豚のレバーは加熱しろ

第一章 オタクは美少女に豚扱いされると喜ぶ ⑦

「いや、いいんだが、六〇〇ゴルトだよ。自分で払えるのかい」


 細かいことを気にしている暇はない。アドバイスしなければ。


〈正直に、持ち金を言うんだ〉

「実はもう、二〇〇しかないんです……」

「二〇〇ゴルト? 残りの四〇〇はどうするんだ」


 まあそうなるだろうな。


〈どうしても必要だ、値段を下げてくれないかと言うんだ〉

「どうしても必要なんです。お値段を下げていただけませんか?」


 店主は、ぽかんと間抜けな顔をする。


「いやあ、困るよ。それはキルトリン家の買い物じゃないんだろう? どうして俺が、イェスマ相手に安く売らなきゃいけないんだ」


 はっとさせられる。これは、明らかな差別意識だった。この親切そうなおっちゃんにさえ、吐き気がするほどのイェスマ差別がいているようだ。


「あの……ごめんなさい、私……」


 ジェスは今にも泣きだしそうなほど畏縮していた。差別意識は正直言って想定外だったが、ジェスがこうなることは、計画のうちだった。

 ごめんな諸君。地の文で思考すると、ジェスに感付かれてしまう可能性があった。だから、諸君には内緒で、俺はある計画を、頭の隅でぼんやり考えていたんだ。


〈大丈夫だジェス。ここにいる豚を売ると言え〉


──え?


〈俺を売るんだ。二〇〇ゴルトと俺で、リスタを買え〉


──でも……


〈大丈夫。俺はただの豚じゃない。信じてくれ。何が何でも、隙を見つけて逃げ出してやる。だから言うんだ。、やってくれ〉


 殺し文句だった。


「あの……二〇〇ゴルトに加えて、こちらの豚さんを差し上げます。それで黒のリスタを、売っていただけませんか」


 店主が眉を上げて、俺を見る。


「それはキルトリン家の家畜じゃないのかい。ダメだよ。私には買えない」

〈芸ができる豚だと言え〉

「あの……この豚さんは、芸ができるんです」

「芸?」

〈盗んだのではなく、間引きで殺されるはずだった豚をこっそり拾い、ジェスが子豚から育ててきた。だから芸ができる。見せてみる。そう言うんだ〉

「間引きするはずの子豚さんを、私がこっそり育ててきたんです……盗んだものではありません。だから、芸ができるんです……お見せしましょうか?」


 店主はまた俺を見る。俺は店主を見つめ返す。さぞかし度胸のいい豚だと思われていることだろう。店主の目つきが変わった。


「へえ、お前さんが芸を仕込んだっていうのか。ひとつ、見せてくれ」

「わ……分かりました」

〈何をすればいいか分からん。店主に何かやってほしいことをくんだ〉

「あの、何かご覧になりたいものはありますか?」

「……そうだな、では、踊らせてみてくれ」


 ンゴ。しよぱなから難しい注文だな。まあいい、踊ってやる。


〈命令するフリだ〉

「豚さん、ダンスです」


 ふう。一九年間日陰で生きてきたヒョロガリ眼鏡──ダンスなどというキラキラしたものから離れて生きてきたこの俺の見事な踊りを、ここでお目にかけようじゃないか。

 さて。ミュージック、スタート!

 四肢を繰り返し曲げて身体からだを上下させ、一定のリズムを刻む。拍を刻むようにジャンプ。自分の尾を追うようにクルクル回転し、また身体からだをひょこひょこ揺らす。


「ぷっ……」


 チラリと見ると、俺のダンスがあまりに見事なのか、店主のおっちゃんが今にも笑い出しそうになっていた。顔が赤くなっている。ジェスを見ると、こちらも手で口を押さえ、肩を小刻みに揺らしていた。

 華麗すぎて言葉も出ないらしい。人を幸せにするのって、楽しいな。

 俺は脳内にアニソンを流しながら、ノリノリで独創的なダンスを披露した。


「いや……もういい……やめさせてくれ……息ができない」


 店主が目に涙を浮かべて言う。息をむほど素晴らしい、感動的なダンスだったようだ。


「豚さん……もういいです……」


 俺は最後にジャンプし、左の後ろ脚を上げて決めポーズを取った。


「ぷぉふーーっ!」


 おかしな音を立てて、おっちゃんが噴き出した。

 大口を開けてひとしきり笑ってから、息も絶え絶えになって、おっちゃんは言う。


「最高だ! 最高だよ! なあジェス、こんな子を売ってくれるってのかい」


 お、これはいけそうだ。


〈はいと言え〉

「……はい」


 おっちゃんは気を良くしたのか、護衛の若者たちを振り返る。


「なあ見たか、今の動き! したヘックリポンみたいじゃないか!」


 若者たちが同意を示して笑う。なんだなんだ。俺の知らない語彙だったが、馬鹿にしたような言い方だったぞ。


「いやあ、感激だ。なあジェス、こいつはジェス以外の言うことも聞くのかい?」

〈肯定だ〉

「はい。大丈夫だと……思います」

「ふーんそうだな、じゃあ豚。ジャンプだ」


 膝を曲げ、ぴょんと跳ねる。おっちゃんたちはまた爆笑だ。


「ほう、賢い豚だなあ」


 えっへん。お褒めにあずかり光栄ですぞ。


「ジェス、金はいらない。こいつと黒のリスタを交換だ」

「……え?」


 なんと、気前のいいおっちゃんだ。


「交換だよ。実は今夜の祭りで、出し物をやるんだ。この豚を使えば稼げる気がするんでね」


 今夜、か。とすると、夜中まで逃げ出す機会がなさそうだ。タダで交換してもらえるということは、それだけ俺に期待がかかっているということ。祭りまで俺はずっと厳しく管理されているだろうし、万が一逃げ出して元手が取れなければ、その怒りはジェスに向かってしまうだろう。


「あの、そのお祭り、ぜひ私も行きたいです」


 ────?!


〈おい、ちょっと待て、それじゃあ──〉

「私が育ててきた豚さんです。活躍するところを見てみたいのです。タダできゆういたします。どうでしょうか」


 ああ、言ってしまった。ジェスが近くにいる状態で俺が逃げ出したら、ジェスが真っ先に怪しまれてしまうじゃないか。ううん……勝手なことは言わないでほしかった。

 ……いやまあ、俺だってジェスの同意もなく勝手に話を進めさせたのだ。おあいこと言えばそうかもしれない。ジェスが追い詰められれば俺の助言に従うしかなくなると踏んで、わざとジェスが困るようなシチュエーションにもち込んだのだから。

 そうでもしないと、ジェスは俺を売ってくれなかったはずだ。

 おっちゃんは言う。


「おう、もちろんいいんだが、キルトリン家の仕事は大丈夫かい。いくら俺でも、あちらのおとがめをいただいたら商売できなくなっちまう」

「大丈夫です。……その、今晩から、代わりのイェスマが来ますので」


 おっちゃんは、ハッと驚いた顔をする。


「……そうか、もうそんな時期になっちまったか……」


 どこか寂しそうな響きだった。


「だから豚を売るんだな。ようし分かった。来い。日没後、すぐに始まる」

「ありがとうございます!」

「ステージが見えるように、表の仕事にしてやる。酒はつげるか?」

「大丈夫です」

「おうよ。そんじゃ日没までに、聖堂前の広場に来てくれや」


 おっちゃんはベルトからぶら下がった鍵でショーケースを開ける。

──豚さん、ごめんなさい……勝手なことをしてしまいました……


〈いや、大丈夫だ。問題ない。ただ、ジェスは俺の逃走の手助けをするな。俺は夜中に、一人で脱走する。ジェスに疑いの目を向けられると困るんだ〉


──大丈夫なんですか?


〈ああ。俺を誰だと思ってる〉


 眼鏡ヒョロガリクソ童貞だぞ。めてもらっちゃ困るね。

──じゃあまた、お祭りで会いましょう


〈そうだな〉

「ほらよ、せんべつだ」


 そう言って、おっちゃんが黒のリスタを手渡す。


「ありがとうございます。助かりました。……では、用事を済ませてきますね」