少女星間漂流記2
明の星
砂漠にオアシスがある。
小さいが、綺麗な泉と果物があった。
泉のほとりには木でできた小屋があって、一人の老いた星人が暮らしている。
夜、老人は窓の傍に置いた椅子に座って外を見つめていた。
視線の先には都会の街並みがある。
高層ビルが並ぶ街並みはオアシスから随分と離れている。けれど、建物に煌々と灯る明かりは小屋からもよく見える。
毎晩、その街並みを見つめるのが老人の楽しみだった。
特に老人が好きなのは、高い塔の天辺にある明かり。そこに彼の愛する妻が住んでいる。塔の明かりを見ると妻の存在を感じられた。
その夜も老人は街並みを見つめていた。何十年もそうしてきたように。
ふと夜空にきらりと光るものがあった。
流れ星かと思ったそれは、どんどんとこちらに近づいてくる。オアシスに向かって落ちてくる。
あわやと思った老人だったが、何も心配することはなかった。それは星ではなかったのだ。
落ちてくるそれを見て、老人は思わずつぶやいた。
「不思議なこともあるもんだ」
それは馬車だった。ゆっくりとオアシスの緑の上に着地した。
籠から二人の少女が降りてくる。金髪と黒髪だった。
金髪の女の子が言った。
「初めまして。私たちは旅をしている者です。お金を払いますので、ここの果物をいくつか分けていただけないでしょうか」
老人は答えた。
「宇宙からの旅人か。果物を分けるのはかまわないよ。私ひとりでは食べきれないしね。けれど、あまりたくさん持っていかれると困る。私一人が生きていくには十分だが、決して有り余っているわけじゃないからね」
「ありがとうございます。では、いくつかいただいてまいります」
黒髪の少女が動いた。大人しそうな見た目とは裏腹に、機敏な動きで果物を摘んでいく。
金髪の少女が小物入れから貨幣を取り出した。
「こちらを……」
「いらないさ。私は人里離れて暮らしているから、お金を使う時がないんだ」
「そうでしたか」
金髪の少女は貨幣をひっこめた。
「ですが、ただ果物をいただくだけでは忍びなく思います。何かお役に立てることはありませんか、家事手伝いとか」
「家のことも一人でできているよ。だが……」
老人は何かを言いかけたが、やめた。代わりに無意識に遠くの街並みを見つめた。
街の明かりを見る老人の瞳は寂しげだった。それを少女は見逃さなかった。少女は老人の心中を推し量って、申し出た。
「もしあの街に行きたいのでしたら、お連れしましょうか。私たちの馬車ならひとっ飛びですよ」
老人は苦笑した。
「そうしたいのはやまやまだが、できないんだよ。私はあの街に近づくのを禁じられているから」
「禁じられて……どうして」
「感染しているのさ」
途端、金髪の少女が身構えたが、老人は穏やかに言った。
「大丈夫。異星人には移らない毒だから」
「そうですか……」と少女は警戒を解く。
「もう何十年も前のことさ。この星の近くを彗星が通りかかってね。大きな宝石のように輝く彗星だったが、同時にとてつもなく恐ろしいものでもあった。彗星の尾には毒があって、それがこの星中に撒き散らされたのさ。悪いことに感染する毒だ。この星のあらゆる都市が隔離政策を行ってね、私はその時に街から締め出されたんだ」
少女が尋ねた。
「それはどんな毒なんですか」
老人は着ていた服の袖をめくった。現れた腕は、白く輝く石片に覆われている。
「石化するんだ。といってもただの石じゃない。全身が宝石に変わって死ぬ。彗星と同じ、輝く宝石に」
老人の腕は宝石のように固くなって、きらめいていた。
「おかしいですね」
少女が首を傾げた。
「その病にかかったら、全身が宝石になって死ぬんでしょう? けれどあなたは生きている。それだけじゃない。見たところ、石になっているのは腕だけのようですが」
「運がよかったんだろうな。私は軽症だったらしい。腕以外が宝石になることはなかったんだよ。けれど、感染していることには変わりないから街にはいられなかった。ましてや私には立場があったからな」
「立場?」
「国で一番偉かったのさ。だからこそ出ていかなければならなかった。トップが我が身かわいさに残ったら、示しがつかないだろう。実際、私が出ていくことで罹患した民のいくらかは納得して一緒に街を出てくれたんだ」
老人は思い出す。街を出ていくときのことを。
彼は国を妻に託してきた。自慢の妻だった。敬愛していた。
別れの日、妻は泣いた。妻は別れの口づけをしようとしたが、老人――当時は若かった――が拒絶した。毒が移ってはいけない。
妻は涙ながらに誓った。
「あなたの使命は私が果たします。恐るべき毒から私が民を守ります。どうか遠くから見守っていてください。私はこの都に命の明かりを灯し続けますから」
だから、老人は都を、そして妻のいる塔を見つめるのだ。街並みが放つ明かりは、妻からのメッセージだ。都は今日も元気だと妻は伝えてくれている。だから老人は、そのまばゆい明かりを見るたびに勇気づけられる。妻が今も頑張っていることもわかるし、自分が街を出てきたのも無駄でなかったとも思える。
老人は気付かぬうちにまた都を見つめていた。
街は光っている。今日も人の営みは続いている。
その遠い目に金髪の少女が気付いて言った。
「治しましょうか?」
「えっ」
「ですから、治しましょうか、あなたの腕。私には医療の心得とメディカルキットがあります。おそらくはあなたの腕は治せます」
老人は驚いて尋ねた。
「それは……私の中に宿っている毒も消せるのか?」
「おそらくは」
老人はしばらく呆けていた。少女の言うことがあまりに現実離れしているように感じられたからだ。
それを見抜いたように、少女は言った。
「私たちが住んでいた星は、この星よりも文明が進んでいました。医療技術もそうです。だから、解毒は難しくないのです」
なるほど、確かにこの少女たちは空からやってきた。それも馬車に乗って。魔法のような医療技術を有していても不思議はない。
老人は震える声で言った。
「じゃあ、頼めるか……?」
金髪の少女は微笑んで頷いた。
「もちろん。食料のお礼はさせていただきます」
金髪の少女は小物入れから、不思議な道具を取り出した。手のひら大のそれがメディカルキットだった。
キットから針が伸びてきて、老人の腕に刺さった。痛みのない注射だった。それが老人の血を解析し、病気の原因を突き止めた。今度は注射器の針を通して、老人の体に液体が注入された。それが薬だった。
キットにはモニターがついていて、そこには老人の血液の分析結果が表示されていた。
金髪の少女はそれを見て、首を傾げた。「おや」
「どうしたんだい?」と老人が尋ねる。何か悪いものでも見つかったんだろうか。
「あなたの毒、いえ、病気は他人に感染しませんよ」
「……なんだって?」
老人は戸惑ったが、すぐに否定した。
「いや、ありえないぞ。私は何人も見てきたんだ。国の人間が宝石に変わって死んでいくのを」
「あなたが罹ったのは彗星がもたらしたものではありません。まったく別の病気です」
金髪の少女は説明を続ける。
「私たちの星にもありました。筋肉が骨になったり、皮膚が鱗のようになってしまう病が。あなたはそれに類する病気に罹ったのです。それらも見た目が石化に似ていますから、勘違いされても無理はないでしょう」
ご安心を、と少女は微笑んだ。
「もちろん、その病気は今投与した薬で治りますよ」
老人はすぐには礼を言えなかった。
「じゃあ……私はあの都を出ていかなくてもよかったということか」
「残念ながらそういうことになりますね」
少女は目を伏せた。病気を治せる彼女にも、時を戻す力はない。
「お力になれず……」
「いや、君が謝ることじゃない」
老人はすぐに頭を切り替えた。
「ありがとう。君が来てくれたから、私は自分が彗星による病気でないと知ることができた。これで胸を張って都に戻れる。君が来てくれなかったら、私は死ぬまでこの小屋にいることになっただろう」
「そう言ってもらえると助かります」
そこで黒髪の少女がやってきた。
「出発の準備ができたよ」
「そうかい。じゃあ、行こう」
金髪の少女は黒髪の少女とともに馬車に向かった。
「よろしければ、都まで送りましょうか」
「いや、いい」
老人は言った。
「自分の足で歩きたい気分なんだ」
都までの道はきっと楽しいものになるだろうと老人は思った。歩くたびに少しずつ強まっていく街明かりを老人は見たかった。
「わかりました。では、これでお別れです」
二人の少女は馬車に乗って飛びたった。
老人は手を振って、黒い空に吸い込まれていく馬車を見えなくなるまで見送った。
「さて」
老人は身支度を整えた。砂漠を歩けるだけの装備をして、小屋を出た。
砂を踏みしめて歩く。老体には堪えるがそれでも足取りは軽かった。
丸一日歩いて、老人は都に着いた。
街に着いた老人は周囲を見渡した。
あらゆる建物から光が漏れている。夜だから出歩いている人の姿はないが、この明かりこそが人の営みと生存の証であった。
老人はかつての住まいを目指した。
大きな塔の天辺の部屋。妻と一緒に過ごした場所だ。
塔に着いた。何故かエレベーターは止まっていたから階段を上るほかなかった。息が切れて心臓が破れそうになった。
どうにか最上階に辿り着いた。
部屋の前に着く。扉につけられた明かり取り窓からは、やはり光が溢れている。
老人は扉を開けて、言った。
「ただいま」
部屋の中には妻がいた。
妻のその姿を見て、老人は崩れ落ちた。
妻は在りし日の姿のままでそこにいた。
全身が石になって固まっている。
しかし、ただの石ではない。まばゆい光を放つ石だった。
老人は、光の正体を知った。それは営みの光などではなかった。
巨大な宝石が放つ、死のきらめきである。
老人は知った。都はとっくに毒で死滅していたこと。
オアシスに隔離されていた自分だけが、感染を免れていたこと。
妻は窓辺に立っていた。宝石と化した彼女は助けを求めるように手を伸ばしている。
きらめく指の先には砂漠のオアシスがあるのだった。