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でっかいバスがパリ市内に入った。
このバスはホテルまで直行じゃなくて、目立つ駅の近くで客を吐き出す仕組みだ。正直に言うと僕が泊まる予定のホテルはそんなに大きくないから、その分サービスは削られている。
僕が引きずるスーツケースに、アナスタシアが小さなお尻を乗せて腰掛けてきた。ずんっ、という確かな重さが加わってくる。
「おい妖精っ」
「さーびす☆ こうしておけばひったくりを予防できるわよ?」
含蓄があるんだかないんだか。とにかくスマホの地図を頼りに歩いてホテルを目指す。あちこちに案内の看板はあるんだけど、正直に言ってフランス語は異次元だ、英語よりもっとふわふわしてる。道路の名前がもう読めない。
またがるんじゃなくて、一方で両脚を横に揃えるお上品な二人乗りスタイルでアナスタシアは細い脚をパタパタ振っていた。
「パリについてはセーヌ川っていう大きな川が東西に走ってるのと、大体の道が凱旋門に向けて集中してるってだけ覚えておけば問題ないわ。迷ったら目立つ川かでっかい道に沿って歩いてみる事ね」
すーぱー旅慣れてる金髪少女の言い方はざっくりだ。多分参考にはならないと思う。
……僕的にはもっと古い、RPGの城下町みたいな街並みかと想像してたんだけど意外とハイテクな景色で驚く。重たい石の建物の中にピカピカに磨かれたガラスやシリコン製のカーディーラーや携帯ショップが埋め込まれているって感じ。信号は普通にLEDだしあちこちに無線LANのアンテナが立っていた。当たり前だけど、今の時代を生きる人達がこれだけ殺到してるんだ。そういう生活感から目を逸らしてテレビや動画で映したがるトコだけ切り取ると、時代劇のセットみたいになっちゃう訳か。
しかしまあ、築何百年っていう石のアパートとバーガーショップやガソリンスタンドのプラスチックっぽい極彩色が違和感なく同居してるって画はすごいな。スマホで写真撮っておこう。
「フランスの景色はファンタジー映画時空がずーと続いているとでも思った? ローマ辺りの古代建築から鉄筋コンクリートと強化ガラスまで、それこそいくつも建築方式は移ろっているわ。中には壮大過ぎて完成までに時代をまたいでしまって、複数の方式がごっちゃになっている建物もあるし」
「つまりそこの大理石の柱に広告の液晶パネルが埋まっているのも歴史と伝統って事?」
「そんな感じ。てか建物関係なら日本なんかもっと激流に揉まれているんじゃない? 戦争とか災害とかで何回景色がリセットされてるんだか。あの国、築二〇〇年以上の私邸なんて数えるほどしかないと思うけど。それも大体土地の所有の話であって、建物の方は短いスパンで屋根や壁を張り替えちゃうでしょ? カワラとか、カヤブキとか」
それ以前に、日本は単純に古い建物にあんまり興味がないだけだと思うけど。ぶっちゃけ、合板や鉄筋コンクリートの利便性を放り出してまでかまどや囲炉裏の家を選びたいか? エアコン、無線ネット、ホームセキュリティ。その辺の機能性を犠牲にしてまで古き良きを追い求めないっていうか。
「……見るのは楽しいけどずっと住むのはって感じかなあ?」
「そいつは大体世界中どこの観光地でも言える話だわ。ヴェネツィアとか、アルプスの山小屋とか」
途中の道で喫茶店の横を通り抜けた。パッと見た感じだと、コーヒーより紅茶が多そうかな。あれ? カフェラテとかカプチーノってフランスじゃないのか……。クロックムッシュだかマダムだか、一緒についてる目玉焼きの乗っかったパンが妙に凝ってて美味しそうだ。後で食べたい。それからパリの人達はこれみよがしに洋梨のノートパソコンなんか広げて無意味に顎をしゃくれさせたりはしないらしい。……あのナゾの喫茶店文化ってまさか日本だけのオリジナルじゃないだろうな?
人様のスーツケースに腰掛けて楽をするアナスタシアは口元に手をやってくすくす笑いながら、
「グローバリゼーションアレルギーなのよ」
「?」
「何しろEUってでっかい枠組みの中にいるはずなのに、特に工業関係は車から兵器まで自国生産にこだわりまくってるからね。日本じゃまず見かけないマイナーケータイ使ってる人も多いわよ? 失礼、ご当地ってつけるべきかしら」
大体一〇分くらいでホテルに着いた。小っちゃい雑居ビルってスケール感で、きっとシングルルーム以外は取り扱ってない。当たり前のように駐車場なんか存在しなかった。
「……一泊二〇ユーロ。良く見つけたわね、ここはフランスの首都パリのど真ん中よ?」
「はっはっは、マクスウェルの検索能力を舐めるでないわ」
「それ、何でここまで不自然に格安なのか事情の方まで調べてもらった? 機械にデリケートな心の機微を理解できるかしら、ベッドに腐乱死体とかバスルームでバラバラとかじゃないと良いけど」
「……、」
古い屋敷につくメイドな妖精が変に警戒してるトコ見せられるとおっかないな。
建物に入ると、アナスタシアはぴょんとスーツケースから降りた。元気があると短いスカートが危ない。
当然ながら僕はフランス語はできないけど、今時は何でもスマホだ。言葉はいらない。受付で機械だけかざしてチェックインを済ませると、古くて小さい鳥かごみたいなエレベーターで八階へ。どこに非常口があるんだか分かんないような狭い通路を歩いて目的の部屋に辿り着く。
細長い部屋だった。
ていうかまずシングルベッドがあって、ベッドにぶつからないように細い順路を通してあるって感じ。嫌な予感がしてユニットバスの扉を開けてみると、バスタブは体育座りすれば何とかってサイズ感だった。お風呂に入るっていうより、人間を畳んで箱詰めする方が近い。扱い的にはシャワーのお湯が床に広がらないようにする流し台で良いのかな。
遠い目をするしかなかった。
「なるほどねー」
「でろでろの死体ってどの辺に転がってたのかしら」
もうアナスタシアの中では確定情報らしい。短いスカートも気にせずに、猫みたいに這いつくばってベッドの下なんかを覗いている。
……ひとまず部屋の扱いとしては、鍵のかかるスーツケース置き場って感じかな?
ともあれ。
窓際には勉強机よりも小さなテーブルがあるんだけど、椅子がなかった。……まさかベッドが兼ねてる? アナスタシアがそのシングルベッドに小さな体を元気良く放り出すように座ってしまったので、僕はテーブルの天板に体重を預ける事に。
金髪少女は無防備に首を傾げていた。
細い両足をパタパタ、自分のすぐ横を掌で叩いて、
「隣に来れば良いのに」
「とにかく義母さんを見つけて、先回りしないとな」
この広い街に何百万の人がいるかは知らないが、ノーヒントでたった一人を見つけ出すのは相当骨が折れるだろう。しかも相手は水面下に潜ったアブソリュートノアのトップだ。言ってみればガチで世界的な秘密結社。普通の検索方法じゃまず見つからない。
ただし、
「アナスタシア、この街の基幹ケーブルってどこ走ってる?」
「西と東。パリにはセーヌ川が走ってるって言ったでしょ」
「じゃあまずそこだな」
インターネットは蜘蛛の巣みたいに張り巡らされてるってイメージが強いけど、実際はそうじゃない。何百キロ、何千キロって光ファイバーを張るのにもお金はかかるんだから、業者はできるだけ最短コースでまとめたいって考える。海底ケーブルなんかが顕著なんだけど、実際にはいくつかの太い動脈で国や街を結んで、その中でエリアごとに毛細血管を広げていくって考え方の方が近い。
これはケータイスマホなんかの無線も変わらない。携帯電話は無線機じゃない。地上の基地局で電波を受け取り、光ファイバーで相手近くの基地局にデータを届けている。これは同じ部屋で目の前のアナスタシアに一六文字のメッセージを一つ送る時でも同じ。物理的な距離が近いからって勝手にショートカットはできない。
義母さんだって隠れてこそこそしてるんだ。
かくれんぼを制するため、まずパリ中の情報を片っ端から掌握したいはず。特に防犯カメラ、スマホ、ドライブレコーダーなんかのレンズまわりは。全ての光ファイバーが集まる点のスポットには、この街のあらゆるデータが合流する。天津ユリナは、いいや魔王リリスはそこに必ず何かしらの小細工をするはずだ。
事前に覗き見しておけば、誰も見ていない死角を把握して街を移動できる。
「つまり天津ユリナが街に仕掛けた小細工を見つけて、さらにそこへワタシ達がこっそり相乗りするって事?」
「正解。義母さんの視線を盗めば、注目してる場所、周りの目を逸らしておきたいモノ、全部分かるようになる。天津ユリナがどこに潜伏していて、何を隠したいのかだって」
具体的にその細工っていうのが、ハード的な機械を取りつけてるのかソフト的なウイルスに感染させてるのかは未知数。となると実際に現地へ足を運んで調べるのが確実だろう。
「今すぐにでも始めよう。時間は無尽蔵にあるって訳じゃないし」
いざとなれば延長戦で連泊って話になるんだろうけど、国内旅行とは勝手が違うっていうのは何となく分かってる。ビザとかパスポートとか、まあ色々。いざとなれば『ハッカーのアナスタシアが好きそうな展開』に頼る羽目になるかもしれないけど、できれば早い内にケリをつけたい。
そもそも義母さんが預けていたモノに接触してしまえばそこでおしまいなんだ。アブソリュートノアとJBの正面衝突、予測不能な未知の戦争が始まる。一秒の遅れで致命的な事態を招きかねない。
「良いけど、またバスで行くの?」
「そうだけど。タクシーでどこでも行けるほど金持ちじゃないよ」
「一本道の長距離バスならともかく、街中の入り組んだ路線図なんて読めるの?」
「……、」
「地下鉄も以下略よね。ああいうのってリアルな地図とは合ってないから方角だけ見て大雑把に判断って訳にもいかないわ」
ならどうすれば。
根本的なところで躓きそうになった僕に、アナスタシアは片目を瞑ってこう提案してきた。やっぱり旅慣れてる人は違う。
「ならお金がかからなくてトゥルースも乗り慣れてる交通手段を調達すればよろしいのでは?」
「?」
「例えばレンタルサイクル。自転車の乗り方なんて世界中どこでも同じでしょ?」