わたし、二番目の彼女でいいから。5

第1話 遠野と宮前③

「桐島、俺はそろそろこの着流しを脱ぎたいと思っている」

「脱げばいいんじゃないでしょうか」

「しかしこれはヤマメ荘に代々伝わる着流しなのだ。誰かに受け継がないかぎり、脱ぐことを許されていない」


 大道寺さんには社会人になった恋人がいて、その恋人に、一緒に歩くのが恥ずかしいからいい加減脱いでちょうだい、といわれたらしい。

 困っている人がいたら、ほうってはおけない。


「わかりました。俺が着ましょう」


 それから大道寺さんから胡弓の手ほどきを受けた。和装で胡弓が弾ければなんかかっこいいだろう、というのが理由だった。ちなみに大道寺さんの一番の得物は馬頭琴である。

 こうして俺は高下駄を履き、着流しを着て、胡弓を背負う男になった。

 俺は愛を知り、与える男になろうと思ったのだ。

 そして出会った人をことごとく幸せにするために動くという誓いを立てた。エーリッヒ・フロムに倣い、与える人になる。それが今の俺の行動原理だ。

 そして俺はもう孤独ではない。

 遠野が、宮前が、福田くんが、大道寺さんがいる。

 南に病気の子供がいればいって看病してやり、西につかれた母がいれば稲を背負ってやるように、遠野が好きな人に告白できなくて困っているのであれば、一緒に会場までついていってやり、手助けをする。

 そういうものに、私はなりたい。



 体育館、ボールが床を打つ音が響く。

 遠野のスパイクだった。


「なんか、すごいな」


 大道寺さんがいって、俺たちはうなずく。

 応援席から横並びになってコートを眺めていた。

 遠野はみていて気持ちいいくらい高く跳び、鋭い眼光でボールをとらえ、チームメートとハイタッチして喜びをあらわにする。

 清々しい表情で、汗に濡れた髪も爽やかだ。


「遠野さんって、ユニフォームになると人格変わる?」


 福田くんがコートをみながらいう。


「どちらかというと」


 宮前がこたえる。


「女の子の集団のなかにいると強気になるって感じかな。いつもどおりの自分でいられるんだろうね」


 試合は元気いっぱいブンブン丸の遠野の活躍によって、彼女のチームが快勝した。

 声をかけようと、応援席から降りていくと、ちょうど通路からでてきた女子バレー軍団と鉢合わせになった。

 遠野が俺たちをみつけて、集団から抜けだしてくる。


「しおりちゃん、しおりちゃん!」

「ちょっと遠野、汗、汗」


 抱きつこうとする遠野、逃げる宮前。


「あ、福田さんだ」


 遠野は俺たちをみつけると、チームメートに紹介をはじめた。部のなかではムードメーカーかつキャプテンシーのある立場にいるようだった。

 俺たちのことを普段から会話のなかで話しているらしく、遠野が順に福田くんと大道寺さんを紹介すると、バレー部員たちは、「ホントに天然パーマだ~、かわいい~」


「おぉ~、この人が宇宙の!」とリアクションをした。


「そしてこっちが桐島さん」


 遠野がいうと、バレー部員たちが、「着流し!」「釣り人!」「胡弓!」「え? でも、なんで今日は普通の格好してるの!?」と声をあげた。

 女子の集団はかしましい。


「桐島さん、大人気ですね!」


 遠野が肩を組んでくる。汗のぺったりとした感触が服ごしに伝わってくる。


「おい遠野」

「勝利の汗です」


 額の汗をぐいぐいと俺の頭になすりつけてくる。


「ていうか桐島さん、なんで着流しじゃないんですか?」

「え、遠野がそれをきくのか?」

「あれがないと特徴なさすぎですよ」

「着てくるなといったのは誰だったか」

「もっと自分のアイデンティティを大切にしてください」

「クマのポーズでおどされたんだけどな」

「さては女子がいっぱいいるからって色気づきましたね。も~」


 遠野がばし~ん、と俺の肩を叩く。

 一発が重い。

 それにしても遠野、女バレのみんなに囲まれてるとホントにキャラ変わるな。


「遠野さん、その勢いでいけばいいんじゃないかな」


 福田くんがいう。

 告白のことをいっているのだ。遠野は試合のあとに、気持ちを伝えるといっていた。

 そして福田くんのいうとおり、今の遠野はとても自然で、敬語こそ抜けてないものの、俺たちに対しても、いつもみたいに遠慮しすぎることもない。

 女バレの仲間に囲まれながらこのテンションでいってみてはどうか、と俺も提案する。


「集団があれだったら、私だけついていってあげようか?」


 宮前もいう。

 つまるところ、海水に浸かると元気になる海の魚みたいなもので、遠野に女子高のころを連想させるような環境にしてやればいいのだ。しかし──。


「ん~」


 遠野は目を細めて難しい顔をする。


「やっぱりこういうのはひとりで、勇気をだしてするものだと思います」


 遠野は誠実な女の子だった。


「でも、ギリギリまでついてきてください」


 ということになった。

 男子の会場は同じ敷地内にある別の体育館で、そこの入り口まで遠野を見送った。遠野は直前まで俺や福田くんに向かって、「おつかれさまです!」といって練習していた。第一声はそれでいくつもりなのだろう。

 遠野が体育館に入っていこうとする。


「がんばって」

「大丈夫だよ」

「遠野宇宙は今までにない広がりだ」


 みながその背中に声をかける。

 遠野が振り返ってこちらをみるものだから、俺も少し考えてからいった。


「相手に自分の気持ちを伝えるってのはとても尊いことだよ。特に、それが素敵な感情である場合は」


 遠野は深くうなずくと、扉のなかへと消えていった。

 霧雨のなか、俺たちはなんともなしに立ち尽くした。


「遠野、彼氏ができたら桐島とは全然、遊ばなくなったりしてね」


 宮前が意味ありげな視線を送ってくる。


「いいの?」

「別にかまわないさ」


 俺はいう。


「みんなが幸せになってくれたら、それでいいんだ」


 それが桐島エーリッヒという男なのだ。



 帰りの電車では福田くんが大人気だった。

 女バレ軍団と一緒になったのだが、福田くんの天然パーマが彼女たちのなにかを刺激したらしく、「かわい~」ともみくちゃにされていた。


「桐島くん、助けて!」

「福田くん、世間ではそれを幸せというんだよ」


 彼は遠野と同じパターンで、中、高とほとんど男子だけの高校に通っていたというから、こういう経験も必要だろう。

 俺は女子の集団の無限のパワーから逃げるべく、宮前と一緒に、同じ車両のなかでも少し離れた席に座った。


「宮前、孤独癖でもあるのか? 俺がいうのもなんだが……」

「下駄履く人と同じにしないでくれる!?」


 他人と会話するのは苦手ではないという。でも──。


「あの子たち、あけすけなんだもん!」


 宮前は頰を赤くする。

 いろいろと質問攻めにあったらしい。そんなにきれいだったら彼氏がいるんじゃないかときかれ、いないというと、親しい人はいる? ときかれ、いろいろとアプローチされているとこたえると、その人たちとはどこまでいったかという話になり──。

 ひとり暮らしならなんでもできるよね、と、ちょっと踏み込んだガールズトークになったところで逃げだしてきたらしかった。


「……男慣れしているふうにみえてたけど、宮前ってピュアなんだな」

「桐島、しゃべらなくていいから」


 目をグルグルさせたままの宮前、もみくちゃにされる福田くん、女バレ軍団のなかではしゃぐ遠野、たまたま乗り合わせた少年に宇宙について講義をする大道寺さん。

 恵まれた人間関係だと思う。


「じゃあ俺は研究室に顔だすから」


 途中の駅で、そういって大道寺さんが列車から降りていく。


「私もこのあと約束あるから」


 また次の駅で、宮前が降りる。彼女は相変わらず多くの男の誘いを受けてはでかけている。彼氏をつくった様子はない。いろいろな人と、ただご飯を食べたり、デートをしたりしているようだ。俺はそんな彼女の背中をなにもいわず見送った。

 福田くんはまだ女バレ軍団に囲まれている。彼は、身なりはこぎれいだし、誠実さが表情ににじみでているし、将来性もある賢い男だからさもありなん、という感じだ。

 俺は黒子でよいので、特になにもすることはない。だから胡弓の新曲を作曲しようと五線譜の書かれたノートをとりだしたそのときだった。


「ど~ん!」


 遠野が勢いよく俺にぶつかりながらとなりに座ってきた。肋骨が折れたかと思った。


「ずいぶん機嫌がいいな」

「なにせ全部うまくいきましたから!」


 ジャージ姿の遠野、にっこにこである。


「そういえば私のバレーしてるとこ、どうでした?」

「とてもカッコよかった」

「カッコよくありませんでした!?」

「話きいてる?」

「なんだか、はしゃぎつかれて眠くなってきました」

「自由すぎる……」


 遠野が目を閉じ、寝息をたてはじめる。

 試合のあとでつかれもあるだろうからと、そのまま、そっとしておいた。

 しばらくしたところで、遠野が俺の肩にもたれかかってくる。

 福田くんはまだ女子たちとの会話に手いっぱいの様子だ。

 電車はそのまま進んでいく。

 いまだ乗りなれない、京都の電車。ずいぶん遠くにきたものだ。

 新しい場所で、新しい人たちと関係を築く、新しい桐島司郎。

 これでいい。これが正解なのだ。そんなことを自分にいいきかせているうちに──。


「遠野、降りるよ~」


 女バレ軍団のひとりがやってくる。みんなで今から試合の祝勝会をするらしい。


「はっ!」


 遠野が目を開けて体を起こす。


「すいません、ホントに寝てしまいました!」


 遠野は照れたように笑う。


「桐島さん、今日はありがとうございました! これからもよろしくです!」


 遠野はぺこっと頭を下げると、部の仲間たちと一緒に列車を降りていった。

 女バレ軍団から解放された福田くんが俺のとなりにやってくる。


「すごい人気だったな」

「天然パーマがこんなに威力を発揮するとはね」

「いつもより巻いているからだろう」

「湿度が高いから」


 福田くんとふたりきりになると、格別落ち着いた空気になった。彼の人徳のなせるわざだ。


「それにしても遠野さん、いつもにまして元気だったね」

「うまくいったからな」


 そこで福田くんが「ふふふ」と苦笑する。


「全部、僕たちの勘ちがいだったんだね」

「あれは遠野もわるい。大切な人に想いを伝えるといわれたら、誰だってそう解釈する」


 遠野のあれは、結局、告白でもなんでもなかった。

 同じ会場でバレーの国際大会もおこなわれていたのだ。

 遠野は俺たちに見送られ、体育館に入った。そして、しばらくするとガッツポーズをしながらでてきた。誇らしげにみせてくるジャージの背中には、マジックでサインが書かれていた。

 イタリアの有名な男子バレー選手のサインだった。

 オリンピックのメダリストでもあり、遠野は高校生のころから彼の映像を研究して、同じように鋭いスパイクを打とうと練習していたらしい。

 そして大会のために来日していると知り、絶対にサインが欲しかったのだという。


「男子に話しかける練習よりも、イタリア語を練習したほうがよかったんじゃないかな」

「身振り手振りだけでサインをもらってくるんだから、いかにも遠野らしいよ」


 なんとも脱力する話だった。

 俺たちは今日一日のつかれもあって、なんとなく黙って、車窓の風景をただ眺める。

 やさしい雨に包まれた古い街並み。


「なにはともあれ」


 俺は窓の外、傘をさして通りを歩く人をみながらいう。


「よかったじゃないか。全部勘ちがいで」

「え?」

「好きなんだろ」


 俺がいうと、福田くんは照れたように頭をかいた。


「まったく、桐島くんにはかなわないな」


 そして、少しはにかみながらいう。



「うん。僕は遠野さんのことが好きだ」

刊行シリーズ

わたし、二番目の彼女でいいから。7の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。6の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。5の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。4の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。3の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。2の書影
わたし、二番目の彼女でいいから。の書影