わたし、二番目の彼女でいいから。5
第1話 遠野と宮前②
ワンパクな感じが恥ずかしくなったのか、遠野は手で顔をおおって貝になってしまった。
フォローしようと大道寺さんが、『大丈夫だ、遠野はかわいい!』と何度も連呼していると、『あ、ありがとうございます! でもお世辞は大丈夫です!』と照れた遠野に両手で突き飛ばされ、畳ふたつほど後ろに転がったのち、壁に頭を打ちつけてアパート全体を揺らしていた。
そんな調子で効果があるのかわからない軟弱な男たちとのコミュニケーション練習をしつつ、当日をむかえたのだった。
朝、大きなスポーツバッグを担いでマンションからでてくる遠野に、俺は、緊張するのであれば目じゃなくて胸元をみながら話すといい、と声をかけた。遠野はピースサインをして笑っていた。
「相手は高校のときに試合でみかけた全国区の男子バレーの選手とか?」
「だと思うよ。遠野、インターハイでてるっていってたし」
宮前がさらりという。
遠野、思ったよりすごいやつだったんだな。
「それにしても桐島、やけに遠野の世話やくね」
「俺だけではない。福田くんも、大道寺さんも、その他諸々のやつらもだ」
おそらく遠野には思わず応援したくなるような、なにかがあるのだと思う。
「それに、俺は遠野だけでなく、誰かのためになにかしたいんだ」
「ふうん」
宮前が俺をみる。
「どこまで本気かわからない」
「いや、わかるはずだ。誰もみてないところで酔いつぶれた男を介抱して部屋まで送ったり、マンションのゴミ置き場が散らかっているときに人知れず片付けている宮前なら──」
話している途中で、宮前が不機嫌そうに俺の足を踏みつける。
「そういうの、いわなくていいから」
そして踏みつけたあとで、俺の足元をみながらいう。
「なんで今日は下駄に着流しじゃないの?」
「遠野にいわれたんだ。くるなら普通の格好できてくれって」
「けっこう簡単に折れるんだね」
「いや」
最初は、『これが俺のスタイルだ』と抵抗を試みたのだが、遠野が両手をかかげ、こぶしをぐっと握って、クマが威嚇するようなポーズをとったのだ。遠野はいざというときは腕力に訴える、少しおてんばな女の子でもあった。
「桐島、なんであんな格好するようになったの? 一回生のときはセンスに疑問符はつくけどぎりぎり普通の服着てたでしょ?」
「ぎりぎり……ていうか、宮前も俺のことみてたんじゃないか」
「お向かいさんだし、いきなり着流しになったらびっくりするでしょ」
「なぜ俺が今のスタイルに落ち着いたか。それは話せば長くなる」
「だったらいいや。そこまで興味ないし」
「俺は高校までずっと東京の学校に通ってたんだ」
「え? 興味ないっていったんだけど?」
「流れ着いた京都の地でなにがあったのか……」
「語りだしちゃったよ」
「着流しを着て、胡弓を弾けるようになったその理由──」
「イヤホンどこにやったかな~」
「話は大学一回生、四月にさかのぼる──」
イヤホンをして音楽を再生し、寝たふりまでする宮前に向かって、俺は語りはじめた。
◇
高校三年の四月から卒業するまでの一年間は、勉強の記憶しかない。深夜ラジオを聴きながら、参考書を読み、赤本を解きつづけた。勉強していれば、全てを忘れられた。
進路希望には東京の大学名を書き込み、周りのみんなにもそういっていた。
冬になったところで、ふと、親にもいわずに京都の大学の願書を取り寄せた。京都という場所に特にこだわりはなかった。俺を知るもののいない場所にいけるならどこでもよかった。ただ、京都にはたくさんの大学があるから、そのどこかにはいけるだろうと思ったのだ。
そして俺は京都の大学に合格し、高校の知り合いにはなにも告げず、京都でひとり暮らしをはじめた。
大学一回生の俺は灰色だった。
貧乏アパートの一室に引きこもり、ただ天井の染みを眺め、毛筆に焼き印を押すバイトで稼いだ金をマージャンで溶かすだけの日々を送った。
マージャンで負けるとなんだかすっきりした。罰されているようで、それでいつか自分が許されるような気がしていた。
お金がないものだから、近所のスーパーで異常に安く売られている刺身こんにゃくを、味噌もつけずに食べつづけた。押し入れのなかでもやしを栽培し、部屋のすみに生えてくる謎のキノコも食べた。
こういう閉じた生活のいいところは、俺が誰かを傷つけることがないということだった。このまま誰の迷惑になることもなく生きていこうと思った。
冬になるころには、身も心もやせ細っていた。目を閉じれば、高校三年生のときの記憶がよみがえってきた。勉強ばかりしていた。なにもみないように、きこえないようにしていた。けれど、たしかに後ろ指をさされながら、あれこれといわれていた。その声はしっかり耳に残っている。
俺を糾弾する彼らの声を、暗闇のなかでリフレインしつづけた。
お前が不幸にした。よく学校これるよね。あいつが転校すればよかったのに。
想像のなかの彼らはさらに、ああしろこうしろといってくる。ああすればよかった、こうすればよかったともいってくる。
俺は布団をかぶりながら、存在しない相手との問答をつづけた。
あのとき他になにができた。謝ってこい? ブロックされているのに? なるほど、たしかに本気で探せばみつけられるかもしれない。けれど今さら会ってどうする。向こうは俺に会いたくないという強烈な意思表示をして去っていったというのに。
お前は一生苦しめというなら、それもいいだろう。
俺をもっと罵れ、もっと糾弾しろ。
そんな無限のやりとりをくる日もくる日もつづけた。
俺にあるのは過去だけで、完全にひとりぼっちだった。それこそが俺の望んだことで、完璧に実現していた。しかし──。
ある日、木屋町の飲み屋街をひとりで歩いているときだった。夜の喧騒、楽しそうな人々を横目でみながら、恐ろしいほどの孤独に襲われた。
これからも、こうやって温かいものを遠目にみながら、自分は暗闇で生きていくのだろうか。
思い出にとらわれ、すがりながら生きていくのだろうか。
恐かった。
しかし、どうしても自分に、誰かと関わる資格があるとも思えない。
孤独を恐れ、人と関わることも恐れ、まったく身動きのとれない自分がいることに気づいた。
どうしていいかわからず、途方にくれた。
俺に必要なのは自分自身と世の中の関わりかたと、自分自身と他者との関わりかただった。
なにをどうすればいいのか、誰か教えてくれ。
けれどその誰かは俺のとなりにはいなかった。むしろ俺のとなりには誰もいなかった。
俺は大学の図書館から大量の本を借りてきて読みふけった。
哲学、宗教、文学、それらのなかに、今後、俺がどうしていくべきかのヒントを探そうとしたのだ。けれど、なにもみつけられなかった。
もうダメだと思った。
俺は俺自身によって徹底的に破壊され、もうなにも残っていなかった。
エアコンのないアパートの一室で、俺はすり鉢状にうずたかく積み上げられた本の山に囲まれながら、朽ちていこうとしていた。
傲慢な知識の螺旋のなかで、それは俺にとてもよく似合う最期のような気もした。
「もっと光を……」
それでも希望を求め、しかしみつけられず、全身から力が抜け、もうこのままミイラになるしかないと思った。
そのとき、建て付けのわるい扉のすき間から、数枚の紙が差し込まれた。
大学の講義の内容が書かれたルーズリーフである。
隣室の福田くんだ。
福田くんはなぜか俺のことを心配して、頼んでもいないのに、いつもこうやってノートを渡してくる。おかげで講義をサボりまくっていても、俺が単位を落とすことはなかった。
「どうして……」
俺は扉の前まで這っていく。
「どうして、俺なんかにやさしくするんだ……」
返答はない。もう、いってしまったのかもしれない。がっくりと、うなだれる。
しかし、そのときだった。
「そんなの決まってるじゃないか」
扉ごしに福田くんがいった。
「友だちだからだよ」
福田くんは、ただアパートの部屋がとなりで、同じ講義に何度かでただけの俺のことを友と呼んでくれるのだった。そして、そんなろくでもない友を心配して、こうしてノートまで運んでくれる。
普通、ひとりでいじけているやつに手を差し伸べたりしない。そんなやつほっといて、自分を磨いたり、楽しいところにいったほうが絶対、豊かになる。
くじけている人間を損得なしで、お人好しにも励まそうとするやつなんて、ヒューマンドラマの名わき役くらいしか存在しない。そう、思っていた。でも、現実にそういうことをする人がいることを、福田くんが教えてくれた。
俺は立ちあがり、ずっと閉じていた扉を開いてみれば、光がさした。
「福田くん、俺は君にずっとお礼をいっていなかったな」
「気にしなくていいよ。僕が勝手にやってることだから」
福田くんは人懐っこい笑みを浮かべていう。
「それに、桐島くんは少し自罰的すぎるように思う」
「福田くんは、こんな俺を許してくれるというのか」
「桐島くんが過去になにがあったかは知らない。でも、僕は桐島くんを許せるよ」
福田くんのやさしさに泣いた。
そして気づいた。
俺は孤独になりたかったわけでも、自分を罰したかったわけでもない。
多分、ずっとこうして、ただ泣きたかったんだ。
俺はひとしきり泣いたあと、今までのお礼に買い置きしていた羊羹を福田くんに渡した。福田くんも同じ貧乏アパートの住人なので、甘味の差し入れを大層喜んでくれた。
福田くんが隣室に戻ったあと、俺は福田くんが羊羹を喜んでくれたとき、自分にも嬉しいという感情が湧いていたことに気づいた。
そしてそのとき、俺にひとつの天啓が舞い降りた。
うずたかく積まれた本のなかから、一冊の本をとりだす。
ドイツの哲学者にして心理学者、エーリッヒ・フロムの著書。
『愛するということ』
エーリッヒはこの著書のなかで、愛することの本質は『与えること』と語っている。そして愛するということは生まれつき備わっているというよりも、技術として体得すべきものとしてとらえており、つまり、愛するための日々の鍛錬を要求していた。
俺はここに新しい桐島司郎の在り方をみいだした。俺はいつも与えられる側だった。これからは、与えるものになろう。そう、思った。
福田くんはまちがいなく与える人だった。俺にやさしさを、救いをくれた。彼は俺だけでなく、押し入れで栽培した豆苗をアパートのみんなに分け与えている。彼のようになるべきだ。
それから俺は本当の意味で『愛することのできる人』になるため、与える人になろうと訓練をはじめた。それが俺の世界との関わりかただった。
釣り竿を買ってきて、魚を釣り、怪しいキノコばかり食べている住人たちに料理を振る舞った。
お礼に高下駄を渡された。
いや、高下駄はちがうだろうと思って数週間、玄関に放置していたが、いろいろな事情があったため、履いた。みんな喜んだ。
あるとき、大道寺さんにアパートの廊下で呼びとめられた。当時、大道寺さんは着流しを着ていた。