豚のレバーは加熱しろ

第一章 オタクは美少女に豚扱いされると喜ぶ ⑨

 と言ってから、きたいことがいくつか浮かんでくる。


〈ジェス、後学のためにきたいんだが、この祭りは、いつまで続くんだ?〉


──さあ……夜中までか、場合によっては朝までか。人がいる限り、お祭りは続きます。片付けは大抵、翌朝行いますね

 なるほど、それはいい。


〈もう一つ。酒が出るようだが、祭りの参加者は全員──〉

「おう、ジェス! そろそろ働いてもらうぞ」


 リスタ店のおっちゃんの声に遮られた。振り返ると、サスペンダー付きの革製半ズボンに白いシャツというちで、おっちゃんが陽気に手を振っている。このおっちゃん、骨格からして相当デカいのだが、腹がぽっこりと前に出ているあたり、相当なビール好きなのだろう。


「細かい仕事は若いのから聞いてくれ。俺はちょっと、豚に用がある」


 あ。きそびれた。

 鎖を手すりから外して、おっちゃんは俺を引っ張っていく。ジェスは若者に捕まって、何やら説明を受けていた。

 ステージであろうウッドデッキは、おっちゃんのさかだるからそう離れていなかった。端の方でバグパイプのような楽器やら弦楽器やらを構えた男たちが待機していて、俺がステージの上まで連れてこられている間に、おもむろに演奏が始まる。陽気な音楽。


「なあ豚よ。リハーサルをしてもいいかな」


 おっちゃんはそう言いながら、首輪を外してくれた。

 見ると、ステージの周りにおっちゃんの知人らしい中高年の男女が何人か集まっていた。


「見てくだせえな。傑作だからよう」


 おっちゃんは俺を解放して、ステージ後方に下がった。

 音楽のテンポが上がる。


「ほら、ダンスだ!」


 おっちゃんの声に背中を押され、俺はこんしんのダンスを披露する。

 紳士淑女のみなさまが過呼吸になるまで、そう時間はかからなかった。

 問題は、ダンスが終わった後、やはり俺は首輪をつけられ、さかだる近くの手すりにつながれてしまったことだ。



 日が暮れるとたいまつともされ、広場は一面祭りの雰囲気になってきた。長机に陣取ってしやべっている人たち。ステージの周りに楽器を持って集まる人たち。俺は相変わらずさかだる近くにつながれていて、たるのような腹のおっさんたちがビールを買っていくのを見るしかなかった。

 ジェスは注文を聞きながら机の間を飛び回っているかと思うと、こちらへやって来てはぎわよくビールをいですぐ去っていき、忙しそうな様子だった。若造たちは大して動かず、さかだるの後ろに座ってカードゲームのようなことをしている。たるのところまでビールを買いに来た人がいると、面倒くさそうに立ち上がって、金を受け取ってビールを渡している。

 いや、どう考えたってフロアが忙しくて死にそうなんだから働けよ。

 か弱い美少女を走り回らせておきながら自分たちはカードゲームをしているなんて、とんだとんちんかんだ。

 そこねたことがあったが、ジェスは忙しそうだし、ここは辛抱強い観察によって疑問を解明しよう。問いはこうだ。

 ──この店番をしている若者たちは、堂々と酒を飲めるのだろうか。

 言い換えれば、この若者たちはこの場で酔うことを許されているのだろうか。

 酒を見ていたあの目からして、このサボリ魔たちが酒好きであることは容易に推測できる。しかし外見からして、彼らはジェスと同じくらいの年齢だ。さて、この国の法律は、道徳は、彼らがことを許容するのだろうか。



 空が暗くなり、人が増え、ジェスはますますきゆうの仕事に追われているようだった。ステージ上でかわるがわる演奏やら芸やらが披露されて、そのたびに広場は盛り上がりを見せた。ステージに登った人たちは毎回「テラワロスの狩猟具店」だとか「観光情報ならググレー」だとか書かれた横断幕を設置しており、披露が終わるたびに、何やらアピールをしていた。すると観客たちはちらほらと立ち上がり、同じような横断幕のかかったブースへと足を運んでいるようだった。

 ステージでいい見世物をすると、応援する客がその団体の屋台まで来てくれるという仕組みだろうか。


「あーあ、豚の番はまだかな」


 店番の若者の一人が言う。


「キリンスさんは、大トリだって言ってたぜ」

「マジかよ。じゃあその後のしいお楽しみも、遅くになってからってことか」

「その前に、とりあえず飯が食いてえよなあ……」


 グダグダ言いながらカードゲームをやっていると、例のおっちゃんが何やらお盆を持ってやって来る。若者たちは慌てて立ち上がりカードを隠そうとする──かと思ったが、そんなことはなく、平気でカードゲームを続けていた。


「ようみんな、店番お疲れさま。肉を買ってきたから、まあ食えや」

「キリンスさん! ありがとうございます!」


 若者たちは目を輝かせて、おっちゃんの盆に載っているそうなとりの丸焼きを見る。おっちゃんは若者の一人の頭をクシャクシャっとでる。


「今日は頑張れよー! わんさか客が来ると思って、酒はいつもの倍用意してある」

「倍っすか」

「イェスマの豚に期待して、急いで調達してきたんだ」


 聞きたいことは聞けた。キリンスとやらは有能な経営者という感じで、面倒見もいいようだ。だがなんだあれは。ジェスを死ぬほど働かせておきながら、裏でカードゲームをしている若造たちにはチキンをごそうする。そしてジェスの名前を知りながら、ジェスを「イェスマ」と種族名で呼んだ。まるでレイシストではないか。

 まあいい。どうせこいつらとは、もう今夜でおさらばするのだ。

 キリンスのおっちゃんが「わんさか客が来る」と言っていたのは、おそらく俺のダンスに期待してのことだろう。俺が踊って大ウケすれば、この屋台にたくさん客が来るわけだ。そうすると、さすがに若造たちも働かなければ回らない。やつらの言う「しいお楽しみ」は、その後にくる。「その前に飯が食いてえ」ということは、「しいお楽しみ」とは飯を食うことではない。では何か。酒を飲むことだ。接客するのに酔っていては困るわけだ。

 計画は立った。まあ見てろよ諸君。俺は今夜脱走し、ジェスのところへ行ってやる。諸君が画面越しにしか会えないような美少女のもとに、帰ってやるからよ。



 ステージに上がって、一つ失念していたことを思い出す。観客はざっと一〇〇〇人以上いる。そんな大勢の前で何かを披露するのは、生まれて初めてなのだった。俺のために用意された大きな台に乗ると、二〇〇〇以上の目が俺の方へ向けられているのが見えた。


〈後ろの人も、ちゃあんと、見えてるからねー!〉


 アイドルっぽく心の中でイキってみるも、心臓の鼓動は治まらない。

 え、これヤバくね?

 豚が登壇したという珍事のせいか、好奇の視線が俺に刺さってくる。

 いや、無理無理無理無理。クラスの自己紹介ですら緊張してみまくった俺が、どうして異世界に来た初日に、一〇〇〇人もの客の前でダンスを披露しなきゃいけないんだ?

 俺の隣におっちゃんが来て、緑色のリスタのついたメガホンのようなものを口に当てる。


「みなさん! キリンス宝石店のお時間がやってまいりました」


 何十倍にも拡大されたおっちゃんの声が、広場に響き渡る。


「昨日までは音楽隊を手配すると宣伝しておりましたが、しかし! 今回は加えて、この豚に登場してもらうこととなりました」


 戸惑いのざわめき、笑い飛ばす声。