わたし、二番目の彼女でいいから。8

第29話 ハーモニー ③

「今もちょっとそう感じてる」

「将来、絶対後悔しますからね」


 だろうな、と俺はいう。


「でも、おかげでこれからどんなにつらいことがあったとしても、俺はかわいい女子高生にいい寄られたことがあると思えば大丈夫だ」

「友だちにも自慢したほうがいいですよ」

「ああ。京都に帰ったら自慢する。教育実習で生徒から恋愛感情を抱かれるなんて、大きな声ではいえないけれど、控えめにいって最高だ」

「だったらもうひとつ、自慢できることを増やしてあげますよ」


 みゆきちゃんはそういうと俺に近づいてきて、つま先立ちになって――。

 キスをした。

 そしてキスをしながら、とても不器用に、少しだけ舌を入れてきた。


「えへへ」


 顔を離したあと、みゆきちゃんは顔を真っ赤にしながらいう。


「大人のキス、してやりました」

「お姉ちゃんにはいうなよ」

「もちろんです。これは私だけのものですから」


 そして、満足しました、ありがとうございます、と爽やかな顔になっていった。


「今度こそお別れです。先生、さようなら。でも、合唱はちゃんとききにきてくださいね」

「もちろんだ。俺は教師だからな」

「それでは」


 みゆきちゃんは俺に背を向けて歩きだす。

 最後に一度だけ、振り返る。

 泣きそうな顔で――。


「桐島先生のバカ~!!」


 そういって、マンションのエントランスに駆けこんでいった。


 ◇


 レンタカーを返したあと、俺はもうすぐ引き払うことになるウィークリーマンションへと帰った。少し、時間が遅くなっている。

 鍵をまわして扉をあけると、奥の部屋からパジャマ姿の宮前が走ってきた。


「桐島~!!」

「ちょっと遅くなるかもしれないって連絡しただろ~」

「だって~」


 ぐすんぐすんと、洟をすする宮前。

 俺が靴を脱いで玄関からあがると、背中にまわりこんでとびついてくる。俺は宮前をおんぶしながら部屋に向かい、ソファーにおろして一緒に座る。


「この部屋もうすぐ引き払っちゃうでしょ。桐島、もう帰ってこなくて、そのままいなくなっちゃう気がして――」


 宮前は今にも泣きだしそうだ。


「私、やっぱ桐島から離れたくない。桐島がどこかに引っ越すなら、私もいく。どこにでもついていく」


 なんていいながら、俺の袖をつかむ。

 もちろん、そんなことできはしない。宮前もそれをわかっているから悲しそうな顔をしているのだ。でも――。


「大丈夫だ。俺は宮前の前からいなくなったりしない」

「それって!」


 宮前の顔が明るくなる。でも期待を持たせてはよくないので、俺はすぐにいう。


「いや、そういうわけじゃない。俺は遠野とよりを戻すことはできないし、宮前とこういう関係をつづけることはできない」


 宮前はしゅんとなる。


「でも、それでも宮前のとなりにいようと思うんだ」

「それってどういうこと?」


 首をかしげる宮前。


「宮前だけじゃない。遠野、福田くん、大道寺さんの前からもいなくならない」


 俺がまちがっていた。

 遠野と福田くんを元気にして、そこに宮前を帰して、みんなには俺抜きで楽しくやってもらおうと思っていた。俺なんかが、あの温かいところにいていいはずがないと思っていた。

 でも、そうじゃない可能性があることに気づいた。

 早坂さんの言葉だ。


『京都の桐島くん、けっこう似合ってたよ。それはきっと、嘘じゃなくて、これからもずっとホントのことなんだよ』


 そのとおりだ。

 俺たちが過ごした時間は大切なもので、それを否定したり、嘘にしちゃダメだ。

 それなのに俺は高校時代の自分と、京都の自分を二者択一のように扱って、俺は早坂さんと橘さんとのつづきを選んだからと、遠野たちを傷つけたからと、京都の自分を消そうとした。

 でも、早坂さんの言葉で目が覚めた。

 俺はもう、京都の自分を否定しない。みんなと過ごした時間を嘘にしない。

 京都のみんなのことが好きだという気持ちをぼかさない。

 だから――。


「俺は京都にいようと思う。みんなに迷惑かけたのに、それでもみんなといようと思う。ヤマメ荘の部屋を引き払わないし、大学も辞めない。みんなが許してくれるかはわからない。でも、十年あるんだ」

「十年って、桐島――」

「ああ」


 俺は京都のみんなとの関係を断ったりしない。遠野とは別れたし、宮前と二番目の関係はつづけられない。福田くんも裏切った。それでも――。


「十年後、みんなで種子島にいこう。そして、ロケットをみよう」


 そのために、やれることをやるよ。

 俺は宮前に、そういった。




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