わたし、二番目の彼女でいいから。7
第18話 全力彼氏生活 ②
「いや、ヤバいですって。すぐに破綻して大変なことになりますよ」
「そうならないために、いくつかルールをつくった」
「またルール!!」
浜波が白目をむく。
「いつもそれで失敗してるじゃないですか! 無理です! 学ばない人類!」
「否定や批判から入るのは簡単だ。でも人生を前に進め、なにかを成すために必要なことは前向きな心と、受け入れる懐の深さ、そして行動するということだ」
「桐島先輩以外がいっていれば、さぞ含蓄のある言葉にきこえたことでしょう!」
それより、と浜波がきょろきょろと辺りを見回しながらいう。
「ここ、どこ!? 山なんですけど!!」
そのとおりだった。
俺たちは山にきていた。午前中の講義にでたあと、午後の講義がなかったから、キャンパス内を歩いている浜波をみつけ、つれてきたのだ。
「どこかときかれれば、東山三十六峰のひとつ、阿弥陀ヶ峰とこたえるほかないな」
「そういう話をしてるんじゃないんです!」
浜波は、登山道の途中で拾った手に持つのにちょうどいい木の枝をぶんぶん振りながらいう。
「なんで山なんか登ってるのか、ってきいてるんです!」
「それについてだが――」
「あとなんですか、その格好! 前よりパーツ増えてるんですけど!」
俺は今、桐島京都スタイルの格好をしている。着流しに下駄。ただそれらだけでなく、背中に柳行李を背負い、頭には編笠をかぶっていた。柳行李とは柳を編んでつくった葛籠のひとつで、いってしまえば昔風のカバンである。
「これは、桐島山頭火だ」
浜波がすん、とした顔になる。
俺はもう一度いう。
「桐島山頭火スタイルだ」
「それって、種田山頭火ってことですよね――」
種田山頭火といえば、托鉢をしながら各地を流浪し、自由律の俳句を詠みつづけた俳人だ。
代表的な句として、『分け入つても分け入つても青い山』というものがある。
「え? つまり桐島さんは自分を山頭火になぞらえてそんな格好をしていて、山に入っていく句があるから、登山をしているということですか? それに私は付き合わされてるってことですか?」
「あの句には前段がある」
「すでにいいたいことは山ほどありますが、いったん、ききましょう」
「『大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。』とある。つまり、山頭火先生は解くすべもない惑ひのなかにいらっしゃったのだ」
「なるほど、それがどうこの登山につながってくるのでしょうか」
「浜波は今の俺を取り巻く状況を知れば、『先輩はこの状況をどうするつもりなんですか!?』って絶対きくだろ」
「そうですね。出口戦略は大事ですからね」
「そこで俺はこうこたえるのだ」
俺は咳ばらいをしていう。
「――大学二回生の冬、桐島司郎は解きようのない惑ひのなかにいた」
「うるせ~!!」
浜波が木の枝を投げつけてくる。
「ていうか、そのセリフいうためだけに私に登山をさせるな~!!」
「いや、おっしゃるとおり」
「え、それよりちょっと待ってください」
浜波が急に深刻な顔をする。
「今、解きようのない惑ひのなかにいるっていいましたよね? それってストレートにいうと、桐島先輩、どうしていいかわからないってことですよね? 解決の糸口がみえてないってことですよね? いつもならプランがあるのに――いえ、失敗するんですけどね。でもノープランとなると、ホントにブレーキがないじゃないですか。あの怪獣たちにはどうせブレーキないんだから! 地獄に直角で落ちていくジェットコースター!」
「一気にしゃべるじゃん」
俺は柳行李を地面におろし、蓋をとってなかから水筒をとりだし、お茶を入れて浜波に手渡した。浜波はそれを飲んで喉を潤す。ライブで曲と曲のあいまに水を飲むミュージシャンみたいだ。
「この状況をどうすればいいか、考えがないわけではないんだ」
俺はいう。
「でも、まずは彼女たちの気持ちを受け止めたい」
もちろん、別の判断だってありうることはわかっている。
いつもそれで失敗してるじゃないか。やり方を変えるべきだろう、と。
でもそれはやっぱりピッチの外、テレビの前で試合をみている人の意見だ。
実際にピッチに立って試合の当事者になれば、みえる景色はちがう。
そこにあるのはリアルな主観の感情だ。
もちろん、ピッチの中にいながら、外からみたときと同じ考え方をするやり方はある。
鳥の視点、俯瞰、自分を客観視するということ。
俺もそれをやろうとすることはある。
でも――。
恋愛においてそれをするかといわれると、本気で愛し愛されるという場面でそうすべきかというと、きっとそうじゃない。一時の感情が真実になりえる局面で、それは説得力を失う。
なにより俺はとてもじゃないけど、冷静な顔はできない。
なぜなら――。
「俺は宮前が泣いているところをみた」
宮前がくれた贈り物を、俺は一度捨てた。宮前はそれをゴミ捨て場でみつけ、号泣しながら拾って、抱きしめながら桜ハイツに入っていった。
「その背中を、俺は忘れることができない」
「桐島先輩……」
「今の宮前はよく笑うんだ。とても幸せそうに笑う」
宮前は俺にくっついて眠る。俺が寝返りを打つと、しっかり背中についてくる。朝になってもしがみついていて、俺のパジャマによだれをつけたまま眠っている。口元を拭いて起こすと、『桐島がいる~!!』と幸せそうに笑うのだ。
「宮前の笑顔はそんな簡単に奪っていいものじゃない。少なくとも、しっかり受け止めるべきなんだ。そして俺自身、宮前には笑っていてほしい。だから、今回も彼女たちの感情に向き合うチャレンジをしたい」
「気持ちはわかりますが――」
浜波はあごに手をあてて考えるような顔をしてからいう。
「まあ、物事の本質はプロセスですからね。恋の結論がどうあれ、一度、桐島先輩が悩みながらもあの女子たちの気持ちを受け止めるという段階があってもいいのかもしれません」
そのとおりだった。
また、いつものように失敗するかもしれない。
しかし結論が同じであったとしても、そのプロセスが大事なのだ。人生の結論が死しかなくても、生きることに意味があるように。
「わかりました。私もそこは支持しましょう。失敗を積み重ねた末、その最後に成功があるかもしれませんし」
「ああ。とりあえずがんばってみるよ。恋人いっぱい全力彼氏生活」
「言葉にするとホントにろくでもないですね!」
なんてやりとりをしているうちに、柳行李にいれていたスマホが震える。通話ボタンを押せば宮前からだった。
『桐島~』
どうしたんだ、と俺はきく。
『私ね、土曜日空いてるんだ。だからさ、一日デートしたいなって思って……ダメ?』
「いいぞ」
『やった!』
宮前の嬉しそうな声。それから時間と待ち合わせ場所を決めて通話を切った。
「ずいぶん甘やかすんですね」
「俺に拒否権はないんだ」
「え、またルールつくってるんですか? それ、いつもの『私たちのいうことは絶対!』ってやつですよね。今回もあるんですか!?」
「ああ」
「己の決定権をたやすく他人に委ねるな~!」
ていうか、と浜波はつづける。
「宮前さんが幸せそうだってのはわかりました。しかし早坂先輩と橘先輩はどんな感じなんですか? ラブホの前で、桐島先輩と宮前さんがでてくるのを目撃して、ふたりはぷんすかしてたわけですよね? 桐島さんがみんなに向かって全力彼氏することに納得してるんですか?」
「今のところ問題はなさそうだ」
「ホントですか?」
なんてやりとりをしていると、スマホがまた震える。着信だ。画面には、『早坂あかね』と表示されている。俺は通話ボタンを押す。
「早坂さん、なにか用か?」
『うん。私とは全然そういうことしないのに宮前さんとはすぐにした桐島くんにお願いがあってさ』
「ほら、怒ってる! 桐島先輩にいいたいこと絶対いっぱいある!」
『土曜日、デートしたいなって』
「ぶつけてきた~!!」
「いや、その日はちょっと用事があるんだ」
『どんな用事?』
「宮前と出かける予定があるんだ」
『そうなんだ。でも私もその日にデートしたいんだよね』
「口調はにこやかだけど、まったく引く気配がない!」
「そうだな。そういうことなら、なんとかしないとな」
「変なところでポジティブ!」
『ちゃんと、ふたりきりでデートしたいんだよね。丸一日』
「さらに無理難題ふっかけてきた!」
「――なかなか難しいな」
「桐島、負けるな、ダブルブッキングなんてするな!」
『そうだよね。難しいよね。でもさ』
早坂さんは、にっこり笑ってるんだろうなあ、とスマホ越しでもわかるくらい明るい口調でいう。
『桐島くん、私たちのいうことは?』
「絶対」
ということで、早坂さんとも土曜日にデートすることが決まり、通話は終わった。
「アホ~!」
さっきからこまめに合いの手を入れていた浜波がいう。
「今すぐそのルールを撤廃しろ~! その、いうことは絶対ってやつ~! ろくなことにならないから!」
なんて浜波がいっているうちに、またスマホが震える。画面には、『橘ひかり』と表示されている。
「どうかした?」
『うん、女の子とヤりまくり司郎くんにお願いがあって』
「火の玉ストレート!!」
『土曜日、デートしたいんだよね。ふたりきりで、丸一日』
「潰しにきてます! この女たち、桐島先輩を潰しにきてます!」
「わかった、なんとかしよう」
「トリプルブッキング! きいたことない!」
『楽しみにしてるね』
ということで宮前と早坂さんと橘さん、三人と土曜日に、ふたりきりで丸一日デートすることが決まり、通話は終わった。
俺はスマホを柳行李にいれ、編笠をかぶりなおす。
「浜波、そろそろ下山しようか。週末にむけて、俺も準備しないと」
「正気!?」
「全力彼氏として、三人を満足させるデートをしないとな」
「物理的に不可能では!?」
「どこにいこうかな」
俺は登山道をくだりはじめる。
「あ、こら、桐島、ちょっと待て、冷静になれ。三人同時にデートなんてできるわけない!」
「橘さん、最近、動物が好きっていってたな」
「おい、桐島、戻ってこい! 死ぬぞ~!」
阿弥陀ヶ峰に浜波の声が響いたのであった。
◇
迎えた土曜日、俺はまたもや洋服でヤマメ荘をでた。和服のオプションもあるといったが、三人とも拒否した。
自転車で京都の街中にゆき、駐輪場に自転車を停める。待ち合わせのカフェにいくと、宮前がすでにテラス席に座っていた。
宮前はなんだか、そわそわとしていた。俺はいつも待ち合わせの五分前にはつく。今日は準備に手間取って、ぎりぎりになってしまった。宮前にとっては、いつもの五分前に俺があらわれなかったことが不安らしい。
俺のスマホにポコンとメッセージが届く。
『私もうついてるよ〜』