野﨑まど劇場
作品 No.24 ライオンガールズ
夏休みの補習をサボタージュして教室に向かうと、クラスメイトの
「西根賀さんも、サボタージュ?」
「ええ。
「暑くって……」
「そうね」
西根賀さんはすました顔で、下着を見せながら足を扇いでいる。私たちの学校は別に女子高ではないのだけれど、今は夏休みで男子もいないので特に恥じることでもない。
「あの……西根賀さん……下着が見えてますけど……」
でも教室にもう一人いた染里さんが、眼鏡を上げながら恥ずかしそうに注意した。
「染里さんも補習……じゃあないよね」
「補習ではないです。私、学校の方が勉強が進むので……」
「何が楽しくて補習でもないのに勉強なんてしているのかしら」西根賀さんは不思議そうに首を傾げた。
「勉強が好きなんです」
「よくわからない日本語だわ」
西根賀さんがスカートのお尻の方をめくり上げて孔雀のようなポーズで染里さんを威嚇する。美人で上品な顔立ちをしているけれど、西根賀さんの偏差値は41だ。染里さんは怯えている。私は西根賀さんのお尻を見つめた。汗で下着が張り付いていた。
「なんでクーラーが付かないのかな、うちの教室」
「電気代の節約でしょう」
「でも部室棟は付いているよね」
「それは野球部がいるもの。私たちの学校は野球部以外の取り柄がないし」
「人種差別みたい……」
「真彩さんも部活に入ればいいんじゃない?」
「私、前にクーラー目当てで文芸部に入ってみたことがあるの。でも字を読むのが辛くて辞めちゃった」
「ふふ……馬鹿ね」
西根賀さんはまた孔雀のポーズを作って私を馬鹿にした。偏差値41の西根賀さんに馬鹿にされることほど悔しいことはない。染里さんは西根賀のお尻を見せられて赤面していた。
「そ、そういえば……今度部室が一つ空くみたいですね」
「そうなの?」
「ええ……天文部が部内で喧嘩別れしてしまって、廃部になったそうですから」
「これはチャンスね真彩さん」
「え、なにが?」
「その部室、私たちでいただきましょう」
「えぇ! どうやって?」
「新しい部を作ればいいんじゃないかしら」
「新しい部……。でもさ、確かに部活を作ったら部室がもらえるかもしれないけど。今度は部活動をちゃんとやらないといけないじゃない? 流石に部室で寝そべってくつろぐだけとはいかないだろうから……」
「つまり、部室で寝そべってくつろぐだけの部を作ればいいってことね」
「ライオン部?」
担任の
「何する部なの」
「ライオンをするのです」西根賀さんが優等生のような顔で答えた。西根賀さんの偏差値は41だ。
「どういう意味?」
「どういう意味?」西根賀さんは偏差値68の染里さんに聞いた。
「え……や……え……? その……じゃあ……百獣の王たるライオンの振る舞いを学んで社会を生き抜く力を身につけたり……て、帝王学みたいなものでしょうか……?」
「です」
「今、じゃあって言ったわね」
「空耳です」
「そもそも貴方たち……ライオンがどういう生き物なのかちゃんと知っているの?」
その時先生の後ろを、獣医志望のクラスメイト
「なんで僕が、そのよくわからない部活に入らなきゃならないの?」
「経附君がライオン指導してくれるっていう条件で部の設立許可が下りたの。だからお願い」
「ライオン指導って何」
「ライオンは毎日寝そべってくつろいでいますって、私たちに教えてくれることよ」
「君たちライオンを舐めているだろう」
「なんでっ……ハッ……ハッ……ジョギングっ……」
私はジャージ姿で河川敷にへたり込んだ。後ろから自転車に乗った経附君が追いついてくる。
「ライオンのメスは狩りをするんだよ。ライオンの振る舞いを学ぶというからには、まず足腰を鍛えないと」
「ハァ……ハァ……どうして私が、ライオンの振る舞いを学ばなきゃならないの……」
「君すごいね」
「真彩さん、大丈夫?」前を走っていた染里さんが軽快な足取りで戻ってきた。染里さんは勉強ができて運動もできるという非の打ち所のない人だ。後ろを見ると西根賀さんが過呼吸で死にそうになっていた。西根賀さんは頭が悪くて虚弱というちょっと絶望的な人だ。
「私に……構わず……逃げて……」
西根賀さんはライオンに食べられる方の台詞を言ってから、息絶えた。
「あ、ほら、経附君これ見て」私はパソコンの画面を指差す。「ウィキペディアに一日二十時間寝るって書いてあるよ。ライオンはやっぱり一日中寝てるんだよ。私たちね、こういうリアルなライオン像を追い求めているの」
「じゃあ一日四時間は運動しているんだ」
「あんまりリアルばかり追ってもどうかと思うの」
「君すごいね」
「ああ、涼しい……」西根賀さんはクーラーの効いた部室の床に直接寝そべっている。「とりあえず寝ましょうよ」
「床はあまり衛生的じゃないですよ西根賀さん……。ここで寝そべるなら、やっぱりなにか敷きたいですね」
「マットレスとかかな?」
「ライオンはマットレスに寝ないよ」
「それはそうだけど……じゃあ何を敷いたらいいの?」
「ライオンといえばサバンナですから……たとえば人工芝でしょうか?」
「あ、染里さん、それいいかも。気持ちいいよね、人工芝って」
「ホムセンね」西根賀さんが動物の敷物のように広がったまま言った。
「じゃあ一人一五〇〇円ずつ」
「なんで僕まで」
「経附君がマットレスじゃ駄目だって言うから」
「でも床全面分は買えなかったですね」
「思ったより高かったね」
ホームセンターを出ると、外の植木コーナーに西根賀さんがいた。
「何見てるの?」
「これが欲しいわ」
「庭石? 大きくない?」
「ライオンはこういうのの上で寝そべっているイメージがあるから」
「あぁ、わかるかも」
「平地で見晴らしの良い場所を確保するのは確かにライオンらしいね」経附君が解説する。
「ね。買いましょうよ」
「いくら?」
「四十八万円」
「西根賀さんって、少しだけ馬鹿だよね」
「ええそうよ」西根賀さんは無意味に誇った。とりあえず一五〇〇円ちょうだいと迫ったら七二〇円しか持っていなかった。彼女は頭が悪くて虚弱で貧乏というヘレン・ケラーのような人だ。
買ってきた人工芝で六畳の部室のだいたい半分を覆うことができた。私たちはとりあえず上に転がってみた。
「わ、気持ちよくない? これ」
「中々良いわね」
「なんだか落ち着きますね……」
「僕にも転がらせてよ」
「三畳しかないんだから三人でいっぱいだよ経附君」
「君酷いね」
「さて、やっと下準備も整ったし。じゃあゆっくり寝そべろうか」
「待ちなよ真彩さん。君、ライオンの寝方を知っているのかい?」
「知らないけれど……こんな感じ?」
「そんなだらしのないお父さんみたいな寝方のライオンはいないよ」
「ええと……こんな感じでしょうか……」
「そんな借りてきた猫みたいな寝方のライオンはいないよ」
「こうよね」
「そんな性倒錯者みたいな高校生はいないよ」
「いるじゃない」
「いるなぁ……」
「ライオンらしく寝てって言われてもよくわかんないよ経附君」
「テレビとかで見たことない?」
「あるけど覚えてないかも……」
「しょうがない……じゃあみんなで見に行こうか」
「ドブエンね」
ドブエンこと多摩動物公園に来た私たちは、アフリカゾーンでライオンバスに乗った。
「みんな寝てるよ経附君」
「寝てるなぁ」
「今日も暑いですからね……」
「こう、前足は前に出して、後ろ足は横に放り出す感じ?」
「頭を持ち上げて周囲を警戒するんだよ。サバンナでは敵や獲物に対して絶えず集中していないと」
「そんなの一頭も居ないよ」
「だらけきってるわね」
「ここのは飼い慣らされてからさ……」
「あ、でも……確かに岩の上に寝てる子も居ますね」
「やっぱり岩が必要なのよ。買いましょうよ」
「お金足りないよ。誰が出すの?」
「みんなでアルバイトをして稼ぐのよ」
西根賀さんは自分で言った後にヘッて笑った。心にも無いことを言う人だなぁと思った。
「でもクーラーつけ放題の部屋が手に入るなんて本当にラッキーだったなぁ。もう夏休みの間毎日通っちゃうよ寒!!」
部室の戸を開けると、中から冷凍庫のような冷気が吹き出した。部屋の中では西根賀さんが両膝を抱えながらガタガタと震えていた。
「たすけて……」
「なにやってるの西根賀さん……」
壁の温度計を見ると12度になっている。私は温度を上げようとリモコンを取った。すると震える西根賀さんが私の腕を摑む。
「上げるのはもったいない……」
「価値観が完全に間違ってるよ西根賀さん……」
「おはようご寒!!」
「染里さんも手伝って。部屋の温度を上げるから西根賀さんを押さえ付けて」
「ええ、そんな……あ、そうだ。私、今日ちょうど良い物を持ってきたんです」
「良い物?」
染里さんは持っていた袋から、黄土色の毛布みたいな服を取り出した。
「あ、着ぐるみパジャマ」
「私が家で使ってるのなんですけど……ちょうどライオンなんですよ」
「でも残りの二着はリスとホルスタインだよ」
「同じものは買わないので……」
「貸して」
西根賀さんはホルスタインを引ったくるとそれを着込んだ。
「ああ、暖かい……」
「なんだか解決法が間違っている気もするけど……」
「はい、真彩さん。ライオンどうぞ」
私は少し躊躇したけれど、寒さの前に背に腹は変えられず、言われるがままにライオンの着ぐるみパジャマを着込んだ。
「さすが冬用。あったかいね」
「これならちょうどいいですね」
とりあえず温度的には落ち着いたので、私たちは人工芝の上に寝そべった。ライオンの着ぐるみを着ながら動物園で研究したポーズを取ってみる。するとなんだか、自分が本当にライオンになったような気がしてくるから不思議だ。隣では西根賀さんがセブンイレブンのコーンマヨパンを反芻しながら食べていた。
その時部室に経附君が来て、私たちを見回した。
「なんだいここは」
「ライオン部よ」
ホルスタインが言った。
コツコツ、という足音にぴくりと耳をそばだてる。
夏の間中この部室で寝そべっていたので、廊下の足音を聞いただけでも誰が来たのか大体判るようになってしまった。聞き慣れた音だったから私は警戒を解いて再びリラックスする。部室に入ってきた経附君は、寝そべる私を見て言った。
「板に付いてきたよね真彩さん」
「何が?」
「ライオンが」
「やだ、やめてよ。本当にライオンになりたいわけじゃないんだから。クーラーの付いた部室が欲しかっただけだもん」
「でも完全に牛になっている人もいるけれど」
周りを見回せば勉強をしているリスと寝息を立てているホルスタインがいる。せっかくだしライオンで揃えようかという話も出たのだけれど、着ぐるみパジャマは意外と高かったのでやめてしまった。
外から、ひぐらしの声が聞こえる。
「夏休みももう終わりだね」
「ライオン部のおかげで涼しい勉強場所ができて助かったよ。でも二学期が始まったら、ここどうするの?」
「暑いうちは使うと思うけど。ライオンて冬はどうしてるのかな」
「サバナ気候だと年間の寒暖差は少ないから、あまり変わらないと思うよ」
「冬は暖房をつけて鍋を囲むのよ」牛の西根賀さんが起きて言った。「おでんが食べたい」
「ライオンは鍋を囲まないよ」
「経附君、知っているかしら」
「何を?」
「オーストラリアの海水魚の一種に、貝を石に打ち付けて割って食べる習性があることが最近になって発見されたそうよ。道具を使う魚類の発見は初めてなんですって」
「へぇ。それが?」
「もしかしたらライオンも私たちの見ていないところで鍋を使っているかもしれない」
「使ってないよ」
「経附君…………本当にそう、言い切れる?」
「言い切れる」
西根賀さんはおでんが食べたいと言って再び横になった。
「でも楽しそうだね、お鍋」
「やりましょうやりましょう」リスの染里さんもはしゃいで言った。
「まぁライオンとは別にしても、エアコンのある部室は僕も惜しい」
「じゃあ冬までにコンロ買わないと……」
と、そこで私は再び耳をそばだてた。あまり聞きなれない足音だった。部室のドアが開くと、馬場裏先生が少し申し訳なさそうに立っていた。
四人で帰り道を歩きながら、私は石を蹴った。
夏休み中争った天文部の仲違いは終結し、先日廃部から一転して再結成されたのだという。そうなると当然部室をどちらが使うかという話になるのだけれど、職員会議で天文部とライオン部のどちらかという議題になった時、一つの異議も何らの迷いも無く、部室は天文部に返還されることに決定したのだそうだ。馬場裏先生はごめんねと言ってから「でもライオン部って意味わからないしね」と漏らした。
「部室、なくなっちゃいましたね」染里さんが寂しそうにつぶやく。
「また快適な寝場所を探さなくては……」西根賀さんは鬱々とつぶやく。
「でもさ、先生ちょっと酷くない?」
「まぁ急な話ではあったわね。言い分は完全に向こうが正しいのだけれど」
「え、あ、うん。そうよ、急にさ……」
私は少し口籠ってから、手に下げていた紙袋に目をやる。中にはさっきまで着ていたライオンの着ぐるみパジャマが入っている。
「染里さん」私は袋を渡した。「これ、ありがとう。返すね」
二学期が始まった。
体育祭と文化祭が特に何の盛り上がりもなく終わって、今は中間試験の準備の時期になっていた。私も一応人並み程度に教科書を開いたりしている。
本を借りようと思って図書室に寄ると、染里さんが黙々と勉強をしていた。染里さんはきっと良い大学に進むのだろうから、学年は関係なく勉強し続けなければならないんだろう。私は声をかけずに図書室を出た。
廊下を歩いていると、西根賀さんが先生に怒られていた。西根賀さんも特に変わりはなさそうだ。彼女は元々理由もなく廊下で寝そべれるような人なので、部室が無くなっても実はそれほど困ることはないのだと思う。きっと今も空調の快適な職員室に入り込んで寝そべったりしていたのを見つかったのだろう。先生の注意など全くこたえていなさそうな西根賀さんを横目に見ながら、私は学校を後にした。
夕飯の買い物を頼まれていたので、帰りにショッピングセンターに寄った。買い物を済ませてから他のお店を眺めていると、ファンシーショップのウィンドウに動物の着ぐるみパジャマが飾ってあった。
私はそれをほんの少しだけ眺めてから、通り過ぎた。
週末の夕方。閉園間際の多摩動物公園で、私はライオンバスに乗った。
ライオンは前と変わらず、そこかしこで寝そべっていた。
十分ほどで一周を終えてバスを降りる。そして乗り場の出口を出ると、キリンの檻の前で知り合いにばったりと出会った。
「経附君」
「こんなところで何やってるの真彩さん」
「経附君こそ」
「僕は毎週来ているから」
私達は休憩所で座った。
「毎週来てるなんて、本当に動物が好きなんだね」
「真彩さんだって。前に来てからまだ二ヶ月も経ってないのにまた来たの?」
「え、うん」私は返答に窮してジュースを口にする。
「でも部室の件はほんと残念だったよね真彩さん」
「そうだね……。良い集まり場所だったのにね」
「それもあるけど。真彩さんはもうかなりライオンぶりが上達していたのに」
「やめてよ経附君……。あれはほら、部を作る口実で始めたことで」
「でも真彩さんは」
経附君は私の瞳の奥を見つめて言った。
「ライオンが、好きだったよね」
私は。
それを否定することができなかった。
インターホンを鳴らすと扉が開いて、染里さんが顔を出した。
「あれ、真彩さん……? うちまでいらっしゃるなんて、急にどうしたんですか?」
「あの……染里さん」私は少しもじもじとしてから、顔を上げた。「あのパジャマ、また貸してもらえない?」
インターホンを鳴らすと扉が開いて、ホルスタインが顔を出した。
「なんで家でそれ着てるの西根賀さん……」
「気に入ったから染里さんから譲ってもらったのよ。それで何か用事?」
「いえその、もう着てるなら話は早いんだけど」
試験休みの月曜日、私達は校舎の裏に集まった。
「なんだか久しぶりね」
牛を着込んだ西根賀さんが言う。染里さんはリスを、私はライオンを着ている。制服の経附君も入れて、二ヶ月ぶりのライオン部集合だった。
「それで真彩さん。どうしてまた集まろうなんて思ったのかしら」
「うん……あのね、実は私もあんまり上手くは言えないんだけど……でもね」
私はみんなの顔を見回した。
「また、みんなで寝そべりたいなって、思ったんだ」
「真彩さん……私も、私も寝そべりたかったです」
「私もそろそろ職員室は危険だと思っていたわ」
「僕は結局寝そべらせてもらったことがないんだけど」
「寝そべりたいなら貴方も着ぐるみを着ないと」
「持ってないよ」
「うちにもう一着ありますよ」
「何?」
「ボウリングのピンです」
「なんでそれを買ったんだい染里さん」
「可愛いかと思って……。でも、これからどうしましょう真彩さん。もう部室もないですし……」
「確かにね……」私は首を捻る。「今は試験休みだからまだいいけれど。学校が始まったらこの格好で校内をうろうろするわけにもいかないし」
「私は平気よ」
「それは知ってるけど」
「新しい部室が欲しいですね。校庭の隅の物置とか貸してもらえないでしょうか。今使ってないみたいですし」
「うーん、先生に相談してみようか…………ん?」
「どうしました?」
私は耳をそばだてた。
「校舎の中から足音がする」
「先生でしょう?」
「ううん……なんだか……」息を潜めて耳に集中する。「すごい慎重に、抜き足差し足で歩いているような……」
私達は顔を見合わせて、校舎の裏口から中に入った。
柱の角に隠れて廊下の先を覗く。そこにはジャージを来た見慣れない男性が、迷ったようにキョロキョロしながら歩いていた。
「先生じゃないですね」
「父兄の人? でも試験休みだし……あっ!」
驚いて声を漏らす。その男性は教室の前に並ぶロッカーを開けて体操着の袋を取り出した。位置関係でわかる。それは、女子のロッカーだった。
「泥棒!?」
「なるほど、変質者ね。試験休みを見計らって、女子の物を盗みにきたんだわ」
「ま、真彩さん! 早く先生に言いに行きましょう! 職員室なら誰か居るはずです!」
「待って。逃げるわ」
「どうしよう、間に合わないよ」
「ならこうしましょう」西根賀さんは校舎の外側を指さす。「向こうは見つかったらやばいのだから、生徒が目についたら別な方に逃げるはずよ。だから三人で誘導して犯人を追い込むの。そして残った一人が待ち伏せして捕まえる」
「私達で、捕まえるの?」
「地の利はこちらにあるのだから、そんなに難しくはないはずよ」
「じゃあ僕が待ち伏せして」
「待って」私は経附君を制した。「私にやらせて」
「そんな。危ないよ」
「ううん……大丈夫」
パジャマの手を見る。
そこには肉球と、可愛らしい爪がある。
耳をそばだてる。
染里さんの怯えたような、でも勇気を宿した足音がする。
経附君の少し不器用な、でも力強い足音がする。
西根賀さんの捕まえるとか言ってはみたけれど実はそんなにやる気のない足音がする。
三人のチームが、泥棒を、確実に追い込んでいる。
60メートル、50メートル、40メートル。
30メートル。
ライオンの射程距離。
そうして私は飛び出すと、死地に追い込まれた獲物に、容赦なく飛びかかった。
その時、私は確かに。
一頭のライオンだった。
学校の中にライオンが居て本当に怖かったと、泥棒は後に語ったそうだ。
自分たちの手で変質者を捕まえた私たちは、最初に先生から盛大に怒られて、そして警察から感謝状をもらって、その後先生に盛大にほめられた。
手のひらを返した先生たちは、私たちライオン部に物置の部室を与えてくれた。エアコンはない。実を言えば先生は、部室棟の前の部屋を使っても良いよと言ってくれたのだけど。私たちはそれを断った。なぜなら、前の部室は二階だったから。
新しい部室に入ると、まだ誰も来ていなかった。エアコンが無いから少し肌寒い。今は秋だからまだいいけれど。冬はストーブでも持ってこないといけないなと思った。
鞄を置いて、いつもの服に着替える。そして私はライオンみたいに雄壮な足取りで部室の真ん中に行くと、そこに鎮座した大きな岩の上に登った。
それは警察からの金一封で購入した、あの庭石だった。二階では流石にこれは置けない。エアコンを犠牲にしても手に入れた岩なのだから、なるべく活用してあげよう。
耳をそばだてる。
西根賀さんと、染里さんと、経附君の足音がする。
私は群れの中で、とても幸せな気持ちで寝そべった。
懐かしい庭石を眺める。
あの頃と変わらない、ただの大きな石。その上に着慣れたホルスタインの着ぐるみパジャマをかけて、私は物置小屋を出た。
高い空を見上げる。
『プロのライオンになりたいの』
あの日、真彩さんはそう言って旅立った。
私は一人呟く。
「人はね、ライオンにはなれないのよ、真彩さん」
線香の煙が、風に吹かれて頼りなげに消えた。
アフリカでは毎年70人以上がライオンの犠牲になっている。