豚のレバーは加熱しろ

第一章 オタクは美少女に豚扱いされると喜ぶ ⑧

 ジェスは俺のことを不安げにいちべつしてから、屋敷の方へ去っていった。


「じゃあ豚さんよ、悪いが首輪をつけてもらうからな」


 おっちゃんはいつの間にか護衛に持って来させていた革の首輪を俺につける。鎖がつながっていて、そのもう一端を護衛の若者が握っている。

 うん。まずい。

 首輪があったら逃げられないじゃないか。



 店じまいの後、俺はつながれたまま石畳の道を歩き、大きな広場まで連れてこられた。ドーム屋根の巨大な建物の前、木製の簡素な長椅子と長机が並べられている。ここがおっちゃんの言っていた「聖堂前の広場」で間違いないだろう。俺は大きなたるの並んだ一角に連れていかれて、手すりのようなものに鎖でつながれた。手──というか脚の届かないところで、鎖はしっかり固定されている。端をつないで輪になっているので、暴れたところで取れないだろう。

 やることがないので、考えてみる。

 どうもジェスは、何か大きなうそをついているような気がするのだ。

 まず、最近黒のリスタを買っていたという事実を、俺から隠していた。

──あの、黒のリスタを、個人的に一つ、いただきたいんです

──またかい? この前一つ、売ったばかりだと思うが

 さっきの会話を思い出す。リスタ店のおっちゃんが言及した「この前」の買い物も、キルトリン家の用事ではなく、ジェス個人の用事だったと取れる内容だ。言う必要がなかったから言わなかったとすればそれまでなのだが、あれだけリスタを買うためのお金の話をしているときに、なぜ前の買い物の話にならなかったのだろう。

──でも私の手元には、正規品のリスタを買えるほどのお金がもう残っていなくて……

 ジェスの言葉を思い出す。今になって思えばあれも、すでに一回、自費でリスタを買ったように解釈できる口ぶりだった。……ううん、どうもモヤモヤする。

 そしてリスタ店のおっちゃんとの会話。不自然じゃなかったか? ジェスの「代わりのイェスマが来る」という言葉を、おっちゃんは今生の別れのように解釈していた。「もうそんな時期に」とか、「だから豚を売るんだな」とか、「せんべつだ」とか……。

 ジェスは王都へおつかいに行くだけだよな? しばらく暇をもらってちょっとしたおつかいをしに行くだけだと、そう言っていた。じゃあおっちゃんの反応はどういう意味だ?

 モヤモヤモヤモヤ。

 諸君は理系のオタク、それもヒョロガリ眼鏡に会ったことがあるだろうか。えアニメを見てデュフデュフ言っているかと思えば、自分の気に入らないこと、筋の通っていないことがあると、突然じようぜつになって難しいことを語り始める人種だ。自覚がある者もいるかもしれないな。その場合は握手しよう。俺も仲間だ。

 異世界に来て美少女をはべらせながら、お金の話やリスタ店のおっちゃんの反応に頭を悩ませているなんて、ナンセンスかもしれない。しかし気になることは、気になるのだ。それが俺の性分だ。

 ゴーンゴーンと鐘の音がする。聖堂の向こうにある塔から聞こえてくるようだ。気付けば日もだいぶ傾き、広場にはたいまつが設置されようとしている。

 脱走を試みるならば、周囲の様子を観察しておかなければならないだろう。俺は鎖をジャラジャラ言わせながら、動ける範囲を歩き回る。

 近くにある大きなたるは、どうやらさかだるのようだった。近づくと酵母のにおいがムンムンとしてくる。おそらくビールだろう。たるに金属製の蛇口がついていて、直接げるようになっている。おっちゃんの近くで護衛をしていた若者たちが、この辺りでマグを運んでいるのに気付く。ここはおっちゃんが仕切っているブースらしい。

 若者たちは続いて、ガラス瓶の入ったたくさんの木箱を俺の近くに積み始めた。若者が一本取り出してしためずりをしている瞬間を目撃したが、瓶には焦げ茶色の澄んだ液体が入っていた。こちらは蒸留酒のたぐいだろう。木箱には、緩衝材としてくずが入っている。

 脱走するには、二つの障壁を取り除かなければならない。まず、物理的障壁。この首につながっている鎖を外してもらわなければ、俺は自由になれない。そして、人的障壁。大勢が見ているなかで脱走しても、すぐに捕まってしまうだろう。

 歩くたびに鎖がジャラジャラ鳴って目を引くので、俺はできるだけおとなしくして、方法を探っていた。酒のブースだけでなく、他にもいくつかの場所で火をいたり皿を並べたりと準備が始まっていた。どうも、割と大きな祭りらしい。



 日が暮れる頃、ジェスがやってきた。コルセットはしておらず、フリルのついたウェートレスの格好だ。着慣れているようで、細身の身体からだにとてもよくフィットしている。これでご主人様とでも言われた日には、どんなに理性がある男でも豚のようにブヒィブヒィと鳴いてしまうに違いない──と観察していると、なぜかジェスの腹のあたりがいびつに膨らんでいるのに気付く。ジェスは俺を見つけるとすぐに駆け寄ってきて、頭をでてくる。

──ああ、もう心配しました。間違えて串焼きになっていたらどうしようかと……


〈何言ってんだ。大丈夫だから安心しろ〉


 そう言ったところでいいにおいがしてきたので風上を見ると、どうも大きなの上で豚を調理しているようだった。なるほど。腹が減ったな。

──そう思って、果物を持ってきました。召し上がってください。ご、ごしゅじんさま

 ブヒィ! ブッッヒィ!

 いや、そんなサービス精神をはたらかせて毎度フラグを回収してくれなくていいんだが……。

 などと考えていると、ジェスは周囲をうかがった後、襟元から手を入れ、小さめのリンゴを二つ取り出して俺の前に置く。なんてところに入れてるんだ。

──申し訳ありません。急いでいて、籠が見つからなかったものですから……とっさに服の中へ入れてしまいました……


〈いや、いいんだ。ありがとう〉


 少女の服の下から出てきた、二つの小さな若い果実。豚はその汚い舌を伸ばすと──!

──えっと、あの、お味はどうでしょう


〈いやあ、うまいなこれ。恩に着る〉


 あっという間に、食べ終えてしまった。豚になったからか知らないが、気が付くと芯まで食べてしまっていた。

 ジェスは神経質に俺をつづける。


〈心配するな。脱走は俺に任せろ。むしろジェスは、アリバイづくりのためにこの辺りからは離れているんだ〉


──大丈夫なんですか?


〈ああ。きっとくいく。だから、待ち合わせ場所だけ決めておこう〉


──待ち合わせ場所、ですか


〈ジェスはこの祭りの後、キルトリン家の屋敷に戻るのか〉


──はい。旅の支度をしなくてはなりませんから


〈じゃああの農場はどうだ〉


──ええ、構いませんが、道は分かりますか?


〈方角くらいはな。それにあんなにデカい屋敷は他にないだろう?〉


──そうですね。では、農場に大きな木が一本あります。その下でどうでしょう


〈大きな木だな。分かった〉


──時間はいつにしますか?


〈分からん。多分、真夜中になるだろう。運が悪ければ朝だ。明日出発するんだろう? ジェスは寝ていろ。朝、日の出までには行くつもりだ。もし日が出ても俺がいなければ、……そのときは、おっちゃんの店まで様子を見に来てくれ。そこで新しいプランを話す〉


──分かりました。本当に、大丈夫なんですね?


〈ああ。俺を誰だと思ってる〉


──眼鏡ヒョロガリクソ童貞さんですね

 …………。それは名前ではないが……。


〈そうだ。あなどるなよ。夜中には脱走してやる〉


──分かりました。信じます


〈そうこなくっちゃな〉