野崎まど劇場(笑)

作品 No.01 白い虚塔


 PCのモニタに、手術の動画が流れている。

 画面の中で作業する手が僅かにブレて血管を傷つけた。小さな傷から血がじわじわと広がり、ミスに動揺した両手が慌てている。すぐに血管を結紮して事なきを得たが、お世辞にも巧みな手技とは言えない。

「くそ」

 映像を見ていた高野は苦々しく言い放ち、バックボタンを押して動画を消した。自分の執刀した手術の映像だった。何度見返しても下手過ぎる。

 こんなことじゃ、いつまで経っても上にはいけない。

 高野は苛立ちを覚えながらブラウザに表示されているサイトを見つめた。そのサイトのトップページには、彼の目指す「上」が燦然と表示されていた。



『お医者さんになろう』は昨今絶大な人気を誇る医療行為投稿サイトである。

 サイトに登録すればウェブ上に自分の医療行為の成果をアップできる。ジャンルは多岐に渡り、カルテ・診断・投薬計画などのテキスト物から、MRI・CTなどの画像物、そしてエコーや外科手術の動画ファイルもそのまま投稿可能だ。

 投稿医療は誰でも閲覧でき、視聴者は気に入った医療行為をブックマークしたりポイントを付けたりもする。その評価ポイントが人気のランキングを形成し、サイトのトップページに表示される上位10医療は、全投稿者の憧れの的になっていた。



 高野は徐ろにマウスを操作すると、《+第1位+ 人工心肺しんぱい非使用冠動脈かんどうみゃくバイパス》をクリックした。ページが変わり、医療行為の基礎情報が表示される。


  感想:21076件

  ブックマーク:59941件

  総合評価:200768pt


 実感が全く湧かない桁の数字が並んでいた。続いて彼は自分のアップした医療行為《虫垂炎ちゅうすいえん開腹手術》のページを開いた。


  感想:0件

  ブックマーク:0件

  総合評価:15pt


 高野は自虐的な気分でデータを眺める。ユニークアクセスですら100未満で泣きたくなってくる。評価以前にそもそも誰も見ていないということだ。腕が足りなくてポイントが伸びないのは自業自得かもしれないが、せめて閲覧くらいはしてくれてもいいじゃないか。

「いやいや高野君。これは自業自得だ」

 振り返ると、わざとらしく顔を作った男がモニタを覗いていた。高野の友人の一条である。

「凡ミスなのは自覚している。しかし……」

「そうじゃなくてだな、内容以前の問題だろうよ」

 一条は表示されているタイトルを指差す。

「盲腸の開腹なんて見たがる奴がいるか?」

 目を背けていた事実をストレートに指摘されて、高野は言葉を詰まらせた。

『お医者さんになろう』にはトレンドというものがある。

 医療行為自体は病気の数だけ存在するが、『なろう』のユーザーに受ける医療というのは非常に限定的だ。その中でも最も人気が高いのは《心臓外科手術》で、それ以外の医療行為がランキングの上位に来ることは皆無と言っていい。

「虫垂炎の手術という段階で既に、お前の投稿は負けているんだ」

「だがこの患者は急性で一刻も早い手術が必要だった」

「それはランキングとなんら関係ない」

 一条は冷たく言い放つ。見ろ、と言って彼は高野からマウスを奪い、ランキングの3位をクリックした。それは一条の投稿であった。


《+第3位+ 心破裂しんはれつ左室後壁さしつこうへき破裂)》

  感想:19805件

  ブックマーク:51573件

  総合評価:180509pt


 圧倒的な人気だった。それもそのはず、一条の投稿した心破裂の手術はトレンドの心臓外科の中でもケレン味のある疾患の一つだ。しかし急性心筋梗塞から派生する病態のため心破裂の執刀を狙って行うのは難しく、その希少性も魅力の一つとなっている。

 それに加え、流れ始めた動画に映っている一条の手技も見事なものであった。緊急開胸の手際の良さ、心タンポナーデに対する的確な処置、どれ一つ取ってもランキング上位を飾るに相応しい技量であり、虫垂炎で出血させている高野とはレベルが違う。

「ランキングに載りたければ心臓を切るのが一番だ。心破裂の症例を探せとは言わないが、中隔欠損や弁置換ならお前でも希望して執刀できるだろう」

「症例を選り好みするような真似は……」

「俺の所に、《完全大血管転位症だいけっかんてんいしょう》の執刀オファーが来ている」

 一条の言葉に、高野は目を見開く。

〝執刀のオファー〟

 それは医療行為投稿者にとってこれ以上ない名誉である。アップした手技から腕を認められ、正式に手術を依頼される。最上位の、ほんの一握りの者しか手にできない栄光の証。高野の心の奥底に醜い嫉妬が湧き出してくる。

「子供じみた綺麗事はやめて症例を選べ、高野」

 お前が一生盲腸を切りたいというなら別だがな、と言って一条は去った。高野は言い返せぬまま、自分の手の平をじっと見つめた。



 ティッシュペーパーに手術糸の結び目が何十と並ぶ。

 結紮けっさつの練習であった。高野が二本の鉗子を使って糸の両端を持つ。それを一瞬巻いたかと思うと次の瞬間には外科結びができていた。

 医療技術の高さは『なろう』での人気に直結する。

『なろう』ユーザーの多くは手術の失敗を嫌う。同時に『なろう』ユーザーは手術中のストレスを避けたがる傾向があり、投稿者の腕が未熟であったり、拙いながらも努力の跡が見られるような手術はあまり好まない。最も評価を受けるのは高い技術力を存分に振るった圧倒的クオリティの手術であり、そうした投稿は《俺UMEEE》のタグを付けられ人気を博している。

 高野は100個目の結び目を結った。彼の腕ならば結紮くらい目を瞑ってもできるが、より早く、より正確に結ぶためにも日々の練習は欠かせない。高野は一心不乱に結び続けた。心の迷いを振り払うように。

 一条の言う通りに心臓を切れば、少なくとも閲覧数は大きく伸びるだろう。

 だがそれが正しいのか。

 視聴者の望む手術だけをするのが正しいのか。

 高野はそれが納得できないでいた。しかし現実を見れば、高野の投稿医療は誰にも閲覧されず、症例を選んだ一条には執刀のオファーが来ている。

 だったら、俺のやってきたことは。

「高野君」

 呼びかけられて振り返ると、白衣の女性が立っていた。高野と一条の共通の友人、荻野冴子であった。荻野は二人とは高校時代からの付き合いであり、手術の腕に関しては二人を凌ぐほどである。ただ彼女は『なろう』への投稿は一切しておらず、興味もないようだった。

 荻野は高野に寄って、結紮の練習跡を見つめる。

「上達したね」

「上から物を言うな」

「だって……」

 私の方が上手いもの、とでも言いたげな顔に、高野は苦虫を嚙み潰す。それは事実であり反論もない。

 にわかに、言葉が途切れた。

 その間を埋めるように高野が口を開く。

「来週、一条の手術に第一助手で入ることになった」

「……例の完全大血管転位症?」

 高野は頷く。

 助手の依頼は一条の方からだった。お互いのやり方に反目しあってはいるが、長年の友人として相手のことを気にかけているのも確かであった。この手術で高野が第一助手を務めれば、投稿されるものは一条と高野の連名となる。そうすれば彼の名も一躍知れ渡るだろう。

 助手依頼は一条の純粋な厚意であり、高野はそれを受けた。

 それは同時に、彼が自分のやり方を否定したということでもあった。

「お前に話してもしょうがなかったな」

 高野は自嘲気味に言った。情けないと思った。自分で覚悟を決めて選んだ手術だ。荻野に聞いてもらって気が楽になるわけでもないし、何かが変わることはない。

「高野君」

 高野は顔を上げた。

「間違ってる」

 荻野は、悲しげな顔で言う。

「なんだって?」

「間違ってるよ、高野君」

「……『なろう』に投稿もしないお前に何がわかるっ!!」

 高野の拳が机を叩いた。あまりのばつの悪さに舌打ちし、乱暴に立ち上がってその場を去る。

 残された荻野は、高野の真摯な結紮の跡を、悲しげに撫でていた。



「肩の力を抜いていいぞ。元々俺一人でも平気な手術だ。お前は執刀のサポートだけしてくれれば問題ない」

 手術衣に袖を通しながら一条が言う。高野の緊張を見てとったのか、場をほぐすように軽口を叩く。

「わかった。余計な手出しはしないよ」

「ああ。お前はこの後の事でも考えていろ」

「この後?」

「この手術を投稿すればデイリー1位はまず間違いない。週間でも問題なくトップを取れるだろう。あとは月間、四半期ランキングにどこまで食い込めるかだが……。なんにしろ、リンクからお前の投稿にも人が流れる。そこでの客の摑み方をよく考えておけ」

 高野はハッとする。そうだ、この手術が終われば俺も人気投稿者の仲間入りを果たす。そうなれば生活は一変することだろう。投稿医療の評価点は20万ポイントになり、執刀のオファーで引っ張りだこの生活がやってくるかもしれない。それこそ自分がずっと憧れていた世界。夢にまで見た生き方ではないか。

 高野はスマートフォンを取り出すと、『なろう』にアクセスし自分のページを確認した。15ポイントだけの見慣れたページがある。この寂しいページとも今日でお別れなのだ。

 と、その時。高野の目に見慣れぬものが飛び込んだ。

《1》の表示は、新着感想の数を報告するものだった。

(感想……?)

 高野は迷わずクリックし、感想ページを開く。

 それは虫垂炎手術の投稿に付いたレスであった。


突然の書き込みですみません。

昨夜から猛烈な腹痛に襲われており、盲腸ではないかと疑っている最中に、投稿者様の虫垂炎手術のページにたどり着きました。小さなミスこそありましたが、その丁寧な結紮を見て、真面目で、愚直に練習を続けておられる方なのだと感じました。

もしよろしければ、私の盲腸の手術をお願いできないでしょうか。こうして文章を打っている今も耐え難い苦痛に見舞われています。住所と連絡先を記しておきます。どうか自分をお救い下さい。


 それは。

 高野宛の手術のオファーであった。

「なんだこりゃ?」

 後ろからスマートフォンを覗いた一条が首を傾げる。

「急性虫垂炎ね……しかしそんなに痛いならまず救急車だろ。レスで執刀依頼なんて悠長な……。ま、俺たちには関係ない話だ。高野、手術を始めるぞ」

 高野はスマートフォンをしまい、顔を上げ、一条の瞳を真っ直ぐに見る。

 彼の顔は青空のように晴れ渡っている。

「おい…………高野、お前まさか」

「俺はこの人の所に行く」

「馬鹿野郎!」

 一条は声を荒げる。

「こんな非常識なやつに構うな! お前はこれから大血管転位症整復の助手をするんだ!」

「こっちはお前一人でも大丈夫なんだろう?」

「そんな盲腸野郎のところに行って何になる! また投稿してゴミみたいな点をもらうのか! それでいいのか!」

 高野は手術衣を脱いで床に落とした。滅菌してあった術衣はこれでもう使えなくなった。

 踵を返し出口に向かう高野の背に、一条は叫んだ。

「お前はそれでもなろう医師かっ!!」

「俺は」

 高野は振り返って答えた。

「なろう医師じゃない」



 緊急開腹だった。腸管に穴を開けるほどに化膿した虫垂を、高野は持てる技術の粋を凝らして処置した。ミスは一切ない。高野のメスは自らの心を映したように、鋭く、そして冴えていた。

 手術は無事終わり、助けを求めた男性は涙を流して高野に感謝を伝えた。酒を飲まない高野は缶コーヒーを買い、一人で青空と乾杯をした。

「なろう医師になりたかったわけじゃない」

 誰に聞かせるでもなく、彼はそっと呟く。

「俺は、お医者さんになりたかったんだ」



 世界でも類を見ない超大規模違法医療事件は、医師を自称する投稿者25万6789人の逮捕という未曾有の結末で幕を下ろした。最初の逮捕者となった高野容疑者、一条容疑者を告発した荻野冴子医師は、事件後悲しげに語った。

「そういう時はね……大学に行けばよかったのよ高野君……」

刊行シリーズ

独創短編シリーズ2 野崎まど劇場(笑)の書影
独創短編シリーズ 野崎まど劇場の書影