ソードアート・オンライン オルタナティブ グルメ・シーカーズ
プロローグ 新店『安達食堂』
「今日もよく戦ったぁ。お腹が空きすぎて、なにを食べても美味しく感じてしまいそうだ。ええと……道順は間違っていないよな?」
つい先ほどまで、《アインクラッド》の五十階層にある《アルゲード》の街並みをオレンジ色の夕日が照らしていたというのに、目的のお店を目指している間に周囲はすっかり暗くなってしまった。
町の大通りを歩いていると、今日一日の討伐や仕事を終えたプレイヤーたちが、灯りが籠った宿や飲食店、酒場へと吸い込まれていく。
明日に備えて英気を養うためだ。
俺は自分で言うのもなんだが、最前線にいる攻略集団には及ばないものの 、プレイヤーの中では高レベルにいると自覚している。
当然武器や防具にかなりの金額を注ぎ込んではいるが、この《ソードアート・オンライン》における数少ない楽しみである食事に、ある程度のお金を使える身分だった。
今日はいつもよりも成果があって、俺以外のパーティーメンバーたちは、この町のメイン通りにあるちょっとお高いレストランに夕食をとりに行ってしまった。
俺も誘われたが、ちょっととある新店の情報を小耳に挟んだので、そちらを優先することにしたのだ。
そのレストランはNPCではなく、全員が調理スキルを持つプレイヤーたちが経営しており、そのパーティー名は《食の探求団》という。
彼らはこのアインクラッド攻略には一切興味を持たないが、新しい食材、調味料、調理器具があれば必ず入手をし、作りたい料理があれば何度失敗しても懲りずに挑戦するそうだ。
実は彼らがレストランを開く前、移動式の屋台で様々な料理を販売していた時から知っていて、俺は何度も利用したことがある。
彼らは定期的に新しい料理を販売し、俺も含めて多くのプレイヤーたちが客として舌鼓を打っていた。
そんな彼らなので、他の上位の調理スキルを持つプレイヤーたちのように高価な料理を出すレストランをオープンさせたのかと思えば、 なんと辛うじて主要区画にはあるが、裏通りの普段はあまり人が立ち入らない場所にお店を開いたのだという。
『隠れ家的なお店』といえばよく聞こえるが、場末感を感じるのも事実だ。
到着したレストラン……というよりは、ファンタジー風な創作物で、冒険者たちが集いそうな古い酒場……に見える木造の建物はかなり古びていたが、よく見るとしっかりと修繕されており、お店の前の道も綺麗に掃除されていた。
正面に堂々と据えられた看板に『
「なぜか懐かしさも感じるが……さて、入ろうか」
「「「「いらっしゃいませーーー!」」」」
両開きの古びたドアを開けると、店内は多くの客で賑わっていた。
俺と同じように今日の仕事……まあ二年も続ければ、ゲームではなく仕事のようなものか……を終え、料理をツマミに木製のジョッキで乾杯している若い男性プレイヤーたち。
お酒は飲まず、料理を注文してそれをおかずにご飯やパンを食べている男女のグループ。
大きなケーキや、パフェ、焼き菓子などのスイーツを、お茶と共に楽しんでいる女性プレイヤーたちの姿もあった。
さすがは『食の探求団』が経営しているレストランだけあって、出てくる料理のバラエティが豊富だ。
「お一人様でしたら、カウンター席ならすぐにご案内できます。あれ? 来てくれたんだ」
「噂を聞いてね。繁盛しているじゃないか。カウンターでいいよ」
「一名様、カウンターです!」
スカートが長いクラシックなメイド服姿で、俺をカウンター席に案内してくれた女性には見覚えがあった。
いつも移動屋台の前で呼び込みや料理の説明をしてくれる『ヒナ』さんという名前の若い女性プレイヤーだ。
カウンターの奥にある調理場で料理をしている、白いコックコートと前掛け、頭に大きな白い布巾を巻いた痩せ型で小柄な男性プレイヤーが『食の探求団』のリーダー『ユズ』君で、彼とヒナさんは姉弟だと聞いている。
同じく調理場の焼き台の前で、特徴的なロマンスグレーのリーゼントが隠れないよう、ハチマキを頭に巻いている背が高い初老の男性は『ロック』さん。
スラっとした背に、紺の作務衣が似合っている。
オーブンでケーキ生地を焼きながら、フルーツをカットしている、ふくよかな中年女性は『チェリー』さん。
見覚えがある《食の探求団》のメンバーが全員揃っていた。
「お冷とメニューをどうぞ」
「ありがとう」
コップに入ったお冷を持ってきたヒナさんから渡されたメニューを見ると、どれもとても安い。
今夜、パーティーメンバーたちが食べに行ったレストランよりもかなりリーズナブルだし、メニューも豊富だ。
お酒を飲んでもいいし、がっつり食事を楽しむことも、甘いスイーツを堪能することもできるからか、一人用のカウンターもすぐに埋まってしまった。
「ほほう……これは懐かしいメニューばかり」
メニューを見ると、ハンバーグ、オムライス、グラタン、チキンライス、ロールキャベツ、カレーライス、ピラフ、トンテキ、フライ各種、鳥の唐揚げ、鳥の山賊焼き、メンチカツ、コロッケ、ビーフシチュー、ナポリタン、ミートソース、などなど。
SAO世界の食材で、これほどまでに『町の洋食屋』風メニューを再現できるとは。
他にも、炊いたもち麦を炒めたチャーハンぽい料理や、これは焼きそばか?
麺が蕎麦っぽいけど。
大きなラビオリ……ギョーザに見えなくもないか。
懸命に中華料理っぽいものも再現しており、焼き魚、煮魚、フリッター……天ぷらかな?
角煮っぽいものもあるし、モツ煮込み、卵焼き。
キンピラゴボウなんてかなり本物に近い見た目だ。SAOでゴボウなんて見たこともないけど、いったいどうやって再現しているんだろう。
あそこの女子陣が食べているスイートポテトも美味しそうだ。半魚人のモンスターがサツマイモっぽい芋をドロップするという噂を聞いたことがあるけど、それを使っているのかな…?
なんと別のテーブルでは、大学芋によく似たスイーツを食べている女性まで。
見たことがある野菜と謎の野菜を組み合わせた煮物、肉野菜炒め、フィールドで採れる野草のお浸しなどの和食っぽいメニューもあった。
「まずはエールを飲みつつ、少しおかずをつまむか。すみません」
「はーーーい、ただ今」
呼ぶと、すぐにヒナさんがやって来て注文を取ってくれた。
さらにこれだけ色々なメニューがあるにも関わらず、注文するとすぐにお酒と料理がやってくる。
代金はその都度払いになるが、これはゲームならではの利点かもしれない。
ゲーム上でのお金のやり取りはお釣りも発生しないうえ、追加注文をする時にとても便利だ。
他の客たちも、つい二品、三品と追加で注文して食べている人が多い。
一品一品が安いので、お酒を飲ませながら複数の料理を注文させて客単価を上げ、利益を稼ぐ商売なのだろう。
料理の値段を考えると、大分良心的な商売をしていると思うけど。
「お待ちどうさま。エールと角煮と卵焼きです」
「外の世界を思い出すねぇ。こういうのが食べたかったんだよ」
目の前に置かれた卵焼きをまずは一口。
「俺は玉子焼きは甘い方が好きだから、こいつはいい。甘味は砂糖かな?」
「砂糖は高いし、ハチミツはチェリーさんのスイーツ作りに回されるのと、甘さが少しクドくなってしまうので、サツマイモに似ている、イクチオイドの芋で作った水飴です」
「芋から水飴を作る……昔、理科の授業で聞いたような」
「水飴は、角煮にも使ってますよ」
大量の角煮が入った大鍋から小鉢によそっているユズ君も話しかけてきた。俺以外にも次々と注文が入っているため、忙しそうだ。
「長時間似た角煮は、箸で簡単に切れてしまう。赤身はホロホロで、脂身の甘さと、タレの甘じょっぱさが実にいい! 故郷に帰ってきたかのような味だ。そしてここで、口の中に残った甘さをエールを喉の奥に流し込む。ぷはぁーーー! この一杯のために生きてるなぁ」
ホップがないからか。
このエールはハーブと香辛料の香りが強く……昔のエールでよく使われていたグルート入りのお酒を再現したものだろう。
お酒を冷やすのが難しい世界なので、清涼感が出るハーブ入りのエールは悪くないな。
「これで口の中がリセットされたので、再び卵焼きと角煮を食べつつ、そしてまたエールで口の中をリセットする。この作業を繰り返すと、いくらでも食べられそうだ」
角煮の味付けは塩とボア系の肉自体から出る旨味、あとは骨などで出汁を取っているのかな?
それに加えて、水飴の甘さと脂身の甘さが味に深みを与えてくれる。
これが醤油で味付けされていたら最高だったんだが、いまだに醤油には出会ったことがないので、ひょっとしたら存在しないのかも。
「さてと、一品料理はこのぐらいにして、やはりこういう店に来たら定食を頼まないと。ええと……ミックスフライ定食をください」
「ご飯を大盛りにできますよ」
「じゃあ大盛りで」
残りの料理をつまみながらエールを飲み干したところで、ヒナさんが追加で注文した定食を持って来てくれた。
合計金額を計算すると……うーーーん、客を満足させつつ、意外と客単価が高いとはやるな!
それでも、NPCがやっているレストランで同レベルの料理を食べるのに比べたら圧倒的に安いけど。
「ミックスフライ定食お待ちどうさまでした」
数あるメニューの中からなにを食べようか迷ったが、ここは色々なフライを楽しめるミックスフライ定食にした。
ご飯大盛りが無料だったので、当然大盛りにするのも忘れない。
てんこ盛りのご飯……この世界のお米は長粒種しかないので多少違和感があるが、もち麦を混ぜて、ジャポニカ米の粘りと食感に近づけているようだ。
健康にいい雑穀米ご飯が売りの定食屋なんてのもあったので、そこまで違和感はないかな。
フライは……全部衣がついて揚がっているからなんのフライかはわからないけど、揚げたてで美味しそうだ。
「そして、ソースがかけ放題なのが嬉しい!」
定食と共に運ばれてきた壺の中には、この店の手作りと思われるソースがなみなみと入っていた。
「やっぱり、フライにはソースだよな」
大量にお皿に盛られた千切りキャベツにもタップリとかけてから、一つ目のフライを齧る。
「これは肉……ボア系モンスターの肉だな」
トンカツとも違う、薄切りのボア肉のフライとソースが実によく合う。
鶏の唐揚げと鶏の天ぷらがまったく違う料理なのと同じく、薄切り肉をフライにすると、トンカツとは違う料理になるから不思議だ。
この世界に閉じ込められる前、分厚いのに柔らかくて、最初に塩で食べてくださいなんて言われるトンカツを食べて美味しかったけど、俺はソースをジャバジャバかけて食べる薄い肉フライの方も好きだな。
追いかけるように、キャベツ……によく似た葉物野菜の千切りとご飯をかきこむと、最高の美味しさだ。
「次は……魚か……」
ワカサギに似た小魚と、謎の白身魚のフライ、イカっぽいフライもあった。
小魚は骨まで柔らかく揚がっており、内臓の部分のほんのりとした苦みまで再現されているとは、いかにもこのゲームらしい。
この苦みを嫌う人もいるが、これがないとただの魚の身を食べるのと差がなくなってしまう。
フライの衣のサクサク感と、ソースの甘さや辛さと相まって苦みが美味しさの一つに昇華していることに気がつく俺は、このゲームの中で大人になったのかもしれない。
白身魚は料理の価格を抑えるためだろう。塩焼きにすると素っ気ない味になってしまうものをフライにすることで美味しくしている。
さすがは食の探求団、食材を集めるだけでなく、調理でも細かい工夫をしているな。
イカのフライは王道の美味しさだ。
確か、どこかの階層で巨大なイカのモンスターが出現するんだが、それの身だな。
食感と味に覚えがある。
大分前にNPCの屋台で串焼きにして食べたけど、美味しさはイカフライの圧勝だ。
「おっと、忘れていた」
キャベツっぽい野菜の千切りの傍に、かんきつ類と思われる果実も添えられていて、これはレモンの代わりだろう。
搾ってフライに振りかけると、立て続けにフライを食べたので脂っこい口の中を上手くリセットしてくれる。
これでまた、最初と同じようにフライの美味しさを味わえるというものだ。
「揚げたてのフライにソース! ご飯がいくらでも食べられるな」
ソースのかかったフライとご飯を交互に口の中に入れ、たまにキャベツの千切りで口の中をさっぱりとさせる。
こんなに美味しいルーティーンなら、いくらでも繰り返せそうだ。
「定食についてくる漬け物と梅干しもいいな。懐かしさすら感じる」
多少本物とは形と食感に差があるが、なにしろ久しぶりの日本の味だ。
大半の客が定食を頼み、ご飯と漬物の味を楽しんでいた。
「そして、このお椀に入ったスープは……これは!」
啜ってみると、衝撃の事実が発覚した。
和食の再現が極めて難しいこのゲームにおいて、スープではなく味噌汁が出てきたのだから。
「スープだと思っていたから、フライとソースに夢中になっていたけと、味噌汁とは驚いた!」
「お客さん、びっくりされました?」
「まさかアインクラッドで味噌が食べられるなんて! どこで手に入れたんだ?」
「一年半もの歳月をかけて、製法を研究したんですよ! もちろん企業秘密です!」
スープならあとで飲めばいいと思っていたが、味噌汁なら冷めないうちに飲まないと。
「よもや味噌汁があるとはなぁ……」
まずは一口啜ると、しっかりと出汁も取ってあって美味しい。
一日の仕事で疲れた体に染み入るようだ
いまだこのゲームからの脱出は叶わないが、まるで故郷に戻ってきたかのような……。
「あのぅ、チャーハンに味噌汁ってつきますか?」
「つきますよ。スープもつけられますけど」
「チャーハンと味噌汁でお願いします」
「俺は、豚ショウガ焼き定食ね」
「唐揚げ定食をください」
「ハンバーグ定食を!」
味噌汁がつく料理、定食を頼む人が多いが、それも納得だ。
酒飲みは最後の〆として味噌汁を頼む人も多いようだ。
「味噌汁はおかわりできますよ」
「おかわりをください」
味噌汁がおかわりできるのはいいサービスだ。
それにしても、まさか味噌の製造に成功したパーティーが現れたとは。
さすがは食の探求団というべきか。
彼らは攻略にはいっさい関わらないが、我々プレイヤーたちの腹を満たすことで貢献していることは間違いないな。
「ふう、ごちそうさま」
結局味噌汁を三杯も飲んでしまったが、おかわりをしていない人の方が珍しいくらいだ。
久々に食事で大満足した。
この値段ならかなりの頻度で通えるし、メニューが多いからすべての料理を食べ切るのにどれだけの時間がかかるやら。
しばらくは楽しめそうだ。
パーティーメンバーたちが行った高級レストランよりも俺はこっちのお店の方が好みだから、今日は得した気分だな。
明日も仕事を頑張って、このお店で食べることにしよう。
だが翌日、パーティーメンバーにこのお店のことを話したら、『昨晩、そっちのお店にしておけばよかった! 今夜、みんなでそのお店に行くぞ!』という流れになってしまったけど。
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「みんな、今日もお疲れさまです」
「今のところ、毎日満員御礼でよかったぁ。たとえゲームの中でも飲食店の経営は大変だから、とりあえず潰れる心配はないのは素晴らしい」
「利益はあまり出ていないけど、私は多くのお客さんにスイーツを提供できているから大満足よ。スイーツは心の栄養だものね。若い二人が今後お店の経営をどうしたいのか、ちょっとわからないけど」
「チェリーさん、無事にお店を持てたんだから赤字にならなきゃいいのさ。おっと、今日もお酒が沢山出たから、醸造壺のチェックと酒の仕込みを忘れないようにしないとな」
今日も最後まで満員御礼のままお店の営業が終わり、みんなで賄いの夕食を食べていると、食の探求団のお母さん的ポジションにして、スイーツ担当のチェリーさんが、今後の経営方針について僕たちに尋ねてきた。
今後の経営拡大はあるのかと。
「私とロックさんはともかく、ユズ君とヒナちゃんは若いから、このお店の経営でお金を貯めてもっと大きなお店に移転するか、支店を増やしたいと思っているのかなって? 夢は『安達食堂グループ』だったりして」
「僕はこれで満足ですよ。姉ちゃんもでしょう?」
「ええ。無事にお店を開けたというだけで、もう感無量。それと、飲食店の急拡大は破滅への一里塚! 今はオープンしたてでお客さんも多いけど、しばらくして客足が落ち着いてからが勝負だから、油断大敵よ!」
「だそうです」
今のところ、僕と姉ちゃんにそんなつもりはなかった。
だって僕たち姉弟は、ゲームの世界でとはいえ、亡くなった両親が経営していた『安達食堂』を復活させることができたのだから。
「この二年間、色々とあったけどね」
「本当にそう思うよ」
「これからどうなるかわからないけど、攻略組の人たちも食べに来ているから、きっとこの店のことをちゃんと広めてくれるはず」
「攻略組の人たちは顔が広い人が多いから、いい宣伝になるかもしれないね」
「明日以降はもっと忙しくなるかもしれないから、しっかり食べて英気を養って、早く寝て明日に備えましょう!」
姉ちゃんがお節介なお母さんみたいなことを言っている。
「俺はしっかり食べてるぜ」
「ロックさん、それお酒じゃない?」
「知ってるか? ユズ。この酒は穀物から作られているから、実質飯を食っているようなものなんだぜ。どうせこのゲームの酒は酔っぱらわないしな。現実世界では、黒糖や人参から作られるお酒なんてのもあるように、お酒の原料には試行錯誤の余地がある。だから、試作品の味見は重要なのさ」
なんとなしにログインしたゲームから出られなくなってしまった僕と姉ちゃん、チェリーさん、ロックさんだったけど、この《ソードアート・オンライン》では料理ができるのが幸いだった。
料理を愛する者たち同士が手を組み、料理を極め、未知の食材、欲しい調理器具の入手に全力で取り組み、食堂を開くことに成功したのだから。
「直近の目標は、オープン期間を過ぎてからの客入りが減らないようにすること。明日からも頑張りましょう」
「「「おおっーーー!」」」
ゲームでも、お店を持つというのは思った以上に大変だったけど、無事に夢を叶えられた今になって思い返してみるとどれもいい思い出だ。
僕たちがどのくらい大変だったか、それを話すとともても長くなるけど、もし興味がある人は料理を食べながらでも聞いてほしいと思う。