わたし、二番目の彼女でいいから。1
第1話 二番と一番③
「ごめん、俺ちょっと急ぎすぎたかも。もっと気を使えたらよかったんだけど、俺もそういうのしたことないから……」
ちがうの、と早坂さんは気まずそうな顔をする。
「桐島くんのせいじゃないの。私も、そういう気持ちなの。でも──」
ごめんね、と早坂さんは枕で顔を隠しながら謝る。
「……一番の人の顔、浮かんできちゃったんだ」
◇
「あんまり先に進みすぎるのはよくないよね」
乱れた服をなおしながら、早坂さんがいう。
「だって私たち、他に好きな人いるもんね」
「だな」
あれから俺たちは冷静になり、居住まいを正してベッドの上に座っていた。
俺に橘さんがいるように、早坂さんにも他に一番好きな人がいる。
二番目に好きという感情は尊いものだけど、互いの一番の恋に結論がでるまでは、一線を越えるのはためらわれた。
「二番だからかな」
早坂さんがいう。
「すごく積極的になれちゃうんだ。一番の人が相手だったら、もっといい子にふるまって、なにもできないと思うもん。でもよくないよね、そういうの。桐島くんにもわるいもん」
たしかに二番目ゆえの気安さというのはあるかもしれない。だから。
「ルールを追加したほうがいいな」
俺たちは二番目同士で付き合うと決めたとき、二つのルールをつくった。
その一、俺たちが付き合っていることを互いの一番の相手に知られてはいけない。
その二、どちらか一方が一番と付き合えるようになったときは、二人の関係を解消する。
つまり一番を優先するということ。
一番好きな人と付き合えるのなら、それに越したことはないはずだから。
「どんなルールを追加するの?」
「……キスより先はしない」
「そうだね、そうしたほうがいいね」
俺たちは不健全だけど、互いを安く扱いたいわけじゃない。
「じゃあ、そろそろ帰るよ」
「あ、待って」
帰り支度をしたところで早坂さんがスマホをみせてくる。さっきの、カラオケにいくメンバーのグループメッセージだ。アイコンが一つ増えている。アメリカのコミックヒーロー。
「誰のアイコン?」
「橘さんの彼氏。参加するみたい」
「あ、そう」
同じ学年だから、まあ、そういうこともあるだろう。
「桐島くん、いける?」
このままいくと、橘さんとその彼氏が仲良くしている現場をみることになる。しかし。
「全然ヘーキ。むしろ大丈夫、楽しみになってきた」
「そんな震えながらいわれてもなあ」
なんだか寒い。視界もゆがんでくる。俺も風邪かな。
「当日解散になったら、誰にもみつからないように合流しようね」
早坂さんが後ろから抱きしめてくれる。
「いっぱい慰めてあげる」
◇
むかえた週末、カラオケにはけっこうな人数が集まった。この企画が野崎くんの恋のためと知るものは少ない。多くの人が、ただの楽しいイベントだと思っている。
昼過ぎ、駅前に集合したのが約二十人。こんなにいて大丈夫なのかと心配したが、牧が手際よく案内し、みなをパーティールームにつめ込んだ。
俺は最初なにも考えずに座ったが、それぞれの配置をみて、牧のとなりに移動する。
「やっぱ早坂は人気あるな」
座りなおしたところで、牧が耳うちしてくる。
「がっつかれてんじゃん」
みれば、早坂さんの両サイドにはしっかりと男たちが陣取っていた。
サークルの姫って感じだ。
「早坂さん、どんな歌うたうの?」
「私服もかわいいね」
「ドリンクバー取ってこようか?」
対面からも話しかけられ、早坂さんは身を小さくしている。
「……えっと、私は、あの、その、えっと、あはは──」
早坂さんはみんなの前だと引っ込み思案で、愛想笑いしかできない。
本当にお人形さんだと思う。でも、そうじゃない早坂さんを俺は知っている。手をつなぎたがる早坂さん、みずから舌を入れてくる早坂さん、もっとして、とせがむ早坂さん。
「あの男ども、精いっぱいオシャレしてきたな」
牧がいう。
「たしかに主役の野崎くんより目立ってるな」
「その点、桐島はえらいよ。ちゃんと冴えない格好できてるんだから」
「……あ、うん、そうそう」
普通の格好できたつもりなんだけど。
それにしても、と牧がいう。
「早坂って、マジで天使だよな。あんな下心まるだしの連中にも優しくしてよ」
「意外と本人は迷惑に思ってるかもしれないけどな」
「そうか? 隙だらけで、変な男にひっかからないか俺は心配だよ」
「そうみえるだけだろ」
「あれ、なんかムキになってない? もしかして早坂のとなりいきたかった?」
「そんなんじゃないって」
「だよな。桐島はあっちだよな」
騒がしい部屋のなか、ひとり涼しい顔でデンモクを操作している女の子がいる。
橘さんだ。
肩のでたワンピースをさらっと着こなして、姿勢もいい。
「男どももさすがにあっちにはいかないか」
「いけるわけないだろ」
橘さんは壁際に座っていて、そのとなりには彼氏がいる。歯がキラリと光りそうなほどさわやかな好青年で、家も裕福らしい。体格もそれなりで、メガネもかけていない。
つまり、俺とは全然ちがうタイプ。
「ガードしてるみたいで、なんか腹立つよな」
「いや、彼氏がとなりにいるのは自然なことだろ。うらやましくて死にそうだけど」
なんて会話をしていたら、ふいに橘さんが顔をあげた。
ガラス細工のような瞳と目が合い、俺は思わず顔を伏せる。
「桐島、なに下向いてんだよ。網膜に焼き付けとけよ」
「いいよ。いざとなったらいつでもみれるし」
「彼氏のアカウント経由でだろ」
橘さんの彼氏は、橘さんの画像をSNSに毎日あげる。セキュリティ意識が低い。
「よくみにいくよな。あんなの自慢だろ」
「なんでだろうな。みると胸が苦しくなる。それでも毎日みにいかずにはいられない」
「屈折してんなあ」
しかしあの二人、うまくいってんのかね、と牧はいう。
「知り合いの女子がいってたんだけどさ、このあいだ臨海学校あったろ」
夜、女子の部屋でも恋話がおこなわれたらしい。
そのとき、橘さんは同室の女子に真顔できいたのだという。
「『ドキドキするってどんな感じ?』ってさ」
◇
いざカラオケが始まってみると、なかなか苦しい展開だった。
橘さんを思わずみてしまうのだけど、彼氏に歌ってほしいとリクエストされた曲を歌うし、彼氏が歌っているときは手拍子もしていた。
なんだこれ。
なにが楽しくて好きな女の子のこんな場面をみていなければいけないのか。
橘さんは相変わらず無表情だ。でも、彼氏と二人きりのときは笑うのだろう。
俺はやけになって失恋ソングを歌った。
歌っているとき、橘さんはずっとデンモクを操作していた。
こちらをみないし、手拍子もしない。
みじめだ。歌い終わったら、みんなリアクションに困ったような、微妙な顔をしていた。やっぱり下手だったらしい。そんななか、一人の女の子が遠慮がちに声をあげた。
「わ、私はよかったと思うよ!」
早坂さんだ。
「個性的っていうか、前衛的っていうか。そういう解釈もあるんだって納得した!」
納得しないでほしかった。
それよりも早坂さんが俺をフォローしたことに注目が集まる。
『なんで早坂さんが桐島の肩もつの?』
そんな疑問をみんなが感じたようだった。
早坂さんもそれに気づいて、あわてて両手をふる。
「ちがうの、そういうわけじゃないの。下手なのも一周まわるとそれっぽくきこえるっていいたかっただけ。桐島くんの歌は、たしかにブタの悲鳴みたいだったよ?」
そう、それでいいんだよ早坂さん。
俺たちの関係をみんなに知られてはいけない。でも、ブタの悲鳴はきいたことないだろ。
「桐島、お前はいいやつだよ」
牧が背中を叩いてくる。
「わざと下手に歌ってくれたんだろ?」
「……ああ。これで野崎くんが上手くみえるだろ。そう、全部わざとなんだよ」
しゃべりながらスマホを操作して、早坂さんにメッセージを送る。
『他人のふりでいいからな』
俺と付き合っていることがばれて、早坂さんの一番の相手に伝わったら大変だ。
メッセージに気づいた早坂さんが顔をあげ、指でマルをつくる。
『橘さんもいるしね』と、返信もくる。
ひととおりみんなが歌い終わり、雑談タイムが始まる。
誰がいいだしたのか、初恋の話をしていくことになった。場を盛り上げる鉄板ネタだ。
話のうまい男子が、面白おかしいエピソードトークを披露する。
順番がまわってきて、俺は小学生のころの話をした。
「夏休み、親戚の家に泊まることになったんだ。一週間くらいの滞在で、近所に住んでいる女の子と仲良くなった──」
とてもきれいな女の子で、俺の頭はその子のことでいっぱいになった。
つまり、恋をしたのだ。初恋だ。
連日、公園で一緒に遊んで幸せだった。でもある日、その女の子が他の男の子と仲良く遊んでいるのをみて、俺はなんだか胸が苦しくなって、いってしまった。
「俺以外の男の子とは仲良くしないでほしい」
今ならそれが嫉妬だとわかる。でもそのときは自分のなかに湧きあがった感情の正体がわからず、うまく抑えられなかった。
「嫌だったんだろうな。次の日から女の子は公園にこなくなったよ」
ビターな初恋の失敗談。どうぞ笑ってくださいという感じで、そこそこウケた。
俺は橘さんの様子もうかがうが、無反応で無表情だった。特に感想はないらしい。
一部の女子たちは場を盛り上げるためもあって、冗談まじりに俺をいじる。
「男の嫉妬ってみっともなあい」
「やだあ」
「きも~い」
まあ、そうだろう、そうだろう。俺もそう思う。
でも、そんな彼女らのいい方をよしとしない女の子もいた。
「…………きもくなんかないよ」
早坂さんだ。
「……私だって、好きな人が他の人と仲良くしてたら嫉妬するもん」
またしても俺をかばってしまったわけだけど、今回は早坂さんの『好きな人が他の人と仲良くしてたら嫉妬するもん』という言葉に注目が集まった。
「早坂さんも好きな人いるの?」
「嫉妬したことある?」
「オレ、早坂さんに嫉妬されたい!」
男たちの質問攻めにあい、早坂さんは目をグルグルとまわす。
「す、す、す、好きな人? そ、そういうの、よくわかりません!」
意図せずして清純派アイドルみたいな回答をしている。
「ちょっと男子、がっつきすぎ!」
女子たちが声をあげる。
「これ以上の質問は受けつけませ~ん。マネージャーを通してくださ~い」
なんて男子をひやかしながら、わいわいやりはじめる。
それにしても早坂さん、いつもよりポンコツで少し心配だ。
俺は再度スマホでメッセージを送る。
『俺のことは気にしなくていいから!』
スマホをみた早坂さんが、「マルッ!」と勢いよく指で輪っかをつくる。
こっちに向かってリアクションする時点で絶対わかってない。
そんな感じでこそこそしていると、突然、クラスメートの女子に話しかけられる。
「そういえば、桐島ってミステリー研究部なんでしょ」