わたし、二番目の彼女でいいから。8

第25話 ヒロインレース ④

「も~!」


 早坂さんにもいわれて、俺はやけっぱちでいった。


「5、4、3、2、1、スタート!」


 瞬間、二台の車が急発進する。

 最初に前にでたのは橘さんの車だった。

 そのあとに早坂さんの車がぴったりとついていく。峠の景色がすごい速さで前から後ろに流れていく。風を切る音、ゆれる車体、うなるエンジン音。


「やっぱり加速はあっちがうえね」


 早坂さんがハンドルを握りながらいう。


「でもコーナーなら――」

「俺、このテンションについていかなきゃダメ~!?」


 最初のコーナーがみえてきたところで、スピーカーから橘さんの声。


『私のロードスターについてこれるかしら』


 橘さんのマツダはトップスピードでコーナーに突っ込んでいく。そして次の瞬間、車の横腹をこっちにみせていた。


「当たり前みたいに四輪ドリフトするじゃん……」


 俺がいった次の瞬間、早坂さんも思い切りハンドルを切る。

 タイヤがアスファルトと擦れて、甲高い音を立てた。

 二台の車は平行になり、滑るようにしてコーナーを曲がっていく。


「ぎょえ~!!」


 俺は天井のあたりについている取っ手を握って涙を流す。

 ガードレールぎりぎり数センチのところ、かすることなく二台の車はコーナーをでていく。


「なにこれ~!!」


 前にでたのは、やはり橘さんの車だった。

 なにごともなかったかのように、また加速して走っていく。


『この峠で誰が一番速いか教えてあげるよ』


 スピーカーからきこえる橘さんの冷静な声。

 一方、早坂さんは追いつめられた表情だ。


「コーナーのからの立ちあがり、加速ではどうしても負けてしまう。どうすれば……」

「俺を乗せとく必要ある!?」


 テールランプの赤い光が尾をひく。

峠をくだっていく二台の車。

 二つ、三つとコーナーをこなしていく。そのたびに俺は悲鳴をあげる。でも、橘さんも早坂さんも平然とドリフトをやってのける。ガードレールまであと数センチ、二台の車間も数ミリという状況のなか、車体を滑らせて曲がっていくのだ。

 ただ、橘さんの車がやはり前をゆずらない。


『なかなかやるじゃない』


 橘さんはいう。


『まったくミスせず私についてくるなんて』


 一方の早坂さんは、こめかみに汗が伝っている。


「インコースを必ずしめられる……橘さん、なんて賢いコース取り……どうすれば……」


 よくわからないけど、早坂さんが苦戦しているようだった。


「ここは少し無理してでも――」


 直線で、早坂さんがアクセルを強く踏み込む。

 加速して、俺の背中がシートに押しつけられる。まちがいなく速度はあがっている。そうやって追い抜こうとするけど、そのコースを、前を走る橘さんがしっかりふさぐ。

 右へいけば右に、左にいけば左に。


「橘さん、まちがいなくこれまでこの峠で戦ってきた相手のなかで一番強い……」

「俺、早坂さんのことまだわかってなかったみたいだ」

「でも、どこかに勝機はあるはず」

「これ、まだつづくの?」


 と、俺がいったときだった。


「あれ、試してみよっかな」


 早坂さんは前をみすえながらいう。


「うん、やってみよう」

「え? なに?」


 どうやらこの戦いはクライマックスに向かっているらしい。早坂さんが車内のスピーカーから音楽を流す。アップテンポな電子音。


「ユーロビート!? なんで!?」


 吹きあがるエンジン。

 橘さんがスマホのスピーカー越しにいう。


『ラストの二連続ヘアピンカーブは難易度Xよ』

「難易度Xってなに!?」


 橘さんのマツダは速度を保ったままコーナーに入っていく。


『このコーナーでのライン取りの正解はひとつしかないし、数センチのミスも許されない。その車でできるかしら?』


 早坂さんのスバルもそのままの速度でコーナーに突っ込んでいく。


『インでくる? それともアウト?』


 早坂さんが選んだのはアウトコースだった。

 二台の車が、また並走し、滑りながら曲がっていく。コーナーがきついのか、タイヤが悲鳴をあげる。


『初見でこのコーナーを見切るなんて、なかなかいいセンスね』


 と、橘さん。

 俺はドリフトの慣性で振り回されながらいう。


「いや、早坂さんこの峠を走り込んでる設定で話してたから。そういうとこ、あわせていこ!」


 いずれにせよ二台の車は最終コーナーでデッドヒートを繰り広げる。


『でも、これならさっきまでと変わらない。コーナーの立ちあがりで私が勝つ』

「それはどうかな」


 早坂さんがいう。


「ここの二連続ヘアピンカーブはS字になってる。だから――」


 慣性をきかせたまま、早坂さんが反対側に急ハンドルを切る。

 二つ目のコーナー。

そう、S字の最初をアウトで入った早坂さんは、次のコーナーで――。


『スバルにインにつかれた!?』


 橘さんが驚きながらいう。


『でもそんな速度で突っ込んだら曲がり切れるわけ――え? どうして!?』


 早坂さんのスバルはぴったりインについて曲がっている。


『そんなことできるはずない! 普通は曲がり切れない。だって、最初のコーナーをインから入った私のほうが、次のコーナーでアウトインアウトで有利をとれるはずなのに』

「橘さん、めっちゃ知識あるじゃん!」

「そうだね。普通はこんな速度で二つめのコーナーにインから突っ込んだら、アウトにとばされるよね。でも――」

『まさか、内輪を側溝に!?』


 二台の車は完全にならんだ状態で最終コーナーをでていく。

 ユーロビートもちょうどサビがくる。

 なんか、もう、すごい。


『まさか、私のロードスターが街乗りのスバルをちぎれないなんて……。でもコーナーで互角なら直線で!』

「たしかに橘さんのロードスターのほうが加速は強い。でもあれだけコーナーを曲がっていればタイヤのグリップが弱ってるはず!」

『負けない!』

「絶対に!」


 こうしてふたりは夜の峠を、最高速度で駆け抜けていったのだった。



 夜の虫が鳴いている。

 峠のレースのあと、ふたたび頂上の駐車スペースにいた。

 結局、レースは引き分けに終わり、車を流しながらまたここに戻ってきたのだ。そして自動販売機で缶コーヒーを買い、三人で夜景を眺めながら飲んでいる。


「遊びすぎたね」


 橘さんがいって、うん、と早坂さんがうなずく。


「ちょっと熱くなっちゃった」

「遊びかた激しすぎてビックリしたよ……」


 ふたりは完全に落ち着いた雰囲気だ。

 俺はまだドリフトしているときの体が滑っていくような感覚が残っているし、あのテンションをどう着地させていいかわからない。

 でも、早坂さんと橘さんはすっかりいつもどおりだ。女の子ってこういうところある。


「で、話を戻すけど」


 橘さんがいう。


「司郎くんのこと、どうする?」

「妹さんとなんかしてたね」

「そうそう」

「話はそこにもどるんだな」


 誤解もいいところなんだけど、とりあえずふたりの気が済むまで、好きなことをいってもらうことにして、俺はただ黙って会話をきく。


「このままだと司郎くん、不祥事起こしちゃうと思う」

「だよね。妹さんだけじゃなくて、もっと被害者でちゃうかも」

「生徒を守るのが先生の仕事だよね」

「うん、そうだよ」


 ひどいいわれようだ。


「やっぱり司郎くんのそういう衝動、処理してあげたほうがいいのかな」


 橘さんが峠のふもとに目をやりながらいう。

 そういうことをするためのホテルの看板があった。


「でも、どっちがするかで絶対ケンカになるよね」

「……じゃあ、私たちふたりが一緒にするとかは?」

「司郎くんにサービスしすぎだと思う」

「たしかに。どちらかというと、こらしめなきゃいけないよね」


 おい。俺をこらしめようとするな。濡れ衣だ。


「でもまあ、もうちょっと信じてあげてもいいのかもね」


 早坂さんがいって、橘さんが、そうだね、とうなずく。


「司郎くんのこと信じて、教育実習が終わるの待っていいと思う。妹になびいたりしないって、わかるから」

「だね」

「他にも私たちのためにいろいろやってくれてるみたいだし」


 そこで橘さんは俺をみる。


「私と早坂さんが責任感じちゃわないように、きちんとしようとしてるんでしょ?」


 橘さんはいう。


「――京都の人たちのこと」


 その地名が言葉にされると、これまでの浮ついたような空気は去り、俺たちは静かなテンションになる。

 普段、どれだけ楽しそうな顔をしてみても、やはりどこかで考えている。

 京都の、みんなのこと。

 そして、俺は冬以来、俺のせいでこじれてしまった人間関係をなんとかしようとしていた。


「送ってくよ。早く帰ったほうがいいだろうから」


 橘さんは俺のことをなんでもお見通しだった。

 車のキーを手に持っていう。


「部屋で待ってるんでしょ、宮前さん」

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