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 義母さん、天津ユリナがJBとの全面戦争を想定してーーーもちろん勝って当然ってレベルでーーー何を引き出そうとしているのかはまだ見えない。けどぼんやりと輪郭くらいは浮かび上がってきたか。
 オカルトとかアークエネミーとか、古臭い伝統から遠ざかった気がする。
 むしろ方向性は逆。
 細菌や毒ガス、コンピュータウイルスやマイクロ波兵器といった方向性だ。
 というか、だ。
「……なあ、あんまり聞きたくないんだけど、確かフランスって核保有国だったよな?」
「ハッカーとしてここまで弾頭の発射コードに近づいたのはワタシ達が世界初かもね。先に入ったアブソリュートノアの目的が核管理システムでなければだけど」
 まだ、仮定だけど。
 でももしもこれで『正解』だとしたら、釣り合うか? JBの連中がバカスカ流星雨だの小惑星だのを落としたのだって。
 これがアブソリュートノア、天津ユリナの戦争準備? 勝つために必要な武器の引き出し作業、正面衝突でぶつけるための???
 ……何やろうとしてるんだよっ、義母さん! アンタはただ自分の持ち物を引き出そうとしてるだけかもしれないし、どうせカラミティで世界が滅ぶなら極めて重度の汚染も気にしないって考えかもしれないけどさ!!
 人の気配はなかった。
 職員も、警備員も。
 先行するアブソリュートノアが直で地上から国防省に入らなかったって事は、この地下フロアはまともな順路からじゃ繋がっていないんだろう。ひょっとしたら上の階で働いているエリート官僚の大多数は、こんなフロアの存在自体知らないのかもしれない。
 つまり。
 それだけヤバいものが管理されている。
 ……そう思って改めて観察してみれば、そうだ。このフロア、防犯カメラがない。壁の中に隠されているとかって話でもない限り、身内にも出入りの様子を知られちゃならないって訳だ。
 人がいないのは元からだろうか? あるいはアブソリュートノアが排除した……?
「あれ? けどそれって、スーツケースは何なのかしら」
 アナスタシアが口では言えない場所から剥がしたビニールテープを小さな手の中でくしゃくしゃ丸めながら、
「ワタシ達、カタコンベでは車輪の水の跡を追っていたじゃない。ただ、ここで核発射コードとかデータを奪っていくつもりなら、大荷物を抱えて入っていくのって違くない?」
「相当特殊な大型工具の詰め合わせとか、侵入用のコンピュータとか……。あるいは空っぽかもしれないぞ。奪った戦利品、例えば分厚い紙の書類やハードウェアを入れるためとかで」
「でっでも、国防省に弾道ミサイルや核兵器が眠っている訳じゃないわよ? 発射コードだって、映画と違ってそれだけじゃあミサイルは撃てないわ! 実際には煩雑な手順が山ほどあって、一つでも手違いがあればコマンドは実行停止になる!!」
「ただし核管理システムにはオールリセットがある」
「……、」
 アナスタシアは善意のハッカーだ。
 だから脆弱性のウワサについても敏感なはずなんだ。こんなのは釈迦に説法なんだろうけどさ、あったはずだ。特にアメリカ・イギリス規格を嫌って独自路線を突っ走ったフランス製については、最悪の疑惑が。
「バグ持ちや旧式化したセキュリティを総交換したり、新しい大統領が就任するたびに指紋や虹彩なんかの生体認証ロックを登録し直すために、弾頭のシステムのセキュリティをまっさらにする機能だ。こいつを発令したら強固な防御なんて丸ごとなくなる。弾頭側にある一つ一つの項目を細かく再設定し直さない限り、オンラインで外からつついて刺激しただけで誰でも自由に撃てる丸裸の『出荷時設定』にまで戻ってしまう」
「でっでもだって、核発射プロセスにはかならず人の手を挟むせーふてぃがあって……」
「それ、全部オンライン作業で済ませられる疑惑があったよな? 匿名で技術者コミュニティに告発したのはお前だろ、アナスタシア」
 ひとまずここが最低で最悪。
 義母さんの動きについては推測であって確定じゃない。細菌兵器や化学兵器、通常弾頭や無人攻撃機など、実際に狙っているのはもっと扱いやすいカードかもしれない。ただ読みが外れたとしたって、最悪を想定して動けば同じ手で対処はできるはず。
 だとすれば僕達はどこから攻める?
 アブソリュートノアの方が手が早い。一手でトドメを刺せるくらいの切り札を使わないと、多分悪い流れを止められない。
 僕達の目的は後追いで事実を突き止める事じゃない。先回りして事前に食い止めないと意味がないんだ。
「……マクスウェル、合図をしたらこのスマホからデータ退避。破損ファイルの読み込みでコンテナ本体をやられるなよ」
『やはりその手しかないでしょうか』
「電磁パルスでも高出力のマイクロ波でもアース線の連結でもいい。とにかく国防省地下フロアのコンピュータを残らず焼き切るしかない。今すぐに!! そうしないとオンライン操作一つで何十発の核ミサイルが大空を飛ぶか分かったもんじゃない!」
『当然ながら違法行為ですよ。ユーザー様はフランス国籍を持たないので国家反逆罪には問われませんが、普通に交戦権を持たない外患戦闘員として扱われるかもしれません。つまり見つけたら射殺せよ、です。仮に核脆弱性が真実なら、仏政府は自らの不備を絶対に認めないでしょうからね。ユーザー様の行動の正当性が表に出る機会は永遠にありません』
「……このまま黙っているよりマシだろ」
 戦争、と比喩的に繰り返してきた。
 だけどここまでとは思っていなかった。保有国からの、核乗っ取り。戦争の中でも最悪の部類じゃないか。
 僕は天津ユリナにはパートのレジ打ち主婦であってほしいんだ。そういう自慢をしたい。人類を滅亡に追い込んだ魔王リリスとして歴史の教科書にデカデカと顔写真を載せるなんて真っ平だ。
 そう、滅亡。
 フランスの核だけでも世界中の人達を殺せる。しかも弾道ミサイル用の早期警戒レーダーが反応したら、よその国の弾道ミサイルも報復で発射される。その全部が見当違いで地球全土に死の灰が降ってくる。一回の決定で大惨事だ。
『電子発破の準備までは手伝いますが、物理的に全館設備を吹き飛ばす前にアブソリュートノアの狙いがオールリセットであると確定を取る事を極めて強く推奨します。読みを外してテロリストでは目も当てられませんしね』
「分かってる。アナスタシア、お前は先に戻ってろ! アンタに付き合う義理はない!!」
「冗談言ってんじゃないわよ。アンタの一存でこのワタシから正義を奪わないでちょうだい」
「アナスタシアっ」
「噛むわよ。アンタがただのテロリストになりたくないように、ワタシもただのハッカーにはなりたくないの。こんな世界の危機を放り出して一人で逃げたら、ワタシの芯がなくなるわ」
 睨み合いをしている場合でもないか、くそっ。正直に言うと涙が出るほどありがたいけど、でも絶対アナスタシアには累が及ばないようにしなくちゃな。
 別に大気圏外で核ミサイルを吹っ飛ばすだけが対電子攻撃じゃない。人体に極力影響を与えずに広範囲の電子機器だけを破壊する、手品みたいな攻撃は簡単にできる。
「マクスウェル、フランス製のLSIについて教えてくれ。行政用コンピュータにおける普及率は?」
『普通にアルプスの奇麗なお水で作ったモノリシック集積回路を多用しておりますが。ただ部分的にジョセフソン素子なども見受けられます』
 なるほど、やっぱりシリコンはシリコンか。
 海外だからサファイアとかスピネルとかもっと極端なゲテモノ規格かと思っていたけど、それならあの手が使えるな。
『あくまでフランス国内メーカーのサーバーを覗いた程度です。国外企業から演算機器が輸入されている場合は売り手の国の規格に準拠すると思われますが』
「アナスタシア、どう思う?」
「トゥルースが何しようとしてるのかは知らないけど……ここ国防省よ? どんなスパイウェアを組み込まれるかもはっきりしない外国製なんかあのフランス政府が導入するかしら。よしんばよっぽどの友好国だったとしても、フランスって工業系は電卓から戦闘機まで何でもかんでも自国生産じゃないと許せない国だから、絶対何か小細工するはずだわ。九九%は外国製でも、一番重要な基板だけフランス製と差し替えたりね」
 なら決まりだ。
「トゥルース、具体的にどうするの」
「ないものねだりをしてる暇はないし、今あるもので即座に作れるネタでやろう」
 頭の中で材料リストと作業コストをざっと並べて、
「つまり、高周波破壊」
 ……実際のところ、精密機器の電子基板を破壊するのに電磁気は必ずしも必要ない。例えば塩水をかけたり、炭素の粉塵まみれにしたり、何なら機材を外から何度も蹴飛ばすだけでもスパコンはダウンする。
 そんな野蛮な手を使おう。
 理屈はこうだ。
 ガラスは結構簡単に割れる。石を投げたり棒で叩いたりなんて話じゃなくて、例えばオペラ歌手が放つ規格外の歌声でも。
 そしてガラスのワイングラスもシリコンの半導体も使っているのは同じケイ素だ。
 基本的な性質は同じ。
 これは意外と知られていない事なんだけど……つまり精密機器は振動を使って、壊せる。遠く離れた場所からでも、広範囲のデバイスを一気にまとめて。
 メインのシリコンと極わずかな不純物。
 この基準となる比率さえ分かれば、振動を外から加えるのは容易い。材料だって簡単に手に入る。多分屋内施設ならどこにでも一つくらいあると思う。
 天井近くを見上げれば、だ。
「あれだ、館内放送のスピーカーなら十分だよな」
『三倍以上出力を増幅する必要があります。コンデンサを調達するか自作して対応を』
 人間にとってはただの耳障りな爆音でも、厳密に言えば空気を伝う振動だ。あらかじめ設定された波長の波をばら撒けば、ケイ素と若干の不純物でできた半導体は耐えられない。顕微鏡で見なくちゃ判別できないような亀裂の断層に巻き込まれ、髪の毛よりも細い無数の配線はいとも容易く破断する。フランス製の家電を内側から軒並みぶっ壊す事も可能になるって事。
 ……ほんとに簡単なので、詳しい方程式は内緒だ。隣じゃいかにも悪用しそうなアナスタシアが瞳を輝かせて前のめりになってるのでご容赦いただきたい。おいちょっと、口の端からよだれを垂らすな一一歳っ。
 さて、と。
「アナスタシア、そのスマホは世界に二つとないカスタムだよな」
「ふふんっ、これでもセキュアレベル3以下の都市インフラなら攻め滅ぼせるサイバー兵器よ? 大学のスパコンと繋げば4までいけるわ。ここまでやったらコンビナートでも発電所でも自由自在、もう戦略兵器の域ね」
「そんなに大事なものならペットロボットごときちんと防音素材でくるんでおけ。多分アメリカ製は規格が違うから大丈夫とは思うけど、高周波で中の半導体が割れるかもだ」
 急にアナスタシアがもそもそ動き出した。ちなみに防音っていうのは結構強引な仕組みで、普通のゴムやガラス繊維をひたすら壁の中に埋め込む事で実現する。収録スタジオやライブハウスだと大体厚さ二〇センチから三〇センチくらいかな。なのでちょっとした地球儀くらいの塊で包み込めばスマホは守れるはず。でもってゴム系の接着剤なら世界中どこにでもある。
 真空が使えたらもっと薄くもできるんだけど、ダメか。掃除機くらいじゃどうにもならないだろうし。
「ううー。しばしの間待っててね、かわいこちゃん」
「……あの、アナスタシア。えとその」
「何よトゥルース?」
「自慢の愛機を守りたいのは分かったけど、バスケットボール大のカタマリをその薄いドレスのお腹に入れるなっ。愛おしげに小さな掌でさすさすするなよ、ビジュアル!!」
「?」
 そんな訳ですっかりお腹の大きくなったとってもマタニティなアナスタシアと一緒に準備を進めていく。ちなみに僕のスマホも保護したいけど、マクスウェルからの具体的な指示がないとアイデアを形にできない。なのでシールドするのはまだ先だ。
 やる事は簡単で、工具を使って天井近くのスピーカーを取り外して分解。独立したバッテリーと、電圧を無理矢理底上げするコンデンサに繋ぐ。こっちも適当な機材から数を集めてのお手製になるけど。後はスマホ経由でマクスウェルが調整した音響データを流し込んで、大音量かつ一定法則の爆音でフロア一面のコンピュータを中から破壊する。
 アブソリュートノアの方が先に動いたのなら、こっちは音速で追い抜く。JBの本拠地、地球のどこを狙っているかは知らないけど核発射なんかさせてたまるか。そんなのはJBに勝ったなんて言えない。相手のレベルまで自分が落ちていくだけじゃないか、義母さん! アブソリュートノアが核なんかに手を伸ばしたら、流星雨でパリをメチャクチャにしたJBに正しさを明け渡しかねないぞ!?
 ユニット全体をまとめれば、バッテリーまで入れてもリュックに収まる程度のサイズだ。これならやれる。
「マクスウェル、これからスマホをシールドするぞ。ゴムだから塞いでもスピーカーに電波送れるよな? ダメなら有線接続用のケーブルだけ外に出す必要があるけど……」
『ノー、アブソリュートノアの目的はフランス軍の核管理システムのオールリセットであるという確証を得てからと進言させていただきました』
「オンラインでミサイルが飛んでからじゃ遅い!」
『絶対にノーです、システムはユーザー様の身命及びあらゆる権利の保護を最優先させていただきます。勘違いでいたずらに行動した場合のリスクが大きすぎます』
 ええいっ!
 ここで押し問答したって、マクスウェルのサポートがない限り高周波破壊は実行できない。くそっ、先に計算させた音波信号を適当なストレージに保存しておくべきだった。そうすれば手動でも何とかできたのに!
「トゥルース、ここはマクスウェルが圧倒的に正しいわ」
『てかシステムは基本的にいつでも正しいですけどね』
「黙って。状況は切迫しているけど、ワタシ達はまだアブソリュートノアの人間を実際に見た訳じゃないのよ」
「じかに見るような事になれば、もう逃げられない位置関係だと思うけど……」
 確かにネットワークを利用できれば心強い。生身の僕一人ではできない事にも手が届く。だけどその強さは絶対的なものじゃない。どこまでいっても僕は僕で、非力な人間でしかないんだ。
 この先。
 得体の知れない超兵器が顔を出したら?
 神話に出てくるようなアークエネミーが出会い頭に襲ってきたら?
 ……マクスウェルには従うしかない。ただアナスタシアだけでも、すぐ突き飛ばして逃がせる位置をキープしておこう。間違いなく、アブソリュートノアは出会っちゃいけない相手だ。一度も顔を合わせずに核関係の受け渡しを遠隔攻撃で潰した上で、行動不能になった義母さんを引きずって日本に帰るべき。それができないなら、無傷での突破はできないって考えた方が良い。そして傷がつくならアナスタシアじゃなくて僕だ。得体の知れないユニットを背負っているんだから自然と狙われやすくはなるだろうけど、それでも用心は重ねておいて損はない。
 だってアナスタシアには、理由がない。
 こいつの場合はもう親子ゲンカですらない。ここまで付き合ってくれたのはただの義理とお人好しのおかげだ。だからこそ、恩を仇では返せない。
「……さて」
 前にも言ったけど、ここは見た目だけなら小洒落たデパートの地下スペースって感じだ。床はピカピカに磨かれていて、照明は柔らかく、空間は広い。あちこちに両開きの豪華な扉はあるんだけど、分かりやすい案内板はなかった。バッテリーだの導線だの、あれこれ見繕ったのもこういった部屋。普通の会議室っぽい場所もあれば、映画に出てくる軍艦みたいな透明なガラス板にレーダーっぽい光点を並べた薄暗い部屋もあった。中に入ってみても、何のために用意されたものか見当もつかない場所だって多い。
 ただ、これまでは比較的近くにある扉を片っ端から開けていくって感じだった。遠くの方とか、広い通路から細く入り組んだ方までは敢えて踏み込んでない。
 ……目的は、義母さんやアブソリュートノアのメンバーを見つけ出す事じゃない。ついうっかりで鉢合わせして考えなしに真っ向から戦うなんて自殺行為だ。
 あくまでも、彼らの目的が核管理システムのオールリセットだって確信さえ持てれば良い。だとすると細々とした部屋を虱潰しにするよりも、サンプルを抜く感じで広いフロアのエリアを覗いていった方が系統の把握はやりやすいはず。いかにもでっかい秘密がありそうな、誰もが最初に触りたくなる重要区画を見つけてから改めて細部を詳しく調べていくのが早い。
 となると、
「奥から調べよう……。似たような部屋ばっかり並ぶエリアを全部調べて時間を潰している場合じゃない」
「分かったわ」
 まずは地下全体の広さを知っておきたいよな。ここまで秘密主義だと、地上の敷地面積通りとは限らないし。
 そう思って。
 奥へ一歩踏み出した時だった。

 世界が、
 回っ……?

 何が起きたか把握もできないまま、ただ空白の時間を過ごした。受け身、という言葉が脳裏によぎった時には背中から床に叩きつけられ、肺の中の酸素が全部口から逃げていくのが分かる。せなかっ、きざいはどうなった!? 背骨がみしみし軋むっ。
 やられた。
 先手を打たれた。
 出てきたのは、アブソリュートノアかっ?
「がっ、あア!! げほっ、ぐぼ!?」
 直撃と同時に時間と痛みの感覚が戻った。
 背負った機材のせいで海老反りみたいに背骨が反り返る。自分の体のくせに全然言う事を聞いてくれない。時間の流れに身を委ねても、何も好転しなかった。ただただ酸欠の頭が回復もしないまま、ぼうっと意識の輪郭を滲ませていく。
 ヤバい。
 落ちる。
 視界が暗い。意識が、保たない。
「、ルース……、トゥルース!!」
 その、心細そうな甲高い叫び声で。
 ほんのわずかに、だけど、落ちていく意識にブレーキがかかった。
 あなすたしあっ、誰が現れたのかもはっきりしないけど、まだ逃げてもいないのか。このままじゃお人好しなあの子までやられるッ!
「あ、ァ、ア!!」
 叫び。
 倒れたまま、改造したスピーカーを覆い被さる影に突きつける。
 この子だけは。
 何があっても、アナスタシアだけは逃がさないと……。
「マク、ウェ……二万ヘルツで最大出力……っ!! 今すぐ、に!!」
 相手が正確にどこの誰だかなんて知らない、とにかくスイッチ。ただし基板を壊すためじゃなくて、骨振動で頭蓋骨を揺さぶるための周波数だ。
 ギィ、ん!! と。
 甲高い音を、錯覚する。
 とにかく吐き気がひどかった。明らかに僕まで巻き込まれている。それでもっ、正体不明の襲撃者に一矢を報いてアナスタシアを危険から遠ざけられるなら。
 アナスタシアは無事、なはず。
 見た目は人間そっくりでもやっぱりアークエネミー・シルキー。頭蓋骨の組成や骨の共振の条件は変わるはずなんだし。
 そこまで考えて、違和感があった。
 続いて背筋に走る悪寒にも似た、恐怖が。
 待てよ。
 待て。
 しまっ、襲撃者もまたアークエネミーだったら体の構造が違うんだ。骨の素材も密度も、最悪、骨なんかない可能性だって。つまり、人間用の高周波は通じない……!? アブソリュートノアだったら十分に考えられる事だったじゃないか!!
 そしてもう一発。
 カカトで踏みつけたのか、膝でも落としてきたのか。とにかく僕のみぞおちの辺りに体重を乗せた重たい打撃があった。
 もう、悲鳴すらない。
 口をぱくぱく動かすけど、空気を吸う事も吐く事もできなかった。

「まったく、相変わらずえげつないモノをその場のノリで作るわね。我が子ながら呆れるわ、クラフト適性とか発明家カテゴリとか、何か余計な落書きでも魂の端っこにくっついているのかしら」

 暗くてほとんど見えない視界の中で。
 どれだけ意識がぐらついても。
 それでも、その声に聞き間違えはなかった。

「できれば巻き込みたくはなかったんだけど、こっちも手が詰まっていたところだし、まあ、その力を借りるのもやぶさかじゃないか」

 呑気な。
 庭の雑草が伸びてきたけどどうしようくらいのノリで放たれる、そのおっとり声。
「……義母、さん?」
 リリスは魔王だけど、体の作り自体は人間と変わらなかったはず。じゃあいよいよどうやって音響攻撃を回避したんだ、この人は……???
「おはようサトリ、これってホームシックの逆パターンって考えて良いかしら。わざわざフランスまで追いかけてきちゃって、そんなにお母さんに甘えたかったカナー?」
「核管理システムのオールリセットなら、手は貸さないぞ……。僕達は、それを止めるためにここまで来たんだ」
「残念ながら、今まな板の上にあるのはもっとヤバいモノよ」
 あっさりと、だ。
 天津ユリナは前提を破壊した。
 粉々に。
「そしてもう一つ。私達アブソリュートノアは、そのヤバいモノを止めるために動いている。当たり前よね、方舟は世界の危機を乗り越えるためのものなんだから」