わたし、二番目の彼女でいいから。3
第18話 弱いから②
俺と橘さんが正式な恋人としてみんなに認識されているから、どうしても早坂さんとなにかするときは人目を避けることになる。最近は、同じ学校の生徒がこない遠くの場所までいってデートをしている。しかし──。
「今日は学校がいい」
早坂さんがいう。
「せっかく桐島くんが彼氏になってくれる日だもん。移動する時間がもったいないよ。少しでも長く一緒にいたいんだ」
「じゃあ場所はここでいいとして、なにする?」
「ゲーム」
「どんな」
「手をつないだまま校舎のなかを一周するの」
いやいやいやいや──。
「放課後とはいえ、まだけっこう生徒残ってるぞ?」
「そうだね。誰かにみられたら、私は彼女持ちの男子に手をだすわるい女の子になっちゃうね。橘さん最近女子のあいだですごい人気だし、みつかったら私、すごく叩かれるね」
俺は浮気男としてさらに叩かれることになるだろう。
「だからゲームなんだよ」
早坂さんは幼い表情で明るくいう。
「みんなにみつからないよう、ふたりでがんばるの。ドキドキしながら校舎をまわるの」
「いや、でも……」
「大丈夫だよ、本当にまずくなったらちゃんと手を離すから」
それなら安全装置としては十分かもしれない。俺が頭のなかでそのシミュレーションをしていると、早坂さんはいたずらっぽい笑みを浮かべていう。
「ねえ桐島くん、私と橘さんのいうことは?」
「絶対」
「えへへ。私、桐島くんのそういうとこ好きだよ」
◇
早坂さんと手をつないで校舎のなかを歩く。その感触を楽しんでいる余裕はない。
グラウンドから部活をする生徒たちの声がきこえてくるたびに、向こうからこちらがみえていないか冷や冷やする。
「桐島くん、ルールわかってる?」
「大丈夫だ。早く終わらせよう」
早坂さんの決めたルールはシンプルだ。
俺たちの学校には新校舎と旧校舎があって、校舎をつなぐ渡り廊下が東西に配置されている。手をつないで歩くのは二階だけ。つまり旧校舎二階のミス研部室をスタートし、各校舎の端にある教室の扉をタッチして、四角形にぐるりと一周するというものだった。
「簡単だよ。旧校舎にはほとんど誰もいないし」
「かわりに難易度ひとつあげたろ」
「えへへ」
早坂さんが恥ずかしそうにうつむく。彼女の提案により、ひとつルールが追加された。
「渡り廊下の途中でキスするってやつ」
「だって、そのくらいしないと──」
そんな話をしているそのときだった。
進行方向にある教室から、扉を開けて男子生徒がでてくる。
「ど、ど、ど、ど、どうしよう、桐島くん!」
「大丈夫だ、彼は目がわるい。メガネの度があってないんだ」
その男子生徒はこちらに顔を向けていたが特にリアクションすることもなく、手前の渡り廊下で曲がっていった。
「早坂さん、そんなに焦るならこんなゲームやらなきゃいいのに」
「だって……」
早坂さんはすねた顔になっていう。
「私だって、一回くらい学校で彼女やってみたかったんだもん。普通の高校生の彼女、桐島くんとやってみたかったんだもん」
それをきいてしまったら、やらないわけにはいかない。
早坂さんは俺と橘さんの学校公認のアオハル劇場をずっと眺めているのだ。
「二階だけじゃなくて、一階もいくか」
「いいの?」
早坂さんの表情が明るくなる。
「ああ。そのくらい、どうってことないだろ」
「うん! ありがとう、桐島くん!」
俺は早坂さんの手を引いて歩きだす。
窓の外、横からの視線がありそうなときはぴったり平行になり、手をつなぎながらも距離をとって、ただ隣りあって歩いているようにみせる。正面からの視線があるときは、体を前後にして、後ろで手をつないだままやりすごす。
「すごい、すごいよ桐島くん!」
早坂さんが喜びながらくっついてくる。
「おい、今、手をつなぐって次元じゃなくなってるからな!」
腕を組んでいるというよりも、ほぼ抱きついている。胸で俺の肘を完全に挟みこんでいるし、太ももは密着しているし、熱い吐息が制服越しにわかるほど顔を押しつけている。
「さすがにもう少し離れないと、ごまかしきかないって」
「早く渡り廊下いこ~よ~」
「きいてないんだよなあ」
なんとか渡り廊下までひきずっていって、柱の死角に隠れてミッションのキスをする。早坂さんの肩を抱き、くちびるを数秒重ねて──。
「よし、いこう」
しかし──。
「ダメ、もっとぉ……」
軽くくちびるを重ねただけでは、早坂さんは離れなかった。
目が潤んで、頰が紅潮して、完全にスイッチが入っている。
早坂さんは俺が逃げられないよう、つま先立ちになって首の後ろに手をまわして、喘ぐようにキスをしてきた。こうなったら仕方がない。早坂さんの熱く湿った舌が口のなかに入ってくる。俺が舌を絡めると、早坂さんはそれを強く吸う。
しがみついてくるから、彼女の体温と体のやわらかさを感じる。
「これ、好き……桐島くん、好き……」
結局、五分以上キスしてから早坂さんは俺から離れた。
口を離すとき、唾液が糸を引いた。早坂さんの吐く白い息はとても湿度が高い。
「あんまり危ないことして楽しんでたらダメだぞ」
「えへへ」
満足して、早坂さんはにこにこ顔だ。
一階をまわり、ラスト、新校舎二階の直線に突入する。
「休み時間のあれも、きこえてるからな」
昼休み、教室の後ろで、女子たちが好きな男子のタイプの話をしていた。
早坂さんに話がまわってきて、彼女は大きな声でいったのだ。
「私は桐島くんが好き!」
俺はぎょっとしたが、みんなはむしろ安心した顔つきだった。なぜなら桐島司郎は橘ひかりのものであり、早坂さんがその桐島を好きとこたえるのは、実現不可能な相手を好きということで質問をかわすアイドル的な手法にみえるからだ。それはみんなの期待するところで、早坂さんは相変わらずクラスでは清純清楚なアイコンのままでいる。
「告白を断るときも、俺の名前だしてるだろ」
つまり、誰かに呼びだされて告白されるたびに、こういうやりとりをしているのだ。
『ごめんなさい。私、他に好きな人がいるんです』
『誰?』
『桐島くんです』
『ああ、橘さんの彼氏の……そう、とにかく俺と付き合う気がないことだけはわかったよ』
といった感じ。
「ああいうの、よくないぞ」
「だって、ホントのことだもん」
それに、と早坂さんはむすっとした顔でいう。
「私だって好きな人のこと、はっきり好きっていいたいもん」
「早坂さん……」
そんな話をしているうちに、新校舎の端っこにたどりつく。そして最後の教室の扉にタッチしようとしたそのときだった。
「早坂さん、これ、まずいって」
扉の向こうから、ちょうど誰かがでてこようとしていた。すりガラス越しに話し声と、今にも扉の開く気配が伝わってくる。
「さすがに無理だ。離すぞ」
正面から鉢合わせではごまかしようがない。
しかし──。
「ヤだ」
「ちょ、早坂さん!?」
「桐島くんの手、はなしたくない」
早坂さんは手を強く握り、さらにそこから動こうとしない。
「ヤバいって」
「私だって桐島くんの彼女だもん。私だって好きだもん。私だって本気だもん」
「いや、共有になったのは全部俺のせいだし、ふたりのためならなんでもするつもりだけど、さすがにこれは早坂さんのためにもならないというかなんというか──」
なんて言い合いをしている時間は当然なく、無情にも扉が開く。
そして教室からでてきたのは──。
みたことのない大人の女の人だった。
そこで早坂さんが驚きの声をあげる。
「お、お母さん?」
そういえば今日は三者面談の日だった。さては早坂さん、忘れていたな、と思うけどそんなことを考えてる場合じゃない。
「あかね、そっちの男の子は?」
早坂さんのお母さんは、俺たちのつないだ手をみながらいう。
「お、お母さん、えっと、これは、えっと、えっと──」
早坂さんは目をグルグルさせながらこたえる。
「か、か、か、彼氏! 彼氏の桐島くん! 私たち、付き合ってるの!」
こうなってしまうと、俺もいうしかない。
「どうも、彼氏の桐島司郎です。よろしくお願いします」
◇
そこからはあっという間だった。
早坂さんのお母さんと対面する。自宅のマンションに招かれる。一緒に夕食をとる。いろいろ話しているうちに遅くなる。泊まっていくことになる。単身赴任で不在のお父さんのジャージをかりる。就職して家をでていったお姉さんの部屋のベッドを使って横になる。パジャマ姿の早坂さんが自分の部屋を抜けだしてきて、俺の寝ているベッドに入ってくる。橘さんから着信がある。こうして早坂さんと同じベッドで寝ながら、橘さんと通話するという気まずい状況ができあがったのだった。
「きてくれてありがとね」
早坂さんは俺に抱きつきながらいう。枕よりも下にいて、頭まで布団のなかにすっぽりおさまったまま、俺の胸に顔を押しあてている。
「私に彼氏ができて、お母さん嬉しいんだと思う」
「でも、よかったのか?」
俺と橘さんが付き合っているのは有名な話だ。
「ママ友づてにいろいろきいてしまうかもしれないけど」
「なんとでもなるよ。桐島くんはもう橘さんとは別れたっていえばいいだけだし」
そこで早坂さんは布団から顔をだしていう。
「橘さん、それでいいよね?」
『いいよ』
スマホ越しに橘さんがこたえる。
ふたりは共有が平等になるよう、こうやっていろいろと情報交換をしている。決め事もたくさんあるみたいだが、俺が知らされていることは少ない。
『ジャマするのもわるいし、通話切るね』
しかし橘さんは少しのあいだもじもじして、ためらいながらいう。
『……あの、早坂さん』
「大丈夫だよ」
早坂さんがこたえる。
「抜け駆け禁止、ちゃんとわかってるから」
『……じゃあ、おやすみ』
スマホから音がしなくなる。
次の瞬間、早坂さんが布団の中で俺のジャージのチャックをおろして脱がそうとしてきた。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、待てよ、早坂さん」
「なに?」
「今さっき、橘さんと抜け駆け禁止って──」
「あれ、普通の彼氏彼女のすることの一番最後まではしちゃダメっていう意味だよ。そこまでは全部していいんだよ?」
「そうなの!?」
俺の知らないところでそういう取り決めがされたらしい。
「しかし、橘さんがよく許したな。最後までしないっていっても、自分は恥ずかしくてなにもできないのに」
「桐島くんの実家、私はいけないでしょ?」
俺の家には先に橘さんがきて、彼女として母と仲良くなった。その裏返しとして、早坂さんはもう俺の家には少なくとも彼女としては入れない。
「そのぶんを橘さんが譲ったのか」
「うん」
だからね、と早坂さんは俺の胸板に口をつけながらいう。
「最後のギリギリのところまで、しよ」
「いや、お母さんがむこうの部屋で寝てるだろ」
「大丈夫だよ、一度寝たら朝まで起きないし」
「それに、お姉さんの部屋であんまそういうことするのは……」
「もういいよ、そういうの」
早坂さんの瞳が虚ろになる。