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「報道のヘリとか……意外だな。これだけの大災害なのに、見た感じ特に飛んでなさそう」
「上だって粉塵だらけでしょ、ヘリなんかエンジントラブルを恐れて離陸許可が下りないんじゃない? あるいは経費削減でみんなスマホ用ゲームパッドで動かす無線LANの空撮ドローンに移したけど、回線トラブルのせいでコントロールできないとか」
カタコンベ近くにあるパリ天文台へ向かうには、とにかく南に行く必要がある。つまり、まず街全体を東西に横切るセーヌ川を渡らないといけない。
「……橋とかどうなってんだ? 渡れる状態なのかよ」
ついさっきジャンクションが崩れるのに巻き込まれたばかりだ。やはり不安が付き纏う。もはや鉄筋コンクリートの絶対性みたいなものは崩れているんだ。セーヌ川にかかる橋は一つじゃないから、崩れて危ないようならパスしてよそに移るのだって選択肢としてアリだと思う。
「……あんなに目立つ凱旋門が見つからないような状況で、他の建物の見分けがつくかどうかが怖いわ」
「流石にセーヌ川がなくなる訳じゃないだろ。無事に渡ったら、しばらく川沿いに東へ進もう。パリ天文台までの道のりは?」
「セーヌ川から向かう道だと、ラスパイユ通りかサンミシェル通りを南下する順路ね。ルーヴル美術館が目印になると思うわ」
「ルーヴルって、あの?」
「……トゥルース、自転車乗ってた時もすぐ横を通ったはずなんだけど完壁にスルーしていたわよね? 敷地が大きくて広場もあるから、この状況でもすぐ見つけられるはずだわ」
「じゃあそこだ」
広場があるなら大丈夫。パリの中心部が丸ごとクレーターや湖になってない限り、いくらなんでも大きな地形は変わってないだろう。可能性がないとは言えない辺りがおっかないが。
ともあれ、まずはセーヌ川だ。
こいつを安全に渡らない事には始まらない。ルーヴル美術館の方まで行ったけど橋が全部落ちていて右往左往、とはなりたくないし。橋については渡れるタイミングでパパッと渡ってしまった方が良さそうだ。
停電した街は暗い。
あちこちでゆらゆらしてる光は懐中電灯か、あるいはスマホのライトだろう。まるで宇宙人が育てた蛍光カラーの麦畑だ。今はバッテリー系の明かりに頼るしかないけど、でもそれもいつまで保つのやら。スマホだとモバイルバッテリーや手回し発電機がなければ数時間でアウトだ。くそ、自転車の前輪と連動するライトはボルトやアンペアを統一するべきなんだ。
時間的にはまだ八時前。
この夜は長くなる。
「……今が真冬じゃなくて良かったわ」
汚れた雨に打たれながら自分の小さな体を抱いて、アナスタシアが呟いた。
「暖を取るために街中で焚き火を始めるようになったらおしまいよ、地下のガス管だって破れているでしょうからね。どこから火事が広がるか分かったものじゃないわ」
バッテリーが切れてスマホのライトを失った連中なら、手作り松明くらいはやりそうだ。リスクなんかどこだって転がってる。周囲に危険をもたらす原動力は、悪意だけとは限らない。
ひとまず南に向かう。
目印は夜空とは違う色彩の、尖った影だった。
エッフェル塔。
あれだけは、どこから見ても一目で見つけられる。確か川沿いを自転車で走った時にも見た。ここがどこかもはっきりしないけど、あの鉄塔を目指せば川に出られるはず。
高さ三二〇メートル以上ある巨大建造物は、この距離から見ても明らかに傾き、折れ曲がっていた。暗闇の中で僕達と同じ方向を見て、瓦礫の前で呆然としている人達の、嘆きともつかないため息を耳にする。胸の前で十字を切っている人も多い。哀しい半分、それでも衝撃に耐えて残った事への喜び半分って感じかな。
途中、その辺に落ちてる鉄筋なんかで鉄のドアをこじ開けて車に閉じ込められている人を何人か助けながら、さらにしばらく歩いていく。
ちなみに鉄筋は捨てた。
武器は持たない。
何を呑気なと思うかもしれない。けど武器は、不信感を表明するのと一緒だ。僕はあなたを全く信用していませんっていうサイン。むしろ逆に協力の可能性を放り捨て、無駄なトラブルを招く方が怖い。もちろんここにいるのが理性をなくした暴徒の群れとかゾンビパニックとかだったら話は別だけど、パリの人達とはまだ協力できる気がする。
……やっぱり甘い、だろうか。
どんな街にも悪人はいる。山盛りの料理に毒液を一滴垂らせば、それだけで人は死んでしまうんだ。だからわずかでも疑いがあれば武器を取るべきって考える人もいると思う。一〇〇万分の一でも紛れ込んだ悪は許さないという考えで。
それに……。
僕はアナスタシアを抱えている。
ずぶ濡れで肌にぺたりと布を張りつけた、一一歳の女の子を。
だけど他の人達だってみんな、この地獄で自分じゃ弁償できない何かや誰かを抱えて生き抜こうとしてるんだから。ありふれた人達が悪行を肯定したり、正しい人を見捨てたりする展開は完全とまでは否定できない。
でも。
自分から武器なんていうトラブルのタネを持ち歩いた方が、大事なアナスタシアを危険にさらす気がする。少なくとも、今はまだ。
「……橋だわ、トゥルース」
そんなアナスタシアが前を指差した。
雨とは別に、ざあざあという水の音が聞こえてくる。
「この辺りには流星雨が落ちなかったのかしら。ちゃんと向こうまで繋がってる!」
車も通れる大きな橋に近づいて、渡る前にまず足元をスマホのライトで照らした。繋ぎ目の所で変にデコボコはしていない、もちろん亀裂もない。石造りだかコンクリだか、とにかく重たそうな橋げたはどうだ? スマホのライトじゃ弱いけど、いったんフラッシュ付きで撮影してから写真の明度を目一杯上げて確かめる限り、こっちも折れたりはしていないようだ。
……いける、か?
デカいトラックやバスならともかく、人間二人が乗った程度でいきなり崩れるようには見えないけど……。
「今なら行けるわよ」
濡れ髪のアナスタシアはやる気だった。
疲労困憊で雨に体温も奪われている。何より文明が恋しい。つまり、早く屋根のある所で休みたいのかもしれない。パリ天文台の状況も分かっていないのに。
「逆に、ここをパスしてもこの先の橋はみんな落ちてるかもしれないわ。散々探し回ってUターンなんかしていられないでしょ」
一理ある。
橋はせいぜい一〇〇メートル前後。いつもだったらまあ一五秒もあれば走り抜けられる。そんなに脅える必要はないのかも。
ただ、その計算で良いのか?
最悪、真ん中辺りでいきなり橋が折れて川に投げ出された場合、岸まで何十メートルだ? 服を着たまま流れのある川を泳ぎ切れるか? まして、落下した先で水面から飛び出したデカい瓦礫や鉄筋にぶつかって骨でも折ったら? 陸と水では長さの感覚はまるで違う。しくじった場合は、こんな簡単な事で命を落とす。
「トゥルースっ。行くの、やめるの? 早く選んで!」
「あっ、ああ……」
無理をする必要はない。
だけどどっちみち、どこかで必ずセーヌ川にはアタックしないといけない。次の橋がここより安全なんて保証はない。この橋だっていつまでこの状態かは未知数、誰にも断言できない。例えば大型のトレーラーや消防車が無理して渡ろうとして、崩してしまう恐れだってあるんだ。
行けるか?
怖いけど、ほんとは分かっているはずだ。
イエスかノーかの天秤は半々じゃない。十中八九大丈夫だけど、残りの少数が怖いだけ。だけど今このパリで一〇〇%の安全だけを選んでいくのは多分無理だ。結局、比較的安全辺りが関の山。生き残れる確率が高い方を選んで進むしかない。
それなら、
「……分かった。このまま渡ろう」
「よしっ」
恐る恐るだった。
足場は硬い。きっといつもと変わらない。だけど何だかぐにゃぐにゃするような、雲の上でも歩いている気分だった。生きた心地がしない。
ぎし、とベッドが軋むような音に心臓が縮んだ。
何だ? 金属音???
「……アナスタシア、こっちに」
「何よトゥルース?」
僕はある一点を見たままアナスタシアを近くに呼び寄せた。慎重に。
橋は無事だ、きっと崩れない。
けど本来だったら等間隔で並んでいるはずの街灯が、変に不均一だった。街全体が停電してるから分かりにくいけど、所々で光の消えた柱が倒れている。あんなのでも金属製でバーベルより重たいんだ、不意打ちで下敷きにされたら多分助からない。同じく、車道と歩道を区切る金属製の手すりは街灯に押し潰されてべっこりへこんでいた。
「なあこの橋、通行用だけだよな?」
「人と車以外に何を渡すのよ。電車とか?」
……相乗りでガス管とかは渡してないよな、今さらだけど。
アナスタシアを怖がらせないよう、目や耳の他にこっそり鼻まで動員してみるけど、いまいちはっきりしない。なんかうっすら異臭みたいなのがするけど、どうも泥っぽい匂いだ。これは川の上にいるからかな。セーヌ川の実際の水質は知らないし、今は不自然に汚れた雨が降っているから川の匂いがきつくなっているのかも。あるいは地盤への衝撃で普段は川底に溜まって大人しくしている泥が浮き上がった可能性だってある。つまり仮の話なら何でも言えた。高校生程度の知識じゃ役に立たない。
変に立ち止まって悩むより、さっさと橋を渡ってしまった方が良いかもしれない。頭で何を考えたところで、橋の上にいる限りずっとリスクは付き纏うんだし。
そう思って、橋の真ん中辺りまで来た時だった。
今度こそ、あった。
異変の正体は音だった。
ばしゃばしゃという濁った水音が聞こえてきたんだ。やっぱり立ち止まるべきじゃなかったかもしれない。一気に走り抜けて危険から逃げ切る選択肢もあった。もしも一〇〇万ドルの夜景に彩られたピカピカの不夜城ならそうしてた。だけど濃密な暗闇は、僕達の心にがっちりブレーキを掛けてきた。考えなしに全力疾走したら瓦礫やガラスで足を怪我するかもしれないし、最悪、途中から橋がなくなっていて真っ逆さまの可能性だってある。行動に出るのは情報を知ってから。そんな『当たり前』の慎重策が、大胆な行動っていう選択の自由を奪い取る。
「なっ、なに? トゥルースも聞こえるわよね、これ」
「下からだよな……」
下。
一瞬、橋に沿ってガス管や水道管が走っている可能性を考えた。どこかに亀裂が入っているんじゃないかって。でも少なくとも、気体が漏れ出るような音じゃない。ガス特有の異臭もない。下水とかも嫌だけど、でもそっちはいきなり大爆発する訳じゃない。多少は変でも、やはりこのまま進むべきだ。
と。
橋の欄干にお腹を乗っけて身を乗り出し、足でバランスを取りながら小さな手で真下に向けてスマホのライトを向けていたアナスタシアがぽつりと呟いた。
「……ねえトゥルース」
「何だよ?」
「何か変よ、おかしい」
見てはいけないものを見つけてしまった。そんな呆然具合だった。僕は眉をひそめてアナスタシアの眺めている先を視線で追いかける。橋じゃない。橋げた? いいや、気になるのは真っ黒な水面だ。橋げたを光で照らしてみると、橋自身が屋根の役割をしていたのか、雨の中でも川の水に濡れている場所とそうでない場所の境が見える。何故か、今ある水面よりも上、一メートル以上高いラインに。
……波が大きくぶつかっているから? でも、海と違って穏やかな川なのに。
と、そこで妙な事に気づいた。
橋げたに波がぶつかっているけど、方向がおかしい。あれ? あっちは下流に面した側のはずじゃあ……?
ばしゃばしゃ。
下流から上流への不自然な波のぶつかり。
橋を揺さぶるほどの振動。
「……なあアナスタシア、海まで何キロだ?」
「直線で一〇〇キロ以上。なに、大きな波が押し寄せる危険まで考えてるの? いくら流星雨が落ちたって言ってもドーバー海峡の海水がこんな内陸まで……」
「なら、ありゃ何だ?」
アナスタシアの言葉が止まった。
視線を下から遠くへ。闇の奥を凝視してみれば、分かるはずだ。ざあざあと音を立てて、川の流れを逆らうように迫り来る、とてつもなく巨大な何かが。
「えっ……」
目で見ても。
それでもアナスタシアは信じられないようだった。
「なにあれっ、だって。川の水が、西からこっちにきてる? 待ってよ、あっちは下流だわ。そんな、地球の重力を無視して遡ってるなんて……???」
「逃げるぞアナスタシア、この橋もやられる」
「待ってよ! だってあんなのニュートン力学的に言ってありえないわ!!」
「海じゃない、多分もっと近くだ。どっか下流の方に流れ星が落ちたんだよ! だからポンプで押し出すように大量の川の水が上流へ押し寄せてきた!! 水位が下がったのはサーフィンの大波みたいにロール状に巻かれた水が手繰り寄せられたからだ。アナスタシア早くっ!!」
小さな手を掴んで走り出す。
直撃までどれくらいだろう?
ここは橋の真ん中。全部で一〇〇メートル前後のさらに半分、ダッシュで走れば一〇秒もかからないはず。
間に合う。
向こう岸まで走っても大丈夫なはず。
これ以上のトラブルさえ同時に襲ってこなければ!
「あっ!」
「転ぶなよアナスタシア」
小さな金髪少女を支えながら言う。あちこち街灯は倒れているし、乗り捨てられた車なんかもある。けど立ち往生ってほど大きな障害物じゃない!
お互いの体温を確かめ合うように、僕達は手を取り合って二人で橋の上を走る。
「それから照らすなら足元を集中的に頼む。前は僕が見るから!!」
振動が大きくなってきた。まだ無事に立っている街灯だって危ないかもしれない。
たったの何秒かが、恐ろしく長い。
息が切れる。
怖い、緊張で体が強張る。
確実にソレは迫る。
少しずつ音の細部まで分かってくる。単純なざあざあじゃない。バキバキっていう、枝を折るような音が混じってる。ほんとに枝? ていうかアレ、川の話だけじゃない。左右に大きく水が溢れ出して、岸辺にある街路樹とか自転車とかをメチャクチャに薙ぎ払ってる!!
「来るわよっ、トゥルース!?」
「もう渡り切る! とにかく高い所へ!!」
橋を渡った先は開けた広場だ。いっそ悪意的に思えるくらい平べったくて高台の逃げ場なんかない。そして唯一そびえ立つのは軋んだ音を立てるエッフェル塔。確かにあそこへ逃げれば波はしのげる。と思う。けど出入り口はどこだっ!? 階段、エレベーター? 多分展望台くらいあるだろうけど、もしもゲートが電気でしか動かないなら締め出しを喰らっておしまいだ。
ダメだ。
スマホで事前に検索できないと不安で不安で仕方がない。この目で見て確かめられるものしか使えない!
ざばんっ!! という波を破るような音が響く。いいや、おそらくは莫大な水がコンクリで固めた岸をぶっ壊したんだ。水って語感だけだと柔らかいイメージがあるけど、あんなもん直撃したら耐えようとしても引きずり倒されて水の中に沈められた上、どっちが水面かもはっきりしないまま溺れ死ぬのが関の山。生き残りたいなら、絶対に背後から押し寄せる、夜の色を吸い込んだ黒い水には触れちゃならない。
「こっち!!」
「っ!?」
何かを見つけたアナスタシアに手を引っ張られた。どこにでもある小さな小屋? いやガラスでできた喫煙所か。高さは二メートルよりちょっとあるくらいだ。ないよりマシっ!! これなら……、
「ひゃっ」
ひとまずアナスタシアの両脇に手を通して屋根の上に上げる。驚いてばたばたさせた小さな両足で肩や顔を踏まれたけど、ここは我慢っ!
僕は……いけるか?
「トゥルース、手。手を出してっ!」
「無理だアナスタシアっ」
「やってみなくちゃ分からないわ!!」
……高さ的に僕一人じゃ上がれないし、どう考えたって一一歳の女の子の手を借りても僕の体重を支えきれず一緒に転げ落ちるだけだ。せっかく仮初めとはいえチャンスのありそうな安全圏まで押し上げたアナスタシアを再び危険な地べたに引きずり下ろす訳にはいかない。
それでも無駄な足掻きで自力で両手を屋根の端に引っ掛けるけど……やっぱり苦しいっ! ガラスの壁だと両足の取っ掛かりが何もないから、地味に上がれない。腕の力だけじゃ自分の体を持ち上げられない。ううっ、モヤシな自分が恥ずかしいけど、実際できない高校生なんてこんなものだ。直角九〇度の濡れた出っ張り。これがきちんと握り込める鉄棒ならっ、一回くらいは懸垂できたと思うんだけど……!!
ざあざあって音が近づいてきた。
ここまでかっ。
「アナスタシア、お前はここにいろよ」
「トゥルースっ?」
「絶対降りるな! 分かったな!?」
迷っていられない。
喫煙所から離れて音源の正反対へ走る。追っ手が迫る。トラックで追い回されるなんて次元じゃない。バキバキって音の正体は、ベンチか街灯か。後ろを振り返ったら恐怖で縛られる。絶対そうなる、分かりきっている。
怖い。
目尻に涙が浮かぶ。
景色が見えない。歯を食いしばっているのにカチカチ奥歯がうるさい。
そして安全地帯なんかない。
何か。何か一つでも良いっ、高台の代わりになるものはないのかよ!?
「あああ」
とにかくエッフェル塔のための広場が均一に平べった過ぎる! 避難できそうな建物なんかどこにもない!!
「ああああああああっ! ああああああああああああああああああああああああああ!?」
視界の端で黄色い何かがちらついた。
スマホのライトを向けるとクレープのキッチンカーだった。基本は軽トラだけどお洒落仕様なのか、ボンネットが前に突き出ている。
腰くらいまでの高さの、低い段差。
あれを踏めば高い屋根まで普通に上れる!
「っ!」
ここしかない。
ボンネットに飛び乗ってフロントガラス側から車の屋根に手を掛けた時だった。
巨大な波が直撃した。
一発で視界が横に押し流される。
喉が干上がった。
きちんとした台座で大地に根を張ったコンクリートの建物と違って、たった四点で支えるだけの車なんて頑丈そうに見えてもこんなものかっ!
とにかく震えながら屋根の上まで上がり、金属の高台に両手両足でしがみつくしかない。横滑りはしているけど、まだ大丈夫なはず。結構ギリギリ、二メートルくらいまで夜の色に染まった黒い水が押し寄せてくる。だけど屋根の上まで上がってしまえば体が波に流される事はない。車そのものが横転したりしなければ死ぬ事はないはず。
そう思っていた。
何か圧みたいなのを感じて振り返って、頭が空白で埋まった。
鉄骨の塊。
それを支える巨大な台座だけで、すでにこのキッチンカーよりはるかに大きい。
忘れていた。
ここはエッフェル塔の根元に広がる広場だった!!
「っ!」
カエルみたいに濡れた屋根にしがみついて直撃に耐えようとした。
でもそこで気づく。
車はただでさえガソリンを抱えた可燃物の塊だ。しかもこいつはキッチンカーだから、おそらくプロパンのボンベなんかも積んでいる。
直撃して、そうなったらどうなる?
金属フレームが歪んでガラスが砕けて……本当に、そこでおしまいか?
「はあ、はあ!!」
決断の時だった。
触れたら死ぬ、夜の色を吸った黒い水。
そんな定義を覆して、僕は自分から飛び込んだ。
直後に眩む。
激しい音と光で、意識が途切れかけた。
キッチンカーがエッフェル塔の四つある基部の一つ、それを守る金属の柵に激突した途端、破れた金属容器から溢れたガスやガソリンが何かと引火して大爆発を起こしたんだ。