野﨑まど劇場
作品 No.22 首狩島容疑者十七万人殺人事件
「わぁ! 見て下さい先生! 島です! 島が見えます!」
「言われなくても見えているよ、小豆君」
先生は船の手すりに肘をかけて微笑みました。何をやらせても画になる人だなぁと思います。
みなさん、こんにちは。
さて、そんな世界一の探偵と世界一の助手が揃っていたら、皆さんは当然難問奇問の大事件が巻き起こる事をご期待でしょう。いやはや残念。本日の明渡探偵事務所はお休みなのです。そう、私たちは今、先生の多忙なスケジュールの合間を縫って事務所の旅行に来ているのでした。うふふ。
当たり前の話ですが、先生がいくら名探偵といえ、毎日毎日殺人事件のお相手ばかりじゃお身体がもちません。時には休みを取って身も心もリフレッシュする必要があります。リフレッシュのためには美少女助手と離島でリゾートするのが一番と考えた私は、早速この首狩島への旅行を計画したのです。水着も気合を入れて選びました。後は夏の開放感に身をまかせるだけ、のはずだったのですが。
「しかし首狩島なんて物騒な名前だねぇ明渡君」
「そうですね、警部」
……今登場しました恰幅の良いおじさんが
「まぁでも名前はともかく周りの海は綺麗だし、泳げる場所もあるそうじゃないか。小豆君、ちゃんと水着は持ってきたかね?」
「ええ、まぁ……」
「そうかそうか。楽しみにしよう」
楽しみにしようじゃあありません。波立瀬警部に見せるために持ってきた訳ではないのです。ふと見ると、警部の後ろで先生がクスクスと笑っています。先生が私に迫られないための予防線として警部に声をかけた事は明白でした。先生を癒したいという美少女助手の心遣いを何だと思っているのでしょうか。全く。
ですが。もし警部の同行がなかったとしても、私の心遣いは無駄に終わっていました。
何故なら先生の一番の親友である血の匂いを孕んだ狂気が、旅行に同行しないわけがなかったのですから……。
泊まる場所は小さいながらも素敵な洋館でした。ホテルになる以前はお金持ちの別荘だったのだそうです。中に入ると、シャンデリアの下げられた豪奢なロビーが私達を出迎えます。
「客室は三階になります。お客様のお部屋は三〇一号室、三〇二号室です」ホテルのご主人が鍵を差し出しました。
「僕と明渡君が三〇一で、小豆君が三〇二ってことかな」
「警部が別室になればいいじゃないですか」
「バカ言っちゃいけないよ小豆君。いくら探偵と助手とはいえ、未婚の男女が同室なんて」
「じゃあ警部が帰ればいいじゃないですか」
「なんでそんな非道い事を言うんだい小豆君……」
醜い言い争いの結果、結局私が別室にさせられてしまいました。警部なんて鮫に食べられればいいのです。
午後六時。
ホテルの二階ホールに宿泊客が集まりました。と言っても、私達を除けば五人しかいません。小さなホテルですから客室も少なく、それに伴ってか、夕食は宿泊客全員で会食するという形になっていました。
「まぁ、探偵さんでいらっしゃるの?」
化粧の濃い女性は言いました。この方は
「探偵って実在する職業だったんですね」
こちらの若い男性は
「そりゃ実在するさ。わしは仕事を頼んだこともあるぞ」
葉巻をふかしている見るからに悪そうなおじさんは
「探偵さんねぇ……。ところで豊臣社長、イベントのご用命などありませんか」
突然営業を始めた男性は
「………………」
無言で食事を続けている女性は
食事を運んでくれているのは宿のご主人、
夕食は何事も無く終わりました。ホールを出るとき、私は紹介パートみたいな夕食だったなぁと思い、一抹の不安を覚えました。
会食後、お酒が飲めるということで、ホテル二階のラウンジに先程の面子が集まりました。
しばらく飲んでいると、大学生の森田一郎さんが「なんだか眠いな……」と言って先に部屋に戻ってしまいました。私は「あ、死にそう」と思いました。探偵助手の勘というやつでしょうか。
翌朝。
森田一郎さんの遺体が、部屋で発見されました。
やっぱり……と思わざるを得ませんが、流石に昨夜の段階で「殺されますよ」と忠告するわけにもいきません。勘しか根拠がないのですから。でもこうして当たってしまうと色々と考えさせられます。
そして、森田さんの遺体には奇妙な点が一つだけありました。
なんと首が切られていなかったのです。
「首狩島だからって首を狩らなきゃいけない決まりもないだろう」
警部が遺体を検分しながら言いました。
「でも首狩島なのに……」
「確かにおかしいね」
先生が言いました。流石先生。解ってる。
「別におかしくないと思うんだけどなぁ……。まぁいいや。状況を整理しよう」警部が手帳を眺めながら解説します。「死亡推定時刻は彼が部屋に戻った夜九時から、遺体が発見された朝八時までの間。死因は毒殺。この全身が虹色になる症状は、この島に生えている虹毒草の中毒症状らしい」
遺体に妙な点がもう一つありました。全身が虹色だったのです。言い忘れていました。すみません。
「コーヒーから潰した実が出てきたから間違いないだろう。電話で鑑識に聞いてみたが、この実の毒は特殊だから、解剖しても死亡推定時刻は絞れないかもしれないと言っていた。そして部屋のドアは開いていた。あと宿の入り口も鍵はかかってなかったそうだ。外からの出入りは自由。ご主人も奥さんも寝ていたそうだから誰が入ってきてもさっぱり判らない」
なんという無用心な宿でしょう。これでは容疑者が宿泊客に絞れません。紹介パートはいったいなんだったのかと思わざるを得ません。
「警部、質問が」
「なんだい、明渡君」
「この宿から島の端まで、歩いてどれくらいかかりますか」
「え? 島の端まで? えーと……」警部はアイフォンを使って地図を調べました。「そんなに距離はないなぁ。徒歩でも三時間くらいでいけるんじゃないか?」
「つまり往復六時間ですね。死亡推定時刻にはかからない」
「うん? どういうことだい、明渡君」
私にもわかりません。どういう事なんでしょうか。
「いいですか、警部。非密室・出入りは自由・殺害方法は木の実を放りこむだけの毒殺。犯行は誰にでもできる。そう、本当に誰にでもできる。女性にも子供にも簡単にできる。島の端っこに住んでいたって徒歩で往復してできる。つまり容疑者は島民全員というわけですよ。警部、この島の人口は?」
「ええと……結構いるよ。十七万人くらいだそうだ」
「この事件は、容疑者十七万人のクローズドサークルというわけです」
警部がガックリと項垂れました。
気持ちは解ります。解決は絶望的でした。十七万人とか。名前を考えるだけでも大変な労力です。いくら先生が世界一の名探偵とはいえ、十七万人の中から犯人を絞ることなど不可能なのでは……。私はすがるような目で先生を見ました。
しかし名探偵・明渡火炉楼は、私のチンケな予想を軽々と飛び越える一言を発したのです。
「解りましたよ。この事件の犯人がね」
「なんだって!?」
「せ、先生! 本当ですか!」
「ああ本当だよ、小豆君。簡単な事件さ。ほんの少し未来を想像する力があれば、事件の全容は明らかになる」
先生は柔らかく微笑みました。しかしその目には全てを射ぬくような鋭い眼光が宿っていました。先生がこの目をした時、あらゆる事件は終わりに向かって収束し始めるのです。
「では解決編といこうか小豆君」
「はい!」
「警部。容疑者を全員集めてください」
「え、全員? どこに?」
「入れるところに」
先生はかなりの無茶を言いました。
「無理言わないでくれよ」
「今日じゃなくてもいいですから」
「うーん、それなら……いやそれでも辛いよ」
「頑張ってください」
先生は譲りません。明渡火炉楼が一度言ったことを譲らないのは波立瀬警部もよく知っているはずです。
「助けてくれよ、小豆君」
「私も一緒に探しますから」
私は泣きそうな警部を慰めました。この事件が終わったら水着くらい見せてあげてもいいかなぁと思いました。
そして一ヶ月後。
私たちは東京ビッグサイトの東ホール内に設けられた巨大ステージの舞台裏にいました。ホール内には十七万人の島民がぎゅうぎゅうに詰められています。また東ホールだけでは入りきらず西ホールと南ホールにも人が溢れています。なんちゃらマーケットさながらの人出です。
「ここしか無かった」波立瀬警部はやつれていました。無理もありません。場所の準備から島民の移動の手配まで、この解決編の為に尋常じゃない労力がかかっています。どこからこんなお金が出ているのでしょうか。多分血税なのでしょう。人一人の命は地球より重いという名言が頭をよぎります。
「では始めようか、小豆君」
「はい!」
私たちは壇上に登りました。この日のために先生が可愛い服を買ってくれました。先生はいつもと同じ格好ですが、それは当然です。いつ如何なる時でも画になる先生が、わざわざイベント用の服に着替える必要などないのです。
『会場にお集まりの皆さん。明渡火炉楼です』
マイクの声が広大なホールに響き渡ります。ステージの映像と音声は西・南ホールにも中継されています。
『それではこれから、首狩島で起きました殺人事件の全容を語らせていただきましょう』
『まず私が引っかかった事は、首狩島で起きた殺人事件であるにも関わらず、首が切られていないことです。いやいや、と思われるかもしれませんが、皆さんも考えて見て下さい。首狩島で殺人を犯したら首を狩りたくなるのは人情というもの。これは誰にでもある、至極当然の感情です。当然犯人も思ったことでしょう。首狩島なのに首を切らないのはなぁ……と。しかし犯人は首を切らなかった。なぜか。首を切ってはいけない理由があったからです』
『その理由は、別な要素と合わせることで浮かんできます。まず部屋に鍵が掛かっていなかったこと。宿の出入りが自由だったこと。犯行方法が木の実で毒殺という誰にでも可能な方法であったこと。そして首狩島であえて首狩をしなかったこと。これらの要素には共通点がある。おわかりですか? そうです。誰にでも犯行が可能であるということです。もし首を斬ってしまったら、女性や子供は容疑者とは考えにくくなる。犯人は、犯行を誰にでも可能にするために、あえて首を切らなかったのです』
『犯人の目論見通り、容疑者は全く絞れませんでした。島の全員に犯行が可能。容疑者は十七万人。さてここで、皆さんに想像していただきたい。心を真っ白にして、極々当たり前の想像をしていただきたい』
『私は現場にたまたま居合わせた探偵です。探偵が殺人事件に出くわす。事件解決に乗り出す。推理する。そして推理が行き届いた時、探偵はどうするか。そうです。容疑者を集めて推理を披露するのです』
『ですが容疑者は十七万人。集めようにも、集められる場所は限られる。このビッグサイトのような大きな会場が都合よく空いていれば別ですが、世の中そうそう上手くいくものじゃない。そうでしょう、波立瀬警部』
先生がステージ袖の警部に呼びかけました。私は警部にマイクを渡します。
『いやそれが、会場は割とすんなり決まったんだ。たまたま空いていると教えてくれた人が』
『あ!』
私はマイクに乗るくらいの大声をあげてしまいました。
そうか!
『そうです、警部。貴方に声をかけたのは、今貴方の隣に居る男です』
私と警部は揃って顔を向けます。
そこに居たのは宿泊客の一人、イベントホールの営業をしていた島田瓜彦さん!
『島田さん。イベントホールの営業に苦慮した貴方は、私が探偵だと知ってこの計画を思いついた。容疑者を十七万人にすることで解決編の場所を限定し、そして貴方が担当するイベントホール、この東京ビッグサイトを借りるように仕向けた! これが事件の全容ですよ。島田さん……貴方の計画は完璧だった。ただ一つだけ誤算があったとすれば、解決編の後には犯人が明らかになってしまうのを失念していたことです……』
島田さんはその場に崩れ落ちました。
仕方なかったんだ、客を取ってこないといけなかったんだと、島田さんは泣きました。
そして島田さんが警察に連れられてホールを去った後、会場では彼が手配していたというマジックショーや大道芸が始まり、島民の皆さんは大いに沸きました。こうしてイベントが成功したことだけが、この凄惨な事件のたった一つの佳処であったのではないかと、私は思うのです。
「悲しい事件でしたね先生」
「事件というものはみんな悲しいものさ。事件が起きない。それだけが唯一、人が悲しまずに済む方法なんだ」
事件を解決した後の先生は、必ず寂しそうな顔をします。私は良くないことだと自分で解りつつも、先生のこの顔がとても好きなのです。
「明渡君」
「警部」
警部は遠い目で言いました。「容疑者を全員集める必要が、あったのかな」
先生は警部に、なにやら難しい言葉を多用して早口気味に説明をしました。先生が何を言っているのか私にはよく解りませんでした。多分警部にもよく解らなかったはずです。まぁ何にしろ先生に任せておけば、事務所に余計な責任や請求が来ることもないでしょう。波立瀬警部にはこれから沢山のお仕事や後始末があるのでしょうが、それは事件とはまた別のお話です。
後日、十二キロも瘦せてしまった波立瀬警部が余りにも不憫だったので、市民プールで私の水着姿をご披露してあげました。波立瀬警部は力無く笑ってため息を吐きました。警部なんて鮫に食べられればいいのです。