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 実際のところ。
 それが水神セベク側にとって最も効率的な作戦だったんだろう。
 無理して一撃で決める必要はない。確実に敵の行動の自由を奪ってダメージを蓄積する方法を、自分自身が壊れるまで続ければ良い。無人兵器の極みだ。ピエール側の目的は僕達の全滅じゃなくて、ヘリに乗り込むところを邪魔させないってだけなんだし。
 いいや。
 それどころか。
 事実として、僕はセベクのウォータージェットからは逃れられない。最初の一撃を避けられたのは偶然転んだからだ。二度目はない。
「マクスウェ……!!」
『有効回避コースを風景に重ねて表示。大至急行動してください』
 画面を見て喉が干上がった。こいつ、普通の高校生は切断されて根本だけ残った木の幹を蹴って宙返りなんかできないって基本の条件設定もできていないのか!?
 こうまでしなくちゃ回避できないっていうのなら、正直に言って打つ手がない。全く無意味と分かっていても、へたり込んだまま思わず両腕を交差して自分の頭を守ろうとした時だった。
 それは起きた。

 爆発したんだ。
 石と純金でできた巨大なワニの頭が、内側から。

 最初、何がどうなったのか理解できなかった。
 爆発の正体が炎ではなく水の飛沫だと分かって、セベク自身の暴発なのかっていう予測が頭に浮かんできた。
 そこからさらに。
 前の攻撃で切断された木の幹を抱えた天津ユリナが真正面から突っ込んだのだとようやく気づいた。大きく開いたワニの顎の中に思い切り突っ込んだんだ。
 確かに。
 超高水圧だと条件が特殊過ぎて実感が湧かないかもしれないけど、あらゆる流体は一番弱い方へと自然と流れていく。例えば風船なら、開いた口から空気が漏れていくように。ガスの元栓や水道の蛇口なんかはこれを積極的に利用している訳だ。
 ウォータージェットの噴射口に太い木を縦に突っ込めば、水は行き場を失う。設計以上に内圧を高められタンクの中で暴れ回る水はとにかく出口を求める。
 もしも、だ。縦にして突っ込んだ樹木よりも設計的に弱い箇所があれば、そこを突き破って超高水圧の液体が飛び出す事にはなるんだろうけど。
 あの一瞬で?
 しくじれば胴体を真っ二つにされるような特大の砲口を突きつけられている状態で考えて、選択し、行動にまで移した?
「義母さん!?」
「この程度じゃセベクにトドメは刺せないわ。とにかく走って!!」
 身振りでこっちを誘導するずぶ濡れの天津ユリナ自身、慌てて身を低くした。頭部がひしゃげて噛み合わせの悪くなったセベクだけど、その太い尾だけで軽自動車くらいならスクラップにできそうだ。
「アナスタシアっ、来い!」
「ほんとにあの横通り抜けるの!?」
「いつまでも真正面に留まっていたってバスみたいな巨体に突っ込まれるだけだ!」
 無人兵器のセベクは怪我なんか気にしない。完全に動きを止めるまで油断はできないんだ。
 それに奥には……航空標識? 肉眼では見えない紫外線の点滅で夜空に居場所を伝えているピエールがいる。ヤツを逃がしたら元も子もない。
 JBだかキャストだか知らないけど、お前達のせいでパリはこんなになった。
 自分だけ勝ち逃げなんて許さない。落とし前はつけさせてもらう。お前を始点にして、JBを潰す。
 とりあえずひしゃげた巨大ワニの頭部を見て、目が潰れているっぽい左目側から突っ込む。そこかしこに切り取られた丸太みたいな木々が転がっているけど僕達には武器として振り回せそうにない。足を取られないように気をつけながら横を通り抜けようとしたら、いきなり前脚が唸った。
 失念していた。
 タイヤくらいのものだと思っていた。
 けどワニの脚だって強靭そうだ。ましてそれが重たい石でできていて、鋭く尖らせた黄金の爪をはめているとしたら。
「やば……」
「サトリ!!」
 なんか逆サイドから叫び声があったと思ったら、鈍い音と共にセベクの巨体がいきなり横に少しズレた。崩れたバランスを取り戻すため、巨大ワニは振り上げようとした前脚を戻して地面を踏み締めている。
 その間にアナスタシアの手を引いて横を通り抜ける。
 そして義母さんは途中から折れた木の幹を適当に放り捨てたところだった。
「アンタ一体何をした!?」
「後ろ脚にこいつ噛ませて脚を滑らせただけ。丸太は地面に敷けば転がせるの、ピラミッドの重たい石材を運ぶのにも使われていたのよ? とにかくこっち、セベクは真っ向からの殴り合いで勝てるような相手じゃないわ!」
 ばさり!! と。
 がむしゃらに走るつもりだったのに、あっさりと木々を抜けてしまった。
 やっぱり林や森と呼べるほど広くない。待っているのは停電下で真っ暗になった、サッカーグラウンドみたいな芝生の大地だ。
 心臓が縮む。
 鬱蒼とした木々よりも、むしろこっちの方が怖い。何しろセベクは一撃必殺の飛び道具を使ってくるんだから、開けた場所なんて相性最悪だ。
「っ!」
 スマホをかざして目的地を確認する。灯台みたいにド派手な紫外線の点滅で合図を送っているのは五〇メートルくらい先だ。学校の校庭なら一〇秒かからずに走り抜けられる距離。
 もう身を屈めた相手が見えてもおかしくないはずだけど……あちこち変に傾いて光を失った外灯の裏にでも引っ込んでいるのか?
 そして後ろからバキバキという破砕音が連続した。走りながら振り返ってみると、バスサイズのセベクが転進してこちらに頭を向けたところだった。……実際のワニと戦った事はないけど、生き物の俊敏さは欠けているような気がする。その分一発一発が重たいんだろうけど。
 木々を薙ぎ倒し、芝生を抉るようにして開けた大地に顔を出す。
 すでに壊れている大顎を無理矢理に開き、あらぬ方向へ放水を撒き散らしながら、水神セベクはこちらを追ってくる。
 こんなのダンプと鬼ごっこをするようなものだ。普通に考えたら人の足じゃ逃げ切れないけど、セベクは自分の巨体と鋭い爪のせいで芝生の大地を抉ってしまう。つまり、滑る。その重さと速さが生み出す力によって、かえって自分の体を振り回しているように見えた。
 そうでなければ一瞬で轢き殺されている。
「運用方法としてはあれで合っているんだわ」
 アナスタシアが手を引かれたまま、青い顔で呟いた。
「完全に、使い捨ての方の無人機の取り回しよ、あれ。命がないからケアする必要がない、心がないから恐怖も感じない。一番危険な弾幕へ真正面から突っ込ませて無理矢理活路を開く。テクノロジーの出し惜しみで敵地で最新機を落とせない米軍よりも二世代は先に進んでる……」
 とにかく追いつかれたらおしまいだ。
 そしてあの巨体をぶつけられない限りは先に進める。機械仕掛けの神に命令を出しているJBのピエール=スミス。こいつを取り押さえれば状況は変わるはず。無人機だか偶像だか知らないけど、ピエール側だって自分で解き放ったセベクの巨体に押し潰されて死にたいとは思わないだろ。
 ばた、ばた、ばた、ばた! という空気を叩く音が頭上を追い抜いたのはその時だった。
 メインローター?
 この暗がりとはいえ、一瞬前まで接近に気づけなかった。相当特殊な機体だな。東京の災害で自衛隊が使っていたUFOモドキの攻撃ドローンを思い出す。
 そんな風に思っていた時だった。真横から義母さんが叫んだ。
「伏せて!!」

 ドガドガドガッ!! と。
 真っ黒なスクリーンみたいな天空から、何かが一斉に降り注いだ。

 軍用機。
 そんな印象を抱いた時点で気づくべきだった。JBの救援ヘリが武装している可能性に。
 あれもキャストか!
「トゥルース!?」
 手を引いて一緒に走っていたはずのアナスタシアの声がひどく遠い。自分がどうなったのか把握もできない。とりあえず、無事に走り続けている訳ではなさそうだ。視界がおかしい。土の味がする。横倒しになっているって事は、芝生の上に倒れているのか?
「はあ、はあ……」
 倒れたまま自分の体を両手でまさぐる。ひとまず手足は全部ついているようだ。指の数も両方とも減ってはいない。耳や鼻が取れたりもしていない。右の太股に痛みを感じたけど、これは灼熱の鉛弾が貫通した訳じゃない。きっと間近で弾け飛んだ小石なり黒土なりの破片がぶつかったんだ。
 しかし一体何がどうなって機械的なロックオンから逃れられたのやら。火災旋風すら巻き起こる上空の大気はそれだけ大荒れなのか、地震や噴火で熱源や地磁気でも乱れているのか。詳しい仕組みまでは知らないけど、理解できていない以上はこっちから狙って何度も頼れない。
 次やられたらおしまいだ。
 こんな平べったい広場じゃ身を隠す場所がない。そもそも上から覗き込むような視点で、各種センサーにサポートされた軍用機からどうやって隠れろっていうんだ!?
 ばたばたた!! という頭上のローター音がひずんで聞こえる。おそらく向こうもパワーバランスは理解している。空中で大きく旋回して機首の向きを合わせ、もう一度通り過ぎざまに機銃掃射を加えようとしているんだ。
 高さと速さ、二つの壁は絶対だ。
 誘導機能を持った高威力の飛び道具でもない限り、地べたの僕達など脅威にならない。悠々とお腹を見せて頭上を通り過ぎ、自分の都合だけで微調整に専念している。
 頭から土を被ったまま、呻くように僕は呟いた。
「はし、るんだ……」
「トゥルース!」
「後ろから追ってきてるセベクと同じ。ヘリは重武装で細かい狙いが利かない、地べたで救援を待ってるピエールを人質に取れば攻撃を止められる。だから早く!!」
 あいつはどこだ。
 同じ広場にいるはずだけど、人影はまだ見当たらない。光をなくした外灯の裏で息でも潜めているのか、あるいは特殊な防水シートでも被って地面に寝そべっている? 軍用っていうのが実際どこまでやるのかなんてイメージできないっ。ものによってはスマホの暗視補正なんかも潜り抜けるかもしれないぞ。
 とりあえず、こっちも呑気に寝転がっている場合じゃない。貧乏暇なしなんて言うけど、でも劣勢に立った側は手早く動いて少しでも巻き返しを図るしかないんだ。
 どこから紫外線の点滅が広がっているかは分かっている。震える手足を動かして起き上がり、歯を食いしばって、無理矢理にでも前に走り出す。
 それでアナスタシアも義母さんも動いてくれた。
 正直に言ってオーバーキルだ。後ろから迫る水神セベクも頭上を飛び回る攻撃ヘリも、僕達が努力して倒せるような火力じゃない。これが単なる無差別攻撃だったら本当に詰んでいた。
 JB側にとっては救出作戦なんだ。
 つまりある程度はセーブしないといけない。
 同じフィールドにピエール=スミスっていう価値ある標的が無造作に転がっている。こいつを手に入れられるかどうかで状況はかなり変わってくる。そこに賭けるしかない。
『紫外線式の航空標識まで二〇メートル』
「分かって、る!」
 まだ見えない。
 ヤツはどこだっ? 馬鹿正直に照射元でじっと待っているとは限らないけど、でもヘリが降りてきたらすぐ乗り込みたいだろう。必ず近くに身を潜めているはずなのに……。
『セベクに攻撃ヘリとJB側は何でもアリです。当然ながらピエール本人も銃器またはオカルトで武装している可能性を考慮してください』
「っ、くそ!!」
 何回失念すれば良いんだ、僕は!?
 とっさに隣を走っていたアナスタシアを突き飛ばすようにして、完全に倒れていた外灯の柱の陰に飛び込んで寝そべる。途端に激しい爆発音が連発した。これまでより近いっ。
 銃声? それとも魔法とか?
 どっちにしたってピエール本人からまともに一発もらったらただでは済まない。ただしヤツに足止めされてしまえば、セベクか機銃掃射で僕達は確実に命を落とす。
 それに。
「トゥルース……?」
 抱き寄せられたまま僕の顔を見上げるアナスタシアは、どこか不安げな声を出していた。
 笑っているのに気づかれたかもしれない。
 なあピエール、アンタは僕達を高火力で脅してご満悦なのかもしれないけどさ。アンタは反撃した事で自分から示してしまったんだぞ。
 ゴールはそこで。
 しかも、一度設定してしまったら着陸地点は途中変更できないって!
「発光点まで二〇メートル。ヤツは必ず近くにいる。アレを中心とした大きな円を意識しろ。このままぐるっと回って調べるぞ、アナスタシア……」
「でもトゥルースっ。何が飛んできているのかもはっきりしていないのに」
「義母さんはもう逆サイドから行動を始めてる。とにかくここに留まっていたって事態は悪化するだけだ。行くぞ」
 ドラマや映画みたいにあらぬ方向へ空き缶や小石なんか投げたりしない。半端な事をやってもピエール側に余計なヒントを渡すだけだ。人間、何が怖いって無音の暗闇が一番怖いに決まっている。まして害意のある人間が複数同時に息を殺して迫ってきていると分かったら普通にホラーだ。
「……、」
 外灯は斜めに傾いたものもあれば、完全に倒れているものもある。
 この平べったい広場の中、少しでも身を隠せそうな場所を意識する。
 概算で二〇メートルほど。この距離だともうスマホは使えない。ピエールは飛び道具を持っているんだ。何かするたびにいちいちバックライトで自分の顔を下から照らしていたら、どうぞここを狙ってくださいって言っているようなものだし。
「……それにしても、何でオテル何とか? でエジプト神話なんだよ。ナポレオンのお墓があるって話だったろ、偉い人のミイラでも飛び出してくるんじゃないだろうな」
「知らないのトゥルース。ナポレオンのエジプト遠征がなかったら有名なロゼッタストーンは見つからなかったし、そうなったら古代文字の完全解読だってなかったわ」
 そりゃ何とも含蓄のあるお話で。こっちは土地に染みついたそのエピソードのせいでピエール側に変なブーストがかかっていない事を祈るばかりだ。
 いくつか遮蔽物を渡り歩いて回り込む。
 芝生の抉れた一角があった。いくつか園芸道具や光のない野外大型照明が転がっている。おそらく昼間は枯れて変色した芝生を取り替える作業でもしていたんじゃないだろうか。ロープで四角く囲まれたあの一角だけ、山積みにされた肥料の袋や台車など、とにかくものが多い。
 身を隠すにはうってつけだ。
「いる。いるわトゥルースっ、肥料袋の山、裏でなんかもぞもぞ動いてる」
「しっ」
 少し離れた光のない外灯下、消火設備の金属ボックスに身を寄せながら、僕はそっと制止を促した。
 開けた立地。
 JBの着陸地点。
 人影は一つ。離れた場所にいるから背格好や性別は読めない。そして利き手で何を握り込んでいるのかも。そいつの足元には消火器サイズの円筒容器を転がしている。今はスマホで確認できないけど、おそらくあれが連絡用の航空標識だ。目には見えない灯台ってだけで、今も紫外線が等間隔で爆発したように輝いているはず。
「……、」
 僕は無言で身を屈め、金属ボックスから消火ホースを引っ張り出す。厳密には、僕の腕より大きな金属製のノズル。何もないよりはマシ程度か。
 この辺りが限界だ。元々チャンスを待っている時間なんかない。今すぐ動いてJBのキャストを人質にしないと地上の水神セベクか空中の攻撃ヘリ、どちらかにやられる。
 義母さんが暗闇のどこに潜んでいるのか、僕達の目では確かめようがなかった。どっちみち、僕達が飛び出せば合わせてくれると信じよう。
「アナスタシアはここで待機だ」
「トゥルースっ」
「それからマクスウェル、バックライトは光らせるな。そのまま聞け」
 ポケットからスマホを取り出す。どっちみち僕が頼れるものは少ない。単に持ち物がないんじゃない。ここで本物の銃や刀を渡されたって手に余る。
 一番最後に頼るのは、やっぱり普段から使い慣れた道具だけなんだ。
 だから言った。

「合図と共にカメラのフラッシュを連発! 間隔は〇・五秒スパンだ!!」

 利き手でバットより重たい金属ノズルを掴んだまま、左手でスマホを構えて飛び出す。
 赤と青の点滅が有名だけど、人間の瞳孔は急激に拡大縮小を繰り返すと頭痛や目眩、意識障害なんかの引き金になりかねない。そして人間の瞳孔は本来光の強弱に合わせて自動的にその大きさを切り替える器官だ。本人の意思なんかお構いなしに。
 スマホの猛烈な光の連射。だけど油断はできない、何しろ向こうは飛び道具を使う。僕は真っ直ぐっていうより斜めにずれていく感覚で山積みされた肥料袋の裏に隠れていた人影に迫る。
 自分から光を撒き散らした以上、攻撃ヘリからも当然丸見えだ。だけどピエールとの距離は二〇メートル以内。正直、特に台座で固定されている訳でもない不安定な空中からの雑な機銃掃射じゃもう誤差範囲内の危険域のはず。だと思う。根拠となるデータなんか何もないけど!
 ここから先は、頼むから一対一であってくれ!!
「っ!?」
 人影が片手で目元を覆い、もう片方の掌をこちらに突きつけてきた。五指は開いていて、何かを握り込んでいる感じはしない。
 銃器じゃ……ない!?
 ボッ!! と。
 何もない掌からソフトボールより巨大な火球が生み出され、そして一直線に飛んできた。
 目潰し自体は効いているんだろう。
 それでも飛び道具相手。こっちがただ真っ直ぐ突っ込んでいただけだったら、今の一発で蒸発していた。
 顔のすぐ横を突き抜けた火球が、真後ろの芝生や黒土を派手に吹き飛ばして舞い上げる音だけが聞こえる。いちいち背後を振り返って確かめる余裕もない。僕も僕でジグザグに切り返し、一気に人影に迫る。
 猛烈な点滅にさらされたまま、金の腕輪らしきものをはめた手、その掌が、再び狙いを定めてくる。
 狙いをつけて、鈍器を振り上げ、全体重を掛けて振り下ろす。こっちはたったそれだけのアクションをしているだけの暇すらない。
「おおアッ!!」
 だからそのまま突っ込んだ。
 こっちの武器は消火ホースのノズル、つまり僕の腕より太い金属の棒だ。先は平らだから突き刺さる事はないけど、とにかく抱えて体当たりしていく。向こうからも僕がのっぺりとした黒い人影としか見えていなかったんだろう、こっちに突き出された突起との距離感を測り損ねたらしい。腹の真ん中を押さえつけられた人影の両足が地面から浮かび、背中から光の消えた大型野外照明に叩きつけられた。
 呼吸くらいは、流石に詰まっただろう。
 まず見当違いな斜め上に火球が解き放たれた。その一発に終わらず、人影はぎりぎりと火砲のような掌を僕の顔に向け直してくる。
 打ち上げ花火か照明弾のように、夜空で弾けた火球が地面を照らした。
 手首にはめているのは、ゴツい腕輪。カナブンに似ているけど、きっと違う。純金と宝石でできたエジプト神話特有の虫だ。
『スカラベ。いわゆるフンコロガシをモチーフにしたアクセサリですが、エジプト神話内においては生成や復活の象徴とされ、また太陽神ケペラの記号であると
「長文ご苦労。読んでる暇ないからスピーカー最大音量で爆音鳴らせ!!」
『ノー、スマホのスピーカーでは限度が
「音源の数が足りないなら野外照明のガラスとか肥料袋のビニールとかと共鳴させろよっ、周波数はそっちに任せた。とにかくやれえ!!」
 ががっきィいんッッッ!! と。
 四方八方からの爆音に世界が包まれる。
 間近での炸裂音は、ただでさえ視覚を潰されて頭がふらついていた人影にとっては効果的だっただろう。意識が視覚から聴覚に切り替えようとしたところで、第二の感覚器官を潰しにかかった訳だから。
 三半規管までやられたのか、人影の軸がぐらつく。
 至近一メートル以内の標的を捉える事もできずに、掌の火球はよその地面を焼き焦がす。こんなのでもアナスタシアに当たったらオオゴトだ。あえぎ、震えて、JBのキャストはでっかいぼんぼりみたいな大型の照明器具にのろのろとすがりつく。
「……じぇい、びいは」
 最初、何を言っているのか頭に入ってこなかった。
 わざわざ日本語で話しかけてきてくれていると気づくまでですでに数秒が必要だった。
「この理不尽な世界から、皆を平等に解放する。それは天津サトリ、君もおなじだ」
「マクスウェル、そこの大型野外照明の送電状況をチェック。工事用ならおそらくガソリンの発電機かバッテリーを抱えてる。つまり、停電下でも使えるはずだ。でもって今は何でもオンラインだろ」
「今のままでは誰も救われないぞ。場当たり的にカラミティを乗り越えたところで、根本的な世界のルールは変わらない。そう、神の支配を断ち切るには抜本的な『脱獄』が……!」
「通電開始」
 ズバヂィ!! と。
 人影自身が必死ですがりついた照明器具から無理に電気を引っ張り出した途端、誰かさんが小刻みに振動した。
 流石にもう掌で狙いをつけるのも難しかったのだろう。そのまま意識を落とす。
 ……JB関係だと、アブソリュートノアの方舟を内側から台なしにしたスキュラのヤツも似たような事を言っていたか。選ばれたてっぺんだけが救われるんじゃない、JBは下から見上げて世界を変える組織だって。
 今は金属塊はかえって怖い。用済みのノズルを手放すと、僕はスマホの画面をあちこちに振り回して、
「はぁ、ハァ。セベクは?」
『大地を抉る音が止まりました。活動停止したのでは?』
「攻撃ヘリ」
『頭上をご覧ください、最大限の警戒と共に』
 ばた、ばた、ばた、ばた!! と。
 激しいローター音が響いているという事は、近い。ほとんど頭の上を押さえられていると言っても過言じゃあないんだろう。
 どうする?
 どう出る?
 あのヘリは間違いなくピエール=スミスを回収するためにやってきたキャストだ。機銃掃射で僕達を攻撃してきたのは、その邪魔になるからに過ぎない。
 でも一方で、相手は『あの』JBだ。救出の見込みがない、捕まったら何を話されるか心配だ。……そんな状況になったら、冷酷に仲間を切り捨てる展開もありえる。僕といっしょくたに機関銃でバラバラにして、だ。
 ……。
 ………………。
 ……。
 ………………。
 待った。一秒一秒が永遠に引き延ばされていくような理不尽な緊張の中で、僕はただ気絶したピエール=スミスの腹を踏みつけてその時を待つ。
 結局、最後までJB側の意図は読めなかった。
 ゴッガッッッ!!!!!! と。
 再び夜空が瞬き、流星の雨がパリ市内に容赦なく降り注いできたからだ。容赦のない破壊は、むしろ瓦礫の街にしつこく残っていた火事の炎を上から叩き潰していくようだった。
 今のは予期せぬ事故だったのか、人為的な攻撃だったのか。
 とにかく状況に見切りをつけた頭上のヘリが勢い良く旋回する。僕達の手の届かない場所へと飛び去っていく。
「サトリ!」
「義母さん、そこのロープ取って。立入禁止のエリアを区切っているヤツ、そいつでこの馬鹿縛り上げる」
 どこからどう渡ってきたのか。光のない外灯の裏から出てきた天津ユリナに、僕は足元に転がした人影……JBのピエール=スミスを爪先で軽く小突きながら言った。
「こいつが全部知ってる。世界のどこかに潜んでいるJBの正体も、フランスから権限を奪った核弾頭がどこに何発あるのかも」