運び込んだ時にはもう両手がパンパンだった。スキュラも制服だったからパンツなんか全部見えてる。ここまでくると、流石に嬉しくも思えなくなってきたけど。
でも、これで終わりじゃない。
念のために、もう一仕事。
息を整えると、僕は玄関にあったスコップやホウキを掴んで、
「……引きずった跡を消してくる。アユミ、ここは任せたぞ」
黙っていてもはらはらと降り注ぐ雪が覆ってしまうんだろうけど、地べたのマイクロプラスチックに手を加えておいてもバチは当たらない。何も知らない人からすれば、僕達は道端で気絶していた年頃の女の子を自宅に引きずり込んだクソ野郎なんだし。
毒にやられた海風は、仲間の隠れ家なんかに頼る気配は見せなかった。
直接の仲間や部下がたくさんいるとは思えないけど、でも、変な正義を出した筋肉青年とかが張り切ったら面倒だ。災害で閉じ込められてフラストレーションが溜まっている時なら、正義とストレスのはけ口を混同しても不思議じゃない。ここまできてさらに引っ掻き回されるのは流石に勘弁してほしい。
それから、そうだな。
「……スキュラを捕まえたって聞きましたけど、先輩」
「うん」
ひとまず後輩ちゃんと連絡を取って合流してみた。ひとしきり作業を終えて自宅に戻ると、
「ひっ!?」
やはり毒の効きが弱いのか、リビングですでに目を覚ましていた海風が井東さんの顔を見るなり尻餅ついたまま床を後ずさった。両手は後ろで縛られているので、短いスカートが結構危うい事になっている。いやまあ気絶したこいつを引きずっている間に全部見ちゃったんだけどさ。
そう。
スキュラについては、より格上のキルケの魔女を連れてくれば物理的に封殺できる。そのためだけに四六時中井東さんをひっつけておく訳にはいかないから、これもその場しのぎの一時停止なんだけど。
後輩ちゃんは華奢な腰に片手を当てる。
ぞるぞると、腰の後ろからクリアパーツな感じのクラゲ触腕が這い出てくる。
「……もう起きているみたいですけど、もうちょい強い毒でも刺しますか? ああでも、変に抗体ができていると二回目からはアナフィラキシーが起きるのかな……」
「いや、これで良いんだ。いつまでも目を覚まさないようなら解毒剤を作ってほしかったっていうのが本音だし」
「えと?」
可愛らしく小首を傾げる井東さんは、クラゲ触腕を曲げてでっかいハテナマークを作っていた。
毒の痛みは散々思い知らされたんだろう。後ろ手に縛られたまま壁に背中を預け、正座を崩したような格好でガタガタ震える海風に、僕は身を屈めてこう質問した。
「JB」
「っ」
「自信満々に言っていたな。アンタは最初から僕を狙ってプレッシャーを与えるために、こんな事をしでかした。さて、僕が何を言っているかは分かるな? 『こんな事』は、何も学校占拠の話だけじゃないぞ」
「……、」
「そもそもの始まりの話をしよう」
マクスウェルも言っていた。
マイクロプラスチックの雪。これは単なる人災ではなく、十中八九人為的な攻撃だと。
「JBはどこまで関わっている? アンタは向こうのシミュレータ・フライシュッツを組んだ人間か、それとも顎で使われる人間か。そして、お前達を叩けば何がどこまで回復するんだ」
……一見威圧的だけど、実はこれを聞いている時点で後手に回っている事を告白しているようなもんだ。海風のスマホは没収したけど、マクスウェルの力でも侵入はできなかった。どれくらいシミュレータに依存していたかは分からない。
ただし。
手元の機材を没収してしまえば、海風も恩恵を受けられなくなる。モバイルがなければ僕はただの高校生。それと一緒だ。
気づくなよ。
このまま呑まれてろ、頼む。
「そ、それを話して……」
びゅる、と後輩ちゃんのクラゲ触腕が蠢くのを青い顔でチラ見しながらも、海風はこう返した。
「私に何の得があると言うのです?」
「あの人を説得できる」
井東ヘレンじゃない。
僕が親指で示した方を海風が見ると、そこでガタガタッ!! と勢い良くひっくり返った。今度こそ、盛大に下着が丸見えになってしまう。
そう。
ショウミさんがソファの上で寝かされていたんだ。
「僕だってあの人を人殺しにしたくない。だからお互いにとっての落とし所を見つけよう。……アンタがいないと、マイクロプラスチックの雪は解決しない。アンタが手を貸すから、娘の委員長は助かる。そういう図式があればあの人を押し留められる。だから、話せ。あの人が目を覚ますよりも早く」
「……、」
「できなければ、多分、もう流血は避けられない。そうなったら結束バンドは刃物で切るから、とにかく全力で逃げろ。僕達はアンタの仲間じゃないけど、さっきも言った通りあの人の手を汚させる訳にはいかないんだ」
変な脅しじゃない。
誇張もしてない。
ただの事実だ。それが一番怖い時だってある。嘘やパニックで閉鎖環境にいる群衆をコントロールするスキュラだって、だからこそ、真実の価値については人一倍理解しているだろう。
あの人は、止められない。
世界の全部を天秤にかけても替えの効かない大切なものを守るためなら、どんな事だってする。
本当に本気になった人の親がどれほど恐ろしく豹変するか。
それくらいは。
いい加減に、分からなくちゃダメだ。
海風はごくりと喉を鳴らして、頭の中でどう考えても状況を打開できないと悟ったのか。やがて唇を開いて、乾いた喉を動かして、震える声でこう切り出したんだ。
「……か、カリュブディスの話をしていましたわよね?」
「スキュラとペアの怪物だろ。パニックで攻撃的なカタマリとなった学校の連中が『巨大な怪物』だった」
スキュラ自体は強大な力を持つアークエネミーじゃない。別の怪物、カリュブディスが大暴れしている間にこっそり脇を刺して漁夫の利を狙うのがスキュラなんだ。
が、
「厳密には、正しくありませんわ」
海風は確かに言った。
「確かに怪物はいます。私は漁夫の利を狙う専門家でもあります。ですけど、それはパニックで暴れる群衆ではありません」
「……?」
「だって、船の上で翻弄されているのは勇者達……つまり私が食べる『餌』ですのよ。コントロールはできますが、対等のパートナーにはなりません」
なら、一体何が。
あるいは『人を呑み込む巨大な怪物』っていうのはシミュレータのフライシュッツか、いや違う。
考えて……そして、思い至った。
「マイクロプラスチックの雪は、大きな船を揺らしてそこに乗る勇者達をパニックに襲わせるための大嵐……つまり、人為的に作られた災害でした」
「そうなると、まさか嵐を生み出す巨大な海の怪物っていうのは……」
「今も沖で燃えていて、絶えず雪を撒き散らしている貨物船ノーブルインゴット号。それがJBの用意した私のパートナー、カリュブディスです。……ただし、それだけとも限りませんけれど」
「?」
予想外の上、脇道にまで逸れ始めた。
少しでもイニシアチブを取れて緊張の糸が緩んだのか、海風はくすりと笑って、
「おかしいと思いませんでしたか? 貨物船火災。出火してから数日経っても鎮火の気配を見せない有り様ではありますが、周りを囲んでいる消火艇だってプロの道具ですわよ。本当に何の理由もなく『火が消えない』なんて話がありまして?」
「……消えない炎? けど、そんな大それたものをJB用意できるのか。マイクロプラスチック絡みなら、僕だって普通の消火ホースでヒュージカメラ近くの小火を消してるぞ」
「地面に積もっている雪であれば」
金髪少女、だとここに何人かいるか。
性悪金髪はこう言った。
「ですけれど、貨物船はマイクロプラスチックが噴き出す源泉でしてよ。空気中に飛散している量が違うのです。海保の方々は石油製品対策として泡の化学消火剤を使っているようですが、船の甲板や床にべったり押し付けるだけでは足りません。現場は、濃度によっては空気中でも燃え広がる。平たく言えば、重たい化学消火剤ではすり抜けてしまうのです。引火の危険がある領域、空中をね」
……カリュブディスはその巨体で大渦を作り、勇者達の乗る船の身動きを封じる怪物。
「なんて事だ……。消防隊? 海上保安庁? とにかく救助のプロがどれだけ頑張っても、すり抜けて空回りに終わるだなんて」
「ですけれど、その間違いさえ正す事ができれば貨物船ノーブルインゴット号は火の勢いを保てませんわ。後はそれを、この停電の中でどうやって伝えるかではありますけれど」
ようやくだ。
僕達のゴールが見えてきたってところか。