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 そうだ。
 ずっと前から気になっていた問題だった。天津ユリナがJBに潜っていたのなら、どうして連中が僕にこだわるのか、その辺の事情も掴んでいるかもしれない。
「きちんとした答えってレベルじゃない、とか言っていられる空気じゃないわね」
 義母さんは肩をすくめて、
「とはいえ、私も完全に全て把握した訳じゃないわよ。結構強引な手を使ってJBに取り入ったけど、何分時間がなかったから、私が潜ってるのってまだ目玉焼きで言うなら外側の白身の部分なのよね。明らかな異物なんだけどあるに越した事はない、ベーコンみたいな感じ? 率直に言えば中心の黄身には指先が届いていないの」
「……そもそもJBの中心ってどこにあるんだ? 人間? アークエネミー? それともシミュレータのフライシュッツ???」
「その辺からして謎。お母さんは目玉焼きって言ったけど、ほんとは黄身も白身もないスクランブルエッグなのかもしれないわ」
 絶対王政か、何人かの幹部を集めた合議制か、はたまた草の根運動か。そこを教えてもらえるほど深くは立ち入っていない訳か。
 どこに中心があるのかはJBと一体化すれば感覚的に分かる、それが理解できないのはお前が組織に嘘をついているからだ。そんな風に難癖つけられても困る訳だし。囮捜査の基本は自分からはあれこれ質問しないで情報が滲み出てくるのを待つ、って話を聞いた事がある。何でも食いついて根掘り葉掘り追及する新人は怪しまれるって事。
 ただ……。
 JBのキャストって名乗る連中はこれまで何人も出会ってきたけど、価値観が特殊っていうか、仲間意識がほとんどなかった。少なくとも、ヘマした仲間を助けに行く素振りは見せない。今回、水神セベクを操ったビッザ=バルディアはヘリで回収されそうになっていたけど、あれだって許容の範囲だからじゃないのか。本当にリカバリ不可の脱線を起こした場合は、容赦なく切り捨てられていたと思う。
 ……囮とはいえ、本当に潜って大丈夫だったのか、義母さん? ヘマしただけで許さないなら、明確な裏切り行為に対してJBはどう動く。使い捨てリストに登録されただけのような気もするけど。
「その上で」
 指を一本立てて、義母さんが何か区切るように言った。
 ここからが本題だ。
「JBはとにかく予定調和を嫌う組織みたいなの。これは、アブソリュートノアみたいに『このまま進めばひどい終末が待っている』感じじゃないわね。世界全体が最高速度で分厚い壁に向かっているから慌ててブレーキかけなきゃっていうんじゃなくて、停滞した今の世の中がすでにもう地獄の中にいるって考えている」
「停滞……?」
 JBって言葉自体が『脱獄』を指しているようだけど。
 義母さんは頷いて、
「平和な世の中が、与えられるだけで満足してしまう今の世の中が許せない」
「……、」
「だから、そういったものを破壊する。JBにとってはね、強い弱いはあまり関係ないの。むしろ善玉の最強格って誰かの思惑に従って予定調和で力を授けられている事が多いから。救国の英傑とか、神の血を引く戦士とか、そういう操り人形の最強はお呼びじゃないのよ」
「じゃあ、僕が付け狙われているのは……」
「強さ弱さじゃなくて、レアリティ。珍しい結果をもたらすエラー因子ってところかしら」
「JBは善玉が嫌い。しかも優先は固定の最強じゃなくて、流動的に応用できる抜け穴、脆弱性だって?」
「まるでハッカー組織だわ」
 アナスタシアがぽつりと呟いた。
 確かに。
 軍用シミュレータとか神を改ざんするとか、ちょっと前からそういうイメージは付き纏っていたんだけど……。
 完璧でない世界が受け入れられない。だからみんなにも知ってほしい、知って一人一人に世界の行く末を決断してもらいたい。
 分かる。
 すごく呑み込みやすいお題目だ。
 ……ただ、その結果がパリのこの惨状なのか? こんなのは絶対必要な計画じゃない、追っ手を撒いて本命を妨害されないように放たれた、保険でしかないんだ。
 花壇を守るつもりで何を踏んづけた、JB?
 そもそもJB自身、壊した壁の向こうにどんな世界が広がっているかきちんと理解しているのか。そこが今よりひどい場所って線は? 脱獄のチャンスを与え、可能性を示す。でもJB自身が新しい世界で何をやりたいか表明はしていないんだ。
 自分ではイエスともノーとも言わず、それでいて大衆を過激な方向に誘い込む。いざ何かが起きても対岸の火事でいられる距離感を保ちながら。
 まるでモルモットを使った実験じゃないか。
 何も知らない希望者には危険性を伝えずただおだてて冷凍睡眠の装置に放り込み、健康面で問題がなければ改めて自分達もそちらに向かう。ヤツらはヒロイックにしんがりを務めているつもりかもしれないけど、JBがやっているのは弱い者の背中を槍でつついて今にも切れそうな吊り橋を渡らせているようなものだ。
「つまり」
 ゆっくりと深呼吸してから、僕は改めて口を開いた。
「核弾頭を使って無数の小惑星を圧搾するとか、新しい惑星を作るとか。JBの訳が分からない計画の不確定因子になっているっていうのか、僕は」
「これまで、JBの態度はその時その時でまちまちだったと思うわ。きっと彼らの間でも揺れているのよ。トゥルースが使えるイレギュラーなのか、危険なイレギュラーなのか」
 アナスタシアがそんな風に言った。実際に命を狙われる側からすればたまったものじゃない。けど、ちょっと待て。
 ……そういえば義母さんも口に出していたけど、JBのキャスト達は一枚岩じゃないのか?
 だとすれば……正攻法以外もいける? 例えば僕一人の処遇を巡って、複数の派閥で対立を促し、内乱を起こすとか。影も形もない水面下のJBだけど、やり方次第では僕の立ち回りで内部崩壊だって……。
「いや、ダメか……」
「?」
 アナスタシアがキョトンとした目を向けてきた。
 JB自体の規模が未知数な以上、迂闊につついたら制御不能に陥るリスクが高い。内乱、というのが組織の中だけで区切られるとは限らない。代理戦争の形を取れば、知らない国と国が戦わされる羽目になる。当人達は背中を押されている事に気づきもしないで、自分の国や家族を守っていると最後まで信じながら命を落としていく。
 ありえない、と笑う事なんかできない。
 JBは、実際にパリでこれだけの事をした。自儘に災害を起こし、小惑星を人工的に落とした。すでに単純な戦争の域すら越えている。
 災害だって戦争の引き金となりえる。理不尽に対する怒りをどこかにぶつけないと耐えられない、なんて話もありえる。衣食住を奪われ復興支援が滞れば恨みが生まれる。進退窮まれば国境線を強引に越えようとする個人や勢力だって現れるだろう。
 僕は天津ユリナに向かって、
「義母さん、JBには囮で潜っているって言ったよな」
「ええ」
「それは今後も継続?」
 天津ユリナは肩をすくめた。
「できると思う? こういうのは半々の天秤で揺れている訳じゃない、一〇〇%の信頼がなければ成立しないわ。九九でも九八でも、値が減ったら念のためで殺される世界よ」
 ……ならひとまず方向性は固まったか。いくつかの選択肢はまとめて除外で構わない。
 その上で、念のため確認を取っておこう。
「だったらこれからどうするんだ。JB側が怪しんで扉を閉めてしまったら、もう義母さんだってJBの中心には近づけないだろ」
「そうね」
 率直に天津ユリナはそう認めた。
 特に堪えた様子もなく。
「けどこれまであった事を考えてみて。JBという組織は、身内の失敗や裏切りに対してどういう行動を取ってきたかしら?」
「……、」
 やっぱり、そうなるか。
「JBは何としても裏切り者を処分したい。大雑把に災害に巻き込むなんて方法じゃ安心できない。核弾頭も以下略。むしろ死体はきちんと確認できる形が望ましい。この私、天津ユリナがアブソリュートノアの中枢にいる事は向こうも知っているもの。私が古巣に活きたデータを持ち帰る事を、JBは何としても食い止めたいはず。キャストの連中にとってもこのパリが最後のチャンスなのよ。ここで私を逃がして世界の奥に雲隠れされたら、流石にパパッと見つけるのは難しくなるでしょうからね。だから、やってくるのは現地調達の使い捨てじゃない。絶対にJBお抱えの精鋭を送り込んでくるはずよ」
 秘密を守りたい側が秘密を握る者を最前線に送りつけるなんて本末転倒な気もするけど、ステルス機や主力戦車みたいなものか。ハイテクの塊である最新機は敵地で絶対撃破されるな、なんて無茶苦茶な命令をされるみたいだし。
 そして、行動不能になった場合はテクノロジーを解析されないよう、味方の手で確実に破壊しろと。
 狩人を捕まえれば重要な情報が手に入る。
 ただし、
「……アンタが雲隠れした場合、JBからの炙り出し目的でトゥルースや他のアークエネミー姉妹が狙われる可能性は?」
「もちろんあるわよ。だから安全に消える時は一家全員になるでしょうね」
 つまり供饗市を捨てるって訳だ、躊躇なく。これまでの暮らしとかご近所付き合いとかは一切お構いなし、この辺りはいかにもアブソリュートノアを率いる義母さんらしい。家族さえ守れれば七〇億人を方舟の外に蹴り出せるアークエネミーは、こっちの都合なんか何も考えていないんだ。
 後輩の井東ヘレンも。
 お隣の委員長も。
 この世界との繋がりは、一瞬の決断で全部切り捨てられてしまう。それができてしまう。義母さんは、別に近所とギスギスしてる訳じゃない。お隣の委員長母とか、パートの仕事場とかにもコミュニティはある。だけど、できる。一番大切なもののためなら、笑顔で切り捨てられてしまう。だから、この人は神話の中では魔王なんて呼ばれているんだと思う。
 アークエネミー・リリス。
 説によっては七つの大罪の一角を占める何か。
「……、」
 ゆっくりと深呼吸する。
 ……敵と味方どころか、同じ味方でも立ち位置は違う。この辺はきちんと頭に入れておかないと、勝って大切なものを失うなんて展開にもなりかねない。
 このまま放っておけば、全部失って負けるか義母さんの思い描く勝ち方の二択しかない。最悪だけど、自分で結末に介入するためには、いったん流れに乗っかるしかなさそうだ。
 勝つだけじゃダメだ。
 自分の思い描く勝ち方を意識しろ。
「……プランを教えてくれ、義母さん。ただ刺客に襲われるのを待つって訳じゃないんだろ」