豚のレバーは加熱しろ

第一章 オタクは美少女に豚扱いされると喜ぶ ⑩

「みなさんが見たことのない出し物となること間違いなし! ぜひご覧ください」


 そのとき、広場の真ん中から、ジェスがこちらを見つめているのに気付いた。

 頑張ってください、とでもいうように、胸の前で二つの拳をぎゅっと握りしめている。わいい。ああ、これが終わったら、ジェスの柔らかい太ももで膝枕されたい! ジェスの顔を犬のようにめて唾液でベトベトにしたい! ジェスの小さな──

──あの、聞こえてますので……

 え。そうなの。

 じゃあ最初から、テレパシーで応援してくれよ。

 そうこうしているうちに演奏が始まる。


「ダンス! よろしく頼むよ」


 キリンスのおっちゃんが、俺に笑顔を向けてくる。間違えて、うなずいてしまった。

 おっちゃんは驚いたような顔をしたが、そのごっつい手で拍手をしながら、壇上から下りていった。

 え、ヤバない? どうやって踊ればいいの?

 とりあえずジャンプしてみると、一瞬の沈黙の後、会場が爆笑の渦に包まれた。もうどうにでもなれ。

 テコテコ歩いて一回転しようとしたら、足がもつれて横転してしまった。また大爆笑。

──豚さん! 頑張ってください!

 俺だけに聞こえる、ジェスの無言の声援。しかしこの純真な少女は気付いていないのだ。オタクという生き物は、女の子に見られていると意識した途端に、すべてのことが不得意になる。

 ジグザグステップを決めようとすると、自分のひづめを自分で踏んでしまう。


「フンゴッ!」


 俺の悲痛な叫びが、大勢の笑いを誘う。最前列のジジイが涙を流して笑っている。

──見てませんので、大丈夫ですよ! その調子ですw

 ん? 今、ちょっと草が生えていなかったか? まあいい。ジェスの笑顔のためなら、俺はいくらでも頑張ってやる。史上初、豚がウィンドミルを決める瞬間をお目にかけてやるからよ。



 ウケは抜群に良かったが、個人的には終わり方が最悪だった。必死に踊っていたらいつの間にか台の端まで来てしまい、気付かず台から転げ落ちてしまったのだ。

 痛い痛い痛い!

 オタクが調子に乗って芸を披露すると、こうした結末は必至なのである。また鎖付きの首輪をつけて引きずられ、俺はさっきまでと同じ手すりにつながれた。どうも、右後ろ脚をひねったか骨折したかしているらしい。一歩進むたびに痛みに襲われた。


「なあ豚よ、最高だったじゃないか! 大ウケだよ。見てくれや」


 俺をつないだキリンスのおっちゃんが、さかだるまえの行列を手で示す。若造たちはようやく忙しそうにビールを売りさばいている。瓶に入った蒸留酒──注文を聞くに、ウイスキーのようだ──も売れ始めてきた。蒸し暑い熱気の中で、若造たちの顔から汗が流れている。ざまあ見ろってんだ。

 足の痛みに耐えながら、じっと機をうかがう。

 三〇分ほどで列がなくなり、赤い顔の中年たちが俺を囲んで見物し始めた。想定通りだ。俺が痛みをこらえながら跳ねたり踊ったりすると、手をたたいて笑う。マグや瓶を持った酔っ払いたちが続々と集まり、俺を囲んでいた。

 若造たちは待ちかねたようにウイスキーの瓶を開けて、そうに飲みながら俺を見物している。

 さあ、作戦開始だ。

 俺はダンスをしながら、できるだけ手すりに寄って鎖を緩ませる。身体からだを振ったりヘドバンをしたりすると、鎖がジャラジャラと不快な音を鳴らす。もっと鳴れ。

 むち打ちになりそうな勢いでヘドバンを繰り返し、鎖を地面にたたける。


「おい兄ちゃんよう! このうるさい鎖を外してくれねえか」


 一人の老人がついに言った。


「ウイスキー一本、一〇ゴルトでっさ」

「ああ分かったよ。買ってやる」


 老人が金を払うと、若造が俺の首輪を外した。計画通り。

 第二段階。俺は少しずつ移動し、群衆をウイスキーの木箱が積まれたところまで誘導していく。そして素早く突進するように動いて、観客を驚かす。相手は酔っ払いだ。予想した通りに、後ろへ退く。

 もうちょっと右か。

 俺がもう一度突進のフリをすると、酔っ払いの一人が見事に木箱へヒットした。

 ガッシャーン!

 木箱が倒れ、ガラス瓶が散乱する。ざとい若造たちは、掃除するフリをしながら、割れていない瓶をくすねる。俺を囲んでいた人々は、申し訳なさそうにウイスキーを買っていく。

 さあ、後は待つだけだ。俺は珍奇な仕草をして人々を引き留める。

 一時間もしないうちに場の人間がひどく酔っ払い、俺は隙を見て逃げ出した。



 豚は激怒した。

 いや、していないです。ごめんなさい。ただ諸君に察してほしいのは、した脚が大変痛く、キルトリン家の邸宅まで辿たどけるかも分からないということだ。

 気分はメロス。俺は美少女との約束を果たすために、何が何でも日の出までに帰らねばならぬのだ。でも痛い。

 豚なので、後ろ脚の様子を触って確認することもできない。地べたに寝転がって頑張って首をひねり確認してみたが、目立った外傷はない。痛むのは関節だ。重傷でないことを祈ろう。

 夜の街は閑散として暗く、頼りになるのは月明かりだけだ。今日は満月。石畳に影ができるほど、月光は鋭い。

 こんなに痛いのは、高二の球技大会で足首を捻挫したとき以来だ。ウェイ系男子たちが大勢の声援を受けて活躍するなか、挙動不審な動きをして転んだ俺は体育館の隅で黙々と足首を冷やしていたっけ。

 うう。思い出したくないことを思い出してしまった。

 しかし困った。ジェスにのことがバレたら、また黒のリスタを使われてしまうかもしれない。逃げた豚をまた売るわけにもいかないだろうし、こののことはできるだけ隠しておかなければならないだろう。

 相手は思考を読める少女。農場へ戻るまでに、なんとかして対策を考える必要があるな。

 いやいや。それよりも、無事に農場まで行くことが先だ。祭りであれだけ注目を浴びた身である。人に見られるのもまずいだろう。できるだけ裏道を通っていくのがいいかもしれない。

 邸宅の方角は、なんとなく分かっている。広々とした敷地に大きな屋敷が建っているのだから、見逃すこともないだろう。俺は裏道を行くことにした。

 足を引きずり歩いていると、見覚えのある場所に来た。あの刀傷のリスタ売りがいた、怪しい裏路地だ。汚い公衆トイレのような、嫌なにおいがよどんでいる。ここを抜けると草っ原に出るはずだ。今はもう商売をしていないだろうし、ここを通り抜けて街の外を歩くとしよう。

 前方で人の声がして、俺は立ち止まる。


「てめえのミスはてめえで片付けろ。こっちが迷惑こうむったら、分かってんだろうな」

「すまねえ。でもどうしようもなくってよ」

「事故に見せかけるなりできただろうが」

ちげえんだ。コルセットのことじゃねえ。豚が急に走り出してよ。いきなりいなくなっちまったんだ」


 この声。中古品を売りつけようとしてきた刀傷の男に違いなかった。俺は音を立てずに木箱の陰に隠れて息を潜め、会話に耳を傾ける。


「じゃあ探せ。屋敷は分かってんだろう。後をつけて殺せばいい」

「待ってくれ。すまねえとは思ってんだ。あんまりじゃねえか。キルトリン家のイェスマを殺したってバレたら、俺はおしまいだ」


 足が震えだす。ちょっと待て、お前は何を言っているんだ。


「てめえの責任だ。もし嫌だったら、この地方のイェスマ狩りにでも頼むんだな」

「雇用中のイェスマ殺しなんざやってくれるはずがねえ」

「金を積め」

「そんな金はねえよ」


 ガタンと音がして、刀傷の男が壁に押し付けられるのが見えた。相手は、二メートルはありそうな大男だった。筋骨隆々で、金の短髪が逆立っている。