境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅢ
第二章『窓際の姦し娘達』
○
場が切り替わるので、ちょっと一息。それぞれが飲み物の補給や洗面所待ちの時間を得る中で、喜美は表示枠で通話を掛けた。
何事? と振り向く皆の視線を感じつつ、己は通じた相手に声を掛けた。
「真喜子? 起きてる?」
『何? どうしたのよ今頃』
おお、と幾らかの声が生じた。それもそうだ。真喜子・オリオトライは元々が十本槍となる筈だった”子供達”の一人。彼女にここで声を掛けるとしたら、
『今、GTAやってるんだけど、来る?』
○
浅間は皆の視線が自分に向いたことに気付いた。大体、何を求められているのかは解るので、ここはまず皆に飲み物の竹ボトルを渡して、
「先生には始めに声を掛けてます。”そっちはそっちで騒ぎなさいよ”って笑って断られてますけど」
「恥ずかしがってますねえ」
「豊は振り切り過ぎですのよ?」
まあそんな処だろう、とも思う。
「先生は、いつ頃武蔵に来たので御座る?」
「五年……、そろそろ六年前となる筈です」
「質問者と回答者が逆じゃないのかしら……」
よくある。
「先生には二年から受け持って貰ってますね。
先生の方は自分らより前の世代を一、二、三年と三年間教えていて、自分らを受け持っていた鳥居先生が一年終了時に退職されたため、二年次からこっちの担任になったんです」
「一年の時でも、体育の授業とかで受け持って貰ったことがあるから、二年で担任になったのも”知らない人ではありませんでしたわ」
オリオトライとしては、いろいろな思案があったのだろう。
恐らく、彼女の人事はIZUMOなどが絡み、酒井もそれなりに関わっていた筈だ。だが、
『こっち、大和にいるのよ。大和勢というか、彼らに出向訓練』
『何やってんですか先生』
『石川さんが仕事振ってきてね。大和勢は本土での仕事が多いから、鍛える方法も複数あった方がいいだろう、と』
『お世話になっておりますー。あ、そちら、左近さんいますかー』
『いますですよう。本土行くときとか、護衛必要な場合は呼んで下さいよう』
ですねー、という主従の遣り取りを聞きつつ、己は喜美と視線を合わせた。
「このあたりから真喜子の出番も出てくると思うけど、私が担当するわ」
「おお、喜美様でしたら問題ありません。真喜子の方、御願いします」
「凄い人物関係ですわねー……」
「ともあれスタート、誰から行きます?」
「あ、自分の方から行きます。とはいえ初手は私じゃないですけど」
●
白い空の中に、白と黒の建造物があった。
白の空は長大なステルス防護障壁。
その中心に存在して巨影は、八艦からなる巨大な航空艦だった。
武蔵と、各艦舳先に刻印された艦群は、己が生成した白いステルス防護障壁の中に浮かび、動くことがない。
ただ、代わりというように、音が響いていた。それは、大部分においては、武蔵が浮上のためにまとう喫水線の仮想海の散る音であり、続くのは、
「────」
金属の打つ音と、掛け声だ。
場所としては八艦の全体の後部。
左右一番艦の後部甲板と、中央後艦の後ろ側。
そこで、工事が行われているのだ。
大規模なものではない。通りや広場に屋台や舞台を建て、飾り付ける。
場合によっては出力系の導線を結び、灯火を追加もする。
そうやって行われている建造の目的は、
「春期学園祭ですか。今年もなかなか盛況なようで何よりです酒井様。──以上」
●
奥多摩の艦首側甲板上、ステルス防護障壁を通して届いてくる朝の光の下で、”武蔵”は酒井に茶の湯飲みを差し出しながら言う。
「どちらかというと、今日はまだまだ資材を倉庫から出すだけで終わりそうですね。──以上」
「場所取りなんかもまだ決まってないところ多いって言いますし」
と言って、酒井は軽く右の手を上げた。
「――言うしねえ」
「――おっと浅間様、見事な語彙のリカバリです。では朝食のパンを差し上げましょう」
「どうも有り難う御座います。――以上」
パン屋の自動人形が高速で走って行くのを見送った後。
置かれた縁台から、奥多摩の町並みを眺めながら酒井が言う。
彼は、奥多摩の商店街や、通りの飾り付けのため、人々がまずは掃除や看板を外しているのを見て、
「このイベントで、春から夏に町を模様替えするわけだねえ。これを何年続けてきたのかな、”武蔵”さん」
「引っかけ問題のつもりかもしれませんが、私は九年前に総艦長就任ですので、知っている限りでは九年間しかありません。──以上」
「いやいや、”武蔵”さん? そういうつもりはなくてさ。
記録の話で言うなら、やっぱり教導院が出来た三十年前からこういう季節の風物だったわけ?」
「記録ですか……」
ふ、と己は首を上に振った。
武蔵の情報庫に共通記憶を介して接続。直後に、
「情報を取得しました。──このような武蔵上の風物、三十年前どころか、それ以前から発生していた事が確認出来ました。──以上」
●
「そうなの? 教導院がある前から?」
眉を上げた酒井に対し、自分は深く頷く。そして、
「お茶の換えは如何ですか? 今ならパンも届いたので朝食もおつけしますが。──以上」
「あ、貰おうかな。今日は何?」
「玄米の栄養分を取り外して高湿度で焼き蒸したものと野生の魚介を生のままから焼き入れしたものに腐った豆のスープなどを高熱で少々。あと、パンも付けます──以上」
○
「パンが入ると糖質高すぎでは……」
「あら? まだ余裕! 余裕ですわよ!?」
「きーさーまーはーなー?」
●
「鶏の単細胞はつくかなあ」
「Jud.、もしやと思って用意してあります」
自分が指を鳴らすと、背後にあるものが空から突き立った。
刀だ。長物の抜き身。柄に重箱が風呂敷で結びつけてある、その投げ手は、
「”浅草”お見事と判断します。──以上」
それは正確に甲板を構成する硬化木板の継ぎ目に刺さっており、引き抜いても、
「艦が揺れでもすれば、隙間は埋まる物と判断出来ます。──以上」
「凄いものだねえ、”武蔵”さん」
「”浅草”、酒井様が賞賛を。──以上」
『Jud.、。どうも有り難う御座います』
だが、表示枠にて顔を見せた”浅草”は、以上、と続ける前に言葉を挟んだ。
それは無表情ながらも首を傾げるもので、
『あの、”武蔵”様? 揺らさず突き立てる、というのは相当に難しいので今後は御容赦を頂けないものかと思うのですが。──以上』
「Jud.、解りました」
己は深く頷いた。
「次からは自分で輸送を行いましょう。──以上」
『えっ。──以上』
「……何ですか、今の”えっ”とは。──以上」
いえ、と”浅草”が言葉を濁す。そして彼女はややあってから、
『”武蔵”様の重力制御能力に関しては、自分以上と判断しております。──以上』
「Jud.、貴女たちの補助も行うわけですから、それは当然です。──以上」
しかし、と言ったのは酒井だ。彼は”浅草”の表示枠をこちらの横から覗き込み、
「何か”武蔵”さんが輸送するとヤバい事あるの?」
『Jud.、”武蔵”様は基本として、武蔵全艦の管理を常時行っております。
無論、本体としては武蔵艦橋内にあります統合判断炉のOSがそれにあたりますが、自動人形としての人工頭脳は諸処判断の要や決定のために常時フルで動いているのです。──以上』
「そうなの? じゃあ、こうしている間も、武蔵の浮上を保ったり、各所の管理なんかをしている訳?」
Jud.、と自分は頷いた。
「浮上都市で有り、その浮上力を税金で賄うためにも武蔵全艦は強固な管理態勢が必要です。
通路裏やバイタルパートの陰、下水なども全て津々浦々、どのような状態になっているかを常時管理しています。──以上」
「じゃあ、俺がいつ寝てるとか、そういうのも?」
「武蔵管理権限を持つ学長職の監視は私の仕事ではありません。
また、私の基準で信用可能というラインを超えている方々については、そのようなものは省いております。──以上」
「じゃあ、俺以外の人達については?」
「基礎として体調管理と位置情報は戴いております。
不明、不審な状態になったならば、即座に番屋に出動頂くか、担当神社から加護供給をして頂くことにしております。
なお、密航などについても、総艦の重量管理をしておりますので、即座の発見が可能です。──以上」
「えーと、じゃあ、俺の体調管理とかは?」
「私や”奥多摩”達が三度の食事など御世話しているのに何か問題がありますか。──以上」
そういえばそうだねえ、と酒井が煙管を口にくわえる。が、
「あ、口寂しいだけだから。吸わないよ」
「食事の前ですので解っております。
──で、”浅草”? 私がそういった輸送などをするのに、何の問題が? 別に多種業務の併用など、武蔵の出力があれば容易い事です。──以上」
『いえ、”武蔵”様、クリーン状態ならば構わないのですが、ノイズが入ると。──以上』
「ノイズ? ──以上」
こちらの問い掛けに、”浅草”がわずかに考えた。
ええと、と一瞬酒井を見て、
『埒が開きませんので実演と参りましょう。”武蔵”様、こちらで射出します大刀、そちらで受け取り操作を行い、先ほどと同じ位置に突き立てて頂きますようお願いいたします。──以上』
自分はJud.、と答えながら、横にあったテーブルに朝食を広げて行く。
重箱の中にある保温用のパレット。そこに固定された竹櫃から、焼き魚や漬け物、味噌汁を順次展開。茶碗に湯気の立つ御飯もよそって、卵と箸を置き、
「どうぞ、酒井様」
「Jud.、いただきまあす」
と大仰に酒井が両手を合わせて食事を開始したときだ。
左舷前方から、乾いたような破裂音が聞こえた。”浅草”が大刀を射出したのだ。
大きさから言って視認すら至難の一刀。
だが己は、手を腰前で組んで酒井を見ている。
振り返らない。
と、小椀に卵を片手で割った酒井が、ちらりとこっちを見た。
「大丈夫なの? ”武蔵”さん」
「捕捉は出来ております。問題は無いかと。──以上」
と、自分が頷くのに合わせ、酒井も頷く。
そして彼が卵を箸で混ぜ、ふと、
「あ、醤油」
顔を上げ、テーブルに置かれた醤油差しに手を伸ばした。
同時。
こちらも手を伸ばし。醤油差しの手前で、お互いの手指が絡む。
「お」
「おや」
と声を漏らした次の瞬間、テーブルのど真ん中、お互いの手の手前に一本の大刀が突き立った。
●
「おわああ!!」
斜めに刺さって尚も震えを残す大刀から、酒井が”武蔵”の手を握って引く。
当たりはしない。
だが、”浅草”が、表示枠の中で半目になり、
『こういうことです。”武蔵”様、お判りですか。──以上』
「Jud.」
己は静かに首を下に振った。テーブルに突き刺さった大刀を引き抜いて、
「誤差範囲でしょう。──以上」
『言い切りましたね”武蔵”様。酒井様からも何か言って頂けませんか。──以上』
「いや、さ」
酒井がこちらの手を離し、代わりというように、自分の掌を上に向けた。
横目で伺う視線の意味は解る。
だから己は彼の手に、醤油差しを置く。
刀が落ちてきたときに重力制御で拾っておいたものだ。
そして酒井が陶器の小瓶を卵の小椀に傾けながら、”浅草”に言う。
「この程度だったら、俺、慣れてるから」
『”武蔵”様で慣れているのですか? ──以上』
「いや、地元の友人。ここ数年、三河で会ってもないけどね」
『本多・忠勝様や、他、松平四天王の方達ですか。──以上』
「”浅草”は誰かと会ったこと、あったっけ?」
いえ、と、”浅草”と己は共に言う。
そして自分は、
「三河での作業や理解が楽であるようにと、三河に着港した際、三河側から派遣された自動人形より三河の記録を共通記憶で頂く事があります。
機種差があるので情報変換が必要ですが、その中ならば──」
「俺が見てない年のものもある?」
「Jud.。御要求でしたならば、艦橋内の情報処理能力で擬似的な映像再現も可能ですが? 如何いたしますか? ──以上」
「いや、別にいいよ。今後会えないって事もないだろうしさ。
だけど、”浅草”や”品川”あたりは、鹿角と会わせると面白そうだ」
「鹿角……、本多家つきの、侍女長型自動人形ですね? ワンオフの。──以上」
「そうそう」
酒井が卵を茶碗の御飯に荒く掛ける。
焦げ茶の縞模様を描くようにしてから、手前の部分を箸で崩し、卵が掛かっていない部分の断面を露わにする。そして、崩していない部分の向こうに箸を差すと、それでかき寄せるようにして茶碗を口に傾け、奥歯で飲む。
しばらく頬で潰すようにして、喉を通し、
「あ、いいねコレ」
○
「ス、ストップ! ちょっと夜食タイムいいですか!? 卵掛け御飯! 欲しい人!」
「ちょっと今の、良かったですわね」
「私も御相伴頂きたいですの!」
「智、食事の描写が強めの傾向ありますわよねえ」
「あれあれ? そうですか? とりあえず御飯は炊いたの置いてあるので……」
「変に用意が良いあたりが流石さねえ……」
●
「卵は名古屋の地鶏です。おそらく、仕入れた物は雅楽祭で最後になるかと。──以上」
「醤油は?」
「僭越ながら自家製です。
酒井様が多用するので、塩分少なめのものを武蔵野の地下で精製しております。そろそろ酒井様用の雑味を抜いた物を一般販売してもいいかと。──以上」
そーなんだー、と数度頷いた酒井が、一回首を傾げる。
「俺、管理されてる?」
「こちらが上等と思っていても、少しでも不味いと感じたら無言になる酒井様こそ、こちらを間接的に管理していると思いますが。──以上」
「そんなに俺、我が儘?」
「…………。──以上」
『酒井様、”武蔵”様を挑発するのはやめて下さい。──以上』
だが、”浅草”が感情の疑似表現としての嘆息をついて、こう言った。
顔はいつもの無表情のままで、
『”鹿角”様の記録はこちらでも得ております。端的な物ですが、重力制御を多用した近距離戦の名手と推測されますが。──以上』
「ああ、重力制御はどっちかっていうと本性の補助でしかないかんね、アレ。
元は、……って言ったらダっちゃんに張り倒されるかな。
ただ、まあ、俺達と一緒にツルんでた鹿角が、さっきのアレ、あの位はフツーでやってたよ」
『人間にありがちな過去の記憶の美化ではありませんか? ──以上』
「”浅草”。──以上」
こちらの言葉に”浅草”が口をつぐんだ。そして己は酒井に頭を下げる。
「うちの者が出過ぎた発言を。──以上」
「いやいや、俺もそうかもな、とも思うけどさ。でも、ほら」
と、酒井が言った。
「うちは、役職無しの二年生が、武蔵野艦橋から飛び降りたりするんだぜ?」
「先日は品川のデリックで一本吊りブランコやって制御失敗、武蔵野のバウに横から激突してましたね。いい芸人根性です。──以上」
「だよね。でも、それだけじゃなくてさ、……竜を倒す子達まで出てきてねえ」
「何を望んでいるのですか、酒井様。
私どもとしては平穏が欲しいのですが。──以上」
だよね、と酒井が言葉を重ねる。だが彼は、茶碗の中身をまた喉に通し、
「美化ってのは、過去に対してするもんだけどさ。
未来に対してするのは、どう思う?
やがてくる現在は、未来から見たら、美化の対象になるのかねえ」
空、配送業の者達が、朝食後の午前の仕事に出る音が聞こえてくる。風を切り、狭い空をだからこそ縦横に飛ぶ響きを耳に、酒井が口の端を上げた。
「さて」
彼が、こちらに右の掌を出した。
「途中だけど、お茶欲しいな”武蔵”さん。今日は教導院の方、男子禁制でね。こっちでゆっくりするしかないんだな、コレが」
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「プハー! この二人の担当は疲れますね!」
『武蔵の管理システムなど、かなり深いところに突っ込みましたねえ。大和の方に詳しいおねーさんがやるべきかな、と思いましたが、余計な気遣いでした』
『いやいやいや、次は御願いします。ええと、次は――』
「身体測定?」
「春期学園祭の前にやった身体測定ですけど、コレ、多分浅間さんの視点の方が解りやすいんじゃないですか?」
「バンドの作戦会議を、身体測定の待ち時間にしてましたものね。智、引き続き行けますの?」
「と、途中で喜美とかと交代含みで御願いします!」