16(クウェンサー/学園都市)


『一番最初のきっかけは「ぶーぶーの世界」だ。これは間違いない』

「は、はあ? ぶーぶー、ですか???」

「……、」

 いきなり突きつけられて、絹旗や滝壺はリアクションに困っているようだった。だが構わずにクウェンサーは先の文字を地面に刻む。

『何しろ【ゲート】なんてものを使って世界と世界を繋げる技術を当たり前に使っているのはあそこしかない。世界全体、トータルとしての文明レベルは知らない。だけどこの一点だけならあいつらがベストだ。俺達の世界でも、あるいは「ここ」でも、そう簡単にできる事じゃない』

 ただし。

 だけど。

『だからといって、「ぶーぶーの世界」が全部の黒幕とは限らない。そう考えると辻褄の合わないところが出てくるからだ』


17(ヘイヴィア/グランズニール)


「ここでネックになんのが、これ、カルティベーションマッスルとかいう変なスキンだ」

 イケメンの皮を被ったヘイヴィアはそんな風に語っていた。

「こいつは『インデックス』のイケメンと『ぶーぶー』の人身豚面、二つのパターンがあった。人身豚面だけなら事前に準備してから【ゲート】をいじって俺らの世界に来ただけかもしんねえけど、そうなるとイケメンスキンが邪魔だ。説明がつかねえ」

「ちょっと待って。だとすると……」

 赤い鎧にミニスカートのベアトリーチェの質問に、イケメンスキンは小さく頷いて、

「ああ。きっかけはこの『ぶーぶー』の世界にいる誰かだ。……だけどそいつは成功しなかった。【ゲート】を繋いで俺らの世界に来たのは良いが、歯が立たなかったんじゃねえかな」

 考えてみれば、それも当然かもしれない。

 あらゆる分野をまとめたトータルでの話はさておいて、単純な殴り合いだけならヘイヴィア達の暮らす世界が一番きな臭い。核にも耐える装甲の塊に、それさえ一撃で吹き飛ばす超火力の主砲。そんなオブジェクトが世界中にばら撒かれているのだ。死の匂いは一番強く、もはやそれがある種のユーモアと化しているくらいに。初めて『アレ』とかち合った自称侵略者さんの顔が目に浮かぶ。一つ一つの死をいちいち美談にしないと乗り越えられない程度の感性の持ち主では、あの世界ではやっていけない。

「片方が逃げ帰れば、今度はもう片方が攻め込む番だ」

 ヘイヴィアは囁く。

「自分で繋げた【ゲート】とやらも簡単には閉じられなかったのか、短い間に解析されちまったのか。とにかく俺らの世界にいる誰かが、グランズニール側へ攻め込んだ。さて、最初の元凶はどうする。すでにまともに戦っても勝てない相手だってのは痛い目見て分かっているはずだ。……つまり、戦いを避けた。グランズニールでも俺らの世界でもなく、さらに別の場所にな」

「それがつまり……私達も見ていない……?」

「ああ。おそらくクウェンサーの野郎が引きずり込まれた別の世界。学園都市」

 ヘイヴィアはゆっくりと息を吐いて、

「つまり、このグランズニールを軸にして、二つの世界を行き来できるようになっちまった。カルティベーションマッスルはこの時に手に入れた細胞をベースにしてる。平たく言えば、異世界侵略の手土産ってとこさ」


18(クウェンサー/学園都市)


『「最初の元凶」はこの世界、学園都市のどこかにいる。だけどこいつがカルティベーションマッスルを作った訳じゃない』

 クウェンサーはそう筆跡で断言した。

『そして完成されたカルティベーションマッスルは二つとも、合同演習やってる整備基地の倉庫に揃っていた。二種類の細胞を採取して、すでに培養も済ませている。……だとすると、これを作った黒幕はもう元の、オブジェクトののたくる俺達の世界に戻ってる』

 絹旗はまだ良く分かっていない顔だったが、そもそもこれは一つの世界の話『だけ』で綺麗に説明できるものではない。はみ出しているからパラドクスが生じているのだ。

「つまり、超逆に辿るとすると……」

『まずグランズニールから学園都市に逃げ込んだ、「最初の元凶」がどうなったかを調べる必要がある。生きているなら連れて帰る必要があるからな』

「……すでに超死体になっている可能性は?」

『ないとは言えない。しかもそうなら最悪だ。【ゲート】は生きている人間しか移動できない。死体は持ち帰れないし、死体を綺麗に消しても死んだって事実だけでパラドクスを生み出す引き金として機能は続けるって話だったろ。つまり打つ手なしだ』

 とはいえ、確かめるのが怖くても、生死を確認しない事には先へ進めない。

 まずは学園都市に浸透した『最初の元凶』を捕獲。グランズニールに行き、ヘイヴィアと合流。さらに第三七機動整備大隊まで三人で戻り、最後に『最初の元凶』だけをグランズニール側に突き返せば、ひとまず絡まった糸は解ける。

 カルティベーションマッスルを作った当人は第三七機動整備大隊にいる。そうでなければあの倉庫に生体ベースの装備が隠してある訳がない。あれを着込んだ途端によその世界に飛ばされたのだって、倉庫の中に【ゲート】が開いていたからではないか。

 つまり、無事に逃げおおせた黒幕については考えなくて良い。ヤツはすでに自分の足で順を追って元の世界に帰っているのだから。むしろ野放しにして、再びよそへふらふら足を伸ばされる前にケリをつけた方が良さそうだ。

 となれば、最後は一つ。

 全部終わった後に、黒幕を見つけてぶん殴れば良い。幸い、今のクウェンサーは腕力だけなら誰よりも自信がある。

「じゃあ、目下の問題としては」

 ニットワンピースの絹旗が何故だか手を挙げて発言してきた。

「……その『最初の元凶』さんの居場所って、なんか超ヒントとかありましたっけ?」

 確かに、この広い街の中でたった一人の人間を捜すのは困難を極めるだろう。しかもそいつは今、生きているのか死んでいるのかも分からないのだ。

 だがクウェンサーは足元にこう書き足した。

『一つだけ心当たりがある』

「それはどんな……?」

『アンタ達もどこかで知識を仕入れてここまで来たはずだ。カルティベーションマッスル、パラドクス、他の世界。具体的にどこからだ?』

「どこって、そりゃあ……」

「ん。そういうのに詳しい人がいるから」

『そうか。ならそいつが「最初の元凶」だ』

 あっさりと人身豚面は断言した。

『そんな知識を部外者が、いいや一つの世界しか知らない人間に手に入れられるもんか。大方、そいつはアンタ達を俺に差し向けて、自分を狙う追っ手かどうかを確かめたかったんだろ。……案内してくれ。ケリをつけよう』


19(ヘイヴィア/グランズニール)


「……正直に言って『待ち』だよなあ」

 イケメンの皮を被ったヘイヴィアは深い森の中でそんな風に呟いていた。

 彼らの予測が正しければ、おそらく鍵となる『最初の元凶』はクウェンサーのいる方だ。ここでヘイヴィア側がやきもきしても仕方がない。向こうも同じ結論に辿り着いたと信じて待機するしかない。

 楽観的に考えていた。

 そんな折だった。

「……?」

 最初、ぶーぶーが辺りを見回した。

 次にヘイヴィアが何かに気づいて息を殺し、その場でゆっくりと身を屈めていく。

 最後に、ベアトリーチェやフィリニオンが疑問の声を放った。

「……なに? 辺りの野鳥が、飛び立っていく?」

「しっ。どこかで【ゲート】が動いているようです。でもいつもと反応が違う……?」

「……、」

 クウェンサーではない。いくら何でも早すぎる。『最初の元凶』でもない。グランズニールから必死に逃げていった誰かが、今さらこちらに戻る理由は特にない。

 だとすると、他は誰だ?

 どこの誰なら世界と世界を渡る事ができる。

「……やべえぞオイ」

 ぽつりとイケメンスキンが呟いた。

「ちえっ。よりにもよって整備基地ベースゾーンに引っ込んだはずの黒幕が出てきやがったか!? こっちは順番通りに行ったり来たりを巻き戻さねえとならねえってのに、これ以上あちこちうろつかれちゃ敵わねえぞ!!」

「どうするのそなた」

「押し戻すしかねえだろ!! あいつの足取り分からなくなっちまったら修復のしようがなくなるんだ!」

 感情論で語っていると思いきや、チキンなヘイヴィアはこういう時も意外と打算を働かせている。

「なあに、【ゲート】とやらは素っ裸の人間と記憶や知識だけしか運べねえんだろ。俺らの世界にチチンプイプイで戦車吹っ飛ばすような魔法だの超能力だのはねえんだ。どんな野郎が顔出そうが、ナイフも鉛弾も持ち込み不可ならそれほど怖いもんじゃねえっ。むしろこっちに渡ってきてから刃物だの棍棒だので武装されちまう前に即効で叩いた方が安全に決まってる!」

「あ、あのうー……」

「何だどうした乳牛ちゃんこんな時に逆ナンのお誘いかよう!!」

「次ウシっつったら硫酸で顔面溶かして化けの皮はぐぞ三枚目。そうじゃなくて、あなたの言が正しいならその黒幕さん、私達の世界からやってきた侵略者をコテンパンにして叩き出した挙げ句、後を追ってグランズニール入りまで果たしたんですよね。でもって元の侵略者はグランズニールでも居場所を失ってさらによそへ逃げた。……そ、そ、それってつまり、どんな裏技使ってんだか知りませんけどやっぱり私達の【魔法】を凌駕する何かを自在に振り回せるって事なんじゃあ……?」

「……、」

「そもそもだな。相手があんたの言う通りの丸腰徒手空拳だったら、不自然に野鳥が飛び立って接近の前兆お知らせなんて思わせぶりな事になるもんか。これって明らかに怪獣映画級のが近づいてんだろおー!!」

「やっ、やっ、ヤバいーっっっ!!!???」

 馬鹿が叫ぶが時すでに遅し。

 深い深い森の中心に、恐るべき何かが降臨する。

 バギバギバギバキ!! と森の木々を割り箸どころかマッチ棒の群れのように薙ぎ払ってゆっくりと現れたのは、もはや丘というより山の威容。

 ただし直径五〇メートルもの鋼の球体から全方位に大小一〇〇門以上の砲を突きつける山があればの話だが。

「なっ、なな、なん、なあっ……」

 【ゲート】を潜れるのは生身の人間と知識や経験などのデータのみ。

 そんな常識を打ち崩された涙目のフィリニオンが後ろへ下がろうとして、木の根に足を取られて尻餅をついていた。衝撃でずり落ちたメガネも直さず、彼女は眼前の理不尽へ目一杯叫ぶ。

「何なんですかあれえーっっっ!!」

 ヘイヴィアはヘイヴィアでごくりと喉を鳴らしていた。正体不明だからではない。分かってしまったからこそ全身に死の緊張が走り抜ける。

「……『プラズマホーン』」

 その名を、告げる。

「どうして合同軍事演習に参加していた一六の最新第二世代が何の前触れもなくいきなり現れてんだ!?」


20(クウェンサー/学園都市)


 学園都市は、言うだけあってとにかく学校ばっかりの街らしい。

 そんな中で、標的の人物は『情報屋』なんてネッシー並に真偽の怪しい看板を堂々と下げているようだ。

「母体は公立南野高校電子新聞部って事らしいです。ま、超典型的なペーパー組織で学生証自体が偽造ID、この辺は裏稼業同士で持ちつ持たれつであまり深くは突っ込まなかったんですけど。警備員や風紀委員の協力者なら辺りに超大量の無線電波が飛び交いますからね。本人の望む望まざるに関わらず、コンプライアンスってのは誰の足でも平等に引っ張るもんです。私達としては、最低限相手が囮捜査なんかの首輪付きの犬でなければそれで良い」

 実際に足を向けてみれば、やはり奇妙な場所だった。校舎はある。校庭もある。体育館にプールも。だが人がいない。授業中だから屋内に引っ込んでいるのではない。明らかに敷地全体から活気が死んでいる。まるで深夜の冷たい闇に包まれた廃病院のように。

 いきなり敷地には踏み込まず、遠目に観察する灰色の豚は小さく呻く。それだけで疑問の空気を嗅ぎ取ったのか、ピンクジャージがこう言った。

「ジオラマスクール……」

「モデルルームの学校版、色んな教室を超組み込んだ展示場って考えてくださいよ。この街の人口は二三〇万人前後、その八割が何かしらの学生なんです。学校の数が多ければ、それだけ独特の需要も超生まれる訳で。先生が授業で使う指し棒やマグネットなんかの専門店もあるんですよ」

『どんだけ女教師フェチに走ってんだ学園都市め。……けどネット内でデータを差し込めば秘密基地に早変わりか。来客のスケジュールさえ押さえておけば、広い校内でかち合う事もないだろうし』

 巨体を丸めて爪でアスファルトを削るクウェンサーは、

『何にしても居場所が分かるなら手っ取り早い。変に勘付かれてよそへ行方を眩まされる前にケリをつけよう』

「あっ、ちょっと。トラップの有無くらい超確かめましょうよ! 初歩的なワイヤーとかならともかく、赤外線、超音波、電磁波……とにかく目に見えない死神の触角なんていくらでもあるんですからっ」

『大丈夫』

 クウェンサーは楽観しているのではなく、

『そういうのはないよ。何となく、こいつの頭を通して世界を見ていると分かるんだ』

 あるいは人の目や耳より高性能な携帯電話を取り出した絹旗が、そこで引きつった笑みで固まった。手元の電子機器と灰色の豚の瞳を交互に見やる。

『それに多分、こいつの皮膚はちょっとやそっとの爆発くらいじゃ裂けたりしない。今は時間が惜しい。まず俺が行くから、アンタ達は後をついて来れば良い』

「くっ……。こんな人身豚面のシンプルザキンニクに守ってもらってはインテリ冴え渡る防御系の名折れ。ほら行きますよ滝壺さん! 『窒素装甲』の真髄を超見せてやる……!!」

 何だか良く分からないが二大巨頭が前に出て地均しし、その後に天然系の滝壺がついてくるスタイルで落ち着いたようだ。ベースが学校なので全方向が開けているが、やはり裏手の職員用玄関を狙う。

「ふふん。学校にテロリスト、しかも周りの被害を気にせず超思い切り戦えるモデルルーム状態だなんて!」

「きぬはた。モデルルームなんだから壊したら被害になるよ」

 しかしピンクジャージも特に止める気はないようだった。流石は裏稼業。

 でもってクウェンサーの宣言通り、トラップの類はなかった。裏口の鍵も普通に開いている。営業時間内という事か。となるとこのでっかいモデルルームには最低でも鍵を持った管理人がいる。できれば戦闘に巻き込まないようにしたい。

 校舎は外から見ると典型的というか、誰もが思い浮かべる横長の鉄筋コンクリートで統一されていたが、中はなかなかにカオスだった。廊下こそ落ち着いた色のリノリウムだが、まず、ずらりと並ぶ出入り口の扉がバラバラだ。その色やはめこまれたガラス窓の形、果ては引き戸なのかドアなのかまで。

 覗き窓から中を窺うと、教室の方は床や壁紙も個々で全く違っていた。木目調やチェス盤のようなもの。古き良き木造の壁に黒板が掛けてあるところもあれば、四方全て真っ白な壁で映像を投射する仕組みの所もある。均一に並べられた椅子や机も、四角四面のものから溶けかけたチーズみたいな流線形まで様々だ。

 圧巻なのが特別教室ゾーンだった。例えば造りの違う保健室がずらりと並ぶ一角などは、見ていると頭がくらくらしてくる。どこを見て何を基準で取捨選択するのか、クウェンサーには全く見えない。

 豚は四メートル弱なので、ほとんど天井に頭を擦り付けるようにしながら先へ進む。

 目的地は分かっていた。やはりこの建物は人が少なすぎる。それでも人の耳に捉えられるかは微妙だが、人身豚面なら違う。相手の身じろぎが洞窟に反響する大声のように伝わってくる。

(……三階、南の角)

 私立校などの御用達か、車椅子向けのバリアフリーの一環か、階段の横にエレベーターが何基か並んでいた。ひとまず無視して階段から上へ。目的階にそろりと近づくと、それまでの努力を無視して思わず笑ってしまいそうになった。

 部室棟の展示ゾーンだ。だとすると『情報屋』がどこに潜んでいるかはすぐ分かるだろう。案外ロールプレイを楽しむ人間なのかもしれない。

 三人で廊下を進み、ドアの一つの前で立ち止まる。

 『電子新聞部』とあった。

 灰色の豚は傍らのニットワンピースと小さく頷き合うと、そのまま二人同時にドアを蹴破った。派手な音と共に金属製のドア板がひしゃげて奥へと突っ込んだが、即席の巨大手裏剣が体のすぐ近くを突き抜けても中の人物に動じる気配はなかった。

 美しいがどこかどろりと粘質な感情を匂わせる、暗い瞳をしたセーラー服の少女だった。黒髪を一本三つ編みにし、スカートの長さを膝下まで抑えても、どうやってもその個性は消えない。クウェンサーは戦場での経験から、絹旗は裏稼業の匂いから、滝壺は差出人不明な遠方より飛来したインスピレーションから、それぞれ直感で理解した。

 ……こいつは『殺す』人間の目だ、と。

「超お久しぶりです」

 絹旗が先に英語で語りかけると、それで統一が取れた。相手も同じように返してくる。

「あらご挨拶ね。取引相手の個人情報はお互い秘匿するのがマナーだと思っていたけれど」

「へえ、いつの間に勉強したんですか、こっちの世界のルールなんて。超熱心だなあ憧れちゃうなあ」

「……、」

 三つ編み少女はインスタントな挑発を続ける絹旗ではなく、一際大きな人身豚面へ目をやった。

 彼女は脅えている、それが見知らぬ世界からグランズニールを経由しての刺客ではないかと。だがクウェンサーも関係ない。こいつが勝手に空けた風穴は責任を持って塞いでもらうだけだ。

 だから言った。


「こっちはアンタに『帰って』もらうだけだ。そのためならボコボコにして身動き取れなくなってから肩で担いで持ち運んだって良い。どっちがお望みだ!?」

『ぶー! 長い髪、美しい黒髪っ。いっぱいくんくんして手触りを確かめて素っ裸で身体中に巻きつけてぐっすり眠りたい! はあはあ!!』


……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 そして空気が凍りついた。

 久しぶりだから忘れていた。この豚野郎、人と同じつもりでしゃべると体内を複雑に反響して洞窟の中のすすり泣きみたいな意味のあるんだかないんだかな波長を形成する事に。

 ちなみに東洋言語をマスターしていないクウェンサーは、具体的にどんな風にやらかしたのかは分からずじまいだ。

 ただ、とんでもない地雷を踏んだ事だけは、相手のリアクションで理解できる。

 怒りなのか何なのか、一瞬で顔全部を真っ赤にした異邦人がババッ! と己の肩を全力で抱いて後ずさり、

「真面目なトコなのに! すごく真面目なトコだったのに!! いいや私の人生は今この上なくクライシスを迎えて……!?」

(いやちょっと待てそして何で滝壺とか絹旗まで嫌悪にまみれた目でこっち睨んで拳握ってんだこんなので一対三になるのかよもうやだよう!!)

 三つ編み少女が傍の壁に立てかけてあった奇妙な物を掴んだ。それは銀細工。モップくらいの長さの柄の先に、青く濁った灰色の水晶球をはめ込んだ、槍とも杖ともハンマーとも受け取れる奇怪な得物。

 どう来るか予想がつかない武器を見るとやはりヒヤリとする。事前にどう避けるか決めにくいからだ。

 そしてその時が来た。

 濁った水晶が淡く輝いた直後、

「はァっあ……!!」

 バリィ!! と何故だか三つ編み少女のセーラー服が内側から勝手に裂けた。偽装の象徴だった三つ編み自身もひとりでにほどけて大きく膨らむ。

 思わず、そしてまた前提を忘れてクウェンサーは叫んでいた。

「お前ー! お淑やかなのか見せたがりなのかはっきりしろ馬鹿野郎!! これで俺だけ一方的に責められるのはなんか違うだろー!」

『ぷきー。一枚一枚脱がせるのはオレサマの仕事でしょ! 勝手に破けちゃもったいない』

 そこから二秒もなかった。虚空から浮かび上がる金属質の装甲が少女の全身へと装着されていく。

(二秒は短いようで意外と長いな。何にせよ見えるもんは見えちゃうし)

 一つの山を登り詰めた事でかえっていったんクールダウンするクウェンサー。

 青く濁った灰色。上半身はがっしりした装甲に包まれているのに対し、腰回りは驚くべき事に太股の付け根近くまで見えるミニスカートだった。少しでも機動力を確保しようとでも言うのか。髪自体の色も青みを帯びた灰色に濁っていく。

「【濁流槍者】ソルビョルグ、推して参る」

 言葉と同時だった。

 青灰色の少女が水平に振った銀の杖に合わせ、クウェンサーの真横の壁が爆発して一気に殺到してきた。


21(ヘイヴィア/グランズニール)


 『プラズマホーン』。

 『正統王国』軍第一六機動整備大隊所属の第二世代オブジェクト。

 球体状本体の真下にH字の大きな静電気式推進装置を持つ他、機体後部には後光か天使の輪に似た円形パーツを装着し、同円に時計の文字盤のように配置された一二基の円筒形プラズマブースターで瞬発的な回避性能を引き上げた機体。主砲は球体状本体の真正面に、正三角形の各頂点を作るように下位安定式プラズマ砲が三門。ただし個別の威力もさる事ながら、極めて近い位置から重なり合う形で発射する事でプラズマ同士をわざと干渉させ、射程内にある所定の座標で大爆発を起こす攻撃でも知られている。

 当然、集束が弱まれば貫通性能は著しく下がるが、その分拡散すれば回避は難しくなる。まず敵機の表面を散々炙って少しでも動きを鈍らせてから、点の砲撃で急所を撃ち抜く。いったん理想パターンにハマると抜け出せなくなる『底なし沼』として有名だ。

 だがこの『プラズマホーン』には欠点がある。多くの戦果を上げながら、決して撃墜王としてノミネートされない理由が。

 ……敵機を炙る過程で、必要のない生身の敵兵を巻き込みすぎるのだ。一回で数百メートルにわたって熱線と衝撃波をばら撒く牽制球をしこたま撃ち込み、核でも破壊不可能とされるオブジェクトの表面が溶け始めるまでひたすら繰り返すのだから無理もないが。おかげで非人道兵器候補の筆頭である。多くの戦果とやらを持続できていなければ、今頃戦術理論ごと闇に葬られていただろう。

 つまり最悪の野郎だった。

「なっ、何で、どうして……あんなデカブツが【ゲート】から……?」

 相変わらずフィリニオンは尻餅をついてメガネをずり下ろしたまま涙目で呟いていたが、今はそれどころではない。

 ヤツはこちらを認識している。

 高い生存スキルに基づくチキン野郎ヘイヴィアはイケメンの顔と同化しながら絶叫した。

「やべえっ。地表にいると輻射熱だけでも死ぬ! どっか崖とか谷とか洞窟とか、どこでも良いからとにかく潜れる場所はねえのかっ、一〇秒以内で!!」

 無理な相談に決まっていた。

 ヘイヴィア自身、そう都合良く大地が隆起してくれるなどとは考えていなかった。

 いいや、たとえ目の前に洞窟があったとして、そこへ飛び込んだとしても、恐るべき熱で膨張した空気は容赦なく奥まで蹂躙するだろう。今回ばかりは相手が悪過ぎる。

 『プラズマホーン』の真正面、三門の主砲が同期しながらゆっくりとこちらを向く。直射にしても拡散にしても、一発放たれれば一面の森は焼け溶け、地面だって沸騰してガラス化する事だろう。

 そのはずだった。

 しかし。


 ゴッッッ!!!!!! と。

 絶対優位のプラズマが放たれた途端、不自然な弓なりを描いて真上へ逃げ、た……???


 こちらが何をしたかと言えば、三人娘の内、赤い鎧のベアトリーチェが腰からレイピアのようなものを抜いただけ。

 しかしたったそれだけで、現にオブジェクトさえ破壊する一撃が狂った。かなり上方まで舞い上がってから三本のラインが混じり合って大爆発を起こしたが、高空での炸裂は猛烈な光とジリジリと肌の表面が日焼けするような痛みを与えるに留めた。先ほどまであった白い雲が不自然に抉り取られているが、それだけだ。絶対確実な死神の鎌は、ヘイヴィアの首を刈り損ねたのであった。

「なっ、何だ? 一体何が……」

 今度は彼が疑問にまみれる番だった。

 その間にも、ベアトリーチェはこちらに背を向けたまま、口ずさむように告げる。

「……巨花よ開け。七つの系統樹を現わせ」

 景色が一変する。全てが幻惑の炎に包まれる。彼らの周囲、そう、遠く離れた『プラズマホーン』を含めた全てを取り囲むのは、七つの巨大な炎の壁。まるで縦長の瞳のようなそれらは、全体で一つの檻や闘技場じみた空間を切り分ける。

 状況を訝しんだのは『プラズマホーン』も同じだろう。さらに立て続けに二発、三発と主砲が斉射されるが、やはり上方へ逸らされたり、あるいは途中で萎んで霧散してしまう。

 訳が分からなかった。

 尻餅をついたまま白い魔女の帽子を両手で押さえるフィリニオンが何か言っていた。

「……あっ、ああもう相変わらずのド直球高火力バカが顔を出して。だからベアトリーチェは前衛なのにか弱い回復役の盾役にできないんですっ、誤爆一発でこっちが粉々になりかねないし!!」

「ありゃ、何だ? まさか赤いお嬢ちゃんがやってんのか!? 相手はオブジェクトの装甲をぶち抜く下位安定式プラズマ砲だぞ!!」

「ああ、プラズマホーンなんて名前だからそういうの使ってくるかと思っていたけど、やっぱり正解だったみたいね」

 振り返りもせずに、ベアトリーチェは気軽に語る。

「私は【火炎属性】の【魔法】だけで一万四〇〇〇種集めた【剣聖女】。……でもって、そもそも質量を測れないのに目に見えて物体を押せる炎の正体って何だと思っているの? 固体、液体、気体、いずれにも当てはまらない第四の状態。つまりプラズマでしょ?」

「なっ……」

「まあ、とはいえ落雷とかオーロラとか、プラズマと名のつくものなら何でもダイレクトに操れる訳じゃないんだけど。もしもそうなら全宇宙の九九%を手中に収める事になるし。火炎の【属性】って切り分けは、やっぱり大きいのよ。……けどあれは、スタンガンみたいな高圧電流を浴びせて生体にダメージを与えるっていうよりは、莫大な熱を使って一面を焼き払う、炎のような目的で作られたプラズマなのよね?」

 規格外だ。

 説明されても納得できない。

 おそらく厳密には物理法則だけで解決もしていない。

 しかしだからこそ、ヘイヴィアには何となく分かった。『プラズマホーン』は、この理不尽が欲しくなった。元々ドンパチよりも遺跡発掘への協力に精を出していた一六だ。夢に見たオカルトが精神論に留まらず、形を持って現れたと分かった時にはさぞかし興奮した事だろう。上層部への報告義務さえ忘れ、その全てを独占したくなるほどに。

 そのためなら何でもした。

 おそらくは、『プラズマホーン』の基幹構造にさえ手を加えて。

「……カルティベーションマッスル」

「?」

「あいつ、きっとオブジェクトの信号伝達系に操縦士エリート自身から切り離して培養した神経組織やリンパ液なんかを使ってやがるんだ。そいつと自分自身を装着する事で、オブジェクトを丸ごと人体として『誤認』させやがった。あそこまで魅入られるんだ、本気で【魔法】を欲しがってんならやりかねない」

 ヘイヴィア自身、イケメンスキンは自分の持ち物だから一緒に【ゲート】を潜ったのかと思っていた。でも違う。ベアトリーチェ達は言っていた。転移できるのは自分の体と知識や経験だけで、マクロな物品は難しい、と。

 だとすると、やはりここに『誤認』はあったのだ。これが異世界から持ち帰った成果なのか、オブジェクトに組み込む前の模型実験だったのかは知らない。だがこういう事になる。改めて想像するとゾッとするが、ヘイヴィアとイケメンは境目のない同化した一つの存在とみなされたのである。

 ……もちろん一六も、最初から全部分かっていた訳ではないだろう。いったんグランズニールからやってきた侵略者を撃退し、逆に開いた穴から向こうへ乗り込んで、そこから何をどれだけ運べるのか、試行錯誤を繰り返したはずだ。ひょっとしたらエリートを使う前に、様々な試策の中で志願者が死亡したり、神隠しのように消息不明に陥ったりもしていたかもしれない。訳が分からないものを訳が分からないまま裏をかこうとすれば、当然トライアンドエラーの総当たりになるのは目に見えている。

 そしてヤツらは成し遂げた。

 異世界間転移侵攻用オブジェクト。おそらく有史以来最大にねじくれたコンセプトのゲテモノだ。

 その怪物の球体状本体の全面で、キチキチと音を立てて大小無数の砲が蠢いた。

「……今度はプラズマだけじゃねえぞ。レールガン、コイルガン、連速ビーム砲、そして光の速さで貫くレーザービーム。ワンパターンの防壁が通じる相手じゃねえ」

 ヘイヴィアは警告したが、ベアトリーチェはもちろん、尻餅から起き上がって両手でお尻をパンパン叩くフィリニオンや、鉄の杖を構え直すアルメリナ、そして腰から二メートル大の丸太か鉄骨かと見紛う塊を引き抜くぶーぶーなどの対応は変わらない。

 通り一遍の警告をしながらも、ヘイヴィアも思った。

 その程度で潰れるなら、既存の戦術で一掃されるくらいなら、そもそも一六や『プラズマホーン』がここまで魅入られて道を踏み外す事もなかっただろう、と。

「ぶー」

 人身豚面が、当たり前のように言った。

「森を焼かれるのは良くない。さっさとケリをつけよう」


22(クウェンサー/学園都市)


 ドッ!! と。

 真横の壁が一斉に爆発して雪崩れ込んできた時、クウェンサーは生身なら死んだと思った。瓦礫の山に爆薬を詰めて物陰に潜み、敵兵に石の雨を叩き込むのは彼自身も良くやる手だったからだ。

 だけど今は規格外の灰色の豚。

「ッ!!」

 短い息と共に、あまりにも巨大な拳を裏拳気味に叩き込んでいた。反応できてしまった。恐るべき動体視力と反射神経に内心でぞわりとした悪寒を感じつつも、面を埋めるような瓦礫の散弾から絹旗や滝壺を守るべく、逆に一撃で吹き飛ばしていく。

 そのはずだった。

 しかし崩れて飛び散るはずの硬い瓦礫の凶器は接触してきたクウェンサーの手首に絡みつく。いいやそれはもう固体ではなかった。どろりとした粘性の高い灰色の……、

(なんだっ、これ? セメントだと!?)

「超まずいっ、そういう能力者か? とにかく早くそれを手元から切り離してください!!」

 絹旗からの警告をじっくり聞いている暇もなかった。

 一体化した分厚い手の皮膚から、焼けた鉄板に掌を押し付けるような猛烈な熱さを感じた。しかし熱はただ発生しない。そこには熱を生むための基幹となる化学現象が存在する。

(……確か、コンクリートは固まる時に発熱するって……)

 そしてようやくニットワンピースの動揺が理解できた。コンクリートに限らず、あらゆる物体は気体、液体、固体と状態が変わる際に体積が変化する。

 めきめきめき!! と急速に固まるコンクリートに押し潰されるように、灰色の豚の手首から凄まじい痛みが発する。

「ぐううっ!!」

 歯を食いしばり、近くのスチールデスクを叩き潰す勢いで拳を振り下ろし、再固化した手首のコンクリートを砕いて取り除く。

「あら素敵。普通の人間なら落としたグラスみたいに拳の骨がバラバラになっていたはずなのに」

 くすくすと笑うソルビョルグ。

 だが理解できない。今のは何だ? コンクリートの変化は基本的に不可逆で、一度固めたら元の柔らかいセメントには戻らない。何か得体の知れない化学薬品でも合成しているというのか。

「違いますっ、あれはそういう能力者なんです」

「自信満々に間違えないでちょうだい。これはそういう【魔法】よ」

 どちらにしたって規格外だ。

 単純な破壊力だけの問題ではない。鋼の塊のオブジェクトが台頭しても、なんだかんだで軍隊だって鉄筋コンクリートに対する信仰じみた信頼は根強い。こんなヤツが戦地を渡り歩いたら強固な橋やトンネルといった交通の要衝も、要塞や地下核シェルターといった重要拠点も、全て台無しになる。

 ソルビョルグは、大きな水晶球を嵌めた槍なり杖なりを真上に掲げていた。

 自然とそちらを目で追ったクウェンサーは目撃する。天井がおかしい。まるで浸食の著しい鍾乳洞のように、鋭い円錐の杭にも似た太い突起が一面びっしりと埋め尽くしている。

 さっきは水晶球の動きに合わせて、横から来た。

 なら今、あの槍を真下に振り下ろされたら……?

「ッッッ!!!???」

 一瞬の猶予もなかった。クウェンサーは両手でそれぞれ絹旗と滝壺を捕まえ、そのまま真後ろへ全力で飛ぶ。出入り口など関係なく、壁を丸ごと背中でぶち抜いて廊下へ転がり出る。

 ズズン!! という校舎全体を揺さぶる震動は、灰色の豚が起こしたのではない。それよりなお重たい衝撃が、電子新聞部の天井から落ちたのだ。

 しかもそれで終わらない。

 ソルビョルグは軟と硬、双方の性質を使い分ける。一度床に落ちた凶器の山はどろりと形を崩し、そして濁流の勢いでクウェンサー達を捉えるべく突っ込んでくる。

 あんなものに拳や蹴りで応対するのは愚の骨頂。そもそも鉄筋コンクリートの箱は自慢の牙を並べたヤツの巨大な顎の中でしかない。隠れ家はソルビョルグの好みの場所だったのだ。

(くそっ!!)

 せっかくのポテンシャルを活かせないまま、ほとんど間を置かずにクウェンサーは廊下の窓を背中で割って後ろ向きに窓から飛ぶ。灰色の濁流自体も校舎の全ての窓から吐瀉物のように噴き散らされたが、かろうじて接触は回避する。

 ここは三階。

 空中でぐるりと一回転し、両足で衝撃を殺して丁寧に着地する。とてもじゃないが生身でできる動きではなかった。

 ソルビョルグは降りてこなかった。

 窓辺へ優雅に近づいて景色を一望した直後、校舎の半分以上がドライヤーの温風を浴びせた飴玉みたいに形を崩していく。

「きぬはた、中にいる人は……?」

「駐車場の車がなくなっています。先に逃げたみたいですね。超かち合う直前、ドアを派手に蹴破った音を耳にしていたのかも」

 見る間に学校の校舎がとぐろを巻く巨大な蛇のように変化する。ソルビョルグ自身が取り込まれる事はなく、蛇の頭の上で仁王立ちだ。

「この『窒素装甲』……言ってみれば超スーパー勝ち組せれぶりちーな風属性を差し置いて、万年最下位のベンチウォーマー土属性が偉そうに……っ!!」

「きぬはた、何と張り合っているのか見えないよ」

「私はなー、ハリウッドには超敬意を払っていますが一つだけ納得できない事があるんです。あの両手上げて吼えたら嵐が起きて雷が落ちる大味な超能力描写! アンタらとりあえず空間全部埋めないと驚かないのか!? こんの地味土のくせに派手好きな黒船め、超常のワビとサビってもんを超教えてやります!!!!!!」

「あと超とスーパー……」

「ウルトラとスーパーでしょうが、超全然被ってない!!」

 それにしても、あれだけ念入りに身元を隠していた割に、打って出る時はド派手にやるものだ、とクウェンサーは思う。あれではもう目立ち過ぎて、街のどこに身を隠す事もできないだろう。……つまりそれだけ恐れているという訳か、グランズニール経由でやってくる追跡者が。【ゲート】の設置条件は未だに不明な点も多いが、場合によってはこの学園都市を捨て、さらに別の世界へ逃げ込むのも良しと考えるくらいに。

「おいコラ巻き○ソ女超聞いているんですか!? ふはは高い所に登らないと誰からも忘れられてしまう哀しいサガなのは分かりますが正直もううんざりです。さっさと汚物の山持って元の世界に帰れッ!!」

(アンタも何でそんなに煽りまくってんだ!? こっちが慎重に黙っている意味ないし!)

「……、」

 巨大な蛇の頭に乗るソルビョルグは笑顔だった。

 笑顔のまんま水晶球の槍を振るい、そして真上から大質量のセメントが襲いかかってきた。


23(ヘイヴィア/グランズニール)


 最新鋭の第二世代、『プラズマホーン』。

 対するベアトリーチェやぶーぶー達の対応はシンプル極まりないものだった。


「前にやり合った、一〇〇〇メートルオーバーのサウザンドドラゴンと比べれば全然小さい」


 ゴッ!! と。

 猛火の中で彼らはまず深い森の木々の合間へと飛び込んでいく。その間にも凄まじい勢いで金属砲弾や電子ビーム兵器などが横殴りの雨みたいに襲いかかる。彼女達の動きは一種類に留まらなかった。

 例えば。

 ぶーぶーなら、何の工夫もなく真横に跳んで砲撃を回避したり。

 例えば。

 ベアトリーチェなら、蜃気楼や煙幕でロックオンを誤魔化したり。

 例えば。

 アルメリナなら、自分の手前に無数の鋼板を呼び出し、わざと貫かせる事で少しずつ砲弾の軌道を逸らしていったり。

 でもって。

 フィリニオンなら、常に誰かの背中に隠れて安全地帯を確保したり。

(……あいつほんとに美味しいポジションについてやがる! あんなのもう俺も見習わなくちゃダメだ!!)

 ぶーぶーを除く三人の少女はかつて軍隊崩れの【ギルド】、【エルキアド】とかち合った際はかなりの苦戦を強いられてきた。まして今回は規格外の大火力、オブジェクトだ。普通に考えれば対処不能に思われるかもしれないが、実はそうではないのだ。

 標的の動きを先読みし、全てのルートを効率良く複数の火線で埋めていった【エルキアド】と、一方向から機械任せで大雑把に横殴りの雨を降らせるオブジェクトとでは、読み合いの密度が違う。言ってみればコンピュータのポーカーとマカオやラスベガスでチップを山積みした時の違い、とでも言うべきか。見た目のルールは同じでも、漂う空気は全く違う。絶対安全圏から漫然と手を打つ者に、本気で山を逃げる獣は捕らえられない。

 それでも、電磁波でロックし光の速度で超音速戦闘機や弾道ミサイルまで正確に撃ち落とすレーザービームは回避できない、かもしれない。

 だがこちらには【魔法】がある。

 厳密には【白魔女】フィリニオンの支援薬。エンカウントや被ダメージの確率を前もって視界の端で数値視覚化するこの薬があれば、パーセンテージが莫大に跳ね上がったタイミングで回避アクションを取るだけで事足りる。

 ……言ってみれば、操縦士エリートのお姫様が砲や照準レンズの細かい軋みから予兆を読み取る離れ業を、誰でもできるインスタントなレベルまで引き下げたもの、と考えれば良い。

 ヘイヴィアが知れば、これだけで戦争が起きると考えたかもしれない。【魔法】を知っているか否かは、それほどまでに大きい。

(って、やべ! みんなさっさと行っちまうもんだから取り残されちまう!? 俺もあの変態的な動きする連中を盾にしねえと命がいくつあっても……)

 ひゅん、と。

 時が止まった世界で、自分の頭よりデカい砲弾が鼻先まで迫っていた。

「……だばはァっ!?」

 体感速度を一億倍スローにしたところで現実は非情だ。顔面で凄まじい衝撃が炸裂し、そのまんまブリッジを描いて真後ろにひっくり返る。首の内側から嫌な音が響き、イケメンがひしゃげ、なんか天使の羽みたいに大きく広がっている。

 いいや本当に顔から羽が飛び出していた。

 彼はまだ生きている。

 大の字で呻き、寝返りを打って、夢から覚めない事を思い知らされたヘイヴィアはゆっくりと起き上がる。

 もぞもぞと蠢き、盾代わりの羽が引っ込んでいく。いちいち質量保存の法則とか考えるのが馬鹿馬鹿しいくらいあっさりと。

「……前からちょいちょい思ってたけど、これほんとにカルティベーションマッスルなのか? なんか色々説明がつかねえーぞ」

 とはいえ『羽』は相変わらず、狙って出せるものではない。従ってこのまま何発も立て続けにもらう自信も流石にない。先行したぶーぶー達に追い着いてさっさと誰か盾にしようと心に決め、ひしゃげイケメンは再び森の中を走り出す。


24(クウェンサー/学園都市)


 学校の校庭で、灰色の豚が真横へ思い切り跳ぶ。それ自体が砲弾のような勢いで。ぶぎゅる! と掴んでいる絹旗の口から変な声が響いたが、今は拘泥していられない。

 真上から濁流のようなセメントの大蛇が落ち、辺り一面に灰色の凶器を撒き散らす。

 ちなみにピンクジャージの滝壺は完全に無の表情だった。真面目にやっているのか太陽電波を人語に翻訳しているのかは、外から見ているだけだと区別がつかない。

 クウェンサーは足元の地面に刺さっていた鉄の杭を足の指で引っこ抜き、宙に浮かせたところで二段蹴りの要領で撃ち出す。並の人間なら棒立ちのまま胸板を貫通されかねない威力だが、コンクリートの魔女、ソルビョルグには通じなかった。大蛇が再びうねり、瞬く間に彼女の体は学校の屋上よりも高く持ち上げられる。

(……今のままだとダメか。地上からチマチマ反撃の機会を窺っているだけじゃヤツに届かない)

 ソルビョルグの限界がどこまであるかは知らないが、何しろ学園都市は高層建築の密集地帯だ。武器となるコンクリートはいくらでもある。しかも騒ぎに呼応して街の人間が集まっても、必ずしもクウェンサーにとってプラスに働くとは限らない。灰色の豚もまた、この街にとっては平穏を脅かす異分子でしかないのだ。

 何にしても長期戦に持ち込んで良い事は何もない。変に引っ掻き回されている内にソルビョルグを見逃し、よその世界に逃げ込まれたら収拾がつかなくなる。

 何としても仕留める。このフェイズで。

「……、」

 クウェンサーは左右の手でそれぞれ抱えていた二人の少女を地面に下ろす。

 標的を見据え、そして動く。


 ドンッッッ!!!!!! と。


 一息で地面が爆発し、そして四メートル弱の巨体が空を飛んでいた。標的はとぐろを巻く大蛇の山の中腹。柔らかいセメントの胴体は底なし沼のように獲物を飲み込み、硬化時の体積差で圧搾するはずだが、彼は臆しない。

 着地と同時に再びの爆発があった。

 何度も連続で炸裂し、そもそも人身豚面は沼に沈む事さえない。カルティベーションマッスルの元となったその生き物は、海上で待つ一〇〇〇メートルのドラゴンと戦うため、何の支えもない海面を水切り遊びのように飛び跳ねて懐へ切り込んだほどだ。セメントほどの抵抗力があれば問題なく表面を駆け抜ける事ができる。

「ちい……ッッッ!!!???」

 てっぺんで青灰色の魔女が吼える。

 大蛇の表面が波打ち、無数の杭が沸き立つ。それらはクウェンサーの足の裏を貫き、縫い止め、動きを縛って沼へ沈めるべく、一斉に飛び出してくる。

 だが。

 それさえも。

 真上に射出される杭の先端、その一点に足の爪を合わせ、ギリギリの均衡で衝撃を殺し、貫かれる事なく上に乗る。後はその繰り返しで、怒涛の勢いで暴れる大蛇の道を走破していく。

 コンクリートの魔女、ソルビョルグまで後わずか。

 クウェンサーはすでに見開かれた目の中に浮かぶその恐怖の色さえ捉えている。


25(ヘイヴィア/グランズニール)


 もしかしたら、『プラズマホーン』側にとっての最適解は、木っ端の人間相手にプライドを全部かなぐり捨てて後ろに下がりながら砲撃を続ける事だったのかもしれない。何しろオブジェクトは時速五〇〇キロオーバーで自由自在に戦場を駆ける。地上を走るものだと、リニアモーターカーの直線全速力でも追い着けるかどうかは未知数なのだ。全神経を集中する回避や防御は永遠には続かない。付かず離れずの位置をキープして延々砲撃を続ければ、いつかヒューマンエラーが起きて相手は自滅する。

 だがそんな定石をぶーぶーは許さない。

 そもそも彼は人間ではない。

 砲弾のように森の木々の合間を縫って進むその巨体が、単純に逃げる『プラズマホーン』へ肉薄していく。森の木々を折るので速度ロスが発生しているだけではない。そもそも人身豚面の筋肉が規格外過ぎるのだ。

 そして一歩遅れてベアトリーチェ。背中から強烈な炎の翼を噴き出した彼女は、走るというより地面スレスレを飛ぶような格好で空気を引き裂く。しかもベアトリーチェは肉弾一直線のぶーぶーと違って多彩な炎の【魔法】がある。懐まで到達できなくても、時に景色を引き裂く複数の熱線が、時に当たれば粘質な炎を一面に撒き散らす光球が、立て続けに発射されて第二世代をオレンジ色で埋め尽くす。

 もちろん核でも破壊不可能なオブジェクトは、それくらいでは大破しない。

 だが『プラズマホーン』の設計思想自体が告げている。ヤツはわざとプラズマの安定性を崩して広範囲に熱線と衝撃波をばら撒き、敵機の表面を溶かして、挙動にロスを生んでから確実に点の主砲で仕留める機体ではなかったか。

 同じ事が何故他者にはできないと断言できる。

 つまり。

 ベアトリーチェという牽制球で足を止め、ノックバックの間にぶーぶーという本命でぶち抜く、というコンセプトを。

「……、」

 灰色の巨体がH字の静電気式推進装置の足元まで到達する。ここまで近いとオブジェクトとしてはかえって狙いにくい。いっそ超重量を浮かばせる莫大な静電気を浴びせて五体を爆発させるべく、あたかも轢き殺すような挙動で『プラズマホーン』がぶーぶーへと迫り来る。

 人身豚面は無理に抗わなかった。

 真横から滑るように向かってくる第二世代に対し、手にした丸太か鉄骨と見紛う棍棒の先端を、ただ土の地面に向けて思い切り突き刺したのだ。

 直後。


 ボゴアッッッ!!!!!! と。

 あまりにも莫大な量の土砂が、それこそ半球状のドームを形作る勢いで噴き出した。


 それはまるで隕石の落着。

 そしてオブジェクトは静電気式であれエアクッション式であれ、基本的には地面や海面と機体の間に力場や空気の層を設けて浮かばせる事で高速移動を実現している。

 逆に言えば、地面と認識できるものさえ挟めれば、そちらを基準に沿って進んでしまう。

 そう。

 例えば、ドーム状の爆発であったとしても。

 オブジェクト自身、ぶーぶーをすり潰すべく全力で舵を切っていたのも問題だっただろう。

 浮く。

 ぶーぶーを捉え切れず、見えないアーチ橋を渡っていくかのように、彼のはるか頭上を流れていく。

 そして仮初めの足場はいつまでも保たない。

 いきなり支えを失った『プラズマホーン』が空中でぐらりと揺れた。一度手放したバランスを取り戻す事は叶わず、H字の静電気式推進装置以外の側面から地面に激突する。そのままさらに跳ね、勢いがついていく。こうなるともう止まらない。最新鋭の第二世代は巨大極まる大玉転がしかボウリングの球のような格好で深い森から島の境の海岸線まで転がっていく。

「……ひでえ。オブジェクトの弱点調べる間もなく力業で終わらせちまいやがった。こりゃあ『プラズマホーン』が入れ込む訳だぜ」

 ようやっと現場に追い着いたヘイヴィアが、嘆くように呟いていた。


26(クウェンサー/学園都市)


 勝負は一瞬だった。

 そもそも灰色の豚に懐深くまで潜られた段階で、ほとんど運命は決まったようなものだった。

「あっ、あああ!!」

 蛇の頭にて。コンクリートの魔女、ソルビョルグが慌てて先端に水晶球をはめた槍を振り回そうとするが、そもそもクウェンサーはその動きさえ許さない。問題の水晶球自体を大き過ぎる掌で上から包み、押さえ込む。

 決着は空いた手が一つあれば十分。

 足から腰へさらには肩からの力を全て乗せて、恐るべき拳を青灰色の魔女の顔面目掛けて勢い良く解き放つ。


 炸裂するのはまさに轟音。

 いつも使っているプラスチック爆弾の『ハンドアックス』などよりも、よっぽど腹の底に響く重低音であった。


27(ヘイヴィア/グランズニール)


 一連の事件は終わった。

 そこらの森に生々しい焼け跡の形で爪痕が残り、島のど真ん中に特殊鋼でできた五〇メートルの塊が転がっている。何だかこれ自体が軽めに新しいダンジョンになりかねない有様だ。基本的にグランズニールから地球へ人間以外の物品を持ち帰る事はできないが、今回は特例中の特例だし、現地で解体して技術情報を持ち帰るくらいなら普通にできる。東京の街をあんなもんが闊歩する時代になったらおしまいだ。ベアトリーチェは新たな事件の匂いに気を引き締める。

「そうか……」

 ただ、それはそれとして、今は区切りの時間であった。赤と銀の髪の【剣聖女】はゆっくりと目を細めてこう囁いた。

「……終わったのならさっさと帰ってくれないかなあ。こっちは早いとこぶーぶーと川釣りに出かけたいし、あわよくばそのまま水辺のきゃっきゃうふふにもつれこみたいんだけど」

「徹底的にブレねえ女だな!! ある意味では安心だが超絶美形貴族ヘイヴィア様を前に何事なの!? もっとイケメンに注目して!」

「……い、イケメンも何も、もうほとんど銀行強盗さん御用達ストッキング装備みたいになっていますけど、顔。全体的に負荷をかけ過ぎなんですよ」

 何しろ灰色の豚が大活躍する幻想世界だ、茶髪ホスト系とは食べ合わせが悪かったのかもしれない。次は二人掛けらぶらぶソファに腰掛けた女の子が口で咥えた細長いチョコレート菓子を折らずに食べるゲームでミスしたら即死な感じのソリッドシチュエーション世界に飛び込もう、と決意を新たにするヘイヴィア。

「……そう考えると銃と鋼の世界でドンパチやってんのも生まれが間違ってんじゃねえのか? ここらでちょっと一億人のヒロインを落としたんだけど誰が誰だか覚えちゃいねえからもっぺん名簿作り直しに行こうぜ的転生勇者のラブコメ世界に出かけてみるのも悪くはないはずだぜ!」

「ぶつくさうるさいけどちゃんと帰れよ、これ以上こじれると面倒だから」

「あるめりーなー。赤白緑揃って何なんだこの淡泊な感じはよお! ヒロイン勢でしょ、ちょっとは泣けよここでお別れなんだから!!」

 叫ぶひしゃげイケメンだったが、そこで彼は涙の匂いを感じ取った。

 口元に片手を当てて小刻みに震える灰色の豚、ぶーぶーであった。

「ぷきー……」

「ぶーぶー!! 俺のために泣いてくれるのか。テメェだけは信じてた!!」

 ガッ!! と抱き合った暑苦しいのを横からベアトリーチェが蹴飛ばしたのは完全な蛇足であった。


28(クウェンサー/学園都市)


『終わったな』

「ええ」

 灰色の豚が地面に書いた文字を目で追った絹旗は両手を腰に当てて、

「当面の注目はコンクリを自在に操る敵方へ移るでしょう。その間に裏からこっそり帰る事を超オススメしますよ」

『いや全部元通りにするにはあいつも連れて行かなくちゃならないんだよ。途中でよその世界に捨てていくけど』

「……だったらなおさら急いだ方が良いと思う。学園都市は技術蒐集に余念がないから、こういう未知の情報源は垂涎だろうし。捕まったら暗い地下から出られなくなるかも」

『そうか。この豚、確かに量産させる訳にはいかないもんな。ていうかちゃんと引き剥がせるのか。もう密着している感覚もないんだけど』

「いえそういう話ではなく」

 パタパタと絹旗は小さな手を振って、

「……事情は未だに良く分かりませんが、未知の場所からやってきたという事は未知の細菌や酵素をしこたま抱えている可能性がありますし、あなたにとっては普通でも私達にとっては新たな鉱脈、生物資源の宝庫かもしれないんです。するとー……全身アジの開きみたいにしたり取り出した臓器を一つ一つ遠心分離機にかけたり」

『~~~―――(判読不能) やだよー何だよ義理も人情もないこのディストピア感!! あの三七が懐かしく思えるとか相当な場所に住んでるぞお前達! ちょっと自覚を持ってー!!』


29(???/???)


 こうして『最初の元凶』は捕獲し、ついでに事の黒幕もぶちのめして、万事滞りなく問題は解決した。

 名残は惜しいがクウェンサーとヘイヴィアは【ゲート】を潜って世界を渡り、パラドクスの発生源を連れ帰る事で順番に歴史を修復し、カルティベーションマッスルとかいう軽めに呪いの装備からも解き放たれたはずだった。

 こうして彼らは世界を渡る。

 さよならとは言わない。後ろも振り返らない。

 もしも再び会う日があれば、それは過去ではなく未来にこそあるからだ。