少女星間漂流記2
子の星
「おー、熱帯雨林じゃん」
二人が降り立ったのはジャングルであった。背の高い木々が生えている中に蛇行した大河が横たわっている。鋭い牙を持った小魚たちが、茶色の水面を跳ねていた。湿度も気温も高く、快適とはとても言えない環境である。
「うええ、蒸し暑い。だるい。脱ぎたい」
リドリーはグロッキーだった。服の襟元を開放し、ぱたぱたと仰いでいる。
「なあワタリ。服脱いでいいかな」
「はしたないよ、リドリー」
ワタリは涼しい顔をしている。彼女はいつものように黒いドレスを着こんでいるが、ケープすら外していなかった。肉体が普通の人間と違うので暑さも平気である。
「ああ脱ぐ! もう脱ぐ! 止めないでくれ!」
スカートのバックルに手をかけたリドリーをワタリが止める。
「ちょっとやめなって」
「いいだろ、ワタリしかいないんだし」
「星人と出会うかもしれないじゃない。下着姿じゃ恥ずかしいよ」
などとワイワイしていると茂みから人影が現れた。
「お、何だアンタたち。見ない格好だね」
それは女の声だった。
リドリーは半ばスカートを脱ぎかけている。ワタリはそのリドリーの手を掴み、スカートを脱がせまいとしていたところだった。
ワタリがリドリーに言う。
「ほら! 噂をすれば現地の星人だよ。早くスカート穿いて……」
二人はやってきた女を見て、
「ほわぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
同時に叫んだ。
やってきた女――地球人によく似ている――はほとんど裸だったのだ。布を胸と腰に巻いているだけ。だが、ほとんど裸であるがゆえにスタイルが良いのがよくわかった。背が高くて肌は健康的な小麦色。野生美と肉体美がほとばしっている。年齢はワタリたちと同い年くらいに見える。後頭部でひとくくりにされている白い巻き毛は、まるで動物の尾のようだ。快活そうな顔をしていて、額の中心に黒い黒子のようなものがあった。
リドリーが呟いた。
「どうやらこの星では、下着姿が正装のようだな……」
と言いつつもリドリーはスカートを脱ぐのをやめた。ほとんど裸の女性を見て、恥ずかしくなったのだった。
リドリーはいつもどおりのよそ行きの顔を作って、女性に話しかけた。
「初めまして。私たちは……」
だが、女性はそれを聞いていなかった。彼女はリドリーを無視すると、獣のように眼を光らせて、ワタリに向かって突進していた。
女性はワタリの前に立つと大きな声で言った。
「アンタ、いいね!」
戸惑うワタリ。
「え、私……?」
「その尻がいい!」
女性はワタリのお尻をバンと叩いた。初対面とは思えないボディタッチにワタリは飛び上がった。
「ひゃう!」
「いい赤ちゃんを産んでくれそうだ。体も鍛えられてるみたいだし、気に入った。うちの村に来な!」
女性はワタリの手を引っ張って、半ば無理やりに歩き出した。上機嫌な笑みを浮かべている。
引っ張られながらワタリがおずおずと言う。
「い、いきなりなんですか、あなた……」
「あたしの名前はホストってんだ。アンタは?」
「ワ、ワタリです……。あの、手を離してください……」
「いーや、離さないね。そんなに警戒するなよ。取って食いやしないよ」
「で、でも……」
「まあ、行ってみようじゃないか」と後ろからついてくるリドリーが言った。
「せっかく村に案内してもらえるって言うんだ。ひとまずお言葉に甘えよう。この星のことを知ることができるしな」
「……それはそうか」とワタリは納得する。
二人はひとまず村に向かうことにした。
ジャングルを抜けて、三人は村に着いた。
村には茅葺屋根に似た建物が点在している。無数の木の枝を柱にして、藁や葉っぱを屋根としている粗雑な作りだった。ジャングルの村だけあって緑が多い。木の柵に囲われている家畜の姿も見受けられた。
村の人間は女ばかりであった。皆屈強な体つきをしていて、下手な男よりも強そうだ。
「アマゾネスみたいだな」というリドリーの呟きに、ホストは答えた。
「アマゾネスってのは知らないけど、ここにいるのは強い女ばかりさ。じゃないと外敵から子供たちを守れない」
「外敵?」
「ああ、あたしらの子供を狙って食う生き物がこのジャングルにはたくさんいるのさ。そういう獣は男たちが留守の間を狙ってくる。だからここでは強い女は何より重宝されるんだ。そもそも強い女でないと男に選んでももらえないしね」
ホストはワタリの背中をバンバンと叩く。
「だから本当にアンタはいいよ。こんなに強そうな女は見たことないねえ。ぜひうちの村に留まって子供をたくさんこしらえてくれ」
ワタリは少し困っている。
「子供……。そういうこと、私はまだ考えたことがなくて……」
「ううん?」
ホストは小首をかしげる。
「女に生まれたんだから、子供を作るのが何より大事だろ?」
どうやらそれがこの星に根付いている価値観らしい。
村中に響き渡る大声で、ホストは仲間に呼びかけた。
「みんなー! お客さんだよー!」
呼びかけに応じて、家から村人が出てきた。家畜の世話をしていた者も中断して三人を見る。
「お、なんだなんだ?」
十数名の村人が群がるように集まってきた。
ホストがみんなにワタリを紹介した。
「見な! うちの新しい仲間のワタリだ!」
「いや、この村に住むって決めたわけじゃ……」
村の女たちは、ワタリを見て感嘆する。
「すげえ! なんて鍛え上げられた筋肉なんだ」
「鬼が宿っているのかと思った」
「これなら大蛇が襲ってきても一ひねりじゃないのかい?」
「この子から生まれる子供はさぞ強い子に育つだろうねぇ」
「うちの守り神になってほしいよ」
あっという間にワタリは賛美の嵐に包まれた。
ワタリは人と交流するのが得意ではないが、こうもたくさん褒められると悪い気はしない。
聞いているうちに顔がにやけてきた。
「へ、へへへへ……それほどでも……」
ワタリは頭の後ろに手を当てる。こんな風に他人から褒められ、歓迎されたことはあまり経験がないのだった。
「まあ、子供を作るかはひとまず置いておいて……。いい村だねえ」
「そうかい? 私には全然いい村じゃないんだがね」とリドリーが少し不機嫌そうに口をとがらせた。彼女は蚊帳の外だった。村人たちは見向きもしない。村に到着して数分で、リドリーはすでにこの星への関心を失っていた。
「どうせ私はヒョロガリで弱いからね。こんな野蛮な星、こっちから願い下げだ」
そこでやっとホストがリドリーに声をかけた。
「まあ、これから強くなればいいのさ」
ホストはリドリーの体をまじまじと見る。
「……とは言ってみたものの、ちょいとヒョロガリ過ぎるねえ。うちの男連中が拾ってくれるかどうか。アイツらは強さと尻のデカさしか見てないんだよなぁ」
「弱くて尻も胸もなくて悪うございました。大体、興味ないっての。子供作るなんて。なあ、ワタリ?」
「それはそうだね。少なくとも今は、考えられないかな」
ホストは驚いた後に、心底わからないという顔をした。
「なんなんだい、アンタら。どうして子供をそんなに嫌う」
「嫌ってるわけじゃない。興味がないんだ。育ってきた文化の差異だろう」
「文化……? 難しいことはわかんねえな」
そこでホストはぱんと手を打った。
「いいこと思いついた。アンタたち、うちの子を抱いてみなよ。ちょうど六人目の子が赤ん坊でかわいい盛りなんだ。抱いてみたら子供が好きになるし、子供が欲しくなるに決まってるさ」
「私はパス」と言ったのはリドリーだ。
「子供嫌いなんだよ。赤ん坊なんてぶっさいくな猿にしか見えないし」
だが、ワタリは違った。
「私は抱いてみるだけなら……」
ワタリは子供が好きだ。
ホストはリドリーに言った。
「安心しな。猿には絶対に見えやしないし、猿よりずっとかわいいさ」
ホストは二人の前を去って、茅葺屋根の民家の一つに入っていった。そこが彼女の家らしい。
しばらくしてホストが民家から出てきた。
ホストは、衣に包まれた小さなものを抱いていた。
「ほら、連れてきたぜ。抱いてみな」
ホストは抱いてきたものを差し出した。
「うっ……!」
思わず二人はたじろいだ。差し出された手、衣の中にいる生き物は確かに猿には似ていなかった。
衣の中で蠢いていたのは、大きな芋虫に似た生き物である。
若干黄色みがかった白の体表。無数に刻まれた体節の皺。天辺には黄色くて小さな頭がついている。一対の牙を開けたり閉めたりしていた。
唖然。
「どうだい、かわいくて声も出ないだろ?」
ホストは芋虫のような生き物に頰擦りをした。
「それが……ホストさんの赤ちゃん……?」
「それとはなんだい。正真正銘、私がお腹を痛めて産んだ子だよ」
ホストは母親が赤子をあやすときに特有の、愛らしく高い声で芋虫に話しかけた。
「おー、よしよし。お腹空きましたねえ」
ホストは胸元からこぼれ出た大きな乳房を芋虫のような生き物の口元にあてがった。芋虫のような生き物が乳首に吸い付く。ホストに全く嫌悪の様子はない。心底からかわいいと思っているようである。
「リドリー、これって……」
「うん」
ワタリはドン引きしていたが、打って変わってリドリーは楽しげであった。
「俄然興味が湧いてきた」
「ええっ……」
ワタリはリドリーにもドン引いた。
「どうやら私たちは勘違いしていたようだ。ホストが、そしてこの村の人々があまりに地球人に似た姿をしていたから、てっきり哺乳類に似た星人なのだと。だが、違うのかもしれない。彼女たちの本質は、昆虫なんじゃないかな?」
「昆虫? そうかな……?」
ワタリ、ホストの体を見る。
「昆虫の要素、一つもないけど。芋虫みたいな生き物の名残もない」
「それがまた興味深い。もしかしたら不完全変態するのかもな。蝶々と同じだよ。アレは蛹を経て全く別の姿に変わるだろう? この村の人々も、芋虫から美しくたくましい女性へと変身を遂げるんじゃないか? ふふ、目覚めたら虫が人間になっているなんて、逆グレゴールだね」
リドリーは芋虫の世話をしているホストに声をかけた。
「ホスト。私の推測が正しければ、この村のどこかに蛹のための設備か何かがあると思うんだけど」
「もちろんあるさ」
リドリーはにやりと笑った。推理が当たってご満悦なのである。
ホストは小屋を指す。それは民家よりもずっと大きかった。
「あれがそうさ。子供たちはね、ある程度大きくなったらあそこで蛹になるんだ。蛹の間はすごくデリケートだし、身動きも取れないから、特に注意してあげないといけない。私たち、強い母親の出番ってわけだよ」
ワタリが尋ねる。
「そういえば男の人が一人もいませんね。いったいどこに……?」
「狩りに行ってるんだよ。私らの飯と、それと新しい女を娶るためのね」
「お、奥さんがいるのに新しい女性を……?」
「うん? 何が悪いんだ? 強い男がたくさんの子供を作ろうとするのは、当然のことじゃないか。むしろ私たち女からしても、優秀な子供を産めることはありがたいことだし」
「うーん、ついていけないよ……」
「ワタリ」
リドリーがゆるくかぶりを振りながら、ワタリを諫めた。
「現代日本人の感覚は通じないよ。ましてや彼女たちは昆虫なのだから。たくさん子供を産めるのが光栄だと思うのは当然だろうね」
リドリー、にこやかな顔でホストに向かって手を挙げる。
「すいませーん。私、急に子供に興味出てきちゃいました! 蛹のある部屋を覗いてみてもいいですか?」
「ああ、いいとも!」
ホストは快諾する。
「この村はとにかく女が足りてないからね。アンタはちょいとヒョロガリで頼りないが、子供を産める胎があるなら大歓迎だよ」
「村に住むかは子供たちのかわいさを見てから考えることにしまーす」
いい加減な返事をして、リドリーは蛹のある小屋に向かった。ワタリはそれについていこうとしたが、ホストがその手をがしっと掴んで引き留めた。
「アンタはここで私とお話さ」
「えっ、どうして……」
「言っただろ? 私はアンタが気に入ったのさ。何が何でもこの村に残ってほしい。だから今から口説き落とすんだよ」
ワタリを見つめるホストの眼差しは純真そのものだ。裏表がない人物だというのが伝わってくる。
ワタリは微笑みを返した。
「……お話を聞くだけなら」
ワタリは、他人が自分にこんなにも惚れこんでくれたことが嬉しかった。
「そう来なくっちゃ!」とホストは嬉しそうにした。
二人は近くにあった大きな茸の上に座る。椅子の代わりにちょうど良い。傘は柔らかく、座り心地がよかった。
茸に座って、ワタリは村を見渡す。改めて見てみると村の女は芋虫を抱いているか、大きなお腹をしている。
ワタリは隣に座るホストに尋ねた。
「この村の女性は、みんなお子さんがいるんですね」
「当たり前だろ? 子供を産んで、育て、守ることが女の仕事なんだから。この村ではね」
「……だとしたら私はホストさんの期待には応えられないと思いますよ」
ワタリ、ホストの腕の中の芋虫を見る。
「私はホストさんとは違う星人です。体の作りも違いますから、その……そういう感じの子供は産めないですよ」
「ああ、それなら心配いらないさ。うちの男たちの精力はもう、抜群だからね。星人の違いなんて小さなことは問題にもなりゃしない。相手が女なら、どこの星人でも身ごもらせちまうのさ」
「ど、どんな星人でも……? それはすさまじい……」
「それだけじゃないさ」
ホストはワタリの耳に顔を近づけて、そっと囁いた。
「うちの男たちの針は……気をやるほどに気持ちいい」
「気……気をやるほど……」
俯いたワタリの顔は赤くなっている。
「おぼこには刺激が強すぎる話だったかもな」
ワタリの初々しい反応をホストは笑った。
「アンタが心配することは何もないのさ。この村は良いよ。村全体が家族みたいな団結力があるし。アンタも、アンタの友達も。仲間として受け入れるさ。あとはアンタが、子供を欲しいと思ってくれれば問題解決」
「その子供を……」
ホストの大きな手が芋虫の柔らかな体を優しく撫でている。芋虫は気持ちよさそうに体をくねらせていた。
「もし私がこの村に残ったら、そういう子供を産むことになるんですよね?」
「そりゃあそうだろうよ」
率直にワタリは思った。
こんな子供は欲しくない。
こんな芋虫にしか見えない子供など、かわいいと思えないし、愛せる気もしない。
――こんな気持ちの悪い生き物……。
と頭に過ったが、すぐに思い直した。
今のはあまりに失礼だ。
子供を撫でるホストの手つきを見る。子供を見下ろすホストの優しい眼差しを見る。
彼女は心から自分の子供をかわいいと思って、愛しているのだ。
自分には芋虫にしか見えなくても、ホストにとっては大切な子供。
芋虫を気持ち悪いと思うのは、地球人の、いや、ワタリの美的感覚にすぎない。それによって、他人の子供を気持ち悪いものと断じるのは、とても心無い行為だとワタリは思ったのだった。
確かに、産む気にはなれない。芋虫の子供は欲しくない。自分はこの星には残らないだろう。
けれど、ワタリは決意した。少なくともホストの前では、この子を気持ち悪いものとして扱うのはやめよう。
だから、ワタリは言った。
「……抱かせてくれますか?」
ホストの顔がパッと明るくなった。
「もちろん!」
ワタリは芋虫を受け取った。虫に触ることに抵抗はない。そんな潔癖ではこの銀河ではとても生きていけないのだ。
ワタリの腕の中で芋虫が蠢いている。どうしても見た目は好きにはなれないが、もうワタリが顔をしかめることはなかった。
ワタリは聞いた。
「子供が生まれるってどんな気持ちなんですか?」
「興味が出てきたかい?」
「いえ、正直に言ってここで子供を作ろうとは思っていません。でも、前から少し気にはなってたんです。いつかは子供が欲しいですけど……私なんかに育てられるか不安で……」
「最初から自信のある母親なんていないさ」
ワタリが村に残る気はないと言ったにもかかわらず、ホストは快く質問に答えた。
「最初の子供を産む前……あたしは何を考えてたっけな」
ホストは太ももの上に頬杖をついて考える。視線は空を向いていた。
「そうだ、怖かったんだ」
その気持ちがワタリにはわかる気がした。
「不安だったんですね」
「不安……。そうだね、もちろんそれもあった。でも、それよりもずっと怖さが勝ってた。ええと……。その時は私、子供がまだ好きじゃなくて……。生みたくなくて……」
ホスト、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。頬杖の位置が頬から額にずれていた。ホストは目を震わせて、額を押さえていた。
「そうだよ、あたし帰りたかったんだ。お腹が大きくなるたびに不安と怖さも大きくなって……。このまま、お腹の子供を殺してしまえたらって」
何か聞き間違えたのではないかとワタリは思った。その単語は、とてもホストが口にするものとは思えなかった。けれど、それは決してワタリの聞き間違いではなかった。続けてホストはこう言ったのだ。
「どうしたら殺せるのかって考えてた。なのに、あたし……産んだ……」
ホストの声は小さかった。震える視線はどこを見ているのかわからない。
「なんであたし、産んじまったんだ……」
ホストの様子を見てワタリは戸惑った。さっきまでの快活な雰囲気は消えて、欝々としている。何かホストのトラウマのようなものを踏み抜いてしまったようだ。ワタリは慌てて、取り繕うように言った。
「最初はきっとみんな不安で怖いものなんですよ。でも、いいじゃないですか。今はこんなにもお子さんを愛しているんですから」
ホストはがばりと顔を上げて、ワタリを睨んだ。
「愛してるわけないだろ」
その双眸に、元気で明朗な光はなかった。底が見えない深淵が、眼孔の奥に続いているかのようだった。
あまりの豹変ぶりに、ワタリは言葉を発することもできなかった。
ホストはかぶりを振った。
「……わりい。何言ってんだあたし」
その瞳には少し光が戻ってきていた。
「うちの子、返してもらえるかい?」
「は……はい……」
ワタリが芋虫を差し出すと、ホストはそれを受け取った。
「……なんてこと言っちまったんだろう。こんなにかわいいじゃないか。……かわいいよな? 愛してるよ。愛してるに決まって……」
芋虫を抱いたまま、ホストは辛そうに俯いてしまった。見れば脂汗を浮かべている。鼻先から汗の雫が滴って、芋虫の張りのある体の上で弾けた。
明らかに具合が悪そうだった。何か精神的に苦しんでいるように思えて、ワタリは茸の椅子から立ち上がった。
「リドリーを呼んできましょうか。彼女は医術の心得があるんです。心が落ち着く薬も持っていますよ」
「……いや、大丈夫。ちょいと気分が悪いだけだから……」
ホストの丸まった背中を、ワタリは心配そうに見つめていた。
「ほほう、これはこれは……」
蛹の小屋の中をリドリーは興味深そうに観察していた。
小屋の中には無数の棚があった。ただし普通の棚ではない。芋虫を入れる棚である。六角形の穴が無数に空いており、その中に芋虫が入れられているのだ。
芋虫は大きかった。
一番手前の棚には蛹に変わろうとしている終齢幼虫――蛹になるひとつ前の段階まで成長した幼虫――が収納されていた。芋虫の体躯はリドリーと大差ない。ホストが抱いていた芋虫のことをリドリーは思い出す。手で抱えられるほどの大きさしかなかった生き物が、ここまで大きくなることに少し感動する。
ひとつ奥の棚に進んだ。その棚には蛹になって間もない子たちが収容されている。奥の棚に行けば行くほど、成長した蛹が収められているようである。リドリーの前にある蛹はシルクのような白色だった。リドリーが指でつついてみると、いやいやをするように体をくねらせた。
さらに奥の棚を見る。もう一段階、成長をした蛹があった。白い膜の中で黒い影が蠢動している。その形はまだ不定形だ。
「これが人の形になるっていうんだから、生命というのは神秘だよ」
リドリーはさらに奥の棚へと進んだ。そこには羽化直前の蛹があった。白い膜の向こうで蠢いている生き物の姿もはっきりと見て取れた。
その蠢動するものを見て。
リドリーは目を剥いて、たじろいだ。
「おいおいおいおいこいつは……」
すぐにリドリーは踵を返すと、小屋の外へと駆けだした。
「馬鹿だ私は! この手の生き物は地球にいくらでもいたじゃないか!」
ほとんど体当たりするような勢いで、扉を開けた。村人たちが驚いてリドリーを見た。芋虫を抱いているか、あるいはお腹の大きな女性ばかりが。
リドリーはワタリの下へ駆けた。彼女はホストと一緒に大きな茸の上に座っていた。
「ワタリ!」
叫ぶリドリーをワタリが見た。
「あっ、リドリー。ちょうどいいところに。ホストさんが少し具合悪いみたいで……」
「出るぞワタリ! ここはやばい!」
「えっ?」
「説明は後だ。とにかくここを出る!」
「でも、ホストさんが……」
「いいから言うことを聞け!」
それでワタリは黙った。相方がこれだけ必死になっているということは何かあるに違いなかった。
「わかった」
そう答えた時には、リドリーは万能小物入れから馬車を取り出していた。
「ホストさん、ごめんなさい。私はもう行きます」
ホストは顔を上げた。いくらか元気が戻ってきているようだった。少し辛そうだがどうにか笑顔を浮かべてワタリに言った。
「そうかい。残念だけど、無理に引き留めることもできないからね。元気でやりなよ」
「ホストさんも、ご家族で仲良く過ごしてください」
リドリーがワタリを強引に馬車へと引きずり込んだ。
機械の馬が地を蹴り、二人は村を飛び立った。
まさにその時だった。酷く嫌な音が村中に響き渡った。
ぶぶ、ぶぶぶぶぶぶ……。
低い地響きのような音。聞いた者の生理的な恐怖を呼び起こす音だった。
空が黒くなった。暗雲が立ち込めたかのようだった。
暗雲の正体は蜂だった。大男ほどの体躯を誇る蜂が無数に。彼らは生き物を抱いていた。
一部の蜂が抱いているのは、ぐったりとした女性たちである。彼らは死んでいるかのように動かない。
それ以外の蜂が抱いているのは、赤黒い何かだった。よく見るとそれは肉塊であった。もっと正確にいうならば、死体を丸めて作った肉団子のようである。
ホストが羽音を聞いて、空を見上げた。
「ああ、帰ってきた。うちの男たちが」
ホストは蜂の群れをうちの男たちと呼んで、
「うちの……男……?」
自分の言葉に疑念を抱いた。
彼女は頭を押さえた。爪が頭皮に食い込む。
「……そうさ。私の、私たちの愛すべき旦那だよ。私たちをこの村へ連れてきて、身ごもらせて……」
う、とホストは一言呟いた後、抱いていた赤子を取り落とした。丸々と太った芋虫がころころと地面を転がった。巻かれた布がはだけた。
「あああああああああああああああああああああ!」
ホストの絶叫が炸裂した。
「あああ! そうだ! いやだ! あたし、帰らないと! みんな! みんな!」
ホストは半狂乱になって駆けだした。どこへ向かっているのかはおそらく自分でもわかっていないだろう。とにかく村の外へ。
だが、彼女の行く手に、一匹の蜂が立ちはだかった。熊ほどの大きさがある蜂が、ぎちぎちと牙を動かしている。腹の先についた針からは毒液が滴っていた。
「ひっ……!」
蜂はホストに飛び掛かると、太い六本の脚で彼女を仰向けに固定してしまった。
「いや! 離せ! 離して! やだ! 針は嫌!」
六本の脚のうちの一本が、ホストの頭を押さえこむ。もはやわずかにも動かせなくなった顔に蜂の針が近づいていった。
「あああああああああああああああああ! うああああああああああああああああああああ!」
針はホストの額の中央にある黒子に刺さった。果たしてそれは黒子ではなく、傷跡であった。針は寸分も狂いなく、傷跡に吸い込まれていく。
「あ」
するすると針はホストの頭の中へ入っていった。貫通するのではないかというほど奥へと進んでいく。蜂の尻が動いた。針でホストの脳をかき混ぜているかのような動きだった。
「あっ」
ホストの体が痙攣を始めた。針が奥に侵入するほどに、ホストの顔から恐怖が消えていった。
「あー」
今のホストはむしろ嬉しそうであった。口の端からは泡のような唾液が滴っていた。
蜂はホストから離れた。その後もホストは放心状態のようにしばらく地面に倒れていたが、やがてむくりと起き上がった。
そして茸の椅子の近くに転がっている、彼女の子供……否、彼女の胎から出ただけの芋虫を抱き上げて、愛おしそうに頬擦りした。
「お父さんがご飯を持ってきてくれましたからね。一緒に食べましょうね~」
地面には、蜂のうちの一匹が置いていった肉団子が転がっていた。ホストはそれを手に取ると、千切って芋虫の口にあてがう。そして自分もまた肉団子を頬張った。
村の女たちはほぼ全員、同じことをしていた。
「蜂の中にはね、自分とは全く違う種族に子供の世話をさせるやつがいるんだ。対象の肉体に産卵して、生まれてきた幼虫を守らせる。寄生蜂ってやつさ」
銀河を駆ける馬車の中で、リドリーが言った。
「どうやって違う種族にそんなことをさせられるの……」
「脳の手術を行うのさ。対象の脳に針を刺して、神経節にウイルスを注入する。ウイルスに侵された脳は正常な働きを失い、寄生蜂の子供を守るようになるんだ」
あの星の蜂は、コマユバチに近いんじゃないかなとリドリーは付け加えた。コマユバチのウイルスに脳を侵された蛾の幼虫は、死ぬまで蜂の子供を守るようになるのである。
リドリーの説明をワタリは信じられずにいた。
「脳の手術って……。そんな繊細なことが虫にできるの?」
「虫を侮っちゃいけない。彼らの針には寸分の狂いもないよ。その手術は実に科学的で技巧的で、いっそ芸術的ですらあるんだ」
ワタリは暗い気持ちになった。
「……芸術的なんかじゃないよ」
ホストのことを思い出していた。芋虫のことを子供と思いこまされて愛していた顔、ウイルスが一時的に弱まったのか昔を思い出して懊悩する顔。
「あんなに酷いことってない」
感情的なワタリとは打って変わって、リドリーの声は無機質だった。彼女は窓の外を見て――ワタリに後頭部を向けて――いた。
「あんまり感情移入するなよ。私たちは行きずりの旅人なんだから」
「リドリー……!」
批難しようとしたワタリだったが、思わず言葉をひっこめた。
ワタリは気付いたのだ。窓ガラスに映るリドリーが苦々しい顔をしていることに。
ワタリは考えた。
リドリーが強引に馬車を発進させていなかったらどうなっていたか。自分はきっと蜂の群れからホストを守るために戦っていたに違いないのだ。いや、その場合、守るべきはホストだけでなく、リドリーも対象になる。それがどれほど困難で、危ないことかは考えるまでもない。針を一刺しされれば終わりだというのに。
リドリーは科学者だ。星の事象や星人の習性に、主観や感情を差しはさんだりはしない。
けれど、それはリドリーに感情がないことを意味するわけでは、決してない。
リドリーは感情を押し殺して、取るべき指針を示してくれたのだ。
だから、ワタリは黙った。重苦しい沈黙が船内を満たしていた。
「次に行く星は……せめてもう少し優しい場所だといいね」
「ああ」
馬車の下には何百という蜂が渦を巻いて飛び回っていた。