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考えられる限り、全ての出入り口にカメラとライトを設置する。
どれだけ微弱であっても外から中へ投じた光は屈折、反射を繰り返し、人の目には感じ取れないレベルにまで減衰しようが必ず別の出口へ辿り着く。
カメラはその弱い波を捉える。
迷路のようなカタコンベのどこかに人が立ち入れば、どんな形であれ光は遮られる。
二〇なり三〇なりのカメラが各々捉えた『陰り』の信号を統合する事で、逆に人影が迷路のどこにいるかを逆算する。
つまり迷宮全体を光ファイバーにでも見立てて、ねじ曲がったファイバー内を不規則に転がる砂粒を正確にサーチする、って考えれば良い。
カタコンベは結構広い。
地上を歩いてあちこちにカメラを仕掛けていくだけでも、ちょっとしたウォーキングになりそうだ。
それでも大体終わらせた。
出入り口の一つ。ここは雨を気にせず進める地下道か何かの拡張工事でぶつかったのか? とにかく雑な鉄扉の奥を覗き込む。
「こんな感じか?」
『シュア。ただしカタコンベ自体の全貌が見えていないため、結果に誤差が生じる可能性があります。大雑把に距離や方角は検知できますが、合流したと思ったら両者がいるのは地下二階と地下三階だった、直線通路と思ったら鉄格子で塞がれていた、などのアクシデントにも備えてください』
「そもそも動く影はいるのか?」
『います』
あまりにも即答過ぎて、逆に実感が湧かなかった。
アナスタシアが飛び上がって、
「それじゃあアブソリュートノアは在庫引き出しを続行しているって事!? まだ戦争なんて言葉にこだわって!!」
『不明です。そもそも分かるのは人の影であって、それが具体的に誰かという特定はほぼ不可能です』
「……つまり、義母さん以外の線もあると?」
『わざわざこんな日に地下墓地に入りたいと思う人がいるかは不明ですが。一時的な避難か、盗品を隠しているか、あるいは元からここを寝床としている路上生活者でもいるのか。選択肢だけならいくらでも』
……他にも、アナスタシアは酸性雨から地下墓地を守ろうとしてビニールシートを引っ張り出していたっけ? 見渡す限り人骨を敷き詰めた迷路なんて僕からすればおっかないけど、中には心配して被害の有無を確かめに来る人とかもいるかもしれない。
だとするとまずいぞ。
そういった人達がたまたまアブソリュートノアと鉢合わせしたらどうなる? ただでさえ後ろめたくて秘密にしなくちゃいけない何かを抱えていて、しかもすでにJBから受け渡しの妨害を受けているんだ。義母さん側が疑心暗鬼に囚われている場合、安全を確保するためにとりあえず排除、なんて考えにもなりかねない。
そうなる前に。
虎の尾を踏む事がないように、危険を伝えるかカタコンベから追い出さないと。
『当然ながら、天津ユリナ夫人以外の人物であってもリスクは否定できません。そもそもこの状況でカタコンベに人がいるのは不自然ですし、向こうもユーザー様を見つければ不審に思うでしょう』
「分かってる……」
ついさっきも、普通に買い物をしただけで斧を投げつけられたばかりだ。本人が正しいと思ってる事と、それが実際に正しい事なのかはまた違う。正しいと思って間違った判断を下す人物だっている。……善良かどうかは、安全かどうかまでは保証してくれないって訳だ。
まして、他に誰もいない地下深くで、間違いと知ったまま間違いを犯せる人と鉢合わせしたら?
つまり。
本物の、確信犯の悪人に。
それだって、やっぱり確率はゼロじゃない。
「……アナスタシア」
「嫌よ。今度はワタシも行くわ」
いきなり拒絶された。
小さな金髪少女はぷーっと内側からほっぺたを膨らませて、
「ワタシの知らないトコでトゥルースが危険な目に遭うの、さっきが初めてじゃないわ。エッフェル塔の辺りでもトゥルースはやらかしていたわよね。だから行く。もう、自分の選択肢を横から取り上げられるのは真っ平だわ」
『シュア、システムとしても何かと暴走しがちなユーザー様を物理的に止められる人物の同伴を強く推奨します。それから表で待たせておけばアナスタシア嬢が安全などという保証は一ミリもありませんが』
ひどい扱いだ。
ただ、一一歳のアナスタシアを一人にしておいてさっきみたいな『正しい人』が来た時も問題か。災害現場じゃ保護と誘拐は紙一重って聞くし。
「……分かった。離れるなよアナスタシア」
「保護してるのはこっちですう」
何とも頼もしいアナスタシアに小さな手で導かれて、一歩。
カタコンベの中へ。
湿った場所だった。
涼しいというか、寒い。今さらながら雨でずぶ濡れだった事を思い出す。
スマホのライトを向けてみれば、入って五歩で白いゴツゴツが壁を埋めているのが分かった。
人間の頭蓋骨がびっしり。
「……、」
「トゥルース?」
アナスタシアはキョトンとしていた。
骨が怖い、んじゃない。次第に慣れてきている自分に驚いていた。殺人現場で死体と同居しているっていうよりも、生物室の骨格模型くらいの気持ちまで感情が落ちてる。
これで良いのか?
効率は上がるんだろうけど、代わりに、知らない間に見えない心の表面を削られているような。
素材を無視すれば、感じとしては手掘りのトンネルとか映画に出てくる防空壕みたいな見た目だった。両腕を水平に広げれば左右の壁に指先がつく程度の湿った通路で、湿気のせいか天井から水滴が落ちる音が時折響く。
「保護の状態どうなってんのよ。歴史的な遺産なんでしょ……」
アナスタシアは半分呆れたように言っている。
通路は直角に折れ、さらに進むと枝分かれしていた。こちらは白っぽい石でできた、下への階段もある。
「マクスウェル」
『反応は下からです』
……そういえば、下に降りても電波は繋がるよな? 多分ここは観光コースじゃないし、地下深くでいきなり途切れたら死の迷路に閉じ込められるぞ。
「パンくず落とすとか、アリアドネの糸とかって必要?」
「やめてよね、歴史的な遺産って言ってんでしょ」
富士の樹海でも落書きとかが問題になっているんだっけ?
常に電波状況を確認しつつ、階段を降りていく。これ、マジでダンジョンだ。
「ああそれ、語源的にはフランス語なのよね。お城の主塔、ドンジョン。中には不気味な牢獄なんかもあったとか」
アナスタシアからいらぬ本格仕様のお墨付きをもらいつつ。
幸い、電波は大丈夫っぽい。
通路を塞ぐ錆びた鉄格子の扉は太い鎖と南京錠で雑に閉じてあった。ただ、侵入者が通っているとすれば錠前は外してあるか鎖が切れているはず。念のため蝶番とかも見てみるけど、赤い錆が床に落ちている様子はない。誰も動かしていないならひとまず無視、かな?
「立入禁止の鉄格子、どうしても先に行かなくちゃならない事態になったらどうする?」
「錠前については市が後からつけた備品だからぶっ壊しても問題ないわ。ホームセンターで五ユーロくらい?」
「そっちじゃなくて、技術的に」
「多分ソフトボール大の石を叩きつけたら普通に砕けるわよ? カタコンベって別にダイヤや金塊を守るために鍵をつけてる訳じゃないんだし。最低限、観光客が死の遭難コースに迷い込まなければオッケーってだけ」
……僕達にもできるって事は、義母さん達なら造作もないだろう。動向を探る意味でも、鉄格子は見つけるたびに鍵を確認してみるか。
不幸中の幸いなのは、変な虫やネズミなんかがいない事かな。ジメジメした広い地下空間だけど、食べ物がないからかもしれない。
何度も通路を曲がると、もう方向感覚も曖昧になってきた。
案内板のない巨大な地下鉄駅をひたすら歩き回っているって感じだ。
だから正確な事は言えない。
しばらく歩いた時だった。
何かが変わった。
『警告』
「……、」
いったん、だ。
スマホのライトを消す。画面のバックライトもだ。完全な暗闇の中、アナスタシアの小さな手を握った。
息を潜める。
……やっぱり何か違う。圧? それとも温度か空気の流れだろうか。きちんと言えないけど、何かがわずかに遮られている気がする。
距離感は掴めないけど、いる。
誰かいる。
心臓が縮む。人の気配が嬉しくないなんて事態も珍しい。
「(アナスタシア、しばらくスマホは禁止だ)」
「(明かり厳禁なのは分かるけど、じゃあどうするのっ?)」
人工の光を消せば、後は塗り潰したような闇。
少なくとも通路の先から光は漏れてない。暗視ゴーグル装備の人間とか夜目のきくアークエネミーとかだったら打つ手なしだけど、まだ遠いか、あるいはあっちも明かりを消して様子を窺ってるっぽい。スマホのライト自体は消したけど、おそらくあっちの方が先だった。しかもここは一本道だ。鉄砲なんかで大雑把に乱射されただけでも逃げ場がない。火炎放射器とかだったら最悪も最悪だ。
余裕が欲しい。
相手より情報で上回りたい。
……防犯ブザーやライトを出入り口に固定するのに、ビニールテープを使っていたよな。今時のデジカメは人の目より高性能だし、光さえ漏れなければ。いけるか?
「っ、何かでピントを合わせる必要があるか。アナスタシア、お前本職のハッカーなんだから細々とした工具セットくらい持ってきてるよな? スマホの蓋を開けたり基板をいじったりする系の」
「? トゥルース何してるの?」
「とにかく精密作業用のルーペを貸して欲しい。ほら早く」
「わひゃっ? どっどこに手を突っ込んでいるのよトゥルース!?」
「しっ」
なんか暗闇の中でわたわたし始めたアナスタシアを黙らせる。
やってるのは簡単で、横に倒したスマホを両目に押しつけた上で、顔と機材の隙間をビニールテープで塞いで固定しただけだ。ピントを合わせるために、適当なレンズを噛ませているけど。これに簡易VRのアプリと肉眼より精度が高いイマドキのスマホカメラを連動させると、だ。
「マクスウェル」
粗いけど、出た。
補整用のレンズが一つしかないからキープできるのは片目だけ。でも一応はゴツゴツした人骨の壁も、大雑把に通路の奥行きも認識できる。大きく首を振ると若干ブレが出るけど、真っ暗闇よりは断然マシ。
いけるぞ、DIY暗視ゴーグル!!
「トゥルース? 説明して」
「ぶっ!?」
考えなしに視線をやって、危うく大声を出しかけた。ただでさえ薄着でずぶ濡れ、しかも暗視補整が変な風に作用したのかっ、透けてる。アナスタシアのうっすーいドレスがすっけすけになってる!?
何にも気づいてねえ無防備少女は奇跡的に長い髪でガードしたまま怪訝な顔で首を傾げて、
「トゥルース???」
「何でもないっ、とにかく暗闇でも視界は確保できたぞ。手を引くから先に進もう」
正面に立たせるとメチャクチャ心臓に悪いっ。かと言って安全に進むためには暗がりで光は出せない。ここは僕が一歩前に出て先導しよう、そうすればアナスタシアを視界から外しておける。
ちなみに暗視装備を確保しても鉛弾は止められない。向こうが『見えていない』としても、適当な乱射だけで十分危ないんだ。できるだけ通路の壁際に寄りつつ、頭を低くして、ゆっくりと音を立てずに通路を歩いて進む。
次の角までは……一〇〇メートルくらい? 近づくにつれて、緊張が高まる。
曲がり角の向こうに誰かいたとして、どうする。一般人か、アブソリュートノアか。確かめる方法はないし、よしんば一般人として向こうは不審に思わないのか。ただでさえこの人骨だらけのカタコンベの中、明かりも持たず暗闇の中を手作り暗視ゴーグルをつけてひっそり近づいてくる知らない人間なんか。
何か。
判断を誤ったか?
けどここはアークエネミー・リリス、アブソリュートノアを支配する天津ユリナの秘密が眠る場所。すでに敵地だ。呑気に無害アピールして相手がアブソリュートノアの精鋭だったらそれこそ目も当てられないし……。
正しい答えなんかないかもしれない。
とにかく角まで辿り着いた。
ごくりと喉を鳴らして、そっと奥を覗き込む。
「……誰も、いない?」
「トゥルース、手探りじゃなくて、まさか見えてる???」
確かに『何か』あったのにな。ただのプラシーボか? あるいは慎重になりすぎている間に、奥にある別の通路に消えた?
間が抜けた感じで緊張が緩む。
ロシアンルーレットでハズレが確定した時ってこんな気分なのか?
安心はするんだけど、拭えない。ごりっとした不審の塊が胸の中に残っている。
すぐ隣では、まっすぐ見れない感じのアナスタシアが何かごそごそしていた。
「そうか、スマホのカメラと画面使った暗視ゴーグルだったんだわ。そんなアイデアあるなら教えなさいよトゥルース」
「あっ!」
ヤバいっ、あのルーペ予備でもあったのか!? あれさえなければ至近べったりな画面と目のピントを合わせられないから真似される心配もなかったのに!
「どれどれ、こんな感じかなーと。……、……………………………………………………………………………………………………………………………」
ようやっと事態に気づいたらしいアナスタシアが沈黙していた。主に視線を下げ、暗視補整下だと自分のドレスがどれくらいすっけすけになるかを確認して。まあ、うん、ええと、アナスタシア。長い髪のおかげでギリギリ守られているけど、一一歳ならそろそろブラジャーが必要になってくるお年頃なんじゃないカナー?
音もなく、そっと逃げようとしたら物理的に手を噛まれた。
「がるぐるぐる!! トゥルースっ!!」
「痛い痛いぎぃやあ!? 不可抗力っ、僕だって試してみるまでこうなるなんて知らなかった!!」
「でもがっつり見てたわよね? 黙ってずっと見ていたわよね!?」
「頼むアナスタシアできるだけそっち見ないようにしてんだから正面に回り込むなっ! 髪だけじゃ怖いからちゃんと手でガードして!!」
……こ、これだけ叫んでいても反応がないなら、やっぱりもうここには誰もいないのか? アブソリュートノアは一体どこに消えた?
隣からなんかブツブツと呪詛の声が流れてくる。
「トゥルースばっかりずるいトゥルースばっかりずるいトゥルースばっかりずるいこんなの不公平だわ」
「ちょっと静かにしてくれアナスタシア」
「ワタシの納得は!?」
「えー? 俺のなんか見てどうするんだ。しょうがないわがまま娘め。ほら、どれだけ頑張ったってパパお乳なんか出ないけど、寂しくなったらいつでも吸いついても良いんだぞ。……あのう、これが正解?」
「……おかしいわ、同じ事を髪のガードもなくやり返したのにどうしてワタシがダメージを喰らうの? トゥルースってこんなドヘンタイの道を突っ走っていたかしら」
『今さら何言ってるんですか』
でかいっ文字が!? いやまあ目線を隠すよう顔にスマホをベタっとつけてるからだろうけど。
ややあってふきだしが小さくなった。
そして文字列はサイテーだった。
『デコメガネ委員長の水着ダンス見たさに完全VRの災害環境シミュレータを組み上げた人ですよ。歴史に名を残すド級の変態に決まっているじゃないですか』
「マクスウェル、このふきだしを使ってアナスタシアの体を隠せ。早くっ」
アナスタシアはアナスタシアで、なんか涙目でビニールテープと格闘してた。ていうか手が入ってるのは服の中だ。
「……ああもうっ、どうしても透けちゃ困るトコはテープで塞いでおこっと」
……まあ、防御力としては絆創膏とどっこいどっこいかな。言ったらまた噛まれるからそっとしておこう、あっちはできるだけ見ないようにしないと。
女の子の準備ができたら改めて奥へ。
どこを見ても似たような人骨通路と、丁字や十字の交差点に階段。後は錆びた鉄格子。先に進んでいるのか一定エリアをぐるぐる回っているのかもはっきり言えなくなってくる。
奥にはやっぱり人影はない。
ただ気になったのはそこじゃなくて、
「……マクスウェル、これ何だ?」
『注目しているのは床ですか?』
「ああ」
「ねえトゥルース、こっちにもマクスウェルのメッセージを教えてよ。これじゃアンタの画面は見えないわ」
アナスタシアが僕の服を掴んでぐいぐいおねだりしてくるとまたキケンなビジュアルが目の前一杯に飛び込んできそうなので(てかあれで隠したつもりなのかっ?)適宜会話内容を補足しつつ、だ。
『何かを引きずったらしき、水っぽい痕跡が見られますね』
「小さな車輪、だよな。台車とか?」
『二重に引いてあるところからして、おそらくスーツケースでしょう。車輪幅からメーカー名を検索できますが、実行しますか?』
「いやいらない。必要なのは中身だろ」
『ではこちらだけ。おそらく二重車輪が四セットですが、その間隔を見る限りスーツケースの容量は八〇リットルほどですね』
「……札束から小型核まで何でも入りそうだな」
『シュア、手足を曲げれば人間でも収まります。または、人間大のアークエネミーでも』
参ったな。
やっぱり『いる』って事で間違いなさそうだ。ただこいつがアブソリュートノアだとして、ここまできても相変わらず扱う品が見えてこない。毒ガスとか細菌とか、漏れちゃ困るものじゃないと良いんだけど。
……一般人の可能性は低そうだな。
八〇リットル? これだけの大荷物を抱えておいて、普通の人が明かりも点けずに移動できるか? 壁に擦ったような跡もないし。やっぱりこいつ、僕達と同じかそれ以上の暗視装備持ちだ。
いる。
義母さんが統率するアブソリュートノアまでは、近い。