わたし、二番目の彼女でいいから。4

第28話 桐島事変②

「司郎くんに、早坂さんのほうにいってほしくない。私のそばにいてほしい……」

「でも、もし早坂さんがヤケを起こしてなにかあったら、橘さんもつらいだろ」

「そうだけど……」

「一緒でいいからさ」

「うん……」


 俺は右手にしがみついた橘さんをずるずる引きずって階段を下り、左手で早坂さんの手をつかむ。


「ほっといてよ~!」


 ダダをこねる早坂さん。でも俺が追いかけてきたことで、一瞬、口をとがらせながらもちょっとだけ嬉しそうな顔になる。しかし、俺の反対側の手をみて、また、うわ~んと泣く。


「なんで橘さん連れてきてるの~!!」

「いや、これは……三人で話し合いをしようというか、なんというか……」

「話し合うことなんてないよ、だってもうルールで決まったんだもん!」

「司郎くん、ちょっとどいて」


 橘さんがムスッとした顔で、早坂さんと対峙する。


「なんで橘さんがついてきてるの?」

「ついてくるよ。ふたりきりにしたら、なにするかわからないし」

「なにかしたの橘さんじゃん!」


 早坂さんが胸を張り、マウントをとるように橘さんに押しあてる。

 え? ここで怪獣大戦争はじまんの?

 なんて思っているうちに、早坂さんが感情にまかせていう。


「橘さんの……む、むっつりスケベ!」

「す、すけっ!」


 橘さんは顔を真っ赤にしながら、心外だとばかりに口元に手をあてて背を反らす。


「だってそうじゃん! しれっとした顔で、旅行にいって抜け駆けしてさ!」

「そ、それは早坂さんが焦らせるからでしょ! いつもいつも司郎くんのこと誘惑して、そ、その──」


 橘さんも胸を張って、早坂さんを押し返していう。


「その……ど、どスケベな体を使って!」

「ど、ど、ど、どすっ! も~オコッタ!」


 早坂さんと橘さんがわちゃわちゃしはじめる。

 ホームの階段の途中で揉み合いをはじめたものだから、俺はふたりのあいだに入って止めようと思い、一歩踏みだし──。

 そして──。

 自分の足につまずいて、二十七段も転げ落ちたのだった。



「お、お、お、お前が勝手に落ちて流血しただけじゃねえか~!!」


 浜波の声が病室に響き渡る。


「二度と『桐島事変』とか大層な呼称を使うな~~!!」

「厳しいなあ」

「もうツッコミきれませんよ!」


 浜波はひと息つき、椅子に座りなおしてからいう。


「で、体は大丈夫なんですか?」

「頭の傷はなんともなくて、入院してるのは脳震盪を起こしたからなんだ」


 二十七段も落ちたものだから念のために検査をして、経過観察したほうがいいという話になり、入院することになった。

 事情を知った橘さんのお母さん、玲さんが費用を払ってくれた。


「それでこんな豪華な個室にいるわけですね」

「別に大部屋でもよかったんだけどさ」


 なんて会話をしていると、突然、浜波が黙り込む。

 神妙な顔つきで、廊下へとつづく扉をみつめている。


「どうかしたか?」

「浜波レーダーが反応してるんです」

「なんだそりゃ」

「めんどくさい女の子を察知する探知機です」


 そういって、髪の毛をつまんであげる。


「桐島先輩たちと関わるようになって体得しました」


 廊下から、ローファーがリノリウムの床を打つ音がきこえてくる。


「むむ、かわいさ指数カウントストップ! しかし、めんどくさい係数インフィニティ! これはおそらく早坂先輩か橘先輩のどちらかでしょう!」

「怒られても知らないからな」


 病室の扉が開く。

 しかし、入ってきたのは早坂さんでも橘さんでもなかった。

 ショートカットの、凜とした雰囲気の女の子。まったく見覚えのない制服を着ている。

 俺が首をかしげていると、女の子は気まずそうに視線をそらす。


「ん~?」


 浜波が目を細めて女の子をよくみる。


「すっきりした顔立ち、猫っぽい目つき、顔の系統はちがいますがどことなく誰かに似ているような……泣きぼくろが右目の下にありますが、左目だと……」


 そこで女の子がぺこりと頭を下げる。


「い、いきなりきてすいません」


 そういいながら、緊張しているのかショートカットの髪を指でくるくるといじる。

 みたことのある仕草。


「お、お久しぶりです……橘みゆきです」

「あ!」


 橘さんの、中学三年生の妹だった。柳先輩のフットサルに人数合わせに連れてこられて、ひとりでボールを蹴っていた女の子。


「ごめん、すぐにわからなくて」

「いえ、髪を切ったので」


 小さい頃からずっとこんな感じなのだという。


「あのときは陸上部を引退して、ちょっと伸ばしてたんですけど、なんだか自分がよくわからなくなったというか、姉に似すぎていた気がして……」


 ショートになったみゆきちゃんはみずみずしく、ボーイッシュで、いかにも潑溂とした年下の女の子といった印象だった。


「とりあえず、座る?」

「いえ、大丈夫です。今日はその……謝りにきただけなので……」

「謝る?」

「クリスマスの件です」

「ああ」


 あの日、俺は浜波とホテルのパーティー会場にいって、クリスマスプレゼントを橘さんに渡そうとした。いろいろあって、プレゼントだけ会場に置いて去ろうとしたところ、そのプレゼントをみゆきちゃんがダストボックスに入れた。

 みゆきちゃんはそのことをずっと申し訳なく思っていて、玲さんから俺が怪我をしたときき、お見舞いも兼ねてやってきたのだという。


「別に気にしなくていいよ、最後はちゃんとお姉ちゃんに渡してくれたんだろ」


 翌日、橘さんはしっかりプレゼントのマフラーを巻いてきた。


「でもすごい失礼なことしちゃったなって……私、恋愛のことよくわからないから、柳さんがいるのにって勝手に怒っちゃって。でも姉は、好きなのは桐島さんだけだっていうし、私変なことしてしまったみたいで……」


 みゆきちゃんはうつむきながらいう。


「私、桐島さんのことキライっていっちゃったりもしたし……」

「それはいいと思いますよ!」


 浜波が口を挟む。


「お姉さんをツインテール小学生にしていかがわしいことをしていた男をキライになるのは当然です! 断固支持します!」


 いや、あれはどちらかというと橘さんの方から、と言い訳したいところだが、姉としての威厳もあるだろうから、俺は特になにもいわない。


「いずれにせよ、本当にごめんなさい」


 みゆきちゃんがうなだれる。とても正しくて、真面目な女の子なんだと思う。


「いいよ、俺、ホントに気にしてないから」


 そうですか、とみゆきちゃんが顔をあげる。


「姉のいうとおり、桐島さんは心の広い人なんですね」

「橘さんそんなこといってたの?」

「はい。部屋で一緒に話したんですけど、恥ずかしそうに枕で顔を隠しながら、『司郎くんは優しくて、かっこよくて、私の初恋の王子様だから』っていってました」


 家族に向かってすごいこというな。


「あ、そうだ、これ。お見舞いに持ってきたんです」


 みゆきちゃんがカバンの奥をごそごそとあさり、なにか取りだす。

 それは五十円くらいのチョコバーだった。

 俺と浜波の視線がチョコバーに集中したところで、みゆきちゃんが顔を真っ赤にする。


「わ、私もこういうときは花束とか、ちゃんとした菓子折りを持ってきたほうがいいことはわかってます! でも、その……おこづかい、すぐに使ってしまうので……」


 うつむきながら、消え入りそうな声でいう。しっかりしているようで、ちょっと抜けている。

 橘さんとどこか似ていて、血統なのかもしれない。


「ありがとう、甘いもの食べたかったんだ」


 そういって俺はチョコバーを受けとろうとする。

 しかし、みゆきちゃんは派手なお菓子の袋から手を離さない。


「みゆきちゃん?」

「桐島さんって、男の人なんですね」

「へ?」


 チョコバーを懸け橋に、俺とみゆきちゃんの指先がふれあっている。でも、みゆきちゃんはそんなこと気にせず、じっと俺の手をみつめていた。


「すごく大きい……」

「あ、うん」

「血管が浮いて、なんだかたくましくて、私の手と全然ちがう……」

「えっと」

「桐島さん、大人の男の人なんだ……」

「みゆきちゃん、俺の声きこえてる?」

「え? ふぁみっ!?」


 みゆきちゃんは我に返ったようで、あわててチョコバーから手を離した。


「わ、私、なにか変なこと口走ってました?」

「いや、特に」


 俺がいったところで、「ごほんっ!」と浜波がわざとらしく咳払いをする。そして目を細め、なんともいえない表情でいう。


「ところで、みゆきちゃんは中学三年生ですよね?」

「は、はい」

「受験に向けて忙しい時期なんじゃないですか?」

「今日もこのあと塾にいきます」

「ここで油を売っていていいんですか?」

「たしかにそのとおりです。桐島さんの負担になるわけにもいきませんし……」


 失礼しました、とみゆきちゃんは丁寧に頭を下げ、なぜか小走りで部屋をでていった。


「おい、ちょっと感じわるかったぞ。追いだしたみたいで」

「いいんですよ」


 浜波レーダーです、といって、また髪の毛をつまんで立てる。


「桐島先輩もみゆきちゃんも、私に感謝するときがきますよ」

「なんだそれ」


 まあ、そんなことより、と浜波はつづける。


「どうするんですか?」


 早坂先輩と橘先輩。

 私、わかるんですよ、と浜波はいう。



「さっき話した桐島事変、あれ、脚色してますよね? ホントはもっと、ひどいことがあったんじゃないですか?」



 退院後、初めて登校する日のこと。

 俺は少し迷ったけど、早坂さんがクリスマスにくれたニット帽をかぶって家をでた。俺たちの関係がどうなったのかはわからない。

 いずれにせよ、早坂さんと橘さんが俺を共有するモラトリアムは終わった。


『あれ、脚色してますよね?』


 病室で浜波はいった。そのとおりだ。

 東京駅で起きた後半の出来事を、俺はデフォルメして、ポップでキャッチーにして、一部出来事を省略して話した。本当は、もっと激しかった。

 ふたりは鋭い感情をぶつけあって、互いに深く傷つけあった。

 早坂さんは声が嗄れるほど泣いたし、橘さんも普段からは想像できないほど声を張っていた。

 俺が階段から落ちたことで強制的に中断したが、その決着はまだ着いていない。そのつづきを、これからやらなければいけない。そう思うと、学校へ向かう足取りは重い。

 入院中、ふたりとは会わなかった。気にしなくていいと俺がいった。脳震盪を起こして意識が朦朧としながらも、ふたりがショックで取り乱す姿が目に焼き付いていた。早坂さんは感情を失ったように呆然としていたし、橘さんは髪をかきむしるように動揺していた。

 平気だから、すぐ退院するから、だから安心してほしいとメッセージを送った。

 早坂さんからは一度、着信があった。ずっと泣きながら謝っていた。

 橘さんからは「ごめん」とだけメッセージがあった。玲さんの話では、部屋に閉じこもって塞ぎ込んでいるとのことだった。

刊行シリーズ

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