わたし、二番目の彼女でいいから。4

第29話 健全早坂さん③

 にっこり笑う早坂さん。

 俺は思わず早坂さんを抱きしめていた。


「えへへ、桐島くんが優しくてうれし~」


 早坂さんは、自分の大切な思い出のなかに俺を入れてくれたのだ。

 そして理解した。俺はこれまで、早坂さんの好きという気持ちに頭からつま先まで浸かっていた。そして早坂さんもまた、俺からの好きという気持ちに頭からつま先まで浸かりたいと願っているのだ。

 だから、今こそ俺の好きという気持ちを早坂さんに惜しみなく注ぐときだと思った。

 そうすることなんて簡単だ。

 俺はこの屈託なく笑う早坂さんが好きだ。腕にさらに力をこめる。


「桐島くん苦しいよ~」


 笑いながら、もたれかかってくる早坂さん。


「俺もうちょっと早坂さんといたいんだけど」

「いいよ」

「門限は?」

「桐島くんと一緒だったらお母さん、なにもいわないよ」


 早坂さんのお母さんの俺に対する評価は非常に高いらしい。真面目そうだし、早坂さんが俺と付き合うようになって、勉強を一生懸命するようになったからだという。


「桐島くんにまた会いたいっていってたよ」


 早坂さんからは幸せの香りがした。一緒になれば人生が上手くいく。ルックスがよくて、真面目で、一途で、愛想がよくて、家庭的。結婚するなら早坂さん。そういわれる理想の女の子がそこにいた。

 俺たちはデパートをでて、夕暮れの街を歩いた。


「私、マンガ喫茶も入ったことないんだ」


 そういうので、ふたりでマンガ喫茶に入った。こんなにきれいなんだね、と早坂さんは物珍しそうに店内をみまわしていた。俺が受け付けを済ませると、早坂さんはさっそくドリンクバーに向かった。


「みて~。メロンソーダにアイス入れてみた~」


 お手製クリームソーダを片手に持った早坂さんを連れて、部屋に入る。空いているのがそこしかなかったため、カップルシートだった。


「な、なんか照れるね」


 パソコンがあって、マットレスが敷かれていて、クッションが二つ置かれている。それはほんの少し、ベッドを連想させる空間だった。でも、俺たちは健全だった。

 寝っ転がりながら、ふたりで一冊のマンガを読んだ。時折、顔をみあわせて笑い、まるで仲の良い犬と猫みたいだった。

 流れが変わったのは、となりのカップルシートから声がきこえてきたときだ。


「き、桐島くん、これって──」

「ああ」

「ダメだよね?」


 もちろんだ。でも、となりのカップルシートでは、おそらくそういう行為がおこなわれていた。防音の個室じゃないから、声を押し殺しているようだが、やはりきこえてくる。


「ねえ桐島くん、私たちも、その、ちょっとだけ……」


 早坂さんが熱っぽい目でみてくる。ここはマンガ喫茶で、いつもなら俺がダメだっていって、でも早坂さんが暴走する感じになるところだけど、今の俺はとにかく早坂さんに愛を注ぎたい。

 さっきそう決めたから。

 だから俺は早坂さんを抱きよせて、キスしようとする。しかし──。


「だ~め」


 口に人差し指をあてられる。


「え?」

「そういうことは大人になってからにしよ? せっかくここまで我慢してきたんだから」


 それからどうなったかというと──。


「桐島くんは動いちゃダメだよ」


 俺はただじっとしていることしか許されなかった。早坂さんはそんな俺にくっついて、「好きだよ」といいながら、頰にキスしたり、胸に顔を押しあてたりと、軽いスキンシップを繰り返した。健全早坂さんの基準では、イチャイチャは頰にキスまでのようだった。


「紳士的な桐島くんが好きだよ」


 早坂さんはボディラインがはっきりとわかるニットのセーターを着て、ショートパンツにタイツという肉付きのいい太ももがよくわかる格好をしている。そんな体を押しあてられながら、俺はなにもしてはいけなかった。以前のように、早坂さんの体のやわらかさを感じ、その湿度を感じることを許されない。


「頭なでて~。えへへ、これ好き~」


 俺は思いだしていた。口から糸を引く唾液、汗ばんだやわらかい肌、濡れて色の変わった下着、頰を紅潮させて喘ぐ早坂さん。早坂さんが濡れすぎて、シーツを替えたこともあった。

 でも今、それらをできず、生殺しになっている。

 そんな状況を、小一時間もつづけた。俺は早坂さんに愛を注ぎたいと思ってたから、彼女の望むとおりにしようとした。だから動くなといわれたら、動かなかった。

 でも、おあずけをくらいつづけるうちに、頭がぐつぐつしてきて、思考が変なところに入る。

 いや、おかしいだろ。

 そっちが先に好き好き好き好き好き好きって感情ぶつけてきて、俺の頭とろとろに溶かして愛の漬け物にして、なのに今さら、なんか我に返りましたみたいな顔で清楚になってお子ちゃまみたいなきれいな恋をはじめて、そこからさらに我慢しろってそれはどうなんだ? 俺にだってまちがいなくそういう衝動はあって、この状況でずっと我慢できるわけない。


「桐島くん好き~」


 無邪気にくっつきつづける早坂さん。ニットに強調された胸、布地の少ないショートパンツ、さわりたい。胸をさわりながら、あの湿度を感じたい。


「えへへ、ずっと仲良くしようね~」


 俺だって早坂さんにぶつけられるだけの大きな愛を持っていて、それを今、ぶつけたくてしょうがない。


「桐島くんもキスして~」


 そういってほっぺを差しだしてくる。

 ちがうだろ。

 早坂さんが教えてくれたんじゃないか。愛はとにかく相手に伝えたい力の奔流で、俺はそれをこれまで早坂さんからくらいつづけて、振り回されながらもすごい快感で、早坂さんも俺にそれを求めてたんじゃないか。

 そして今、俺は俺の愛を早坂さんに伝えたい。俺もちゃんと好きだと伝えたい。


「桐島くん、キス~」


 愛は破壊だ。

 俺はもう我慢できなくなって、早坂さんを自分の体の下に組み敷く。


「き、桐島くん……ダメだよっ……ん、んんっ」


 激情にまかせて舌をねじ込む。


「ダメだよ……うあぁ……こんなのされたら……頭バカになっちゃうよ……」


 俺は早坂さんに唾液を飲ませながら口の中を犯しまくる。すぐに早坂さんも舌をからませてくる。ぽってりとした厚みのある舌、よく湿った口内。互いの唾液が音を立てる。


「なんで? なんで? しちゃダメなのに……しちゃダメなのに……」


 すぐにできあがった顔になって目をとろんとさせる早坂さん。

 健全早坂さんと今までの早坂さんの価値観がぶつかって混乱しているようだ。

 でもかまわない。

 俺たちは相手を壊す勢いで好きの押しつけ合いをしてきた。

 早坂さんが好き好き好き好き好きって気持ちをぶつけてくれたように、俺は今、早坂さんに好き好き好き好きって気持ちをめちゃくちゃに押しつける。

 足を押し開いて、ショートパンツの真ん中に、俺はこんなに好きなんだぞ、って感じで服越しにそれを押しつける。


「桐島くん、うぁ……うぁぁあ……これ、うあぁぁ……」


 早坂さんはこれまですごい量の好きをくれた。でも俺はなんか利口ぶってバランスをとろうとするクソバカ野郎だったからそれに応えられなくて、それで早坂さんは、私はこんなに好きなのにって暴走していた。


「桐島くん、こういうの、いけないんだよ……わるい子のすることなんだよ……うぁ……」


 俺たちは愛を投げつけ合って、俺は一方的に押し込まれていた。

 でも攻守交代だ。

 今度は早坂さんが俺の愛に振り回されて、溺れる番だ。

 早坂さんの髪をかきあげ、音を立てながら、耳に舌を入れて舐める。早坂さんが声にならない声をあげる。腰が浮く。耳のなかを舐めまくる。俺がそうなったように、脳をかき回されてほしい。


「ダメだよぉ……生地薄いから……ズボンまで……あ、あっ……い……あっ」


 俺の体の下で悶える早坂さん。

 俺が、完全に早坂さんを攻めている。完封している。

 早坂さんに冷たくして、わかった。俺は本当に早坂さんのことを好きだ。

 橘さんを選んで、早坂さんと別れる可能性だってある。

 でもその最後のときまでは、この好きという気持ちをぶつけたかった。

 早坂さんはいつもこんな気持ちだったのだ。

 今度は早坂さんが俺になる番だ。俺の愛に振り回されて、困って、困って困って困って困る番だ。溺れる番だ。

 早坂さんの体を力いっぱい抱きしめる。足のあいだに体を入れて、強く押しつける。

 どうだ、早坂さん、どうだ。

 俺の感情が早坂さんを圧倒している、俺の感情が勝っている。いいぞ、俺、いいぞ。

 そう思った、そのときだった。


「えへへ」


 早坂さんは照れたように笑う。


「私ね、ちゃんとわかってたよ。桐島くんにも、そういう衝動があること」


 いつの間にか、両手でスマホを持っている。


「でもさ、やっぱりこういうことするのはせめて高校卒業してからにしよ? でないとその辺にいる、相手を大事にしないカップルと同じになっちゃうもん」


 健全早坂さんはそういうと、俺の頰にキスをする。


「大丈夫、ちゃんと桐島くんが我慢できるように用意してきたから」


 そういってスマホを操作する。俺のスマホにポコーンと音がしてメッセージが届く。

 動画だった。早坂さんがうなずくので、再生してみる。

 早坂さんが映っていた。スマホを机の上に立てて撮影したのだろう。定点カメラのようになっている。パジャマ姿で、カメラをみながら恥ずかしそうにしている。

 場所は、早坂さんの部屋だ。


『男の人って、女の子とそういうことしたくなる気持ちってすごいんでしょ?』


 早坂さんが顔を真っ赤にしながら、視線をそらし気味にしゃべっている。


『私のこと大切に想って、桐島くんは私としようとしないでしょ? でも我慢させちゃってるのが申し訳なくて……それで、あやちゃんにきいたら、男の人はそういうとき……その……ひとりでしてるってきいたから……』


 早坂さんは困ったように笑いながらいう。


『……だから、その、お手伝い……したいなって。なにかみながらするんでしょ? 私、今から、その、え、えっちなことするから……それみてしてくれるといいな』


 そういうとカメラから離れ、ベッドに横たわる。


『今から桐島くんのこと考えながらするね』


 こちらを向いたままパジャマに手を入れようとして──。


『やっぱり恥ずかしいから、あっち向くね。ごめんね』


 早坂さんはベッドに横になったまま、カメラに背を向ける。

 なにも動きがないようにみえるが、少し経ったところで、早坂さんが『あ』と小さく嬌声をあげた。


『桐島くん……あっ、あっ……ダメだよぉ……桐島くん……』


 早坂さんの太ももが、むずむずと動いている。耳を澄ませばしっとりとした息づかいと、かすかな水音がきこえる。

 汗ばんでいるのか、パジャマの薄い生地が、ぴったりと体に張りついている。やがて、早坂さんは声を抑えられなくなったのか、うつぶせになって枕に顔を押しつける。

刊行シリーズ

わたし、二番目の彼女でいいから。7の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。6の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。5の書影
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わたし、二番目の彼女でいいから。3の書影
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わたし、二番目の彼女でいいから。の書影