豚のレバーは加熱しろ

第一章 オタクは美少女に豚扱いされると喜ぶ ⑥

「ごめんなさい、お気にさわりましたら……」

〈気にさわりはしないさ。俺にそんな筋合いはない。でも確認させてくれ。ジェスは、俺をこっそり治すために、キルトリン家の黒いリスタに手を付けたんだよな〉

「……そうです」

〈だから自分の金で、それを補充しなければならなかった〉

「はい……お屋敷の昇降機を勝手に使って、叱られたばかりだったんです。昇降機はリスタを食いますから。だから『勝手に使ってしまいました』では済まなくて……でも私の手元には、正規品のリスタを買えるほどのお金がもう残っていなくて……」


 また一つ謎が解ける。


〈昇降機って……要するに、家の中を上下して高いところに物を運ぶ装置だよな〉


 俺のひらめきに気付いたらしく、ジェスは下を向く。


「ごめんなさい……私、勝手に……」


 ジェスを追い詰めてしまうだろうから、追及はしない。しかし豚小屋で倒れていた俺をジェスがどうやって三階まで運んだのか、気になってはいたのだ。ジェスの身体からだでは、デカい豚一頭を持ち上げて運ぶことはできない。俺をベッドに寝かせるために、どうしたか。昇降機を勝手に使って、寝ている俺を三階まで移動させたのだ。

 そして、叱られた。


〈ありがとうな、ジェス〉


 俺を見るジェスは、涙目だった。優しい少女だ、と思った。優しすぎて、優しすぎて、とても豚の俺には返せないほどの恩を、俺は受けてしまったのだ。

 豚足では頭をでることもできず、俺はただ、少女の涙を見つめていた。

 どうして泣くんだ。俺のためによからぬことをして、それが俺に申し訳ないとでもいうのだろうか。馬鹿馬鹿しい。


〈あのな、ジェス。豚小屋で目が覚めてから今この瞬間まで、俺はお前の行いに一点の曇りもいだせなかった。お前はけなで、心優しくて、純粋だ。お前が間違いを犯したとすれば、それは豚になった人間なんていう面倒の塊に関わってしまったことぐらいだ〉

「面倒だなんてそんな……」


 ジェスは俺をまっすぐに見つめる。きれいな茶色の瞳。


〈ジェスは何も間違っちゃいない。俺は嫌な思いをしていない。だから、お前が泣くことはないんだ。俺のためにも、そんな悲しい顔を見せないでくれ〉


 ジェスはそれを聞くと、袖で涙を拭いて、笑ってみせた。

 やっと笑ったか──ホッとしかけて、ハッと気付いた。違うのだ。ジェスは、俺の要望に応えてくれただけなのだ。

 俺がお願いしたから、笑ってくれたのだ。

 こうしてはいられない。俺はジェスに、恩返しをしなければならない。


〈なあジェス。黒のリスタが一つ、あればいいんだよな〉


 ジェスはうなずいた。


〈急ぐのか〉

「ええ、王都への旅の前に用意しないと……ぬすつととして、追われる身になってしまいます」


 だからこんなタイミングで、裏路地へ行ったのか。


〈王都へは、いつ出発するんだ〉

「それが……明日なんです。明日の朝、出発するはずになっています」

〈明日?〉


 それはなんとも……タイミングが悪かったとしか言いようがない。


〈それなら、一か八かだ。ジェスがいつもリスタを買っている、あの店に行くしかないだろう。なんとかして、今日中に正規品のリスタを手に入れるんだ〉

「でも……あのお店で買うと、六〇〇ゴルト必要になるんです。そんな大金、今はとても……」

〈今いくらある?〉

「二〇〇ゴルトと少しです」

〈差額の四〇〇ゴルトっていうのは、どれくらいのお金なんだ〉

「外国の方に、なんと説明したらいいんでしょう……例えば、そうですね、普通の方が間雇われたときのお賃金と、同じくらいです」


 ううん、絶望的だ。必要なのは六〇〇、今あるのは二〇〇。できることは二つだろう。こちらの数字を大きくするか、あちらの数字を小さくするか。


〈裏路地にいたあの刀傷のオヤジは、四〇〇ゴルトで売ろうとしたよな。とすると、他のイェスマはなんとかして四〇〇ゴルトを集めるわけだ。どうやっているか、心当たりはあるか?〉


 ジェスは目をそらす。


「あの、──を売るんです」


 聞こえなかった。


〈何を売るって?〉


──生殖器です

 ジェスは念で伝えてくる。

 口に出すのが恥ずかしいのだろう。わいらしいものだ。


身体からだを売るっていうことだな〉

「ええ……そういう言い方もできます」


 ジェスの恥じらう顔を見る。この国の言葉は、割と直接的な表現をするんだな。


〈ダメだダメだ。ジェスにそんなことをさせるわけにはいかない〉


 豚足をテコテコいわせながら、芝の上を歩き回って考える。


〈俺の治療に使ったリスタだ。あれは使い切ったのか?〉

「はい、ごめんなさい……いろいろと方法を試しているうちに……」

〈謝ることはない。一緒に考えるんだ。何か価値のあるものを持っていないか?〉


 ジェスは不安そうに、右手を握って胸に当てる。


「ごめ──いえ。お金しか、ないと思います。二〇〇と少し。あとは私の……身体からだだけです」


 そうか。覚悟を決めるしかないか。


〈ジェス、『値切り』っていうのを、したことはあるか?〉

「ネギ……?」


 まあそうだろうな。ネギをって歩いているようなやつだ。


〈ジェスはいつも、あの店でリスタを買ってるんだよな〉

「はい」

〈しかもずっと、定価で買い続けているわけだ〉

「ええ、お値段が決まっているわけですから、それはもちろん……」

〈つまり、あの店にとって、ジェスはお得意様だ。少しくらい、値引きをしてくれるかもしれない〉


 あのおっちゃんが相当なおひとしならば、だがな。


「しかし、お値段を下げていただくということは、いつもお世話になっているお店に損をさせることになります」


 まあそうなるな。


「そんな申し訳ないこと、私にはできません……」

〈でも向こうだって、ジェスがいることで大きな利益を上げているはずだ。少しはジェスに優しくしたいかもしれないだろう〉

「……そういうものですか?」

〈ああそうだ。とりあえず行ってみよう〉


 ジェスはゆっくりとうなずいた。

 表通りに向かって歩き始める。俺を信じてくれている優しい少女の後ろを歩きながら、感付かれないようにして、俺は計画を練るのだった。

 諸君だって分かっているだろうが、六〇〇ゴルトもするものを二〇〇ゴルトに値下げしてくれるやつなんて、そういるわけがない。交渉をするのだ。ジェスが持っている金目のものは、金と彼女の身体からだ以外にも、もう一つあるのだから。



「ジェス! もう帰りかい?」


 大きな店のがたいのいいおっちゃんが、また声をかけてくる。


「ええ、そろそろですね……」


 ジェスは少しおどおどしながら、ショーケースの方へ向かう。俺も横に並び、首を上げてショーケースの中をのぞく。赤、青、黄、緑……色とりどりのリスタが並び、その一番端に、黒のリスタが置いてある。


〈なあジェス、俺が隣にいる。俺の言う通りに話を進めるんだ。大丈夫か〉


 ジェスはこちらを見て、小さくうなずく。顔からは不安が読み取れた。

 豚の脳内からジェスに向けられた言葉を、店主のおっちゃんは聞くことができない。おっちゃんは俺をちらりと見たきり、興味を示さなくなっていた。


〈まずは黒のリスタが欲しいと言うんだ〉


──はい


「あの、黒のリスタを、個人的に一つ、いただきたいんです」


 店主の反応は、俺の予想していたどんなものとも違っていた。


「またかい? この前一つ、売ったばかりだと思うが」


 どういうことだ。聞いていないぞ。


「あの、また一つ、必要になってしまったんです。お売りいただけませんか?」


 店主は顔を曇らせる。