星なき夜のアリア アインクラッド第一層 2022年11月

 十二月四日、日曜日、午前十時。

 このデスゲームが開始されたのが十一月六日日曜日の午後一時なので、あと三時間でぴったり四週間が経過することになる。

 最初にログアウトボタンの消滅に気付いた時、おれはそれをシステム障害だと思い、長くても数十分で《外》に出られるだろうと考えた。その後、顔のないゲームマスターにふんしたかやあきひこにアインクラッド全百層のとうという解放条件を突きつけられ、漠然と百日間という幽閉期間を予想した。平均すれば一日で一層をクリアできるだろうという計算だ。

 それがよもや──四週間っても、第二層にすら辿たどり着けないとは。

 おのれの甘すぎる目算を笑うしかないが、しかし今日のボス攻略戦の結果次第では、解放までの時間をうんぬんするどころではない状況にたたき落とされる。今トールバーナのふんすい広場に集合しつつある四十四人のプレイヤーは、現時点で望み得る最高の戦力をかき集めた集団と言っていいだろう。このメンバーが万が一全滅、いやはんかいでもすれば、そのうわさはあっという間にはじまりの街にまで伝わり、《SAOはクリア不可能》というていねんが第一層をおおい尽くすに違いない。二回目の攻略部隊を再編成するのにどれほどの時間がかかるか──あるいは、二度とボスに挑戦できないということすらあり得る。レベルを上げて再戦しようにも、第一層のモンスターではもう経験値効率が事実上の限界に達してしまっているのだ。

 すべては、ボスモンスターたる《イルファング・ザ・コボルドロード》の強さがベータテスト時から変更されているかどうかにかかっている。俺が記憶しているコボルド王のままなら、一レイドでもこのレベル、この装備をもつて当たれば死者ゼロで倒すことは決して不可能ではない。あとは、本物の命をした戦いで、皆が最後まで冷静にれんけいを保てれば……。

 脳裏で過熱気味な思考を巡らせながら、ふととなりに立つプレイヤーを見た俺は、短く息を吸い込んでから、それを苦笑に変えて吐き出した。

 レイピア使い《アスナ》の、フードになかば隠された横顔は、一昨日おとといの朝に迷宮区で初めて見たときと何ら変わりなく思えた。流れ星のはかなさと、鋼鉄のするどさが同居するそのたたずまい。彼女に比べれば、俺のほうがよっぽど浮き足立っている。

 視線を向け続けていると、不意にアスナがぎろりとにらみ返してきた。

「…………何見てるの」

 かすかな、しかし迫力満点のささやき声に、ぷるぷる首を横に振る。彼女が朝からごげん斜めな理由は、思い出したら腐り牛乳をたる一個ぶん飲ませると宣言されているので思い出せない。

「な、なんでもない」

 工夫のない言葉を口にする俺に、アスナは再度レイピアの切っ先にも似たいちべつれてから、ぷいっと後ろを向いてしまった。こんなことで今日の作戦は大丈夫だろうか、まあおれと彼女はナンバリングすらされてないおまけパーティーではあるけど、などと考えたその時──。

「おい」

 後ろから、友好的とは言いがたい声が聞こえ、俺は振り向いた。

 立っていたのは、茶色の短髪をトゲトゲに逆立てた男性プレイヤーだった。思わずぎょっと体をらせてしまう。今日、ほかだれが声を掛けてきても、こいつだけは俺と顔を合わせるまいと思っていたからだ。この男──キバオウだけは。

 ぜんとする俺を、やや低い位置からけんのんきわまる目つきでめ付けたキバオウは、いっそう低い声で言った。

「ええか、今日はずっと後ろに引っ込んどれよ。ジブンらは、わいのパーティーのサポ役なんやからな」

「………………」

 決して口じようではない俺だが、これには反応のしようもない。何せこの男は、昨日俺に四万コルという大金での買い取りをあっさり断られ、しかも代理人を立ててまで隠していた名前を知られるという、常識的には大変気まずい目にったばかりなのだ。逆の立場なら、半径二十メートル以内には絶対近寄りたくない。

 なのに、キバオウの態度は、俺のほうがしゆくして当然と言わんがばかりだ。憎々しげにほおゆがめた顔をもう一段階突き出し、吐き捨てる。

「大人しく、わいらが狩りらしたコボルドの相手だけしとれや」

 おまけに仮想のつばをぺっと地面にたたき付けて、キバオウはようやく身をひるがえした。仲間のEパーティーのほうにのしのし戻っていく背中を、俺は相変わらずぼうぜんと眺め続けたが、となりひびいた声にはっと我に返った。

「……何、あれ」

 もちろん、《ジブンら》の片割れことアスナさんだ。視線は、先刻俺に向けたものの三割増しで怖い。

「さ、さあ……。ソロプレイヤーは調子乗んなってことかな……」

 深く考えずに発した言葉だったが、俺はふと思いつき、内心で付け足した。

 ──あるいは、元ベータテスターは調子に乗るな、か。

 もしそれが事実なら、あの態度からして、キバオウは俺がベータ出身だということをほぼ確信しているに違いない。だが──何を根拠に? いかなねずみのアルゴでも、だれかが元テスターだという情報だけは絶対に商売のネタにはしない。そして俺はこれまで、誰に対してもベータのベの字も口にしたことはない。

 再び、昨日も感じた気持ち悪さにさいなまれながら、俺は遠ざかるキバオウの背中を眺め続けた。

「…………え……?」

 そして、ふとあることに気付き、声をらした。

 あの男は昨日、四万コルという大金を積んで、おれのアニールブレード+6を買おうとした。これだけは確かな事実だ。そしてその目的はもちろん今日のボス戦で使うことだろう。丈夫さデユラビリテイに3振っているせいで更に重くなっているあの剣をいきなり使いこなせるかどうかはともかく、強力な武器を得て大たいかつやくし、発言力やリーダー力を増やしたいという動機はわからなくもない。

 しかし、だとすれば、今日この時点までに、彼は四万コルで別口の武器防具を新調していなくてはならない。

 なのに、今キバオウが着ているスケイルメイルや、背中にっているワンハンドソードは、昨日の会議で装備していたものそのままなのだ。質の悪い武器ではないが、四万もあればずっと強い装備に更新できるはずだし、その時間は充分にあった。事実、となりのアスナの腰に下がる細剣は、俺の助言によって昨夜のうちに店売りの《アイアン・レイピア》から、ドロップ品の《ウインドフルーレ+4》にグレードアップしている。今日のせんとうの流れ如何いかんでは死ぬかもしれないというのに、四万コルもの金をストレージに抱えたままでいることにどんな意味があるのか……。

 ──しかし、俺の思考は、そこでき止められた。

 いつのまにか、例のふんすいふちに立っていた青髪の騎士ナイトディアベルが、さすがに耳慣れた美声を張り上げたのだ。

「みんな、いきなりだけど──ありがとう! たった今、全パーティー四十四人が、一人も欠けずに集まった!!」

 たん、うおおっというかんせいが広場を揺らす。次いで、滝のような拍手。俺もやむなく推察を中断し、手をたたく。

 一同を笑顔で見回してから、騎士はぐっと右こぶしを突き出し、更に叫んだ。

「今だから言うけど、オレ、実は一人でも欠けたら今日は作戦を中止しようって思ってた! でも……そんな心配、みんなへのじよくだったな! オレ、すげーうれしいよ……こんな、最高のレイドが組めて……。まあ、人数は上限にちょっと足りないけどさ!」

 笑う者、口笛を吹き鳴らす者、同じように右手を突き出す者。

 ディアベルのリーダーシップに、今更ケチをつけるつもりはない。しかし、俺は内心、少しばかり盛り上げすぎではないかと思わずにいられなかった。きんちようが過ぎれば恐怖という毒になるように、楽観も過ぎると油断を生む。ベータ時代なら勢い余ってのかいそうも笑い話だったが、今は一つの失敗が一人の死につながりかねない状況だ。むしろ引きめすぎくらいでちょうどいいのではないだろうか。

 そんなことを思いつつ後方から集団を見回すと、B隊リーダーの両手おの使いエギルほか数人が、きびしい表情で腕組みしているのが見えた。いざという時は彼らが頼りになるだろう。E隊のキバオウは、おれに背中を向けたままで表情が見えない。

 皆がひとしきりわめいたところで、ディアベルはようやく両手を掲げてかんせいを抑えた。

「みんな……もう、オレから言うことはたった一つだ!」

 右手を左腰に走らせ、銀色の長剣を音高く抜きはなち──。

「…………勝とうぜ!!」

 き起こった巨大なときの声は、四週間前、はじまりの街の中央広場に満ちあふれた一万人のプレイヤーの絶叫とほんの少しだけ似ているように俺には思えた。

刊行シリーズ

ソードアート・オンライン プログレッシブ9の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズ2の書影
ソードアート・オンライン28 ユナイタル・リングVIIの書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ ミステリ・ラビリンス 迷宮館の殺人の書影
ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズの書影
ソードアート・オンライン IF 公式小説アンソロジーの書影
ソードアート・オンライン27 ユナイタル・リングVIの書影
ソードアート・オンライン26 ユナイタル・リングVの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ8の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ7の書影
ソードアート・オンライン25 ユナイタル・リングIVの書影
ソードアート・オンライン24 ユナイタル・リングIIIの書影
ソードアート・オンライン23 ユナイタル・リングIIの書影
ソードアート・オンライン22 キス・アンド・フライの書影
ソードアート・オンライン21 ユナイタル・リングIの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ6の書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ5の書影
ソードアート・オンライン20 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン19 ムーン・クレイドルの書影
ソードアート・オンライン18 アリシゼーション・ラスティングの書影
ソードアート・オンライン17 アリシゼーション・アウェイクニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ4の書影
ソードアート・オンライン16 アリシゼーション・エクスプローディングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ3の書影
ソードアート・オンライン15 アリシゼーション・インベーディングの書影
ソードアート・オンライン14 アリシゼーション・ユナイティングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ2の書影
ソードアート・オンライン13 アリシゼーション・ディバイディングの書影
ソードアート・オンライン12 アリシゼーション・ライジングの書影
ソードアート・オンライン11 アリシゼーション・ターニングの書影
ソードアート・オンライン プログレッシブ1の書影
ソードアート・オンライン10 アリシゼーション・ランニングの書影
ソードアート・オンライン9 アリシゼーション・ビギニングの書影
ソードアート・オンライン8 アーリー・アンド・レイトの書影
ソードアート・オンライン7 マザーズ・ロザリオの書影
ソードアート・オンライン6ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン5ファントム・バレットの書影
ソードアート・オンライン4フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン3フェアリィ・ダンスの書影
ソードアート・オンライン2アインクラッドの書影
ソードアート・オンライン1アインクラッドの書影