境界線上のホライゾン きみとあさまでGTAⅢ
第一章『満ちたる泉』
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……流石に主神が来ると仕方ないですね。
よく考えると今の自分の主神は権現様である彼なのだが、まあよしとする。
咳払いして、己は拝気と奉納の説明をやり直す。
「まあそんな感じだと、拝気の方が有利で、奉納は損じゃないかって話もあるんですね。
ただし、正式奉納には利点があります」
「まあ、それは何ですの?」
「ハイ! それは、奉納物が神のアーティファクトとなって返ることです。
だから食べ物だと、お米にしろ御神酒にしろ、奉納物を飲食すると加護や拝気が得られたりするわけです」
「刀の神に捧げた刀が、返礼で戻ってくると刀の神の加護がかかってるようなものね」
そうですね、と己は喜美に頷く。
「私が御神酒を頂くのは、奉納物である御神酒から拝気を稼ぐためなんです。
だけど、”捧げて・返礼として頂く”までがプロセスとして必要なので、終わり部分だけみると”飲んでパワーアップ”に見えますよね」
「最初から最後まで”飲んでパワーアップ”に見えますわよ?」
「ま、まあそれはそれで!
ともあれ一応、予定外の飲酒のときは、それを後で行う予定だった他の奉納と代演変更したりもしてるんですよ?」
成程、とミトツダイラが頷いた。
そして彼女が、手を上げて問うてくる。
「……雅楽などはどうなりますの? あれも、奉納ですわよね?」
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ああ、と己は得心する。
ミトツダイラとしては、これから先のバンド活動において、歌うものが浅間神社にとってどういう扱いになるか、気になるのだろう。
「一般の歌謡は、気にしなくていいです。
神様も、巫女達の歌うものが自分達に向けてのものかどうかは理解してますし、気に入ったなら聴きにきますけど、そうじゃない場合も怒りはしませんから」
ただ、
「雅楽の場合は、大体は儀式的なので”捧げる”としても、レベルの低いものです。
神様の御機嫌取りで、要するにコネの確認と強化のようなものだと考えて貰えれば」
『そうそう。大体は御約束だから、それ自体が場を御祓したり神が降りやすくする術式や加護になってて、奉納性は薄くなってんだよな。
大体、新曲じゃねえから、まあ本来有る”力”を御祓で元に戻すとか、そんな感じな』
「では、新年の安泰祈願や商売繁盛の際の雅楽は……」
『雅楽も含めて、儀式自体が奉納のパッケージだよ。
使い古しのものが多いけど、つまりはド安定。
これやってりゃ間違いはねえって内容だし、儀式が派手になりゃこっちもノルから効果が上がる。そのド安定の最上位が”祭”だってのは解るな?』
「……コレ、今、拙者達は歴史的に途轍もない機会を得ているで御座ります?」
「私、神気でビリビリきてますね……」
「観光客にも人気のパワースポット! それが浅間神社です!」
「いきなり宣伝に入らなくてもいいですのよ?」
まあ御約束です。
ともあれ、ミトツダイラの質問にはまだ答えがある。
「ミトが聞きたいのは、実のところ、私達がバンドで作った”音源”の扱いですよね」
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己は、狼の頷きに応じることにする。
「”音源”を奉納する場合。――つまり何らかの返礼目当てで本当に音楽を捧げる場合は、生演奏じゃなく、音源データや音楽の記録を奉納する、という形になります」
「そして返ってきたデータや記録は、つまり”浅間神社公認”ね」
「曲の出来にもよりますが、レベルが足りていれば周囲の御祓効果や、曲の内容に従った加護が得られますね。バトル曲だったら戦闘加護とか、そういうものです」
『最近は解りにくい歌詞多いから、アレはホントどうにかしろよ? 夢枕に立って”おい、説明しろ”って説教する場合もあるからな』
「フフ、以前に愚弟が”何か派手な浅間の親戚みたいなのが夢に出た”って言ってたことあったけど、まさかアンタ?」
完全に御近所感覚な気がするが、とりあえず言葉を作る。
「――大体そんなルールですけど、何か解らないこと、有ります?」
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朝の配送業の途中、何となく寄ってみたナルゼは、泉の壁の上に座って手を上げた。
「奉納って、つまりは”奉納品が戻ってくる”訳? あと、巫女を通さないと駄目よね? 普通」
アー、と泉の中の巫女が顎に手を当てた。
「巫女は奉納の手続きのプロですけど、ぶっちゃけ神に”奉納してます!”って見つけやすくするために祝詞や儀式を行う訳で、それが出来るなら一般人でもオーケイです。
あとまあ、奉納品が戻ってくるからこその”奉納”ですね」
「マジで? ……私、この前の同人誌で”巫女を通して神に奉納!”ってやっちゃったわ……」
『要らねえから、出した時点で奉納返しの逆注入してやんよ』
「男の人、激痛じゃないですかね」
「フフ、戦慄ね……!」
「設定ミスったわー……。でもまあ、現実に対して厳密でもいいことないわね。夢を見るからこその同人誌よ」
言って、己はあるものに気付く。それは、
「泉の中央に浮いてる盆と酒と杯。放置だけどいいの?」
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……あまり良くないです!
とりあえず喜美が、盆を三人の中央に引き寄せた。
「桃園の誓いというわけにはいかないわね」
「桜も梅も散って零れて、ちょっと時期ずれですね」
自分が位置を変えて腰を落とせば、盆を三人で囲む形だ。
するとミトツダイラが、こう告げた。
「……これは、事始めの盃なのですわね」
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浅間は、ミトツダイラの言葉に頷いた。盃に酒を注ごうとして、
「あん、一人でやろうとしたら駄目よ、三人で順番に注ぐの」
「……喜美は意外にこういう付き合いごとに細かいですよねー」
とりあえず自分が始めに浅く注いだ。次に、
「ミト、お願いします」
「Jud.、お任せを」
と、ミトツダイラが半ばまでを注ぐ。
そして続く動きで、喜美が、
「……って、ちょっと喜美! 何でそんな表面張力勝負のところまで注ぐんですか!」
「いや、アンタがいると、このくらいじゃないといけない気もするし」
「喜美も良く気がつきますわね……」
「あれあれ誰もフォローがいませんよ?」
ともあれ大きめの盃に、酒は入った。
そして喜美とミトツダイラが、こちらに視線を寄越す。
こういう場で、何か定型的なことでもいいので、挨拶をしろというのだ。だから、
「えー……」
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ちょっと考える。神事として祝詞もいいが、
「儀式の場にて、盃に酒を満たすということは、器が満ちた、または、器が満ちることを期待して、という意味だと言われています」
ならば、
「後々、もっと大きな器を使えるように、また、一人分の満量がもっと多くなるようにと、今はこの器の満ちを、三人で分けましょう」
おお、とミトツダイラと喜美が拍手してくれるのに対し、静まれ静まれ、と手で制するくらいには、こっちも舞台がかった気分にはなっている。そして、
「誰から行きます?」
「身体冷えてるなら、ミトツダイラから行ったら?」
「でも、立場的には智からじゃありませんの?」
「いえ、私は……」
ああ、と喜美が頷いた。
「一番最後が一番飲めるもんねえ」
「そう来ましたか! 来ましたね!?」
ただ、それはそれで事実だ。
こういう儀式の場合、一口で済ませるというケースが多いが、しかし浅間神社では”飲み干さないと神罰くるかも”ルールだったりする。
〇
「それ、神前結婚の時とか、どうするのだえ?」
「大体、旦那の方が残りを一気飲みさせられますね……」
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じゃあ、と浅間は言った。
「私、最後で一番いいところ貰いますから」
「それがいいわ。アンタ、最後の最後で自分通すんだから、最後をシメて貰わないと」
「それはまたどうかと……、って、喜美、お酒!」
眼前、喜美が瓶に残った酒を泉の中に零していく。
彼女は瓶を振って空になるまでそれをすると、こちらに口端の笑みを作った。
「酒風呂、ってね。身体暖まるかどうか解らないけど、全身で祝うのもありでしょ? 匂いだって、禊祓効果でつかないだろうし」
「確かにそうかと思いますけど、今のは流石に今までやったことないですねー……」
いいじゃない、と喜美が盃を右の手に取る。
表面張力つきで、まるで軟質の物体のように盛り上がって揺れる酒を、彼女は唇で食むように、
「ん」
飲んだ。
綺麗に、表面張力の余分と、自分の分を喉に通した彼女は、盃を置いてから一柏手。
「フフ、浅間の酒はいつも思うけど喉にちょっと乱暴よね」
「通った後、満足感強いんですけどね」
「じゃ、じゃあ、私も」
ミトツダイラが、先に二柏手。そして両の手でとると、
「く、……ん」
一瞬停まったのは、人狼の味覚と嗅覚に対し、極東の酒が不慣れだったからだろう。
ただ、鼻に匂いを通して息をついた後は、落ち着いて、
「──ん」
半ばまでを残して、器をこちらに差し出してきた。
●
浅間は、器を受け取った。半ばまで残っているのは二人のサービスだろうか。
ただ、器の酒を見て、己はこう思う。きっと自分は、”ここ”までも満ちてない、と。
……だからこれは、まず”ここ”まで満ちていこうという願いですね。
ゆえに自分は口をつけ、
「ん……」
飲む。
目を伏せて呷り、しかし上を向いたときに目を開けると、
……あ。
いつもの空が見えた。
白い、ステルス防護障壁の空だ。
毎日毎日、子供の頃から見上げていた空の色だが、しかし、
……うん。
今日は、違って見えた。
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いつもと同じ中で、いつもと違う。
そしてこの”違い”は当分続くし、終わったとしても、自分は”違う”道も選べるのだと、そんな証明にもなる”違い”だ。
……大事にしましょう。
そう思って、ちょっと意地汚いけど、最後の一滴を舌で拭う。
「うん」
盃を下ろし、視線を下に戻した。
すると、微笑顔の二人がいた。
軽く、笑っている。
こちらの、不意に得た感慨を気付いたのだろうか。
だからというでもなく、自然とこちらも笑みを返し、
「ふふ。始まりですね」
「Jud.、フフ、そう、始まりね。フフフ」
喜美が、一息ついて、口を開いた。
「――あなたと 幾度なく 声重ね」
歌だ。
アレンジをされているが。それは、
「浅間神社、サクヤの歌ですね?」
「そうね、解るなら、ついてきなさいよ?」
一般用雅楽のアレンジを、酒で出来上がった喜美が口にする。
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ミトツダイラは、喜美の声に対し、浅間と共に自分の声を繋げた。
「この花 咲く夜 あなたに 送るよ」
浅間神社の主神、此之花佐久夜は、今の極東では恋愛や結婚、多産の神だ。
「分かれぬ 命を 唄い舞えば」
元は天津神ニニギの元に、姉と共に送られたが、ニニギは醜い姉を送り返し、美しいサクヤと結婚したという。
「大神 サクヤが 唄って笑うよ」
いろいろと説話はあるが、
「花咲く 鎖の 飛沫上がり」
結構、強情なところもあった神のようだ。
「分かれぬ 吐息を 熱して冷ませば」
何しろ、属性は水と、火まで持つとされている。
「盃 傾けて 身を こぼし」
ふとおかしくなるのは、水は酒にも繋がることだ。これはまるで、
「枠の中から 外へと 泳ぎ出す」
浅間そのものですわね、とミトツダイラは思う。
「天津神 御社 火を掲げ」
そんなサクヤは、子を得た際に、夫に不義を疑われ、潔白を証明するために産屋に炎を放って無事出産し、子が天津神の血を引いてることを証明した。
「鉄火の 御山と 空に掲げるの」
この流れから、サクヤは火の神とも言われ、父神から富士山を譲られた。
「火の子は 春には 花に変わり」
だが、実際には、サクヤは桜や梅という、春の訪れを告げる神で有り、その性質は、
「浅間の 泉に 桜 梅椿」
水の神だと、浅間神社には伝えられている。
「咲き舞う あなたの 笑みに惹かれ」
浅間神社は女系の神社で、浅間の母はしかし外からの人だと聞いた。
「花鎖と 冠 掛けられて」
浅間の父が、母を見初めて妻にしたのだと。
「あなたの 前で 私は泉」
それは遙か昔の神話とは違うが、どうなのだろう。
「この花 咲く夜 私 恋をする」
昔のサクヤも、
「あなたの 前で 私は泉」
歌が好きだったり、したのだろうか。
『この花 咲く夜 私 恋をする』
〇
「ビックリしましたわ――!」
『それ”空詠み”とかでもよく歌われるから、憶えてんだよなあ』
「……コレ、どのくらい貴重な出来事なのです?」
「器の大物がここにいる……」
「段々麻痺して来ましたけど、神道史上でもあまり無いことですから私はこれから横に倒れて母さん達のデタラメ振りに死にかけます」
「豊! 豊! ケイレンまでしなくていいですのよ!」
「ま、まあ、飛び入りオッケーがGTAなので、何かあっても大丈夫です!」
「”大丈夫”の根拠がゼロなのが凄いわね……」
「私、今夜のこと、本国に伝えても信じて貰えないと思うんですよね……」
「もう武蔵の子になったらどうですか世話子様。サッパリしますよ」
●
「フフ、浅間? 今の歌、歌詞としてはどう思う?」
「アッハイ。……物語ですね」
と、聞き慣れた歌詞について、浅間は改めてそう思った。
今まで自分が聞いてきた歌は、歌い手本人の物語だった。
歌い手との、記憶や人生、考え方の共有をするものだと言っていい。
だが、今のものは違う。
大半が架空で出来た、本でも読める物語だ。
そのようなものを、敢えて歌として聞く意味はあるのだろうか。
……あります。
●
歌に傾倒している今、擁護のためにそう思うのではない。
物語とは、言葉だ。
それが、歌を作るための、音に載る。
「するとどうなるかと言いますと――」
音は響きで、上下の音程や、抑揚がある。
それは、言葉ではなく、音自体で感情を伝える。
低い音が短く鳴れば迫力を感じるし、高い音が長くなれば清涼を感じる。
音が遅く続けば停滞を感じるし、遠く早く伸びれば高速を感じる。
意味を伝えるための言葉以前に存在した、叫びのような音律の含意。
音楽。
つまり音とは、意味を租借するよりも先に、感情を喚起するのだ。
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……ここに、真実が一つありますよね。
たとえば本で物語を読んだとき、自分の中で生まれた解釈や、得た感情が”合っているか”は確かめようがない。
しかし、音楽の場合、聞こえる音律から来る感情は、絶対だ。
特に速度の部分では、間違いが無い。
だから、と己は思った。
「物語を、本や言い伝えとして聞き、咀嚼し、理解することは重要です。
だけどその理解が間違っているかどうか、そして何よりも……」
一瞬思案して、だが己は言葉を作った。
「……その物語に、短時間で引き込まれ、粗方を理解するには、歌に利があります」
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「観光客が、境内に聞こえてきた声に対して言いますわ。
――同意ですわね、と」
かつてあった遠い遠い物語。
文字で読むには”研究”や”解釈”が必要なそれを、音楽合わせの短文が、しかしそれだけで登場人物達や展開の感情などを浮き彫りにする。
「咆哮と同様に、――音楽は感情の表現ですものね」
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ならば、と浅間は思った。
今さっき自分達が朗した歌は、単に物語を唄っているのではない。
物語が持っている当時の情景や、人々の感情を、音楽によって浮き上がらせたものなのだ、と。
本を読むよりも的確に。早く。そして、
「……ノリますねえ」
「そこがいいんじゃない」
喜美は本当によく知っている、と自分は小さく笑った。
「ふふ」
と声を出すと、喜美も、
「あはは」
と声を出し、続くミトツダイラも、
「や、やですわ、喜美ったら、下品な笑いをうふ、ふふふふ」
「いやいや、ミトもまた、何だか笑いが止まらないようで。ふふふふふ」
「あはははははは」
と笑っていると、突然ミトツダイラが笑顔のまま沈没した。
●
「きゃあああああミト!?」
「いやー、これ、酔ってるわー、マジ酔ってるわー」
どうして、と問う気も起きない。
さっきの酒風呂が原因だ。
自分は、浮いてきたケルベロスを慌てて拾い上げて泉の縁に置き、
「これ、要するに御酒の”加護付与”が泉の禊祓によってアルコールごとストレートに身体に入ってきてるってことですね、喜美」
振り向けば喜美が沈んでいた。
忽然と姿が消えた二人を水底に見る自分は、
……犯罪現場みたいですね!
怪異みたい、という言葉が出てこないのは神道関係者としてどうしたものかと思うが、早めに引き挙げねば結局は事件だ。
浅間神社の泉で酒風呂やって溺死とか、浅間神社の歴史でも初だろう。
斬新すぎる。
特に喜美がまずい。
笑顔で沈んでるミトも、ヤバいといえばヤバいが、喜美は何故か最後の頑張りで自分のオパイを寄せ上げしたポーズだ。
これで現場検証になったら、一緒にいた自分が何言われるか解らない。
否、予測はつくけど考えたくないです。ええ。
だから急ぎ、二人を引き挙げようとするが、立ち上がってみれば自分の方も、
「あれ?」
前に進んでいるつもりが、右に傾いて水飛沫をド派手に上げた。
●
……酔ってきてる!?
凄い。
こんなの小等部に入る前に一気飲みやって以来ですよ!
「どういう話だ一体。――あ、幻聴にしといてくれ」
最近の幻聴は断りが必須ですね、と思った。
だが、それはそれとして、
「な、何とか……!」
手をつき身を起こし、自分は堪えた。
水の飛沫をあげるのも構わず、ふらつく頭を振りながら、喜美とミトツダイラを水揚げしようとして、
……凄い始まりもあったもんですね!
遠く、朝七時を告げる教導院の鐘の音が届いてくるのを聞きつつ、自分はつぶやいた。
「今日から春期学園祭準備で、期間使って身体測定とかいろいろあるのに」
もう、
「いつも通り過ぎますよね……!」
○
「何か最後、RPGの最初の村の住人かってくらい親切な説明があったわね……」
「結局水揚げしたの?」
「私達、水産物か何かですの?」
「面倒なので水を抜きましたねー……」
「何ともまあキャッキャウフフしてるかと思ったら泥酔事故起こし賭けとか、なかなかダイナミックですな。ともあれこれから学園祭? どんな風になっていったのか、御期待です……!」