わたし、二番目の彼女でいいから。1

第1話 二番と一番②

「ねえ桐島くん、こっちきて」


 早坂さんは布団をめくりながらいう。


「単純接触効果、やろ」


 昨日、手をつなぐのをかなり気に入った様子だった。百歩譲って手をつなぐのはいい。


「しかし早坂さん、その感じだと添い寝する格好になりそうだが……」

「そうだけど?」


 真顔でいうからおそろしい。


「私、手つなぎたい。一緒に布団入ろ」


 一時的に理性を失っているだけなのか、これが清純、清楚というイメージの下にある本来の早坂さんなのか、どちらかはわからない。いずれにせよ──


「かなり熱があるな。まったく正常な判断ができていない」

「そんなことないよ」

「いや、人は熱があると思考力が低下する。脳の前頭葉の機能が働かなくなるんだ」

「あ、また理屈こねはじめた」

「それに添い寝をしなくても、俺が布団の外から手を握ることもできる」

「よくないと思うなあ、桐島くんのそういうところ」


 早坂さんはすねたような顔をする。でも、少し楽しんでいるようにもみえる。


「桐島くんは私と一緒に布団に入るのいや?」

「いやじゃないけど、手をつなぐだけじゃすまなくなるかもしれないだろ」

「私……それでもいいよ」

「早坂さん、冷静になれ。ものには順序というものが──」

「順序って、世間の人たちが決めた恋愛のイメージでしょ? いい子はちゃんと順序をふんで恋愛しましょう。桐島くんがいったんだよ、そういうのにとらわれない恋をしよう、って」


 そうだ。

 俺たちはいつもなにかのイメージにとらわれている。人は夢をもたなければいけない、友だちは多いほうがいい、なにかに打ち込んでいる人はかっこいい、一途に一人を想いつづけることは美しい。そういうイメージに自分をはめようとして、はまらなくて、苦しくなる。

 早坂さんに至っては、周りから求められるイメージでがんじがらめになっている。

 だから恋愛くらいはそういう世間の価値観やイメージを借りたりせず、不器用なりに自分たちでやっていこうと決めた。


「ねえ桐島くん、私、桐島くんの前ならいい子じゃなくてもいいんでしょ? 清純な早坂さんじゃなくてもいいんでしょ?」


 布団をめくって俺を待つ早坂さんの表情は、妙に色っぽい。


「だったらさ、一緒に布団に入って手をつなぐくらい、してほしい」

「……わかった」


 俺だって女の子の部屋に入ってなにも期待してなかったわけじゃない。一緒に布団に入って手をつなぐくらい、いいじゃないか。

 意を決して、ベッドに近づいていく。

 早坂さんは熱のせいか少し汗をかいていて、その湿った空気と熱気が伝わってくる。

 期待に満ちた濡れた瞳と、肌にはりついたパジャマ。


「いや、やっぱこれはさすがにまずいだろ!」


 俺は正気に戻ってベッドから離れる。あやうく雰囲気に流されるところだった。


「もう! あとちょっとだったのになあ」


 残念そうな顔をする早坂さん。でも全然あきらめてなくて、すぐになにか思いついた顔になって、あやしく笑いながらいう。


「だったらさ、練習だと思えばいいよ」

「練習?」

「いつか橘さんと同じ布団に入るときのために、二番の私で練習するの」

「いや、そういう考えは早坂さんにわるいだろ」


 俺たちの関係は二番目だけど、ちゃんと好きというのが前提で、一番の恋が叶わないことの寂しさを埋めるためにやってるわけじゃない。でも──。


「口ではそういっても、やっぱりそういう部分はあるよ」


 早坂さんはいう。


「だからさ、私を練習に使ってよ。それとも練習にもならないくらい、私って魅力ない?」

「そんなことないけど……」


 俺がもたついているから、早坂さんはさらに重ねていう。


「なんだか体が冷えてきちゃったな」

「早く布団かぶれよ」

「このままだと風邪が悪化しちゃうなあ」

「かぶれって」

「私が死んだらお墓の前で泣いてね」

「早坂さんはずるいなあ!」


 このままだと本当に布団をめくったままにしそうだから、俺は今度こそと決意してベッドに膝をのせる。


「手をつなぐだけだからな」

「うん、手をつなぐだけ。約束する」


 おそるおそる布団に入っていく。早坂さんは嬉しそうな顔をしている。

 俺が横になったところで、早坂さんが布団をかぶせた。


「そんなに体離さなくてもいいのに」

「早坂さん、手だして」

「はい」


 しかし、なかなか布団のなかで早坂さんの手をみつけられない。そうこうしているうちに、なにやらやわらかいものの隙間に俺の手の先が入ってしまう。


「ひゃんっ!」


 早坂さんが甘い声をあげる。

 俺は「ごめん!」と急いで手をひっこめる。指先に残ったのは、張りつめた布と、その下にあったやわらかい感触。多分、太もものあいだに入ってしまったのだ。


「桐島くんって……すごく積極的だね」


 早坂さんは照れたような顔で、そんなことをいう。


「ちがうからな、手をつなごうとしただけだから」

「じゃあ、はやくつなごうよ」

「どこに手があるかわからないんだって」

「ここだよ、ここ」


 俺は手を探すため、体をずらして早坂さんに近づく。その瞬間だった。

 早坂さんは手をつなぐとかそういうものを全部飛び越えて、感情のままにべったりとしがみついてきた。


「手をつなぐだけって約束は!?」

「そんなの知らない」


 くっついてくる早坂さんの体はやわらかくて、熱くて、汗で少し湿っている。


「えへへ、桐島くんのにおいがする」


 胸にあたる早坂さんの吐息が俺の肌を熱くする。


「私ね、ずっとこういうことしてみたかったんだ」


 表情はしっとりしていて、俺の制服のシャツをつかむ手もなんだか切実だ。


「桐島くんは私と抱き合いたくない?」

「そんなことはないけど」


 俺は両手をあげている。


「ここで抱きしめたら、どうにかなってしまいそうなんだ」

「なってもいいよ」


 早坂さん、完全にスイッチが入っている。


「橘さんがカラオケにくるってわかったとき、桐島くん、少し嬉しそうだった」

「……ごめん」

「いいよ。だって橘さん、きれいだもん。一番の女の子だし。でもさ、私が勝ってるところもあるんだよ」

「どこ?」

「体」


 いいながら、より強く俺にしがみついてくる。


「ちょっと!?」


 早坂さんは太ももで俺の足をはさんでくる。パジャマだから胸には下着をつけてなくて、なのになんの遠慮もなく押しつけてくるから、俺はどうしていいかわからない。


「桐島くんは彼氏だから、私になにをしてもいいんだよ。私、なにされても嬉しいんだよ」


 そんな、とんでもないことをいう。


「ふふ。今日の私、全然いい子じゃないね」


 そういう早坂さんは少し楽しそうだ。


「でもいいよね。学校でも、家でも、すごくいい子にしてるもん。知ってる? 私がちょっと派手な服を着たり、今みたいなこといったりすると、みんなすごくがっかりするんだよ」


 がっかりするどころか、怒りだすやつだっている。イメージが崩れてほしくないから。


「桐島くんの前でくらい、いい子じゃなくてもいいんだよね?」

「…………いいよ」

「じゃあ、一緒にわるいことしようよ」


 なし崩し的に、俺は早坂さんの体を抱きしめてしまう。

 髪のにおい、息づかい、そしてパジャマの布越しに、早坂さんの体を感じる。

 一度そうしてしまうと、もう離れたくないと思ってしまう。

 早坂さんは俺の背中に手をまわし、さらには足までかけて、全身を押しつけてくる。


「なんだか私、桐島くんのものになったみたい」

「感情に流されすぎだ」

「もっと流されたい」


 熱い吐息が胸にあたる。

 早坂さんは俺の感触をたしかめるように、強く抱きついたり、弱く抱きついたりする。


「ねえ桐島くん、ちゃんと私の感触覚えてね。一人で寝るときに思いだして、寂しくなってね。私は桐島くんの感触覚えたよ。これから毎晩、桐島くんがとなりにいなくて寂しさを感じると思う。だってこんなに気持ちいいんだもん」

「……早坂さん、そろそろ」

「もっと、わるいことしたい」


 早坂さんは俺を押し倒し、その上にのってくる。胸があたっているのは多分わざとだ。

 俺はもう照れないし、恥ずかしさもない。

 抱き合ったところで、理性は蒸発してしまった。

 他に好きな人がいるのにこういうことをするのはよくないことなのかもしれない。

 わるいことなのかもしれない。でも俺たちは自分で選んでこうなっている。

 だから、いけるところまでいきたい。


「ねえ桐島くん、私の風邪、うつしたい」

「実はさっきから、うつるんじゃないかと思ってる」

「いや?」

「早坂さんの風邪なら、いやじゃない」

「でもさ、風邪って抱き合ってるだけでうつるのかな? もっとうつりやすい方法があるんじゃないのかな。頭のいい桐島くんなら知ってるよね?」


 早坂さんの浮ついた雰囲気にあてられて、俺は迷わずいってしまう。


「粘膜感染」

「それ、しよ」

「いいのか?」

「いいよ」


 こうして俺と早坂さんはキスをした。

 早坂さんのくちびるはやわらかくて、熱く湿っている。

 口を離したとき、唾液が糸を引いた。


「私、好きかも。粘膜感染。でも、やり方あってる?」

「わからない」


 俺だって初めてだ。


「桐島くん、もっとしたい」


 流されるままに、何度もキスをする。


「もっと、もっとして、もっと……」


 やがて早坂さんの舌が口のなかに入ってくる。

 でもすぐに動きが止まる。次にどうしていいかわからない、そんな迷いが伝わってくる。

 早坂さんは自分でやっておきながらも恥ずかしいみたいで、誘うような言葉とは裏腹に、体を硬くして強く目をつむっている。

 俺は大丈夫だよというように、早坂さんの舌を優しく舐める。すると早坂さんも不器用ながら同じように俺の舌を舐めはじめる。

 壁にぶつかってはそれを乗り越え、俺たちはどんどんエスカレートしていく。

 まるで空中に足をかけ合って昇っていくみたいだ。

 早坂さんの舌を押し戻し、今度は俺が早坂さんの口のなかに入っていく。

 早坂さんは息苦しそうだけど、俺を歓迎するように舌を動かす。早坂さんの口は小さくて、熱くて湿っていて、やわらかく圧迫される。


「桐島くん、唾液ちょうだい」


 互いの唾液を交換する。

 ぴちゃぴちゃと水っぽい音が耳に届く。それで俺たちはまた興奮する。

 不健全なことって気持ちいい。

 二番目同士で付き合う俺たちは、もっとめちゃくちゃなことがしたい。

 人から責められるような、眉をしかめられるようなことがしたい。

 最高に不道徳でわるい子になりたい。

 突き上げてくる衝動のままに、俺はいつのまにか早坂さんを組み敷いていた。

 早坂さんのパジャマは着崩れて、胸元がはだけている。

 一瞬みつめ合って、早坂さんが、


「いいよ」


 なんていう。

 こういうことって多分、女の子にとってもすごく勇気のいることだろうから、俺は前がかりになる気持ちを抑えて、あくまで慎重に、優しく、パジャマのボタンに手をかける。

 でも次の瞬間、それでも早坂さんがこわばった表情をしていることに気づく。いいよ、といったものの心の準備ができていないのかもしれない。だから俺は手をとめて、体を離す。

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