わたし、二番目の彼女でいいから。8

第26話 おそろい宮前 ①

 俺は教育実習にあたって、東京に戻ってきた。でも、実家には帰らず、ウィークリーマンションを借りた。一人暮らしに慣れすぎていたのと、実習先の学校が実家からけっこう離れていたからだ。同じ東京都といっても、東と西だとけっこう距離がある。

 俺は一日のつかれを感じながら、マンションの階段をあがる。今は実習だけど、将来、働くようになったらこのような毎日を繰り返すのだろう。

 日が暮れたころに家路について、コンビニで弁当を買って部屋に帰る。

 そんな日々を想像しながら、マンションの部屋の扉を開けたときだった。


「桐島~! おかえり~!」


 宮前がぱたぱたと走って玄関にやってきて、抱きついてくる。俺はスーツの生地越しに、Tシャツを着た宮前の、やわらかい体を感じる。


「おつかれさまばい!」


 宮前はそういいながら、俺をぎゅうぎゅうと何度も強く抱き締め、頭をぐりぐりと押しつけてくる。そして、顔を離していう。


「お風呂わかしてあるよ」

「ありがとう」


 俺は宮前にうながされて、洗面所にいく。


「別に俺がやるのに」

「ううん、桐島は働いてきてるんだもん。私がやる」

「実習だけどな」


 俺はシャワーを浴びて、宮前がわかしてくれた湯船につかる。いい香りの入浴剤がすでに入れられていて、とてもくつろいだ気持ちになる。台所のほうからは、包丁で野菜を切っている音がきこえていた。

 風呂からあがると、テーブルのうえに晩ご飯が用意されている。


「一緒に食べよ!」


 Tシャツにホットパンツ姿の宮前は楽しそうな顔でいう。

 俺たちはそれぞれ座椅子に座って食事をした。メニューは肉じゃがだった。そして机のうえに置かれた食器類は、マグカップからお皿、おはしに至るまで、全部おそろいだった。

 宮前はおそろいが大好きなのだ。

 食べ終わると、さすがに洗い物は俺がしようと思い、立ちあがる。

 でも、宮前がそれを制した。


「桐島は仕事いってつかれてるでしょ。座っててよか」


 宮前は洗い物をしたあとで、お風呂に入った。それから俺たちはおそろいのパジャマ姿になって、一緒にドラマをみたり、今日一日の出来事を話したりした。

 宮前は俺が教育実習をしているあいだ、東京観光をしてきたらしかった。

 お土産のたい焼きがあるというので、電子レンジで温めて一緒に食べた。

 夜が深くなりそうなところで、宮前がいう。


「明日も仕事でしょ? そろそろ寝たほうがいいよ」

「そうだな」


 俺たちはふたりでベッドに入る。ワンルームマンションだから、備え付けの家具も一人用だ。

 狭いベッドのなか、俺たちは一枚の布団を分けあって横になる。

 宮前は当然のように、俺に抱きついて足をかけてくる。


「きりしまぁ~」


 そして、そんなことをふにゃふにゃいいながら、幸せそうに眠るのだった。

 一日の終わりはいつもそんな感じだ。そして朝はというと、料理の音で俺は起きる。ベッドのなかから台所をみれば、宮前が早起きして朝食をつくっているのだ。

 目をさました俺に気づいて、宮前がいう。


「桐島はまだ寝てていいよ」

「いや、さすがに起きるよ」


 そして俺たちは一緒に朝食をとる。宮前は俺が食べているのをみて嬉しそうな顔をする。

 朝食を食べたら出勤だ。俺はスーツに着替えて実習にいく準備をする。カバンを持って玄関にゆき、革靴を履く。すると宮前がやってきていう。


「桐島、いってらっしゃい!」


 でも、ちょっと待って、と俺を呼びとめる。


「ネクタイゆがんでるよ」


 そういって、俺の首元に手をやって、ネクタイを整える。


「うん、これでよし!」


 宮前は毎朝、こうして俺を送りだしてくれる。


「えへへ、こういう生活もよかね」


 宮前は満足そうにうなずく。


「まるで桐島のお嫁さんになったみたいばい」

「じゃあ、俺いってくるからな」

「うん! 今日も早く帰ってきてね!」


 実習が始まって以来、ずっとつづいている毎朝の風景。

 しかし今朝は少しちがう展開を迎えた。

 俺を送りだそうとしたところで、宮前が首をかしげた。


「あれ? 私……こんなことしててよかったっけ?」


 そういったあとで、考え込むような表情をする。そして数秒経ったあとで、「あ~!」と声をあげた。


「桐島との生活が楽しすぎて忘れとったばい! うちはこんなことしてる場合じゃなか!」

「俺はずいぶん前フリが長いなと思ってたぞ」

「うちは、うちは――」


 宮前はぎゅっと体に力を入れていう。


「桐島を取り返すために東京きたんばい!」


 ◇


 宮前がやってきたのは俺が東京にウィークリーマンションを借りてすぐのことだった。チャイムが鳴ったと思って玄関を開けたら、京都にいるはずの宮前が、荷物を抱えていたのだ。

 そして、


「おりゃ!」


 といいながら、宮前は驚く俺の脇をすり抜け、部屋にあがりこんだ。

 そしていった。


「桐島は早坂さんとか橘さんのとこいっちゃダメ! 京都にいるの!」

「いや、これは教育実習だから……」

「桐島があのふたりと会わなくなるまで、私、ここから動かないから!」


 俺はこの冬、遠野ではなく、早坂さんと橘さんとの恋の決着を選んだ。

 宮前はそんな俺を取り戻すべく、東京にやってきたのだった。

 もちろん俺は覚悟を持って決断をしているし、教育実習にきている。だから京都に戻ってこいといわれて戻るものでもない。

 すると宮前は俺の借りてる部屋で籠城をはじめた。

 しっかりお泊りセットを持ってきているので、服なんかをハンガーにかけ、クローゼットに収納しはじめる。


「おい、京都に帰れよ」

「やだ~!!」

「宮前だって大学の講義あるだろ」

「私は桐島とちがって単位い~っぱいとってるもんね!」


 真面目な宮前は単位の貯金がいっぱいあるらしかった。うらやましい限りだ。

 そんなこんなで部屋に宮前がいついてしまい、実習がはじまってからはこうやって家事をなにからなにまでサポートして、俺の面倒をみてくれるようになった。

 もちろん、こんな半端なことはよくないと俺もわかっている。

 だから数日経ったある夜、部屋で宮前にちゃんといった。


「宮前、こういうことはよくない。俺は遠野と別れたんだ」


 それは選択であり、ある種の訣別だった。だから――。


「もう宮前ともこういう関係ではいられないんだよ」


 俺は宮前の服をたたんでカバンに入れ、京都に帰そうとした。持ってきた荷物はそうすればいいのだが、困ったのはこの部屋にやってきてから宮前が買いそろえた物だった。どれもこれもおそろいなのだ。

 さすがに宮前を帰したあとで、それらを使いつづけるわけにはいかない。

 俺がマグカップをみているのに気づき、宮前はいった。


「私が帰ったら、捨てるの?」

「……ああ」


 うなずくと、宮前はすぐに泣きそうな顔になった。


「ダメ、それはダメ!」

「じゃあ宮前が持って帰るか?」

「それもヤダ!」


 まったく埒が明かなかった。ここで情けをかけたら今までと変わらない。そう思って、それなら今ここで捨てるからな、と俺は心を鬼にして、ゴミ袋におそろいの生活用品を入れていこうとした。すると――。


「やめてよ!」


 宮前は悲鳴をあげるように、本気の嫌がり方をした。そして俺の腕に組みついてくる。


「なんで、なんでそんなひどいことするの!」


 それでも俺が捨てようとすると――。


「やめて! やめてってば! やめてよ! 私の大切なもの捨てないで!」


 宮前はついに泣きだしてしまった。泣きながら、俺の手からおそろいの物たちを奪い返そうとしてくる。きれいな顔をくしゃくしゃにしながら洟を垂らし、あまりに激しく泣くものだから、結局、俺はそれらを手放した。

 宮前は俺からおそろいグッズを奪い返すと、大事そうに抱きかかえてその場にうずくまった。


「えっ、うぇ、うぇっ」


 宮前は過呼吸になったんじゃないかと思うくらいの泣き方をした。

 俺はそんな宮前の背中をさすりつづけた。


「ごめん、ごめんよ」


 俺はそれ以上、宮前に強くいうことはできなかった。でも――。


「宮前、すぐにとはいわないけど、時間をかけてでもいいから、わかってほしいんだ」


 落ち着いてきたところで、そういった。でも宮前は首を横にふって、まだ涙の余韻が残る声でいった。


「やだ、わかりたくない」

「宮前……」

「だって、だって――」


 宮前は洟をすすりながらいった。


「桐島、このまま私たちのいるところから消えて、大学だって辞めようとしてるんだもん」

「それは――」


 俺はなにもいえなかった。

 まだ決めているわけではない。教育実習だってちゃんとやっている。でも、ヤマメ荘の部屋をでていくことは確実で、さらに、宮前のいうとおり、俺は今通っている大学を去ることも考えていた。


「私、ここから動かないから」


 宮前はしゃくりあげながらいった。


「早坂さんと橘さんから桐島を取り返すまで、ずっといるから」


 そんなことがあって、なし崩し的に宮前との共同生活がはじまった。

 宮前は最初、俺を京都に連れ戻そうとがんばっていた。帰ろう帰ろう、と俺の足にくっついていたし、早坂さんと橘さんが実習先にいることを知って、ぷんすか怒っていた。

 でもしばらく部屋にいるうちに、おそろいグッズを増やし、家事をいっぱいしているうちに、俺との暮らしが楽しくなったようだった。


「桐島のお嫁さんになったみたいで……なんか、いいっ!」


 といった感じで、宮前と一緒に食事をして、一人用のベッドで、ふたりで眠る生活がつづいている。


「これはこれでよかね」


 そんなことをいいながら、掃除をする宮前。

 こういうことをつづけるのはよくないことだとわかっている。それでも、おそろいグッズが捨てられそうになって大泣きしていたときのことを思いだすと、宮前には幸せな顔をしていてほしくて、俺はなにもいえない。

 もちろん、この生活をずっとはつづけられないことはわかっている。

 それは宮前も同じで、能天気な顔をしつつも、実はしっかり固い決意をしていたようだった。『桐島を取り返すために東京きたんばい!』


 そういって、宮前が本来の目的を思いだしたあと、週末のことだ。

 実習も当然休みだから、宮前がお出かけをせがんでくるものだと思っていた。しかし宮前は朝、ベッドで俺の上に乗っきて、しばらくじゃれあったのち、昼になると身支度を整えて、ひとりで出かけるといった。


「東京に地元の友だちがいるからちょっと遊んでくる」


 そういって、俺の昼ご飯を用意するとお出かけしていった。

 俺は、宮前が九州にいたころ、友だちが全然いなかったことを知っている。

 だから、なんとなく気になって、少しだけ時間を置いてから俺も部屋をでた。

 外はカーディガンを羽織るくらいでちょうどいい、過ごしやすい気温だった。

 陽ざしが気持ちいい。

 駅についてみると、ホームに宮前がいたので、俺は少し離れたところにいるようにした。

 列車がきて、となりの車両に乗り込む。


刊行シリーズ

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