豚のレバーは加熱しろ

第一章 オタクは美少女に豚扱いされると喜ぶ ⑤

──このコルセットがあれば、大丈夫です

 声には出さず、ジェスはテレパシーで伝えてきた。

 きょろきょろとあたりを見回しながら、ジェスは暗い裏路地を進んでいく。


〈まさか、ここで何か買うんじゃないだろうな〉


──色々と事情がありまして……お願いです、近くにいてください

 ジェスは胸の前で、右手の拳を握りしめている。


「イェスマのお嬢ちゃん」


 やせ細った、左目に刀傷のある男が、声をかけてくる。


「ひょっとすると、これがご入用かね?」


 その手にあるのは、黒のリスタ。あろうことかジェスは、その男の方を見て小さくうなずいた。

 刀傷の男は、こちらを安心させようとしているのか、いびつに笑った顔をつくる。


「内緒の買い物かい? 黒のリスタ、三つで四〇〇ゴルトだ」

「え、そんなお値段で……」

「おや、初めてのようで。どうだい、願いをかなえるならこれで十分だ。他ではこんな値段じゃ買えない。お得だよ」

「でもごめんなさい、私、四〇〇も持っていないんです。一つで大丈夫です。一つだったら、おいくらでしょうか」


 意外そうな顔をする男。刀傷がない方の目を細めて、ジェスのコルセットを凝視する。

 その瞬間、男の顔がわずかにこわったのを、俺は見逃さなかった。


「一つなら、一五〇ゴルトだよ、お嬢ちゃん」

「そうですか、一五〇なら……」


 男は口だけ奇妙に笑わせながら、黙ってジェスを見ている。

 いや待て。おかしいぞ。何がおかしいか、諸君には分かるだろうか。四〇〇を三で割ったら一三三.三三…だとか、そういうことを言っているんじゃない。

 男はジェスを見て、「イェスマのお嬢ちゃん」と呼びかけながら黒のリスタを見せた。「内緒の買い物か?」と言っていたことから、ここは一般的に「イェスマが黒のリスタを内緒で買いに来る場所」のはずだ。さて、ここで疑問が一つ。

 リスタはとても高価なもの、とジェスに説明された。そんなリスタを、そもそも男はなぜ売ろうとしたのだろうか? まして、こっそり買いに来る少女にだ。事実、ジェスは一つでいいと言った。三つも買う必要はないようである。こっそり買うのに、高価なものを三つもまとめ買いすることがあるだろうか? ジェスが金持ちの家に仕えているから? いや、男はコルセットを凝視するまでそれに気付いていなかった様子だ。そうすると……


〈ジェス、一旦話がしたい。来るんだ〉


──え?

 俺はブヒッと鳴いて、裏路地を突っ走った。


「ごめんなさい、また来ます!」


 後ろからジェスの声がする。俺は走り続けて裏路地を抜け、開けた草原に出た。

 ハアハア言いながら、ジェスが俺に追いついた。


「あの……いったいどうしたんでしょう」

〈なあジェス。ここに買い物に来るのは、初めてだよな?〉

「ええ、初めてです」

〈黒のリスタが必要になったんだよな。黒のリスタは、イェスマ専用で、とうに使うと言っていた。一つ教えてほしいんだが、一回のとうには、リスタがいくつ必要なんだ?〉


 息を整えながら、ジェスは真面目に答えてくれる。


「一つです。十分な魔力が詰まっていますから、リスタを一つ使ってかなわないような願いは、リスタをいくつ使ってもかないません」


 そうか。


〈願いをかなえて、魔力が余ることはあるのか?〉

「ええ、たいていは余りますね」


 結論は出た。


〈ジェス、あの男からリスタを買っちゃいけない〉

「え……どうしてですか?」

〈考えたんだ。あの男は、最初三つもまとめてリスタを売ろうとしただろう? こっそり買い物をしに来たイェスマの少女に、高価なリスタを、だ〉

「ええ、そうですが……」

〈黒のリスタ、一つで十分願いがかなうって言ったよな。でもそれは、ジェスがリスタを使っているからじゃないか?〉

「え?」

〈あの男が言った言葉をおぼえてるか。『三つで四〇〇ゴルト、願いをかなえるならこれで十分だ』って〉

「ええ。確かに三つもあれば、いくつも願いがかないます」

〈そう好意的に解釈しちゃダメだ。あれは、三つあれば一つの願いがかなうかもしれない、ということだったんだ。あのリスタは全部、使いかけ、残りカスなんだよ〉

「え……? そうなんですか?」

〈考えてみろ。貧しいイェスマ、しかも黒のリスタをこっそり手に入れたいイェスマは、普通表通りにあるような店で黒のリスタを買うことはないんじゃないか〉

「そうだと思います。そもそもリスタの管理をイェスマに任せているのは、この街ではキルトリン家くらいですし」

〈そうすると、大半のイェスマは、黒のリスタに本来どれくらいの魔力が宿っているのか知らないはずだ。三つでようやく願いがかなう程度だと思っているかもしれない〉

「確かに……」

〈そうやっていつも三つセットで売っていたから、ジェスにも最初、三つで売ろうとしたんだ。証拠は、ジェスが一つでいいと言ったときのあいつの顔だ。意外そうな顔をして、コルセットの紋章を見ようとした。そして見たときに、まずいって感じの顔をしていた〉

「そういえばあのとき、まずいと思われていたのを私も感じ取っていました……すぐに取り繕われましたが」

〈だろうな。黒のリスタの正規品を使ったことがあるイェスマを相手にしてしまったと気付いたからだ。中古品を売ってもうけているのが領主にバレてしまう危機だったんだよ〉

「そういうことだったんですね……どうりでやたら安いと思ったんです」

〈普通なら、一ついくらなんだ?〉

「私がいつも買っているお店では、一つ六〇〇ゴルトです」


 いやお前、その時点でおかしいと気付けよ……


「ごめんなさい、せっかく声をかけてくださった方を疑うのは申し訳なくて」

〈あ、いや、今のは括弧なしの独白だ。無視してくれ〉

「あ、そうでしたね、すみません……」


 人気のない農道を、爽やかな風が吹き抜ける。ジェスがおひとしだというのは知っていたが、ここまでだとは思っていなかった。守る人間がいなかったら、またたさくしゆされてしまうだろう。それとも、現在進行形でさくしゆされているのだろうか。小間使いの種族イェスマというのは、ひょっとすると……

 いや、まさかな。


「あの、豚さん、ありがとうございました」

〈気にするな〉

「豚さんがいなかったら、私、有り金はたいて中古品をつかまされるところだったんですね」

〈そうだな。お得だとか言ってくるやつがいたら、気を付けなきゃいけない。そいつらの目的はジェスに得をさせることじゃなくて、自分がもうけることなんだからな〉

「勉強になりました」


 ジェスはしゃがんで俺の頭をでる。よきかなよきかな。

 と、そこで根本的な疑問が浮かんでくる。そしてちょっとだけ、答えが分かるような気がするのが嫌だった。気持ちが悪い。いてしまおう。


〈……ところで、一ついていいか〉

「ええ、何なりと」

〈そもそもどうして、ジェスは黒のリスタをこっそり買おうとしたんだ?〉


 ジェスはでる手を止め、俺の目を見た。


「あの……秘密ってことじゃ、ダメですか?」


 イェスマでなくたって、ジェスの考えていることは分かる。


〈不思議だったんだ。豚小屋にいたとき、俺はジェスの言葉も分からなかったし、視界もおかしかったし、歩くことすらままならなかった。豚の身体からだに順応できていなかったんだ。だが今はどうだ。こうしてジェスの言っていることを理解しているし、視界も正常、しっかり四足で歩いている。まるで奇跡だ。手を尽くしたと言っていたが、どうやったんだろうな、って〉