わたし、二番目の彼女でいいから。3

第18話 弱いから①

 放課後、橘さんと一緒に帰っている。

 彼女の吐く息は白く、頰も冷たそうだ。グレーのピーコート、オフホワイトのチェックのマフラー、冬がよく似合っている。しかし──。


「橘さん、不機嫌だろ」

「わかってるじゃん」


 橘さんはこっちをみずに、すねた顔でいう。


「彼氏彼女なんだから手くらいつなごうよ」


 さっきから橘さんは、自分のコートのポケットに突っ込んだ手を、となりにいる俺の手の甲にぽんぽんと当ててきていた。


「いや、ここ通学路だし」

「別にいいじゃん」

「俺が橘さんのポケットに手を突っ込むのか? せまいだろ」

「そのほうがあったかいよ」

「普通、男のコートにおじゃまするんじゃないのか?」

「司郎くん、コート着てないし」

「じゃあ、俺がコート着てるときにしよう」

「往生際がわるい」


 橘さんは片眉をつりあげ、怒ったように体をぶつけてくる。俺が押し返して、ぎゅうぎゅうとせめぎ合う。


「手つないで帰ろうよ」

「待て、早まるな」

「司郎くんの手、冷たそう」

「大丈夫だ。俺は意外と血行がいい」

「理屈こねて逃げようとするの、好きじゃないな」

「でも──」


 俺は背後を振り返っていう。


「ギャラリーがいるんだよなあ」


 後ろを歩く一年女子の集団が好奇心いっぱいの顔つきで、こちらをみていた。

 彼女たちのミーハーな声がきこえてくる。


「橘先輩やっぱかわいい~」

「あいかわらず熱々だね」

「またキスしてくれないかなあ」


 文化祭のステージ、カップル選手権で逆転優勝からの橘さんの熱烈なキスはインパクト抜群で、今もふたりで歩いているだけで騒がれるし、注目される。


「ここで手をつないだら、恥ずかしいだろ」

「今さらそんなこと気にしないでよ」

「そうはいうけど」

「…………コンビニ寄る」


 手をつなぐ気がないとわかり、橘さんの機嫌がさらにわるくなる。

 俺は橘さんの機嫌を取るため、コンビニで彼女の好きな雪見だいふくを買う。店をでて歩きだしたところで手渡そうとするが、橘さんはポケットに手を突っ込んだまま受け取らない。

 そして、すねた顔のまま小さく口をあけた。


「いや、それは手をつなぐよりも恥ずかしいだろ……」


 俺はまた振り返る。

 一年女子の集団もコンビニに寄ったものだから、しっかりと後ろにいて、期待に満ちた視線でこちらをみていた。


「じゃあ、もういいよ」


 橘さんはそっぽを向く。


「他人の目ばかり気にしてさ」

「ごめん」

「もっとすっきりした感じがいい」


 たしかに橘さんの感性からすれば、こういう半端な感じは好みじゃないだろう。本来的に気持ちのままに振る舞うストレートな女の子だ。

 俺が、橘さんの性格を曲げてしまっている。


「よくないのは俺だな」


 俺は少し反省する。そして覚悟というほどのものではないけど、小さな決意をして、プラスチックの楊枝で雪見だいふくを刺す。そして橘さんの口元に近づけた。


「いいの?」

「ああ。たしかに人目を気にしてあれをするこれをしない、っていうのはなんかちがうし。それに、橘さんが自然なスタイルでいられるほうが俺もいい」

「じゃあ」


 といって橘さんがちょっとだけ頰を赤くしながら、小さな口をあける。


「あ~ん」

「はい、あ~ん」


 俺はそういって、橘さんの口に雪見だいふくを運んだ。もうひとつを橘さんが俺に「あ~ん」して食べさせてくれる。

 当然、後ろから「きゃ~」という期待通りのリアクションがとんできた。


「いいね」


 橘さんは満足そうに笑う。


「じゃあ、手もつなぐか」


 俺はそういって橘さんのポケットに手を突っ込む。

 橘さんは驚いた顔をするが、すぐに俺の手を握ってくる。思いのほか握る力が強くて、橘さんが喜んでいるのがわかる。でも──。


「司郎くん、もっとしよ」

「なにを?」

「好きだよ」


 次の瞬間、橘さんはつないでないほうの手で俺のネクタイを引っ張り、顔を引き寄せ、キスをしてきた。冬の空気でよく冷えたくちびるが強く押しつけられる。

 橘さんのガラス玉みたいな瞳は、このくらい当然でしょ、と語っていた。

 後ろから、一年女子の大歓声があがる。


「橘さん、サービスしすぎだ」

「このくらいやらないと」

「劇場型なんだよなあ」


 美しくて、なんでも絵になる女の子。そして──。


「司郎くん、走ろっか」


 突然そんなことをいう。理由をきいても、「なんか、そういう気分」としかいわない。

 橘さんはポケットから手をだし、俺の手を握ったまま走りだす。

 俺もつられて走りだす。なぜか後ろの一年女子たちも走ってついてくる。

 映画監督が「アクション!」と音を鳴らしたように、俺と橘さんのアオハル劇場が、映画のフィルムのようにまわりだす。



 翌日から橘さんは遠慮をしなくなる。ストレートに全力彼女。行き帰りは校門の前で俺を待ってるし、休み時間になると俺の席にやってくるし、俺のジャージを羽織って体育の授業にでてジャージの匂いばかり嗅いでいたりする。


「みんなにバカっていわれる」

「彼氏バカ、だろ」

「うん」


 橘さんは爽やかに笑いながらうなずく。


「私、そんなに司郎くんにのぼせてるかな?」

「橘さんがしてるそのネクタイは?」

「司郎くんの」

「その背負ってるカバンは?」

「司郎くんの」

「今なにしたい?」

「キスしたい」


 俺たちは学校帰りにクレープ店によって、路上で食べている。橘さんは俺の口元についた生クリームを指でとって舐め、満足そうに笑う。

 走りだした俺たちは誰にもとめられない。

 プリクラもとるし、おそろいのストラップもつけるし、一緒に勉強するといってマックにいって結局ずっとおしゃべりをする。

 自転車ふたり乗りで「わ~!」と堤防を走ればアオハルは加速していく。

 頭のなかでロックバンドのアップテンポな曲が流れだすテンション。

 遊園地にいって観覧車に乗るし、カフェにいって生クリームを盛りすぎてパフェみたいになったコーヒーも飲むし、古本市にいってちょっと知的なデートだってする。


「今日はカラオケがいいな」

「俺、歌下手なんだよなあ」

「私、司郎くんの歌好きだよ」


 で、いざカラオケにいくと音楽が得意な橘さんのオンステージで、俺はずっとタンバリンを叩きつづける。俺が「タンバリン係かよ~」っていうと橘さんは脈絡なく「好き」といって抱きついてくる。

 流星群をみにいった夜、お母さんに黙ってこっそりマンションを抜けだしてきた橘さんは、わかりやすくはしゃいでいて、最高にロマンチックでかわいい彼女になる。

 そして、この頃になると橘さんは女子のあいだで人気者になっている。

 これまではクールな外見から近寄りがたいイメージだったけど、文化祭のステージ以降、恋する普通の女の子であることが明らかになり、みんなフレンドリーに接するようになった。女子たちは親しみをこめて『彼氏好きすぎ彼女』として橘さんをいじる。


『納得いかない』


 スマホ越しに橘さんがいう。

 夜、俺はベッドのなかで通話していた。橘さんは通話状態のまま互いの寝息をききながら眠るのが好きだ。


『みんな私のことヤキモチ彼女っていう。全然そんなことないのに』

「橘さんがジトッとした目でみてくるから桐島に話しかけづらい、って酒井がいってたぞ」

『……』


 スマホのむこうからもぞもぞと動く音がする。寝間着姿で布団にくるまり、すねた顔をする橘さんを想像する。


『……ヤキモチやかせる司郎くんがわるい』

「俺のせい?」

『今日も女の子たちと楽しそうにおしゃべりしてた』


 最近、クラスの女子たちがやたらと俺にかまってくる。でも──。


「あれ、橘さんのリアクション待ちだからな」


 女子が俺に話しかける。教室にきた橘さんが遠くからそれをみる。女子が俺を小突いたりスキンシップをしたりする。たまりかねた橘さんが近づいてきて、『私の司郎くんなんだけど……』と不安そうな顔でいう。女子たちが普段とギャップのある橘さんをみて『かわい~』と大喜びし、『大丈夫、桐島は橘さんのものだよ』と頭をなでて慰めるところまでがワンセットだ。


『みんないじわるだ』

「愛されてるんだよ」


 それでも橘さんは納得がいかない様子だ。


『じゃあ、しゃべってもいいけどひとつだけ約束してよ』

「なにを?」

『他の女の子にさわらせないで。司郎くんが他の女の子とふれあってるのみると……胸の奥がぎゅってなって……泣きそうになるから』


 橘さんのいいかたがいつになく切実で、俺も胸の奥がぎゅっとなる。


「わかった」


 俺が女子のおさわりから逃げたら、絶対橘さんがいじられることになると思うけど。


『じゃあ、私もう寝る』

「おやすみ」

『通話切っちゃダメだよ』


 橘さんはそういったところで、『やっぱ今夜は切る』という。


『忘れてた。今日は早坂さんの番だったね』


 橘さんの声からはもうアオハル彼女の雰囲気は消えていて、完全にこれまでのクールなものに戻っている。そして、とても冷静にいう。


『いるんでしょ? 早坂さん。今そこに』



 なぜ早坂さんと同じ布団に入りながら橘さんと通話することになったのか。

 理由は、その日の午後にさかのぼる。

 放課後のことだ。


「今日、私の番になったんだ」


 旧校舎のミステリー研究部の部室にいくと、早坂さんがソファーに座っていた。


「ホントは橘さんの日だけど、ピアノのコンクールが近づいてレッスンが忙しいらしくて」


 だから私に振り替え、と早坂さんはいう。


「なんか、急にごめんね。勝手にこっちで決めちゃって」


 そこまでいったところで、早坂さんは「あ」といって、困ったように笑う。


「私が謝る必要ないんだっけ?」

「ああ。もっと強気でいいぞ。どんとこい」

「うん。そうだね、そうだよね」


 うなずいてから、早坂さんは少しコミカルにいう。


「桐島くん、私と橘さんのいうことは?」

「絶対」


 それが三人の約束事。

 文化祭のあの日、俺と橘さんが『わるいこと』をしているのがバレてしまった。

 そして全てを知った早坂さんのリアクションは予想外のものだった。


『共有しよ』


 早坂さんと橘さんで、俺を共有しようといいだしたのだ。

 そして橘さんはそれを承諾した。ふたりの気持ちは、俺にはわからない。

 いずれにせよ共有にあたり、早坂さんと橘さんは四つのルールをつくった。

 一つ、桐島司郎は早坂あかねと橘ひかりのいうことに従うこと。

 二つ、早坂あかねと橘ひかりは平等に桐島司郎をシェアすること。

 三つ、早坂あかねと橘ひかりは互いに抜け駆けしないこと。

 四つ、抜け駆けした場合はペナルティがあり、必ずそのペナルティを実行すること。

 俺に拒否権はなく、文化祭の最終日以降、俺は彼女たちの指定する日に、そのどちらかの彼氏になっている。

 そして今日は橘さんの日だったが、早坂さんの日に変更になったのだった。


「じゃあ、なにしよっか?」


早坂さんがいう。


「まず、どこにいくか決めないとな」

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